こころの辞典3201-3300

3201
初診後、診断・治療の計画を呈示する。
どんなメニューがあるか、説明する。お勧めはどれで、希望に従って、どれを選択できるか、呈示する。
こちらは毎日の仕事であるが、患者はシステムも何も分からないのだ。まずそのあたりから説明が必要である。

3202
「薬でストレスがなくなるわけではない。ただ感じなくしているだけだ。」こういう感想は少なくない。
ストレス状態の時は、困難が実際以上に大きく見えている。薬は、困難を実際の大きさにまで縮小する。
薬は現実を変えることはない。しかし心の仕組みによって生じている過剰な不安には効果がある。

依存の問題。
新しいタイプの抗不安薬に注目。
効き目はやや弱いが依存性がない。いつでもやめられる。
古いタイプの抗不安薬は、効き目は強いが使い方をうまくしないと依存性が問題になる。どんどん量が増えてしまう。

薬づけの問題。
期間を区切ったらどうでしょうか?
実際には症状が変化していくことがある。
依存のせいで薬が中止できないのではなく、症状がなくならないから薬を中止することができないのである。病気が治っていないのである。しかし病人はそう考えたくはない。
一般に、他人のせいにしたがる。

3203
ストレス病という観点。
現代では嫌なこともしなくてはならない。
闘争と逃走では解決できないストレスにさらされている。それは慢性で持続性である。

3204
茅ヶ崎や湘南の風物、今を取り入れる。新聞種のようなものもとり入れる。身近な読み物といった雰囲気を演出する。

3205
漢方薬への関心の高さを利用する。
当院でも積極的に用いる。
効果は人によりさまざま。マイルドである。副作用も注意しながら使う。
症状とともに、体質や性格の構造を加味して処方を決める。

3206
○それにしても、ストレス診断はできるのか?どのようにして可能か?

3207
痴呆に対するアートセラピーをテレビで紹介。過度の単純化。断定口調。
右脳活性化。アートセラピーで3〜6ヶ月で効果が現れる。
母親が抱っこをして歌を歌って、物語を語ってくれた人は大丈夫。そうでない人は、痴呆になる危険がある。つまりはライフスタイルの問題である。
など。

アートセラピーの効果というよりは、一緒にいろいろやっているうちに「孤独なバナナ」から脱却できるということであろう。
○ライフスタイルの問題。これを精神科的に包括的に論じることができる。
子供時代‥‥ 心の教育のためのライフスタイル。イライラは何に原因があるか。子供時代に学ぶべきものは何か。
青年時代‥‥ 友との出会い、異性との出会い、自分らしいライフスタイルとの出会い、仕事・生き甲斐との出会い。
壮年時代‥‥ 生活習慣病。うつを防ぐライフスタイル。
老年期‥‥ 痴呆の発生を防ぐライフスタイル

3208
子どもを抱きしめてあげる。

近頃の子供の変調に対して、こんなことが言われる。

3209
心を開くかどうか。

しかし一方で、踏み込みすぎの危険がある。

3210
風景構成法を忘れないこと。

3211
家族会の効果あり。

3212
ただ鎮静する、何も感じなくする、眠らせる、そうした系統ではない薬で調整する。

なぜ、何の目的で、薬を使うのか。いつまで使うのか。(いつまで、が重要である。)

3213
うつの理由。
頑張りすぎる癖があることが原因です。頑張りすぎた後は筋肉でも痛みが残り、しばらく動けない状態になります。神経も同じです。心も同様です。
頑張る人はすべてうつになるわけではありません。頑張ってもうつにならない人がいます。何が違うのでしょうか?
頑張ったときに、「頑張りすぎです、休んで下さい」と体から信号が出ます。その信号をうまくキャッチできる人と、できない人がいるのではないでしょうか。
「休んで下さい」という信号を無視して頑張ると、一時的には仕事がはかどるのですが、一年とか二年とか、長い目で見た場合にはかえって不利になります。

3214
分裂病と補聴器
たとえていえば補聴器である。

分裂病者の場合、補聴器のボリュームが大きすぎる。敏感すぎて、普通の物音が大きく響きすぎる。
響きすぎるから、静かな場所を求めて、部屋に閉じこもる。すこしの声も大きく響く。

ここからEEの話も出てくる。
分裂病者の場合、声の大きさではなく、感情の大きさである。あまりに感情的になって怒ったりすると被害的になってしまう。普通の人よりも「他人の感情を受け取る感度」が敏感すぎる。

そこで対策は、感度を下げること、それが薬である。もう一つは感情にさらされることを防ぐこと。

しかし補聴器の感度が良すぎるからといって、音のない部屋にずっといると、ますます音に敏感になってしまう。そこで、デイケアで段階的に適切な刺激にさらす。

3215
太ることについて
生活習慣病の場合に、ただ体重を減らしなさい、運動をしなさい、塩分を控えなさい、などなど、決められたとおりのことを医者が患者に伝えて、それですむものではありません。結局は人生の価値の選択の問題です。
好きなこともできないで人生を長く生きて、それで幸せか。つまり生活の質の問題です。

3216
デイケアのことを考える。
大変だな。外来だけで済むならそれでもいいなと思う。

もともと集団性のない人たちである。他人とのつき合い方を知らない人たちである。拒絶もできない人たちである。
その人たちを集団として構成することはよいことか、疑問がある。

ノーマルな保護的な集団があれば、それが一番よい。

3217
学校で息を抜ける場所。保健室。
社会の中で息を抜ける場所。心療内科

このようなとらえ方がよいのではないか。

あなたの町の保健室、心療内科

3218
いつまで通院すればいいのか。治らないのにずっと通院させられるのか。そのあたりを説明する。
見通しを呈示する。その見通しが、患者を楽にする。得体の知れない事態ではないのだと納得できる。科学的説明の範囲内の事態なのだと思えば、落ち着くことができる。

3219
東大の卒業生は優秀か?
問題がある。

税金で飲み食いして、国家権力を楯にして権力を振るう。そのような人生を望む人たちが「優秀」とはとても思えない。
人生というものへのビジョンが欠落している。何がよい人生であるか、その問題意識が欠落している。

人生の価値に関しての成熟した見解。

3220
アロマテラピーについて
・すべてがこれで解決するわけではない。
・しかし薬の量を減らすことはできる。
・たとえばうつの場合に柑橘系のアロマを使うと、抗うつ剤の量が減らせる。
・不眠の環境調整として、ラベンダーの香りを使ったりする。

3221
意識を「洞窟を懐中電灯を持って歩く人」にたとえる。
・スポットライトをあてるが、いつも同じところにあたってしまう。これが神経症
自律訓練法には二つの意義がある。
1)いつも同じところに当たっている光を別のところを照らすようにスポットの場所を変える。注意の焦点の変更作用。
2)スポットライトではなく、全体を照らす光を手に入れる。注意の広範化作用。

3222
解離と「ウーのこと思っていました」
・日常生活にあるマイルドな解離をとらえる。

3223
三匹の子豚。わたしの保育園の時の黄色い鞄である。そしてそれを選んでくれた人はもういない。
そのことをもう誰も知らない。
それはわたしのこころの中だけに実在している。

なかったことにされても、結局誰も知らないし、歴史にどのようにとどめられているわけでもない。

神様の日記帳があるわけではない。

しかしそれでもわたしの心の中にはある。普段は忘れているけれど、こころのどこかに刻まれている。

人の歴史は無に帰る。ただ人の心の中に生き続ける。

人の心に灯りを伝えたい。それが生きることである。

ろうそくの火が、他のろうそくを灯すように、そのように伝えられる何かがある。
それが人の温かさだ。

3224
非常に苦しい人生になったとき、夫婦で助け合うか、あるいは夫婦で苦しめ合うか。
苦しめ合う場合にも、不満のはけ口として役立っているわけだから、ある意味では支え合っているはずである。それも支え合いの一つの形である。

苦しめ合っても、逃げ出さないことが結局、夫婦の証である。

しかしどちらかといえば、苦しいときに夫婦のきずなを強め合うようでありたいものだ。

ネガティブ・ストロークを与え合う関係は良くない。

性格なのか。どうしようもないのか。

ポジティブ・ストロークの良さを体得できていない。自然にポジティブストロークの関係に入れるように、「学習」できないか。

ネガティブに支え合っている。いなければそのような変な関係は生まれずにすんだのかもしれない。だからきっぱりと分かれれば、すっきりするのかもしれない。そうは思うが、夫婦のことである。そのようにネガティブに結合していて、お互いが必要だという場合もある。

3225
かわいそうと強く思うと、つい薬が多くなる。
抗うつ剤が多くなって、結局さらに不安を増すことになる。電話がかかってきたりする。
薬は少ない程度でいいのだと承知はしているが、それができない。薬が治すのではなく、時間が治すのだ。分かっているが、つらいのを見ると、はやく効かせてあげたくなってしまう。
もっと研究する必要がある。

また、ストレス反応性であったり、性格因性であったりすると、薬にはあまり期待できない。その場合には、焦って薬を多めに出したりしてはいけない。
文章で書けば、わたしだって理解はしている。しかし現実の場面では、ついついサービスのつもりで、同情のつもりで、薬が多くなることがある。

3226
中身と外見と自己イメージ。
心理と外見と自己イメージ。
外見は田中が彼をどう見るかということ。
自己イメージは自分が自分をどう見るかということ。
心理と、自己イメージと、他者から見たイメージと。この三者の食い違いがあると、つらくなる。

自己イメージはしばしば実際の自分よりも高い。しかし、少し高い程度ならば、むしろ努力の源泉になる。

他者から見たイメージは、外見であるから、結局家の人に注意されたりするところで大きく左右される。家の人も何も言ってくれないとそれきりで、中身と外見が一致してしまう。それはそれで良いことだ。一致していれば、苦しみは少ない。

典型例は、
中身=外見<自己イメージ(太田君、横井君)
これは他人に嫌われるパターンである。他人は外見から判断して、適切な対応をしていることになる。しかし自分だけは自己イメージがずれているために、ちぐはぐな感じを持つ。

また、中身<外見=自己イメージ
この場合は、他人から見られている自分と中身が一致しないので悩む。中身と外見が一致しないのは、(主に)親が形作っているからだ。

3227
強迫の母、娘、孫。三者の強烈な喧嘩。迫力充分である。娘が、母の様子を見て、自己洞察を深めることができれば、救いがある。

ここにも繰り返しがある。同型性。

3228
満潮の時には岩が隠れる。干潮の時には岩が現れる。
ストレス状況下では、今まで余裕があったときには隠れていた岩が、現れる。
たとえば夫婦関係、親子関係、職場の人間関係、昔から気にかかっていたことなど。
ストレスがなくなって、余裕が持てるようになると、ふたたび問題は隠れる。

→以上の事情を図解する。

3229
床屋とは少し違う。待合い室で暇つぶししていればいいというわけではない。待ち時間は一人静かに自分の人生について考える大切な時間である。

3230
パニックの治り方。
かさぶたがはがれるまでそっとして待つ感じ。
早く治りたいと思って無理矢理に頑張ると、かさぶたをいじって無理にはがしてしまうようなものだ。
そっとしておくことが一番早くきれいに治る。
その感じをつかんでほしい。

3231
精神障害
・内界認知障害‥‥神経症の病態水準‥‥不安神経症
・外界認知障害‥‥精神病の病態水準‥‥分裂病
・行為障害‥‥認知ではなく行為の障害。‥‥強迫行為、衝動行為
に分類する。この三者は重畳することがある。

・ストレス性障害は内界認知障害とどのような関係にあるか?→多分、関係ない。別のものである。

ストレスの内部認知障害があるだろう。その点では神経症的である。
古典的神経症は、内部の欲求を抑圧することによって生じるものである。
ストレス性障害は、ストレスの感知を抑圧していることから、過剰にストレスをためこむことにつながる。それは過剰に自分を「変形」することである。その変形を感知できない。その意味で内界認知障害である。

1)内部ストレス認知障害。→無自覚性ストレス障害
2)ストレスを充分に認知していて、その上で、苦しんでいる場合。→これが自覚性ストレス性障害。

2)の場合にも、訴え方として、言葉のレベルで、また、身体のレベルで、十分にストレスを表現できているかという問題がある。

内部ストレスの原因として、生育の歴史に問題がある場合がある。複雑性PTSDと考えてよい。

3232
脳に変化が起これば、精神科。内部に原因がある。
ストレス性なら心療内科。外部に原因がある。
「ストレス医学」であると表明するのも悪くないと思う。

精神病の場合、精神病性の内部変化がそのまま大きなストレスとなる。従って、ストレス性障害の重畳が見られる。

3233
パニックとストレス性障害の共通性
パニックはストレス性障害であること

(たとえば)レイプ→恐怖症(一般にPTSDのメカニズム)
(身体因によるパニック)→(予期不安による)不安状態

3234
シートを作る
・診断に何回(心理テストを入れる)、ターゲットは何か。
・病気の成り立ちについて説明(パニックやうつなど)→書類を作る
・薬剤の説明と、選択の際の患者参加→書類(名前入りがよい)

3235
「自然な感情」と「理屈」の対比

3236
小学校の学級崩壊についてNHKテレビ・クローズアップ現代
クラスがバラバラ
授業が成立しない
ののしり合い、けんか
立って歩く、出て行く
いじめ
テストを破って捨てる
物を投げる

協調性ー非協調性、いいかげんーまじめ、こうした軸だけで見ていると、いい子と悪い子ははっきり分かれる。
しかし、得意を見つける、いいところを見つける、という方針で考えると良い。
ゆとりがあるか、積極性があるか、という軸で見ると、子どもの別の面が見えてくる。複数の軸で考える。
教師は自分がまじめでいい子で努力家で育ってきた。それを子どもたちにも押しつける。そうした価値観で判定する。
(強迫性の押しつけ。強迫性の再生産。しかしながら、しつけとはそういうものである。昔はそれでよかった。今それができないのはなぜか。それが問題である。多分、教育の裾野を広げすぎた。戦前は選ばれた者に対しての教育であった。戦後は戦争で淘汰が起こった。)
子どもは我慢ができない。(なぜか?)

教師が悩みを打ち明けると、教育技術の問題だと判定される。愛情不足だなどとも判断される。(個人の問題はどの程度あるのか、評価が難しい。)教師は徒労感にとらわれる。

3237
子どもや患者を社会情勢または社会変化のカナリア」として考えるのはどの程度正しいか?
何が変わったか?社会が変わっても、子どもが変わっても、学級崩壊は起こるだろう。
教師にも問題はある。親にも、子どもにも、社会にも、問題はある。どのように解けばよいか、途方に暮れる、そのような連立方程式である。

子どもが我慢ができない状況。→衝動コントロールの衰退。
クラスがバラバラ。→集団機能の衰退。

3238
小さな子どもを育てている母親のうつ。デイケアの形で子どもを面倒見る。

3239
薬や治療方針に関して、印刷物の形で手渡す。
口で説明するだけではなく。
手間暇かかって大変だけれど。

患者は忘れやすい。確認したがる。その時に、手元に書類があれば、とてもすっきりする。
書いてあげたものを大事に財布に入れて持ち歩く人がいた。

「言葉の処方箋」である。

3240
メンタルトレーニング。
ある局面で、人生脚本が反復される。

高校野球のベンチで、点数を入れられたあと、ベンチで天を仰ぐ。その表情に、彼の人生脚本を見る。

3241
レセプトの自動化。
何をどこまで。

3242
背中のボタン
洋服の中には自分の手ではかけられないボタンがついているものがある。そんな洋服を着るときは、誰かにボタンをかけてもらわなくてはならない。不便な服だと思う。
人間のこころは、このような服に似ている。
自分で自分のこころの手入れをしようと思うけれど、自分ではできない。自分の手が届かないところにボタンがあるような感じである。そこで他人が必要になる。その人も誰かを必要としている。そのようにして誰もが、自分の背中のボタンをかけてくれる人を必要としている。

しかしだからといって、自分のこころの手入れを他人まかせにするのではない。これもボタンをかけることに似ている。背中のボタンをかけるかどうかは他人まかせにするのではない。かけて下さいとお願いする。かけて欲しくないときには拒否することができる。そもそも頼まない。自分で決めるのだけれど、自分で実行はできない。

自分では操作できない。他人の手が必要である。人間はそのようにできている。

具体的には語り合うことであり、手をつなぐことであり、配慮し合うことである。見つめ合うことであり、温もりを伝えることである。

現代社会は、このような側面を忘れていないか?人間には他人というものが決定的に必要であるということ。
しかしだからといって、他人に依存するのでもない。また、こうした事情を利用して、他人を支配するのでもない。そのようなよい人間関係のあり方を学ぶ必要がある。

3243
投薬量が多いのは、攻撃性が高まっているときである。
自戒すべきである。

「先生何とかして下さい」と言われて、それではと、強い薬を出すのは、へたくそである。何もわかっていない。
薬で治すのではなく、精神療法で治すのである。そのようなつもりで、薬は現状維持か、または減薬である。これが上手である。ストレス性疾患の患者は薬では治らない。精神療法と時間が癒すのである。

このようにわかっていても、なお、増薬の愚を犯す。それは攻撃性の故である。

3244
心と体の相関。
心が原因で体が乱れている場合、心を治すのが第一であるが、まず体を整えて、心が整うのを待つ方法もある。その意味での心身相関である。
原因を治さなくても、結果を正していくだけで原因が治る。それが人間の心と体である。

心に効く薬は恐いという。だから、体に効く薬で心身を整える方向を目指す。このような方針もよい。

3245
意識の層のストレスと無意識の層のストレス。
意識の層のストレスは語ることによるカタルシス。安心して語ることのできる環境を提供することが、仕事。
無意識の層のストレスは治療者の助けを借りつつ洞察。たとえば絵画。

無意識層にため込んだストレスは、専門家の力を借りて発散した方がいい。

カタルシスと共感と洞察。

3246
いい子ほどストレスを内側にため込む
心療内科に来るのは悪い子(頭の壊れた人)ではないとの説明に利用できる。

3247
薬の悪い使い方→忘れさせる、鈍麻させる。
薬のよい使い方→安心する。

依存になるのではないかと心配しながら使っているのでは結局不安を増大させているだけである。
納得できないのに飲む薬は不安のもとである。

3248
ストレス性障害
ストレス関連障害
不安性障害

こうした言葉を使って説明する。

無意識層にため込むストレス。意識層にため込むストレス。
しかし「ストレスをため込む」とは具体的には何をさしているのか?
もやもやを未解決のまま持ち続ける。
納得できないままに時間を過ごしている。

3249
「自分が自分であるために」

社会から期待されている自分。あるいは社会からそのように見られている自分。
それと、本来の、ありのままの自分との落差。
落差が小さいとき、何とかやっていける。
落差が大きいと、生きるのが難しくなる。
たとえば子供。
親や学校、社会から期待される自分。それと本来のありのままの自分。この二つの落差。
落差がはっきりしていればまだいい。落差が分からないほど、本来の自分がゼロになっている。「透明な自分」になっている。社会から、外側から、自分が規定されている。

3250
内在する自己治癒能力を引き出す
治癒といえば病気からの回復のように響くので、自己成長力、自己回復力、自己洞察力などといえばよいだろう。
ストレス状況下では、本来の自己成長力を押さえつけられている場合がある。そうした状況を見きわめて、邪魔者をどけてやれば、また成長力を発揮することができる。
これは広い意味での教育の原則でもある。

邪魔者を片づける方法の一つとして、薬剤がある。

ストレス状況下では、干潮時の磯のように、ごつごつと岩が見えている。そのどれもが心の問題であり、生育上の未解決の問題であるように見える。しかし満潮になると、どの岩も隠れてしまう。
不幸せなときには心の問題も見えてくる。しかし幸せになれば、いろいろな問題も姿を隠す。
解決されたわけではない。しかし姿を隠すのである。

薬剤は、干潮を満潮にするためのきっかけを作ることができる。

3251
「あ、そう」の一言も、イントネーションによって多様な意味を込めることができる。
その微妙さを読みとることで会話が成立し、人間関係が成立する。
しかしその微妙さを感知できない人たちがいる。分裂病とはそのような地点に成立する事態である。

3252
一般の人たちが感じている、「心に効く薬」の胡散臭さについて。
・眠らされる。鈍感になる。それでは問題は解決しない。
・副作用でだめになる。

3253
分裂病デイケアの理論化。

3254
うつの患者さんに手渡す書類をつくる。

3255
良い子ほどカウンセリングが必要である。
・適応することは、周囲の環境に合わせて自分を変えることである。本来の自分ではないから、ストレスが内側にたまる。
・悪い子は、不適応状態であることを叫んでいるし、周囲に変わってくれと要求している。自分を変えてしまうタイプではない。
・ストレスは意識の層にも、無意識の層にも蓄積される。
・蓄積されたストレス(=内部の変形)がある程度以上になると、身体や精神の症状になる。
・このように考えれば、「弱いからストレスに負けている」のではない。「厳しい環境に合わせて自分を変えすぎた」から、ストレスがたまりすぎたと考えられる。
・こうしたタイプのストレスをコントロールしていくのがカウンセリングである。

3256
報われない人生を生きている人がいる。
誰かが理解してあげれば、すこしは救われるかもしれない。

少しは報われるようにできないものだろうか。

報われることは、「意味づけ」に関係している。宗教の重要部分は、この世での矛盾や報われなさ、不公平、不幸、こうしたものに関しての意味づけであろう。「不幸の意味の体系」がある。

宗教をなくしたとき、この意味での、「不幸の解釈の体系」を失った。その時から、不幸は不幸のままで咀嚼されずに残されることとなった。いつまでも恨みの節を反復している。

宗教といえば意味がずれるとすれば、意味づけのシステムである。「現実の損」を解釈し直す、「現実とは別の意味の体系」がない。

そんなものは幻だ、嘘だ、とマルクスのように語ることは正しい。しかし、その代わりとなる心の安定剤が必要だ。本当に宗教は麻薬である。

上質の宗教の言葉は詩の言葉である。現実に関しての新しい・別の解釈を提供する。その人の通常の思考では結合し合わないもの同士を新たに結合させる。そのような創造的な経験が、傷をいやし、不幸を咀嚼することに役立つ。

3257
心と体
不安や怒りが身体化する例を日本語から拾う
腹が立つ
胃が痛い
ドキドキする
手に汗握る
不安や怒りが身体化することは普通に起こることである。病的ではない。
診察室で、「不安です」という言葉を聞きながら、瞳孔の様子、眼の動き、呼吸の様子、表情など、外に現れている部分を拝見する。
本人の語る言葉と、外に現れている様子が矛盾しないなら、その点は問題がない。治療は不安を解決することである。
言葉と外に現れている様子が矛盾しているとき、さらに複雑な治療が必要である。

言葉  様子
+ + 不安状態
ー + いわゆるアレキシサイミア(失感情言語症)
+ ー  身体化の不足……身体表現の練習をする

診察は、意識の領域の表現、無意識の領域の表現、身体と行動の領域の表現の、各々で行われる。それぞれの領域からの表現が矛盾がないか、注目する。

ただし、無意識の領域からの表現は、意識を通じてか、身体や行動を通じてかの、いずれかになる。

3258
原因の分かっている不安と、原因の分からない不安。
パニックの不安は、原因が分かっている。成立のメカニズムを説明することができる。
原因の分からない不安は、無意識の層からの信号としての不安と説明される。
無意識層に抑圧している欲求が、「そろそろ僕のことをどうにかしてよ」と信号を送る。それが不安として認知される。しかし抑圧したままだと、どんな欲求が自分の内部にあるのか、わからない。どんな欲求があるのか、意識することができれば、不安はやむ。これがフロイトの説である。
「欲求の内容については洞察した。それなのに不安はやまない。症状は続いている。」と反論されたとすれば、フロイトは、「その洞察が本物ではないからだ」とやり返すだろう。症状が消えたら、その時が本当に洞察したときなのである。
抑圧しておきたい自分の欲求を洞察することは容易ではない。かなりの心的エネルギーを投入してでも、抑圧して、「ないことにしておきたいもの」、それが問題の欲求である。洞察が困難であるとしても不思議ではない。

3259
意識は言葉で語り、体は症状で語る。そのメッセージを読み解くことが仕事である。
意識は言葉によって何を語っているのか?体は症状によって何を語っているのか?

3260
自らの受難に関して、言葉を選んで文章として記してみる。そのことが癒しにつながる。
なぜか?

3261
対話的関係。
相手の話を最後まで聞く。文章の最後に、ピリオドやクエスチョンマークがつくまで、きちんと聞く。
聞き手に余裕が必要である。

3262
「まるで生きているみたいだ」と驚いたりする。この感覚は何に起因しているか。このことがひいては、何を生き物と認知しているかということと関係しているだろう。
多分、意志や目的意識を持って運動しているということが、本質となっているのではないか。
「目的意識をもって運動しているように見える」ということの内容として、時間に依存しているという指摘がある。

生き物らしさ。時間に依存している。
植物の場合、何週間かの時間サイズで見れば、意志を感じる。ビデオを早回しで見れば、まるではっきりとした意志を持って、太陽の方向に伸びて行くように見える。
たとえば地球の営み。海が岩を浸食する。その場合も、何十年か何百年かの時間単位で見れば、意志を感じるのではないか。
つまり、無生物もスピード撮影で見れば、生物に近くなり、意志さえも感じるようになる。
逆に、生物も、時間を微細に見るとすれば、(つまりスローモーション再生で見れば)、無生物に近くなるだろう。

生物も結局は無生物から構成されているには違いない。人間は自分の時間感覚で周囲を見る。似たようなものは生物と認知する。それだけのことかも知れない。

生物と無生物といっても、それだけのことだ。本質的な区別はない。

3263
どこまでが自分の内部で、どこからが外部か。
発達遅滞があり、家では暴君で、外ではよい子という場合がある。家と家族がこの子にとっての内部である。
成長にしたがって、内部は自分の心の中に限定されてゆく。その方向での成長を援助することが仕事になる。

3264
精神科医の印象の悪さ。
これは決定的。
予断を持って人を見る。
医者・治療者の側の、人間としての薄さに応じて、見立ても薄っぺらになる。

3265
人間の意識と自律訓練法

洞窟の中で懐中電灯を持ち、半径30cmを照らしている。それが人間の意識である。
奥には無意識や、子供のころの記憶がある。普段は、そのあたりまではライトは届かない。
手前には現在に近い意識、意識の表層部分がある。そのあたりならばライトで照らすことができる。
また、普通の場合には、状況に応じて、必要に応じて、意図的に、洞窟の手近なあちこちの部分を照らすことができる。
ところが、神経症の場合にはその柔軟さが失われる。
手前にある「危険」の立て札をいつまでも照らしつづけている。ほかの部分を照らせばいいのに、それができない。したがって、いつまでも「危険」を意識し続けている。

ほかの部分を意識的に照らすにはどうすればよいか、それが治療である。注意を逸らしなさいと、同義反復のようなことを言う。それでは解決にならない。自律訓練法は、こうした場合に有効である。
自律訓練法は、ライトの照らす部分を変えてくれる。それが自律訓練法の第一の働きである。

第二の働きは、半径30cmのライトであったものを、半径3メートルくらいのライトに変えることができることである。この段階に至れば、禅やヨーガの高度な境地と似ているだろう。
精神の視野が広くなり、「危険」の立て札が立っていることも見えてはいるが、さほど気にならない。視野のあちらこちらで何が起こっているのか、把握することができる。
精神の視野が広くなれば、「あるがまま」の境地も実現できる。恐怖や不安は相対化されるからだ。「とらわれ」ることがなくなる。

3266
強迫症の人は「強迫性格のげた」をはいている。
子供の場合、学校の成績は、「本来の能力」+「強迫性格のげた」の和である。結果として同じ成績でも、強迫性格でない子供のほうが能力は高いだろう。
子供のころから強迫性格を教育していると、子供の本来の能力が見えなくなってしまう。
強迫系の子供の場合には、本来の能力を過大評価することのないように注意したい。
小学校のころはよくても、だんだん学習内容が高度になると、「強迫性格のげた」だけでは対処しきれなくなる。だれもそんな高い下駄は履けないのだ。

3267
病気の人に、自分だけではないという実感を伝える。それが安心になる。
例えば麻疹なら、家族も経験がある。すっかり回復して普通に生活できている。そのあたりが安心材料となる。

3268
「あ、そう」という言葉で、がっかりした患者さん。
人間の言葉にはさまざまな感情が乗っている。語るときの声の調子や表情、さらにはその時の状況がある。それらを全部無視して、辞書的な言葉の意味だけを受け取るとしたら、苦しい誤解にもつながる。
たとえて言えば、パソコン通信の状況に似ている。脱色された活字だけが並んでいる。
したがって、このタイプのコミニュケーション障害のある患者さんはパソコン通信に親しみを持てるだろう。

3269
ミフィちゃんの絵が描いてあるティシュペーパーの箱。「Wish happiness to all my friends.」とある。
幸せは、みんながそうなれるものなのだろうか?あるいは、限られた資源であり、誰かが幸せになれば、誰かが不幸せになるというものなのだろうか?

幸せの感覚も、他人との比較や、自分の過去との比較から生じるものだとすれば、「すべての友達」が幸せになるのは難しそうである。

また、わたしの友達が幸せになったことで、友達以外の人たちは不幸せになっているのではないかとの疑いがある。

例えば誰かの合格祈願。それ以外の誰かは不合格になるのだ。
金銭的にも同様であろう。

すべての人の幸せというパラドックス

そこまで厳格に言わなくてもいいかもしれない。食料が大量に出回れば、すべての人が満腹できる。それがすべての人の幸せである。(この傾向が極端になれば、農業に従事している人たちは大変だと思う。)
こうした面では物質の豊かさはすべての人の幸福の実現に役立つだろう。

健康はすべてのことが持つことができる。誰かが持つことで、誰かの持ち分が減ったりはしない。

たとえば臓器移植は、こうした健康観を変えるかもしれない。限られた少数の資源を競争して獲得する場面が生じるのではないか。ここでは少数者の、勝者の幸福になってしまう。

3270
引きこもりの民話・伝承の実例。
三年寝太郎。……三年はうつとしては長すぎる。青年期の長い引きこもり。しかし、その後で村の危機を救う働きをした。その点では希望を与える。
天の岩戸の物語。……反応性の引きこもりだろうか。

3271
患者満足度が大切。
どのようにすれば、もっと納得して、もっと満足するか。
第一は聞く態度。……怒らない。ばかにしない。肯定する。
第二は情報の質と量。……原材料を揃える。本、雑誌、テレビ、インターネット。
第三は情報提示の方法。……分かりやすい言葉。短い説明。聞きたいことを。文章は、短く、漢字も少なく、ふりがなをつけて、絵を添えて。

3272
たとえば過敏性大腸炎の説明など、あらかじめ用意しておく。オリジナルの説明書。それを蓄積して、出版する。

3273
性格構造→背景病理→前景症状
この連なりを理解する。
これらすべての背景に「脳神経細胞の特性」がある。

      性格構造→背景病理→前景症状

神経細胞の特性↑    ↑    ↑

(脳神経細胞の特性)+(生活歴)=性格構造
これに「病的変化」が加わり、背景病理を形成する。
さらに「現在の状況」に影響されて、前景症状が観察される。
(以上の関係を図に示すことができる。)

この説明は、特にパニック障害のときに使える。
1.強迫性性格傾向。
2.うつ病または分裂病の背景病理。
3.パニック発作や回避行動の前景症状。
どこをターゲットにするかで、薬剤選択が異なる。

3274
浦島太郎が玉手箱を開けるとき。
A.竜宮城という居心地のよい非現実の場所から、白髪のおじいさんという現実に移行する。その引き金が玉手箱を開けるという行為である。
B.玉手箱を開けてはならないと乙姫様から指示されている。しかし浦島は開けてしまう。

1.分裂病の比喩として
浦島太郎が竜宮城に行って楽しんでいたとき、幻覚妄想状態であった。玉手箱を開けて、現実に直面した。
2.引きこもりの比喩として
引きこもりの状態は、竜宮城である。玉手箱を開けて外の世界に出る。
3.青春の比喩として。
玉手箱を開けるとき、青春は終わり、人生が始まる。
4.人生の比喩。
短い人生は竜宮城の夢のようである。玉手箱を開けるときとは、死の瞬間である。死の瞬間に、人は人生の現実を明白に見る。その瞬間に、十分な視力を獲得する。その瞬間まで、視力は曇ったままである。近視のままで生きている。短い時間のことだけしか考えられない。

3275
ストレスに強い人と弱い人との違いを、神経伝達物質とレセプターの特性に還元して考えられるか?
ストレスに弱い人は、ストレスに直面して、現実的・適応的な行動を選択することができない。退行的・非適応的行動をとる。
○ストレスに曝された状態とは、相対的ドーパミン過剰状態になったときである。
○相対的ドーパミン過剰状態になったとき、上位機能は一時的に機能停止となる。結果として、退行的になる。
(この状態が継続するのが、分裂病性の欠陥状態である。)
○このように退行的になれば、現在とは別の適応パターンを探るということになる。新しい行動パターンを開発することは難しいが、昔身につけたパターンを再び利用するのはたやすい。
○子供は新しい行動パターンを身につけることが容易である。大人になれば、新しいパターンではなく、古いパターンを再利用するようになる。
○では逆に、相対的ドーパミン過剰状態になっても、なお退行的にならず、機能を維持し、逆に新しい適応行動を身につける人がいるのはなぜなのか?
○補完システムを考えることができる。ドーパミン過剰になった部分は機能停止するが、並列的に機能している脳の他の部分が機能を補完するのではないか。その部分ではドーパミン過剰ではないから、高度の機能を発揮できる。
○診察場面で、その人がどのような行動パターンを発揮しているか、その行動はその人としては高度なものなのか、それとも退行的なものなのか。そのあたりを区別していく。自分では気づかないうちに、退行的で非適応的な行動をとっている場合があるので、客観的な立場から指摘する。

3276
工夫が必要なこと(1)
待ち時間をどのように過ごしていただくか。
待ち時間の表示。→医者に分かるように(どれだけ待たせているか)。さらには患者に分かるように(あとどれだけ待てばいいか)。

工夫が必要なこと(2)
病名を落とさないこと。
処方が変更になったら、病名をチェックする。
次に、その変更をレセプトに反映させる。
この仕組みを考えること。

3277
ニューロレプティクスを、分裂病の薬ととらえずに、ドーパミンブロッカーとして把握する。さらに限定して、交感神経抑制薬として位置づける。「何の薬ですか」と尋ねられたときに、「安定剤の一種です」と答えることは結局、精神の病気ですと言うに等しい。「ひどい状態です」と告知されるに等しい。
交感神経の働きを抑制するための薬ですと説明する。なるべく身体の次元での説明にすりかえる。
・交感神経と副交感神経のバランスの問題。不眠症や過緊張の場合、交感神経が優位であるとまとめることができる。しかし、副交感神経との関連で言えば、交感神経の絶対的な活動量のほかに、副交感神経との相対的な関係が問題になる。
   交感神経   副交感神経
活動  高い     高い
    高い     低い
    低い     高い
    低い     低い
このほかにも普通とか、やや高いとか、無限のバリエーションがある。また、相互関係という面で言えば、お互いが他方を制御している面も考えられる。
総括して言えば、交感神経優位状態といえる。その内容に応じて、さまざまな処方が考えられる。
・大まかに言って、交感神経を抑える方向と、副交感神経を賦活する方向との二つがある。
・交感神経を抑える薬として、セレネースを考えることができる。
・副交感神経賦活の方法として、リラクゼーションを考えることができる。

・不眠と過緊張ではどのように違うのか、それもまた問題の一つ。

3278
こころの問題も、身体の次元の説明にすりかえてあげたほうが安心する患者もいると思う。

自分は精神病ではないと思いたい。

精神病の薬を飲むようになったらおしまいだと思っている。
このあたりの素朴な感情は、素朴なだけに根強い。

3279
なぜ子供のころの稚拙な適応パターンがいまだに残っていて、日常の不適切な場面で顔を出してしまうのか?
損をしていると知りつつ、なぜ損を続けるのか?
隠蔽された利得があるからと考えるか?

しかしたとえば捻挫した足が痛むということに特に疾病の利得はないように思える。

3280
スポーツ選手のスランプ。
どんな選手にも必ず調子の波がある。そうした波と、躁うつの波とは類似していると患者に説明することができる。

バイオリズムといわれるような、体の内部の波。
生理周期。

いくつかの波の合成として、体調を把握することができるだろう。

3281
文学においても、科学においても、人間にとって根本的な問題は、自由意志は虚妄なのかという一点である。
この一文だけでピンと来る人は「こちらの人」である。何を言っているのか分からない人、自由意志はあるに決まっているではないかと思うだけの人は、「あちらの人」である。
「こちらの人」と「あちらの人」とは、全く別の内的世界を生きていると言っていい。ただ偶然に同じ場所で生活をしているだけである。

人間として重大な問題はもう一つある。この宇宙はどのようにして生成したか、この宇宙には、更に背景となる舞台があるのか、時間はどのようにして形成されたものであるか。

自由意志の問題を含めて、人間の意識の問題と、宇宙の生成・構造の問題とは表裏一体をなすものである。
その意味で、問題は一つなのである。

もし自由意志が虚妄であるならば、つまり錯覚に過ぎないとすれば、人間は単なる自動反応機械である。
現代科学はそのことを強力に実証している。まともな科学の領域で、この受け入れ難い嫌悪すべき事実に対する反証は皆無である。
科学としても文学としても次元の低い通俗の言説として様々なことは言われる。しかしそれは説得力に乏しく、時間をさいて取り上げるに値しない。

うつろな自動反応機械。ただ環境に反応して、内部プログラムを遂行するだけの自動反応機械。人間というものに対してそれ以上のイメージを抱くことができない。

この悲しみを鋭く意識するからこそ、この唯一の問題について、真剣に取り組む必要があると感じる。

意志はある点では原因になる。世界を変える。しかしそれは時間的にそれ以前の前提があり、生成されたもので、その生成のされ方を考えると、「自由意志」とは言い難く、結局のところ、強制的に決定された意志であり、不自由な意志であり、自動反応機械としての反応でしかない。
そのような人生をいきる意味がどこにあるのだろうかと思う。

意味はあるだろう。
全く受動的な体験として、映画鑑賞をあげることができる。
人生を生きることは、受動的であるという点で、つまり、能動性を剥奪されているという点で、映画鑑賞に等しい。
違いは、能動性の錯覚が仕組まれている点である。自分が能動的にかかわっていると錯覚しながら体験することができる、そのような一緒の特別な「映画」なのである。
しかしその錯覚の本質を知ってしまったら、されは通常の「映画」となんら変わるところはない。

では人生とは単に映画を見ることと同等の意味しかないものなのか?
当然そうである。それ以上の意味はない。
この世に生まれ、この世のありさまを観察する。それだけのことである。

自分の身の回りの人が生きて死んでいく。その様子を見ていて、人間はこの世界の重要な構成要素ではないことを知ることができる。誰かが死んだならば死んだで、世界にとっては何の不都合もないのである。
映画の観客が退席しても映画には影響がない。極端に言えばその程度のものである。
ニヒリズムは正しい。
この世界と人生には意味がない。
意味がないところに錯覚の意味の体系を構成している。そしてその構成には無理がある。通常程度の理性があれば誰でも簡単に錯覚を見破ることができる。

これはわたしの憂うつの発作に過ぎないのであろうか?

3282
不安を鎮める薬とか、抗うつ剤と言わずに、交感神経の緊張をほぐすタイプの薬と説明する。
抗不安薬抗うつ薬も、覚醒剤も、麻薬も、みんな同じように考えていることが多い。おおむね精神に効く薬はうさん臭く受け取られる。その素朴な感情も理解したい。

筋肉の緊張をほぐす薬と同等に、末梢神経の緊張をほぐす薬と説明したい。

3283
交感神経と副交感神経のバランスの様々な様子をグラフにしたい。
直交する座標でも良いし、交感神経を上、副交感神経を下にとって、グラフ化しても良い。
何かを測定して、グラフ化したい。

心電図や脳波のような、または、心音の聴診のような、医者だけが判定できる情報を利用したい。

3284
家族というものの価値。
価値の共同体としての意味。

価値を育成する場所。

3285
学校という制度の二面。エリート選抜と、庶民の啓蒙(下級企業戦士育成)と。
エリート選抜の機能を重視していた頃は、落ちこぼれは問題にはならなかった。
いつの間にか、すべての人が下級企業戦士になりたがるようになった。

3286
レセプター×ドーパミン=↑↑
この事態の原因としてもいくつか考えられる。
1)SR特性の問題。刺激が大きくなると、急激に反応が大きくなるタイプ。
2)レセプターが多くなっていて、そのままで固定してしまうタイプ。レセプター量の可変性減少が問題。

3287
ACの話。
子供が親に嫌われる。
自分が悪いからだと思う。
自分がだめだから親に愛されないのだと思う。
自分を消去したくなる。
「死にたがる子」という、NHKのドラマ。伊丹十三と宮本伸子が出演していた。子どもの自殺をテーマにしたドラマ。その中で、現代で言うACと全く同じことが同じ言葉で語られていた。普遍的なテーマであるらしい。

3288
現代社会と不安、抗不安薬
現代の生活の中で、近眼、老眼と眼鏡は当たり前である。人間の眼は、書類やテレビを見続けるように設計されてはいない。
同様に、人間の神経系は、現代社会のようなストレスを生きるように設計されていない。慢性・持続性のストレス、回避することはできず、しかし打ち勝つこともできず、ただ耐えるしかない。そのような中で、抗不安薬は眼鏡のようなものではないか。

3289
履き物。サンダルとか、スニーカーとか、革靴、外反母趾。生きる姿勢がよくあらわれているのではないか。

3290
患者は何を求めているか。
薬と出会いたいのか、医者と出会いたいのか。人によって違う。

3291
漢方薬の証。
CMIや絵画によって把握できる部分があるのではないか。
CMIパターンは身体部分で特に有効で、従来の証をそのまま生かすことができる。
精神部分では、精神科的に把握することで何か得られるのではないか。
例えば、マニー性格と抑うつ傾向などを軸にして、対人態度の特質から何かが得られないか。
また心気傾向を軸にして、また、現実把握のズレ、固執性など、利用できないか。

そのための資料の収集ができないか。

証は、客観的なものと考えないほうがいいのではないか。
その医者の人格との出会いでどのような反応を呈するか、そこのところを見ているのではないか。だから、一人一人の医者が経験を深めていかなければならない。

3292
身体の病気。‥‥西洋薬。
それを気にする心理。‥‥漢方。
漢方は、身体の不調をかかえながらも、よい人生を生きる、そんな態度を補助できるのではないか。
下部構造に西洋薬、上部構造に漢方。そんな感じ。
例えば、精神病にはまず西洋薬。神経症には漢方。といった具合。

その場合、漢方は、「医者との出会い」とセットになっているのではないか。

3293
カルテ記載の要点
日時
病名
症状
治療(精神療法の内容・検査内容)
これらを定型にして処理すれば漏れがなくていいわけだ。

3294
便秘を、副交感神経↑、交感神経↓、のあらわれとみる見方。

交感神経と副交感神経の緊張の度合いを測定し、図にすることはできないか。

何を測定するか。いろいろな方法はあるが、生理的なものがいいか、非生理的なものがいいか、選択の余地がある。

3295
漢方と心理検査の関連付け
CMIとTegはやりやすい。特にCMIは身体と精神の特有のパターンを抽出できる可能性がある。
また、絵画の特徴を利用できる可能性もある。
これらを伝統的な証に代わって用いることができないか。

漢方の難点。
・まず生活自体が昔とは異なる。たとえば、食生活、住居、蛍光灯など。
・高橋晄正の「漢方薬は危ない」の件。愚かな人たちが商売の餌食になっている印象。しかしそれは仕方がない。いたしかたない前提条件である。

3296
「青春の過剰」とも言うべき人たちがいる。

3297
希少価値を争い、その獲得により優劣をつける社会では、必ず敗者が生まれる。敗者はその現実を受け入れ、自分の指定された社会的ポジションを受け入れる必要がある。しかし中にはオールオアナッシング思考の人がいる。敗れた場合に、生活保護、社内生活保護ともいうべき状態(NTTに何人かいた)、などになってしまう。

3298
強迫性障害・子供の躾・学業成績・女の子の成績頭打ち・自分についての評価の変更が必要になる・しかし女子の場合、難しい→二つのピラミッド(二つの価値観)

3299
不眠症についてまとめることはできないか。

3300
自分の置かれた状況を客観的に認識する能力・習慣の有無。

病気とはいえない程度の悩み
薬を使うほどではない
考え方や生活態度の一部にスイッチを入れるだけでよい場合も少なくない。