こころの辞典501-600

501
妄想【追記】
何かの考えを、それは妄想であると判断するとき、真実ではないと判定していることになるが、何を根拠に真実かどうかの判定をしているのだろう。
真実であると考える根拠には、大別して三つあると思われる。
1)経験を吟味した客観的事実。しかしこれは錯覚や考え違いということもある。単なる偶然ということもある。間違いのない確実な経験を求めて、科学が発達してきた。検証可能で反復可能な事実は何かを吟味する。
2)集団内の常識。科学の観点からは真実とは言いがたい場合でも、その集団内で常識として共有されていれば、真実と言って良い場合がある。したがって、誰かの所属する集団は何であるか、そこではどのような常識を共有しているのか、慎重に考慮する必要がある。
3)宗教的啓示。これは神から直接に多くは一回限り、真実が伝えられる事態である。これこそ典型的な妄想ではないかとする考え方もあるが、しかしそれは唯物論的な規範の中での思考である。世界の人々の考える「真実」は宗教的啓示によるものも無視できない。

2)は多数決で決まる真実である。集団の中で生きるとは、この常識についての多数決を受け入れるということでもある。受け入れない場合にも、そのことについては沈黙を守るということだ。
1)は手続きに従えば少数意見も尊重される可能性がある。むしろ、2)のタイプの常識の中には迷信や錯覚、偶然などが多すぎるので、間違わないようにできないかと考え、経験を洗練する方法として発達してきた面がある。したがって、しばしば1)と2)は対立する。昔から引用される典型例はガリレオである。
ガリレオが「それでも地球は回っている」とつぶやいたとすれば、そのとき天動説は集団内の常識として真実であったし、一方、地動説はガリレオの厳密な観察から考えて真実であった。1)と2)のふたつの基準がぶつかっている状態である。

妄想か否かを考えるとき、実際にはあまり悩むことはない。むしろ、患者さんが確信を語るとき、それは何を根拠にした確信なのか、上のどのあたりに属する確信なのかを心の中で確認しながら話を進めるのがよいのではないか。

キリスト教旧約聖書を文字どおりに信じる立場の人にとっては、世界は神が七日でつくりあげたもので、進化などない。しかし進化を信じる人たちの立場からは、生物の進化は「科学的真実」である。

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さらには宇宙がどのようにしてできたのかという、宗教者にとっても、唯物論者にとっても、興味深い問題もある。ビッグバンはあったのか、あったとして、その爆発から時間と空間が始まったとはどういう意味なのか。ビッグバンがなかったとしたら、世界の歴史はどこまで遡ることができるのか。

治療者側の判断の根拠や、世間の常識の由来にも敏感になっている必要がある。

502
薬の量
抗精神病薬抗不安薬が、ドーパミンGABAと関連していると仮定して話を進めよう。精神分裂病の急性期に抗精神病薬を投与すると陽性症状はおさまる。薬剤はドーパミンレセプターをブロックして、ドーパミンの伝達を抑制していると考えられている。しばらく経つと、症状も安定して薬剤量も少なくなり維持量で落ち着いている状態となる。そこまで来たら、社会復帰をめざしてデイケアを始める。デイケアは集団場面も設定し、多少のストレスもかけながらこころを賦活する。つまりはせっかく落ち着いていた脳内でのドーパミンを再び活発にしていることになる。症状再発の危険もあるので、薬剤をやや多めに調整することが必要になる。
一方で薬剤によってドーパミンを抑えながら、一方で生活療法やデイケアドーパミンを活発にしようとしている。これはどういうことだろうか?このような事情であれば、デイケアなどしなくても、薬剤を減らせば十分であるはずだ。しかし現実はそうではない。ドーパミン単一で考えているから不十分な考察しかできないのだろう。

ある患者さんに対して、どの程度の量の薬を処方するかについて、客観的に決められる最適量があるはずである。それが科学というものだ。しかし医者によって判断が異なることが多い。
ひとつの理由は治療目標の違いである。どの状態をめざすかによって、薬剤種類も量も異なってくる。再発防止だけを最優先にするか、そうではなくて、早い社会復帰を優先するか。(もちろん、こう言ってしまっては不正確だ。再発を防止しつつ社会復帰に向けるのが治療であり、二つを両立させなければならない。両立を図る中で、どちらに重点を置くかという微妙な判断のことである。)
しかし一方ではこんな事情もあるのではないかと考えている。医者やスタッフ、施設全体の雰囲気などが異なれば、患者の精神に与える影響も異なる。単純化して言えば、この医者と会っているとドーパミンがたくさん出るのに、あの医者と会っていてもドーパミンはあまりでないといった具合である。厳しい医者や優しい医者がいるし、母性的な人も父性的な人もいる。患者の精神構造もそれぞれ異なるので、厳しい医者の前でドーパミンがたくさん出る人もいるし、厳しい医者の前ではドーパミンはあまり出ない人もいるだろう。したがって、医者によって薬剤量に違いが出てくる。あの医者は薬が多い、別の医者は少ないという場合、このような理由もある。
では一歩進んで、医者の態度やパーソナリティにも最適点が考えられるのではないかという問題についてはどう考えればよいだろうか。患者さんのパーソナリティが多様であるという事実が前提になる。患者さんの多様さに応じた医者の多様さがあれば、需要と供給はバランスするのではないか。客観的にどの場合にも最適な医者のパーソナリティがあるわけではなくて、相性の問題である。そして、その組み合わせに応じて、薬剤の選択がなされる。こう考えてくれば、ある患者さんに対しての理想の処方は何かという問題には、普遍的に正しい唯一の答えはないことになるだろう。

一般的傾向として、説明が丁寧で、患者さんによく納得してもらっている医者の場合には薬は少なくてすむ。しかしまた、そのように丁寧で立派な医者がいれば、そこに難しい患者さんが集まる傾向もあり、結果として薬は多くなるという事情もある。

503
人生についての態度の平面
性格把握の一方法として取り上げても良いのではないか。

504
転移・退行・自我のもろさ
転移を引き出す操作は、同時に退行促進的であり、場合によっては幻覚妄想状態を引き起こす。
転移を起こさなければ分析できないが、起こしたときには退行しすぎで元に戻らないというのでは失敗である。診察したでだけ起こる、限定された退行であればよいのだが。
自我境界のもろい人には、むしろまわりに自我境界の代替物を提供することの方が適切である。固い構造の部屋、揺れ動かない態度・意見など。

505
内因性
脳器質性と心因性の両方であること。双子研究の一致率は50%である。これを強調すること。単なる「現在原因不明の、しかし将来発見されるであろう脳器質因」ではないこと。

506
患者は治療者を試す
自分のためにどれだけ枠をはずしてくれるか、破ってくれるか、それを愛だと見なしたがる。自分をどれだけ特別扱いしてくれるかを試そうとする。

507
分裂病の多様性
この多様なありさまを分類する方法はないものだろうか。例えば、全景症状の組み合わせとして、分類することはできそうではないか?なぜしないのだろう?
分裂病症状と一括してはいけない。不安、強迫、被害妄想と数えて、病前性格の描写を加える。そのような中から類型を取り出す。
まあ、今までもそのようにしてきたわけだ。その中から、妄想型分裂病とか、思春期妄想症とかが取り出されてきた。

508
精神病と神経症の見取り図
こころの病気の見取り図
定義が先にあって、それに従って病気が作られたのではない。人が相談に来るから何とかする、これが出発点である。

509
分裂病は曖昧である
多様なファンタジーを引き出す。哲学者(人間の精神構造から不可避に生じる問題)、教育学者(育て方の問題)、理系の人(神経伝達物質の問題)、革命家(社会構造の問題)、それぞれに自分なりの分裂病の原因と治療を思い描いている。
まだ神話の時代を生きているのだ。

510
現実神経症……キーボードからの変な入力。0で割り算したり。
精神神経症……キーボードからの入力はハードディスクに蓄えられてゆく。ハードディスクへの情報蓄積が少しまずかったらどうなるか?必要な情報を取り出そうと思っても、間違った応答をしてしまう。間違った演算をしたりする。強迫神経症など。

511
子供時代に一応の完成をする。大人になるにあたって、新しい適応が必要になる。「建て替え」が起こる。子供は平屋で、大人は二階建てのようなものだ。子供時代に完成したものの一部を解体して、二階部分の建設を始める。それがうまく行かない場合に分裂病の危険がある。

512
受容的態度は退行を促進する。
自分では言わずにおこうと思っていたことも、思わず言ってしまったりする。

逆に、現実検討を高めるカウンセリングも大切である。

513
身体表現化されている心的問題。この場合、カウンセラーがこころの問題ではないですかと言えば、拒絶される。なぜなら、こころの問題であることを拒絶するために、身体化しているから。それは抵抗様式そのものである。だから、解除させるのは難しい。

514
他人の人生の選択をどのように援助するか。
映画「ニュー・シネマ・パラダイス」の場合。他人の人生にどのようにかかわり合えるか。
まるで父親のように接していたからといって、父親のように子供の人生を決定的に左右してよいものだろうか?よいはずがない。父でさえよいはずがない。
アルフレードはトトの将来を思い、女と別れるように勧める。また、女にも、別れてくれと言う。さらには、女からの伝言をトトに伝えず、結局二人は別れることになる。女と結婚すればトトは一生故郷の町で埋もれるだろう、それではいけないというのがアルフレードの考え。
しかしどの女と結婚するかについて、アルフレードが口出しをする理由はないではないか?あの女のどこがそれほど決定的に不適格なのか、全く描写されていない。女と一緒にローマで映画の仕事をしたっていいはずではないか?それがなぜできないのか描かれていない。
だいたい、父親でさえ、息子の人生を決めることなどできない。忠告はできるだろうが、伝言を伝えないという、消極的な作為は許されないのではないか。そんなことをして、なお自分の善意に確信が持てるものだろうか?持てないと思う。
アルフレードという教育もない男が考えもなしについつい親切のつもりでしてしまった、消極的な作為であると解釈できるだろうか。彼なりの善意であったのだと。彼は二度と故郷には帰ってくるなとトトに命じる。その真意は何なのか。ローマに幸せがあるとなぜ彼は考えるのか。
トトの小さな自我が考えるのではなく、もっと大きな自我としてアルフレードが考えている。一種のカウンセラーとして。トトには自覚できないとしても、トトの人生を大局的に見渡すことのできる、外部の人格としてアルフレードがいたとしたら?
トトは表面的には納得できないでいるのだが、深層では納得できている。仕方がなかったのだと思っている。アルフレードがいたから、彼のせいにできたのであって、彼がいなければトトは自分で女と別れてローマへと出発しただろう。彼のせいにできるのだからトトは気が楽だ。運命のせいだとか、アルフレードのせいだとか言っていられる。しかし実際は、心の深いところでのトトの打算の結果なのだ。
人は自分の一番の願いをかなえながら生きているのだ。トトの一番の願いは何であったか。女と暮らすことではなかったのだ。
実際、トトは女を探すことに一所懸命ではなかった。
打算家なのにロマンチックでありたいと思っている。夢想家のポーズを楽しむだけの打算家である。

515
患者は目先の問題に対して、現実的で簡易な解決を求める傾向がある。
治療者は心の発展をめざす傾向がある。

516
教科書(たとえば笠原のもの)の読み方の本。別の考え方や、そのような書き方になっている理由。

517
病気を進化のなごりとしてみる。
身体で言えば、腰痛、近視など。心・脳については動物行動学などで考える。
過去に適応的であった行動様式の、誤った応用。

不安が高まったとき、ノルエピネフリンを高くして、闘争と逃走の体勢にする。それは昔は良い作戦であった。しかし現代ではそのような作戦はまずい。スポーツ選手の場合くらいしか役に立たない。
試験会場で筋肉に血液を集めてみても無駄である。

518
効率の良い民主主義という言葉の矛盾。効率の良い社会とは、集権的で独裁的なものだ。

519
コンピューターの比喩。

人間の特性は生まれた時からオープンリングであるということ。

故に、幼児体験は大切である。

精神療法は、リングのオープン部分を操作することだ。

520
被害妄想が分裂病に多い理由
・言葉も知らない外国にひとりぼっちになったとき、被害的になる。
・周囲の状況をよく把握できないときは被害的になった方が自分を守ることができる。これは長い間の淘汰の歴史が脳に刻み込まれているのではないか。
ロールシャッハのようなものだ。また、転移・逆転移と同じことだ。状況や意味が不明の時は、自分の内部にあるものを対象に投影してひとまず解釈する。
・結局、被害妄想は原発的に生じるのではない。混乱し意味不明となるのが第一のプロセスであり、それに対する反応として被害妄想が生じるのであろう。

521
人格中核喪失状態
分裂病覚醒剤中毒後遺症は区別ができないくらい似ていることがある。そんな時、役に立つ項目。分裂病者は原則として嘘がつけない。集団の中では他者に遠慮している。中毒後遺症者は平気で嘘をつく。集団内では自己中心的である。西丸参照。

522
定義
もっとも広義の分裂病から、もっとも狭義の分裂病までを並べて検討してみる。たとえば以下のように。
?性格傾向を判断材料とする。→分裂病ではうつ症状も神経症症状も出る。
?幻覚妄想状態・現実検討の喪失を基準とする。→病態水準。
?自我障害(さらに厳しくはシュナイダーの一級症状)を基準とする。
以上は現在症からの診断。
?経過の特性を重く見る。→しかしこれでは何十年も経ってからでないと診断できないことになる。決定的に不都合。しかしこれがもっとも病理の本質と関係しているかも知れない。
性格傾向、病態水準、症状、経過と次第に絞って行くイメージ。だんだん輪が狭まる。

523
エディプスコンプレックス
Oedipus complex
異性の親への愛着と同性の親への敵意、敵意が知られて処罰される不安などを要素とする考え方で、フロイト精神分析のひとつの頂点。男の子の成長に関するものを限定してエディプスコンプレックスと呼び、女の子の場合にはエレクトラコンプレックスと呼ぶ場合がある。
さて、フロイトによれば男根期に男の子は母が大好きで結婚したいと思う。さらには相姦を願望する。しかし父がいるからかなえられない。父に嫉妬し、その死を願う。そのまま母と仲良くしていると母は「おちんちんちょん切っちゃうわよ」などと言って脅かす(去勢恐怖)。もう父と争っても勝てないのだとあきらめて、敵意を抑圧し父と同一化する戦略をとる(同一化、取り入れ、男性化、超自我の形成)。潜伏期の始まりに抑圧は完了する。
以上のような過程がうまく進行しないで、未解決のまま持ち越してしまうと、神経症の原因となるという考え方である。
フロイトのこの考え方に対する現代の精神医学者の態度は様々である。万能薬のように大切にする人はもういない。

 エディプス王神話の概略を紹介しよう。
 テーバイの王ライウスは、「これから産まれてくる子はお前を殺すだろう」という神託を受ける。女王ヨカスタが男子を産んだとき、王は乳児を山麓に捨てて、死ぬにまかせるように命じた。
 羊飼いは乳児を発見して、ポリバス王に届け、王は子供を養子にした。歩けないようにアキレス腱を切断されていため、足が腫れていた。そこでエディプス(Oedipus)と名付けられた。Oediはedemaであり、腫れているの意、Pusは足のことである。
 青年となったエディプスはコリントを後にして旅に出る。たまたま十字路でライウスと出会い、道を譲れ譲らないで喧嘩となり、実の父であるライウスを殺害してしまう。
 次にエディプスはスフィンクスの所にやってきた。スフィンクスは旅人に謎を出し、解けない場合には殺していた。
 「朝は四つ足、昼には二本足、夜には三本足、これは何か。」この謎を「人」と見事に解いたところ、スフィンクスは屈辱から飛び降り自殺をした。
 テーバイの人々は感謝して、エディプスを王とし、彼をヨカスタと結婚させた。
 近親相姦は神を怒らせ、テーバイに悪疫が流行した。神託によれば、ライウス殺しが悪疫の原因と出て、エディプスは犯人を捜した。その結果、彼自身が殺人者であり、母と結婚している身であることが分かる。ヨカスタは首を吊って死に、エディプスは彼女のブローチで自分の目をついて盲目となる。

 以上が、エディプスの物語である。しかしそれにしても、なぜエディプスはこのような過酷な運命を生きなければならなかったのか。エディプスに罪があったのだろうか?

 こうした悲劇の淵源は、父ライウスの傲慢にあった。若くしてテーバイの王位についたライウスは、王位を狙っていた叔父を放逐したことがある。ライウスは、旅の間はペロプ王の保護を受けていた。ライウスがペロプの庶子を誘惑して同性愛的関係を持ったことから、この保護者は、自分の好意と親の誇りを踏みにじられたと怒り、復讐を決意し、呪いをかけた。ライウスが息子の手で殺され、そのベッドが息子に奪われるような運命が彼に与えられた。

 これもライウスの悲劇の説明であって、エディプスの悲劇の理由にはなっていない。エディプスの人生全体は、父ライウスの傲慢とその償いのために消費されているようである。

 産まれたばかりのエディプスは無垢ではなかったか。罪のないままで、「足腫れ」の身にされてしまう。罪のない者がなぜ過酷な運命を引き受けなければならないのか。これが神の意思なのか。これは後にドストエフスキーが、その文学の主題として取り上げている。
 貧しく過酷なロシアの風土の中で、無垢の子供たちが、命を奪われ、あるいは奴隷的な労働に縛り付けられる。このような現実は神が望んだものなのか。神が何かの意図を持って設計したものなのか。それならば一体どんな意図があったのか。産まれてまもなく、残虐に殺害されて行く子供たちの、この問に神が答えられないなら、私はこの世界への入場券を返却する、とまで物語の登場人物に語らせている。

 エディプスも同じ問を発するだろう。そして神は答えない。

患者の運命と我々健常者の運命を隔てているものは何か?

524
集団
集団を記述する言葉とメンバー間の関係を記述する言葉を我々は十分に持っているか。観察し、記述し、介入する。その前提として、言葉を持つこと。
全体ー(個々の人の総和)=集団独自の何か。G-(a+b+c+d+e)=0ではない。
また、(a+b+c)+(d+e)と(a+b)+(c+d+e)は等しくない。
個々のメンバーはどのような集団の中にいるかによって、振る舞いが大きく異なる。全体の記述は欠かせない。たとえば、「場の力」と言ってもよい。

525
機能性疾患
機能性疾患という場合に二種類がある。?本来構造変化があるのだが、道具が未熟なため見つけられないでいる場合。これは本来の意味での機能性疾患ではない。?異常のレベルがある程度高次である場合、還元主義的な手法では異常が見つからない場合がある。たとえば、骨がマクロのレベルで曲がっている場合。骨ならば見えるが、腎臓ではどうか?脳ならばどうか?脳で骨の湾曲に対応するものは何か?

526
二重拘束説
うまい例:?
分裂病原性母親

527
真の愛
真に愛を持って接するとはどういうことか?
例えば、親の愛と考えてみる。父母の愛。しかし現実の父母は、医学的・心理学的知識の点では欠けている場合がある。
治療者は、部分的にではあるが、理想の親の役割を引き受けている。充分な専門知識と経験、将来への展望を持った人間が本当に親身になったとして、どのように接するものか。
親であり、医学・心理学の知識と治療経験が豊富なものとしての役割。

528
パターナリズム
プロセスとしての自己決定権を尊重するのか、結果としての幸せを尊重するのか。イエスキリストに盲目的に従う蟻塚の蟻の群になってしまうのがよいのだろうか?

529
SSTの原理

刺激→受信機能→処理機能→発信機能→行動

受信機能という言葉は曖昧である。SENSE,PERCEPTION,さらには状況意味認知などまで、幅がある。一部は処理機能にまで踏み込んでいる。PERCEPTIONですでに処理機能を働かせている。
しかしそれは言葉の用い方の問題でもあろう。
また、人間の認知として、テレビカメラが映像をとらえるような視覚機能ではないだろうということも考慮すべきであろう。むしろ、こちらから網を投げて情報をスキャンしている印象である。
客観的実在を仮定して、それを信号として受信し、処理するという図式はあまりよろしくないだろうと思うがどうか?

そんなこともあるが、全体として、脳の機能は、「SENSE→処理→MOVE」と一括できる。(継ぎ目をどこにとるかは難しいという意味。現実には、幾個かの神経細胞のつながりがあるだけで、この三段階のというわけではない。はじめの感覚細胞の時点ですでに情報処理は始まっている。網膜はすでに脳である。)

処理の内容としては、結局は情報の総合ということであろう。経験を加味し、予測を加味し、まわりの状況を加味し、総合判断を加え、行動をアウトプットしている。

分裂病の場合、この処理過程が動いていない。あるいは誤動作している。その場合、どこが間違っているのか、詮索することはやめて、新しい単純な「反射経路」を作っておこうというのが要するにSSTであると思われる。

SSTの問題点
集団精神療法一般に言えることであるが、患者同士が一緒に何かをやることに意味があるのかどうか、それを考えるべきだ。
例えば、自動車運転の未熟な者が集まって、指導を受け、他の未熟な人の失敗や熟達の様子を見て参考にする。感想を語り合い、こつを伝授しあう。この一連の集団の動きが一般人には有効である。しかし精神分裂病の場合、集団内での学習機能や共感機能がまさに障害されているのではないか。程度の差はあるにしても。
例えば、健常者8人の中に患者一人を入れて、ロールプレイプレイを行う場合。それと、患者8人でロールプレイを行う場合とを比較して、どちらが効果が上がるだろうか。

「相手もひどい精神病」という状況は、精神病院内の集団療法の場合には仕方がない。むしろ、出発点にある条件である。
しかしそれが真に治療的か考えてみたい。

片麻痺のリハビリをする人が、もう一人の片麻痺患者と一緒にリハビリをする。それはよいことか?
励まし合い、陥りやすい誤りを学びあう点ではよいことである。しかし筋肉・神経のことを考えれば、健常者にガイドしてもらう方がいいに決まっている。

分裂病者の場合、励まし合いなど集団特性を生かす方向の効果がどれだけ期待できるだろうか?ある場面では、悪い効果ばかりが伝達されて行くこともある。
たとえは悪いが、そして実際を知らないので不正確であるが、少年院で悪いことをさらに学んで一層の悪になって行く少年のようではないか?あるいは、悪い性質を持った友達が、彼を餌食にしてしまう。
親はどう考えるだろうか?病気の人同士仲良く遊べばいいと考えるか?(そもそも遊べるだろうか?)健常児の中でできる抱けよい習慣を真似してほしいと考えるだろうか?
生活保護受給者の生活態度を見て、生活保護になれば楽だと考えた人がいる。人間は真似をするものだ。
集団の場では、よいモデルを提示しないといけない。よいモデルのよい態度が伝染していけば、それはよい集団療法である。

よいモデルの提示。それが大事だ。
これがSSTに欠けている。

530
妄想と社会性機能
妄想は社会性機能の欠如と考えられる。
なぜなら、自己内部の想念を現実と照合して訂正する機能は、社会性機能と考えられるからである。(荻野・ジャネ)
この考え方は、真実は実験的事実のうちにあるのではなく、真実は集団内の了解のうちにあるとしているようだ。
真実の源泉。
?実験・直接経験‥‥理性‥‥理科系の真実
?集団的了解・権威による提示‥‥集団性‥‥文化系の真実・集団内の合意事項・制度
?啓示‥‥超越性・時に精神病理
なぜ自意識はあるのか。反省的意識は何の役に立つのか。‥‥集団機能。集団内の他人の意向を推定することができるようになる。

531
ハリネズミの話‥‥なぜ緊張してしまうのか

緊張について
・結婚式の挨拶・記帳、朝礼当番
・緊張状況‥‥
親しい(家庭、自分がどんなにくだらない人間かはばれている。)、
知らない(電車内・関係は生まれない。「誰か」「どんな人か」は問題にならない。)、
その中間(学校、職場。「誰か」はばれているが、どんなにくだらない人間かはばれていない。結婚式などがよい例。)
・全く知らない人の中で緊張してしまう人と、中間場面で緊張する人は違う。

緊張をプラスに利用する
・緊張しない人はいない‥‥よい緊張にできるか‥‥スポーツ選手のイメージトレーニン
・プラス思考
・脳のシミュレーション機能‥‥集中力の大切さ‥‥集中すれば、より多くの神経細胞が参加して、よりよいシミュレーションができる。現実の先取り。
・抑制する、促進する。それを制御する上位中枢に働きかけて、そこを促進する。抑制よりも、上位を促進する方針の方がいい。

・心の多面性‥‥多重人格‥‥あなたの中にも別の自分が眠っている
・いまは眠っている自分を呼び覚ますには‥‥心のトレーニング‥‥いつも同じ自分ではない
・家庭、職場、愛人宅、同窓会、父兄会、それぞれに違う自分を出している。

対人距離について
ハリネズミ‥‥対人距離‥‥人と一緒にいたい、しかし傷つけられる。適切な距離を身につける。

532
検閲
censorship
無意識界の欲望の中の、意識化しては都合の悪いものを自我や超自我が「検閲」して意識化しないようにする作用をいう。そのまま無意識層に抑圧されてしまい、そのような欲望はなかったものとされる場合もあれば、変形されて意識層に出てくる場合もある。

533
神経症
心因が神経症を起こすのではなく、神経症は軽度の器質性障害にとどまり、機能障害も軽度である。主な症状は低位の防衛機制の使用である。その場合、心的内容に問題がある場合、即ち葛藤的な場合には、症状が出る。低位の防衛機制では処理しきれないからである。
・心因が神経症を起こすのではない。
・器質性や内因性精神病ほど決定的な脳障害が起こるわけではない。
・症状は、高位の防衛機制の消失と低位の防衛機制の出現である。これは陽性症状と陰性症状としてジャクソニズムで考えることが出きる。
・この状態で、心理の内容が葛藤的であれば、処理しきれなくなる。即ち症状が出る。
神経症を準備するのは器質因である。
・葛藤内容がなければ症状形成しない。強い葛藤があればそれに応じた症状が出る。
・一種のストレス脆弱性モデルである。分裂病神経症は一元化できる。脆弱性の内容は少しずつ違う。(?)
・妄想のプールから、噴出する。精神病レベルの場合には妄想が生のまま噴出する。神経症の場合には加工されて噴出する。正常の場合には訂正される。
・妄想生成と訂正のプロセスは、トライアルアンドエラーである。

534
病態水準
病態水準は明確ではない。むしろ印象に近い。変動する。変動の幅を測定しているとも言える。変動したとしても、現実検討は失われないとするのが神経症レベルである。しかしそうだろうか?
神経症レベルでも、正常人と言われている人でも、よくよくインタビューすれば、そこには現実から遊離したファンタジーもあるはずである。人間の精神機能とはそうしたものだ。ただ、それは現実ではないとインタビューアーに対しては言える。それが現実検討は保たれているということだ。言えるとしても、心底そうだろうか?精密に聞きただせば、曖昧な部分にぶつかるものではないか?しかしそれは精密に聞けばということである。
人間はその本質からして、妄想的なのだと言える。したがって精密に聞きただせば、誰もが妄想的である。
本質が妄想的で、根の部分には妄想があるから、脳の一部が壊れたとき、妄想が訂正されずに噴出するのであろう。

フロイトは、リビドーの生の形での噴出を自我と超自我が抑えているのだと考えた。抑えきれないものについては変形加工する。検閲機能である。
似たような図式として、次々にわき上がる妄想を訂正するのが上位機能である。上位機脳が失われるに従って、伏在する妄想が噴出する。

535
分裂病の本質
分裂病は場所の病理なのか。
・血管型の何かが多様な部位で起こっているとしたら、(そうでなければ多彩な症状は説明できそうにない)、場所依存性ということになる。どこか?→丹羽の本にあった。否定的。
ドーパミン系の系統的変性疾患だとしたら、整合的か?
・経過の特性と症状の特性=病理の特性と障害部位(場所)の特性

536
定義
症状についても、広い曖昧な定義から、狭い厳密な定義まで、並べてみる。強迫症離人症など。うつ病分裂病についても並べてみる。ぼやけてゆく様子を見ることに意味があるのではないか?絞り込んでゆく過程で、何が本質かが問われる。ひょっとすれば、枝分かれがあるかも知れない。

537
還元主義と全体主義 集団の記述
要素に還元して要素間の関係を記述して行けば、全体の記述ができると考えるのはやはり間違いではない。ただ、複雑すぎるということだろう。複雑さを回避するためには全体を記述する言葉を持てば便利である。複合した現実を含んだ高次の言葉ということになるだろうか。しかしその分抽象的で類型的である。
集団全体を記述することと、個々のメンバーについてカルテを書くこととの間には越えられない溝があるのだと考えてよいのだろうか。
家族システム論は、責任回避の論理のようにも映る。誰かが悪いのではない、結果として一番弱い人に症状が結実する。これは家族のみんなが納得しやすい考え方である。

538
神経症と精神病の二分
精神病院には民衆が入れられ精神病として扱われる。脳が壊れたのだとされる。
民間のクリニックでは(たとえばフロイト)富裕な階級の患者が通院し、神経症として治療を受ける。心理的ストレスが原因であるとされる。
違う病気なのだろうか?同じ病気について別の扱い方をしているだけなのだろうか?
環境が病像を変えているのではないか。

539
転移神経症
神経症を、無害な、主治医との関係に限定された、転移神経症に変換して、治癒と見なすこと。

540
反応としての神経症
悩みがあれば軽度から重度までの神経症状態を呈する。
従って、精神症状=(器質性成分+葛藤内容)+前二者に対する主体の反応(神経症成分=不安処理のための反応)となる。ここから症状を整理して行くことができないか。
神経症成分などという言葉は誤解のもとであるから廃止した方がよい。

541
理由のない不安
従来、神経症性の不安は不安の内容や対象がはっきりしない不安と表現されてきた。そのような不安もあるが、恐怖症の場合のように明確な対象を持つ場合との境界はあいまいである。不安の源がはっきりしない場合に無意識層の力動を考えるのも方法である。しかしそれは反応性の不安ではなくて、脳内の神経伝達物質の変調としての不安と考えることもできるだろう。心理的な理由がないのだからそのような考えるのが自然である。
理由のない不安=脳の変調

542
防衛機制
不安を処理するメカニズムのこと。神経症と同じ。

543
環境反応
症状形成に器質性因子や性格よりは環境条件が圧倒的に大きな非常を占めていると考えられるもの。
病態レベルが神経症レベルのものについては、短期のものを急性ストレス反応と呼び、数日で軽快する。長期にわたるものを適応障害と呼ぶ。精神病レベルのものは心因反応と呼ぶ。環境が変われば症状は消える。

544
全般性不安障害
generalized anxiety disorder
不安障害の中で不安発作(=恐慌発作 panic attack)のない慢性不安状態を主徴とするタイプのものを指す。日本では伝統的には馴染みのないものであるが、DSMで紹介された。
不安を主徴とする疾患を不安障害と呼び、不安発作を呈する群(=パニックディスオーダー)と不安発作のない慢性不安状態を呈する群(全般性不安障害)とに二分される。全般性不安状態の不安状態は「慢性不安」の点で、パニックディスオーダーの予期不安の状態に似ているとする意見もある。
臨床場面では全般性不安障害と診断する場面はあまりないように思う。なじみが足りないためであろうか。

545
ゲシュタルト学説
「全体は部分の総和以上のものである」とするドイツの学説。
ゲシュタルト崩壊とは、知覚されたものが全体の構造を失い個々の要素に解体すること。これを分裂病の中心症状と考える見解があり、連合弛緩に通ずる面があるとする。確かに、風景構成法で「全体の構成が失われている」と表現するときゲシュタルトが失われていると言い換えてよいだろう。山、川、家、たんぼと個々の要素は描けているのに、それらを全体のまとまりとして風景に構成することができない状態である。
風景構成法で、解体した全体構成を取り戻す作業をすすめることはゲシュタルト再建をめざしていることになる。

546
パニックディスオーダー
=恐慌性障害
不安を主徴とする不安障害の中で、不安発作が主徴となるタイプの疾患。
不安発作(=恐慌発作)→発作のない時にも持続的に不安(予期不安)→逃げられない場所・助けが得られない場所を回避(広場恐怖=危険な場所・状況を色分けする)
心因性の見方から生物学的な見方へ。薬剤(イミプラミン・アルプラゾラム)が有効、パニック惹起物質の存在、寝ているときでも起こることなどが背景にある。
したがって、診断に際しては、予期不安の有無、広場恐怖の有無について記載する必要がある。パニックの起こる状況について、誘因物質も含めた詳細な問診が必要である。

547
治癒因子
カウンセリングの治癒因子。外側から数えてゆくと、?治療構造?専門知識?人格(自己一致)。
まず重要なのが治療構造である。時間、場所、その他いろいろな約束。治療構造を固く保つことで治療構造が内在化されて行く。それは社会化されてゆくということでもある。
専門知識はカウンセリングの中心である。薬、性格、行動、症状などに関するアドバイスであったり、ともに考える姿勢であったりする。
人格の影響は患者の深層に見えない形で浸透して行く。患者の成長は実はこのレベルで起こるのかも知れない。このレベルで大切なのは自己一致(congruence)の原則である。治療者自身が言葉と行動、感情を一致させ、さらには本来の自己と現在の自己を一致させることである。この点での不一致を見てしまうと患者は治療者を信頼しなくなる。
?は意識のレベルへの影響、?は無意識のレベルへの影響と考えてもよい。治療者としても、?は意識的にコントロールできるが、?はコントロールできない部分もある。

548
自己一致
(self)congruent
治療者自身が真実であり純粋であること、本来の自己と現実の自己が一致していること。言葉、行動、感情など他面にわたって自己として一致し統合されていること。自己一致が人格への信頼を生み、患者の人格を成長させる契機となる。カウンセラーは自己一致の状態にあることが、受容や共感といった技法に優先して大切である(ロジャーズ)。

549
広場恐怖
agoraphobia
本来の語義は、agoraすなわち、広場、街、マーケット、人混みの中などに対する恐怖症ということであるが、パニック障害の診断に際して広場恐怖があるかどうかという場合には、特定の場所や状況に関係した恐怖症があるかという意味である。その場合には閉所恐怖(エレベーター、電車、飛行機など)や外出恐怖(一人で街を歩けないなど)も含んだ概念に拡張して用いている。結局、「広場」の語は場所という程度の意味になっている。
正確にいえば、「不安発作が起こったとき安全な場所・状態に避難できない」ならばそこは危険である。そのような危険な場所や状況を恐怖し回避すること。

550
不安障害
?パニック障害
?恐怖症+強迫性障害=制縛性障害
?全般性不安障害
心的外傷後ストレス障害などは環境反応とする。

551
対人恐怖症
anthrophobia
青年男子に好発。
?自我漏洩型……赤面、自己視線、体臭、醜貌……重症タイプは妄想を形成する。重症対人恐怖または思春期妄想症。
?そのほか様々な疾患で見られる。

552
強迫性格
几帳面、完全主義、自己中心的、堅苦しさ、秘められた攻撃性

553
強迫性障害
?ばかばかしい(もしくは不快な)考えやイメージが、?意志に反して、?繰り返し頭に浮かんできて、?止めようと思っても意志ではどうにもできない。(笠原)
支配観念……自我親和的
させられ思考……他動的
飲酒・ギャンブル・盗癖……自我親和的
強迫……自我異質的 ego-dystonic
?自我異質的
?能動性消失、非他動的、自動的
?反復性
?自動的

554
転換ヒステリー
conversion type
心理の問題が身体の問題に転換されているタイプのヒステリー。失声、失立、失歩、慢性疼痛などが代表的である。
診断のポイントは、?内科・神経内科的に診察しても原因がつかめない。?性格傾向として、演技性性格。?疾病利得の存在。?症状に対して不安が不釣り合いに小さい。深刻味に欠ける。

555
解離ヒステリー
dissociative type
本来ひとつであるはずの人格が、解離し複数になる障害。二重人格や多重人格がある。成熟の程度が違う各人格が交代して現れる。交代人格とも呼ぶ。どれかの人格が他の人格について知っているかどうかは、症例によって異なるようである。シュナイダーはお互いのことを知らないと記載している。
全生活史健忘は名前や住所を含む全生活史を忘れてしまうものである。それらの記憶は別の人格部分に属していて、アクセスできない状態であると考えられる。
荻野の報告している古い症例では、多重人格が高次の人格からしだいに低次のものに向かって順次出現し、治癒の過程では低次の人格から順次高次のものに統合が起こったと報告されており、ジャクソニズムの原則を確認するものであるとしている。

556
照合時間遅延タイプ分裂病
自生思考、離人感、強迫性障害、させられ体験を含む、照合時間遅延症状を呈する分裂病
能動感が消失し、自動的、被動的、他動的な状態となる。

557
M細胞活動停止型うつ病
M A D
×◎◎
×◎○
×○◎
×○○
の各タイプのうつ病
ここからさらに執着気質崩壊が起こるとA成分の変動があり、症状が動く。

558
A細胞活動停止型うつ病
M A D
◎×◎ 強力なMとDに引き裂かれる状態。
◎×○ これはうつではない。
○×◎ 執着気質の崩壊によるうつ状態
○×○ 不明。
ここからさらにM成分の崩壊が起こると症状が変化する。

559
MADは×○◎の三段階というわけではない。連続した変数であるが、傾向を便宜的に分類してみただけである。

560
心気症、心気神経症、心気妄想、
体感異常(セネストパチー)、体感幻覚と言うべき場合もあり、その場合には心気妄想である。
強迫や離人は症状の形式に着目したもの。心気症は内容に着目したもの。

561
抑うつ神経症
depressive neurosis
神経症うつ病 neurotic depression
?言葉の表面から演繹されるのは、うつ状態が前景にあり、神経症レベルの病態水準であることである。神経症についての一般の定義に習って、心因性であることをつけ加えてもよい。また、うつ状態を呈している場合に、内因性(躁)うつ病分裂病人格障害などを除外した後の診断名と考えてもよい。
?しかしながら精神医学の慣用ではさらに限定された意味がある。依存性人格障害境界型人格障害と近縁のもので、人格に問題があり、発病前から心的葛藤に悩み、発病前の社会適応はあまりよくない。長期にわたる精神療法によっても軽快せず、結局人格成熟による以外は克服できない。内因性との違いは、性格傾向、日内変動がないこと、症状はvitaleでないこと、薬剤には反応しにくいことなどである。少なくない。

562
離人
?外界の疎隔感=現実感喪失 derealization
「春になったという季節感をぴったりと感じない。花の美しさが感じにくい。」
「外界の事物に、そこに存在するという実感が乏しい。まるでガラス越しに見ているようだ。もちろんそこにモノが存在することは頭では知っているのだが。」
「景色に奥行きがなく平板に見える。」
?自己の身体に関する疎隔感
「(外界の事物の存在感だけでなく)自分の身体の存在感もいま一つうすい。ありありと感じない。」
?自己の存在に関する疎隔感
「(身体だけでなく)自分という存在が今ここに在るということが、ピタッと感じにくい。もちろん、ここに自分がいるということを頭ではよく知っている。」

周辺部の症状
「何をしても楽しさ、面白さが感じられない。」
「自分らしさとは何かが分からない。」
「自分はどのように生きたらよいのかが分からない。」
たとえば境界型人格障害で見られ、軽度の離人症状とみてもよいが、自己アイデンティティの混乱とも見られる。

563
森田神経質
もともと神経質で過敏な性格傾向(ヒポコンドリー基調)の人がささいな身体変調を気にして「とらわれ」が発生し、感覚鋭敏と注意集中の悪循環に陥る(精神交互作用)。この状態を森田神経質と呼ぶ。

564
森田療法
森田神経質に対する森田の治療方法。「あるがまま」を強調。精神交互作用を断ち切る。臥褥療法、作業療法、体験療法、家庭的療法などの別名あり。行動中心の技法である。目的本位、行動本位の指示的精神療法である。

565
森田
神経質は先天的素質(変質)によるものとした。
たとえばはさみを落としてはさみ恐怖になった者は、その素質が問われるべきであり、はさみの意味やはさみを落としたことの意味は大した意味はなく、偶然のきっかけであったとする。
ここが分析との違い。

566
神経衰弱状態
neuroasthenia
静養または環境調整により軽快すると考えられる心身不調状態の総称。意味の輪郭はあいまいである。しかしあいまいにしか診断できない病態も存在するので、ときに有用である。

567
課題
不適応や心理的疲労が退行を引き起こし、低次の防衛機制を発動させることになる事
情を説明する比喩・モデルを考えること。
葛藤→心的エネルギー空費→低次の防衛機制→普段ならば大丈夫なはずの不安に耐えきれなくなる。

568
了解可能性の限界
青年は老人の気持ちは分からない。立場が違えば了解は困難である。経営側と労働側は分かり合えない。

569
神経症性不安
neurotic anxiety
自分自身でも何が不安なのか分からない。言葉で表現しにくい。他人に分かってもらいにくい。気にしすぎだなどと言われる。なかなか消えず、耐え難い。予期不安につながる。
無意識の病理と考えるよりは、生物学的なメカニズムが想定される。不安の引き金が脳内部にある印象である。

570
神経症の症状→症状の三角形→行動・身体の悩みを内面の精神的悩みに変換。そして治癒。心の内面で悩めるようになれば精神療法的に接する。
・精神面……不安、恐怖、強迫、離人、ゆううつ、おっくう、その他(イライラ、無気力、心的疲労感)
・身体面……
・・身体疲労感、易疲労感。
・・自律神経症状(頭重感、めまい、動悸、息苦しさ、口渇、吐き気、食欲不振、下痢、便秘、月経困難など)、
・・ヒステリー性転換症状(嚥下困難、失声、失歩、失立、難聴、二重視、失明、意識消失、運動麻痺、感覚脱失、歩行困難、けいれん、慢性疼痛、性的不感症など)
・行動面
・・ヒステリー性解離症状……二重人格、遁走、生活史健忘
・・自己破壊的行動……自殺、自殺未遂、自傷
・・攻撃的行動……家庭内暴力
・・その他の衝動行動……過食、浪費、盗み、性的逸脱、薬物乱用など。

571
分裂病の定義
広い順に
・分裂気質+症状(ほとんどあらゆる症状)
・遺伝負因+症状
・陽性症状(幻覚妄想)+他疾患の除外
・ブロイラー4A(陰性症状の強調)
・シュナイダー 一級症状・二級症状(自我障害)
クレペリン 経過分類・シュープ(段階的増悪)

572
内因性うつ病の症状
広い順に
・循環気質・執着気質+症状
・遺伝負因+症状
・状態像(精神・身体・日内変動など)
クレペリン 経過・ファーゼ(相性経過)

573
投影 だめ
projection
=投射
・自分の内部にある感情や欲望を、他の人の内部にある感情や欲望であると見なすこと。自分の内部のものを他人の内部に投影するという意味。自分の中にあることを気付きたくなかったり、あることを拒否したいような感情や欲望について起こることが多い。そのことを明示するには投影性同一視という言葉を使うこともある。×

・自己の内部にとどめておくことが不快なものを外に出してしまう機制。自分の攻撃性を他人に投影して、他人が自分を怒っていると知覚する場合などである。→これでは他者についての認知を歪めていることになる。客観的現実の歪曲。
しかし、この認知の部分は無意識過程で起こり、最終的な結果として、「僕は彼が嫌いだ」という感情だけが残る場合には、神経症レベルでよいのかも知れないが?
(僕は彼が嫌いだ。→抑圧)→(投影→彼は僕が嫌いだ。)→(だから)僕は彼が嫌いだ。
()内は無意識。
でも、これでは一回りしただけではないか。×

○自己の内部の感情や欲望を他人の内部に投影して、他人の感情や欲望と見ること。自分のものと思いたくない感情や欲望は、不快なもの、拒否したいもの、存在に気付きたくないものの場合が多く、それを特に投影性同一視と呼ぶ(ラプランシュ・ポンタリス)。他人の感情や欲望を歪曲しているので精神病レベルの病態水準であると考えられる。

574
投影性同一視 だめ
projective identification
・投影の一つで、特に、主体内部で拒否されるもの・悪いものの外部への投影を指す(ラプランシュ・ポンタリス)。境界型人格障害などで見られ、精神病レベルの防衛機制である。

・同一視と言っても、単にidentify同定する、確認するという程度の意味ではないだろうか?そうであれば、同一視には特にこだわらなくてもよいだろう。
・分裂(splitting)した自己のよいまたは悪い部分のいずれかを、外界の対象に投影し、さらにこの投影された自己の部分と、投影を受けた外界の対象とを同一視する機制。(×これでは意味が分からない!)

575
防衛機制
不安を処理するための無意識的な働きのこと。
事実は変更せず、ことがらの意味付けや観点を変更するのは正常範囲の防衛である。これは防衛というよりは成熟と言うべきものである。
内的事実(自分の欲望や感情などについての事実)を歪曲するのは神経症的な防衛である。
外的事実を歪曲するのは精神病的な防衛である。外的事実を歪曲するに至れば、現実検討喪失であり、精神病レベルの病態水準であると言える。
以下に列挙されている防衛機制は、理論的に演繹されたものではないから雑然としており、一部は重なるものもある。また複数の防衛機制の組み合わせで説明できるものもある。それぞれに背景があり存在理由のある言葉なので仕方がない。
神経症的防衛。抑圧、取り入れ、反動形成、退行、合理化、隔離、解離、知性化、逃避、打ち消し、自己懲罰、置き換え、昇華、補償。
・精神病的防衛機制。原始的防衛機制ともいう。分裂、投影、投影性同一視、(取り入れによる)同一視、否認、原始的理想化、躁的防衛。

576
抑圧
repression
自分にとって都合の悪い内容を無意識層に押し込めて、意識に浮かばないようにする、無意識の作用。意識的な場合にはsupression(これも抑圧)という。超自我がイドの内容を検閲して、都合の悪いものは抑圧する。
姉の夫を好きになってはいけないのに好きになってしまった。超自我はそのようないけないことは認めないので、無意識層に抑圧する。
?抑圧が完全でなければ、表層に出現するが、検閲作用があるので変形を受ける。結果として転換ヒステリーの症状として失声などが起こる。
?抑圧し続けるためには大量の心的エネルギーを必要とする。このことにより神経衰弱状態になる。

577
取り入れ(摂取)
introjection
他人の感情や思考、行動などの特性を自分の中へ取り入れること。その結果、自己と他者を同一に感じるならば同一化である。取り入れは神経症レベルの機制であるが、取り入れた対象と自分を同一化する場合には精神病レベルの機制と言うことができる。
両親からの禁止は取り入れられて超自我となる。男の子は父を取り入れて男らしさを身につける。発達途上の子供の場合には同一視もしばしば起こっているようである。しかしそれは正常の発達過程というべきで、精神病ではない。
取り入れは食べ物を食べて消化して自分の血肉とすることにもたとえられる。同一化は、鳥肉を食べたら自分は鳥だ、鳥は自分だと言うようなものである。

578
同一化
identification
=同一視
他者の特性を取り入れて身につけることにより、自己と他者を同一視すること。自己と対象の区別があいまいになると、自分の心の外の事柄についての認知がずれるので、精神病レベルの機制である。

579
反動形成
reaction-formation
抑圧を補強するために、その反対の態度をとること。普通に抑圧するだけでは足りず、反対の態度をとることによって抑圧を強めようとする。たとえば相手に対する攻撃性を抑圧すれば中立的な態度になるが、通常の抑圧では不完全であると考えられるとき、より完全に抑圧しようとして、攻撃とは逆の態度である慇懃な態度になる。この時、適切な慇懃さではなく、どこかしら不自然で、鎧の下から攻撃性が透けて見えて、慇懃無礼と言うべき状態になることがあると指摘される。
強迫神経症との関連をフロイトが指摘したので有名である。(現代では強迫症が反動形成によるとは必ずしも考えられていない。)
劣等感は尊大さになる。憎しみは過度の優しさになる。過度の潔癖、過度の正義感など、背後に逆の傾向を宿していると見ることができるという。

580
×
取り入れ、同一化の逆が投影である。しかしそれは心内の出来事であるべきだ。外的対象についての事実ではなく、自分の感情や欲望についてであるべきだ。

581
退行
regression
幼児返り。現在獲得している行動パターンよりも低次の行動パターンの出現。ジャクソンが解体(dissociation)と呼んだものを、フロイトは退行と呼んだ。進化論的に新しく高級なものに進むのが進化(progress)であり、古く低級なものに戻るのが解体または退行である。
治療的退行は一度古い層を露出させ治療を加えるための操作である。
健康な退行は一時的で部分的な退行であり、状況に適した退行である。たとえば、忘年会での退行や子供と遊ぶときの退行など。

582
固着
fixation
精神分析で、口愛期、肛門期、エディプス期と進行する途中のどこかで問題が生じ、多大な精神的エネルギーが付与されること。固着が起こったところには固着点が生じ、退行したときには固着点まで退行する。
口愛期への固着、リビドーの固着、父固着や母固着などと言う。
→これでは防衛機制とは言えない。!

583
合理化。
rationalization
理屈付け。言い逃れ。失敗したけれども対象が無価値であったから惜しくないとむりやり考えるのが「酸っぱいぶどう」。失敗してかえって良かったのだとむりやり思い込むのが「甘いレモン」。

584
隔離(孤立)
isolation
本来は結びついているはずの思考、感情、行動などを別々に区切ること。屈辱感の記憶が感情を抜いた調子で語られる場合など。フロイト強迫症に特徴的と述べた。

585
解離=分離
dissociation
意識の一部分が全体から分離され、あとで健忘が見られること。解離性ヒステリーの場合の解離である。二重人格の場合など。
isolationとの間で訳語に混乱がある。

586
知性化
intellectualization
感情や欲動の自然な発動の代理として、感情や欲動を知的に理解すること。性衝動を知識獲得で代償する場合など。性衝動の場合などは昇華とも言えるし、嫌いな人の行動を感情を隠して精神分析用語で語ることなどは隔離である。一応、現実把握が正確であることが前提となる。

587
逃避
escape
いやなことから逃れること。疾病への逃避が代表的。「病気だから仕方がない。」疾病利得を伴う転換ヒステリーとなる。
空想への逃避。空想の中で満足を図る。
現実への逃避もある。解決困難な現実を回避し、解決容易な現実に向かうこと。

588
打ち消し
undoing
不安や罪悪感のために隔離された情動を、さらに取り消すために償い行動が見られること。不安や罪悪感を伴う行動を、意識的に情動が伴わなくなるまで反復し続ける。それが強迫行為であると説明される。

589
自己懲罰
無意識的罪悪感のため、自己破壊的な行動を先取りすること。先取りする罪滅ぼし。

590
置き換え

代理形成(代用満足)。

591
昇華
sublimation
不都合な欲求を、社会的に是認される活動に転化すること。代理対象がより高い文化的目的をめざす場合をいう。性衝動をスポーツによって解消する場合など。

592
補償
compensation
劣等感を克服するために活動すること。アードラーが主に言ったもので、フロイトの文脈とはやや異質である。劣等感を克服するように頑張る場合のほかに、劣等感を起こさせる価値観を否定したり、空想に逃避したり、劣等感を隠す装いをすることも含む。

593
否認
denial,disapproval
不安や苦痛に結びついた外的および内的現実を否認すること。精神病レベルの防衛機制のひとつ。現実を知覚している自我は確かに一方にあり、しかし他方にはその現実を否認している自我がある状態で、自我は分裂している(ego splitting)。抑圧では現実についての知覚が意識に送られることはない。

594
分裂
splitting
自己と対象の良い側面が悪い側面によって汚染あるいは破壊されてしまうという、非現実的で被害的・妄想的な不安に対して、両側面を分裂した別々の存在と認知することによって防衛する機制。分裂は対象分裂(splitting of object)と自我分裂(splitting of ego)を含む。

595
観察自我と体験自我
人間の自我は、物事を体験する自我と、体験している様子を観察する自我とに分けられる。観察自我を育てることが精神療法の目標の一つとなる。

596
原始的理想化 ?
外的対象をすべて良いものと見ることで、自己が攻撃性によって破壊されることを防ぐこと。

597
躁的防衛 ?
manic defence
自分の攻撃性が自分にとって大切な良い対象を破壊してしまうのではないかという不安に対する防衛として働く。

598
0〜2歳の子供には原始的防衛機制

生後三ヶ月の「妄想分裂ポジション」では、乳児は母親を全体的には認知できず、対象は「良い対象」と「悪い対象」に「分裂」する。良い対象は「理想化」して「取り入れ」て、自己の中核とする。悪い対象は「投影」して排除しようとする。そして自己を脅かす「迫害的不安」が生じる。また自己の悪い部分が「分裂」し、対象に「投影」され、対象に属するものと見なされたりする(投影性同一視)。

生後六ヶ月から二歳までは、「抑うつポジション」である。「分裂」していた対象が実は一体のものであることに気付き、対象を失ってしまう不安、罪悪感などの「抑うつ的不安」を経験する。ここでは原始的防衛機制はまだ働いており、さらに「躁的防衛」が活動するようになる。(以上衣笠・分かりやすい)

クラインは2〜3歳の子供とのプレイセラピーにより、この年頃の子供の内的世界は迫害的不安に満ち、原始的防衛機制が存在することを見いだした。

3〜5歳の子供はエディプスコンプレックスの時期で、抑圧ができる。

迫害的不安は、発達早期に現れることでも分かるように、人間にとって基本的で根底的な「構え」である。このようなものを脳のプログラムの基本にすえた人間は危機に強いはずである。

599
行動化
映画やテレビでは行動を映像で描く。従って登場人物は内省せず、身体化も少なく、行動化が多い。小説はその点内省を描くことができる。映像文化は行動化による悩み方を教えている。文章文化は内省の習慣を教える利点がある。

600
行動化は損である
人間の脳の最大の武器は、行動の前にシミュレーションして検討することによって、行動を節約することである。危険を事前に回避することである。実行することによる損失を脳の中だけに限定することである。そしていろいろな行動を脳の中で試したあとで、自分にとって最も有利な行動を選択することである。行動化が問題になる場合には、こうした脳内のシミュレーションが欠けているため、実際の行動は多大な損失を招く。
行動化が低次の行動様式であるという意味はこのようなことである。
たとえて言えば、将棋の時に、一手先までしか読まないでさっさと打つようなものである。