1701
最近の家族関係、近隣関係を見ると、危機に直面したときのサポートが得にくくなっている。そのせいもあって、精神保健上の問題が浮上しやすい。
サポートシステムの欠如。
1702
精神保健対策は一般に管理強化によって対処することが多くはないか?
登校拒否にたいして教育管理を強化する。または不可解な行動として精神医学の枠にはめ込む。
それはよい解決だろうか?
1703
精神科的対処は、自己評価や自信を傷つけることなく行われているだろうか?心を傷つける何かを代償として含むのではないか?それでよいのか?
1704
精神科の入り口と出口に大きな問題あり。
入り口
・敷居が高い。
・精神科救急システムが確立していない。
・訪れやすい場所。
・訪問チーム。
・精神保健問題がどのようなときにどのようにして浮上してくるのかがつかめていない。
・利用者の生活の流れに沿って活用できるサービス。施設が利用者中心に組み立てられていない。生活基盤を損なわず、必要なときにサービスが受けられる。
出口
・精神病病床35万床、社会的入院10万床。社会的入院者のための社会復帰プログラムが明確になっていない。
・病院内ケアから地域ケアシステムへの転換に向けて、各方面からの多面的な取り組みが必要。医療、保健、福祉、立法、行政、司法など。
1705
ケースマネジメント
薬剤と精神療法の処方も必要であるが、各社会資源の利用、人との結びつき、制度の利用など、ケースマネジメントの手法も大切な処方である。
1706
心理職と看護婦の仕事。いままでは心理療法は心理職の仕事で、看護婦はできなかった。SSTをやれば看護婦も精神療法的に参加できる。ここが利点である。
1707
SSTは犬と共産党員に適用される技法である。
1709
自己愛同盟
治療者の病理。社会に踏み出させることを恐怖する。いつまでも密室の依存関係を続けたい。
自分に自信がない人の適応スキルである。患者に必要とされているという妄想の中で生きていたい治療者である。
1710
自分を笑える人は偉い。
1711
ジャクソニズムと本質欠損、廃用性機能障害の理論を結合させること。
機能を再度組み立てる順序はどうするか。→これがないとプログラムを組む根拠がない。
1712
入院精神療法とOT,SSTの整合性
医療モデル……精神医学的治療
障害モデル……リハビリテーション
精神科治療には大きくわけて医療モデルに立つものと障害モデルに立つものとがある。理論通りにきっぱり分かれるものではない部分もあるとはいえ、有効な考え方である。おおむね急性期治療では医療モデルが適応される。リハビリ期にはいるとOT,SSTなどが中心になる。SSTの但し書きには「急性期の精神疾患患者は対象としない」とあるり、位置づけはリハビリである。
医者が行う入院精神療法にしても、入院後六ヶ月に関しては高く、それ以後は安くなる。早期退院を促す意味もあるが、治療の中心をリハビリ的働きかけに移すという意味だろう。
入院集団精神療法は医師が必要で、その点でも精神療法の意味あいが強い。週に二回可能という点も、濃厚な精神療法的関わりを意味しており、たとえばTグループ、エンカウンターグループ、サイコドラマなどの治療法を中心として想定しているのではないか。SSTは最初の六ヶ月は週に一回である。
1713
CNS:Clinical Nurse Specialist
大学院卒業レベルの看護職。
1714
ケアマネジメント
どんなサービスが必要かは、サービス提供者ではなくケアマネージャーが決める。この方式は正しいと思う。患者の専門知識の不足を補い治療の選択のアドバイスをする。
1715
地域リエゾンカンファレンスの主旨
・患者に関する各部門の情報を一つにまとめて考え方を聞く。違う立場の人の意見は参考になる。次第に各人の中で総合的な見方が育つ。
・ケアの一貫性を保つ。転勤で担当者がいなくなった場合にも、当時の出席者がいれば継続できる。
・ケアマネジメントの立場。実際の会議はケアマネジメント会議になる。
・ケアミックスを院内から開始して、地域のケアミックスにつなげる。
1716
Apoモデルがリハビリを考えるときにはやはりもっとも分かりやすい。
急性期にはICUなどで濃厚に医学的治療をする。それを過ぎたら、リハビリ期に移る。欠損に対してはギブス、良肢位での固定、残存機能の活用などを試み、ジャクソニズムを基本とした機能再建プログラムが必要である。
廃用性能力障害に対してはリハでトレーニングする。
これを基礎として分裂病のリハビリモデルを考える。
1717
精神病院の入院環境では、「頭の栄養」が足りない。良質の情報が足りない。深い感情体験もない。集団機能を促進するような適切な環境もない。分裂病の患者同士でどうして適切な集団療法環境ができるだろうか?これではまったく病気を悪くするために入院しているようなものだ。
たとえば、消化機能が衰えている人に対して、ますます劣悪な低栄養食を出しているようなものだ。
入院当初には情報レベルまたはストレスレベルを低く設定することが治療として必要である。リハビリ期に入った患者さんに対しても低情報環境を持続するのは間違いである。この点では病棟の機能分化問題と連動している。
1718
脳神経回路の新築と再建の違い。このあたりを脳神経細胞に対する働きかけをイメージして考える。
1719
機能再建は神経ネットワーク再建のイメージを基本にする。
1720
サラリーマンのストレス量
・仕事の内容と量
・対人関係
・家庭生活
これらが柱である。
1721
OTの課題
・受け入れ時の「動機付け」の工夫。看護婦など説得する人の理解も重要。広報活動や看護部との交流が必要。誤解をとき、魅力をアピールする。
・Drへのレポートを工夫する。
・職員さんがOT室に来る機会を作る。病院サークル活動は使えるかどうか。
1722
縦軸にストレス量、横軸にストレス耐性(またはストレス脆弱性、体質)をとってグラフにすると、発病、成長・進歩、退行の三つの領域に分けられる。ストレス耐性に対して過剰なストレスがかかったときには発病する。ちょうどよいストレスの時には成長・進歩する。ストレスが少なすぎるときには退行する。
ストレス量を調整するのは環境調整である。
ストレス耐性を調整するには、薬、SST、学習などが有効である。
このモデルは大変有用である。
1723
サラリーマンとストレス耐性
上司の仕事は各人のストレス耐性に見合った量・質の仕事を与え、成長や満足感を引き出すことである。仕事の性質と部下の特性の両方を的確に把握する力が必要である。あまりにつまらない仕事では成長しないし満足感もなく、退屈して士気が低下してしまう。あまりに過重な仕事ではつぶれてしまう。ちょうどよいストレスを負荷して育ててゆくのが仕事である。
たとえば、NTTの場合、将来の幹部候補生として見込みがあるかどうかをどのようにして見分けるか、ノウハウがある。基礎学力や仕事の質などの点で見劣りがあってはならないし、TEGでのCP,NP,A,FC,ACがバランスよく分布していなければならない。問題はその先である。主に対人関係の質を見る。さらには家庭生活の安定度を評価する。
若い幹部候補生を地方の支店長として赴任させる。過去のデータによって、その支店にはどのような人がいて、どのような意地悪がおこるか、大体予想できている。そこにわざわざ赴任させて、どのように支店をまとめていくか、テストする。
たとえば、頭にきて誰かをくびにするなど激越な反応を示すものもいる。経理の使い込みを追及するあまり組織をダメにするものもいる。いじめられたと引きこもったり、心身症になったりすることもある。愛人に逃げたりもする。その人がどのような反応を示すのか、観察する。
その人のストレス耐性はどの程度であるか、耐性を超えたストレスがかかったときどのような反応を示す人なのか、それをテストしている。
耐性を超えたストレスにさらされたとき、幻覚妄想で反応する人は精神病タイプ。胃潰瘍で反応するのは心身症タイプ。二重人格で反応するのは解離ヒステリータイプ。ひきこもりやリストカットのような行動化で反応するなら性格の未熟なタイプである。現実的な対処をして、目標を達成する人は人格の成熟度が高い。
そのようなデータから、将来の社長として見込みがある人を選び出す。社長の適性として大切なのは何か。組織が小さいうちは想像力や強いリーダーシップも大切だ。改革の力も時代によっては強く求められる。また、協調性は日本的風土では大切で、今後は国際化の中で自己主張の力も求められるだろう。しかし大きな会社になれば、何より大切なのは、ストレス耐性が高いことである。会社の危機にあたって、全社員が何も考えられないくらい動揺しているときにも、社長だけは落ちついて見通しをしっかり持っていなければならない。それが会社組織全体を救うのである。社長が動揺しないでいれば、あとは各部署がそれぞれの仕事を実行すればいいだけのように組織はできている。
そのような資質があるかどうか、それが社長の器かどうかということである。
1724
薬と精神療法の合理的な統合。なにかもっとすっきりした方針を提案できないものだろうか。integration.
たとえば分裂病に対しての、薬と精神療法や集団場面による刺激との挟み撃ち。しかしこれはドーパミンイメージだから限界がある。
1725
社会の中で生きている精神病者は入院患者よりずっと生意気であり、人間くさい。
1726
精神病院は患者ばかりではなく職員までも、精神的に圧殺する。希望をつみとり、権力者の恣意的方針に屈従させる。患者に対する態度が職員に対する態度にも反映される。
1727
欠損に対して……ギブス……SST(良肢位固定、「どうも」のあいさつ)
……残存機能で代用……SST(右手が使えなければ左手で食べる)
……新しい回路形成……SST、リハ(練習、ジャクソニズム)
廃用性能力障害に対して……思い出させる……リハ(練習)
1728
「廃用性機能障害」よりも、「廃用性能力障害」が言葉としてはすっきりしている。
1729
核のある構造(局在論)……再生は難しい。機能は100%から0%になる。
ネットワーク構造……再生可能性は高い。100%から70%程度になる。代償性回路が作りやすいのではないか。
運動機能は一度の脳梗塞でぱったり動かなくなったりする。これは運動機能の局在論的なあり方を暗示している。
一方、高次精神機能については、一発で急にゼロになることは少ない。たとえば70%に低下するといったようなことが繰り返しておこる。これは高次精神機能のネットワーク的なあり方を暗示している。
1730
状況認知の障害とSST
状況失認はSSTでよく補うことができるだろう。
状況認知が悪いからあいさつができなかったり、落ちていた財布をどうすればよいか分からなかったりする。それに対して良肢位での固定をしてしまう。するとずっと楽に生きられる。
1731
P ーーーーー
N ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
廃用性能力障害 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
経験・教育欠損 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
対策は
P……薬
N……薬、あるいは対処なし
Nによる能力障害……SST、残存機能利用(原因に対する治療ではなく、能力障害に対する対処。ギブスのようなもの)
廃用性能力障害……リハ
経験・教育欠損……療育
1732
原因そのものを治療しようとするメディカルなモデルはいわば機能障害へのアプローチである。それに対して、リハビリテーションは能力障害や社会的不利の改善をめざす。その原因を除去しようとは思わないで、他の解決法や対処法を見いだすことを主に考える。また、残っている能力に注目する。
1733
心理教育・家族教育とSSTはリハの車の両輪である。
1734
SSTの二つの背景理論
認知行動理論と社会学習理論(モデリングが重要視される)
行動を何が変えるのか?何が認知を変えるのか?
今後はSSTもセルフヘルプ・グループを意識した運営が求められてくるだろう。
1735
現在のリハビリテーションモデルは、
機能障害、能力障害、社会的不利の三段階でとらえている。impairment,disability,handicapの訳語。これは身体科モデルである。精神科、とくに分裂病のリハの場合がどうなるか、一考を要する。
1736
仕事の同僚に分裂病が発生した場合。仕事の能率を考えればその人を排除するのがよいだろう。しかしそれでよいのだろうか。社会としてはどうすればよいのだろうか。この問題をきちんと考えることが必要である。
社会の中で分裂病者の居場所はどこなのだろう。
1737
分裂病の急性期に隔離が必要であり、人権を一時的に制限することも意味がある。しかし閉じ込められる場合に暴力的ないじめをする他患と一緒にされることまで必要なはずはない。邪悪な看護者にいじめられる必要もない。他の場合ならばそのような状態を拒否することができるはずである。しかし強制入院の場合にはそれができない。拒否する権利がない。
1738
外来分裂病者の悩み
・時間があると余計なことを考えてしまう。たとえば自殺。
・ひとりでいると寂しい。
・将来親がいなくなるとどうしようと不安になる。
・結婚したい。できれば健常者と。
・医者にうまく伝えられない。医者の前では取り繕ってしまう。
・友人は欲しいが、友人が家に来ることで親に叱られる。しかしそれ以外に行く場所はない。
・何をしてよいかわからない。
・焦る。
外来分裂病者の家族の悩み
・わがままで困る
・能力以上のことをするので困る。
・ゆっくりやればいいのにと思うが、焦ってしまう。焦っている患者を見るのが辛い。
1739
女子病棟にたまごっちを。
保護本能や母性本能を引き出すことができるのではないか。
たまごっちはあれこれ要求する。それが患者を眠りから覚ますのではないか。
1740
S MDI
depression Hebe monopolar
manie paranoid bipolar
pure manie paranoia pure manie
精力性と弱力性の観点から。
1741
適切なストレスレベルの設定
・霜田の例(S)
看板を作ってもらった。ちょうど限界ぎりぎりのストレスであった様子。しかし完成後には達成感も大きかった。
・マツの例(S)
英語の勉強をして大学に社会人入学をしたいと希望した。そこで英語の勉強の援助に乗り出した。しかし結局はうまくいかなかった。
患者は空威張りをする。現実把握が悪い。能力低下している。そのあたりの見極めがないといけない。
1742
平社員はすぐには社長にはなれない
指導者はそれにふさわしい教育が必要である。
1743
幻聴治療について
「幻聴が消える」とは、どういうことか。
幻聴についての理解のひとつとして、内部で発生する思考や言葉が、あたかも外部由来のものであるかのように錯覚されているのが、幻聴であるとする説がある。思考や言葉が発生すること自体は病的ではなく、発生の場所を外部であると錯覚していることが病的である。多分、この説は正しいだろうと思う。
発生場所についての解釈により、強迫思考、自生思考、させられ思考などが発生する。能動性の感覚とも関係する。
だとすれば、神経遮断薬で「幻聴を消す」のは、思考や言葉の発生自体を抑えていて、幻聴発生の病理自体には効いていないことになるのではないか。
本質的な治療は、言葉や思考の発生の場所についての錯覚を正すことである。その方法があるかということが問題である。
たとえて言えば、ラジオでNHKにチューニングしたらTBSが流れてしまったので、電源を切ってしまうのに似ているのではないか。NHKからTBSが流れることはなくなったものの、そもそも何も聞こえなくなってしまったわけだ。
1744
生活保護があるから働かない人はどれだけいるのか。
例えば、生活保護をやめて、その分だけの金額を箱作りの報酬に上乗せする。箱を一個作れば300円にする。何もしなければ食べていけない。働けば箱一つで300円。そうしてもなお働かないだろうか。
分裂病でも、ミサイジさんのように涙ぐましいまでの努力をして働く人がいる。要は性格の問題である。
また一方で、優しさを自分の生きる糧にしている人たちがいる。患者の人生をスポイルして平気である。自己愛同盟を結んでしまう。
実に八方塞がりである。
たとえば病院で。かつて患者を使役して病院が利益を上げていた。食い物にするのである。それが終わってもなお誤解は残る。OTに誘導されてきたときに患者は「休むために入院しているのに、どうして病院のために働かなければならないのか」と尋ねたりする。OTとは何か、なぜやるのか、そんなことの常識が欠けている。
病院は「お仕置き」「罰」に使われている。子供が押入に入れられるように、「そんなことをしていたら入院だぞ」と脅かされる。
そして実際に入院すると牢名主のような入れ墨を背負った古い患者が待っている。退屈しているからいじめて遊ぶ。われわれはひどい場所を提供しているのである。
病院がなかったら、そんなにいじめられないですんだはずだ。デイケアがなかったら、仕事をやめて遊んで歩く生活にはならなかった。患者教室をやったから病気についてのいらない知識を仕入れた。患者同士知り合いになって、薬の調整の仕方や生活保護になる方法や、親を裏切って遊んで暮らす方法を知った。
一体私たちは何をしているのだろう。絶望である。
1745
誰も本気ではない業界。
本気になれば圧殺される業界。
本気のふりをすることが決まりになっている業界。
1746
土居の「甘え」、木村の「あいだ」、いずれもインターパーソナルな問題を取り上げたものといえるのではないか。日本人の場合の病理の前景にあらわれるのはインターパーソナルな面であるといえるのではないか。
1747
本来精神病院は一般環境よりも精神的な栄養に満ちた環境であるべきではないのか。それなのに、現状では極限的に貧しい精神的環境である。
1748
ストレス脆弱性モデル
脆弱性とは何か。体質であるが、時間と共に変動している。それを内発性ストレスといってもいいかもしれない。
内発性ストレスは時間と共に変動し、それに外発性ストレスが加算される。総合されたストレスが個人に特有の許容量を超えると発症する。
発症の仕方にも個人差があり、幻覚妄想状態になる分裂病、うつ状態になるうつ病、胃潰瘍になる心身症、引きこもりやリストカットになる行動化障害または性格障害、健全な場合には現実を変革するし、愛人を作る場合もある。
→グラフ
1749
ドーパミン仮説 ……薬剤は使い続けるとよくないことが導かれる?
○まず、引きこもりがちで刺激を好まないおとなしい人がいる。ドーパミンは少ないので、レセプターを増やして感度をあげる。すると乏しいドーパミンでも充分な刺激に感じられる。
○ところが思春期を迎えて、異性と出会い、大学に行ったり仕事を始めたりすると、刺激が増えてドーパミンが増える。レセプターが増えて過敏状態になっているので、容易に限界を超えてしまい、幻覚妄想状態になる。ドーパミン過剰状態である。
○神経遮断薬でレセプターを塞ぐと、過敏さが抑えられる。ドーパミン過剰でも幻覚妄想はおこらない。急性期が過ぎると、ドーパミンは元の低レベルに戻る。この時点では薬によってレセプターが塞がれていて、鈍感になっている。生体はレセプターを増やして、ドーパミン不足に対応しようとする。結果として、最初の時点から数えると、二段階のレセプター増加になる。つまり、ますます過敏になって再発しやすくなっている(履歴現象)。これを繰り返すと、ますますレセプターが増え、ますます再発し易くなり、ますます薬が増え、ますますレセプターが増えるという悪循環を形成する。
○このように考えれば、薬が分裂病を治していないのではないかとの疑いが濃い。むしろ悪循環を形成している可能性がある。
○しかしながら、現実には薬のおかげで、分裂病者は社会生活ができるようになったと思われる。そうなのか?あるいは、薬にかかわりなく、本質的な軽症化が進んでいるのか?
1750
精神病者は、ある程度は社会のあり方の陰画である。心優しい者、正直すぎる者、誠実すぎる者が、精神病者とならざるを得ない状況がないか、点検する必要がある。
精神病者は社会の病理を告発しているのである。
そのような視点は有効だろうか。単なるロマン主義なのだろうか。
1751
SSTは本来、患者に特有の機能障害に対する個別の工夫であるべきだ。
→分裂病による障害は、はたして個々バラバラなのか、一様なのか。
1752
立場の変換の障害
自分の生きていた常識のみが、世界の常識のすべてだと信じている。それ以外の真実があるとは考えてもみない。それは一種の「立場の変換の障害」といえないだろうか。相手の立場から見たら世界はどう見えるか、想像できない。小児自閉症の場合に、自分と相手の立場を変換することができないのに似ている。これは脳の老化の指標として使えるのではないか。高次機能の脱落による症状と思われる。「ながらテスト」と同列のテストとして使えないか。
新しいことに対する拒絶症ともいえるかもしれない。「頭が固い」ことの一つの指標となるだろう。
正しいとか効率的だとか、そのような観点で評価することができず、ただ新しい即うさんくさいとなる。
そのような保守的な態度が人間を保護する面があるのは確かだけれど。新しいことには危険がつきまとう。しかし考えて欲しいのは、現代では古いことも危険だということだ。
1753
陽性症状に対してもコーピングが有効なことがある。
たとえば、幻聴に対してカラオケを用いる。幻聴の一部はカラオケで一時的に消えるだろう。
このような技術を蓄積することができればとても素晴らしい。
1754
病棟での生活は公平に見て、罰以外のなにものでもないだろう。
この世に生まれたことを悔やむだろう。自分勝手で、看護を操作するだけの強さを持った一部の人の場合はまだいい。そうでない弱い人たちの場合にはただ果てしのない罰の場所である。医者や看護者の機嫌によって、すべては決められるのだ。
また、このような場所で医者をしているわたしの人生も、何かの罰のように思われる。グノーシス主義のように。この世に生まれたのは罪の償いのためである。魂を浄化するために、人生という苦しいだけの旅路を歩むのである。そしてわたしの現状は、ただ苦しいだけで、魂の浄化には到らない。
見聞きすること、出会う人ごとに、わたしは罰を受け続けるのだ。これは別の世界での何かの罪の故なのだろう。そうとしか思えない。神よ、これは何ですか。
この世は煉獄である。精神病棟は地獄である。
1755
SSTの原理
分裂病者には状況認知障害がある。中安の状況意味失認。
したがって、状況に応じて対応することができない。例えば、あいさつのしかた。朝なのか、昼なのか、一度目なのか、二度目なのか、目上なのか、など。
そのような状況判断の中枢が壊れている。これは足がなくて歩行できないのと同じ。
疾病→機能障害→能力障害→社会的不利
疾病→足がない→歩行障害→仕事がない
分裂病・状況意味失認→あいさつがうまくできない→集団に受け入れられない→仕事がない
疾病の原因などは問わず、障害を克服する方法を考える。疾病モデルではなく、障害モデル。能力障害と社会的不利を解決できればよい。そのために、ギブスと良肢位固定にあたるのが、SST、そのほかにはケアマネジメント。
状況認知にかかわらず、あいさつがうまくできるように、「どうも」で固定してあげる。これがSST。「どうも」は時間によらず、相手によらず、あいさつとして有効で、しかも場合によっては感謝の意を含む。良肢位固定である。
集団性機能に障害があるのなら、集団場面がない仕事を選べばよい。これがケアマネジメント。
1756
レセプトでみるSST
○治療計画……行動療法理論に裏付けられた治療計画。つまり、強化と般化を用いたプログラムであることを明確にする。
○手法……観察学習(見本と真似、モデリング、社会的学習理論)、ロールプレイ(ほめる、行動療法)。どのような場面設定をしたかを明確にする。ただの立ち話では不可。一回15人以内で一時間以上。
○獲得目標……服薬習慣、再発徴候への対処技能、着衣や金銭管理等の基本生活技能、対人関係保持能力、作業能力等の獲得により、病状改善と社会生活機能の回復を図る。
点数表にはないが、背景にあるモデル
○ストレス・脆弱性・対処技能モデル
○受信・処理・発信モデル
1757
赤ん坊の頃、ドーパミンが足りない→レセプター増加→過敏→引きこもり傾向→ドーパミン足りない→以下、悪循環。
1758
SSTで職リハといえば、どんな生活技能(社会性技能、対人技能)欠如が就職を妨げているかを発見し、技能を与える方向である。
単純に「能力がないから」仕事ができないと決めつけないで、能力・意欲の低下を前提として、それでも仕事を続けられないか、道を探る。社会技能がたりなくて仕事が続けられなくなっていないかチェックする。環境調整を積極的にすすめることで解決できないか探る。たとえば自宅でファックス学習塾を開くなどのケースマネジメント。
就労準備……身なりを整える、交通機関を使える、金銭管理ができる
求職活動……仕事について周囲の人に相談する、履歴書を書く、仕事の候補を決める、予約電話をかける、面接を受ける
就労維持……1)対人関係技能。あいさつ、休み時間に世間話、酒の誘いを断るなど2)作業関連技能。指示を受ける、質問する、協力を求める
1759
ストレスマネージャー
生活の中でのストレスレベルを調整する「ストレスマネージャー」をおく。
病棟ナースが五、六人を担当すればよいだろう。
ケアマネージャーとして機能するのもよい。
1760
疾病 機能障害・能力障害 社会的不利
医療モデル 障害モデル ?
急性期 回復期 維持期
急性期病棟 療養病棟 外来・デイケア・訪問看護
Dr OT PSW
薬・精神療法 薬・精神療法・SST・OT 薬・精神療法・デイケア
リラクゼーションなど
cure care social help
陽性症状 陰性症状→専門リハ(能力障害はあるままで社会適応を改善)
教育・経験欠損→療育
廃用性機能障害→練習リハ
入院時診断会議 リハ開始時プログラム会議 通院開始時マネジメント会議
1761
他人にはできない技術。
プロ野球選手が、他の投手には投げられない速球やフォークボールを磨く。技術者が他人にはできない製品を作る。そのようなものが、精神科医として何かあるか。
外来診察室では素人が通院精神療法を請求しているのである。ただの会話と何の違いがあるのか。専門性は何なのか。
プロの技とは何か。
1762
集団精神療法
・個人の無力を徹底的に自覚させる。深い退行状態を作る。→そのあとで一気に元に戻す。
・一週間コースなら、五日目の夜に最高の退行状態を作る。元に戻したらすぐに解散する。ぐずぐず続けていると、自分の恥部を知られてしまった仲間達との新しい力動が始まってしまう。それはまずい。
・青年の家、北朝鮮のマスゲーム。
・無力化と脱個性化。集団の駒、細胞であることを徹底させる。
・集団催眠効果。一種の洗脳。マインド・コントロール。
・エンカウンターグループ、Tグループ、サイコドラマ。
・自閉症児や分裂病者の場合の、集団機能の欠落。
1763
SSTとは何か
・根本的な考え方 ギブス・良肢位 状況認知障害・状況意味失認
・技法 行動療法的技法(ロールプレイ) 社会的学習理論(モデリング)
・対象患者 陰性症状のゆえに社会的不利に苦しんでいる場合
・モデル ストレス・脆弱性・対処技能モデル 受信・処理・送信モデル
1764
リハの全体像
・トータルリハビリテーションとは何か
・単なる機能回復訓練ではないこと
・教育とSSTが車の両輪
・家族教育で環境調整
・患者教育とSSTで対処技能向上
1765
対処技能として
対処技能はSSTだけではない。
リラクゼーション、自立訓練法、α波、バイオフィードバック、セルフストレスマネジメント、アロマテラピー、音楽療法、ストレス緩和法、ヨガ、禅、メディテーション、トランスパーソナル。
仕事の他に趣味を持って、人生を複線化する。
会社生活の他に地域生活を持って、生活領域を複線化する。
対処技能としても、生活深化法としても役立つ。
痛い、くだらない、そんなこともすべて、頭の中の考えに過ぎない。
いまここに生きることが大切。味わう態度。
心はあれこれお喋りする。それを見る心がある。
自動操縦機械であることをやめる。それが生きること。例えば、痛みのせいで人生をリタイアしている人も、生きはじめることができる。心を使って生きる。
自分に何がないかではなく、自分に何が与えられているかを知る。
1767
SSTと集団精神療法、個人精神療法、退院時生活指導、患者教育などの違い。
SSTで
・何を
「良肢位固定を」「能力障害を前提としての社会適応向上」
・どのように
むしろこちらに重点がある。
例:服薬教育
これはSSTでもあり、患者教育でもあり、OTでの生活指導でもあり、家族教育としても大切である。さらにケースワークの技法も有効である。薬を飲み忘れないような仕組みを作ってあげれば成功である。
「何を身につけてほしいのか」でいえば、どれも変わりはない。
・レセプトでの集団精神療法とSSTとOTは現在では目的と技法の両面でお互いに区別がなくなっている。結局は請求として高いものから、期間の限定の中で、職員配置にしたがって運用することになる。
・OTが高額であるから、OTRがいればその分はOT。次にはSSTで、これは期間限定もなく、医師も要らない。入院集団精神療法は医師がかかわるし、六ヶ月以内でもあり、請求の点では不利である。
SSTのテクニックは家族教育にも応用できる。
1768
周辺の工場に働きかけて就労の場を作る。援助つき就労や多人数で分割する就労などの工夫をする。
1769
住居と仕事の世話も積極的にしないと社会復帰はうまくいかない。システムが必要であり、それには地域の社会資源とよい関係を保つ必要がある。
1770
ストレス脆弱性対処技能モデルと防御因子
防御因子として
1)抗精神病薬の服用
2)移行的プログラム(デイケア、作業所、職親など)
3)対処技能の形成(SST)
4)周囲からの支援(家族心理教育)
1771
心理的空白、宗教的空白
生きる意味の空白といってもよい。日本の現代はそのような時代である。この空白にカルトや新宗教が入りこむ。
1772
時間がたてば慣れてしまう。改革の必要性も忘れてしまう。
精神病院で働くことは、一種の悪に加担していることではないかと反省する必要がある。誠実でありたいならば。
1773
上手なノック
野球の練習で。捕れるノックならば退屈である。捕れないノックならば練習にならない。その間にちょうどよいノックがある。練習のしがいがあるノックがある。練習が終わったあとで、自分は成長したと満足感を覚える。ストレスレベルの設定はそのようなものであるべきだ。その客観的な基準がどこにあるか、難しい。
1774
分裂病の成立について
・分裂病の中心を、自我障害と考える。
・自我障害の前提として、自我の感覚の成立を考察する。自由意志の成立があり、自己の能動感などが発生する。
・しかしながら、自由意志や自我の能動感は錯覚である。なぜなら、物質にはそのようなものはないからである。人間の意識とは、そのような錯覚を生じさせる物質構造である。
・その錯覚が壊れるから、分裂病性の自我障害が発生する。
・したがって、分裂病という事態は、人間の真の姿をさらしている。ありのままの姿である。錯覚に包まれた世界を脱して、むき出しの物質に戻った姿である。
・ありのままの姿に耐えることができない。物質であることを生きることができないのである。自我という錯覚に保護されていなければ安心して生きていられないのである。
1775
個人の病理に合わせて個別の生活技法を用意する。この感覚が大切。
1776
人と人とのプライベートなネットワークが大切である。人が人を殺し、仕事を殺すのである。偶然その人がそこにいた、たったそれだけのことで、せっかくの組織が死ぬ。ではどうするか。そこを何とかするのが政治というものである。人を動かす技術である。人には必ず利害の両面があるのだ。そこを適切につかむことである。
人と人との全体の構図を見通す視力が大切なのだ。
1777
カルトとは
集団妄想と外部現実との対立。そして集団妄想の優越。カルトとは集団的幻覚妄想状態である。
1778
主観的善の危うさ。
しかし検証する手だては乏しい。
真理または善の源泉。
1)個人的経験……自然科学に通じる
2)個人崇拝……特定の誰かが言えば、それが真理または善である。
3)宗教的霊感……啓示
1779
義を見てなさざるは勇なきなり。
精神病院に働く人間として、正義の感覚は大切である。慣れて忘れてしまわないうちに、高いモラルを忘れてしまわないうちに。
自分達は何をしているのか、自己点検を怠ってはいけない。自分が点検すべきだ。他人に点検される日を待っていてはいけない。
1780
精神病院に強制入院させられる患者の悲劇
強制入院させられるとそこではいじめが待っている。ひどい不潔と抑圧が待っている。怖い患者がいて、怖い看護がいる。普通ならば他の場所や他の職員を選択できるはずである。しかし強制入院でしかも患者には判断能力がないとされているから、「いやだ」との訴えは割り引きされてしまう。「病識がない」と判定されてしまう。
こんなことでいいのだろうか。現在の精神病院は公平に見てとても悲惨な場所である。患者には拒否する権利がない。少なくとも、劣悪病院を拒否する権利くらい保障されるべきである。しかし現実には難しい。どんなにいい病院でも多分、強制入院させられた人は拒否するだろう。それは当然わかるのだが。どうしたらいいのだろうか。
これは考える価値のある問題である。
劣悪病院を患者自身の手で拒否することはできないのか。できないとする意見にも理由はある。しかし、誰が拒否できるのだろうか。どうしようもないのだろうか。
1781
立派なことをいっている人が立派なわけではない。
たとえば東京武蔵野病院は立派なことをいっている。たとえば竹村先生は立派なことをいっている。では実際はどうか?行いはどうか?
1782
病識欠如の興味深い点
否認の機制として考えても、外界認知のズレともいえるし、自己内界認知のズレともいえるのではないか?パラドックスの始まりのような感じもする。
1783
神経症と精神病の二分法のおかしさ
神経症は心因性の疾患であるとして、精神病になったときは甚大な心因を背負い込むことになり、当然神経症成分も発生することになる。精神病のときには神経症成分も同時に持っているはずである。
精神病は脳病、神経症は心因性とわければ分かりやすい。しかし、現在の分類そのものが不安定なので、注意が必要である。何が神経症に属するか、そのことと、神経症の定義は連動してしまうのである。
例えば、パニックディスオーダーや強迫性障害については脳病の側面がある。従って、これらは神経症と呼ぶべきではないだろう。
精神病と神経症の区別をリアリティテスティングに置くべきではないのだろう。現実検討を捨てるとしても、どれが脳病で、どれが心因性か、その区別は簡単ではない。
DSMの疾患の個々について、何に属するのか考えてもよいが、さして実りのあるものとも思えない。実証性に乏しい。
1784
ゴキブリがあんなにも嫌われるのはなぜか?
心の中にある恐怖や嫌悪をゴキブリに投影している。人は何かに投影しないと安心できない。
1785
精神障害者とキリスト
精神障害者を排除することによって、同時にキリストを排除しているのではないか。そして我々の心の中にあるキリストを殺しているのではないか。
このような感性は大切だ。しかし実際の精神医療の現場はこのような繊細な場所ではない。
何という困難な場所なのだろうか。
精神障害者を扱う、そのような扱い方で、我々は自分の内にあるキリストを扱っているのである。
キリストは現状に対する問いかけである。現状を鋭く告発する鏡である。キリストを圧殺する私たちとは何なのか。無自覚であることも罪である。
このような言い方は文学的すぎるし、今日も続く現実をどうするかについては無力であることも知ってはいる。
精神医療の実態から見れば、麻薬覚醒剤患者のどこにキリスト性があるのか、苦々しい気分にもなる。夢を語るのはいいことだ、甘い夢を振りまくのもいい商売だろうとは思う。しかし、このことに関しては私の心のどこかが死んでいるのだ。
氷点といってもいい。絶対零度くらいに冷たくなった部分が心のどこかにあるのだ。
これが、精神病治療の現場であらわれる「伝染病」「職業病」ではないだろうか。
世間の価値からはみ出ている人たち、精神病者、キリスト、ビートルズ……。これらの人たちをひとまとめにして排除してはいけないのだといわれれば、その通りだ。しかしそれではどうすればいいのだ。困難である。
1786
変わるべきなのは誰なのか?
障害者を社会に受け入れられるように変化させることが治療だというのなら、それには限界がある。生活障害はずっとあるのだし、仕事もできず自立ができない。
逆に、社会の側ですき間をきちんと作って、受け入れればよいのだ。社会が変われば障害者の一部はとても生きやすくなる。そんなことは分かっているのだが、難しい。なぜか。
多分、精神障害者があまりに多様だからだと思う。
社会の側で受け入れ体制を整えて迎えたとして、そうした善意を逆手にとって踏みにじる人々がいる。それは確実にいる。そのように踏み荒らされた場合には、社会の側は精神障害者全般を排除しようとする。排除すべき人かどうかの区別は難しいのだ。そして困った人たちほど声は大きいのだ。
精神障害者にすれば、そのような困った人たちと自分達とを一緒にして扱っているのは理不尽であると感じているだろう。
しかしこのような発言も気をつけなければならない。「社会から害虫を駆除する」思想ととられてしまう。誰にとっての害虫なのか、と問いが生まれ、あとは議論ばかりが続く。現実は固定されたままである。
1787
政治術
仕事場であるからには、そこでしか生きられない人がいる。何をしてもそこにしがみつこうとする人がいる。善も悪もない。生きるためにはなりふり構わない。
そのように人たちには立ち向かう術がない。彼らは強力である。そこで高等な政治術が必要になる。そのように人たちであることを計算に入れた上で、なおかつ前進させる方法がないか、探るのである。なりふり構わない彼らにも多面性はある。どのように説得すれば心を動かすか、説得の余地は必ずある。政治とは一面でそのような人間技術の結晶である。
田中角栄のような一流の人間観察者は一目でその人間の欲しがっているものが何であるかを見抜く。まずそこからだ。そして、情報を握ること。人のネットワークを広げること。
病院も、地域社会も、このような政治術の実践の場である。
1788
患者が医者に病気について教える。医者は患者に専門知識を教える。そのような理想の協力体制が精神病の場合に難しい。患者と医者のあいだに真実の交流があるのだろうか。ないとすればなぜなのか。
家族からも「理解不能」として拒絶された人をなぜ医者が理解できるだろうか?そもそも無理な注文ではないか?専門家ならできるだろうとするのは間違いである。とも狂いのときにだけ、そのような相互理解は成立する。
しかしこれも言ってはいけないことに属する。了解はできないが説明は可能であるといえばよいのかもしれない。
1789
1)受信……注意散漫、多動、職場の指示受け
2)処理……状況意味失認
3)発信……スキル不足、練習しやすい、仕事の報告、自己主張
1790
大衆より三歩以上先を行けば大衆から遊離する。遅れれば凡庸である。一歩かせいぜい二歩先を行けば評価されて成功する。
1791
カウンセリングという仕事
愛や友情や世話は金では買えないことになっている。しかしそれを金で売るのがカウンセリングである。自分にとって魅力のある人間関係を金で買う。
逆に、そのようなサービスを提供できているか?
1792
心理療法家 →北山の指摘
真面目な優等生は、ヒーラーとして適切か?多分適切ではない。ではヒーラーを国家資格化することは矛盾を含むのではないか?
世間をはみ出た人を癒す人が、国家資格を持つ体制側の人間でよいのか?
しかしまた、あまりにも桁外れの人であってよいのか?
心の病気を扱うことは、心の中の未消化物や膿や傷口を扱うことで、とても不潔なことだ。だから心理的に清潔好きの人には向いていない。普通の悩みではないから理解しにくい。
社会的には偉くなれない。社会から排除された人々を扱い、社会の中心部と社会の外の中間、社会の周縁部に位置する仕事である。
1793
きたやま 母性の神話
母親の母性一般を疑うことは、自分の経験の中の母親像を疑うことになり、大変辛いのでだれも認めたくない。そこで母性本能の神話が成立する。
1794
きたやま 幼児体験の反復の例
子供の頃の、異質で新しいものに対する反応の仕方が、大人になってからの、異質で新しいものに対する反応の仕方の元型を作る。
1795
障害者の社会復帰
「家庭を持って仕事をして税金を払うことが立派なことか。精神病者には精神病者特有の生き方があるのだから、生活保護を活用してソーシャルクラブやデイケアでのんびりした人生を送ることも公認されてよい。わたしはそのような立場で精神障害者を理解する人になりたい。」
このような気持ちでソーシャルクラブを始めたところ、一日中寝そべっている患者のあまりのわがままさに腹が立って仕方がないという。
社会参加といっても、参加を希望する社会の実態は何であるのか、と問うことは正しいと思う。必要ならば社会変革も要求する。社会に対する教育的アプローチも大切にすべきだ。
しかしそれだけではいけない。患者を甘やかして本来の力を発揮させないでおいてしまうのは申し訳ないではないか。
潜在能力の高い人には是非社会に出ていってほしいが、しかしその社会は復帰に値する社会なのかと問い直す。
精神病院パラダイス論。厳しい社会に放り出されるよりも、一生精神病院で「暮らす」ほうが患者は幸せだとする考え方。→ビジョンに欠けている。
あれもこれもで話が混乱しているのだ。混乱させるにはさせるだけの理由もあるのだろうが。
1796
トータル・リハビリテーション
医学、職業、社会、教育の四つの面からのアプローチ。各分野がもっと育って、そののちに統合に向かうのがよい。待っていられるならば。現状で、各々が未熟であっても、統合した方が利益が大きいと思う。
精神科領域の「医療と福祉の関係」。対立させ二者択一に固執する不毛な時代があった。
1797
どんな人にもいいところが必ずある。それを見つけることが専門家の仕事。
1798
シナプス前のドーパミンと、シナプス後のレセプター。
これはストレス脆弱性モデルでの、ストレスと脆弱性に対応している。ドーパミン量はストレスに対応し、レセプター数が脆弱性に対応する。レセプター数が多くなれば過敏になり脆弱性が増す。
ストレス脆弱性モデルがシナプス前後のドーパミンとレセプターでイメージできる。物質的基盤である。
1799
同じ仕事を続けていて飽きないのは一種のディフェクト状態である。精神科で十年いるのも刺し子で十年暮らすのも同等である。
1800
ストレス負荷量をドーパミン放出効果として換算して提示できないか。
神経遮断薬の効果をドーパミンレセプターブロック効果に着眼して評価する。CP量に換算する表がある。
同様に、ストレス負荷量をドーパミン放出量に換算して表示する。
脆弱性はレセプターの数の多さである。
こうすれば、ストレスと脆弱性、神経遮断薬、対処技能、環境調整などの間の関係をドーパミンとドーパミンレセプターを軸として記述できる。
ストレス↑……ドーパミン↑
脆弱性↑ ……レセプター↑
・防御因子
くすり↑ ……レセプター↓
対処技能↑……ドーパミン↓
環境調整↑……ドーパミン↓
リラクゼーションもドーパミンを低下させる。
全体として ドーパミン>レセプター ならば発病である。