映画 マルコヴィッチの穴 Being John Malkovich

2005-7月24日
マルコヴィッチの穴
マルコヴィッチの穴 Being John Malkovich
とても面白い。アイディアがある。ネタバレはよくないので、あいまいにしか書けないけれど。
まずエレベーターの設定が好きだ。
「われわれはマルコビッチだ」と語る場面。多重人格の問題もあり、人間の意識の問題もあり、考えさせられる。人間の記憶と感情の貯蔵庫がどのような構造になっているか。

アベラールとエロイーズの恋物語の人形劇など、すばらしい。凝っている。四谷シモンを思い出す。NHK人形劇三国志もよかった。
本人が「穴」の中に入っていくというパラドックス。本人が自分の脳の中に入るというのだから、パラドックスではないような気もするが、やはりパラドックスなのだ。
他人の肉体を操るという後半の設定が、人形遣いという前半の設定と見事に重なる。ここがいいアイディア。

教育について考える。運動や知的能力を高めることは教育の主な目的である。読み書きそろばんという。工場の労働者となったときに、歩留まりのよい制作者になれるように。また、運動能力を高め、生産力を上げられるように。
しかしそれとは別に、「自意識を鍛える」こともできるのではないか。自分をコントロールする能力である。自分の(自意識以外の)意識と肉体という乗り物をどのように使いこなすか、そのコントロールの仕方である。他人と能力を競うのではなくて、自分の与えられたものの範囲で、幸せに暮らして行くにはどうすればよいか、その知恵である。
たとえば論語で書かれているのは、主にそうした自意識によっていかに(自意識以外の)意識と肉体をコントロールするか、その方法である。宗教のターゲットは、ひとつは自意識のコントロールだろうと思う。

巨大なエミリー・ディキンソン人形による、朗読のパフォーマンスの場面も出てくる。宗教的詩人エミリー・ディキンソンとは。読んでも分かりにくいし、翻訳も感動的とは言えない詩人。
キャメロン・ディアスが出ている。メイクというか演出というか、もったいないくらい、地味だと思う。