1901
脳の形成期
例えば、皮膚の汗腺は、発生時の気温や湿度に合わせて調整される。脳についてもそのような調整・決定の時期があるはず。
1902
性ホルモンの関与
女性ホルモンはレセプターを調整しやすくする。従って、胎児期と思春期には環境に合わせて調整しやすい。
胎児期に、子供時代の生活を予測してレセプター数をセットする。だいたいは母親にくっついて生活するので、母親の胎内での刺激に合わせてセットすれば間違いはない。思春期には別の生活にはいるので、セットし直せばよい。現代の生活では概ね妥当する。原始の生活ではどうか?たとえばサルの生活。成熟してからは違う環境に投げ込まれる。
男性ホルモンはレセプター数を増やす。従って、妄想的になりやすい。「自分はあの女が好きだ」という妄想を抱きやすい。惚れやすい。これが原因で、男性はレセプター増加型の分裂病になりやすい。(しかし、分裂病男性は男性性が欠けていたりする。これについては、女性ホルモンが多ければ変化しやすい、この条件が基本にあるのではないか。単に男性ホルモンが多いだけなら、レセプター増加の圧力にはなっても、変化を受け入れない。女性ホルモンがまず多くて、さらに男性ホルモンが出ているときに、増加する。これで、男性でかつ女性ホルモンの多い人がレセプター増加の危機にさらされることになる。)
1903
感覚→ドーパミン×レセプター=Z
・感覚からドーパミンへの変換が悪い場合に、「現実との生ける接触の喪失」が起こる。ドーパミンが2になるので、レセプターは8になる。
・この人の鈍感さは、敏感さと同居する奇妙な感じのものになる。鈍感さは2から生じ、敏感さは8から生じる。ただ、感覚の中の特定の部分だけに8で反応して感受し(これが敏感)、あとの大部分は無視されてしまう(これが鈍感)ので、大部分は鈍感ということになる。
・しかしこの鈍感さは、一部は陰性症状である。これは状況認知の障害といってもいいし、統合機能の障害といってもいい。とにかく高次機能の障害である。また一部は集団学習の欠如による経験の欠如が原因となっている。これらと感覚からドーパミンへの変換の障害によるものと、複雑に混合した結果、特有の鈍感さが生じている。
2×8タイプにも二通りがある。
・最初からレセプター8で生まれる子。過敏型。2→2×8と表記できる。物理的に閉じこもり傾向になる。これにたいしては、レセプター操作の可能性がある。
・4→2×8と表記できるタイプ。これは感覚からドーパミンへの翻訳部分に障害があり、ドーパミンは2にしかならない。これはいわば内的「自閉」状態である。これについてはレセプター操作の可能性があるかどうか、分からない。どのようにしてドーパミン調整をすればよいか、不明。根本的な原因は感覚からドーパミンへの変換障害であるから、そこを治さないとうまくいかない。→このタイプは、強い刺激を求めることになるかもしれず、その点では境界例があてはまる。
1904
レセプター8で生まれた子供。
赤ん坊のときには環境を選択できない。従って、大抵は4程度の刺激にさらされる。ドーパミンへの変換が正常ならば4のドーパミンが出て、4×8=32の状態になる。これはイライラして泣き出しやすい状態である。ここでレセプター可変的な子供は環境の4に合わせて、4×4に落ち着く。しかし環境に抵抗するタイプの子供は、イライラしながらも4×8で続け、動けるようになってからは2×8になる。
従って、2×8のままで思春期を迎えた子供の場合、レセプター操作は難しそうである。
子供の観察は重要である。イナイイナイバーをしましたかと聞く。
二人目の子供は落ち着くといわれるのは、親が慣れること以外に、胎内ホルモン環境が落ち着くこともあるのではないだろうか。
1905
心理的に解釈できそうなことも、物質的な基盤がないか、検討してみることが有効である。
1906
非定型精神病と典型的躁うつ病は、あとにレベルダウンを残さずに治る。分裂病や非典型的躁うつ病は、レベルダウンを残す。
この違いは何か。脳神経殺傷性の何かが起こるかどうかの違いがあるのだろう。それが分かれば陰性症状を抑えられるのだが。
それは何か?
1907
金子満雄のあげる前頭前野症状
・仕事の手順選択の障害……「目の前に血を流している人がいる。何をすべきか?」
・注意分配能力の低下……複数の作業を同時に実行する
・質問が誰に向けられたのか分からずに答えてしまう
・当初の命題が維持できない……新聞を手渡して、「時間を計りますから、最初の一頁から見ていって、天気予報を探して今日の予報を教えて下さい」という。途中でいろいろの記事に気を取られてしまう。
・ことわざテスト……「二兎追うもの、一兎をも得ず」の具体的な例を挙げて下さい。
・動物名想起テスト……一分間に十五個、七十以上なら十二個
・ジャンケンポンテスト……「私がグウを出したら、あなたはパーを出す」というように、いつも勝つ(負ける)ものを考えて機敏に出す。
・なぞなぞテスト……「馬が一頭、まっすぐに立っています。頭が東を向いているとき、尻尾はどちら向き?」答えがあったら、「尻尾は下を向いています」と教えたときの反応を見る。おかしさが分かる人は正常。
1908
学校という制度は、ドーパミンレベル4を実現している。その点で子供の生活は分かりやすい。特にいじめられるなどの個体差はあるけれど。
1909
女性ホルモンは環境への順応。
男性ホルモンは環境への攻撃。
ここに男性と女性の性格とレセプター特性の関連が見える。
1910
いじめの心性(朝日新聞97-6-14朝刊)
世間が分裂病者に向ける目にいじめの要素が含まれていないか。
性格が悪いのだからいじめられても仕方がない。悪いところを指摘しているだけだ。なとど記事の中で意見があげられている。
おおむね、「いじめられても仕方がない人だから」との意見。
1911
二十年後の医療界……根底には医療費節減、老人増加、若年者減少、ハイテク化、予防医学化。
・ハイテク化
・在宅化……ハイテク化が必要。
・大資本の参入……ハイテク化には不可欠。
・零細開業医の再編成……上記傾向の結果。
・自己負担割合の増大・包括制の推進
・均質な医療の崩壊。各自が治療メニューを選ぶ。人生観や金銭感覚に応じて。
・老人医療の圧迫……思い切った対策。しかしそれが思い浮かばない。
・予防医学の発展、ライフスタイルのチェックまで……良質労働人口の確保。医療費節減に対する予防医学の効果。
・医療と福祉、医療と介護のミックス化
・パラメディカルに仕事を任せて、医者の仕事を減らす。
・金を節約するには、とにかく医者を少なくすることである。
・毎年八千人の医師ができるとして、一人一千万で計算しても、毎年八百億円の支出増である。
・若年人口(保険負担層)が減少し、老年人口(保険受給層)が増大し続ける現実は日本にとって大変厳しい。制度の変更を考えるしかないだろう。
精神科の二十年後
・低医療費の徹底……パッケージ化、定額化、医療から福祉への振り分け
・在宅化……自己負担額を上げていけば、家族は自分達で面倒を見るようになる。社会的負担か家族を含めた自己負担かの選択。社会的コストとしてどこまで許せるか。
・社会的入院の一掃
・長期入院患者は老人病患者に移行する
・触法患者とそれ以外の患者の区別の明確化
・個室化・高級化
・生活保護のあり方の見直し……厳密な診断、支給期限をつける、就労プログラムにのせる。何かの仕事を作り、税金を払う方向で努力を促す。治療技術が進歩していると仮定して、治療か労働かの二者択一を課す。
・治療法の変化……薬物療法の反省、代替療法の進歩
・予防精神医学の発展……ハイリスク群のケア
1912
用語の定義のずれ……陽性症状と陰性症状の場合
・ジャクソニズムによる考え方。
・ないはずのものがある、これが陽性症状。あるはずのものがない、これが陰性症状。
・ドーパミン過剰症状が陽性症状。前頭前野の機能欠損症状が陰性症状。
1913
Essential Psychopharmacology 1996 Stephen Stahl で紹介している陽性症状と陰性症状。
・陽性症状
幻覚、妄想、言語やコミュニケーションの歪みや誇張、解体した会話、解体した行動、緊張病型行動、興奮(Agitation)
・陰性症状
平板化した感情、情動的引きこもり、貧しいラポール、無気力な社会的引きこもり、抽象的思考の困難、自発性欠如、決まり切った思考
5Aとしてまとめると
Affective flattening
Alogia
Avolition
Anhedonia = lack of pleasure
Attensional impairment
……これらはまさしく前頭前野症状と見える。
社会性機能が欠如しているために前頭前野が廃用性能力障害を呈しやすいことがまず原因としてあげられる。また、入院していたり病後で療養していたりして病人アイデンティティを持っていると廃用性能力障害になりやすい。
1914
イニシャル・コモン・パスウェイ
ファイナル・コモン・パスウェイ
始まりと終わりは疾患特異性に欠けて、似たような症状が現れる。たとえば不眠、集中困難など。
1915
黒質線条体系のドーパミンはアセチルコリンを抑制している。従ってドーパミンを遮断するとアセチルコリンが上昇する。それによる副作用を抑制するために抗コリン剤を用いる。
1916
陰性症状と廃用性能力障害の場所は共通で前頭前野である。回復可能か不可能かの違いだけである。
1917
新しい仕事のビジョン
・サービス業としての医療はどうあるべきか、何が求められているか、説く。
・組織のあり方、リーダーのあり方を説く。特に、院長職や理事長職のあり方。院長は医療技術者である。組織の長としての訓練は受けていない。ここに組織としての挫折の原因がある。
・組織の精神病理診断
・医業経営……大資本流入時(医療法人解禁、医療ビッグバン)、何が起こるか。例えば、医局支配はどうなるか。医局経由ではなく優秀な人材が求められる。その時に応えられるようなリクルート組織。
・リクルート情報……医者の評価。これは医療知識が欠けていると難しい。技量と人柄や価値観を評価する。これは患者にとっていい医者とはまた別の観点である。また、病院の評価。これは患者の立場での評価もあるが、働く者にとってどうかとみる立場もある。転職時には、医者同士の方が話が通じやすい。
・医者のカウンセリング。医者特有の悩みについてカウンセリング。
・志がある医者と、資本との結合。一種の仲人。
・医療経営指南。これは税理士だけではできない。
・保険医が定年制になると仮定して、定年後の医師の就職を考える会社。たとえば、自由診療で生き残るテクニックを教える。また、自己所有の財産の医業としての運用方法。保険会社の運営する医療保険と結合させて、私的保険医として組織する。
・企業内のメンタル相談を組織化する。
・メンタル相談を有料電話やインターネットで組織する。どのような有益な情報を流せるかが勝負。
・企業の経営指針。いつまでも信長やプロ野球監督でもないだろう。
・在宅医療、訪問看護、訪問理学療法などの業務コンサルタント。
・老人医療の行き止まりをどうするか。日本は資源がない。資源は頭脳と技術である。ところが若年労働者が減少する。今のうちに地下資源のありそうなシベリアでも買っておいた方がいいかもしれない。それを金に換えて、老人ケアにあてる。
・医療法人理事長を教育する係。
・医療保険は次第に自己負担分を増やす。その負担を吸収するために私的医療保険が開発される。その場合に、「この病気なら給付はいくら」と決定する人が必要になる。アメリカではこうした私的健康保険が医療内容を決定している。さらには指定医療機関として医者を組織する方向にも向かう。
・ストレスコントロールに悩み、本をたくさん読んでいたりする。指針がほしいのである。そのような状況で、ビジネスチャンスを探る。
・メディカルマインドを背景として、何ができるか。それを探る。
1918
社会的入院が十万人。健康保険では一人一日八千円から一万円かかる。つまり、一日八億円から十億円である。これを外来業務で吸収して行くのだから、パイは大きいと見える。
1919
医師の技量の査定。
どのように査定できるか。患者に受けがよくて、儲けがうまい。そこまでは患者の動きや請求額で評価できる。しかしそれだけではない部分もあるだろう。それは何か。
そもそも医師特有の技量とは何か。どんなものをいうのか。医療経済からいえば、パラメディカルが肩代わりできる部分が多い。アメリカと同じように、日本でも医者の仕事を、もっと安い費用で実行するパラメディカルにまかせるようになるだろう。眼科と眼鏡屋、内科と売薬、精神科医と心理やケースワーカー。
精神科医固有の技術とは何か。
急性期でいえば、単に極量まで使って鎮静させるということで、特に経験も要らず、若い人でも十分である。
回復期ケアは、人手がかかる。一人の医者が五十人の患者を受け持っているようでは何もできない。給料の安いパラメディカルをたくさん雇ってマンパワーを増やすのがよいだろう。回復期ケアに本当の意味での医療技術があるかといえば、本来あるべきであるが、またそれほどたくさんはない。むしろ、開発途中である。
外来やデイケアは、医者でなくても十分である。
つまり精神医療全体を通じて、医者はあまり必要ないということになるだろう。
1920
医療用ベッドのコマーシャル。時代である。在宅医療用の機器は需要が増大する。
1921
もっとも医者らしい医者は精神科医である。単なる医療技術者からもっとも遠い。それなのに、こんな現状である。
精神科患者は精神療法など必要ないのである。
1922
「お医者さんはわたしの話を聞いて、日記をつけるだけ」といった患者さんがいる。確かにそうだ。そんなものを書いて何になるのだ?どうせ治らないのに。治すための営みをしていないのだ。「それでは治療になりませんよ」との指摘だとすれば、患者は正しいのである。
1923
現在の健康保険制度の中で高収入を得たい医者は、薄利多売を実践するしかない。当然医療の質は低下する。医療の質を上げようと思えば、収入は減少する。良心的な医師が報われない制度である。
一人の患者のためにいろいろと調べものをしたりする時間は考慮されてはいない。
しかしながら、どのような制度にすればよいのかといわれれば、答えは容易ではない。医師の技量は簡単な物差しで測れるものではない。
現在の制度は、医師が少ない状況の中で、国民に最低限の医療サービスをとりあえず提供するためのものだ。医者なら誰でもいい、とにかくおおまかに診断して薬を出してくれというわけだ。高血圧モデルである。
1924
集団運営の基本技術
集団場面での問題点を個人面接で取り上げる。この連携が大切。
1925
精神病者の処遇の変化
1)都市の形成
1873年、東京府が市中徘徊の下層市民の狩り込みを行う。狂人、盲人、廃疾者、などが含まれる。精神病院の始まりである。……要するに、農村社会では最低レベルの生活は精神病者にも保証されていた。都市化が進むと、最低保障はなくなる。自由市場の原理は富む自由を生み出したが、一方で最低生活以下の暮らしも生み出した。自己責任の原理では生きていけない人はどうすればよいか?それが問題である。家族は昔の農村のようには機能しない。社会は家族をあてにしている。
始まりの時点から、「排除の論理」である。都市の中でうろうろされては困る人たちを隔離収容した。現在はライ病、視覚障害者、身体障害者などは区別されているけれど、触法患者と分裂病者と知的発達遅滞者とを混在させたままで処遇している。これも悪しき歴史の名残である。
2)脱施設化
薬剤の開発と並行して脱施設化が世界的に進行した。アメリカでは「サービスの配達」の考えに辿り着く。イタリアはトリエステ。日本では依然として家族への依存から抜け出していない。
なぜ日本はこんなにも遅れてしまうのだろうか。キリスト教の背景が欠如していることが原因か?
1926
宮内らの提唱する受動型、能動型、依存型、啓発型は性格特徴とすべきか、それともレセプター論などと関係づけられるか、あるいは他の理論と関係づけられるか。
・受動型
社会生活の経過の上で現状に安住し、自分から変化を作りだそうとしない。生活に不満をあらわさず、万事ひとまかせである。
外部から現状の変化や拡大を迫られるような課題を与えられたとき、混乱、困惑、選択決定ができず、放棄してしまう。形式的、重要なことと些細なこととの区別ができない。融通のなさ、迷いやすい。職業に対する(簡単に働けるといったような)甘い考え、幼稚な倫理観、打算的でけち。
・能動型
社会生活の経過の上で現状に安住せず、自分から変化と拡大をつくり出そうとする。生活にとにかく不満を現し、万事ひとまかせにできない。
名目、資格に対するこだわり、世間体、他人に認められたい、劣等感、気兼ね、自己の評価に敏感、願望をすぐに実現しようとする、馬車馬的、あきらめの悪さ。
生活臨床の五原則
1)時期を失せず
2)具体的に
3)断定的に
4)反復して
5)余計なことを言わない
この方針がうまくいくのが「他者依存型」、うまくいかず禁忌なのが「自己啓発型」。
・他者依存型
困った状況で他者(多くは治療者)からその都度判断基準を教わり、その通り遂行して成功する体験の中から社会的判断基準を体得していくタイプ。
・自己啓発型
困った状況に対して自ら考えたやり方で実践して、その成否の結果から社会的判断基準を体得していくタイプ。治療者が決めてあげると反発する。結論は出さず、「あとはどうするか、自分で決めなさい」といって帰すのがよい。
「親のいうことを素直に聞かない子」であることが多い。
命令すれば反発する。これが判別の切り札である。
1927
分裂病者は「人嫌いで孤独を好む人たち」ではない。手助けをすれば分裂病者は人付き合いをし、それを喜びとする。(宮内)
1928
湯浅の指摘
分裂病者が再発または生活破綻するのは、1)おとしめられる、2)迷う、3)待たされるの場合である。
分裂病者かたぎとは、切り替えができず変化にもろい、正直者で秘密を持ちこたえられない、断り下手で頼むことも苦手、の三つに整理される。
1929
分裂病者の目標設定
「病気をしていなかったら、どんな人生コースを歩んだかを見極める。そのコースにもっとも近いコースを目標とする」(宮内)
1930
精神科病院社会的入院 10万人。これらの患者の社会復帰が課題。入院費は一人一日 8000円。十万人だと一日 8億円。8億円が一年だと2920億円。
一つのクリニックで一億円の請求を想定すると、2920軒のクリニックが営業可能である。その分の精神病院は老人病棟に移行する。
10万床を2920で割り算すると、34人。34人を25日、12か月として10200となる。この人数をデイナイトケアでやると一万円であるが、たいていはデイまたはナイトで十分であるから、入院時の八千円よりは安くてすむだろう。外来患者と合計して約一億円というところか。そんなクリニックが2920軒可能であるということだ。
人件費から見ると、病院では看護婦が一人で8から15といった程度か。デイケアならば看護婦一人当たり30人である。当直なし、日曜出勤なしである。圧倒的に効率がよい。低費用であるから、儲けが大きい。将来、デイケアが安くなったら、老人に移行して、薄利多売を実践すればよい。
1931
クリニックの立地条件として、周辺に競合施設がないことといわれるが、疑問がある。競合しながらもやっているということは、患者が多くて、かつ、お互いに穏やかに営業していることを示しているのではないか。吉祥寺、渋谷、国分寺など。
北千住は人口の割にクリニックが少ないような印象であるが、少ない理由があるのだ。だから、数が少なくても参入余地のない場所なのである。
立川にも西の木クリニックという、困り者のクリニックがある。怪文書を回すそうだ。
1932
北国の人の方が進化が速い。なぜか。
北極探検の場合、一日に6000カロリーが必要だという。不適応状態になりやすいわけだ。そこで外来遺伝子を受け入れやすくなり、変化が進み、適応個体が生き残る。
1933
療養病棟
患者一人当たりの床面積を大きくすることで、社会的入院患者を減らすことができる。患者単価は高くなっても、病床削減に向かわせられれば、行政誘導としてはひとまず成功である。病院側からすれば、効率よく収益をあげ、かつ処遇困難患者を退院させられる。外来に移行させて、デイケアで収益をあげれば増収につながる。
病床があるから、退院は減らないのである。病床回転率を上げようとは考えずに、ただ満床で維持しようと考える。これでは悪循環である。
急性期患者と回復期患者を同じ病棟に置くしかない構造であるから、開放率を上げられない。
1934
措置患者といっても、触法患者と分裂病患者では病理が異なる。一律に、措置解除までは作業療法にも出せないとの決まりは病理を無視したものだ。
1935
薬と精神療法的働きかけ(精神療法とリハビリ、生活全般)の一元化。
薬はドーパミンレセプター遮断作用の観点からCP当量として一元化できる。それに合わせて、精神的働きかけ全般をドーパミン量として換算して考える。そうすれば、ドーパミンを共通の言語として、治療全般を統一的に解釈し、組み立てることができる。
1936
医療費についての良いシステムは?
→どの業界でも、ほどほどのずるをしているのだから、今程度のずるでよいとする考えもあるだろう。
→受診抑制を考えるとして、どの段階で、どの仕組みで抑制するか。
そのことと、弱者保護はどのように両立するか。また、労働人口の健康を確保できるか。結局、税収構造が貧弱になるようならば無意味である。
1937
訪問看護が、「行かなくてもいいような、状態のよい人のところばかりを訪問する」との批判をどう考えるか。
→実際にそうだろう。同じ点数ならば、難しい人は後回しである。しかしそれでは患者は困る。制度の本来の目的を達成していない。閉じこもりの人は放っておいて、外来やデイケアに通っていて状態のよいことが確かめられている人の住まいを積極的に訪問するようになる。これは無責任なサラリーマンとして当然の行動選択である。
→たとえば、外来部門の一部として、外来全体の収入をどのようにして伸ばして行くかを考えさせる。そうすれば、閉じこもりになって通院しなくなり、デイケアにも顔を見せなくなった患者を訪問して、再度受診につなげることは不可欠であると認識される。むしろ、通院の切れた人を訪問することが必要なのだと動機付けができる。
→経営としては、自然にそのように行動が誘導されるような仕組み作りが大切である。そして、現場でどのような問題があるのかを細かく知っていなければならない。
1938
妄想型の位置づけ
30から40歳代に好発。女性に多い。陰性症状は少ない。ただし、シュープを重ねているうちにレベルダウンする。病前性格として強力成分の優位あり。
→女性ホルモンの低下し始めの頃に多い?これはレセプターの固定化傾向と解釈できないか。ドーパミンは上昇するのにレセプターがそれに連れて減少しない場合には、妄想状態になる。??ドーパミン抑制因子の減少が年齢に連れて起こる??……こんな話ではないような気がする。
→部分的妄想の一時的持続状態。これはパラノイアとの連続性を考えさせる。パラノイアは一時的ではなくずっと持続している状態。「妄想」。
→敏感関係妄想は解体型との連続性を考えさせる。「敏感」。
→風景構成法で、かなりの違いがある。やはり別物であろう。
1939
風景構成法とドーパミン理論
風景構成法で空間構成が失われる現象と、ドーパミン理論はどのように関連するのか。むしろ絵画は陰性症状を見ているのだろうか。前頭前野の機能消失が、空間構成消失としてあらわれるのか。老人の風景構成法はどうなるか。痴呆の程度にしたがってどのように推移するか?
空間構成の中枢は、前頭前野にあるのか。あるいは、ドーパミン系にあるのか、知りたい。
1940
コンピュータの比喩
インテルのチップは、今回も「ある特定の演算をするとエラーが出る」タイプの不良が見つかったという。しかしそれはソフトで回避できるし、そもそもかなり稀な演算であるとのことだ。
これは、もともとハードに欠陥があり、普段は問題ないものの、ある特定の場面で欠陥が露呈するということで、分裂病のストレス脆弱性モデルとよく似ている。そしてソフトで回避できるというのは、環境調整などにあたるだろう。
躁うつ病は、熱を持ちすぎてダウンする現象に似ている。クールダウンさせれば、元に戻る。場合によっては損傷も起こる。
フロイトのいう、精神神経症はハードディスクに格納されている昔の記憶またはソフトの問題。人間は幼児期に現実を参照して脳にソフトを入れる。そのソフトが間違っていると、生涯を通じて間違いが反復される。
現実神経症は、現在のキーボード入力の問題。間違ったキー操作をすると、悲鳴があがる。
子供の頃に頭に入れたソフトが通用しない世界に生きることになったらどうすればよいのだろうか。そんな問題も現代では存在しそうである。
比喩を語るとして、ハードディスクの記憶は一部CPUに取り入れられることもあるので、やや工夫が必要である。基本的記憶はCPUの一部に格納されるのだ。
そしてその重要な記憶の部分を操作しようと思えば、退行を引き起こしてその記憶の層を露出させ、操作を加えることになる。転移現象を利用するので、集団場面での転移・退行を利用するのが近道である。
1941
精神病者は人に嫌われるような性質を持っている。もともとの性格なのか、直接に病気のせいなのか、間接的に病気のせいなのかは知らない。
これを精神病の定義としてもよいくらいである。「精神病とは、他人に嫌われ、見捨てられる変化を残す病気である」「自分が嫌われていることに気付き、絶望したり居直ったりするとますます嫌われる性質を帯びるようになる」
たとえば知能発達遅滞者は家族や周囲の人に愛されている。そうした場合には精神病者とは呼ばない傾向がある。
1942
「精神障害と犯罪、放浪、不信心の関係」。なるほど、不信心は重要なことであった。
1943
家庭医制度の問題。
1944
病院を解体して、受け皿づくりがうまくいかない場合、刑務所、ホームレス、民間療法に患者が流れる。
1945
レセプター量のセッティング。
胎内環境に合わせるはずはないだろう。出生後の環境と違いすぎる。出生後もしばらく感覚器官は未発達である。
可能性としては、母親が受けている刺激に対応するだけのドーパミン量に合わせてレセプター量がセットされる仕組みがあるのではないかとも考えられる。
→検証には双子が使える。二卵性双生児の出生直後の死亡例などが手に入ったら、ドーパミンレセプター量を調査したいものだ。
1946
ストレス負荷量上昇、薬減量、しかし再燃には至らない、そのような調整をするのがRRR理論。
→ストレス耐性とストレス量のグラフ。下の交差点が16で、上の交差点が40である。16以下だと、16に近付くためにアップレギュレーションがはたらいてレセプター量が増えてしまう。これは薬剤により見かけ上のレセプターが減少した状態になっているからである。
16から40の間に維持すれば、ダウンレギュレーションにより、レセプターは減少する。ただし、40を超えてしまえば再燃状態となるので、それは避けなければならない。
悪い治療計画では、ストレス量を上昇させると、心配だから薬を増量、結局トータルのレセプター量は増やしてしまう。これは敏感さを増大させていることになり、反治療的である。
1947
ホルモンと分裂病
女性ホルモンは、レセプター調整の「窓」を開ける働きをする。外界に合わせて自分を変えて、適応しようとする。
男性ホルモンはレセプターを増やす。(または、同一刺激に対してドーパミン放出量を増やす。)環境に対して敏感になる。敏感さは自分が恋愛しているという「妄想」を引き起こす。(ただしこれは妄想とはいえない。)敏感であるからイライラする。イライラを解決するためには自分を変えるのではなく、環境を変える。したがって、男性の場合、恋をしやすく、自分に合わせて環境を変える傾向がある。ここから建築や土木の傾向が生じる。
思春期男性は女性ホルモンと男性ホルモンの両方のピークを迎える。(特に女性的な傾向を持つ男性。)窓は開かれ、同時にレセプター増加の圧力が高いので、分裂病解体型を発病しやすい。
慢性関節リュウマチは分裂病と排他的である。なぜか?
慢性関節リュウマチ……若い女性に多い……女性ホルモン
分裂病解体型……若い人、特に男性で早く発症する……女性ホルモンと男性ホルモンの両方の高値……閉経後は少ない
上記のことから、女性ホルモンが多ければ分裂病が軽くなるといった簡単な関係ではないようだ。男性ホルモンとのバランスが関係しているのではないか?クラインフェルターやターナーが連想される。
ホルモンは免疫系の関与を予測させる?
男性は外界を遺伝子で取り込む。この世は遺伝子の適応の実験場である。適応がよければその遺伝子を残す。適応が悪ければ変化させる。うつ状態はその引き金である。→過大なストレス時に、うつ状態で反応する個体と、妄想状態で反応する個体と。しかし分裂病でもうつ状態になる……分裂病という内的「ショック」「ストレス」に対して、うつ状態で反応しているとも考えられる。
女性は脳に取り込む。女性は自分が個体として生き残る。そうでなければ子育てができない。
男と女は対等で平等な「人間」などではない。
男とは、遺伝子の適応の実験場である。女はその実験結果を次世代に伝える装置である。つまり男は一種の消耗品であり、実験的な試みである。女はもっと確実な何かである。体の装置の大部分を共通部品で組み立てられているにすぎない。
→治療
男性ホルモンを抑制する。これでかなり軽症になる。
女性で、分裂病になる人と慢性関節リュウマチになる人とはどう違うのか?「強い負の相関」の実態は何か?
→分裂病者に免疫系の異常はないと考えられるが?
1948
分裂病は、発生の途中で脳にダメージを受けた結果であるとする考え方。そのダメージは、思春期になるまで損傷としては発現しない部分である。男性の方が早く多いのは、社会的に早く重い活動が始まるからである。
1949
微小再燃の話
微小再燃の状況を把握することによって、その人の限界ストレスを知ることができる。それを上限として、日常ストレスを提供すればよいわけだ。
→治療の進行に応じて、ストレス耐性は上昇するのだろうか?
→ストレス耐性の向上は、普通人の場合にも大きな課題である。ストレスがかかったときにも、頭が真っ白にならないですむ人間になっていること。
→それはいかにして可能であるか?
グラフで考えられるか?
1950
男性は子供の頃から集団機能で劣っている。それなのに女子と同じ集団教育をするのは逆差別というか、悪平等というか、男子に過酷な状況である。
1951
MRのリハビリは、別に考える必要があるだろう。
病棟でいろいろな患者が混じっているのが面白いという面もある。
1952
RRRプログラム
Receptor Reduction Rehabilitation Program
アップレギュレーションとダウンレギュレーションを利用してドーパミンレセプター量を調整し、分裂病を治療しようとする考え方。ストレス負荷量を増やしながら薬剤量を減らすことにより、薬剤で遮断されていない部分のレセプターにダウンレギュレーションが働くようにすると、レセプターが減少する。このことにより、分裂病者の過敏さを根本的に治療する方法である。臨床応用は今後の課題である。
1953
分裂病者の過敏さの二つのタイプ
・レセプター過剰
・ドーパミン反応性の過剰。つまり、ストレス・ドーパミン曲線を描いたとき、その傾きが急激すぎる。少量のストレスで過剰なドーパミンが放出される。
・分裂病で、ドーパミン代謝産物はむしろ減少していると報告されているのは、レセプター過剰で説明される。
・しかしまた、普段のストレスに対してのドーパミン量は少なすぎるのに、やや過大なストレスに対しては、過剰すぎるドーパミンが放出される。このような反応特性曲線を想定することもできる。
・上記の二種は、ストレス→ドーパミンの変換プロセスの異常と、レセプター量の異常の二種である。そのほかにも異常は考えられ、たとえば、DA×R=ZでZを16とか40とかに想定しているが、この設定値が大幅にずれている場合が考えられる。
1954
不適応状態に対して、進化で対応する人と退行で対応する人がいる。違いは何か?新しい行動様式を開発して試す人と、古い行動様式を持ち出して反復する人。新しい行動様式を試してみるためにはある程度の余裕がないといけない。そのような余裕とは何だろう。
端的に言えば、気持ちが未来に向いている人は新しい行動を試みることが可能である。気持ちが過去に向いている人は古い行動様式を反復する。
フロイトの説は、過去の反復を言う。つまり、人間の行動の半分だけを語っている。そして病的になるときはたいてい過去の反復であるから、病気についてのフロイトの精神分析は正しい。しかし病気ではないとき、人は新しい適応を試し続けている。
反復だけの人生になっていたとしたら、それは病的だといえる。
1955
ベトナム帰還兵、ことに捕虜収容所での虜囚体験を持つ人々の精神変調。PTSD。
大きなストレスとして、精神分裂病の自我障害体験などは、非常に大きなストレスであると考えられる。世界が没落して変容すると感じられるほどの体験である。分裂病の場合、反応性の部分、つまり神経症成分がどれだけ大きいか、考え直してみる価値がある。
分裂病体験は非常に大きなトラウマである。
また、精神病院への収容体験は、虜囚体験と比較してどうであろうか?劣らず大きなストレスである。
つまり、分裂病性の自我障害を体験すること、精神病院に収容されることは、どちらもPTSDを形成するに充分な体験である。
1956
「屈辱体験の苦しい記憶をいかに解消してきたか、自分の尊厳を失わずに現実の生活に適応し続けるためにはどのような自己調整が必要だったか」について、シベリア抑留体験者との面接によって学んだ。
1957
受診者ではないが精神的苦境にある人々
育児困難で悩む母親、不登校児、いじめに苦しむ子供、学習障害児、会社での適応にあえぐ中年、孤立無援の独居高齢者など。
こうした人々に積極的な支援をすることはできないか。
1958
拒食症と不登校の診断と治療
・診断
まず、拒食や不登校は行動化であり、最前景にある。その背後には前景病理としての強迫症、不安、離人症、うつ状態、被害的状態、自我漏洩などがある。その背後に背景病理としての、分裂病、躁うつ病、神経症、人格障害などがある。こうした三層構造を理解した上で、診断にあたる。
最前景に何があるかは当然分かる。前景症状として何があるかは、訓練して習熟する。背景病理に何があるかは、遺伝負因、病前性格、生活歴、「人格の手触り」などが参考になる。
・治療
背景に分裂病がある場合は、薬剤。これでイライラが鎮まり、背景の分裂病性病理が緩和される。
背景にうつ病があるときには、薬剤と休息。
背景に神経症があるときには、「あなたの本当の問題はどこにあるのか、考えてみよう。食べられないことが本当の問題でないことは自分でも分かっているよね」と面接を進める。直面化のタイミングを探る。言語化できず意識化できないから、行動化していると解釈して、内面の成熟を促す。「このままでは立派な大人になれないよ。仕事もいい仕事はできないし、結婚だってできないかも知れない。そうなったら困るでしょ。今は学校に行かないだけだからいいけれど、大人になったら大変だ。今のうちに解決できるところは解決しておこう」などと導く。
人格障害の時には、治療構造を明確に設定して、枠を内在化できるように付き合う。
全体として、養育のセンスが大切である。おおむねは受容しつつ育てる方向がよい。本人の好みに合わせて、読書(渡辺和子など)、音楽(難しいが、探す。成熟への悩みなどのテーマ)などを利用する。日記や絵画を利用するのもよい。退行させすぎず、育てること。
1959
「分裂病の最終解決」というタイトルで本を書く。RRR理論。
「うつ病の最終解決」でも書く。
1960
今の分裂病論である、「時間遅延が自我障害をうむ」その背景には三極構造があり、「現実モデル、空想産生、照合」の三つと想定される。
このモデルとドーパミンモデルは接点を持つか?
Liddleなどの最新の考察と対比してどうか?彼は、症状相互の関連の分析から、分裂病症状を「精神運動貧困(会話欠乏、感情平板化、自然な動きの減少)、解体(思考形式の障害、不適切な感情、会話内容の貧困)、現実歪曲(幻聴、妄想)」と三分し、それぞれ「前頭前野背外側部、前頭眼窩、側頭葉内側部」の部分の機能低下に原因があるとしている。これらは相互に排他的ではない。
クローの二型との関連は、一型は現実歪曲型、つまり陽性症状タイプ。Pタイプ。二型は解体型と精神運動貧困型、つまり陰性症状タイプ。Hタイプ。
Tsuang & Winokur。のちにクロー。
妄想型は、よく組織化された妄想や幻聴、25歳以降の発病、思考解体や不適切な感情を欠く。陽性症状中心。抗精神病薬によく反応する。症状は可逆性に回復。知的障害はない。D2レセプター増加が想定される。
非妄想型は、25歳前に発病し、思考解体、感情平板化、不適切な感情、奇妙な行動、運動の変化などの特徴がある。陰性症状中心。薬に反応しにくい。知的障害や異常な不随意運動を伴うことがある。脳の形態学的変化を伴う。
→批判。
陰性症状は一過性のこともある。(これは廃用性能力障害であったと解釈できる)
陽性症状が持続することもある。(薬も効かないことがある。ドーパミン系ではないのだろう。では、薬で消える症状との違いはあるのか?)
陽性症状と陰性症状が同時に存在する症例もある。
AndreasenはP,N,Mixedの三種に分類した。
しかしこれら二種や三種の症状は、重症度に差があるだけであるとする意見もある。
1961
陽性症状は側頭葉内側部の発達障害による症状。研究の焦点となっているのは、辺縁系の中核をなす、海馬本体と海馬傍回(おもに嗅内野)からなる海馬領域と総称される部分。
陰性症状は前頭前野における機能喪失症状。hypofrontality。しかしこれは、脳の中で特に脆弱な部分というだけかもしれない。非特異的なダメージにより失われやすい機能である。
しかしながら、前頭葉にグリオーシスは見られず、したがって、成人後の変化とは考えられない。または、はんこん化を残さないタイプの神経死のシステム。
1962
分裂病の成因を議論するときに、何が分裂病であるか、それをも含めての議論になるのでややこしい。この症例とこの症例は同じ、または違う、何が違う、そのあたりを明確にしつつ議論したいものだ。
Xが増加したものも減少したものもあるという結論は、Xが分裂病に関係ないのか、増加するタイプと減少するタイプがありどちらも分裂病なのか、そのあたりが分からない。
1963
試み
高知あたりに老人の理想の村を作りたい。老人がただぶらぶら遊んで老後を過ごすのではなく、税金を払えるくらいの生産性の高い村はできないか。高知はただ観光で食べてゆくのではなく、工夫を凝らして働ける場所。特に老人の特性を生かせる仕事と環境。どうにかならないか?さらに、老後の暮らしを若年層の生産に頼るのでは今後は限界がある。若者が少なくなり、老人が多くなる。爆発的に多くなる。この状況に対して、老人の新しい生き方を提示すること。
1964
Liddleの三症候群仮説と今の仮説
精神運動貧困……空想産生力低下……前頭前野背外側部……Word generation
解体……現実プールの不全……前頭眼窩……Stroop test
現実歪曲……照合不全……側頭葉内側部……Internal monitoring
1965
分裂病者はレセプター調節能力が弱いのだと考えてみる。患者の場合、もっとも可塑的だった時期は胎生期から幼児期である。その時期に暮らしていた環境にちょうど合うようにレセプターが固定されてしまった。
その後の生活の変化にうまく適応できない。つまり、環境に合わせてレセプター数を変えられない。
分裂病者の内弁慶。外では分裂気質の引っ込み思案を呈するが、家ではわがままに振る舞う。家でのドーパミンレベルにセットされたままなのだろう。
関節が固い人があるように、レセプター数の変化が起きにくい人がいるのではないか。どうすれば変化が起こりやすくなるか。 →女性ホルモンが有効なのではないかと推定する。
人生初期に家庭内のドーパミンレベルに対応してレセプターがセットされるのだから、家庭生活が社会生活と同程度のドーパミンレベルであれば、その人は社会の中でそれなりに生きていける。
この点では、分裂気質の家庭は不利である。社会とは隔たったドーパミンレベルである。この点で、親が分裂気質であることは不利に働く。
ドーパミン・レセプター曲線の様子として考えることもできる。
なかなか変化しないが、ある点を超えると急激に上昇する。そのような特性を仮定すれば、分裂病を説明しやすい。そのようにして陽性症状が始まる。陽性症状は、脳内の未知のプロセスを促進して、結果としての前頭前野機能の低下を招く。
1966
分裂病の仮説を考えるにあたって、満たさなければならない条件がある。しかしこの条件と分裂病の異種性が関係するのでややこしい。
・発症年齢
・性
・シュープ
・レベルダウン
・慢性関節リュウマチとは排他的
など
1967
脳腫瘍→幻聴→引きこもり(身体病モデル)
背景病理→前景症状→最前景行動
分裂病→思考障害→引きこもり(固有の精神病モデル)
時間経過の特性→場所の特性→これらの状況に対する反応
精神医学のこれまでの蓄積から、背景病理として、精神科領域に特有の病態があり、分裂病、躁うつ病、神経症、性格障害などがあげられる。これら特有の病態の特性をよく示すのは何といっても「時間経過の特性」である。「場所の特性」は前景症状にむしろ関係する。クレペリンは偉大であった。
分裂病→体感幻覚→引きこもり
背景病理→内的体験(主観)→行動・表出(客観)
1968
セルフアイデンティティ
脳の中にはいろいろな行動様式が記録されている。人生のいろいろな時期でのいろいろな場面での対人関係が記録保存されている。それらを適切なタイミングで出すように調整しているのがセルフアイデンティティという部分である。人はいろいろな面を持っているのが普通であるから、その人らしさとは、どの場面でどんな行動をとるかの選択にかかるところが大きいといえるだろう。ここがセルフアイデンティティに関係している。全くばらばらにいろいろな面が出てしまうのが多重人格である。
1969
患者さんはかわいそうか?
患者さんは可哀想だから、保護的に、守ってあげなければならない。社会なんか冷たくて無理解だと考える人たち。
一方、患者さんも一人の人間として精一杯努力する必要がある。仕事はいやだけれどどうにかしなくてはいけない。生活保護をもらっていれば楽だけれど、それでは人間がダメになってしまう。人間としての誇りが保てなくなってしまう。なぜ自分の価値を切り下げてしまうのか。
私も一人の人間として精一杯生きている。患者さんにも同じように精一杯この厳しい社会で生き抜いて欲しい。この態度が人間的連帯の態度ではないだろうか。
患者にはどうせ何もできないとするのも間違い。何ができるか性格に評価する。
患者は本来何でもできると考えるのも間違い。
分裂病と告知された瞬間に、患者さんの人生は停止してしまい、自己価値はどうしようもないほど低下してしまう。そのような前提があるから、仕事や社会復帰の場面でプライドを取り戻せといっても、無理なのではないか。
1970
分裂病性被害妄想も、反応性の成分がかなりあるはず。
プロ野球の審判で、アメリカから来ていた人が帰国した。中日の大豊が判定に不服で胸を突いたという。「恐怖を感じた」とコメントして帰った。この場合には、慣れない外国での孤独や不安を背景として、事件があり、やや被害妄想的な要素もなかったわけではないだろう。このように被害妄想は人間に普遍的な反応である。だからこそ、分裂病であのように高い頻度で見られると考えられる。
分裂病では、被害妄想が直接起こっているのではないだろう。まず分裂病性の変化が起こり、それは「異国での孤独」に似た何かであろう。そこから反応性に被害妄想が発展するのだろう。この点では、敏感関係妄想の考察が役に立つのかもしれない。
1971
デイケアでの仕事
対人関係や生活に関しての、現在の問題点を把握。次の目標を提示。
多様な転移関係を観察する。観察の結果を個人面接で生かす。
デイケアで有利なことは、多様な転移関係が展開される点である。
1972
症状の構造化。どれが前景でどれが背景なのか。何層の構造を仮定すればよいのか。→それは当然個人によって異なるものだろう。しかし前景症状群と背景病理はやはり二群に区別できそうである。
たとえば不登校で考察する。
不登校という問題行動に至るには原因がある。それは主観的、客観的に把握される。
背景病理→→前景症状群(前景症状群も構造化する。神経症性の症状形成はたいていどの場合にも見られる。)
起立性低血圧→→朝起きられない→不登校→不安→家族への甘え→付随症状
分裂病→→自我漏洩→不登校→昼夜逆転
背景病理にはどれだけのものがあるか?
・神経症という言葉はやはり使わない方がよいかも知れない。パニック障害と全般性不安障害については神経伝達物質の異常の想定もあるので、背景。
強迫性障害と離人性障害は、前景。
・あとは分裂病、躁うつ病、人格障害。
・アルコール症については、やはり背景に人格の病理がありそうである。薬物起因性障害も人格の問題がありそうである。したがって、アルコールや薬物は前景、背景は人格障害その他である。
前景症状→主観症状、客観症状の構造化。しかしこれだけでは完結しない。背景病理を別に考えて立体的に把握する必要がある。
1973
青梅、八王子でなぜ特に地域精神医療が必要なのか
病院が多い。社会的入院が多い。これらの患者さんの社会復帰を進めるとして、住居地域はやはり病院の近くであろう。しかしそうした計画は病院が単独で考えて済むものではない。地域に住む患者は病院の付属物ではなく、地域住民になるのだ。社会のありようが、患者の住み易さや再発率を決定するだろう。
家庭に帰る患者のために家族教育をするように、社会に帰る患者のために社会を教育する必要がある。そしてそれは社会で生きる非精神病者の人生をも深めるのではないかと思う。社会の心の問題である。社会の心を治療する必要がある。
1974
東京武蔵野病院はシステムとしては整備が進んでいる。東京都や厚生省の情報が素早く入るので対応も敏速である。いわゆるいい病院である。しかし実際に足を運んでみた印象では、勤めたら大変だろうなと思う場所である。
全体の雰囲気が何か荒んでいるのである。結局、勤務はしなかった。
いまから思えば、本当に患者さんのための場所にすればあのようになるのだろう。医者や職員のための場所にすれば患者には居心地が悪くなるのだろう。あの荒んだような感じは患者の生き方そのものなのであろう。
だとすれば、わたしは付き合いたくないのだ。
一方で、青梅の病院は職員にとっては過ごしやすい場所である。しかしそれでは患者のためにはなっていない。鍵をかけて人権を一部制限していることの自覚がない。定期預金の利息をみんなで分けているようなものである。
デイケアも形を変えた収容主義である。
このような形の収奪にもわたしは付き合いたくない。
1975
Normal-good
|
Normal-bad — Psy
作業能力の点では、正常者の能率が悪い人たちと同列になるだろうが、精神科患者と正常低能力者とを同一視してはいけない。何かが違う。そしてそのせいで仕事が続けられない。何が違うか。認知の点で違うこともある。性格の点で違うこともある。もともと性格が悪いというのでもないが、病気のせいで自尊心が傷付き、自己評価が低くなっている面もある。
この違いを正確に見られないことが診断技術の劣悪さである。
しかしこのように立体的に見ることが大切である。
1976
患者は長期戦。医者も長期戦。これが辛い。医者は半年ごとに交代するなどすればよいのに。そのような仕組みができればよいのに。
1977
燃え尽き症候群
斉藤君の状態は一種の燃え尽き状態である。懸命になる人ほど陥りやすい。どうするか?どうしようもないのではないか。絶望的である。人間の社会はこうした行き止まりを抱えている。
1978
仕組みで援助する。援助の形を工夫する。
生活保護で現金を与えるのは本質的な援助にならない。違う援助を工夫する。
実際に儲かって、マーケットで勝負できる仕事を考える。その仕事を一般人に開放しないで、精神障害者に限定する。その点がボランティアである。そのような革新的な援助システムができないか。
老人や精神障害者が、自分なりに働いて、生活保護異常の収入を得て、税金を支払うこともできる。そのための仕組みの点では工夫を提供して上げる。現金を支給するのではなく、そのようなものを支給することで、社会参加のチャンスを与える。
このように考えたとして、問題は恐らく、障害者の性格だろう。自尊心の傷付きから立ち直るのはかなり大変だろう。
1979
内科のゆす先生。「老人をせっかく治したのに、まだ退院はさせないなんて言われた。一体この病院は何をしたいのか分からない。」
利息を産む定期預金だから、退院させるわけにはいかない。
結局社会復帰システムがない。なければいまのままで儲けはあがる。
1980
生保の問題
障害年金
32条
企業内の援助
家族内の援助
これらの問題は共通している。
1981
火曜日の飲み会では閉鎖病棟でコーヒービンをどう扱うかが、看護の間で問題になった。イライラしている人がいればびんごと投げつけたり、割ってその破片で切りつけたりといろいろ考えられる。しかし一方で、スティックコーヒーはミルクや砂糖の調整ができないので味が悪いという。入院生活を少しでも人間らしいものにするためにはビン入りのインスタントコーヒーを持たせた方がよいという。
折衷案としては、コーヒーのビンからビニルのタッパーに詰め替えて渡す。しばらく様子を見て問題がなかったらビンに移行する。
解決は、
1)ビンを渡すかどうかは、60人をマスで扱うべき問題ではない。個々人の病理に応じて、ビンで渡してもいい人と渡しては危険な人がいるだけである。その病態を見きわめる目があるかどうかがまず問題である。
次に、それらの種々の人をマスで扱う今の病棟運営が問題である。60人の閉鎖病棟があるから鍵をかけられたままの入院患者が60人発生してしまうのだ。
2)ビンのことで悩んでいるくらいなら、どうして社会復帰システムの確立に力を入れないのか。この病院には社会復帰システムが欠けているのだからつくる。そして地域精神医療システムをつくり、病院からスムースにつながるように仕組みをつくる。このようなビジョンの中で考えるべき問題である。大局的な感覚が大切である。たとえば風呂を週に二回から三回にすると提案があって、何を根拠に考えるのだろうと思案してみても、いい解決はない。厚生省の指導が週に二回が基準なのだからとりあえずそれでいいではないか。病院が努力すべき方向は、地域精神医療とどのように結合させていくか、板橋、世田谷地域に大きく遅れている現状をどうするか、である。本人の意思ではなくて青梅の病院に措置入院になった人に、地域格差を残したままで我慢させておいていいのか。鍵と薬で人権を抑圧していることの自覚がなさすぎる。
1982
沖縄では植樹祭で天皇が訪れるなどの行事があるたびに精神病院が増える。いったん増えた病棟は減らない。そこで患者も退院にならず、いつまでも入院させられたままである。
1983
ロジャーズの必要十分条件とキリスト教
セラピストの側で純粋性、無条件の肯定的配慮、共感的理解の三条件が満たされれば、クライエントの側に成長への変化が生じる。これはキリスト教的愛そのものであるとの指摘がある。
人が自分のありようを直視する(純粋性)とき、愛の不可能性に直面する。こうした自己の罪を見つめるとき、もはや人は決して他の人を裁くことはできなくなっている(無条件の肯定的配慮)。そうした「罪人としての自己」への絶望のなかから、人は本当の意味での神の愛を識り、人と人とが本来は神の賜物である御霊によってひとつに結びあわされている存在であることを識る。そのことにおいて人は、はじめて愛が可能となる(共感的理解)のである。
わたしの考えでは、共感的理解はまた別の側面があると考えるが、純粋性と無条件の肯定的配慮については上のように考えることができるであろう。
共感的理解とは、セラピストが自分の心理的歴史をいったん白紙にして、クライエントの心理的歴史に寄り添うことである。これは神の子としての共通の立場に立つといっても良いだろう。共有しているものがいかに多いか、そこから出発できる。
1984
先日見学した茅ヶ崎中央病院グループ。
女性職員はおおむね印象がよい。男性職員は印象が悪い。なぜか。
病院組織は伝統的に優秀な男性職員を雇用しにくいのだろう。男性医者と女性パラメディカル(典型的には看護婦)、これが基本形で、事務部門の男性職員は男性医師との格差もあって雇用が難しいのではないか。
1985
将来、発症後または入院後六ヶ月以後は全部介護保険の対象にして、定額制にすることも考えられる。
医療保険をどうするかの問題。定額制が待っている。
1986
茅ヶ崎中央病院グループは、将来ビジョンがはっきりしている。働くものにとっては将来ビジョンがはっきりしていれば現在の努力の意味が分かるので大変良いことだ。老人医療を中心としたケアミックスである。
1987
分裂病とSSTについて
○まず分裂病の特質と治療、レセプトではどう考えられているか
・分裂病の特質(シュープを繰り返してレベルダウンする→再発予防が大切)、陽性症状、陰性症状、廃用性能力障害、病前からの性格・教育・経験の問題
・モデルとしてのストレス・脆弱性モデル
・急性期と回復期、維持期→それぞれの時期のケアのあり方
・回復期リハビリの内容→ターゲットは何か……SSTは陰性症状を良肢位固定で補う方法、OTは廃用性能力障害に対しての方法。療育の観点も大切。
・レセプトではどう考えられているか、レセプトの枠組みを利用する。
○SSTの基本的考え方、これもレセプトに則して
・基本障害としての状況意味失認とは何か、どう対処するか
・「どうも」の例
・個人の問題点を見抜く力……リバーマンの例
・その解決を見つける力……特殊教育現場の蓄積
・練習の方法は行動療法理論・社会的学習理論……強化と般化、モデル、ロールプレイ
○SSTの技法
・やさしいSSTなど参照
・個人やグループの特性に応じる。
○批判
・患者同士で学ぶのも良いが、それでは不十分。できるだけ健常者の中で、健常者をモデルとして学ぶのがよい。院内で患者同士のつきあいに適応してしまうのはよくない。
・訓練もときにはよいが、ストレスの程度をよく考える。生活全体のストレスをコントロールしながら、これがもっとも大切。
・目標実現に一所懸命になるあまり、その時間が楽しくなくなるのはよくない。
1988
勝つ組織。そのための仕事。
・病院として将来戦略をどう考えるか。医療のあり方を含めて提案できる病院。そのような病院計画のポジション。
・また、医療の人事管理。どのような医師が望まれるか。それはどこにいるか。どのようにして組織に導くか。組織の望む医師像をどのように伝えるか。教育をどうするか。態度の育成をどうするか。メディカル・マインドにとどまらず、一歩進んだ医療法人としてのマインドをどのようにして作り上げてゆくか。
・積極的に社会に問いかける病院組織。提案型組織。レセプトを前にして萎縮する診療ではなく。
1989
神戸小学生殺しの容疑者が中学生だったことで、学校にカウンセラーを置こうとの提案がある。
・カウンセラーに対して過剰な幻想を抱いている。
・カウンセラーがいるから甘える。
・結局共狂いするだけである。
・ACの話などをして、免罪符を与えるだけ。幼児虐待カウンセラーも結局あなたが悪いのではない、あなたはむしろ被害者であると慰める。気分は楽になるだろうが、それだけ。
1990
カウンセリングの成功・失敗は、カウンセラー側の条件によるのではなく、クライエントとにもともと備わっている体験過程に触れる能力次第であることが証明された。
身体レベルで感じられているがまだ概念化以前の「感じ」が、ことばやイメージによって象徴化されていくときに、人格の前向きの変化が生じる。この過程が体験過程である。(身体を通して実感する過程ともいわれる)
建設的な経験とは、経験と自己概念とが一致するときに生じる。
治療者が一致して、共感的で、無条件の関心を持っているとクライエントによって知覚されればされるほど、クライエントの建設的な人格変化の過程が進む。
言語やイメージによる明細化ともいえるだろう。
1991
はじめはクライエントは経験や概念に対して閉ざされ、固い構えを持ち、流動的でない状態である。最後には経験に開かれ、流動的でいきいきと動いて、ありのままを受容できる状態になる。ロジャーズはこの間を七段階に区分した。
1992
ラマ・イエシ「ブッダとは単にまったき目覚めた者を意味するにすぎない。西欧は西欧のブッダを産めばいい」
ラマ・イエシの瞑想センターにまず最初に集まってきたのは、放浪、ドラッグ、自殺未遂などの前歴を持つヒッピーたちであった。
精神療法とこれらのタイプの人たちとの関係は深い。単なる「崩壊した者」としての扱いで終わるものでもないだろう。トランスパーソナルでいう、プレとトランスの錯誤に陥ってはならない。
逆に、プレをトランスとして扱っていても失敗する。診断技術を磨く必要がある。
1993
高齢者のうつ病の場合の精神療法
・治療者と患者という立場を超えて、人生の先輩として、治療者が患者から何かを学ばせてもらうという態度を忘れるべきではない。治療者が患者の人生の智恵を教えてもらうような姿勢をとることになれば、患者の頑なな態度も自然に和らぎ、それまでうちに秘めていた苦悩を語り始める糸口になる可能性が大きい。
・人生回顧療法……写真や日記を手がかりに、人生を振り返り、家族の歴史を振り返り、人生の達成を再確認する。人生を回顧し、自らの人生の意義を見いだし、自己の死を受け入れていくことは、老年期の課題である。
・人生の意義を見いだすことができて、生き生きと暮らしていたその頃と比べて、今はどこがどのように変わってしまったのだろうか?人生で何が残されていれば、生きていく価値をもう一度探り当てることができるか?死を口にするとしても、治療者と患者の間に良好な関係が築き上げられているならば、死を話題にすることをタブー視する理由は一切ない。
1994
認知療法・三種の問題点
・認知の三徴……自己・将来・世界に対する否定的見解
・否定的なスキーマ……自動的に生じる否定的思考
・認知の歪曲……二者択一的思考、過度の一般化・自己関連付けなどで代表される一連の非適応的な思考法のパターン
これらの一連のパターンは修正可能である。
1995
胎教
まさに胎内でのレセプター形成期に、4×4パターンを形成するように注意することである。母親の生活を4×4のパターンに作ることである。
モーツアルトがなぜよいか、それは4×4パターンを作るからである。
1996
なぜ人は辛い人生にはまりこむのか?
苦しくても欲しい何かがあるからだろう。
1997
ロジャーズの純粋または一致を、誠実と呼んでみれば事態がはっきりするように思うがどうか?
1998
フォーカシングを、未分化な感覚から、言語やイメージによる把握への移行としてみるならば、それは一種のロゴテラピーともいえるだろう。言語やイメージにより詳細化すること。詳細化する過程で自分を客体化して把握する。そこに成長が起こる。
1999
神戸小学生殺人事件の教訓
心理学、精神医学、教育学の「専門家」のレベルの低さ。発言が正しいか否かの検証が全くない。たとえば文学的感動を競うことに似ている。科学的真実と文学的感動の錯誤がある。
こんな世界にはへどが出る。
2000
「国家の嘘と犯罪の中にいて、指一本出せなかった戦時への悔恨」
精神医療や精神病院の現場にいて、現状のままに安住するのではいけない。それは嘘と犯罪の中にいて、反省しないことと同じである。