2757-2800

2757
外傷性精神障害岡野憲一郎
フロイト。リビドーの水流モデル。ないしは水力学モデル、貯留モデル。
人間にとっての不快体験はリビドーが発散されることなく蓄積されていく過程であり、快感体験はそれが解放、発散される過程である。神経症の原因はリビドーが放出されることなくうっ積する状態である。幼児は性的に興奮させられても、その発散方法を知らない。これが後の神経症を準備する。
フロイトの話は順を追って理解すれば分かりやすい。
・性的外傷を受けた子供は性的興奮を覚える。その意味で、外傷体験に対して全く受身的態度にとどまらない可能性がある。ここに性的外傷体験の持つ難しさがある。外傷体験の持つ「欲動興奮的」側面はその体験自体の外傷性を一層深刻なものにする可能性がある。
●論は分かる。しかし、そうなのだろうか?受動的にせよ、教えられてしまい、そこで深刻な事態が出現する。頭では嫌悪があり、興奮してはいけないと思いつつ、しかし感覚は否応なしに興奮する、というわけだ。
話としては面白いが、たとえば、そのような体験以来不感症となり……といったコースも考えられるのではないか。性的興奮にマイナスの意味付けしかできなくなる。
性欲の処理に悩む人も多いだろうが、そのような欲望のあまり強烈ではない人も多いだろう。
その場合、面白がって欲動興奮的などというのは理論家の興奮しすぎである。
・抑圧の機制を含む自我の働きそのものを圧倒して無効にしてしまうほどの外傷体験について、フロイトは考察の対象としなかった。
●そうであれば、陰性の慢性の外傷はどうなるか。
普通に考えれば、急性の陽性の外傷については、緊急反応として(死んだふり)位置づけできる。これが解離をもたらすことも分かりやすい。慢性の陰性の外傷については、発達に損傷を残すということで、それはつまり、従来からいわれている発達論の中に位置づけることができるのではないか。
このあたりはまだ納得できない面がある。
・人間が外傷的な体験を空想や夢の中で繰り返し、時にはあたかも積極的にそれを再体験しようとする傾向について、フロイトは論じている。
人間は快楽原則に従う。快楽の享受を一時的に延ばす(現実原則)こともあるが、結局は快楽を最大にしようとしている。しかし「快楽原則の彼岸」では、人間が快楽原則が成立する以前のより原初的な状態において、反復強迫として定式化されるべき習性を持つことを示した。「刺激障壁を破るような過剰な刺激が外界から加わると、それにより快楽原則は一時的に機能が停止する」、そして「快楽原則よりもより原始的でかつ根源的であり、より本能的な反復強迫」が露呈することになる。
●過剰刺激の処理→反復強迫の形式をとる。このあたりは「メカニズム」として分かりにくい。
●ジャクソニズム。より下位のシステムが発動する。
・現実的な不安と神経症的な不安(フロイト)。後者は内的な危機に対するものであり、その対象が本人に見えないことが特徴である。それ以前には「不安は蓄積したリビドーが形を変えたものである」と考えていた。不安についての説の変遷が見られる。
・不安信号説。不安は危機状況において(かつて経験した)外傷的状況が近づきつつあることを知らせる信号の役割を果たす。
●今回読んでみて意味不明瞭。予期不安と同じ意味?
・不安が抑圧を生む。以前は逆に考えていた。(リビドーが抑圧され、それが不安へと変化すると考えていたが、実はその逆だった。)
フロイトが何を言ったかがそんなに大切なのだろうか。共感できない。

2758
外傷性精神障害岡野憲一郎
・フェアベーン。「子供が愛してもらい、また自分の愛情を受け入れて欲しいという欲望が満たされないことは子供が体験する最大の外傷である。」
●「愛情を受け入れて欲しい」という子供の欲望とは何か?
●意味がはっきりしない。何となく読めば分かるけれど。クリティカルに読むと意味不明。要するに親の愛情の不足は陰性外傷となるという話である。それはいい。しかしこの文章は何か?
・このような状況においては、自分を満足させてくれない悪い対象を内在化させる結果となるが、フェアベーンによれば、そうすることで自分が変えることのできない状況を少しでもコントロールするためである。こうしてスキゾイド状態が生じる。
●どうしてこんなことを仮定していいのだろうか?
ウィニコットは、幼児が侵襲を受けることで自己の感覚(sense of self)を発達させることができなかったことに精神病理の根拠をおく。
●こんな根拠でいいなら百通りも可能である。針の先で天使が百人踊っている。
スキゾイド(フェアベーン)。外傷や侵襲により、自己の統合機能が破綻し、攻撃者の内在化が生じ、それが通常の人格とは隔絶された形で一つの人格として成立するのがスキゾイド状態である。たとえば、普段は保護的な良い対象であるはずの養育者が、ある日突然に虐待者として立ち現れ、患者はその矛盾した体験に圧倒されて意味付けができない。そこで虐待者としての対象イメージ(悪い対象)や、それにより外傷を被った自己表象を、異物ないし未消化物として良い対象や良い自己イメージから隔離し内在化させる。
・虐待者は患者に性的興奮を引き起こそうとし、対象を支配したという全能感を得ようとする。
●酒を飲ませて酔わせようとするのも似たところがあるだろうか。

2759
(外傷事件)+(共感欠如、サポート欠如)=外傷体験
 陽性外傷 + 陰性外傷        =外傷体験

2760
外傷性精神障害岡野憲一郎
・治療の第一歩は、患者にとって安全と感じられるような治療環境を提供することである。
・安全な治療者患者関係を築く。それがないところで外傷記憶の再生や除反応が行われれば、再外傷体験になりやすい。
・患者は自分にはどうしようもないところで立ち止まっていることがある。そんなときには積極的介入が支持的になる。
・葛藤モデル・表出的技法(カーンバーグ
・欠損モデル・支持的技法(アドラー
・患者は過去の外傷や、本来あるべき生育環境が欠損していた結果として、単刀直入な解釈や直面化には耐え得ぬような弱さ、傷つきやすさを持っている。彼らが幼少時に被った養育上の欠損はまず埋められなければならない。
●養育上の欠損が病因的で、それを埋めることができる?本当に?
・除反応とは、十分に意識化されずにいる外傷記憶を、その情緒反応とともに想起、解放することである。事実としての記憶はあっても、情緒反応までは想起できないことが多い。除反応により、記憶の認知的、情緒的側面が統合される。その記憶が本人の生活史に組み込まれる。
・たまった悪いものを吐き出すイメージ。
●感情をためているとよくない、だから感情を発散する。これを外傷記憶についてやってみるということだ。ひと泣きすればすっきりする。再び演じるといったことかも知れない。子供のごっこあそびの延長のようだ。これがなぜ有効なのだろうか。何が変化するのだろうか。
・激しい感情表出が一向に症状改善に結びつかない場合、それは除反応ではなく、フラッシュバックである可能性がある。これは「自発的な除反応」であり、氷を体に押し当てるなどしてできるだけ早く止める。
・支持的で信頼感に基づいた治療関係の中で、外傷記憶に再解釈や新たな意味付けが行われて、外傷記憶は全人格に統合され吸収されていく。
・「あなたの体験したことを話すことで、気持ちが楽になるかも知れませんね。可能な範囲でお話し下さいませんか?」「何をどこまで詳しく話すかは、あなたが自由に決めて下さい」あくまで患者の自由意志であることを確認する。
・「三分の一原則」。外傷記憶の想起の導入はセッションの最初の三分の一で行う。次の三分の一は徹底操作、最後の三分の一はセッションの終了に向けての準備。
・除反応の後、解離状態のままで外に出てはまずい。
・除反応では、その事件そのものの話題にいきなり入るのではなく、周辺から。一度に全部ではなく、一部について一回ごとに。感情暴発に対してはストップをかけることもする。
・はじめは激しい情緒反応を伴ってしか想起できなかった過去の体験を、次第に客観的に報告できるようになる。
●最初から客観的では、除反応にならない。
・セッションの最後には患者を催眠状態から現実に戻す。明るくする、音楽をかける、窓を開ける、深呼吸をするなどを行うのがよい場合もある。
・リラクセーションと催眠は共通点が多い。リラクセーションからはじめて、状態を見ながら催眠に移行する技法もある。
・面接室に毛布を常備しておく。女性患者の膝にかける。
・どのようなときにBさんに変わるのか、Bさんは人生の中でどんな意味を持っているのか。
・患者は直面化に際して、解離という機制を用いることなく、それをより適応的な防衛機制を用いて処理する必要に迫られる。

2761
ラクセーション導入の実際
説明
・無理をしているから、抑圧にはエネルギーを消費している。心と体の力を抜いて、心の中で無理に働いている力を取り除く。そうすればエネルギーを補充できる。
・ヨーガや黙想や座禅に似たこと。あくまで自分の意志で、自分が自分をコントロールする。

・始める前に、イメージトレーニングとして、海に浮かんでいる自分や、森の緑に囲まれている自分を考えてもいい。どこまで具体的に細部まで描き出せるか、試みる。目を閉じて、しばらくイメージする。考えるのとは少し違う。イメージである。心のスクリーンにくっきりと浮かぶように。絵がありありと見えるように。

自律訓練法のように(呼吸と脱力)
・ゆっくり目を閉じる。自分の呼吸のこと、いま現在の体のことをイメージする。雑念を払う。
腹式呼吸をする。一つ息を吐くと、体の力が一つ抜ける。だんだん力が抜ける、だんだん重くなる、だんだん熱くなるとイメージする。それ以外のことは考えない。いまここで、体の状態に集中する。自律訓練法のように、各部位に集中してみるのもよい。
だんだん安らかなよい気持ちになる。体が重くなり、熱くなる。血液がだんだんすみずみまで行き届く様子が分かる。
しばらくこの感覚を楽しむ。安らかなよい気分である。

戻し
戻す操作を必ず入れる。

2762
パニック障害を、外傷記憶のフラッシュバックと考えて、対処法を考える。薬剤で予期不安に対処し、発作→記憶の再強化の悪循環には自律訓練法で対処する。
パニック障害が形成されるに至るプロセスについて興味を持って聞く。

2763
心因について語り合うことが診察室で少なすぎた。なぜか。
診断作業に片寄りすぎていた。治療作業が少なすぎた。そして会話は診断のためのものであった。そのような扱いをされた患者はどのような気持ちだっただろうか?
患者の人生の航路についての関心が希薄であった。

しかしながら、一方で、あまりに心因主義になり、患者の心因をほじくりだし、そのうちに患者と共同して創作していることにならないように、十分に注意が必要である。

2764
課題
対話的関係と非対話的関係を対照して提示すること。

愛と平和の価値観か、戦いと攻撃の価値観か。
世界観の根本的な違いかも知れない。この世界は根本的に信頼できるよいところで、人々は知り合えば知り合うほど幸せになれると信じられるかどうか。

2765
『もう「うつ」にはなりたくない』(野村総一郎)……海道病院で、IBMのサブノートを打って原稿を書いていた様子を思い出す。
・うつは時を待てば必ずよくなる。したがって医学的治療は「苦しみの時期を短くし、最悪の事態を乗り切る手段」である。
・うつは「しっかりしているからこそかかる」、「しっかりしている性格が裏目に出て生じる」。
・「やっぱり、あのとき最初に早く休んだのがよかったのですね。そうでないと、取り返しのつかない悪評がたつところでした」躁状態の人。
・操作的診断基準とは、「これが正しい基準かどうかは神さましか知らないけれど、今の段階ではひとまずこのように定めておいて、これにしたがってデータを集めて、あとで議論をしよう」という考えで作られたもの。
抗うつ薬はある一定の量が身体に入らないと副作用ばかり出て効果はいつまでたっても出ないことが証明されている。思い切って十分な量をのむことがコツ。
・「頑固である」と同時に「他人に気を使う」。「相手に合わせようとしても自分の内面の秩序とぶつかって折り合うことができず、自分で自分を苦しめることしか解決が見つからない状態」がうつである。
・うつ的思考パターンの名前を覚える。どの思考パターンが何回生じているか数える。合理的思考に修正する。そのさいに否定するのではなく、妥協する。
野村のうつの仮説
・うつの人は、「柔軟性がない」、「気持ちの切り替えに非常に時間がかかる」といった傾向がある。
・「物事の重み付けができない」「あるネガティブな感情がいつまでも残る」この二つの問題点が根本である。
・「物事の重み付けができない」場合には、片っ端から全部やってみるしかないことになる。「とにかく全部を必至でやったときにのみ成功する」と感じる。結果として、「必死で几帳面にすべてに取り組む」という性格傾向が形成される。
・エネルギッシュに動くことによりすべてをカバーしていく術を身につけた場合には、活動的で一見元気者のように見える病前性格になる。
・「感情がいつまでも残る」つまり「気持ちの切り替えができない」人は、子供の時から失敗したときの「悔しさ」「悲しさ」が長く残る傾向がある。どうしても失敗を恐れる、慎重な、冒険心のない、性格が形成される。これがうつ病者の几帳面とつながる。但し、双極性躁うつ病者の場合には感情が残りやすいということはないようだ。
・几帳面によって世の中に適応していると、いつかエネルギーが枯渇し、失敗する。そんなときにも几帳面によって乗り切ろうとするので、事態は悪化する。休んでエネルギーを充電すればよいのにそれができない。悪循環がある。
●執着器質や循環気質の成立を「物事の重み付けができない」と「あるネガティブな感情がいつまでも残る」との二点に遡って説明しようとしている。
ドパミン……やる気
ノルアドレナリン……行動を維持し活動を高める
セロトニン……ブレーキ
・うつの人の各種物質の増減の報告はばらばらである。またどれが原因で結果なのかも不明である。
・ストレスがない状態では、うつ病者と普通の人の間でセロトニン系に何の差もない。ところがストレスがかかると、セロトニンの反応性に差が出る。ストレスが来れば、それが危険なものである可能性がある以上、セロトニンの働きが強まり行動にブレーキがかかる。しかしそれは短時間であり、すぐにドパミンノルアドレナリン系のスイッチが入り、対処行動ガスターとする。しかしうつ病者ではセロトニンの機能亢進がいつまでも続く。ブレーキがかかったままとなる。子供の頃から小さなストレスの連続であるから、そのたびにセロトニンのブレーキがかかりっぱなしではたまらない。そこでうつ病者ではノルアドレナリンドパミン系が常に緊張した状態にセットされる。ストレスのない時にうつ病者が活動的なのはこのためではないか。そして物事の弁別にもセロトニンが関係しているとすると、セロトニンの機能異常は「物事の重み付けができない」といううつ病者の病前性格と関係してくると思われる。この考えでいけば、うつ病の発症は、ノルアドレナリンドパミンの緊張が追いつかなくなった時のセロトニンの暴走であると説明できる。
・つまり、セロトニン過剰に対処するためにノルアドレナリンが過剰にセットされている。これが過剰な几帳面さと活動性を生む。だから休養が大切である。

●以上の野村説とわたしのMAD説を比較検討すること。
抗うつ剤はどのように効いているのか?セロトニンを増やすのがなぜ治療になる?本文では不明瞭。
●うつの仮説としてクリアしなければならない条件は何かをまず明確にしたい。それに対する解答としてどのような可能性があるか、次に考察したい。

●外傷性障害についても、アドレナリン系、セロトニン系、ドーパミン系、麻薬系などについて、特にレセプターの増減の面から考えてみる。侵襲相と鈍麻相の二相性の反応についてうまく説明できないか?

アドレナリン(交感神経)  セロトニンアセチルコリン(副交感神経)
麻薬物質はAd系と関連?

侵襲相  鈍麻相
Opi ↓ ↑
Ad ↑ ↓
Ser ↓ ↑

2766
森田療法で、「ねばならない」をやめて、「あるがまま」になる。これは認知のスキーマを転換することであり、ひとつの認知療法であると考えてよいのではないか。

2767
「愛情セラピー」この類のものが一番いい。求められているし、分かり合える。あくまで患者の程度に合わせてこそ意味がある。

2768
たとえば町のラーメン屋でも、いろいろな工夫がある。自分の味で勝負している。そのような品質に関する探求をクリニックではしているか。医者はしているか。都合の悪いことを患者のせいにしていないか。
せめてラーメン屋くらいの工夫はしないといけないだろう。

2769
人間を腐らせるデイケアであってはいけない。そのことは治療者として敏感であるべきだ。それがわたしが経験から学んだことである。

2770
人間はどうしようもなさを内面に抱えた存在である。
そう思わないのは、内面の欲動を自身の意志発動によるとの自発性の錯覚が徹底しているだけである。徹底的に錯覚し続けている鈍感さの結果である。
あるいは、そうしたどうしようもなさが、完全に社会の規範に従った範囲であるというだけのことである。ところがそのことがとても価値があるのだった。

自分の内面の欲望をコントロールできない人間。

内的欲動の過剰な興奮を引き起こされる場合がある。現代社会では少なくない。

内的欲動が自己破壊にまで至る例。

自分の意志をなくしたように罪を犯す。

支配される。あたかもどこかのボタンを押されると命令に従ってしまうような。

苦しいと思いつつしかし内心で面白がっていたはずだ。

2771
内的欲動の暴走。
そのメカニズム。

またたとえば「むしゃくしゃしたから万引きをした」との言葉。

2772
水の上にプカプカ浮いているリラックス状態。
どの筋肉も緊張していない状態。

2773
犯人探しの心理療法は間違いである。
探偵ごっこではない。

癒しとは何かを考える。

探偵だとすれば、無責任な探偵である。批判されることのない探偵である。

2774
Quality of life を考える。

2775
ペイペッツの情動回路
記憶と情動が関連している。
たとえば、物事を記憶するにはよく理解することが必要だといわれる。もちろん、分からないことはすぐに忘れるという意味でもある。しかしそれ以上の意味もある。
覚えるとに感動があるかどうかという問題だ。このような関係があったのか!と感動したり、感激したりすれば、それは情動回路に入って、記憶としてもよく定着されるだろう。
偉大な発見に感動することができる、それくらい理解すれば忘れないだろうという、実に本当のことを言っている。
1998年1月3日(土)

2776
『物忘れは「ぼけ」の始まりか』(宇野正威)
●なかなかよくまとまっている
・記憶の分類
 1 手続き的記憶(技能の記憶)
 2 宣言的記憶(事実の記憶、陳述的記憶)
   1 エピソード記憶(思い出)
   2 意味記憶(知識)

アルツハイマーではまずエピソード記憶(個人的歴史)が失われる。次に意味記憶。たとえば漢字はよく覚えていたりする。

自伝的記憶と社会的記憶。自伝的記憶が失われやすい。

2777
『物忘れは「ぼけ」の始まりか』(宇野正威)
・老人斑ができる場所は脳の神経細胞の外側。神経原線維変化はニューロンの内部。
・言語機能が男性では左半球に集中している。女性では左右分化がそれほど顕著ではなく、右半球もある程度の言語機能を持っている。痴呆に関しては有利に働くはず。これが若年では女性にアルツハイマーが少ないことと関係しているかも知れない。八十歳を越えると女性に多いことについては説明不可能。エストロゲンとの関係が考えられている。
・アルミについては、判定保留。
・CDRやFASTを補う質問。
1人名想起。有名人と親しい人。2最近の記憶。3二十歳の頃の記憶。4時間見当識。5場所見当識交通機関を使えるか。6家庭生活。炊事など、道具を使う複雑な行為ができるか。7社会生活。地域老人クラブなどにどの程度参加しているか。
これらを詳しくチェックする。
・物語再生検査。新聞のような、15語句からなる文章の再生を検査する。健常で直後で10語程度。三十分後でもほとんど同じ。痴呆疑いでは直後で5語程度。三十分後では何の話だったかほとんど覚えていない。
・十個の単語を覚える検査。「梅、椿、先生、魚屋、うどん、サンドイッチ、鶴、いのしし、扇子、糸」のカード。単語の横に絵。同じ分野の語が二つ、同じ音で始まる単語が二つ。
・治療薬の可能性。アセチルコリン系をターゲットとする薬が主。その他に、抗炎症剤。リュウマチ患者がのんでいたインドメタシン。またステロイドアスピリンハンセン病の薬ダプソンも抗炎症剤。ビタミンE。鉄剤。これはアルミがトランスフェリンによって運搬されるので、鉄で飽和させておけば運べなくなるとの考え。クエン酸鉄とビタミンB6。女性ホルモン。しかしどれも決定的ではない。
前頭葉の損傷……意欲や自発性の低下。計画的に仕事をやり遂げる力が失われる。気まぐれになる。
●こうした知識を分裂病やアルコール性の障害に流用してもいいはずだろう。
・記憶にとって最大の敵は集中力の欠如。集中力を失わせる第一のものは疲労とストレス。最近物忘れがひどいという人は、疲労やストレスがたまっていないか点検する。疲労を回復するだけで、良性物忘れは回復する。
・退職前から、会社とのつながりや地域とのつきあいを考えておく。
前頭葉障害……道具を用いる複雑な行為ができない、地誌的記憶の障害……炊事、陶芸、園芸など、道具と手を用いる行為を勧める。
・側頭葉障害……言語。理解が悪くなり意思表示も少なくなる。……家庭でもできるだけ会話。地域の老人クラブに参加し友人を作る。
・物忘れをして同じ話を何度もするから嫌われる。そこで自分から話をしなくなる。
・痴呆があるから老人クラブに行きたくない。重度痴呆デイケアでは物足りない。そこで「軽症アルツハイマーデイケア」が行われる。
・「物忘れ外来」や「メモリークリニック」が増えている。

2778
何でも話せる状況と作り話もしてしまう状況との差を認識すること。治療者の環境設定として大切。
ほじくることと、受けとめることとの、差。

受けとめた内容に嘘が混じっていても、それがその人の人生の再構成であればそれでいい。生活史を語るとは、自分なりの再構成である。誠実であればよい。
そうでなくて、プラスであれ、マイナスであれ、治療者へのプレゼントであるならば、治療としてはどうだろうか?

2779
分裂病の自我障害を、解離性同一性障害と見る見方。さらに将来は、注意の分配の障害として見る見方もありそうである。
解離性障害も、結局、注意の分配の障害ともいえる。

注意の障害として精神症状のあれこれを記述できないか、考えることは意味があるかも知れない。

2780
物忘れ外来
めまい外来
更年期障害外来
自律神経外来
うつ傾向外来
など、専門外来形式をとる?
早期診断をして、投薬と生活指導。