こころの辞典2101-2200

2101
シュナイダー。異常心因反応。外的体験反応と内的葛藤反応。ストレスと性格に対応する。いわゆる神経症はストレスと性格のかねあいで、結局のところ、適応障害といってもいいようなものだろう。

2102
過換気症候群 hyperventilation syndrome =過呼吸症候群
不安神経症のひとつのタイプで、パニック障害や心臓神経症の病理と類似する。心理的ストレスが発症に強く関係し、深く速い呼吸を繰り返す結果、動脈血CO2分圧が低下し、呼吸性アルカローシスとなる。呼吸困難、動悸、胸痛、四肢がぴりぴりするしびれた感じ、筋けいれん、意識障害などが起こる。発作時の不安は激烈であり、予期不安に移行することもある。治療は抗不安薬抗うつ薬、精神療法、自立訓練法などがよい。症状の成り立ちをよく理解していただくことが治療の第一歩である。緊急時には呼吸性アルカローシスを改善するために紙袋を口にあてて吐いた空気を再呼吸するとよい。またジアゼパムの注射も用いられる。若い女性に多く、この症状で救急車で運ばれる人は、東京で1年に12000人以上である。

2103
アダルトチルドレン AC,ACOA:Adult children of alcoholic(アルコール依存症の親のもとで成人した子ども)
親がアルコール症で、家族機能に欠損があったために、成人してから苦しんでいる人たち。親がアルコール症以外でも、薬物依存やギャンブル依存などで家族機能に欠損があった場合には同様のことが起こりうるので、ACOD:Adult children of dysfunctional family (機能欠損家庭で成人した子ども)と呼ぶこともある。問題を起こさず症状も出さず、いい人として適応し、優等生といわれて周囲の人の支えとなり、成人する頃に息切れをおこす。孤立感・孤独感、極端な自己評価の低さ、愛と同情の混同、怒りや批判へのおびえ、自分の感情に気づき表現する能力の欠如、自己肯定感のなさ、絶望的なまでの愛情と承認の欲求がみられる。さらに、自己非難、失敗することの恐怖、支配することの欲求、頑固さ、一貫性のなさがある。これらの特徴の中でもっとも本質的と思われるのは「自己承認への欲求」であり、「居場所がない」「生きていてもいいのだろうか」「この世に存在していてもいいのだろうか」などの言葉となる。
「自分はACだからこんなに苦しいんだ」と気づいたときにはじめて救われる。アルコール依存症者、共依存の配偶者、ACの子どもの三者がセットになっている。

2104
共依存についてのカウンセラーの言葉。「なによ、この人たち!ぜんぜん自分というものを持たないじゃない。夫のアルコールのことばかり頭にあってさ。今日会った人なんか、三回結婚して三人ともアル中だったのよ。おまけにお父さんまでアル中だったんですって。要するにあの人の連れあいたちのアル中を支えてきたのは彼女なのよ」

2105
共依存の中核は「必要とされる必要」。(斉藤学の文章から)
①自己中心性②不誠実(不正直)③支配の幻想④自己責任の放棄ないし他者からの非難のへ恐れ⑤自尊心の欠如。根底にあるのは「自尊心の欠如」である。
自己評価が低いため、他人からの批判を極度に恐れ、本来の自分の判断を否認するあるいは隠そうとする。緊張をはらんだ居心地の悪い結婚生活に耐えている女性たちは自分のその感情に不誠実で、それを窒息させている。この関係から離れようとするが、「他人にあげつらわれる」ことが怖くて離れられない。これが自己責任の放棄である。
このように暮らしている人は他者にもこうした「他者への配慮」を求める。他人は自分の仕事・役割に感謝し、少々問題があってもそれを表面に出したりせずに、自分の支配下にいなければならない。共依存者は自分の感情と他人の感情をはっきり区別することができないという自己中心性の病理を抱えている。
共依存者は偽・親密性を装う名人である。共依存者の利他主義は実は自己中心性から発している。
われわれの文化は共依存的な権力行使を親密性の衣装のもとに覆い隠そうとする企みに満ちている。共依存者は親密でない人の前ではニコニコ仮面を被って、親密な関係を装う。そして真に自分がかかわりたいと思う人には抑うつ的な自己を表現し、深いため息をつく。これを繰り返すことによって、相手を共依存的な感情の中に巻き込み、もうひとりの共依存者を作りあげる。
自己否定の感覚と自尊心の欠如。「他者からの非難の恐れと自己中心性に基づいた」共依存パワーが日本の組織を支配している。
「みえない虐待」と「やさしい暴力」

この病院で、水上さんの言動のパターンがこれにあたる。共依存の原理によるリーダーとなっている。

2106
近親姦とは、結局のところ一種の権力闘争である。社会的な場面で自らのパワーを評価されなかったひとりの男が、家族の中のもっとも無力なものを相手にそれを全開する。その男の妻は男を軽蔑しながらも、娘ではなく男の保護にまわった。そうすることによって、この妻は家の中で全能に近い支配権を手に入れた。

→同じ構図で病院の力動を説明できるのではないか。男=経営者、妻=院長・職員、娘=職員・患者。
社会で充分に尊重されず、病院経営についても社会動向や行政方針を適切に取り入れて動くことのできない経営者。本来ならば外部から利益を得て内部に分配するのが大切なのに、それができないものだから、ひたすら内部の弱者から利益を搾取するようになる。患者からの搾取である。その大きな構造にだれも意義をさしはさむことができず、結局は搾取の分け前にあずかろうと結託する方向に向かう。患者や被害を受けている職員からの意義が出た場合には、「問題を見ない」「問題はそもそもない」「わたしの苦労も分かってくれ」「こんなに大変なんだから君も我慢して当然ではないか」、そのような方向でことは収拾される。
日本の社会に蔓延するいじめの構図がよく把握できる。

2107
Banduraの社会的学習理論
人間の学習においては、モデルの観察を通じての学習が大きな要素をしめる。観察学習は注意過程、保持過程、運動再生過程、動機づけ過程の四つの下位過程を経て行われる。

2108
SST・「ストレス・脆弱性・対処技能モデル」
再発は三要素のバランスにより規定される。
(1)生物学的脆弱性(素因)
・遺伝的要因
・発達的要因
(2)環境からのストレス
・生活上の重大事
・緊張に満ちた家庭環境(high EE)
(3)防御因子
・周囲からの支持(行動療法的家族指導)
・生活技能の形成
・移行的プログラム
向精神薬(素因に対して)

2109
SSTの母体は自己主張訓練(assertive training)。

2110
再発防止効果を長期にわたって維持するためには、SSTとともに家族教育を含めた環境への適切な働きかけを実施することが重要である。

2111
SSTの効果
対人技能の獲得、全般的な社会機能、精神症状の客観的評価および自己評価、認知機能や自我機能、これらの改善が見られる。
WAISで言語性IQも動作性IQも改善する。ロールシャッハテストで、修正BRS、形態水準、不安の指標に改善があった。
しかし効果は持続しないことも指摘されている。

2112
SST
・患者の個別の問題を評価
・「生活の質の向上」と「再発予防」のために必要な技能を計画にする
・患者の自覚を促す
・患者自身による適切な目標設定を援助して練習を繰り返す
・単に「社交下手な人に人づきあいの仕方を教えるものではない」

2113
SSTでは
「ここでは人の欠点を指摘するよりも、長所を認めあい、お互いに知恵を出し合い、助け合ってよいところを伸ばしていく」
「途中でつらくなったら合図をして、いつでも出て行ってよい」
ことを確認する。本人の自発的な参加による練習であることを確認する。

2114
京都の寺の庭。雨が降って池の面に無数の同心円が広がる。リラクゼーションである。

2115
SSTの診断作業
1)受信障害型
2)処理障害型……状況意味失認型→良肢位固定
3)発信障害型……リバーマンタイプ→主張訓練ほど極端ではない訓練
2)と3)が多い。

あいさつができないという場合でも、2)は何という言葉がいいのか分からないタイプ。3)は言葉ははっきり頭の中にあるけれども、言えないタイプ。このあたりを鑑別診断したい。

2116
分裂病治療の見取り図
・横軸=病前性格、前駆期、急性期、急性期後疲弊期(PPD)、回復期、維持期
・縦軸=性格の問題、教育・経験の欠如、陰性症状、陽性症状、廃用性能力障害、薬の副作用
(実は、神経症性成分の混入も大切である。さらに対処行動もある。)
・入院時カンファレンス、リハビリ開始カンファレンス、退院時地域リエゾンカンファレンスをそれぞれ、入院時、リハ開始時、退院時に行う。
・入院時カンファレンスでは、医師、看護部長、担当看護婦、ケースワーカー、心理士、地域保健婦の参加。医療情報のまとめと治療方針の決定。
・リハビリ開始カンファレンスでは、医師、看護部長、担当看護婦、ケースワーカー、心理士、作業療法士、SST担当者が参加。リハビリの方向付け、メニューの選択(どの時点でどれを付加するか)、生活全体のストレスレベルの設定、週間プログラムの検討。性格特徴の把握、かかわり方の確認。
・退院時地域リエゾンカンファレンスでは、医師、看護部長、担当看護婦、ケースワーカー、心理士、作業療法士、SST担当者、地域保健婦、作業所所長など退院後使用予定の社会資源の担当者、家族。再発因子と具体的対策。
・治療のメニューとしては、薬、精神療法、集団精神療法、SST、ケースワーク、院内リハ各種(職リハ、趣味リハ、レクリハ、ADLリハ)、療育、薬剤調整、薬剤教育、患者教育、家族教育、デイナイトケア、訪問看護、援護寮、グループホーム、ホステルなど。特に薬、精神療法、SST、家族・患者教育、職リハが大切と考える。

2117
縦書き・文学的精神医学はもうおしまいにしよう。

2118
疾病メカニズム解明の歴史をたどれば興味深いのではないか。
結核などをモデルとして病因解釈の発達史をたどり、それを参照して精神病の理解はいまどのあたりであるかを理解することができるのではないか。
モラル→サイエンス

精神病者の場合、実際にモラルに反する場合があるので、あながち偏見とも言い切れない面がある。

2119
ストレスコントロールの実際について、解明すべき点。
1)その個人の脆弱性をどう評価するか?……ストレス負荷量のMaxとMinを測定したい。どうするか?
Max以上だとドーパミン過量でダウンレギュレーションによりレセプター減少する。陽性症状領域。(幻覚妄想状態を続けていれば、レセプターは減少するはずだということになる。そうか?)(ドーパミン過量状態の時に、脳に不可逆的な変化が生じて、陰性症状が固定する印象がある。これは何が起こっているのか?前頭前野領域の神経細胞が死滅しているようにみえる。)
Min以下だとドーパミン過少でアップレギュレーションによりレセプター増加する。陰性症状領域。(これを陰性症状とみるのは正しくないのではないか。廃用性の能力障害とすべきである。あるいは陰性症状増強とすべきである。)

2)現在のストレス量をどう評価するか?

2120
陽性症状に対応するのは、陰性症状ではなく、廃用性能力障害ではないか。陰性症状は別の病理。
陽性症状……DA>>Receptor……可変的
不可逆性の陽性症状も存在する。これは抑制細胞の死滅による。したがって、陰性症状とメカニズムは同じである。
廃用性能力障害……DA<Receptor    前頭前野神経細胞の死滅

問題は、なぜ細胞は死滅するのか。
→毒性物質の放出?

2121
破瓜病が思春期に多いのは、陽性症状が分裂病性基本(基底)症状に対する反応であり、特に妄想で反応するタイプであるからだ。思春期に性のエネルギーが頂点に達し、したがって妄想のエネルギーが頂点に達する。
分裂病性基底症状は年齢とあまり関係ないのかもしれない。年代によって特有の反応形式があり、思春期は妄想反応が多いということなのではないか。それが分裂病として観察されている。

2122
分裂病性基底変化に対する反応として、
1)幻覚妄想……これは内的拘禁反応とも考えられるもの。
2)コーピング。対処行動。たとえばタバコを吸うなど。
3)神経症性症状。ストレスに対する反応と考えられる部分。精神病になることは巨大なしかも持続的なストレスである。たとえば心身症になるのにも充分なストレスである。
このあたりの反応を階層的にまとめて記述できないか。

精神病性陽性症状(深いところでの対処反応)
神経症性症状(対処症状ともいえる)
対処行動

2123
モデリング
言葉で伝えることが難しい非言語的要素を示すうえで有効である。理解力が低下していても、適切なモデルを提示して、「今やってもらったのと同じようにしてやってみませんか?」と導入すれば、抵抗なく練習できることが多い。

2124
SST
・患者自身の問題意識と関心に沿って目標を設定し、練習を繰り返す。
・長期目標と短期目標を設定する。
・こうした設定に関して、適切な目標となるように治療者が関与する。
・患者主体のリハビリテーションが大切。一番大切な目標は意欲の向上であることを忘れないこと。

2125
「症状を肯定的な行動に置き換える」
抑うつや不安などの症状の訴えに対して、症状自体をとりあげるのではなく、楽しく充実感のもてた体験を想起してもらい、そうした肯定的な体験の練習を勧める。(リバーマンの原著に出ているという)

「症状」も原因Xに対しての反応の一つであるとみなし、不利な反応を有利な反応で置き換えようとする考え方である。

2126
これからのリハビリテーションの動向
①ユーザー指向
②生活障害の重視
③個別の評価と目標設定・治療計画
④問題解決的方法の適用
⑤認知・学習理論の活用
⑥実生活への般化の重視
⑦家族療法や薬物療法、精神療法など他の治療法との統合的実践

2127
Sydenham
自然治癒力が強く速やかに働く場合は急性病に、その働きが弱く遅い場合には慢性病になる」
発病は治癒過程の開始でもある。

2128
分裂病症状の多くの部分は反応であるとして、何に対する反応なのか。ひどい認知障害などが本当にあるものだろうか?たとえば「内的拘禁反応」に値するほどの認知障害。状況意味失認など。それとももっとマイルドな「心理的傾向」「性格傾向」程度のものであろうか。ブロイラーは「連合弛緩」、ほかには「自明性の喪失」、「現実との生ける接触の喪失」、「状況意味失認」など。ここを起点として症状形成を反応として追う。それが中安の仕事であった。
たとえば、分裂気質があるが、(それは反応様式とも見えるし、気質そのものとも見える。いずれにしても、)分裂気質の人が思春期にいたり、異性と出会い、社会の中で働きだすと、分裂病として発病する。この時の症状の大部分を反応として解釈できるように思う。根本にあるのはずっと持続している分裂気質であって、特に病的な過程が加わったわけではないかもしれない。
では反応が起こる前の正味の症状は何かと考えて最初期症状に興味を持つ。それは理解できるが、一方で、最初期症状でさえ既に反応であるかもしれない。ある種の性格傾向の持ち主が特定の環境におかれたときに、「仕組まれたルート」に乗ってしまうのではないか。ドミノ倒しのように次々に反応が起こってしまうのではないか。

反応の一部は修復過程である(たとえば防衛機制)。反応の一部は当然の結果である(たとえば内的拘禁反応)。

閉鎖病棟に長くいる人は、もちろん開放病棟でも大差はないが、隔離されたことの結果と隔離されたことへの反応とでさまざまに修飾されている。なにがその人の「症状」なのだろうか。これに悩まない人もどうかしている。

2129
自然の治癒過程を促進する試み。わたしならどうするか?
病気に能動的にかかわる姿勢を引き出す。それを課題にできないか。

2130
通説に反して、薬剤は陽性症状のみでなく陰性症状をも改善するとのデータがたくさんある。(八木)

2131
社会的予後が改善したのは、病院の開放化、患者の処遇改善、院内・院外の生活療法の活発化。これらは病者の自己回復力の活性化と考えられる。

2132
対処行動
分裂病の陽性症状に対して、体を動かすこと、物質使用(タバコ、コーヒー、コーラ)が多い。
不安障害では、対人行動(人と会う、電話をかける、集会に出る)、遊ぶ、病院に行くなどが多い。

2133
心理社会的介入(精神療法・生活療法)の治療原理は、適応的・回復促進的・再発防止的な対処行動を強化し、不適応的・回復阻害的、再発促進的な対処行動を転換し、生活経験の学習を通じて、主体的な生活の獲得を目指すことにある。(八木)

悪い対処行動からよい対処行動への転換を試みる。

2134
分裂病がもっていた『奇妙さ』は精神病院という施設の所産である。
生活を視野にいれた社会療法の方が精神療法のみよりも、健康な状態をつくり出すのに役立つ。

2135
陽性症状が早期に鎮静され、無色透明な陰性症状が前面に出るようになると、いよいよ脳の疾患であるという印象が強くなってきた。

2136
分裂病の精神療法
・急性期……妄想に支配された状態を健康な自我は恐怖している。健康な自我を支持する精神療法が大切。
・消耗状態(抑うつ、消耗、虚脱)……絵画療法、簡単な作業、ゲーム、おもちゃ。
・慢性期……SST、現実的接し方。リハビリ。
・家族教育……心理教育的接近

2137
             可逆性(反応性)   不可逆性(細胞死滅)
ないはずのものがある   陽性症状       不可逆性陽性症状
あるはずのものがない   廃用性障害      陰性症状

2138
神経症成分というのは分かりにくいので、ストレス反応性成分と表現した方がよい。

精神病症状=(本来の精神病症状)+(ストレス反応性成分)

精神病になるということは、巨大で持続的なストレスである。

2139
症状が可逆性か不可逆性かを明確に区別できないと治療はうまくいかない
・不可逆性症状に対してトレーニングしても、無理。治療関係が壊れる。
・可逆性なのにトレーニングしないのは申し訳ない。
例)老人の尿失禁、職業能力障害

2140
分裂病の治療
有効なのは、薬物、精神療法、SST、心理教育プログラム。
・院内リハをするくらいなら退院させた方がよい。
・集団精神療法としてのリハならば意味がある。
・慣れるためのリハならばしない方がいい。院内適応になってしまう。

2141
八木による「抗精神病薬のDA拮抗説への反証」の解説
1)抗精神病薬分裂病に対する有効量は、一般にDA拮抗作用を発揮する用量よりも少ない。
2)抗精神病薬の至適効果は、D2受容体占拠率30〜70%で現れ、それ以上では錐体外路性副作用が出現する。
3)薬物反応者の血中HVAは治療第一週にいったん上昇して、第二週から低下する。急性期の症状改善幅は治療第一週で最大であるから矛盾している。

しかしレセプターの増減を視野にいれた場合にはどうか?矛盾するか?

2142
(コラム)生活技能訓練
SSTでは技法の解説は多いが、診断と訓練目標の設定についての具体的な解説が少ないように思う。当然、症例に応じて考えればよいのであるが、以下のように説明できる。
1)診断と動機付け。訓練プログラムに入るにあたって、生活上の困難が受信、処理、送信のどの段階のどのような障害によって生じているのかを診断する。患者さんに診断結果を説明し、動機付けをする。たとえば仕事が長く続かない場合、職場での様子を詳細に検討して、診断する。「あいさつができなくて職場にとけ込めない。昼休みに世間話ができない。仕事の指示を理解することができない。体調が悪くてもそれを伝えられない。金を貸せといわれて断れなかった。仕事中に突然の事態が起こったがどうすればいいのか頭が真っ白になってしまった」これらを受信、処理、送信に分類してみる。そのうえで訓練プログラムをなるべく患者さんと一緒に考える。
2)処理機能の問題がある場合には、状況認知の悪さにもかかわらずうまく適応できるようなプログラムを考える。たとえば状況に応じたあいさつができない場合、状況に関係なく使えるあいさつの言葉を覚えてもらう。東京の中年男性ならば「どうも」ひとつだけを覚えればよい。
3)送信機能の問題がある場合には、リバーマンが書いているような送信機能の訓練がよいだろう。相手の目を見て、大きな声ではっきりと、身ぶり手振りも交えて、身を乗り出して、明るい表情で話すのである。
4)訓練目標の設定。いろいろなレベルで目標を設定することができる。もっとも表面的には具体的な技能の獲得である。しかしこうした訓練を通じて、ひきこもりの解消、気分転換、病気に対する能動的・自主的関わり方への転換などの目標も設定できる。さらには治療者との信頼関係促進がもっとも根本的な目標であると設定することもできる。設定を意識するかどうかは別にして、SSTではこうしたさまざまな目標が同時に設定されている。
5)SSTに対する批判のひとつは、あまりに訓練的になりすぎて治療者との関係を壊すことさえあるとの指摘である。訓練の目的は技能獲得でもあるが同時に治療者との信頼感の育成であることを頭に入れて、ふたつの目的を両立させるように知恵を絞る。患者さんの状態によっては、技能獲得に重点を置くか、治療者との関係のあり方に重点を置くかの選択をあえてする場合もある。たいていは治療関係を大切にする方を選択した方がよい。訓練を重視した場合には結局は技能の習得によって自信ができて、そのことを治療者に感謝するようになるから、最終的には治療者との信頼関係は深まるのであるが、一時的には治療者との関係は犠牲にすることになる。それが訓練というものだとの厳しい考えが有効な場合もある。我々の経験では厳しいだけではよい結果を生まないことが多いようだ。

2143
病理による症状と、場所による症状を区別して考える。病理による症状は経過に特徴があらわれる。場所による症状は現在症としてあらわれる。
クレペリンの経過診断は病理に迫っている。シュナイダーやDSMは場所の病理を捉えている。どちらが分裂病躁うつ病として本質的かは明らかで、クレペリン流である。
しかしながら、実際上の運用としては、現在症を手がかりとすることが必要である。経過は情報として信用できない。したがって、最終的には経過の特性を知り、そのうえで本質的な病理を知りたいのだが、そのために現在症から経過特性を推定できないかを探ることになる。
これがシュナイダーのした仕事である。一級症状がある場合には、特有の経過を呈する分裂病というものであろうと推定してよろしいとしている。シュナイダーは決して、場所の病理が分裂病の本質であると主張しているわけではない。
しかしながら、なぜ一級症状という「場所の症状」が、分裂病という「病理の存在」の推定に役立つのか、考えてみる価値がある。

脳は完全に均質ではないから、特定の病理が「発生しやすい場所」はあると思われる。とすれば、病理と場所は関係しているわけだ。

2144
リハビリにはまず生活障害の診断が大切。そのためには集団場面の設定が役に立つ。実際の集団場面で何が起こるのか、観察し診断する。そのうえで、対策を考えることになる。対策を患者と一緒に考えられれば大変よい。個人面接が役立つ。このような流れで考えれば患者の動機付けも自然にできる。

2145
老人臨床では、家族へのサポートが本質的に重要である。治療としても、また病院経営としても。また訴訟対策としても。

2146
中井久夫「完成度の高い絵画とたどたどしい一本の線とを哲学的に対等なものとみなす」

2147
人の心を癒すのは「本物」である。

2148
対話を妨げるものは何か

有効な意思疎通を不可能にしているものは何か。
解釈モードや表現モードの食い違い。
背景にある「常識」の食い違い。あるいは共通基盤の拡散。

患者と病気のせいで分かり合えないこともある。しかしそれ以外の要因で分かり合えないこともある。

世界の流動性が高まるにつれて、違う常識モードの人との交渉が生じる。そうしたときに対話の不可能が生じる。
また、相手が精神病的な疎通性の悪さを有している場合、対話は不可能である。相手は自分の弱さを補うため、精神病的または神経症防衛機制を用いる。その場合、真正の対話は不可能である。ただ症状と対話しているに過ぎない。

2149
診察室で、本来あるべき多様性を捨て去っているのではないか?
解釈がひとつであることは、真実に肉薄しているのではなく、たったひとつの解釈しかできない、ある意味での廃用が起こっているのではないか。
患者の住んでいる常識世界の言葉や解釈がなぜ医者の世界の言葉と解釈に劣ると考えられるのだろうか。その世界に生きている人にはその世界に沿った言葉が有効である。

2150
メモ
子供の頃に適応パターンは一応完成する。大人になって環境が激変すると不適応となる。子供の基本部分に思考・行動パターンが刷り込まれる。一度限りの記録といっていい。それは寿命が短い生物にとって大切なことなのだろう。
寿命が長い場合には、途中で行動パターンの変化を予定してもよい。
これはたとえば人間が思春期で行動パターンの変更をすることにみられる。
幼虫とさなぎと成虫。しかしこれは神経系が環境を取り入れる点ではさして精妙ではない。
オタマジャクシなどは分かりやすい。カエルになってからの行動パターンはかなり違うものになっている。

2151
対話的関係について
生まれも育ちも背景知識も背景常識も異なる人間同士がいかにして対話的関係を築くことができるか、それが問題である。国際的な交流の場面では当然大切なことであるが、日本人同士の場合でも、いかにして対話的関係を築くことができるか、実は問題である。対話的関係が形成されないことが少なくない。診察室でも、患者さんとの対話関係、家族との対話関係が形成されにくい。一方的な自己主張でもなく、一方的な防衛でもなく、真に人間的な「対話的関係」が必要である。根本的には「基本的信頼関係」が必要である。

2152
序文。
1996年4月から1997年1月にかけて、毎日1時間、合計200時間の勉強会を行った。その成果がこの辞典である。

愛がなければすべては空しい。
他人を理解したいという心からの強い決意があるか。

2153
ぎゃあぎゃあ騒ぐだけの人間は結局役立たずが多い。

2154
SSTなどといって、本人にとってみればやりたくもない訓練を集団でさせられる。それは結局、自主性を奪うことだ。自分のことを自分が主体的に責任を持って決定する態度を根こそぎ奪い去るものだ。それが根本的にリハビリに反する行いであることを知る必要がある。病院内で暮らし、スタッフに言われれば無意味な行事にも無言で参加する。感想を求められればそれなりに喜ばれるような言葉も語る。そのような人間になる。そのような人間をつくることが治療の目標なのか、考えてみる必要がある。
1997年8月17日(日)

2155 1997年8月17日(日)
精神科医療と老人医療の現場にいて、心が寒くなる。恐怖を覚えるのは私だけだろうか?
精神医療は矛盾も混沌もさらには悪も抱え込んでいる。
ひとり暮らしで貯金のある老人が入院する。通帳も印鑑も病院に預ける。横取りする人がいる。
昼御飯直前にパンとジュースを販売してまわる。
お小遣いが足りない人は集団内で特別扱いしても仕方がない。遠足も我慢、おやつも我慢である。恨むなら貧乏な星の下に生まれてしまった身の不遇を嘆けばいいのだという。精神病院を収容施設としか考えていない。治療的観点が欠落している。
お小遣いが足りない人の下着はどうしているか。お小遣いが沢山ある人のお金で余分に買って、足りない人にこっそり回している。現場でそのように融通している。それでいいのだろうか。たとえば、お小遣いを貯金しておいて利息が付いたらそれをお金の足りない人に回すことも昔はやった。いまは金利が低いのでできない。またたとえば、生活保護の人のお小遣いをプールしておいて、お金が足りない人も加えて割り算をする。生活保護のお金は個人に渡されたものであるが、一方では「困っている人全体を助けるため」のものでもあるからと解釈する。病院が何か工夫する動きはない。
老人医療の看護の実態は実に恐ろしい。老人保健施設入所者が夜間、ベッドから落ちて頭を切って血まみれになって、その血が乾いてしまうまで発見しない。発見しても、濡れタオルで表面を拭いている。あるいは素人の職員が血まみれの老人を見つけて包帯で巻いてしまう。翌朝には死亡している。
精神病院で薬の間違いは頻発している。人権問題である。
また、老人病棟になると、男女混合部屋になり、そこではおむつ交換もおこなわれる。人間の尊厳は考慮されていない。

すべての人が愛の人や誠実の人になることはできないことを前提として、何ができるか考える必要がある。
ひどい実態であることを知りながら、何もしないのは、むしろこの悪の構造に加担していることである。戦争の反省と同じである。知っていたがどうすることもできなかった、仕方がなかった。それでいいのだろうか?だれが声をあげるのだろうか?
患者か?家族か?職員か?みんなそれぞれエゴイストである。

2156
わたしたちは愛し愛されるために生まれてきた。それなのにわたしたちに愛はこんなにも不可能である。
わたしたちは精神的不調について語り、聞く。それは興味深い。しかしわたしたちのまわりにいる精神的不調を訴える人と対話的関係を持とうとしない。分からないから遠慮するのだろうか。
この本を読んで基礎知識を知ったら、あなたはかれらと対話的関係を持つだろうか、あるいは持たないだろうか。

2157
自由意志について、どのレベルでみるか。
自由とは内的感覚である。意志も内的感覚である。これらは主観的。
予測可能性は客観的である。
主観的自由意志と客観的予測可能性を矛盾なく記述できる可能性がある。
主観的世界では「自由意志はある」、しかし同時に客観的世界の記述としては「自由意志はない」となることが可能である。
たぶんこれが自由意志論についての結論である。

飛ぶ石や餌を食べる猫について、客観的には予測可能である。しかし主観的には(石と猫に主観が宿ると仮定して)自由意志である。人間も変わらない。
客観的世界の記述からみれば、自由意志は錯覚である。

2158
人を決定するもの。(自由意志はない。決定論。)
フロイト……幼児体験、すりこみ(ローレンツ
マルクス……生産関係(下部構造)

反復する構造……脳内回路……フロイト的反復
個体発生
系統発生

2159
現代社会では「人間は歯車にすぎない」というが、歯車にも大変な個性がある。たいていは取り替えがきかない歯車であり、だから上司は苦労する。

歯車といっても歯の刻み具合も違えば固さも違う。だれとでもうまくやっていける歯車などない。みんな少しずつ無理をしている。

2160
付き合いのよさと内面の成熟
インターパーソナルとイントラサイキック

内面からの促しの声に忠実であること

2161
RRRプログラム(分裂病根治プログラム)
MAD理論(躁うつ病強迫性障害スペクトラム
分裂病性自我障害のメカニズム(時間遅延理論)
についての論考
神経症については、①真の反応性状態と②器質因のもの(強迫性障害)をまず分類する。反応性状態について、各種防衛機制に従いつつ論考する。

2162 1997年8月17日(日)
陽性症状はストレス反応であると考える。つまり心因反応と同様のメカニズムである。
なぜなら、薬で鎮静できる。あとを残さない。したがって、「あとを残す難治性陽性症状」と「あとを残さない反応性陽性症状」を区別する。前者は細胞消失型で、後者は反応性である。

陽性症状が反応性ということと、ドーパミン:レセプター比が過剰であるということと、同じことである。

基底症状(X)が起こって困る→陽性症状(DA/Recのup)→陰性症状(細胞消失)
基底症状は、陰性症状と重畳するのかどうか、分からない。

2163
キリストに近づこうとしている人たちにとって、キリスト信者たちが最悪の障害物になっていることがよくあります。言葉だけできれいなことを言って、自分は実行していないことがよくあるからです。人々がキリストを信じようとしない一番の原因はそこにあります。

同様のことが精神医学についてもいえる。

2164
年老いた人の傍らに腰掛け、話に耳を傾け、満足のいくまでいくらでも話をさせる。話を聞いてあげることが本質的に大切なことである。

2165
根岸病院でやりたいこと
・薬、精神療法、SST、教育プログラム。今のSTチャート、今のWS。職員を機能的に組織する。
・遠い目標としての「3Rプログラム」。

・(病院、地域)、(患者・家族、職員)、(自分)のそれぞれの利益がバランスする妥協点を探る。
・医師、職員、患者の間の力関係がアンバランスなので、医師がわがままを言えばバランスがとれない。それがモラルの低下につながる。医師はモラルリーダーとなる必要がある。
・病院として利益を確保する工夫。→精神科関係の各社会資源をつなぐ。たとえば作業所、デイケアなど。法人として持っていれば確実。そうでない場合にも、病院で教育した人材を送り込むことによって結合を強める。そのような下地があれば、収益の観点で強い病院になる。

2166
ウーンディド・ヒーラー(傷ついた治療者)
自らの魂を癒したいという願望を、他者を癒すことによって充たそうとしている人が増えている。治療者の無意識のプロセスが相談者を巻き込む危険がある。なかには優秀な治療者もいる。

この場合極端に言えば自分の治療のために患者を利用していることになるだろう。患者の役に立っていれば両者にとってよいことで何も問題はないようでもあるが。やはりお互いに依存する傾向があるのではないか。治療者が安定するためには患者はいつまでも患者役割を引き受けるべきであるといった関係。私のためにあなたはいつまでも患者でいなさい。「私のためにあなたはいつまでも子供でいなさい」とメッセージを送る未熟な親に似ている。

2167
自己啓発セミナー
・エンロールメント。自己開発がどれだけ進んだかを勧誘能力によって計る。ネズミ講。人を多く集めた人はトレーナーとなる。
マインド・コントロール心理的プレッシャーをかけた上で、他のメンバーの悪口を言わせる。身近な者の立場に立って自分を分析させる。つまり本音を言わせる。そのような場を設定すると、強い葛藤に見舞われ、激しい感情的な反応を呈する。集団心理も影響する。しかしこのような解放感や自己改心は持続しないので、また参加したくなる。結果としてセミナーに依存するようになる。

2168
病気を扱うのではなく、「超健康」を扱いたい。

2169
患者や家族と情報を共有することの大切さ
インフォームドコンセント
・しかしそれにとどまらず家族は治療環境である。
・説明には専門的な力量が必要である。

・最近は家電製品の取り扱いも難しくなってきた。それに応じて取扱説明書が難しくなってきている。アメリカで猫の毛を乾かそうと思って猫を電子レンジに入れたら死んでしまった事件があった。裁判になって、電子レンジの取扱説明書に「毛を乾かすために猫を入れたらいけません」と明示していなかったので敗訴した。その後、説明や禁止事項はますます入念になった。ところが今度は「あまりに詳細に記載してあり、何がポイントなのかわからない。そのせいで損害が生じた」訴えられ、またまた敗訴した。
・電化製品でもこのような時代である。医療に関してもインフォームドコンセントが大切と言われ、「よくわかる説明をして納得していただく」ことが本質的に大切であるとされる。本人や家族が何も知らなくても治ってしまう病気についてはインフォームドコンセントなどと力説する必要もない側面も確かにあるが、精神病や老人性痴呆などの場合には治療にある程度長期を要する病気なので、本人や家族、関係者の理解がないと治療がうまく運ばないことが多い。電化製品についての説明も専門のライターがいるほどで、込み入った話を正確にわかりやすく伝える仕事はそれ自体で高度な専門職といえる。すべての医者が説明が得意とは限らない。しかし精神病や老人性痴呆では説明と同意が本質的に重要である。そこで説明の専門家がいてもいいだろうと考える。
・家族の理解が不十分なときに何が起こるか。たとえば入院中は病院環境でうまく生きられていた人が、退院してすぐに不調になることがある。よく調べてみると家族の対応が不適切であった。病院側としては医者や看護、ケースワーカーなどが充分に説明しているつもりであるが、患者や家族の理解は不十分であった。慢性疾患の治療にとって環境調整は非常に大切であるから、自己責任であるから仕方がないといってすますことはできない。「知りたいだろうから一応説明する」という程度の話ではない。治療の成功不成功を左右する重大時である。
・こうしたことから、本当に正確でわかりやすい説明の仕方を今後研究する必要がある。画期的な進歩とはいえないが、確実に治療効果を向上させる。
1997年8月30日(土)

2170
現在精神医学はどこにいるのか?患者にとっていい状況だろうか?精神病を病むという正味それだけの苦しみだろうか?いろいろと問題があり、解きにくい。解決の方向がわからない。
患者の周りの人も苦しめられ、医師自身も苦しめられる。だから患者を精神病だと診断したくなる。診断してしまえば周囲の人たちは少し気分が楽になる。

精神医学の現状。社会防衛と患者治療の両立をはかる地点を探す営み。是か非か。

2171
かつて神がいた頃、精神病者の言葉や振る舞いは神からのメッセージとして、メタファーとして解釈された。
現代では社会の病理の反映として論じられることがある。正確な因果関係が論じられるのではなく、情緒的な関連としてテレビや月刊誌で提示される。昔ほどではないが、ある程度は重大なメッセージとして読み解く気分がある。

2172
精神医学の世界も実証的にやりたいものだ。文学的感想文の世界はいらない。ときに患者にとって有害である。
また、治療者の独りよがりをどのようにして防止できるかを徹底的に考えなければならない。ひとつは治療者としての共同体に身をおくことである。そこで支えられかつ批判される。しだいに他の治療者の目が自分の内部に育ってくる。そうなれば自分の独りよがりを反省する契機が生まれる。
多いのは自分の内部を患者に投影してしまう治療者である。その場合には原理的に反省が生まれない。そこでどうするか。やはり治療共同体を形成すべきである。
しかしながら治療者の共同体というものは実におかしなものになりがちである。そこにもまた困難がある。一人の時に独りよがりになる人ならば、集団になっても本質的には変わらないのだ。

2173
実証的たりえないうちは、精神医学とはいえない。精神治療実践学であり、民間医学とかわりない。データを提出して違いを確認しなければならない。もちろん実証的ではない民間伝承治療学も有用であるのと同様に、実証的でない精神治療学も有用ではある。しかしそれだけのことだ。
たとえば精神分析学。わかる人だけにわかる知的なゲーム。そして免許皆伝を制限的に発行することによる世俗の権力構造。

2174
自我障害というくくり方も、ヤスパースの言う自我とは何かという哲学的議論を前提としている。それを無批判に受け入れて伝承しているに過ぎないではないか。この点は世俗宗教と同じである。
自我の四つの側面があげられ、それぞれの障害として四つの領域での自我障害があげられる。こうした取り上げ方にも問題が多いのではないか。
自我の能動感はまず大切であるからいいとして、自我の同一性は単に記憶の問題と言っていいのではないか。(「同一であること」というので、エリクソンの自我同一性と混同される。これも紛らわしい。)
時間的同一性は結局記憶の問題である。これが言いたい。
空間的同一性は?そんな途方もないことが?分からない。

2175
老人……電話相談窓口。あるいはファックス受付。
老人の暮らし調査。一人なのか、同居人の考えは?
地域で支える方法。地域住民としても心配である。知らない人がしらないうちに死んでいるなどあっては困る。安否の確認の湯沸かしポット。ネットワークを通じて無事を伝える。人とつながっている感覚がある。

2176
プロ野球チームの呼び方
ヤクルトなどの企業名で呼ぶ。広島などの地域名で呼ぶのは少ない。これは人々の帰属意識が地域ではなく企業であることを反映している。

2177
人格の力
これが大切

2178
老人医療の展望
・予防法 理論と実践、保健所との関係付け 電話相談窓口で拾う 広く啓蒙→出版 インターネット
・早期診断 敏感度の高い診断方法
・早期の正確な鑑別診断
・治療法

2179
精神医学に対する不信
たとえば、裁判での精神鑑定。意見が異なり、その中でどれが正しいのかを決定する方法がない。なぜか。
ひとつの問題点は概念規定が不明確な点である。日常診療場面での流通性に重きが置かれるため、概念があいまいになる。あいまいなままで使うから、だんだん話がかみ合わなくなる。
もうひとつは、実験精神に乏しいことである。厳密に真実に迫ろうとする態度に欠けている。
実証主義的な態度がなければ、結局は家元制である。正しさの源泉は権威であることになる。科学の正しさの源泉は経験である。

2180
分裂病治療の際の薬剤調整は、陽性症状がないこと、充分な鎮静、情緒の安定などに置かれがちであるが、それはドーパミンレセプターを増やしてしまっている可能性がある。反治療的である。ドーパミンレセプターを減少させることが治療目標であると明確に意識すれば治療は変わる。ストレスコントロールと薬剤調整がタイミングよく進められる。したがって、定期処方などは一切消える。

2181
精神科医は気付いていると思うが、精神科医は患者の退避行動を促進している。不適応状態を固定化する役割を引き受けている。これはいいことだろうか?

2182
病的多飲水(PP:psychiatric polydipsia)に対してDemeclocycline(DMCTC)が有効であったとの報告。精神科治療学 12(8);943-948,1997
SIADHに伴う低ナトリウム血症の治療に抗ADH作用をもつDMCTCが一定の効果を有するとの報告がある。PPに対しても報告があり、追試した。PPを伴う慢性分裂病に投与し、体重減少、尿比重増加、臨床症状改善が見られた。
DMCTC:レダマイシン:塩酸デメチルクロルテトラサイクリン;demethychlortetracycline fydrochloride:一日300〜600mgを投与する。
demethychlortetracyclineはdemethylchlortetracyclineの誤植か?

2183
痴呆の鑑別
皮質性痴呆:認知機能障害そのものが著明
皮質下性痴呆:無関心・思考過程の緩徐さが前面に出ている

片麻痺や深部腱反射亢進などの錐体路徴候、感覚障害、運動失調、歩行障害:脳血管障害、脳内占拠性病変、水頭症
寡動、筋固縮、振戦、姿勢障害:錐体外路性変性疾患

パーキンソン症状と痴呆:進行性核上麻痺、corticobasal degeneration
痴呆と舞踏病:ハンチントン病

2184
精神科治療学 vol12,8,1997-8,pp983 「てんかん治療の覚書」久郷敏明
てんかん性格について
細川:環境がてんかん患者の性格を形成する
長畑:「てんかん患者の性格変化は、彼らの固有の性質ではなく、彼らに理解を示さない周囲に対する反応様式である」というWeizsaecker(1929)の記述を紹介。

正常知能のてんかん患児の行動障害:側頭葉焦点と薬物副作用。問題薬物はbarbituratesとbenzodiazepines。眠気、多動、興奮、易刺激性などが生じる。

慢性の葛藤状況が神経症の成因となる。ヒステリー性の疑似発作が多い。

精神症状を伴う場合、全体として抗てんかん薬は精神症状に悪影響を及ぼす。唯一の例外はcarbamazepineである。積極的な向精神作用がある。Valproic acid は精神症状にほとんど影響しない。

精神症状を伴う場合には、carbamazepineを主剤とする。barbituratesとbenzodiazepinesは投与すべきではない。これら薬物を中止することによって精神症状が改善することも多い。

2185
中井
慢性妄想型と破瓜型の妄想は異なる。

2186
精神病理学に大きく貢献した患者の予後はよくない。精神病理学的関心がつい治療的な限度を超えて、踏み込んだ質問をさせてしまうこともあるのではないか(中井)

2187
(中井)
医者は多くの間違いにもかかわらずどこか患者の治療を媒介するものである。
多くの間違いにもかかわらず、患者は治る。医者は自然回復力をできるだけ邪魔しないようにするのが基本だ。

2188
(中井)
若い人の発病で一番困るのは、その後には新しい体験が入ってこない、取り入れられないこと。発病の時までの手持ちの体験で未曾有の対応をしなければいけないんで、それで妄想なら妄想でも、それまでの知識を総動員して解釈していく。発病が早いのは不幸である。

2189
(中井)
入院のはじめの体験の重要さ
北條民雄いのちの初夜ハンセン病。(川端が、タイトルを変更しなさいとアドバイスして、こうなった?そんな記事を最近読んだように記憶するが?)

2190
サリヴァン:「バーバル・サイコセラピーというものはない。あるのはボーカル・サイコセラピーだけだ。つまり音声で治しているんだ。」

2191
(中井)
きっかけがつかめるまで延ばすことの大切さ。

2192
痴呆の臨床診断
・治療可能な痴呆
・老年期合併症
・感情・意欲障害や問題行動への薬物療法
・メンタルケア
・介護方針の確立
・適正な生活環境の選択・改善

2193
(大野)
DSMで病因を想定した診断カテゴリーは、適応障害や外傷後ストレス障害などごく一部のものに限られる。大半は症状に基づいた分類を行うしかない。精神症状の形成メカニズムが明らかになってくれば、分類が大きく変わる可能性がある。

2194
分裂病人格障害
分裂病人格障害は、従来境界例と呼ばれていた症候群がDSM3で情緒不安定な群と分裂病類似の群に分けられたことを機に、後者の群をあらわすカテゴリーとしてつくられた。
(ということは、偽神経症分裂病などと近いのだろう)

2195
似ているが区別
分裂病人格障害……行動や思考の奇妙さ
分裂病人格障害……対人関係に対する関心の欠如
回避性人格障害……他人からの評価への過敏性

2196
同じ遺伝的負因を持つ男性の表現型が、衝動的攻撃的な反社会的人格障害、女性の表現型が、情緒的不安定性を示す演技性人格障害ではないかと考えられている。

2197
演技性人格障害は、以前ヒステリー神経症と呼ばれていた転換性障害との関係が強い可能性が考えられたが、他の第一軸疾患と比較して必ずしも多くはないことがわかっている。

2198
境界例について、過去には偽神経症分裂病、そして境界性人格障害、今では多重人格と呼ばれ、そして将来は注意欠陥障害と呼ばれるかもしれないとAllen Francesは述べている。
診断ラベルは診断者の立場と興味によって変わりうる。必ずしも疾患そのものと関係しているわけではない。

2199
人格障害のディメンジョン分類(SilverとDavis)
(1)認知/知覚構造(精神分裂病および分裂病人格障害
(2)衝動性/攻撃性(衝動性障害、境界性および反社会性障害)
(3)感情の不安定性(大感情障害、境界性および演技性人格障害
(4)不安/制止(不安障害および回避性人格障害

最近は感情調節と衝動制御を同一次元で考えられるとして、三次元で考えている(Silver)。

A群 分裂病人格障害は認知過程に精神病類似の障害が存在していると考えられる。眼球運動や注意の障害に反映される。ドーパミン代謝産物HMVの異常も共通している。

B群 境界性人格障害演技性人格障害は、セロトニン神経系に由来する攻撃性や、ノルアドレナリン神経系に由来する感情の不安定性が存在していると想定される。気分障害との関連が論じられている。

C群 回避性人格障害や強迫性人格障害は、第一軸の不安障害と関係している。

つまり、A群は分裂病、B群はうつ病、C群は不安障害と密接であると論じている。

2200
大江などがいう芸術分野での「異化作用」を相貌化作用と言い換えて論じることができるだろう。
文学と妄想と精神病を論じることができる。
なぜ人は相貌化を求めるのか?そして時に過剰相貌化に陥るのか?

新たな相貌化が結実するとき、芸術と呼ぶ。

相貌化に至るには受動的なだけでは不足である。精神の能動的な参加がなければ達成されない。いままでばらばらに無関係に存在していたものやことが、突然関係づけられた一体のものとして浮かび上がる。それが相貌化である。ただの壁のシミが、明確なメッセージとして浮かび上がる瞬間である。

そうした作用は妄想形成作用と同じである。
妄想との違いは、そのようにして形成された「相貌」「関係付け」を再度点検することができるかどうかである。自己点検できないとき、妄想は現実として確定する。自己点検できれば、妄想は間違いとして却下される。「現実との照合作用」の欠如が問題である。妄想生成作用はむしろ必要なものである。
これがなければ人は昨日と同じことを反復する分子機械に過ぎない。(もちろん、これがあっても、人は分子機械に過ぎないけれど。)