新自由主義を修正して行く前に、知的財産権のことを問題にしてほしい。
確かに思いついたことは立派だけれど、
そして思いつきを形にするまでにはかなりの資金もかかったのだろうか、
だからって、資金回収に走っていいものだろうか。
昔流でいえば、「皆さんのおかげで」成功したに違いないのだ。
どんな先行研究にも頼らなかったわけでもないだろう。
それらの知的財産権のいちいちに「おかね」を払うことは、いったい科学研究と何の関係があるのか?
研究職としての給料があれば、それでいいではないか。
どう考えたって、それは人類共有の財産である。
それを誰にもただでは許さず自分だけのものにしておく態度はどう見ても科学的ではない。
知的財産管理団体とかそんなものが例によって天下り団体で活躍しているのではないか。
30問、60年、70年もここで決めているらしい。
無論、研究には莫大な資金がかかった。それを回収しないと、次の研究ができないと説明される。
多分そうだろうと思う。
このあたりにも、アメリカ資本主義的思考が浸潤している。
発明はみんなのもの、と平明に語る文化を選択できないかと思う。
だってそれが当たり前だもの。
おしえて言われて教えてあげるじゃないですか。
その後、一回使ったら10円なんてそんな話はないだろう。