3101
人間が生きるとは大変なことだ。
病棟で。食べることが不自由。排泄が不自由。それでも生きている。大変なことだ。
一方ではいじめられて死を選ぶ人がいたりもする。
いまの自分の生きている時間感覚からいうと、人生は短すぎる。
痴呆患者の様子は他人事ではない。
3102
こんにちは。今です。あなたの担当医になります。どうぞよろしく。わたしにできることがあったら、何でも言って下さい。できる限り力になりたいと思います。
連絡先。緊急連絡をどうするか。ファックスを使うのはどうか(高頭方式)。(緊急連絡が必要になるほどの重症の患者さんは別のところで治療して欲しいけど)
そのあと、診療案内。各種情報の提供。
「こころとからだの療養マニュアル」の冊子を作る。備え付けて置いて、読んでもらう。
薬について。副作用の心配について。
うつの患者さんの療養心得。うつの患者さんの家族の心得。
費用について。
心理カウンセリング、心理テスト、自律訓練法について。
必要な場合、32条の説明。役所に言って32条と、障害者手帳の案内パンフレットをもらう。
3103
痴呆医療コーディネーターも必要
患者と医者の間に立ち、治療の希望を述べる役目。医療内部の人間ではなく、患者の立場を代弁する人。
法廷に立つときに弁護士が付き添うような形。
3104
昨日のテレビ。ナショナル提供の水戸黄門。
話の筋。堺の鉄砲鍛冶が、人殺しの道具をつくるのはよくない、そんな道具があるから使ってみたくなるのだと考え、包丁職人になった。その娘に惚れている若者がいて、よく思われたくて鉄砲職人になった。一人前になった頃には娘の父は包丁職人になってしまっていた。父親は鉄砲鍛冶には娘は嫁にやれないと拒否する。
一方、堺の奉行は女好きで、生娘を探せという。鉄砲鍛冶の娘に目を付ける。奉公にあがれというが、父が拒む。「女というものは、はじめての男は忘れられない、無理矢理押し倒してしまえば、後はいいなりだ」と力づくで拉致してしまう。(ひどい発言)
拉致した後で言いなりにならないと、「お前の大事な若者と父がどうなってもいいのか」と脅す。(これも卑劣な方法)
どちらも女性の心的身体的外傷の典型例であろう。
水戸黄門様一行の活躍により事件は解決し、若者は鉄砲鍛冶をやめて、包丁職人になることになり、結婚は許される。その時「はやく子供を作りなさい」と祝福される。
人殺しの道具についての考え方はよい。ナショナルにふさわしい。
しかし、女性に関する考え方の描き方についてはふさわしくない。フェミニズムと敢えていわなくても、よくない描き方であると感じられる。
「力ずくで‥‥」は悪人のいうことだからいいとは言えない。このようなところで教育がなされる。反面教師だから悪を演じて見せていいはずはない。
「はやく子供‥‥」については無神経というものだろう。
ナショナルというブランドがこのようなものを放送している。これでいいのだろうか?これが国民意識の平均線というものだろうか?
少なくとも、娘の心的外傷に対するケアが必要である。そんなこともなくけろりとしていられるように描いているのは、やはり無神経である。
テレビ、マスコミ界に人材を!と叫びたい。
3105
医者にしても、単なる専門職でいいはずはない。スペシャリストではなく、プロフェッショナルでなければならない。神との間に契約がなければならない。
卓越した専門技能・知識には、必然的に高い倫理が要請されるはずである。
しかしそれが難しい。こんなことをきれいな言葉で並べることはできる。たとえば政治改革を語った新井代議士。しかし実状は単なるスペシャリストで、権力欲にとらわれた人物であった。
難しいことである。支えるのはやはり人のネットワークではないか。神と約束し、友と約束をする、その中で人生は意味を持つ。
3106
血尿が出ている小平さん。尿閉だというので膀胱を押す。濃縮尿が出る。90を過ぎている。
太股は筋肉がなくなっている。皮膚は乾いて固い。
このようになる。時間は確実に過ぎてゆく。この重苦しい気分はどのようにして克服されるだろう。
簡単な問いではない。
3107
「死の淵からの帰還」野村祐之、岩波。
・プロとしての医師は、自分の事情や関心、好み、世間の風評に左右されてはならない。どんな権力や誘惑にも動じない。揺るぎない信念、良心、倫理観、正義感、死生観に支えられている。
●なるほど。開業医は、それができるではないか?自分に何ができるか、何をするか、自分でコントロールできる。
わたしはこのようなサービスを提供します。よかったら利用して下さい。気に入らなければ、利用しないで下さい。それだけのことだ。
ただ、命の価値は平等だということは忘れないようにしよう。公平無私、それが大事だと思う。
3108
カウンセリングの始まりは、病気をどう考えているかについての理解の概念枠のチェックからである。原因は、治療は、遺伝は、環境は、それぞれどのように考えていて、何を希望しているか、そこから話を始めたい。
いわばメタ・カウンセリングである。
3109
パナリオン(湘南心療内科レター)第一号
デイケアとは何か →今泉クリニックに置いてもらう
デイケアというものの認知が広まっていない
あまりに人数が少ないと何をするのか分からない(モデルが欠如)
職員がデイケアについて理解していない
3110
1)診断面接の日程を決める
・何を
・いつ
・結果はどう伝えるか
2)治療についてのプランシートを作る。それを「患者と共に」決定する。患者が治療に主体的に参加する。
・期間、頻度
・治療法の項目
・治療ターゲット、どうなりたいのか
・否定項目の決定(家族には内緒、電話はしない、薬は使わない、学校には知らせない、など)
3111
患者さんに治療者側の経歴情報を伝える工夫が必要
3112
心にとめておくべき言葉 貼っておきたいスローガン
患者さんのために
愛の実践
誠実
好きで病気になる人はひとりもいない
雑用という用はない
心をこめて いま心をこめていますか?
稀に治し
時に癒し
常に慰める
3113
心の時代という言葉で伝えられているものは何か
親密な人間関係の喪失
人間関係の空洞化
孤独なバナナ
植物も人間の気持ちの何かを感じている、その何かが、我々に欠けている。
3114
現代社会の特質を何に見るか?
方法論はあるのか?
方法論がないなら、自分の内面を語るのみで、社会を語っているのではない疑いがある。
競争社会とか学歴社会とか、少子化、老齢化、核家族化、価値観の多様化、人間関係の希薄化、こうしたことをキーワードにして、あれこれのことが因果関係の系列に組み入れられる。そこに本当に因果関係はあるのか?果たして論として成立しているか?ジャーナリズムとか、社会論評とか、ひいては心理の背景描写として、その程度の恣意的なものでよいのか?
結局、やっつけ仕事で金を稼いでいるのだとしか思えない。
3115
人はなぜ詩を書くか
1)歌うため。感情を歌うことはあるときは慰めになり、あるときは喜びを倍加させる。
2)旧来の言葉と経験の範囲内で、新しさを提案したいとき。たとえば新しい比喩。流行の言葉。
3)言葉の伝統が想定していない、新しい体験や着想を語るとき。これは言葉の本来の使用の範囲外にあることである。表現し得ないものを表現するというのだから。しかしそれでも言葉を組み合わせて表現するしかないというとき、詩を作る。これはたとえば分裂病体験を語るときである。
たとえば「いい温泉だった」といえば、これまでの経験と言葉の伝統の中で比較的容易に事柄や感情を伝達できる。しかし分裂病体験は言語システムの外にある。しかしそれでも伝えようとするとき、言葉の「詩的機能」を利用する。いわば言葉の意味の「にじみ」を利用する。
分裂病者は社会から排除され、分裂病体験は言語システムから排除されている。これは表裏一体のことである。
3116
ひとりで悩んできたんですね。もうひとりではありませんよ。
3117
二十年前の殺人事件。自首してきた人のインタビュー。
夢で何度もうなされた。いまでも。意識してはいなかったが、夢に何度も「鉄塔」が出てきた。現場に行ってみると、やはり鉄塔があった。
鮮やかな実例である。
意識できていないとしても、心に強く刻印されていて、何度も悪夢の形で反復される。
消化しきれない体験が、ナマのままで、多少の解離を伴って、記憶される。それが何度も夢に出現する。
3118
心療内科とは何か
・心療内科は心身症を治療する。心身症とは、病気の原因として心理的要因が少なくない比重を占め、治療の側面でも心理的配慮を必要とする病気をいう。
・別の言葉でいえば、ストレス病である。心臓や胃に問題があるのではなく、生活のストレスが問題になる。
・心療内科=心療+内科であり、心療は治療方法を示し、内科はどの臓器について治療を加えるかを示している。
・心療とは、心理療法の省略形である。同様の省略形としては物療内科がある。これは物理療法の省略である。物理療法とは、温熱、高周波、パラフィン浴などの治療法を指している。治療法としては他に薬物療法がある。精神療法は心理療法とほぼ同じである。
つまり、心療とは、治療方法の一つで、心理療法のことである。
・内科とついているのは、代表的としてつけているだけで、実際には耳鳴りならば心理療法耳鼻科となるし、動悸であれば心理療法内科となる。
内科系で扱う臓器は、循環器、消化器、呼吸器、神経などが代表であり、具体的臓器でいえば、心臓、血管、食道、胃、十二指腸、小腸、大腸、結腸、肝臓、膵臓、肺、脳、末梢神経などとなる。治療に当たる科でいえば、循環器内科、消化器内科、呼吸器内科、神経内科、一般内科などとなる。
これでもずいぶん広範囲であるが、心療内科としては内科に限らず、心理療法が関係するものならば何でも治療する。整形外科で診ている腰痛、肩こり。婦人科で診ている更年期障害、ほてり、冷え性。精神科で診ているうつ状態、神経症。耳鼻科で診ているめまい、耳鳴り、ふらつき。
・高血圧、胃潰瘍などが、ストレスによる病気の代表例である。内科の先生方は必要に応じて心理療法を十分に行っている。しかしながら、内科の先生方は忙しいので十分な時間をとることができない場合もある。そんなときにはカウンセリングの専門家として心療内科医や心理カウンセラーに依頼する。
薬物 心理療法 物理療法 ……
内科 ○ ◎
耳鼻科 ○ ○
皮膚科 ○ ○
…… ○ ○
3119
ストレスを測定する方法
・カテコールアミンを直接測定する。状況をどのように揃えるか、工夫が必要。
・たとえば血圧について、横になったときと立ち上がったときとを比較する方法。max-min=10〜20が平均値。これ以上だと敏感。
同様にカテコールアミンについて、負荷前と負荷後とを比較する方法はどうか。
・目の疲れ、冷え性、高血圧、肩こり、心臓。
3120
一次情報と二次情報(加工情報)
二次情報とは、一次情報の加工品である。一次情報に人間の脳の産物を混入したものだ。
精神医学の場合、加工情報が一次情報になるという特殊な事情がある。
「○○についての研究」という著作の中で、一次情報と二次情報があり、普通の意味での事実は一次情報であるが、精神医学でいえば、二次情報が一次情報に当たるものだ。その人の脳の中身が反映されている部分である。
情報の品位について
一次情報と二次情報の区別。加工品かどうかの区別。
加工に価値がある場合も少なくない。それが人間の知的活動だからだ。
しかしまた、加工の仕方は結局時代と地域の事情に左右される。一次情報は価値を減じることはない。
多分、もっとも価値のある情報は一次情報である。
医学の世界で言えば、患者についてのナマの情報である。
3121
開業騒ぎで疲れていると、注意のスパンが減少しているらしいことに気付く。
複線の事柄に注意を分散させることができず、単線の注意になっているようだ。
たとえば痴呆の場合がこんな状態ではないかと思う。
だとすれば、痴呆の場合に、忘れるというのは複線で考えるからだろう。単線で、「線形処理」を心がければ、不都合は免れることができるのではないか。
3122
軽度の解離について
物事に熱中しているとき、軽度の解離が起こっている。それがストレス解消につながる。なぜか?
人間の注意の性質として、気にかかるそのことばかりに集中してしまうと、ますますそれが大きく見えてしまう。頭にこびりついてしまう。誤解の上に誤解を重ねるようになってしまう。
注意を一時的に逸らして、事態を離れた位置から見ることが有効である。客観化と言ってもいい。相対化と言ってもい。
そのようなことに自律訓練法は役立つ。
→佐々木雄治「自律訓練法入門」をクリニックに用意しておきたい。あるいは長谷川書店に置いておきたい。
解離とは、注意のスポットライトを別の場所にあてることである。
3123
「対話と納得」の具体化を考えること。
わかりやすい具体的な形で提示すること。
3124
治療についての考え方のアンケートをつくること。
3125
自律訓練法についてのパンフレットをつくる。まとまったもの。訓練開始を決意してもらうためのもの。
3126
医療全般について、また老人性痴呆の医療において、コーディネーターのようなものが有効である。病院や医師とは別の立場からのアドバイスが欲しい人がいるだろう。内部の人間でない人からの意見。セカンドオピニオン。患者の立場を代弁する弁護士の立場の人。
3127
待合い室での時間も治療の一部である。
アメリカで、はじめてのホスピスを建設するときに、住民の反対があって、住宅地ではなく山間部に建設された。最初は不便だと思ったが、次第になれてきた。自動車でホスピスまでの道を走る時間に、これからホスピスに行くのだと思って心構えができる。あれこれ考える。親の人生のこと、自分の人生のこと。
このような時間を持つことに意義がある。したがって、遠くにホスピスができたことも悪いことではなかった。
メンタルクリニックでも、待合い室で待っている間にあれこれ考える。音楽、香り、光、これから何を話すか、前回は何を話したか。そうした時間も大切な治療の時間である。
従って、ただ単に待ち時間が短ければよいというものでもないだろう。
「わたしは忙しい」「時間を無駄にしたくない」そう考えているなら、「大事な自分のため、大事な子供のために、あなたの一番大切な『時間』をさいてあげて下さい」とお願いしたい。
そのような態度があなたに欠けているものかもしれない。「忙しいから後回し」ですべてがうまく行くわけではない。
3128
痴呆患者の往診
加藤先生も徳洲会駅前クリニックの院長塚田先生も、痴呆の往診をしてくれればありがたいと語っていた。
必要であろう。しかしうまくできるだろうか?
3129
対話は合奏のようなものである。
独奏は自分の音を聞けという態度である。合奏は違う。
共感的態度とは、合奏の態度である。相手の音を聞いているだけではない。
自律訓練法の効果として、注意の焦点をずらすことと、注意の焦点の全般化(暫定的にこう言っておく)の二つがある。
合奏的態度とは、後者の、注意の焦点の全般化である。
観察的自我の成立とも関係している。
カウンセリングは、たとえば録音されたCDを再生して、それについて論評することとも違う。合奏に近い。
3130
カウンセリングと普通の相談の違い。
・秘密厳守であること。
・語ったことによって傷つけられない保証があること。
・主体性を奪う方向の指導はしない。むしろ主体性を再獲得する手助けをする。
・医療についての専門知識をわかりやすく伝えることは必要。これも不安を小さくする大切な方法である。しかしそれは半分である。後の半分は「支えるわたしがいること」「あなたは一人ではないこと」「無力と孤立無援に苦しんできたが、今日からはそうではないこと」を伝えること。
3131
カウンセリングとしての専門性。
・逆転移に気付くこと。治療者が自分の心の動きに敏感であること。
・無意識への配慮の深さ。(殺人者が、現場に鉄塔があったことを意識していなかったのに繰り返し夢に見た例。)
3132
専門性‥‥クール
愛情・友情‥‥ウォーム
この両者の適切な混合
共感もするが診断もする
対話もするが、診断もする
3133
欲求があり、それが満たされないから、不満不安が生じる。
欲求がなければ不満も不安もない。
3134
カウンセリングなんかしても状況が変わらなければ仕方がないではないか?
→不安の原因は変わらないかもしれない。しかし、その原因について考え続けて、次第に不安は大きくなる。不眠、食欲不振、集中力低下なども起こる。原因についての不安ではなく、「周辺部分」の不安も無視できないくらい大きくなる。
そんなとき、薬とカウンセリングで、周辺部分の不安を小さくする。そうすれば、正味の不安が残り、原因について対処する元気も出てくる。原因がよく見えてくるし、我慢もできるようになる。時間を待つことができるようになる。
原因があっても、人生では時間がたてば状況が変わる。
「今日できることも明日に延ばそう」
あしたになれば変わるかもしれない。状況も、自分も。世の中が変わるし、技術は進歩する。
時間を待つことは難しいが、つきあってくれる人があれば何とかできることもある。
3135
全く何も「種」がないのに、心身症が発生することはない。
発生時には何かきっかけがある。
発展するのは心理の問題である。
始まりの時には実際に心臓の動悸があり、死ぬかと思ってびっくりしたのだろうと思う。
「発生時のきっかけ」が精神内界のことだと、精神病の領域である。
3136
クリニック。まず最初は家族相談でもいいことを広める。家族を支えることも大切な仕事である。
3137
老人に興味を持ってもらう。
可処分所得が多い。時間がある。健康不安が高い。政策として医療費優遇策がある。
3138
「精神療法の経験」成田善弘
・人間は本当は美しいものなのだといった、いわば通用しやすい人間観に溺れていては治療者たりえない。治療者足るには人間性の暗い部分を見据える強靭な眼がいる。こういう眼ができてくるためには、人間関係の修羅場で自己の内面にうごめく暗い力に気付くというやりきれない経験を繰り返さなければならない。その経験が、人間というものを直視しうる、分化の価値から自由な眼を、つまり治療者に必要な無頼の精神とでもいうべきものをつくりあげる。
○人間というもののどうしようもなさ、やりきれなさに絶望すること。しかしそれでも希望を捨てないでいること。
死んでしまっても同じだと納得していながら、一方では生きていたいとあがいている。そのような矛盾に似ている。
○世間のレールが全てではない。そんなものは相対的で一時的なものに過ぎない。そこに真実の生はない。そんなことをきちんと言えるようでありたい。
・最近の神経症者は社会や文化に対する反逆者であることを放棄し、規範に到達しようとして到達しきれぬ敗北者に甘んじている。
○性の解放の場面では、社会が抑圧しているにもかかわらず、欲望を噴出させた。最近の神経症者、たとえば抑うつ神経症、アパシー、不登校などは何の欲望を噴出させているのかと考えてもはっきりしない。
たとえば「自分が自分らしくある」ことの欲望とでも言おうか。個性的である欲望とまでは言えない。要するに、レールから外れて悲しい。しかしそのことを正当化してみたい。
負け試合の敗戦処理投手のようだ。
ただみじめなのである。
3139
「精神療法の経験」成田善弘
・身体医は精神科医以上に安易な心因論に傾きやすい。
・他科医の見落としていた身体疾患を発見することも大切。
・患者の身体状態に常に関心を払い、話題に取り上げ、必要に応じて検査をし、陰性データを患者と共に確認する。それが精神療法的関係の確立につながる。
○これは大切な指摘。このようなスタンスがいいだろう。心療内科の雰囲気で。
・現代の神経症。
引きこもり型。(昔はヒステリーのような顕示型。)
行動化。
三者病理から二者病理へ。(エディプスではない。)
スプリッティング。(抑圧ではない。)
これらの治療では、治療者は父親ではなく母親を演じさせられる。
○三者病理はイントラサイキック。二者病理はインターパーソナルという意味だろう。こちらの表現の方が意味がよく分かると思う。
・患者から向けられた愛情を、自己の個人的魅力に帰すことなく、患者の側の歴史に由来するものとしたところにフロイトの偉大さがある。
まがいものの治療者は、すべてを自己の個人的魅力に帰すことに汲々とする。
○たしかに。
・過剰にかかわらないことが精神療法の重要な技術である。
・精神療法の目標。どの程度介入するか。
1当面の危機からの脱出。
2症状の軽減・消失。
3防衛機制を見きわめ、その再編をはかる。
4人格の再構成と成熟を期待する。
3140
「精神療法の経験」成田善弘
・いまの現実が苦痛で希薄であればあるほど、人は過去や内的世界に没入する。
・治療経験があったり、読書をしていたりする場合には、治療や読書のおさらいからはじめる。
○なるほど。当然だが、大切。
・1)You are a ///.
2)You are ///.
3)You feel ///.
4)I feel ///.
4)がもっとも治療的でかつ正直。
主語を抜いて、「怒りが湧いてきます」とだけ言う。それが患者の気持ちにもなっていれば、理想的である。
3)と4)の間を往復できるのが精神療法家である。
1)はラベル貼り。
○なるほど。
・患者をわかろうと努めつつ、面接の場で自分の心身に感じたことををできるだけ正直にたどる。それがそのまま患者の体験に重なる。神田橋は「患者の身にならないでおこなう共感」「自己の心身をそのままアンテナにしておこなう感知法」と述べている。
○これが有効なのが神経症。無効なのが精神病ということになるだろう。しかし精神病であっても、全面的に無効ということはないだろう。
・見捨てられを予期する人は、他者との関係においてそれを実現するように振る舞ってしまい、現実に見捨てられる。これを自己充足的予言という。治療者も、無意識的に自己充足的予言を持ちつつ患者と接し、ついには予期どおりの感情を持つに至ることがある。
○なるほど。こういうからくりはあるだろう。大切な指摘。
3141
「精神療法の経験」成田善弘
・患者から学ぶ。分からないことを治療者の頭の中ででっち上げたりしない。患者に教えてもらう。その分だけ患者に負担がかかる。その負担を患者が自分のためのやりがいのある仕事とみてくれるとありがたい。
・患者の観察自我が自分自身の病理を見つめるとき、「どうしてだろう」とつぶやく。その不思議に思う感じを引き出す。
●観察自我への問いかけといった気持ちか。
・治療者を物足りないと思う程度のほうが、患者が主役になっている。物足りない分だけ患者が自分で自分を癒す。
・自分の不安に丁寧に耳を傾けてもらい、重要なこととして取り上げてもらったという経験が強迫神経症者には乏しかったのかもしれない。保証や確認の要求は他者の親密な応答を求める彼らの呼びかけであるかもしれない。
・治療者は知らないことは知らないと告げ、それにもかかわらず不安に陥ることなく生きていられることを示す。
●なるほど。それも大切な指摘である。
・不安は不安として心の中にしまっておきながら、日々を暮らし、人間らしい楽しみを享受することが当面の目標である。
・他者をコントロールすることで、他者に投影した自己の衝動をコントロールしようとする。これが失敗して強迫症状の背後にあった境界人格障害が露呈することもある。
●つまりは衝動コントロールの問題だということ。
・早々と幼児期の性が語られたりする場合には、知性化の産物に過ぎないか、性を語ること自体が一つの強迫になっている可能性を考えた方がよい。
・まず患者がどういう世界に住んでいるか、そこでどういう生き方をしているかを探る。
3142
「精神療法の経験」成田善弘
・強迫症者は内心、自己が優越者であるという尊大な自己像を持つが、この尊大な自己像は彼らが軽蔑する他者から認められることなしには保ち得ない。この自己評価の脆弱性を知っているからこそ、いっそう他者の上位に立とうとする。
●尊大さの空想を宗教的思索や哲学的思索、小説などが満たすだろう。
・治療者・患者関係もどちらが上位に立つかという闘争(綱引き合戦)になりやすい。
・サリバン「精神医学の臨床研究」第十二章、強迫症。
・強迫症の治療をしていると治療者は無能力感を感じる。この無能力感こそ、患者が常にさいなまれている感情である。
・無力感の裏にはひそかな全能感がある。
・患者は実に一所懸命なのだと気付けば、患者に意地悪したくなる気持ちから抜け出すことができる。
・強迫症者は症状の非合理性に悩むというよりも、むしろ症状の圧倒的な拘束力に悩み、これに対抗しようとしているといった方がよい。
・非合理性の洞察に乏しく、強迫が自我親和的である場合には、精神分裂病や脳器質疾患の可能性を検討しなくてはならない。
・自己完結型強迫か、他者巻き込み型強迫か。子供の強迫神経症者はしばしば母親に強迫行為の一部をさせる。青年期ないし成人期の患者の患者でこの巻き込みが見られ、しかもそのことに対する自責感の乏しい場合には、患者のパーソナリティが境界パーソナリティの水準にあると考えた方がいい。しばしば治療困難で、経過中に行動化が生じる場合がある。
3143
他の古い薬と違って、この新しい薬は本当にいい薬だ。依存性もないし副作用もない。マイルドに効いて、とてもいい。
そう説明して、眠前に一粒だけお勧めする。
3144
クリニックで。
環境に配慮する。エコロジー、リサイクルなどがキーワード。
地球に優しいことが人間のこころに優しいことでもある。
収益をあげることだけではない、別の価値をも重視する。
価値の複線化。
グリーン・アン協会の発想は正しい。
効率第一主義というが、それは皮相な批判である。つまりはもっと金がほしいということで、そのためになら地球もダメにし、自分の健康も損なうということだ。
競争社会。これは他人に優越したいということで人間の本能である。否定はできない。しかしそれを相対化することは可能である。
3145
背骨の曲がった魚を食べる少年。
3146
障害児の母。
育て方がいけなかったのでしょうかと問う。
答えが難しい。育て方にはあまり関係がないといえば、つまりは子どもの素質の問題だということになる。どうしようもないとの含みが生まれる。
しかし育て方の問題だとも言えない。
3147
個人的な状況を伝えるための言葉は結局比喩でしかない。
状況は言葉の裏にあって、ダイレクトには把握することができない。必ず何らかの推定の手続きを要する。
明らかに比喩とわかる場合もあるし、そうでない場合もある。
「その心は?」といつも問われている。
言葉と真意との間だのすき間を埋める作業は、文化を共有することであり、共感することであり、人間的推定能力の問題でもある。
時にこのすき間のあり方が独自である人たちがいる。その場合には他者の共感を期待できなくなってしまう。
分裂病者たちはそのような困難を抱えている。
言葉と真意。サインと内容。
他人の声や目つきが何を意味しているかについて、独自の意味付けをしてしまう。そこに病理があるし、だからこそ人に理解してもらえない辛い状況が生まれる。
3148
「精神療法の経験」成田善弘
・孤立、敵対、支配など、どのような対人関係が成立しているかを見きわめる。その敵対関係こそ、患者が不安に対処するために作り出さざるを得ない関係なのである。
・不安にさせられる状況で、尊大な自己像を守り、自己コントロール保持の幻想を存続させようとする。
●尊大な自己像を守る。自己コントロールができていると思い込む。それはつまり、状況を限定して、自分の能力の限界に直面化しないように慎重に生きるということだ。自己の幻想を守るために生き生きとした世界を失ってしまう。そのような世界に生きている。死んだ世界。不確定な要素は排除される。自分を不安にさせるものは排除する。
・躾は、自然な感情、衝動、生命の発露を必要以上に抑制する。
・衝動・感情とそれらをコントロールする知的な傾向との間の葛藤。
●衝動をコントロールする力。そこに問題があると感じるとき、衝動が起こらないような生き方を選ぶ。自分に力が足りないと感じるとき、他人を巻き込む。
●衝動をコントロールできない。それが強迫症の一面であろう。不合理でコントロール不可能な衝動に翻弄され、不愉快にさせられる。起こってしまえば制御できないから、起こらないように生活の場面を限定していく。起こらないようにおまじないをする。縁起を担ぐ。
●コントロールする知的な傾向の過剰が拒食症である。
・小さい頃は過剰な強迫傾向により、成績の良い、よい子でいることができる。しかしいつまでも上位でいることはできない。性衝動が発生したとき、異性をすべてコントロールすることはできない。ここで危機が発生する。強迫による性格防衛は破綻する。強迫神経症が発症する。
3149
「精神療法の経験」成田善弘
・初診時。「よく決断してきましたね。専門家の援助を求めるのは弱さのしるしではなく、懸命さのしるしです」と肯定する。
・彼らは信頼しうる人物に自分の訴えをよく聞いてもらい保証を与えられた経験が意外に少ない。
●権威に否定されたら、立ち直りようがない。だからめったには話さない。
・観念を無理に押さえつけようとしてもむだである。「青い空に白い雲が浮かぶように、心の一隅に浮かべたままにしておく」ように勧める。
・患者自身の工夫を聞く。自分の工夫に治療者が敬意を払ってくれるという経験が患者にとって意味がある。
・簡単な身体医学的診察がよい。身体にも関心を払っていることを患者に伝えたい。
・初回面接の終わりに、「これは強迫神経症です。神経症の中ではなかなか難しいものですが、これがこうじて精神病になることはありません」と告げる。病気を軽く扱われることは好まないが、コントロールを喪失して、最悪の事態である狂気に陥ることを恐れている。そうしたことを配慮する。
・予後については、神経症は原則として治る。ただしあなたが治るかどうかはやってみなければ分からない。現実状況やあなた自身の協力などいろいろな要因が関与する。
・三ヶ月から数年まで、人によってさまざまである。しかし多くの場合、一、二年でかなり楽になります。
・言葉で治癒を保証するのではなく、態度や雰囲気で患者に安心感を与える。治るだろうと思っていても、「やってみないと分からない」と言う。
3150
「精神療法の経験」成田善弘
・見通しがつきにくい場合には、「もうすこし経過を見て、あなたのことがもっとよくわかってきてから意見を言います」と告げる。
・他者巻き込み型強迫神経症者。善意の家族が患者の要求に応じていると、要求は際限なく拡大し、パートナーは患者の手足のごとく、奴隷のごとく、患者の不安解消に奉仕させられる。そうなるとパートナーの側にも怒りや恨みが生じる。患者はこれに反発し不安を高め、一層要求を拡大するという悪循環が生じる。
・「不安の解消を他の人に手伝ってもらっていては、二人がかりで不安に対処していることになり、あなた自身の心が不安を抱え対処できるように大きくならなくて小さいままにとどまってしまう。一時的に苦しくても、不安を自分の心の中に入れておくように。そうすることでしだいに心が大きくなる。」
・患者とパートナー双方にひとつのモデルを提供し、そこから抜け出すべき方向を示すことになる。どこまで手を貸すかについてパートナーが限界を設定できるように援助する。
○強迫の背景に自信欠乏があるとして、他人を巻き込みたくなる事情も分かる気がする。不安解消の手段として、強迫もあり、他者巻き込みもある。
・具体的に語らせる。
・感情表現をうながす。
・思考の全能があれば、自分の抱く敵意や攻撃性を恐れるのももっともである。
○中学生の衝動。
・実際の対人関係を検討した上で、「そういう状況ではあなたが敵意を抱いたとしても無理はない」と許容する。同時に、思考が現実になるわけではないことを保証する。
3151
心療内科の「心療」とは何ですか?
「心療」は「心理療法」の省略形です。「内科」は、お医者さんの代表だと考えて下さい。
心理的なことが原因で起こる心臓のドキドキがあったとします。心臓のドキドキは内科で治療します。その際に心理的配慮が特に必要な場合に心療内科に紹介されて、心理療法をおこないます。内科の病気を心理療法を加えて治療するので、心療内科と呼ぶわけです。
心理療法が効く病気は、内科の病気に限りません。たとえば頭痛、耳鳴り、めまいなどについて考えてみましょう。
頭痛があれば、神経内科や脳外科でいろいろな検査をします。血液検査、CTや脳波検査ですね。こうした検査で異常があればそれに沿った治療がはじまります。しかし原因が不明で、心理的配慮が必要と思われるとき、心療内科に紹介されます。
耳鳴りの場合、まず耳鼻科に行くでしょう。いろいろな検査をします。原因が不明で、心理的配慮が有効だと考えられる場合、心療内科に紹介されます。
めまいの場合には、一般内科や神経内科、時には耳鼻科に行くでしょう。いろいろな検査をします。貧血はどうかとか、メニエールではないかとか、鑑別診断をします。原因がはっきりしないで、心理的配慮が大切だと考えられる場合、心療内科が担当します。
小児科でチックがあるとか、アトピーに悩んでいるという場合でも、心理的配慮を重視して、心療内科で担当することがあります。
つまり、必ずしも「内科」の病気に限られるわけではないのです。耳鼻科でも、眼科でも、小児科でも、心理的方面の配慮が必要な場合に、心理療法の専門家としてかかわります。
われわれのクリニックは「心理療法クリニック」でもよかったのですが、薬物療法も大切な柱だと考えていますので、やはり心療内科としました。
医学的治療を分類すると、
(1)薬物療法
(2)手術
(3)心理療法(省略して心療)
(4)物理療法(省略して物療)
などがあります。
内科では普通薬物療法が中心です。
外科では手術をします。
心療内科、精神科、神経科などでは心理療法をします。
物理療法という言葉は聞き慣れないと思いますが、温泉で暖めたり、パラフィン浴を使ったり、高周波などを用いたり、物理的手段で治療する場合を言います。慢性関節リュウマチなどに用いていました。
湘南心療内科では、心理療法が中心で、薬物療法を必要に応じて併用します。
3152
心理方面の診断というと、「性格が悪い」とか、「心理的に異常だ」とか診断されるのでしょうか?
心理的診断とは、
「どのような種類のストレスがどの程度かかっているか、その人の心はそうしたストレスに対してどのように反応しているか」、つまりストレス診断が中心になります。
どのようなストレスがつらいかは人によってさまざまです。たとえば、忙しいことは苦にならない人もいます。その逆に暇になると苦しくて仕方のない人もいます。また、大勢の人といるとつらく感じる人もいます。その逆に一人でいるとつらく感じる人もいます。つまりその人の性格によって、どのようなストレスが特につらいかが決まってくるのです。そういう意味で性格を把握します。性格がいいとか悪いとか診断するのではありません。
心理的に異常だと診断することもありません。私たちは「何が本人にとってつらいか」を問題にするだけです。私たちは裁判所でも警察でもないのですから、異常だとか狂っているとか判断して仕事がすむわけではないのです。本人がつらければ助けになりたいし、本人がつらくなければ、何もしません。
心理が異常かどうかではなくて、むしろあなたの置かれいてる環境がどの程度のストレスであるか、診断することが大切でしょう。
「こんなに大変な状況に置かれたならば、あなたでなくても誰でもうつ状態になりますよ」といった話が出るような場合が多いものです。
人は自分の状況がつらいほど、弱音を吐いたらいけないと思い続けていることが多いようです。重大なことほど、自分一人だけで悩み続ける傾向があるのです。
そんなときに、自分の置かれた状況を一度客観的に見つめなおしてみましょう。そのために面接をしましょう。
3153
心療内科、神経科、精神科の区別はどうなっているのでしょうか?
これらの科は、心理的症状と心理的治療を専門とするという点で、お互いに密接に関係しています。最近ではほとんど同じといってもよい現状があります。東大では神経科と心療内科の合同の研究会などがありました。
たとえばうつ状態、パニック障害や拒食症・過食症などは上のどの科でも治療しています。治療内容も大きな違いはないといってよいでしょう。現代医学の水準で妥当な治療を研究すれば、大きな違いはないものです。
大学の医局などでは、伝統的に精神分裂病は精神科、拒食症は心療内科、てんかんは神経内科、神経症なら神経科などとおおまかな区別があります。しかしながら、心理療法、薬物療法のいずれの面でも、共通部分が大きいと思います。
結局これらの科の区別は、大学医局の伝統に起因しているというだけで、患者の皆さんにはあまり関係ないといってよいと思います。
3154
身体の問題もそうですが、心の悩みも秘密が守られるという保証がなければ話す気にはなれないでしょう。
3155
心理の問題は複雑だと思います。そのときどきでずいぶんと違っていて、性格についてもものの感じ方についても、「自分はこれ」と決めることはできないと思います。内向的とか外向的とか。きれい好きとかずぼらとか。それなのにどちらですかと聞いて、診断したりするのは無理があるのではないでしょうか?
確かにそうです。あなたが家庭を持つサラリーマンだとして、会社で部下と対するあなた、上司と対するあなた、宴会でのあなた、家庭でのあなた、子供と遊園地で遊ぶあなた、中学の同窓会で懐かしがるあなた、それぞれ別だと思います。別だからこそ、面白いし、ストレス解消もできるのです。
たとえば病院の院長先生が、家に帰っても院長先生、子供に対しても院長先生、ゴルフをしていても院長先生、そんな調子ではやはりすこしストレスがたまるのではないでしょうか。
面接ではこうした全般についてお話ししていただき、あなたの性格構造や性格特性を把握していきます。どの程度の幅があるか、どんな場面でどんな自分を出すのかをチェックします。必要に応じて心理テストを用います。
状況に対して不適切な自分を出していたとすれば、自分の不適応状態を自覚するかもしれません。宴会なのに、会議の時のあなたのままでいたら、居心地が悪いでしょう。そんなときストレスを感じるわけです。
そのあたりからストレス把握ができるようになります。
また、性格は自分で把握できているものがすべてではありません。自分の無意識の傾向なども含めると、やはり心理テストも用いながら把握するのがよいでしょう。
3156
「精神療法の経験」成田善弘
・治療者は患者の敵意や攻撃性にのみ眼を奪われる傾向がある。やさしさの感情の自覚と表出をうながすことが大切である。
・強迫症者の疑惑、不決断、確認は、根深い自己不確実感に由来する。その背後には、自己に関する尊大な幻想が潜んでいる。
・自己の誤りや欠陥を露呈させるかもしれない現実とのかかわりを避け、責任の伴う決断や実行を延期し回避することが、誇大的幻想を維持する最善の方法である。自信がないからやらないように見えて、実は何でも完全でないと気がすまないという尊大さのゆえに行動に踏み出せないのである。
・治療者はそれを指摘し、「すこしずつ」「ためしに」「思い切って」やってみることをうながす。失敗の可能性は当然ある。失敗したら、まだ時期が早かったことが分かり、問題点が分かるのだから、「ためし」としては成功である。このように、現実に踏み出すことを援助する。
・症状の量的評価
・身体についての意識を目覚めさせる。
・薬物をめぐる患者の気持ちを語らせ、それについて話し合うことは、精神療法の重要な一部である。
・あくまで原因を追求する人もいる。不可知の領域に解答を求めたがる患者の構えそのものを問題にする。
○強迫症者の問題は容易ではない。海道の一階にいた、右足のない患者さん。確認がしつこくて看護婦が振り回される。一言でいってどうしようもないという印象であった。野村先生も現状維持のままが方針のようだった。
3157
心の問題なのに薬を使うのはなぜですか?
・中核不安と周辺不安
・周辺不安のせいで、不安が大きく見えている。周辺不安を取り除けば、正味の中核不安を見つめやすくなる。
3158
生活習慣病
ライフスタイルの検討……これをシステム化する
3159
心理療法のタイプ
過去や他人に責任をとらせる。アメリカの底流。
3160
自律訓練法。
脳の別の場所が働いている実感。
3161
走ることにたとえる。
・うつ……休まないで走り続けて、肉離れを起こす。休んでいれば必ず治る。
・MR……走るのが遅い。筋肉が少ない。
・分裂病……スピード変化が苦手。アクセルとブレーキの使い方が下手。
3162
分裂病のリハビリをたとえる。
荷物を持ち上げるときに、下から持ち上げる手と、上から抑える手とのバランスが大切。
上から押さえる手は薬に相当する。
下から持ち上げる手は、リハビリに相当する。
薬が少なすぎると、上に突き抜けて、幻覚妄想状態に突入する。
薬を強くしていれば、幻覚妄想状態は起こらない。しかし活動レベルはあがらない。
タイミングよく、下からの力を少し強く、上からの手を少し弱く、そのようにしてだんだん荷物を上に上げる。
リハビリではなく薬剤で下から持ち上げようとする薬もある。しかしあまり有効ではない。
上からの手としたからの手の実体は、レセプターとドーパミンの相対的量として理解できる。
3163
「精神療法の経験」成田善弘
・れっきとした身体病ならともかく、心身症はうさん臭い。
○心理的に弱いという印象。たるんでいる。鍛えられていない。男らしくない。
○弱いから病気になるのではないと知る必要がある。なにか印象的なたとえはないか?走らない人は肉離れも起こさない。スポーツマンだから故障を起こす。
・その根底には、問題を自己のパーソナリティにかかわるものとして引き受けていくことへの抵抗がある。また、自己のライフスタイルを再検討することへの抵抗がある。
○精神的なことに関しては人にあれこれ言われたくないものだろう。
・心身症は価値が一段低い。昔のヒステリーのような。性格障害の診断のような。
・精神科受診は内心抱いている狂気恐怖を引き出す。
・治療者はまず、病気を広い意味での人生のストレスに対する反応であること、人間誰にでも起こりうる事態であること、身体症状、人生の出来事、感情体験をつき合わせて考えていくことを提案する。
・出来事と身体症状発現の時間的関連は把握しておく。患者が語りやすい身体医学的病歴を聞きつつ、病気についての患者としての見通しやいままでの医師との関係を聞くことを通して、情緒的病歴を明らかにしていく。
・治療者は面接場面で安全感を提供することに努める。
・心身を別のものとしてとらえるのではなく、身体ににじみでてくる心をとらえる。
○心の問題が体に「にじみでてくる」などという言い方。説得力があるのだろう。
3164
ナイフ、覚醒剤、売春(援助交際)、殺人。中学生の世界。
幼児の性的暴行が症状を引き起こした例。→新聞。
社会の病理としてとらえるか、個人の病理としてとらえるか。
3165
「精神療法の経験」成田善弘
・症状は、ストレスに対する反応かもしれないと心身症の可能性を示唆する。休養と、心身両面からの検討を目的に治療開始を勧める。
○外部原因説を呈示するわけだ。
・人生の出来事、感情、症状の三者をつき合わせて考える。
○ストレスと、心と、体の三者ということになるだろう。
・「身体の出しているメッセージをすこし聞けるようになったの?」
○これもうまい言い方。心と体が対話するイメージ。「対話」というキーワードがここでも生かせる。
・プリミティブなパーソナリティ障害では、不安や葛藤を自覚的に体験するかわりに、問題行動の形で発散する。
・多く患者は他者を巻き込む。
・患者は自分の感情を他者に投影して、他者がその感情を抱いていると思い込んで、そういう他者に働きかける。たとえば、自分の中の怒りを相手に投影し、相手が怒っているのだと体験し、その怒っている(と患者が思う)相手をなだめたり、すかしたり、ときには怒ったりする。相手が患者の怒りを引き受けて、ある程度それをこころのなかで処理してくれれば、患者は今度はその相手と自分を同一視して、本来自分のものであった怒りをおさめようというわけである。
○こういうことは確かにある。急に、「怒ってますよね」と断定され、ついで慰められたり、説教されたりする。されたほうはどうしようもなくて、ただ話を聞いている。
そんなとき、患者は怒りの処理を相手に任せているわけだ。
・たとえば怒りの投影。はじめは投影に過ぎないが、しだいに患者の投影のとおりの人物に現実に変えられてしまう。
3166
「身体の出しているメッセージをすこし聞けるようになったの?」
これもうまい言い方。心と体が対話するイメージ。「対話」というキーワードがここでも生かせる。
3167
「精神療法の経験」成田善弘
・本来自分の心の中での葛藤として体験しなければならないことを、他者との間で対人関係の問題として演じてしまう。
○イントラサイキックとインターパーソナルの問題。
○イントラサイキックな形で悩めることが、大人ということであり、エディプスを通過した人間である。それをインターパーソナルな形で悩むのは、未熟である。性格障害者は、人格の未成熟をこのような面でも見せている。
○しかし一方で、そうでばかりもないと考える。日本では昔から、インターパーソナルな悩み方が文化としてあったのではないか?さらに現代の動向として、インターパーソナルな問題へとシフトしていて、治療としても集団精神療法的な観点が必要であると、わたし自身が論じたのだった。
○それを発達段階の問題としてとらえるかどうかは、議論の余地があるのではないか?
3168
わたしみたいな悩みで心療内科でいいのか?精神科でいいのか?と悩むことがある。そのあたりをうまく説明してあげたい。どうするか?
3169
「精神療法の経験」成田善弘
・一人で病気でいることができない。
・患者を中心にした大きな渦ができている。中心にいる患者はむしろ静かに見え、まわりが大騒ぎしている。
・プリミティブなパーソナリティ障害の場合、家族への治療的アプローチが大切。
・家族の不安や罪責感の軽減
・母親を責めない。
・「本当に大変でしたね」と口に出してそれまでの苦労をねぎらう。専門家の援助を求めてきたのは懸命な判断であると評価する。
・初回は家族と同席で面接。患者と家族が顔を見合わせるような位置に座ってもらう。
・本人の前では話したくないという場合、「親として当然の心配については本人の前で話したほうがよい」と促す。
・意見の対立がある場合には、事実認識とそれについての解釈とに区別し、意見の相違点を明確にする。
・しばしば患者は自分の感情と母親の感情とを区別できない。患者と母親との境界を明確にする。
・母親も自分の不安と患者の不安を区別できない。母親が不安になっても本人の不安は改善されないことを指摘する。
・心理的境界を設定する。
・本来配偶者に期待すべき役割を子供に期待したりする。世代間境界の侵犯。患者は彼自身として扱われていない。他人の影法師に過ぎない。親が投影をやめることを援助する。患者を彼自身として扱う。
3170
わたしみたいな症状で心療内科に行ってもいいでしょうか。それとも精神科か内科でしょうか。そのへんがよく分かりません。
気にせずにいらして下さい。あなたにぴったりの相談窓口はどこか、そこから相談しましょう。もしわたしたち湘南心療内科ではあまりお力になれないとしても、悩みの内容や交通の都合、これまでに相談した人、これまでに読んだ本、そうしたことを考慮して、どのようなところで相談したらよいかをお勧めします。また、身体的な病気の検査をまずお勧めすることもあります。
家族の誰かに関する相談もおいで下さい。ご本人が困っているが相談に行きたくないという場合もあります。ご本人よりもまわりの人が困っているという場合もあります。
たとえば、お子さんの不登校や引きこもり、ご主人のアルコール、ご家族のうつ状態、性格の不一致、老年期の物忘れなどが、家族相談として多いようです。
3171
「精神療法の経験」成田善弘
・親自身の人生の充実。子離れが恐い親は、無自覚的に子供の依存性を助長する。(共依存)。この二者関係の中でパーソナリティの発達が停止している。そこに父親が介入できれば、三者関係が導入され患者の発達が促進される。
・父と母が夫と妻としての対話を取り戻し、食事や音楽会に出かけられるように勧める。自分自身の人生を充実させること。
・治療全体のリーダーシップをとる人を明確にし、情報がそこに集約されるようにする。
・患者の一見異常に見える振る舞いも、何かを伝えようとするメッセージであるととらえてその意味を探ってみる。
○「その意味を探る」これがフロイト以来の方法である。
・分からないところは不思議がってみせる。
○治療者としては解釈するよりも上等である。
・患者が自分の感情を心の中に抱え込んで主観的に体験し、言葉にできるようになること。寂しさや悲しみをしみじみと訴えることができるようになること。両価的感情に耐えられるようになること。自己と他者について一方的でない全体的イメージを持てるようになること。自分でなしとげ自信を持てるようになること。これらが目標になる。
○一方的というよりはむしろ一面的というべき。
・解釈とは。患者が未だ自覚していないが、いま一歩で自覚に至りそうな感情を、治療者が患者に身を重ね合わせて言語化すること。理想的な場合には患者と治療者が共同で一つの文を完成するような感じ。「われわれはいま〜と感じている」といった気持ち。
○共感に近い。それを言語化する。そうすれば解釈になる。理論の押しつけではない。ここが大切だ。
3172
「精神療法の経験」成田善弘
・患者に「説明を与える」というよりも、わたしが自分の感情を正直に言葉にできたときに、面接が深まると同時に患者の自主性が育ってくる、つまり真の意味で治療的進展が生じるように思う。
○治療者の感情は隠蔽する流儀もある。患者の感情が映し出されればそれでよい。しかし治療者が鏡になりきることはそもそもできないだろう。鏡になったとしても、個人に特有のでこぼこが常にある。それは避けられないだろう。
治療者の語る感情は、治療者の感情でもあり、患者の感情でもあり、さらにいえば、そのどちらでもなく、二人に共有される空間に発生する感情である。その感情ならば語ることができる。
その時患者は言語化の学習をする。
患者の言語化能力を育てることが治療に役立つのはなぜだろう。本当に役立つのだろうか?
→言語化できるということは、主体的に操作可能なものとするということだ。自分は主体となり、感情は客体となる。それは操作可能である。
それが本質的な成長である。
・現在の言動を過去からの持ち越しとして眺めるという見解は、説明された人の内部に、ひどい自尊心の傷つきを引き起こすものである。(神田橋)
○そういう面もあるか。他方では、それが患者の気持ちを軽くする面もある。免罪。
あなたの内部に責任があるのではない。→免責。
あなたは外部の原因に翻弄されている。→自尊心の傷つき。
人によって違うだろう。
3173
縦の糸はあなた
横の糸はわたし
織りなす布はいつか誰かを暖めうるかもしれない
(中島みゆきのうた)
あなたの人生は一本の糸となってわたしの前にある
わたしの人生も一本の糸となってわたしの前にある
二つの人生が出会う
傷つけあうかもしれず
慰めあうかもしれず
しかしただ一本の糸の弱いこと
3174
「精神療法の経験」成田善弘
・患者は観察され、分析され、規定されているだけで、治療者という一個の人間と出会えていない。そういうところでは人間が本当に揺り動かされるということは少ない。
○なるほど。これが「対話的関係」である。昔ならば「実存的出会い」とでもいったもの。
診断のためには観察的関係でいいかもしれない。しかし治療のためには対話的関係が必要である。
○しかし一方、あまりにロマン主義的ともいえる。もっとクールな感覚も大切だ。
・患者が「先生から一生離れられないような気がしていた。縛り付けられているみたいだった」と語る。
○過度に依存的、退行的になる。それが治療としてよいことかどうか、考える必要がある。
・治療者が自分の気持ちを正直に言葉にできたとき、それが患者の感情とも重なって、共感の表明ともなる。「面接者が感じている不快な感情は、実は来談者が内心深く感じているものの反映であると考えられる節がある」(土居)
○これは役に立つ指摘である。深く考えてみる価値がある。憤りにまかせて相手を断罪するのではなく、クールに、このような可能性も考慮する。
この不快感の源泉は何か?
・代理内省(コフート)について。
単なる患者との同一化ではない。治療者自身の心の深いところのどこかに、患者の気持ちと同じような感情を持ったことを探り当てる。だから患者の気持ちが分かる。治療者の中にすでに存在していて、患者によって引き起こされるまで脇に除かれていたものに対して、不安を持たずに向かい合い、認知し、言葉にする。あらためて発見する。
3175
強迫型の人は他人にも完璧を要求する。また、他人を支配しようともする。また、自分の不安の解消を他人を動かすことで達成しようともする。
結局、嫌われて孤立する。
3176
「精神療法の経験」成田善弘
・精神療法の要諦は、治療者が自分の心の深みをどれだけ見つめられるかにある。時には本来患者がおこなう仕事(たとえば葛藤を体験すること)を治療者が自分自身の中でおこなうこともある。
○そのように共有化がやはり有効だろう。しかしそれは巻き込まれとは根本的に異なる。
何となく、治療者は心の全部で悩んでしまってはいけないと感じる。たとえば、メモリーの一部を作業領域として確保しておいて、自分の生活とは関係のない感情の作業をそこでおこなうことができる。そのように、ワーキングメモリーをたくさん持っている人が治療者として適している。
メモリーのたとえが分かりにくければ、まな板でもいい。自分の家で食べる分の料理は、まな板の一部で作る。それでもまだかなりあまりの部分があって、そこで患者の家の分まで料理することができる。そのくらい広いまな板が必要だ。狭いまな板だと、お互いの料理がごちゃ混ぜになってしまう。
・患者の言動によって自分がどう変えられるかを見つめる。変えられることに抵抗しつつ、自分の心の中にどのような連想が浮かんでくるかに聞き入る。そのさまざまな連想の底を共通して流れる感情を見つめる。そしてその感情を、ちょうど患者の話の内容が面接場面で実演されるようになるタイミングで、気持ちとしてはわたし(ないしわれわれ)を主語として、実際にはなるべく主語を省いて表明する。
○なるほどな。すぐに反応しないで、自分はこの人を前にして、どのようなことを感じるだろうかと問いつつ、面接を続けるわけだ。「あなたと話しているとわたしは……のような感じがわきあがってきます。」「そんなときには、わたしだったら……のように感じるのではないでしょうか」など。それが患者の感情明細化のきっかけになる。
3177
「精神療法の経験」成田善弘
・治療者がその役割の中に留まっていれば、患者は治療者という役割を相手にしているだけで、一人の人格と真に出会っているとは言えない。患者も患者の役割を越えて真に成長することができにくい。
○「一人の人格と真に出会う」とは、言葉はきれいだが、難しいことだろう。実際何を意味するのか。
強迫について
・フロイトと狼男。「世の中に受け入れられない者同士として、共感すら分かち合って、いるように見える」(小此木)
・強迫症者に対しては、「立ち向かう」という言葉がなぜかぴったりくるように感じる。
・患者は治療者によって理想を挫かれ、妥協を強いられ、凡庸を強制される。
・治療者と患者の間にパワーゲームが生じる。
・患者は援助を求めているはずなのに、援助の与え手たるべき治療者を、(理想化するどころか)無力化しようとする。そうせざるを得ないところに強迫症者の悲劇があると頭では分かっていても、患者が悪意を持っているように感じられて、イライラしてくる。ついこちらも残酷な言葉を吐きたくなる。つまり患者の中にある(であろう)悪意が治療者の中に移し植えられたようになってくる。
○こうしたある種の「伝染」に、どのように対処するかが問題である。
・「強迫をみていると、意地悪がうつる」(中井)確かに、強迫症者は、意地悪でやさしさが欠けているように感じられる。
・せっかく説明したことが、患者には何の意味もなかったのかと思い知らされることがある。
○この感覚にどう耐えていくか。結局、無駄なことをしているのだとの大前提が役に立つのではないか。宇宙の歴史の中で全く無駄で無意味なことだ。
3178
予約制について
・待てない人……待てないことが心理的な余裕のなさを示している。
・なぜ心理的な相談が15分で終わると考えるのか、それが不思議だ。床屋や歯医者とは違うだろう。あるいは、機械的に15分で終わることが良いことだと思っているのだろうか?
・自分の大事なことについて、なぜ充分に時間がとれないか。片手間に済ますことではないはずだ。物事の重みの付け方が間違っている。
3179
薬か、カウンセリングか、両方か。
薬の調整を相談したい人と、薬を使わずにカウンセリングを希望する人とを両極端として、その中間に薬とカウンセリングの両方を使いたい人と、いろいろな人がいるわけです。
・薬は使いたくない、カウンセリングで何とかしたい。表面的な症状の話だけではなく、その背景にあるいろいろな問題から整理して考えていきたい。
・心の中を話すのは嫌だ。聞かれたくもない。治してほしい症状を話すから、薬の調整だけ相談に乗ってほしい。
・薬の調整をする場合にも、性格傾向の把握や心理テストの結果が参考になる。
・鼻水があるからこの薬、熱があるからこの薬、というようなものではない。
・漢方薬の場合には、同じ症状でも、その人の体質を考えて、別の薬を選んだりする。それと似ていて、表面的な症状の奥にある症状の構造、性格の構造を参考にして薬物の選択をしている。そのためにはやや時間をかけたカウンセリングが必要になる。うつだから抗うつ剤、というような選択とは違う。
3180
いまこころをこめているか
患者さんの立場に立つことができるか
いま自分の人生を輝かせているか
3181
日々積み重ねてゆくこと
それがわたしの人生だ
一部分にだけスポットライトを当てて、これがわたしの人生だということはない。
すべての一日がわたしの人生である。
やりきれなさもどうしようもなさも後悔もある。
3182
「精神療法の経験」成田善弘
・強迫症者のサボテン構造。外側は棘がいっぱいでその外皮はなかなかに硬い。中味は脆弱でグシャグシャである。これは強迫症者の家族構造にも共通している。
・「強迫症者の父親には自営業が多い。彼らは社会的独立に価値を置き、世間を競争相手ないし敵とみなしながら、その世間をして自分をひとかどと認めさせようと奮闘している。父親のこういう構えが、家族の外枠を形成し、母親も患者も世間に対しては父親のこういう構えに従っている。しかし家庭内では父親は細やかなかかわりに乏しく、支配的な母親が、患者が親の望みを満たす限りにおいては過保護に接し、万能感を育んでいる。が、これも患者の自己評価の安定につながるものではない。両親の望む一流路線を一歩はずれれば、患者も家族もたちまち人並み以下とみなされてしまう。家族全体が世間に向けて硬い防壁を作っているが、中味は傷つきやすく脆弱なのだ」
・強迫症者の父親には専門職が多い。
・妄想患者の家族としての「要塞家族」に似ている。
・外側に棘のついた硬い外皮をつけて優しいふれあいを拒みながら、荒涼とした世界に一人立っているサボテン。
・その中核は分裂気質としてまとめることができる。
○個人の病理から始まるが、家族の病理にまで拡大している。さらには社会集団の病理にまで拡大するだろう。たとえば近代日本の性格。
○強迫症は、周りの人を巻き込む病理である。特に一家の中心人物が強迫症者である場合、長い時間の間には家族が知らずに巻き込まれてしまっている。水からゆでられるカエルのたとえに似ている。ときに客観的な眼で自分を点検する機会が必要である。
○母親と息子が強迫系である場合が症例としてある。
3183
「精神療法の経験」成田善弘
・やさしさも触れ合いもない、競争と弱肉強食原理の支配する荒涼とした世界。その中で孤独で無力な自己。こういう患者の内的世界が治療者の前にひらかれてくる。治療者がこの患者に共感しうるとき、治療者は患者の強迫的防衛の内側に入り込み、患者の眼で世界を見る。
・「それができたとき、患者も治療者の眼で世界を見ている。治療者と患者は一体となる。治療者の言葉は外から患者に与えられる解釈ではなくなり、治療者は患者の内側から語る。こういう一体感を通じて患者の深い非安全感は和らげられ、世界を新しく見直すことが可能となる。世界は今や競争と弱肉強食原理の支配するところではなく、協力と助け合いも可能なところとなる。とげとげしく互いに防衛しあわなければならないところではなく、優しくふれあうこともできるところとなる。こういう体験が持てると難治の硬い強迫症がやわらかく溶けてゆくことがある。」そしてこういうことができるときには、何か女性的なるものが治療者を導いてくれているように思える。
○ロマンたっぷりの成田節。
○対話的関係の論に使える。
○ピラミッド社会で、順位の確認のためだけに他者との交流がある、そのような対人関係のあり方は間違っている。
・境界例をみると、治療者は自分が失ったもの、あるいは適応のためにたわめてきたものが、いま患者の中にあるという気がする。
・ボーダーラインは精神療法家になりたがるという意見もある。
・境界例の生育史。人間の宿命が現れている。ギリシャ悲劇を読むようである。最近の青年は神話を信じることができなくなったので、かわりに実演する。母親殺しや近親相姦。
3184
現代人はケチなのではない。良いものならば是非ほしいと思う。そのような良いものがない。だから購買意欲がわかない。
3185
変化に対応する力。
これは強迫性の系統とは別の能力である。
前頭前野の能力だろう。
老化の場合、分裂病の場合に、これが失われる。
3186
人間関係能力の低下。
現代人の一つの特徴ではないか?
理由はわからない。生育の過程で、遊びが対人関係の遊びでなくなってきている。
遊びながら対人関係を身につけなくて、どこで身につけるのだろうか?
3187
一回叩いたら止まらなくなった。可愛いのについぶってしまう。
3188
診断プログラムを提示し、患者に納得してもらう。
しかし早く治療を始めてほしい人もいる。
診断はついていて、薬または自律訓練法が必要な人もいる。
臨機応変にする必要がある。しかし、一部の人には、診断プログラムとして、四回くらいに分けて、心理テストと生育歴、家族歴、現病歴などを聴取して、最後に診断や問題点、治療計画などを話す機会を設ける。
この程度に構造化された面接をしたい。
3189
精神科医の専門性。
これを目に見える形で示す。たとえば脳波の読解。
心理解釈にしても、良く納得できる形で、さすが「専門家!」といわれる程度に。
活字で証拠を示す。権威に頼る。
情報量の差を見せつける。
道具の違いを見せつける。
3190
それは「心の肩こり」でしょう。
3191
「精神療法の経験」成田善弘
・境界例。治療者に、自分は人間の深層にかかわっている、あるいは神話的世界に参入している、そういう深達力を感じさせてくれる。
・そのうちに患者が何となく悲劇の英雄のような感じがしてくる。ヒーローまたはヒロインは運命に弄ばれる寄る辺ない存在である。それでいまわたしのところに助けを求めて来た。そういう感じがする。
○確かに、最初から、「いやな奴」という印象ではない人がいる。
・アメリカのレジデントの人たちが、救済妄想をを起こして境界例を製造する(丸田俊彦)。日本の治療者に特にその傾向があるのではないか。
○この感覚はやはり大切である。笠原は、「15分以上話を聞くから境界例になるのだ」と語っていた。
・境界例の特徴。治療者に、深みにかかわりうるという自己愛の満足を与えてくれると同時に、患者にとって大した存在ではないという空しさを抱かせる。
・治療者のナルシシズムは大いにくすぐられると同時に、フラストレイトされる。治療初期にはナルシシズムが助長される。
・プレコックスゲフュールでは、治療者が患者に接近しようとしても応じてくれないので、ナルシシズムが大いに傷つく。
・二者関係への埋没。いままで誰も患者のこうした気持ちを分かってやらなかったのだと気がする。周囲の人たちが何となく無理解で冷たい人間のように思えてくる。
○斎藤先生の時がこれに当たるだろうか?しかし実際に冷たくて官僚的で自己防衛的な人たちであったように思うのだが。
・こういう他者排除的な二者関係が、境界例患者のもっとも得意とするところである。「患者のことを分かってやれるのは自分だけだ」となる。
○説得力あり。
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「精神療法の経験」成田善弘
・境界例。一人ではいられない病気。必ずパートナーを見つけだして、そのパートナーとの間で病理を開花させる。
・分裂病者は一人で病気になっているが、境界例は二人がかりで病気になる。
・一対一で面接をするということは、二人で病気になるのが得意な境界例に対して、そのパートナーたるべく立候補するということである。病理の花開く培地を提供していることにもなる。
○なるほど。そのためにも、治療者もチームで、患者の側は家族も参加する形で、とするのが望ましいだろうと思う。「二者関係への埋没」を回避する通路を保っておく。
・古典的な神経症は、外側に防衛の皮が張っており、これをだんだん剥がしていくと、真ん中に病理の芯がある。一方、境界例はやくざの背広である。それほど派手ではない表に、派手な病理の裏地がついていて、それががらりとひっくり返って見える。
・助けてあげたいなと思って、助けてあげる人であった治療者がいつの間にか患者の手足のごとく、奴隷のように扱われる。それを拒否すると、患者は一転して、強大な迫害者に対するごとく恐れたり攻撃してきたりする。
・治療者は「こんなはずではなかったのに」と思う。
○どうするかといってもどうしようもないではないか。治療者も人間なのだから。毒ガスには参る。
・境界例は治療者の陰性感情を発見することにかけては、大変鋭い、気味の悪いほどの能力を持っている。
・しばしばコンテクストを抜きにして発言を引用してくる。
・体験の融合性の過剰。現在の自分の体験と過去の体験とが融合する。たとえば過去の見捨てられと現在の診察室での見捨てられとが融合する。
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「精神療法の経験」成田善弘
・濡れ衣感情。(北田穣之介)濡れ衣を着せられる感情が起こるときは相手はボーダーラインである。
・治療者は、自分は無力であるということを、自分の心の中に入れて耐えることが大変困難である。治療者として役に立っていることを自分にも周囲にも示したい。無力感を内界に保持できないとき、患者を攻撃して見捨てたくなったりする。「悪いのはやはりお前だ。お前のような人間はみんなに見捨てられて当然だ」
・相手ががらっと変わって、裏が出て、よい顔が剥がれて恐ろしい素顔が露になるのではないかと不安に思っている。他の人が善意を向けてくれていても、その背後には必ずや代償の要求がある。自分の秘密とか性とかあるいは主体性とか、そういうものを奪われるのではないか。そういう恐れを持って生きている。だから非常に恐ろしい世界に住んでいる。
・治療という仕事の責任を患者と分担するという姿勢が大切。
・治療者が、治療は全部自分がやるのだと思っていないか?
・ちょっと矛盾しているところを不思議がるようにする。「そこ、どうなっているの?」という感じで聞く。
・「治療者の介入は、患者のする心の仕事を少し増やすように働くものがいい」(神田橋)
・治療者が何か言うと、患者が恐れ入ってしまって、もう何もしなくてもすむというのはまずい。
・不思議がるのがとても大切。
○そのようにして患者を主体的に悩ませる。治療に向かわせる。
・全部分かってしまわないで、不思議がる。どういうところを不思議がるかで、その人の人間観、治療観が出る。
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「精神療法の経験」成田善弘
・原則。分離個体化を達成した大人であれば、つまり成熟した大人であれば、かくも振る舞うであろうようには患者は振る舞わないところを不思議がる。
・日本人が自立というと概ねは孤立である。
・治療者と語っているのではなく、自分自身と対話しているように。
・不思議がるときにも、患者に観察自我があるとすれば、こういうふうに不思議がるであろうというように不思議がる。
○なるほど。治療者と語るのではなく、観察自我と語る。自分自身と対話する。そのような感じが出ればとてもよい。それが面接である。
・境界例。一人で抱え込まない。できるだけ大勢で抱える。
・治療者の内部に、第三者の目を次第に内在化させる。
・困ったときは正直に言う。分からないときは患者に聞く。
・それまで患者の問題行動として見えていたものが、患者なりに自分の無力感に対処しようとする努力だと見えてくる。
・境界例の患者が、どうしてよいか分からない、どうすることもできないといっているときは、すぐには口に出さなくても、頭の中で、「それで、あなたはどうするつもりですか」と思いながらあうことにした。
・問題行動はもともとは適応的行動であったことがほとんどである。
・患者の状況や運命を話されても、どうしていいか分からない、どうすることもできないという気持ちになる。それは患者が人生の中でずっと持っていた気持ちと同じである。二人がかりで無力感に陥るということになる。
・まず共感的に。そして不思議がる。それから「どうするつもり名の?」と続く。
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「精神療法の経験」成田善弘
・「いまあなたに起こっていることは神経症で、治療の対象となります。これはあなたが醜い人間だから起こっているのではなく、あなたがまるで神さまのように完全に良心的にやろうとしすぎるために休むことができず、人間であるあなたが困ってしまって病気という形で休息を要求しているのです。人間には休息が必要なのだから、自分を責めて頑張るようなことはしないでゆっくり休んでいればよい。今後の面接でどうしてこうなったかもっと詳しく検討したいし、必要に応じて検査もしましょう。」
・「今後も状況により波が来るであろう。しかしそれは自分についてもう一歩深く考えるよい機会だから、すぐに受診するように」
・初診時に神経症といわれてほっとした。こんなにも苦しいのに「何でもない」と言われてしまい自分ではどうしようもできず困っていた。
・「べき」でなく「……したい」と自然に思えるようになった。
・無理に発作を止めようとせず、ゆったりした気持ちで発作を見届けるつもりで。
・患者に起こっている事態は病気であると告げる。それは(素人である)患者の手に余る。患者に責任はない。同情、世話、治療の対象となる。
・病気でないと言われて安心して軽快するような例は神経症というより一過性の反応とみたほうがよい。神経症者は病気と認めてもらいたがる(土居)。
・病院では「病気」と告げることが、医師が患者の問題に関心を払い重視していることの証になる。
・わけも分からず苦しいよりは神経症と分かったほうがよい。
・病名が分かるということは、治療者が事態を把握している、知識があり、対処法もあるという安心感を抱く。
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「精神療法の経験」成田善弘
・強迫症や拒食症の場合には、自分の独自性が認められないとがっかりする。この人たちは病気でしか自己の独自性を示し得ない、それほどに重い障害をこうむっているといえる。
・相当苦しいが、死や狂気のような、本当に悪いものではない。
・説明原理を提供する。それなりにわけがあり、起こりうることで、広い人間的な観点からはある意味で当然のことだと告げる。
○説明モデルを提供することが大切。それが納得である。
・患者自身、世間、家族がどのような説明原理を採用しているか、把握すること。
1体のせい
2生まれつきのもの
3たたりやつきもの
4環境、ストレス。
5自作自演、甘え。
・世間のありきたりの説明とは少し異なるものを呈示する。ありきたりならすでに解決しているはずである。
・いまの事態をしばらくそのまま起こるに任せておくように伝える。症状を肯定し時にはそれを奨励することはさまざまな精神療法に共通して認められる。
・「自分ではどうしようもない」患者の現状を、治療者の指示に従い、起こっても当然のことを起こさせておくことができるという形で再概念化して、患者に自分はやれるという感じを抱かせる。
・否定的特性から肯定的特性へ、原因の評価を変更する。たとえば「なまけ」から、「完全癖」に。「怠け」ではなく「医師の指示に従って人間に必要な休養をとっている」ことにする。
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「精神療法の経験」成田善弘
・患者が変わるのは、自分は変わらなくてもよいのだと感じたときである。現状に肯定的な評価をつけられる。その状態を起こさせておくことができるということで自信をつける。その自信がついたとき、患者は変わる。変化しなくてもいいのだという安心感を与える。
・予後を一般的に述べる。しかし、患者の治療への協力が予後に影響を与え得ると示唆する。→事態の改善に関して自ら寄与することができることを告げる。
・さしあたっては症状を続け、面接には来ることが責任を果たすことであると告げる。
・これまでのことについては責任を免除する。これからのことについては責任を付与する。
・患者に自分の状態を評価してもらう。患者が何をもって自分の問題点とみなしているかが分かる。何を改善の指標としているかが分かる。
○患者は無力感に囚われている。自分のために自分は何ができるのか、それを呈示するだけで大きな違いがある。
・危険のあるところに救いがある。→危機に際しては潜在能力が動員される。新しい対応方法を見いだそうとする欲求が高まる。従って、救いのチャンスである。
・当面の状態像。問題点。直接前駆する誘発的出来事。現在の生活全般を把握。
・現在の不適応は、過去の似たような状況への患者なりの適応の試みに由来していることが多い。たとえば見捨てられを回避するために深い関係を回避し、結果として見捨てられてしまう。こうした観点から生活史を聞く。現在の状態と過去の体験および反応との共通項の発見に努める。
3198
「精神療法の経験」成田善弘
・患者が語らない部分、省略する部分、に目を向け、そこに患者の注意を促す。
・距離をとった醒めた眼。危機にあって混乱している患者に、治療者の醒めた眼がしだいに取り入れられることが望ましい。
・いかなる苦痛も一時的と分かっていれば耐えやすい。
・説明は、知性化を促すことである。
・感情に駆られてどんどん話す人には、「話してすっきりするか、あるいはますます混乱するか」と訊ねる。「混乱してくるようなら一度に話さないほうがよい」と告げる。患者のコントロールの感覚を養成する。
・当面の問題を同定し明確化する。中心葛藤を限局化する。
・転移を明らかにする。過去の重要人物に対する態度との共通点。
・転移を解釈することは深層切開である。止血が必要である。それは支持で、広く人間に存在するもので、現実的に対処することが可能であることを伝える。
・患者が精神科医に不要な依存関係を持たないように留意する。
・病者のなかの自然治癒力ともいうべきものを信じている。
・自分を見つめる力。乗り越えていく力。
・そう信じ続けることが精神療法家の大事な能力である。
・他者を信じるとき、人は心の中を打ち明けられるようらなる。打ち明けることは、包み隠さず話して、中に入っているものを空にすることである。
・信じて打ち明ける人は心の重荷を軽くする。信じられ打ち明けられる人はその分重荷を分担しなければならない。信じることは人間が人間に贈りうる最高の贈り物であるが、この贈り物を受け取るにはそれにふさわしい力量と人格が求められる。
3199
心の問題なのになぜ薬を使うのですか?
周辺不安の縮小。
中核不安に立ち向かう勇気。
3200
診断と治療の標準プログラムを作る
・うつ……A
・パニック……B
・原因不明の心身不調状態……C
1)初診
現在症
現病歴
→この時点で、ABCのどのセットで行くか、あるいは即投薬にはいるか、を決定。
2)診断面接として3,4回程度。ABCセットを作っておく。
うつの状態像シート……SDSの変型版
パニック関係の状態像シート……SDSも含める
特定できない心身不調状態シート……CMIからはじめる。
Tegは全例に施行。
風景構成法。
SCT。
既往歴
家族歴
生育歴
教育、職業、結婚
性格傾向
自覚項目、趣味、家族からの評価など。
身体診察
3)診断と治療の説明に一回。どのような希望があるか、尋ねて決定する。自律訓練法などを用いるかどうか。