EDを通してみる思いやり

May 26, 2006
EDを通してみる思いやり

50歳男性、脳梗塞のため身体に障害が発生し現在はリハビリ中である。障害のひとつにEDがある。

一般にED受容のプロセスとでも言うべきものがある。喪失体験の応用である。EDの男性はまずEDであることを否認しようとする。次に誰かを恨んだり、怒りを発露させたりして、そのあとで次第に現実を受容する。

典型的な最初の反応は、EDなんか問題ではない、である。問題にするおまえがおかしいと語り、さらにはおまえのせいだとパートナーを責めることまである。そのあとでやっと現実を受容する。

この50歳男性の場合には、かなり大きな失意の時期があり、そのあとで比較的早期に受容した。「わたしはEDであることはつらいが、そのつらさは、妻を満足させてあげられないことだ」と語る。
まずこの点だけでも偉い。

次に言う。
「妻は、わたしを性的に満足させられないことで自分を責めていると思う。自分の女性性に自信を失っているかもしれない。ちょうど更年期でもある。」
このように女性の側に立って、EDの問題を考えられる男性は少ないのではないかと思う。この点で偉い。

さらに語る。「セックスのことなどあからさまに話したことなんかないんですよ。ただ、若い頃からの積み重ねがありますから、あうんの呼吸ですね、話し合わないでも、お互いにちょうどよくできていたんです。」
ちょうどよくというのは、いろいろな意味でちょうどよくであろう。最近は、「言葉にして話さないと分からないことが多い、だから、もっとかみ砕いて、自分を説明する努力をしましょう」と説明することが多いのだが、性的領域に関しては、言葉だけでは不十分である。言葉も必要であるが、言葉以上のものも必要である。

お互いを思いやる心がこのように結晶して、長い期間にわたる夫婦関係が築かれる。自分が満足することと相手を満足させることがほぼ重なるように同時に達成されているらしいのだった。いい話を聞かせてもらった。