2501
褥そう
頻回の体位交換、体動促進、入浴、マッサージ、局所の清潔保持
二日寝込んだら褥そうあり
プロスタグランジンE1、カリジノゲナーゼ
赤外線温熱、紫外線殺菌乾燥、イソジン糖、蛋白分解酵素、手術。
Campbell分類
2502
痴呆の心理療法の意義
・残された能力を引き出す
・痴呆の進行を遅らせる
・覚醒レベル低下や注意集中困難は保たれている能力の発揮を妨げる。これらを取り除くことが有効。
・心因性・環境因性部分は必ずある。
●しかしながら、言葉が脳に届かない場合が多いだろう。環境を調整することが実際的である場合が多いのではないか。
2503
リハビリの二つの方向
・患者の心理機能を変えて環境に適合させる‥‥この場合無理な訓練になりがちである
・環境を患者の心理機能に適合させる‥‥この場合過保護になり本来の能力をも埋もれさせる結果になりがちである
・従って、両者の程良いブレンドが望ましい。
●これは精神のリハビリと同じ事情である。ベストな中間地点がある。
2504
リハの内容
1 集団処遇
・環境整備‥‥豊かな環境
・小集団‥‥仲間意識
・スタッフの首尾一貫した態度‥‥個人として尊重し、適切な行動を奨励強化し、患者とコミニュケーションを保ち、しかも依存性を高めない。そのためにカンファレンスが大切。
2 個々人の生活史に応じた治療計画
指針として
刺激と活動(OT、感覚刺激、体操など)、RO(見当識強化)、環境療法(自立、依存からの脱却)、行動療法
運動やゲームは心理的にも効果がある。→覚醒水準を高め、精神活動を活発にする。
効果を左右する因子
治療頻度、患者の準備状態、動機付け、スタッフの態度
●リハが有効な症例を鑑別して取りかからないと、燃え尽きになる。
●集団運営としての発想と、個人のリハとしての発想のブレンドが必要である。
2505
ROの準備
眼鏡、補聴器、義歯
刺激の選択
ゆっくり話す
同時に触るなど多感覚モードを使う
非言語的メッセージを大切にする
(後ろから声をかけない。正面からゆっくりにこやかに接近する。)
独立した大人であるから、選択の自由と独立性を保証する
時計・カレンダーを見やすい位置に置く
風呂場・手洗いの位置を見やすく表示する
家具、寝具などの色・形も識別しやすいものにする
短い文章で語りかける
反応を促す
待つ
繰り返す
記憶に残っている部分までいったんかえり、それと現在を結びつける(●実際はどうする?)
リラックスさせる
スタッフを好きになるように配慮する
2506
回想法
・老人のグループに子供の頃から今日までのライフ・イベントを順を追って回想させるセッションを45〜60分、週に二回実施した。
・自分史を語らせ、支持的精神療法を行う
・家族を参加させるセッションを設定しても効果的であろう。たとえば家族のアルバムや思い出の品を持参してもらい、思い出話をする。
・患者は病院で、まるで「透明な存在」になったかのようである。個人の歴史を剥奪されて、ただの老人として処遇されている。
2507
食堂のテーブル配置、飾り付け、水差しの置き方、職員の動き方などが患者間のコミュニケーションに影響すると報告された。
・児童施設との共存もよい面がある。
2508
家族をサポートする
・家族会が役立つ
・デイケアなど限られた時間だけ患者をあずかるタイプのサービスは介護者の神経症的諸症状を軽減させない。フルタイムの入院や入所が必要。
・介護の一部を肩代わりすることにとどまらず、介護者自身の精神状態に焦点を当てた独立した精神療法的支援が必要。
2509
職員をサポートする
・日々進行する障害をケアする仕事で、モラルを維持し、意欲を保つことは困難である。
・他職種カンファレンスを定期的に行う。患者についての情報を交換し、かつ、職員間の感情的な問題などを処理してゆく。
・患者との話し方、接する態度。このなかにROや回想法を導入する。
・いつまでも同じことが続くと感じられる職務に、変化をつけ、惰性に流れることを防ぐ。
・がんばっても本質的によくならないことの徒労感。
・ある時点から先は身体ケアだけに時間をとられるようになる。「痴呆」のケアは置き去りにされる。
・絶望は孤独の中で深まる。前向きな、よいチーム治療ができているか。
・介護の専門技術を高めあう環境。
・対人関係のトレーニングが大切。
・高度にトレーニングされたリーダーが必要。
・看護婦は情報把握と報告を通じて、医師や同僚の批判にさらされる。誤りが訂正される。介護職員にそのような場があるか。
・研究会などで交流。
・特有のマンネリ。閉鎖された得意な社会を形成することが多い。
・「相互批判を欠き、批判に対して集団的な反応で拒絶し、無気力に傾きやすい職場」VS「いきいきとした明るく創造的な職場」
2510
介護は、介助>指導。ケアは指導>介助であり、治療を志向している。
●しかしながら指導は実に困難である。
的確な治療目標と、方法。
●適切な治療目標を設定し、その具体的な方法については担当を決め、各自の研究に待つ。そのような運営ができないか。
2511
アルツハイマー型老年痴呆では健忘や人格変化は、家族でも異常と気付く頃は痴呆プロセスは急激で、患者が本格的に悩むのは数ヶ月程度と短い。
初老期アルツハイマー病では、人格は比較的長く保たれるので、長い間悩むことになる。
脳血管型痴呆の場合、多発梗塞性痴呆ではなかなか本格的に痴呆化しないことが多い。
●病識があるうちは本人は苦しい。精神療法が必要である。孤独がつらい。コミュニケーションを保つ工夫。
2512
痴呆のケア
1 なじみの関係‥‥擬似的家族でもよい。安心がある。
2 現在を現実化すること。現実検討。
・喪失体験に由来する存在不安を受け止める。なじみの関係を作る。
・同調・迎合の態度。こうした老人の態度をスタッフも真似をする。老人との接点が生まれる。弱者の適応。‥‥好かれること。対決しないこと。その場限りでも好かれること。
・保守的
・廃用性能力低下になりやすい‥‥孤立させると退行する
・感情や行動、理解や思考のパターンを知る
・イメージを想起できない。そこで、ヒントになる視覚的な事実を提示しながら、繰り返して教える。
●イメージで思考できないとすれば、情報処理能力は決定的に低下する。「一挙に写真を見る」ことと「一文字ずつ文章を読むこと」との対比に似ている。
・現在を過去として生きている場合、直面化して訂正するにはタイミングが大切である。まず過去化した現在を肯定する。
・知的判断は障害されているが、日常生活の交流、手順記憶(技能的記憶)などは保たれている。
・部分同士が矛盾していると指摘しても説得できない。むしろ感情レベルでの共感が大切である。論理ではなく感情。
・変化に弱い。‥‥変化させるときは変化しないなじみのものも残すように工夫する。
・形骸化しているがもっともらしい行為。‥‥まずは受容する。
・日課を固定し、時間を構造化する。
・空間構造をイメージできない。‥‥トイレの位置に分かりやすい標識を与える。
・今の瞬間に生きている。失認、失語、失行などを理解する。
・性格の先鋭化
・無自覚、病識欠如
・無配慮
・無反省
・抑制できない‥‥脳因性なら薬物、心因・環境因性なら心理療法・環境調整。
2513
禁止するときも、好かれながら。
この矛盾を両立させることが専門技術である。
甘やかさないが、好かれている。
信頼されているが、依存されていない。
訓練しないが、迎合しない。
2514
薬物で「元気が出る」ことと「興奮している」ことの区別ができているか?
「鎮静」と「平穏」と「だるさ」の区別ができているか?
2515
個室の意義
・適応力が最も弱った老年期に至り、共同生活を始めるという最大級の適応を強いられる。せめて個室があってもいい。
・休息できる。
・逃げ込める。
・畳の大部屋はボスができやすい。不潔になりやすい。段差がなければスリッパを脱がず、不潔である。段差があると転ぶ。
・
2516
・老人とはこういうものだという固定観念がないか?童謡、民謡、軍歌でいいのか?幼稚園の遊具が適切なのか?マスとしての処遇でいいのか?幼児扱いを喜ぶ老人がいるのだからそれはそれでいい。しかし幼児扱いをいやがる老人に何ができるか、工夫が必要である。
2517
老人の症状は非特異的で、検査が必要な場合が多い。CTやエコー。
2518
「痴呆を悪化させることは短時間でできるが、それを良くすることは長期間かかる」
家族は介護に行き詰まると医療に救いを求める。速効性の解決があると期待する。そこで詳しい説明が必要である。
2519
病院や職員に不満があっても、痴呆患者はうまく主張できず、痴呆のせいにされてしまう。
痴呆患者は適応能力が低下しており、画一的管理に最もなじめない人たちである。
望ましくない環境を提供した場合でも、痴呆患者はその環境になじもうと努力する。その結果として奇妙な行動をとったとしても、環境設定にも責任の半分があるはずである。それなのに痴呆のせいで奇妙な行動をすると言われてしまう。
そのあたりについての確かな観察眼と倫理的側面の判断力が必要である。
2520
痴呆病棟についてのハード面での考察
・老人の過去の生活様式を理解する
・廊下が居場所になることは多い。楽しい場所にしたい。
・回廊式廊下は看護の目が届かない。
・浴室で恐怖を感じている人は多い。椅子浴が便利。
・着衣場と脱衣場を分離する。流れがスムースになる。
2521
痴呆の辺縁精神症状は中核症状から派生したもの。記憶障害からものとられ妄想が生じる。
向精神薬は事故につながる。
痴呆の初期で心因が関与していると考えられる場合、非痴呆性疾患の場合には、向精神薬を用いる。
2522
アルツハイマー型痴呆では、やせの進行に伴って痴呆症状が進行するとも言われる。栄養管理が大切である。
●確かに、体のやせとMRIでの脳のやせは、関連があるとの印象がある。
2523
薬物で元気が出たとしても、それを上手に導く介護の力がなければ「から元気」に終わる。
2524
老人デイケア
社会性の促進。
社会との接点を持つ。
集団運営は7〜8人でなじみができやすく、凝集性も高まる。
期間中はプログラム、スタッフ、メンバーを変更しない。
30〜40分のプログラムが適当。
訓練はしない。
禁止はなるべくしない。
(何があったのかは忘れる。しかし嫌な気分は残る。患者にとって居心地のいい場所を提供することがスタッフのつとめである。)
2525
施設ケアと在宅ケアの連携。
施設間の滑らかな連携。
ケアミックスである。しかしこれが難しい。誰がコントロールするのか。あるいは、各々の調整能力に期待するのか。それで老人は幸せか。「誰の都合で」老人が動かされるのか。
2526
SDATでは初期から頭頂葉・側頭葉で血流、グルコース代謝、酸素消費が低下している。
2527
アセチルコリン合成酵素を活性化する‥‥ヒデルギン
アセチルコリンを放出させる‥‥シンメトレル
アセチルコリン分解酵素活性を下げる‥‥サアミオン
2528
言語理解の障害、視空間失認、健忘、失語、失行などが比較的初期に現れる患者では、SDATが疑われる。
●経過の特性からの鑑別診断。
老年期発症では、脳室拡大も明瞭でない場合が多い。
2529
MRIのT2強調画像で診断しない。T1強調画像でも明らかな場合だけ、梗塞やラクーネと診断する。
2530
脳梗塞の危険因子
高血圧、心疾患、糖尿病、高脂血症、喫煙、中等量アルコール摂取。
危険因子がある人で脳血管障害を発症した場合、二年前から脳血流量が低下している。
拡張期血圧が100mmHg以上では再発率が高い。
高血圧を伴う脳梗塞では、軽度の血圧低下でも脳循環障害を生じ、脳虚血発作や脳梗塞再発を生じる可能性がある。
収縮期血圧が135〜150mmHgにコントロールされていればよい。それ以下では痴呆が進行する。
血圧変動や夜間の血圧上昇も脳血管障害を起こしやすい。ビンスワンガー型痴呆や多発梗塞性痴呆の病因となる。
従って、過度の降圧は避ける。二ヶ月くらいかける。高血圧状態での脳血流調整に慣れているから。
夜間血圧はある程度下げる。
不整脈と低血圧による脳血流量低下は痴呆を招く。治療が必要。しかし利尿剤などは注意が必要。脳血管拡張性の降圧剤、起立性低血圧を起こさないもの、脱水や血液濃縮を起こさないもの。
まず降圧作用のある脳循環改善薬を用いる。つぎにβブロッカー、カルシウム拮抗薬、ACE阻害剤を用いる。
アダラート、ニバジールを一日二回。バイミカード、カルスロットを一日朝一回。
レニベース、インヒベースを朝一回、アデカットを一日二回。夜間には昼間より血圧が下がることも注意する。
アスピリン、パナルジン、ブレタールなどの抗血小板剤も用いるが、凝固能の検査、アスピリンの消化性潰瘍、パナルジンの白血球減少に注意する。
目標は、収縮期160(60歳代)、160〜180(70歳以上)、拡張期90以下。
心臓因性痴呆はまれではない。心筋梗塞、心房細動。
2531
せん妄
グラマリールを25から始めて増量。ドグマチール50、セレネース0.75、インプロメン1などから始める。
不穏
軽度の場合、サアミオン、エレン、アバン。さらにグラマリール。
激しい場合、ドグマチール、セレネース、
無関心、無気力
サアミオン、セレポート、エレンとリハビリ
2532
初老期発症のアルツハイマーは、症状が激しく、健忘が著しく、妄想、失語、失行、失認、運動障害、ミオクローヌスなどを認め、経過も速い。
2533
ピック病
発症:40〜60歳。
全経過は数年から十年。
一期‥‥軽度痴呆、集中困難、記憶障害、行動異常、多幸性気分変調。人格面での変化によって気付かれる。(一種独特の、一見したところ不真面目で、無関心に見える対人的態度。欲動性脱静止:欲動を制止できないで、半ば自動化される形で行動が現れる。)
二期‥‥人格変化の進行、思考障害、失語(超皮質性感覚失語:了解や自発書字はできないが、模写はできる。)、言語障害(滞続言語:特有の繰り返し)、錐体外路障害。いつも同じ返事をするグラモフォン症候群。
三期‥‥精神荒廃、原始反射、全面的介護。
前頭葉、側頭葉の萎縮。ピック細胞、嗜銀球。
2534
ラクーナとは?
2535
皮質下痴呆では、言語、行為、認知、記憶、思考などの要素的、素材的機能は保持される一方、それらの素材を制御し、統合し、連合させる機能が障害を受け、より高次の認識判断、抽象能力、倫理感、人格などに異常がみられる。
皮質性痴呆では精神機能のすべての階層が障害を受ける。
2536
パーキンソン病は元来執着気質の人がなりやすいと言われている。病気になって後はさらに執着的傾向が目立ってくる。一方、周囲のことに無頓着、無関心になるのは、皮質性痴呆のあらわれかも知れない。子供っぽくなり、自分本位で人のいうことを聞かなくなり、物事に平然として多幸的である。
●ことさら特徴的といえるだろうか?
2537
ICU症候群と術後せん妄
違いは明らかではない。
術後順調に麻酔から覚醒し、その後1〜2日して、せん妄状態に移行するケースがかなりある。「意識清明期」があるのはなぜなのか、不明である。
2538
ピック病‥‥ナイフの刃状(knife-blade type)、あるいは楔状の境界鮮明な(sharply demarcated)著名に痩せた脳回。
2539
脳の前方症状‥‥人格変化、解体、語義失語
後方障害‥‥記銘力障害、視空間性障害、失行
2540
道に迷う
よく知っている場所でも迷う‥‥空間的見当能力の障害
よく知っている場所なら迷わない‥‥記銘力障害
2541
左半側空間失認では左半側の不使用や「他人の手徴候」も観察される。
2542
Balint症候群ではアルツハイマー病では通常障害されにくい一時視覚野である17野にも顕著な障害が及ぶ。
2543
右半球の障害で、自己身体の定位障害。
2544
着衣失行‥‥脳の後方領域が両側性におかされるアルツハイマー病でよくみられる。
2545
手続き的記憶‥‥基底核ー小脳系
自動行為は手続き記憶に支えられている。これを意図的・意識的に行おうとした場合、主たる役割を担うはずの大脳皮質がアルツハイマー病では障害を受けているため、失行などが起こる。
2546
不器用‥‥アルツハイマーでは障害されにくいとされる一次体性運動感覚領域にも低灌流が認められている。
2547
鏡現象‥‥脳の前方部にも機能不全
2548
通常のアルツハイマーの経過
側頭葉内側部→側頭・頭頂・後頭(TPO)→前頭葉(これに対応して病識欠如、自発性低下)
早期から前頭葉障害がある場合には、早期から病識欠如、短気、多幸的などの性格変化。欲動の脱制止症状。
健忘、道に迷う‥‥脳の後方症状
2549
欲動脱制止‥‥前頭葉
側頭葉‥‥人格解体は目立たない
反社会的行為‥‥前頭葉
オルゴール時計症状、滞続言語‥‥側頭葉、前頭葉にも侵襲
行動過多、行動過少‥‥側頭葉では少ない
2550
脳の後方部障害‥‥行為のレベルでの障害
脳の前方部‥‥行為・行動を制御するレベルでの障害
2551
前頭葉型痴呆(demantia of frontal lobe type;DFT)
人格変化や社会的逸脱行為などの前方皮質症状を呈し、健忘、視空間障害、失行などの後方皮質症状を欠く、原発性脳萎縮(primary cerebral atrophyをさす。従って、ピック病、frotal lobe degeneration of non-Alzheimer type;FLD)、運動ニューロン疾患を伴う初老期痴呆いった疾患はすべて含まれる。アルツハイマーを4とすれば1の割合。
人格変化、社会的逸脱行為、情動面における無関心、脱抑制、ときに原始反射、しかし概して身体徴候に乏しく、発話量は少ないが滞続言語あり時間的空間的見当識は保たれ、視空間機能も保持。しかし前頭葉検査で著明な障害(たとえばWCST,Verbal Fluency Test,Design Fluency Test)。
FLD(Gustafson)とは、病理学的に規定されている疾患単位であり、前頭葉前方部、側頭極に、アルツハイマー病あるいはピック病に特徴的な病理所見を欠く非特異的病理変化を有し、前方皮質症状を呈するもの。遺伝負因が濃厚である。人格変化、病識欠如、脱抑制をもって徐々に進行する痴呆であり、経過とともにしだいに常同症や情意鈍磨が出現し、緘黙に至る。記憶や視空間機能は比較的保たれていた。
2552
前頭葉関連症状
(A)運動・反射
原始反射
抵抗症
括約筋調節障害
歩行障害
運動無視
kinetic-melodyの障害
(B)認知・行動
健忘・作話
知性・思考障害
発動性障害
人格情動障害
常同性・非影響性症状
しかしこれらは前頭葉に特異的というわけではない。前頭葉の巣症状というものではない。前頭葉症状というよりは、前頭葉関連症状という方がよい。
一般の知能検査よりはWisconsin Card Sorting Test,Trail Making Test,Maze Test,Stroop Testなど、抽象的で複雑な、柔軟なパラダイム変換を要求されるようなテスト。
記憶障害や失語、失行、失認といった巣症状はまれであり、アルツハイマーと対照的である。
2553
アルツハイマー型老年痴呆(SDAT)の経過
1 健忘
2 失語、失行、失認(とくに視空間失認)‥‥頭頂・側頭葉の変性過程
3 筋強剛、語間代を経て失外套症候群
経過中は大脳後方部の病変が優位である。
情意鈍磨、精神運動性緩徐、発動性低下‥‥前頭葉皮質下(●?●これでよいだろう)病変(前頭葉は皮質下痴呆で萎縮する。アルツハイマーは後方型。)
運動過多、落ち着きのなさ、注意散漫、脱抑制‥‥側頭葉皮質病変
2554
ソムリエの話:新聞で
客の体調、料理、天候、料金などを考えあわせて、ワインを決める。客が喜んでくれたときとてもうれしくて報われる。
なるほど。精神科医も似ている。いまこの患者さんに何が必要なのか考えて、薬や言葉や態度を処方する。
2555
エピキュロスの言葉:新聞で
私たちを助けるのは、友の助けというより、友が助けてくれるだろうという信頼だ。
精神科医が患者に提供できるものも、これである。助けでもあるが、助けてくれるだろうという信頼、これを提供できるかどうかが大切である。
2556
皮質下性痴呆は前頭葉型痴呆(前方型)に、皮質性痴呆はアルツハイマー型痴呆(後方型)に相当する。
皮質下性痴呆としては、
ウイルソン病
視床変性
オリーブ・橋・小脳萎縮症を含む脊髄小脳変性症
進行性核上性麻痺
パーキンソン病
ハンチントン病
視床梗塞
ビンスワンガー病も少し異なった立場から問題とされている。
特に、
進行性核上性麻痺、パーキンソン、ハンチントンが問題になる。
・失念(想起困難、forgeyfulness)
・思考過程の緩徐化
・人格・情動障害
・獲得した知識を操作することの困難
・明確な失語、失行、失認、輪郭鮮明な健忘を伴わない。(●輪郭鮮明とは何か?)
これらに通底するのは、タイミングと賦活の障害としている。網様体賦活系との離断の結果、正常な知的過程が緩徐化する。
前頭葉症状との類似は、こうした皮質下構造と前頭葉との緊密な解剖学的結合が背景にある。(●「類似」としている。)
2557
Cambier
進行性核上性麻痺でみられるいわゆる「前頭葉症状」
・明確な失語・失認・失行はみられない
・人格・情動障害(無気力・無関心・易怒性など)
・精神運動性緩徐
・注意障害
・言語流暢性の低下・高次言語障害(諺の説明困難)
・反響言語を伴った保続ないし反復
・複雑な知的操作の実現困難
・力動性失行(●ルリアの変換運動の障害という。不明。)
・強制把握、模倣行動、使用行動(●?)
・想起の障害あるいは注意の障害などによると思われる中等度の記憶障害
大東は「前頭葉関連症状」として
・健忘・作話
・知性・思考障害
・人格・情動障害
・発動性障害
・常同性・被影響性症状(反復保続・反響言語・模倣行動・使用行動など)
をあげている。
なぜ皮質下障害が前頭葉症状を引き起こすかは明らかではない。
前頭葉賦活障害と考えてよいかもしれない。
2558
アルツハイマー型痴呆は根本的には道具機能の障害(失語、失認、失行、健忘)であり、系統発生的にも個体発生的にも新しい領域の障害。アセチルコリンが関与している。
皮質下性痴呆は、より基本的な機能の障害によるもので、生きていく上で不可欠の注意、覚醒、動機、企図、情動などの障害であり、系統発生的にも個体発生的にもより古く早期から存在しているはずの領域の障害であり、アセチルコリンとともにドーパミン、ノルエピネフリン、セロトニン、GABAなどの関与が推定される。
●この記述は正確か?
「生きていく上で不可欠の注意、覚醒、動機、企図、情動など」が「発生として古い」とは?古いのは皮質下核であろう。前頭葉機能は新しいだろう。覚醒系は古い。企図、動機などは新しいのではないか?情動は古い。
道具機能は新しい?むしろ新しいのはそれらの道具を使おうと意図する部分であり動機を感じる部分ではないか?古い道具を組み合わせて新しいことをする、これが脳の原則であると考えられる。
何だか話が微妙にねじれているように感じられる。
進化論的に新しい順でいえば
1)意欲、動機(→道具があっても使わない状態)
2)道具機能
3)覚醒、注意(これは脳を縦に貫く構造)
4)基底核など皮質下核
といったようなレベル構成になっているのではないか。皮質下核と意欲・動機と覚醒・注意の部分は密接に関連し、道具機能はやや独立している。アルツハイマーでは主に2)が障害され、皮質下痴呆では4)から始まる病変が1)と3)の機能障害を引き起こす(二次的なのかどうかはわからないけれど。因果関係としてではなく時間関係としていえばこのように言えるかもしれない)。
2559
道具機能の障害があれば無意欲になる。アルツハイマーの場合。失語、失行、失認があれば、どうせだめだと思うようになり結局は意欲の障害と同じ状態になる。
また、感覚遮断状態になれば無意欲になる。たとえば老人になった状態を体験してもらおうとの試みがある。眼鏡をマジックで黒く塗りよく見えないようにする。耳栓をする。味や香りもよく分からないようにする。体にはおもりをつけて運動を制限する。このようにして感覚と運動を制限すると、「ベッドで寝ているのが一番楽しい」状態になってしまう。これは意欲の障害と映る。
また、感覚が弱るに連れて、幻覚妄想も起こりやすくなるだろう。
分裂病でも、内的に似たような状態になっているのではないか?内的感覚遮断を想定すれば、被害的になるのも、幻覚妄想が発生するのも、無意欲になるのも、理解できるように思う。
2560
失語、失行、失認と痴呆の関係
実は何の関係もないはずである。
ところが、
失語、失行、失認=部分的解体=限局的病変
痴呆=全体的解体=瀰漫的病変
と単純に考えることも行われる。(●単純でいいではないか?)
しかし限局的病変が集合して全体を覆い尽くせば全般的な痴呆になるといった議論はあまりに楽観的である。(●そうでないなら、痴呆も部分的解体で責任病巣を指摘できるような種類のものだというのだろうか?)
「失外套症候群=汎失認+汎失行」として、失認・失語・失行のすべての精神領域を侵す究極の理想型としたが、失外套症候群は痴呆とも意識障害とも異なる別個の精神症候群であることが示唆された。(●一体どのように?)
痴呆とは?という問いである。
アルツハイマーを一応の典型としてみている。そしてその中心はやはり健忘であろうとも思う。そして失見当識、身体的衰弱と特有の進行を見せる点。
実際には自立生活困難で要介護、周囲に迷惑をかける、そんな老人といったところ。老人の場合の「事例性」で判定されている面もあるだろう。
2561
一人暮らしは痴呆を作る。
一人暮らしになったのが痴呆のきっかけになることがある。
2562
痴呆には
疾病論的水準での意味と症状論的水準での意味がある。
痴呆なき痴呆という場合、症状論的には痴呆はないが、疾病論としては痴呆があるという場合である。たとえば「全般的痴呆を伴わない緩徐進行性失語」などもそれに含まれる。
失語なき失語といえば、超皮質性失語。
痴呆では経過が重要である。進行性、可逆性、最終的転帰、なども痴呆の定義に登場する。
疾病論と症状論は、実際的には時間経過の特性と、現在症の特性との対比になるのではないか。そして分裂病論での議論のように、症状は脳の機能障害の場所を反映していて、時間経過は疾患の特性を反映しているということになるだろう。痴呆でも同じではないか。
2563
神経心理学では短期記憶(の一部)の障害が伝導失語に該当するという議論があり、当然健忘症候群とは別物である。従って、短期記憶、長期記憶の用語は検討を要する。
2564
痴呆のステージモデルとサブグループモデル。
痴呆は一つで、進行の度合に応じて症状が異なる‥‥ステージモデル。
それに対して、別々のサブグループがあるとする立場。
2565
痴呆の類型化
Gruhle(1932)‥‥健忘型、構造型、統覚型
Boor(1963)‥‥知性型、記憶型、統覚型、情動型、道具型、構造型
Scheller(1963)‥‥健忘型、コルサコフ・価値世界解体・自発性欠如・空間世界解体・失象徴症候群
Joynt‥‥局在性痴呆(皮質性、皮質下性、軸性痴呆)と全般性痴呆
皮質性痴呆はアルツハイマーが代表
皮質下性痴呆はハンチントン、パーキンソンなど。知的側面は相対的に保たれるが、発動性低下、精神・行動の緩慢化、注意低下、感情障害を呈する。中心には記憶・思考・運動面の緩徐化を伴うtimingと活性化の障害があるとされる。(Albert,1974)
軸性痴呆はウェルニッケ脳症などが典型で、脳の軸性構造(側頭葉内側面、海馬、脳弓、乳頭体などを含む)が障害される。特に記憶の障害。
ビンスワンガー病は「白質性痴呆」といった概念でとらえない限りは皮質下性痴呆にはいる。
辺縁系痴呆は軸性痴呆の特殊型。軸性痴呆には正常圧水頭症、頭部外傷、ヘルペス脳炎後の痴呆の一部などが含まれる。
2566
皮質性痴呆にはアルツハイマーとピックがある。
・前頭葉性痴呆……ピック病前頭葉型……発動性障害
・側頭葉性痴呆……ピック病側頭葉型……情動障害、記憶障害、性格変化、Kluever-Bicy症候群
・前頭・側頭葉性痴呆……ピック病前頭・側頭葉型
・頭頂・側頭葉型痴呆……アルツハイマー病初・中期……失語、失行、失認を伴う痴呆……左右いずれに起こるかで症状が完全に異なる。
・瀰漫性痴呆
と分類することもできる。
2567
左側頭葉……失語、失行
右側頭葉……空間認知・操作の障害、地誌的障害
これらは記憶障害や人格変化などの痴呆の基本的な一般症状を背景に出現する。
進行につれて左右差は消失し、局在症状は薄れる。このような「偽巣性発症」のアルツハイマー病患者は23%。
また、変性が
左右対称……言語障害と視覚構成障害が同程度
左優位……言語障害優勢
右優位……視覚構成障害優勢
変性が一側半球の一定領域に限局しており、加えて進行が緩徐であった場合には、健忘や人格解体を伴わず局所症状だけが緩徐に進行することになる。これが痴呆なき痴呆の一群である。
変性過程が左に優位なら、「痴呆を伴わぬ緩徐進行性失語」である。種々の失語、健忘失語、超皮質性失語、ゲルストマン症候群や失行。
右に優位なら、相貌失認、人物記憶障害、地誌的障害、視覚構成障害など。
「シルビウス溝周辺の変性脳病変をきたす未知疾患」という仮説を完全に否定するには至っていない。
2568
辺縁系痴呆
辺縁葉の完全な破壊の表現は、健忘症候群とKluever-Bucy症候群である。
K-B症候群:連合型精神盲、口唇傾向、変形過多、情動行動変化、性行動変化、食餌習慣変化。
「一次的に失われた機能は心理テストで計測される認知機能ではなく、感情的な質を環境との日常の生存の相互作用に刻印し、それによって意味を与え、記憶に印象を与える機能である。」●結局何?
辺縁性痴呆を次の五つの症状で定義(松下:1985)。
健忘症候群
K-B症候群
特異な人格変化
言語障害(滞続言語、保続、反復、語間代など)
要素的知能が比較的保たれている
→要素的知能が保たれている痴呆とは?
人格・発動性障害が重篤になれば、知能障害の重篤な場合と区別できない。どちらも痴呆と呼ぶ。
痴呆で侵されるものは何か?
道具や知識の上位にあって知情意を統合する人格の概念と分かちがたい「本来の知性」の障害。
2569
「記号・象徴機能」は多層的・階層的構造をなしている。
「失記号」という側面から痴呆を考える。
知性の本質的理解。
2570
精神運動性(Kleist)
・発動性……起動性……障害として多動性と無動性
・持続性……励続性……障害として被影響性と固執性(●疑わしいと思うが?)
反響症候群と反復・常同症候群は被影響性と固執性の障害として理解することができる。
反響言語や反復言語
被影響性症候群……反響言語、反響書字、反響行為、反響描画などの反響症候群、補完現象、使用行動(Lhermitte)、道具の強迫的使用など。
固執性症候群……常同症、保続、反復言語、反復書字などの反復症候群。
前頭葉機能との強い関連が示唆されている。
●つまり、
外部刺激に反応してその刺激内容を保持するのが被影響症状。
自己の発した言葉や運動に反応して、それを保持するのが、固執症状。
●エコラリーは被影響体験であるとする。
●Sの陰性症状と前頭葉機能の関連。
●REM睡眠と前頭葉機能の関連。
2571
前頭葉機能検査
1)Weigl’s color form sorting test
色と形で図形を分類する。
2)語の列挙
一定の頭文字(高頻度……し、か、い。低頻度……て、れ、ぬ。)やカテゴリー(一分間で鳥、色。鳥と色を交互に言わせる。)
3)グーパー検査
左右の手で交互にグーパーを繰り返す。前頭葉、特に運動前野の障害。
手指構成はより後部脳損傷。
グーパーと手指構成が解離することがある。
2572
注意機能検査
digit span(即時記憶の検査でもある)
audio-motor method(50文字の系列を読み、きが聞こえたら合図してもらう。)
Sternbergの検査に準じたもの(837を見せながら復唱させる。87を見せながら復唱させる。読まなかった数字は何かと問う。)(記憶走査の検査であるが)軽度意識障害に敏感である。
遠隔記憶については、autobiolographical memoryとpersonal semantic memoryとに分けて検討する。
2573
鏡現象
象徴化機能(虚像及び虚の空間である。障害されると鏡像や鏡空間が実在化する)
同一化機能(鏡の中の像と実物は同一の物である。障害されるとI=meが崩れる→自我意識の崩れにつながる。)
1)自己の鏡像を鏡の中や背後に探す
2)一緒に映った他者の鏡像は正しく認知できるが、自己の鏡像は身近な他者と誤認する。
3)自己の鏡像に話しかけたり、物を手渡そうとし、自己の鏡像と積極的な交流を持つ。
4)他者および対象一般の鏡像認知もできない。
5)鏡に関心を示さない。
6)鏡を鏡として認知できない。
この順に進行する。
●1)以降は、鏡像であることが理解できていない。まず象徴機能が障害されている。
2)では他者像に関しては、同一性は保たれ、象徴化機能は障害されている。自己像に関しては、象徴化も同一化も障害されている。
自己 他者
象徴化機能 同一化機能 象徴化機能 同一化機能
1) × ○ ○ ○
2) × × × ○
3) × × × ×
ということらしい。
●しかし3)について、他者については記述はないではないか?
●この表に忠実に考えるとすれば
1)自分だということは分かるが、鏡の奥に「自分」を探したりする。→これはすでに自分だということを分かっていないということではないか。象徴化機能と同一化機能を自己の場合に分離することができるか?「自分」を鏡の奥の空間に探すとしたら、それは普通の意味の「自分」ではないのではないか?
他者の場合であれば、他人が鏡の裏にいるかもしれないのだから、鏡の裏を探してもいい。それは他者についての象徴化機能の障害である。
2)鏡に映る自分は自分だとは分からない。鏡に映る他人はその人だと分かる。どちらについても、鏡の奥に実の空間があると考えている。
3)全滅。
理論的には以下のようになる。
まず自己に関しては象徴化機能と自己化機能は同時に失われる。
自己に関しての方が他者に関してよりも先に機能が失われる。(そうでないかもしれない。その場合がD以下。)
自己 他者
象徴化機能 同一化機能 象徴化機能 同一化機能
A) × × ○ ○
B) × × × ○
C) × × × ×
D) ○ ○ × ○
E) ○ ○ × ×
しかしながら、他者については実像と鏡像を比較できるので、自己同一化よりは簡単である。したがって、他者同一化機能が失われていれば、自己同一化機能は失われていると考えられる。
E)は存在しないだろう。
自己についての象徴化機能と他者についての象徴化機能が分離するとは考えにくい。
したがって表は、
象徴化機能 同一化機能
自己 他者
1) × ○ ○ ……実際には存在しない。
2) × × ○
3) × × ×
2と3の二種にとまとめられる。
「あれは自分だ」と言いながら鏡の奥を探すとき、「自分」と語っている物はすでに他者である。したがってそれは1に見えながら、2である。1は存在しない。
簡単に言えば、「どこにいるか」「誰か」の二つの問である。
理論的には空間同定と人物同定(自己、他者)の三者についていろいろな組み合わせが可能である。○×で八通り。しかし上記の理由から、二通りとなった。
相貌失認として考えたとき、以下の矛盾がある。
自分の鏡像は分からないが他者に関しては鏡像であると認知できる。
写真は自分の顔だと分かる。
壁鏡よりも手鏡の場合によく認知できる。
1)では象徴化機能は障害され、同一化機能は保たれている。
他者像については、実像と鏡像を比較すれば分かる。自己像については、鏡像だけが唯一の視覚的経験である。他者像の同一化よりも自己像の同一化が高次の機能である。
したがって、障害が起こるときにはまず自己像の同一化の障害がはじめに起こり、次に他者像の同一化障害が起こる。
自己鏡像の認知は他者鏡像認知に比較して高次の機能である。
●崩壊プロセスの記述と、1から6の実際の症状の記述が一致していないのではないか?
2574
ADLとQOL
前者はリハビリの図で縦軸。後者は横軸。
2575
分裂病のデイケアでの認知指導
過剰相貌化が起こっているので、他人の仕草、表情、言葉に過剰な意味を読みとってしまう。それが「対人的敏感」の内容である。
したがって、デイケアでの対人場面で、過剰相貌化が起こっていると思われた場合には、過剰さを削り取るような指導をする。木目は人の顔ではない。クーラーの音は人の声ではない。インクのシミは骨盤ではない。そのように「意味を決めてやる」ことが意味のある指導である。
信頼はこうした指導の中から生まれる。
分裂病の人は育ち損ないの面も大いにあるから、信頼と愛情で育て直すような療育の配慮も不可欠であるが、一方で、分裂病の病理に直接関係する部分の認知的指導も不可欠である。
2576
投影
自分が怒っているときに、「相手が怒っている」と判断する。
投影性同一視はさらにこの上に同一視が重なる。
うつの時に「うつ場面選択想起」が起こると考える。
同じようなことだが、自分が怒っているときは、世界に存在している怒りに敏感に反応するのではないだろうか?
自分の目の前にいる人の感情は一色ではなく、いろいろな要素があるに違いない。その中にはたとえば怒りもあるから、怒っている人が他人の中に怒りを見つけるのは容易である。
その結果として、相手が怒っていると判断する。もちろん、自分の怒りを否認していること、さらには相手の感情を怒り一色で判断しようとしていること、この二つの点で間違いを犯してはいる。
しかし投影と言えば、自分の内部にあるものを相手の内部に投影することであるが、必ずしも投影ではなく、相手の中に元来あるものを敏感に選択的に発見しているということもあるのではないだろうか?
2577
老人の暴力
表現しがたいものをやっとのことで暴力という形で表現している。
あてはまる言葉、理解に至る言葉、自分を納得させる言葉に到達することができず、ただ暴力という形でしか表現することができない。
あてはまる既存の言葉を見いだすことができず、したがって自分独自の表現を試みる。これこそが詩人の営みである。
2578
自力救済の道を示す
分裂病患者がどの方向に努力すればよいかを提示してやる。そうすれば患者は無力感から救われる。ただ薬をのんで時間を待てというのでは患者はやりきれない。無力感を募らせてゆく。
いま何をすればよいのか、治癒への全体の道のりの中でいまはどのような時期なのか、明確に提示する。そうすればずいぶんと落ち着いて、将来への見通しを持って日々を生きられると思う。
2579
援助交際の何がいけないか。
合理的な理由はないかもしれない。それは超自我の要請だからだ。不倫や近親相姦も同じである。何がいけないかといわれれば理屈は弱い。
理屈というなら、進化論的意義にまでさかのぼる必要があるだろう。
一方は「人に迷惑欠けてるわけじゃないのに何が悪い」のなどと語り、一方はそれに対して宇宙人の言葉を聞くように思う。これは超自我の発育不全に接するときの当惑である。
現代社会は超自我の育成装置を失っていると見える。
超自我発育不全症である。
2580
老人が骨折→寝たきり→痴呆
この経路では、廃用性能力障害がある時点から器質的変性に変化しているのだろうか。筋肉の萎縮と同じに考えてよいのだろうか。筋肉の廃用性萎縮が起こると、ますます動きは億劫になり、萎縮が進行するだろう。萎縮は固定化し、器質的レベルの萎縮として固定化される。
→筋肉の場合、廃用性萎縮と器質的萎縮とは区別できるのだろうか?脳の場合はどうか?
廃用性萎縮は時間がたてば器質化する。
2581
神経変性の場所に好みがあるのはなぜか?
アルツハイマーは頭頂・側頭に始まる。ピックは前頭葉型や側頭葉型がある。なぜそのような場所の特異性が生じるのか?
神経連絡の構造状の都合で、たとえば過剰のノルアドレナリンやドーパミンに反復して曝されることが神経細胞を死滅させるとか。
またあるいは、栄養血管の問題として、そのあたりに酸素やグルコースを運搬しにくくする要素が何かあるのか。たとえば側副路がない。また逆に、二つの血管に栄養されていて、どちらも無責任である。こうした理由がないか?
毒物が入ってきたとして、特異的に結合する部分があるか?たとえば一酸化炭素中毒では基底各部分を侵しやすいとか。
2582
斑(まだら)痴呆
Lacunal dementia,Lacnaere Demanz
2583
「この人は私にだけは心を開いてくれる」
そう感じたくて心理職を選ぶとしたら?そこにある病理は何か?
他人にとって特別の人間でありたい。愛の救済者でありたい。そのような欲望。
2584
患者に必要なものは何か?
薬だけではない。薬もむしろ、医師の代理物として考えた方がよい場合もある。宗教と医術が密接であった時代から、人間はそれほど変わっていないだろう。
どうしようもない運命を前にして、本当に人を慰めるものは何か。
特別な技術や知識ではないのだと思う。暖かい関心を持ち続けられるかどうかが大切な点である。
2585
医師の倫理
医療は市場原理が働きにくい部分がある。患者は健全な判断力を常に保持しているとは限らない。
そこでパターナリズムの傾向が生じる。しかしそれも「それでは医師は信用できるのか」との問いに行き当たる。医師の内部に確固たる倫理はあるのか?ないのなら、外部のチェック機構を設ける必要がある。あるいはさらに市場原理部分を拡大する必要がある。しかしそれらにもまた原理的な問題が内在している。
倫理なき時代に突入して、どうして医師の倫理だけが残っていると期待されるのだろうか?残っているはずがない。
しかしまた強い倫理の力が人の心を慰めることもある。
自己選択の権利を奪われている患者たち、たとえば精神病者、痴呆患者。あるいは専門性が極度に高い場合、特殊で稀少な道具を使用する場合。
どうしても専門家の側の内部の倫理に頼るしかない部分がある。しかしそのような倫理の保証はどこにもない。その結果が、精神病院と痴呆病棟の現状である。倫理は時間とともに麻痺して行く。その程度のものである。
そうした現状を受け入れることのできないような、真に倫理的な人間は絶望して職場を去る。残るのは倫理に鈍感な人間たちばかりである。あるいは鈍感にさせられた人間たちばかりである。生活のためには仕方がない。そういう側面もある。
2586
自己決定できない人たちの、しかしその奥にある感情や希望をどのようにして汲み取ることができるか。そこに医療人としての倫理がある。
ときにはビデオで自分の姿を客観的に点検してみるがいい。
職員は実にひどい言葉で老人を精神的に虐待している。鈍感なのだろうか?
2587
cureとcare
いかにしてケアするか。QOLを高めるか。よい人生にしていただくか。そのようなことを考えて、痴呆患者の人生の最後を有意義なものにしたいものだ。
cureがかなわないときでもcareは可能である。そばにいてあげることがケアであったりもする。
2588
人の命は尊い。したがって命を扱う医師には高い倫理が要求される。
これは命をあずける側にしてみれば当然のことである。
人の痛みや不安がわかる人でなければこの倫理の感覚は持ち得ないであろう。
2589
培地としての性格
その人の人生のあゆみを見つめる。何か事件がある。それがどのような結果をもたらすか、培地としての性格が重要である。
人生全体を見る医学というとき、性格や信念、思考や感情の癖を見ることは不可欠である。それらが培地となり人生は営まれて行く。人間はこんなにも違うのだということを分かるようでないといけない。
そして、性格や思考の癖は培地であり、同時に過去の産物である。(→笠原の図。性格と出来事が合成されて次の時点での性格となる。そこに次の出来事が作用する。)
2590
ただ生きるのではなく、よく生きることを援助する。
この場合、何がよいかが分かっていなければできない。
価値観は人それぞれだと言っていては何もできない。
自分としてはこのような価値観を前提としてケアもするし、生きもすると宣言してよいはずだ。それが受け入れられないのなら、よそにいってもらえばいいのだ。そして、ケアに関しての価値観はそんなに大きな違いはないだろうと思うのである。
ただ長く生きる人生がよい人生ではない。偉くなったり金持ちになったりすることで測られるわけでもない。
どれほど誠実な愛を生きていたかである。
大きい小さいではなく、円として完結していたかどうかである。大きいが閉じていない円。小さいが閉じて完成している円。
2591
人間とは、こころと体の出会う稜線に実現する何かである。
ケアはこの事実を前提としておこなう必要がある。
心は成長を続ける。
一人の人格をケアするということは、もっとも深い意味で、その人が成長すること、自己実現を助けることである。
老年痴呆の場合、患者の生きている時間の意義とは何であろう。
脳死が人の死であるならば、痴呆は半死だなどと言われかねないではないか。
この世界を体験する旅の最後をどのように生きていただくか。
人格としての旅の最後の場面に立ち会っているという、厳粛な気持ちが必要ではないか。
人生の最後にいたり、人の助けがなければ生存そのものさえ難しい局面にある。そのような人間の痛みを共有しているか。そのように痛みを前にしてどのように接しているか。
2592
身体の悩みがこころをも蝕むとしたら、それはケアが必要である。
身体に苦しみがあるからといって、こころまでがその苦しみに彩られてしまう必要はないのだ。むしろこころは身体よりも高い次元に位置して、この身体や人生の苦痛を見つめることができるはずである。そのための援助をすべきだ。
こころの次元が低くなっているから、苦しみに押し潰されてしまう。こころ次元を高くしてやれば、難しい事態にも落ち着いてあたることができる。
心身症はこころの次元が低くなってしまっていることから生じるものだ。
こころの次元を高めるのに役立つのが、哲学や宗教である。
哲学や宗教の中のあるものはむしろこころの次元を低くする。人を盲目にし、卑小な存在にしてしまうのも宗教である。宗教にも種類がある。
2593
霊魂という、思考上の「装置」を用意してみる。納得できる部分が多くなる。だとすれば、霊魂という概念は有用ではないか?生きることについて、腹に染み込むような説明ができるなら、有用である。
医療の現場でも、そのような真実の「納得」が求められている。
2594
体の病気は依然として存在するとしても、こころの悩みが軽くなれば、ずっと耐えやすくなる。
そのようなものとして精神療法を考えることもできる。この場合は、身体病に対する根本的原因療法としてではなく考えている。
中心にある原因は消えない。しかしその周囲に形成されたこころの悩みに対しては、ある程度対処することができるし、解消することもできる。そうすれば問題がはっきり見えてくる。
これは全体としてとても有益なことだ。
2595
凡庸な精神科医は幸いである。その人は自分の信じるモデルにしたがって患者を診るという愚をおかさなくてすむ。
理論は患者にとっては災難である。流行に過ぎないもので自分が「診断」されるのである。いつ、誰に診断されるかによって扱いが異なる。そんなことでいいのだろうか。ただ真剣に話につきあって欲しいだけなのに。
凡庸な精神科医は自分のモデルを引っ込めることができる。だからその意味で凡庸になった方がいい。
病気や悩みはその人だけの輪郭を持っている。その人の輪郭を正確につかむことが仕事である。それだけだ。Aさんを研究して、「Aさんタイプの病気」を知る。そのようにして臨床経験は蓄えられるのだ。
2596
diseaseとillnessの差
疾病そのものと、それを主観的に悩む姿。癒しはillnessに多くかかわるだろう。
illnessの中の、主観的悩みの部分を癒すことはできるはずである。技術としては、さまざまな知識、レトリック、相手の性格把握、生活歴把握など。手相見と似てくるけれど。
2597
自然の中に、人の世の中に、神のメッセージを読みとる。それが詩人の仕事である。神に向けて言葉を送る。神に向けて生き方で答える。それが詩人の仕事である。
神は人間を探している。人間は神を探している。両者が出会うことは難しい。すでに常に出会っているにもかかわらず出会うことは難しい。
2598
高次元の世界観と人生観を持てば、その人は新しく生まれ変わる。内的に新生したのである。そのような作用を真の宗教は持つ。そしてそれは精神療法の目的の一部でもある。
精神の新しい次元を切り開く。そうすれば、古い悩みは新しい光に照らされる。消すのではなく新しい光を当てるのである。
2599
「現代医学と宗教」日野原重明(岩波書店)
To cure sometimes.
To relieve often.
To comfort always.
(アンブロアズ・パレ、フランス外科学の父。)
時に癒す。しばしば和める。病む人に慰めを与えることはいつでもできる。
時に癒し、
しばしば苦痛を緩和し、
常に慰める。
2600
人格に関することや宗教に関することは結局、よきモデルに接して感化される、そのようにしてしか教育されないだろう。そうでなければ染み込まない。