こころの辞典401-500

401
現実検討と見当識
reality testing and orientation
現実検討能力と現実見当は紛らわしいが、違うもの。現実把握の点では似ている面もある。

402
カタルシス(浄化)
catharsis
無意識層に抑圧していたものを自由に表現することによって、心の緊張を解くこと。浄化法、通風療法、除反応、煙突掃除などとも呼ばれる。煙突がつまって部屋が煙だらけになったとき、煙突掃除をするとすっきりするのと同じである。無意識層に抑圧せざるを得なかった事情自体は変わらないのに、表現するだけで好転するのは、抑圧を続けることは心のエネルギーをたくさん消費するから、抑圧をやめることで心のエネルギーを別の方面に使えるようになるからだろう。
これは自発的な表現でなくても、たとえば映画、小説、歌謡曲などに共感し、自分の内面と共通のものの表現を見いだすだけでもよい。それは心の無形の悩みに形を付けてくれる。映像や言葉でくっきりと表現されるのを見れば、それだけで心の整理がつく。
「やつあたり」は攻撃性が本来攻撃すべき対象に向けられず、攻撃しても安全な対象に向けられる場合で、多くは弱い者に向けられる。夫の会社での怒りを「やつあたり」で発散され、受けとめざるを得ない妻は一種のカタルシス療法を行っていることになる。その妻のやつあたりに付き合っているのが猫である。
飲み屋で皿を割ったりするのも一種のカタルシスである。
カタルシスに付き合わされた人はときに嫌な思いをする。そんな時は人間関係を壊すことがあるので注意が必要である。

403
過敏性大腸症候群
irritable bowel syndrome,IBS
心身症のひとつで、腹痛や下痢、便秘が続くが諸検査によっても原因が見つからないもの。器質的病変ではなく、ストレスによる機能性のものと考えられる。内科で検査したあと、精神科・神経科に紹介される。よく話を聞いて、環境調整、心理療法薬物療法などの適応を探る。薬物は抗不安薬抗うつ剤、自律神経調整薬、整腸剤その他を病態に応じて考える。確かにすっきりしなくてつらいけれども、だからといって人生の楽しみをあきらめてはいけないと思う。

404
機能性疾患
functional disease
たとえば腎臓を顕微鏡で調べてみても異常が見つからない、しかし尿検査で異常がある。この場合に機能性疾患と呼ぶ。
一応そういうことだが、機能性疾患の背景となる形態学的な異常がないかと言えば、そんなことはない。機能にはそれを可能にする構造が必ずあるのである。ただ、それを人間が見つけられるかどうかというだけのことである。
つまり、機能の異常は見つかったが、その裏付けとなる構造が発見できないでいるとき、機能性疾患と呼んでいるだけである。
すべての疾患は機能に異常があり、しかもその裏付けとなる構造の異常が存在するのである。
たとえば、足の骨が曲がっているためにまっすぐ歩けない場合。骨を顕微鏡で見ても、異常はないだろう。それは顕微鏡レベルの異常ではないからだ。構造の異常はすべてがミクロなレベルに還元できるのでもない。

405
病理の推定
正常と器質性脳障害を両端におく。正常→性格障害→神経症うつ病分裂病→器質性精神病と一応並べられる。単一精神病論に近い。
何を基準にして並べるか。器質性精神病は明白に診断可能であり、その精神症状を観察できる。そこを出発点にして、正常者との間の距離を測ろうというものである。何がその要素になっているかははっきりしない。

最終的に自分に不利なことをしているのは器質性に近い。最終的に自分に有利なことをしているのは正常・性格障害に近い。自分の行為の効果について、時間的に離れた効果、間接的な効果まで計算した上で行為できているならば、精神機能は高い。つまり損なわれていない。
「現実把握の歪み(reality testing:現実検討)」

自己中心的な振る舞いも、人格の中心部から出ていて、さまざまなたくらみに彩られている場合、より性格障害に近い。
明白で直近の直接の利益を狙う場合、どちらかといえば器質的である。
他人の思惑に敏感、他人を操作する、欺く場合には性格的である。
直接の利益と、間接の利益。
めくらましの戦術が高級な場合には性格的。

性格問題にも二通りある。ひとつは人格低格状態からくる、未熟な人格(ヒステリー性格)。ひとつは人格の各要素の発達がバラバラで、不統合な状態(境界型人格障害)。移行型は当然ある。

道徳感情や羞恥の感情についてはまた別なのかも知れない。

406
うつ病分裂病を並べて対照させる考え方
これは良くないのではないか。うつ病は個々の脳神経細胞の性格の問題である。分裂病は脳の構築の事情からくるものである。
建築で例えると、うつ病は建築材料の問題である。分裂病は全体の設計の問題である。

407
離人と知覚
離人症を知覚障害の系列で考えてみたくなるのは理解できる。
知覚障害は、末梢感覚障害(低次の末梢の問題)→失認(高次の中枢の問題)と大別できる。離人はこの系列で考えれば、超高次の機能障害とも考えられる。

408
偽幻覚
→知覚、表象、幻覚、偽幻覚
自己の内部に発生したイメージだということは承知しているものの、自分の意志ではどうにもならないもの。自己所属感は保持されているが、自己能動性は失われている状態。自己所属の点でイメージに似て、能動感喪失の点では知覚・幻覚に似る。

                 外部所属・実体的    内部所属・画像的
意志に左右されない(能動性喪失) 知覚・幻覚       偽幻覚
意志に左右される(能動性保持)              イメージ(表象)

409
幻覚妄想状態
幻覚妄想状態の時、意識は清明かあるいは意識障害があるかをチェックする必要がある。

410
行為に伴う幻声
患者は自分の動作について、「彼女は今それをするよ。今度はそれ。」と人々が話しているのを聞く。患者の行為はいちいち批評されたり、指図されたりする。
指図に従って動く場合に、指図の内容は他者に属し、それにしたがって動く選択は自分に属して能動的に判断している。
声に従うかどうかの能動性が奪われ、自動的・被動的・他動的になった場合にはさせられ体験になってゆく。

411
幻覚妄想の形式と内容
形式を決めるのは病理である。内容を決めるのは欲求や無意識の力動などである。

412
思考促迫
思考促迫は分裂病の時に用いる言葉である。

413
一節性と二節性 →調査 Glied

自然な観念連合のひとまとまり→節 ?

一節性=外界認知も失われている→より器質的な病理を推定させる。
二節性=外界認知の一部は保たれている+意味付けの障害→分裂病に特有の症状

「玄関の黒い犬」の知覚から出発する自然な観念連合→一節
これに異常な意味付けが「接ぎ木される」感じ。それは「異質な二者の不自然な結合」と映る。この状態を二節性と表現している。

414
強迫
指標は「圧倒性」。
強迫の内容ごとにギリシャ語で名付けても意味がない。200個。
強迫症と恐怖症の関係‥‥強迫観念の内容が不安の場合?

415
心の辞典
止むに止まれぬ探求癖

416
言葉の網の目
言葉の網の目の差は感情の網の目の差。個人によって、民族によって。
個人の内部で、名付ける作業の意味。それが成長・成熟である。未分化な感情が分化した感情になるとき、名付ける作業が不可欠である。それは言葉でも良いし、映画による表現やその他の表現でもよい。自分で見つけるのはクリエイティブな作業で困難もある。他人の表現の中に自分の内面の問題との同型性を見つければそれで落ち着く。それもまた名付ける作業である。

417
両価性
両価性がはっきりと問題になることは少ない。ブロイラーが分裂病の指標としてあげているにもかかわらず。これはなぜか?症状が変化しているのか。診断学がずれているのか。

418
不安
不安の二種。A現実不安(actual)。B対象のない神経性的不安。
Aは現実の状況に対する反応である。
Bは現実の状況とは対応しない・脳内神経伝達物質の異常と考えてよい。

419
精神という多面体
すっきり分類分析できない

420
交代性意識
意識がB2→A2→B1→A1→B→Aと時間系列として並べる。患者はAではA2,A1を知っているが、Bの系列については知らない。BではB1,B2を知っているが、Aの系列については知らない。時間経過における同一性障害である。解離性ヒステリーで見られる。

421
自我意識
ヤスパースによる。
1他者に対する自我の区別
2能動意識
3瞬間における単一性の意識
4時間経過における同一性の意識
5実存意識(シュナイダー)

実存意識の喪失として訴えられるものは疎隔体験であろうと思われる。

422
疎隔
離人の内容。
知覚、感情、欲求が異和的、非現実的、疎隔、偽物。

423
経過の特性
病理の性格は経過の特性にあらわれる。
血管性のようなものなら場所特異性があるはず。

この頃緊張型が少ないのはどうしてか。
破瓜型と妄想型の違いは何か。→病理が同一ならば(分裂病と一括するからには病理が同一なのだろう)、違いは場所だということにはならないか?

分裂病は多少の違いはあっても、自我障害・被害妄想が多いなど、共通点が多い。同じ場所が壊れているのか?それとも、事例化するのがこうしたタイプだからだろうか?

血管性の場合
1)ダメージを受けやすい血管がある。
2)事例化しやすい場所がある。

424
強迫
シュナイダーから。
「強迫体験とは、平静時には無意味であると知りながら、主観的強迫の体験を伴って現れる、押さえつけられない意識内容のことである。そこから行為も生じるが、それを強迫行為という。しかし行為の行われないこともあり、それを強迫不履行あるいは恐怖症という。」

「無意味であると知りながら」については意味のあることもあるので、必ずしも無意味とは言えない面もある。

ポイントは「圧倒性」である。

形式としては、
強迫表象、嫌なことを思い出してしまう、性的光景を思い出してしまう。
思考習慣、壁紙の模様・敷石を数える、後ろから読まなければならない。
疑問強迫、時間と永遠について。
無意味・解決不能の問い、当たり前のことについてなぜと問う。
毒物・汚物を前にしてそれによって不幸が起こるかも知れないという不安。
責任強迫、チェック行動。
罪責強迫、誰かを傷つけてしまった。
状況強迫、橋から飛び降りるのではないか、窓からものを投げ捨てるのではないか。神聖な場所で卑わいなことをやってしまうのではないかという不安。広場・閉所での不安。
注目強迫、洋服がきちんとしていないのではないかという不安。赤面恐怖をもちじっさいに赤面してしまう。どもるのではないかと思ってどもってしまう場合。
など。
状況強迫と注目強迫は恐怖症。

自己所属・自動・意志に反して・不快不合理な内容
自我異和的かどうかは微妙。

恐怖症との同型性。結局別な名付け方でしかないということか?
強迫表象(obssession)‥‥ひとりでに浮かぶ、不快不合理な考え・イメージ

電車恐怖
電車恐怖強迫と言うべきか?
「電車が恐い」がいつも強迫的に浮かぶのではない。

能動 →自動→被動→他動
   強迫 させられ
強迫にやめる自由はない

425
精神医学における疾病概念
社会で邪魔になるものを病的と呼ぶのなら、ある特定の価値観から勝手に判断しているだけである。比喩的に「病気」と言っているに過ぎない。医学的疾病概念とは関係ない。
医学的に病気であるということと、社会的価値とは関係がない。医学的に病気であるとは、身体的・形態学的に変異があり、健康や生命を損なう場合である。

426
生気的悲哀
生気的悲哀と心的(反応的)悲哀とは別々の「層」から出てくる。生気的悲哀は基底から、心的反応的悲哀は上層のものである。基底層は身体と密接に結びついている。
生気的うつ病でも、たいていは了解的で心的(反応的)な上部構造が、二次的に構築される。それは陰性の自己評価感情となる。(シュナイダー)

427
せん妄
意識混濁が運動不穏と結びついたもの。

428
アメンチア
意識障害で、困惑と思考散乱が前景に立つもの。

429
広場恐怖
ウェストファルは広場恐怖の原因について、眼筋障害による「広場めまい」説を否定し、不安を重視した。強迫現象と関係づけた。

430
プレコックス
praecoxとは、「急速に進行する」の意。

431
プレコックス感
極度の不安に包まれている人に相対した場合、他者は不安の信号を読みとり、?危険から遠ざかるか、または?危険に共同して対処しようと試みる。?にするか?にするかは、受け取る側の事情と、発している不安の信号の内容によるだろう。
分裂病者は、自分にだけ感じられる不安におののき、不安信号を発信し続けており、それが相対した他人にはプレコックス感として受け取られるのかも知れない。「不安フェロモン」が分泌されているのではないかと推定する考え方もある。
集団内での不安信号の伝達説である。
しかしながら、他者は分裂病者から不安を感じ取るのではないだろう。何か一種異様な感じを受けて、友達にはなれそうもない感じがする。人間らしい感じが何か欠けている。これは不安が満ちているのではない。人間同士で発し合っている「人間フェロモン」が欠けている、そんな印象。
分裂病の人たちの中には、「おどおど、びくびく、他人を警戒している」タイプと、「人間としての手応えに薄い」タイプがいる。

432
事例性の例
宗教活動に熱心な女性。家庭を全く犠牲にしてあれほど宗教活動に打ち込むのは、精神病だと夫が言う。しかし本人は、現実把握に歪みはなく、「夫と子供に我慢を強いるのは申し訳ないがいつかは分かってくれると信じている。」と語っている。「自分とまわりの人が幸せになるのがよい宗教ではないですか?」と尋ねると、それは教理問答の第一ページにあることだとのことで、たくさんの言葉が返ってくる。
軽度のうつ状態が認められるだけで、特に精神障害の故に宗教活動にのめり込んでいるとも思えない。その旨を夫に説明すると失望していた。

→未完

433
強迫診断の例
ただ単にある行為を反復するだけでは強迫行為とは言えない。不合理性の自覚・自己所属感の存在・自己能動感は希薄になり自動性が高まるなどの指標が必要である。
例えば、皿洗いや手洗いを反復している患者について、「皿が何回洗っても本当に汚れているから」とか「洗い終わって水切りかごに立てるときに汚れてしまう、気のせいではなく本当に」と言えばそれは妄想に属する。
「皿が何回洗っても汚れているような気がする」「そばにいる人にもうきれいになったよと言ってもらうと安心して皿洗いをやめられる」と言うなら、自信欠乏者と言うべきである。
「皿がきれいになったことは分かっているけれど、何となくやめられない、十回だけ洗おうと決めている」「まだ汚いという考えがひとりでに浮かんできてしまう。本当はきれいになっていると感じてはいるが、その考えが浮かんでしまうとまた洗わなくてはいけない」などと言うなら、強迫症である。
「洗ったかどうか忘れてしまう」という場合もある。
洗い方が悪くてきれいにならないから何回も洗う場合もある。
また、強迫症で「まだ汚い、また洗わなくてはならない」という考えが浮かぶ状況の中で、その人の洗い方が実際に下手で汚れがいつも残るとしたら、思考内容と現実は偶然一致しているわけである。この場合には強迫症は隠蔽される。

実際の言葉の使い方としては、厳密な用い方の一方で、主観をあまり問題とせずに行為の外観だけで強迫行為と名付けていることもあるので注意を要する。

434
受動的攻撃

435
疾患について、
患者の注意すべき点
家族の注意すべき点

436
◇予備知識
・各症状間の関係
・症状の構造
・見取り図
◇前景症状の把握
・意識レベル
・主観症状
・客観症状
・前景症状群‥‥列挙
◇その他診断に必要な情報
・病態レベルの把握
病前性格(そのために生活歴)
・家族歴・遺伝負因
・身体症状・身体診察・薬物歴
・脳波・画像診断
心理検査

437
基礎解説とさらに詳しい解説を分けて、二段階にする。
図・表を多用する。

438
対人距離
対人距離の取り方が硬直していて、はじめは遠く、ある時点で急激に接近しすぎるのが分裂気質の特性である。
循環気質は対人距離の取り方が柔軟である。相手に合わせながら伸び縮みの加減がうまい。→これは循環気質がというのではなく、普通は、つまり分裂気質以外は、ということだ。

対人距離が遠い・近いで分裂気質・循環気質を分類するのは不正確である。

しかしながらこのように分裂気質と循環気質を同一平面上の排他的な二者として論じるのは間違いではないかと思う。

439
知情意と分けるのに応じて、分裂病躁うつ病てんかんと論じていた本があった。恐ろしいことである。述語が「三つ」で同一だから主語が一致するとするのは未開人の論理である。述語の一致から主語の一致を結論したり、部分の一致から全体の一致を結論する思考法を述語論理またはパラ論理的思考あるいはフォン・ドマールス(von Domarus,1944)の原理と呼ぶ。

440
世界観
世界はよいか悪いか。世界に能動的にかかわるか受動的にかかわるか。
この世界はよい。世界に能動的にかかわる。→創造者。
この世界はよい。世界に受動的にかかわる。→鑑賞者。
この世界は悪い。世界に能動的にかかわる。→革命家。
この世界は悪い。世界に受動的にかかわる。→厭世家。

441
症状を説明する方法。
?思考、感情、などでまとめて提示する。
?分裂病系、うつ病系、躁病系、などとまとめて提示する。
これはどちらの面も大切である。?隣り合った症状とどのように違うのか。区別の基準。?どのような症状と伴って現れるのか。そのことによって症状の性質が分かりやすくなる。縦糸と横糸のようなものだ。

442
EQ
emotional quotient
情緒指数または感情指数。自分の感情をコントロールする技能および対人交流の技能、さらには集団内での振る舞いについての技能。IQが高くてもそれを充分に発揮するためには対人的な技能が必要な場合が多いのでEQも大切である。
「EQ……」は読んで面白い本である。

443
デイケアの意義
フロイトの時代の神経症はヒステリーに代表されるようなintrapsychicな病理であった。個人の内面での葛藤が中心で、イド、エゴ、スーパーエゴなどで考察するのが適切であった。従って、個人精神療法が有効であった。現代ではinterpersonalな病理への変化が言われている。対人関係の中で病理は現れ、治療場面の設定としても対人関係場面が必要である。
◇この頃は厳しすぎる超自我が問題となって症状を起こしている人は少ない印象である。厳しい超自我と強い抑圧(これによって起こる問題がintrapsychicなものである)は過去のものとなっているのではないか。フロイトの時代とは違う。
◇言葉が悪いが、現代では逆にわがままが過ぎて、他人に迷惑をかけている印象である。
◇集団内では個人精神療法の場合よりも多彩な転移関係が展開する。
◇個人面接を併用する。
◇集団内で多様な転移関係を観察し、特徴や問題点を把握し、それを個人面接のなかで取りあげ改善してゆく。interpersonalな病理に対しての治療にはこのような集団場面が不可欠である。
◇患者クラブとしてのデイケアにも意義はある。しかしそれだけで充分な時代ではない。interpersonalな病理へのケアの場として、デイケアが求められている。
◇集団精神療法、集団力動、対人関係、交流分析、生活療法、生活類型、SST
◇病理によって対応は異なる。受容的・人格退行促進的=うつ病神経症の一部のみ。生活再建・人格成長促進的=その他の大部分(分裂病、性格障害など)。
◇人格退行的に接した場合には、デイケアから外に出るときには普通の人格水準の戻っているようにする必要がある。退行したままで外に出ると「浦島太郎」である。
◇従来のデイケアは患者クラブであり、結局「竜宮城」だった。浦島太郎は、時間を楽しく過ごしたが、社会適応には失敗したのである。
◇社会復帰をめざすことは、一部では社会の価値観に妥協することである。それが良いことかと問われるだろう。しかし、まずとにかく生きることが大切だ。霞を食べて生きられるわけではない。デイケアにいるよりも、仕事をした方がいい。一人でいるよりも結婚して家庭を持った方がいい。そのような常識的な価値観にまず妥協しよう。食えるようになったらゆっくりと哲学しよう。

444
ボーダーラインシフト
市橋の提案した境界型性格障害の治療方法のひとつ。→論文

445
分かることと、分かろうとする態度と。
分かることはできない場合もある。しかし分かろうと努力している態度はいつでも可能である。

446
感受性を育てること。
芸術に親しむこと。高い人格に触れること。本物に触れるための投資を惜しまないこと。

447
躁うつ病
熱中後うつ病または熱中後無気力病と言ってよい。MAD理論。
これ以外のうつ状態、たとえば、反応性に起こるもの、成功の寸前に罪悪感にとらえられてうつ状態になるもの、性格障害によるもの、妄想に原因してうつ状態となるもの、などがある。

448

境界例患者は、どこまで私のために特別なことをしてくれるのか、枠を無視してくれるのか、約束よりも緊急時の対応で私を慰めてくれるのか、試そうとしている。

449
強迫症
強迫症の指標としての不合理の自覚。
シュナイダーは、ときにばかばかしくない、有益で有意義な思考内容の反復もあるという。従って、「不合理の自覚」は定義としては狭すぎて不適切という。

行為  清潔強迫      反復行為
内面  不潔恐怖      不潔妄想
不合理の自覚(+) 不合理の自覚(ー)

現れ方が軽度に自我異和的である。不都合なとき、そぐわないとき、に出現して困らせる。

思い切って、「内容は別問題」「問題なのは出現の様式。出現の時と場所について、自分が不都合と思っているにもかかわらず出現する。」「不都合と思うのは内容が不都合もしくは不合理と思うものである場合が多いだろう。」

精神病理学は「形式」の面から定義していきたい。(なるべく)

450
意志・看護・心理の初期研修の材料。
勉強すべき文献を付す。

451

正確な複雑さと不正確な単純さ。
まずは理解しやすい説明。これを手がかりとして、細部を訂正してゆけばよい。

452
軽症分裂病
軽症内因性うつ病精神分裂病でも考えてみたもの。
症状は神経症性の不安が主体。時に離人症などを呈する。病態水準は神経症レベルで、現実検討は保たれている。しかし病前性格、人生の歩みなどを加味して判断される背景病理は分裂病である場合。
→笠原の「外来分裂病」をチェック。

453
背景性格
病前性格は背景性格と言った方がいいのではないか?

454
電車恐怖は恐怖症か?

強迫            中間領域  妄想に近い
ばかばかしいと思っている ばかばかしいどころではない。本当に恐い。

電車恐怖の場合、「ばかばかしいと思うがどうしても恐さが振り払えない」のではない。「本当に心底恐い」のである。
「現実の恐さに反する程度にまで恐い」と言っていい。妄想のレベルである。電車恐怖妄想と言うべきである。

455
定義は法律で決めたわけではないのだから、ある程度曖昧である。そこで実際の運用に即する必要もある。また一方で、クリエイティブな定義も提案したい。
【流通している定義】と【提案したい定義及びその理由】を二段階に分けて紹介するのが親切である。

456
プレコックス感
本能・直感という言葉が使われることの意味。たとえば、異性を見ているときの直感のようなものではないか。どの人が良いか選択する目が潜んでいる。それを正確に言語化する習慣はない。(それはなぜだろう?)一目惚れとか直感とか言っている。
目の前にいる人の何かを感じているのだ。

分裂病の人が「結婚して子供を作る」ことについてはハンディはなく、従って分裂病の遺伝子も減らないのだとの議論が一般的である。そうだろうか?ハンディはやはりあるように思うが?

457
自我障害の標識
能動→自動→被動→他動
自己 自己 グレイ他者
自己所属感はこれとどう重なるか。独立の軸であるか。自己所属感は自我境界の話だろう。
自我障害の標識としては何個で充分か?→中安を参照。

458
外胚葉系診断学
神経系と皮膚は外胚葉に共通して属する。ともに自己と外界との接点で働いている。神経系の敏感さは皮膚系の敏感さと共通すると仮定してみる。
外界からの刺激を記憶して、次回から反応の仕方を変えたりする動きも共通である。免疫の場合にも記憶は大切な働きである。
たとえば、以前口唇ヘルペスが出たとする。酒を飲んで赤くなったときに、以前のヘルペスの跡がくっきりと浮かび出たりする。この現象は、分裂病の履歴現象と似ていないこともない。ストレスがかかったとき、耐えきれなくなるのは、決まった場所である。それはその個体に歴史があるからである。
外界に対する敏感さを皮膚反応で測定できないか。それを外胚葉系診断学という。

459
内容と形式
夢の場合。強い欲望や葛藤があるから夢を見るのではない。夢を見る条件は別にある。そして夢を見る条件が整ったとき、内容は何になるか、それは欲望や葛藤が決定する。
パレイドリアの場合。壁のシミを見て、何に見えるか。何かに見えるか、単に壁のシミに見えるか、それは相貌化作用の強弱による。相貌化作用が充分に強かった場合には、何かが見える。何に見えるかは、やはりその人の欲望や葛藤、心理の歴史による。
幻覚妄想についても同様の事情がある。従って、幻覚妄想を形式で分類する作業は、脳の病理を反映している。内容で分類することは、心理内容を反映している。
幻覚妄想や夢、パレイドリア、全て形式と内容は別である。形式は脳の状態を反映している。内容は心理の内容を反映している。
従って夢分析は心理の内面を探るものとして大切である。

分裂病で被害妄想が圧倒的に多いのは、人間心理に一般に被害的なものが基底状態として存在しているからであると思われる。妄想が発生する条件が整ったとき、人間は一般に被害的な内容を注入するものだということだ。それは人間の生きる知恵として有利なものであっただろう。身を守り、種を守るものであったはずである。
また別の考えによれば、幻覚妄想状態に至った場合に、世界は見慣れない異質な場所として体験され、まるで異国で一人さまようような心細さであると言われる。そのような場合に人は被害的になり、警戒的になる。この指摘によれば、被害的状態は反応性であり、了解可能であるとさえ言える。

460
離人症と能動性
離人が能動性の障害であると記載されるのはなぜか。浅い意味では、「自分が何かしているという実感が薄れる」という症状をとらえて、能動性の障害と言っているようである。
しかしさらに深い意味も考えられる。人間が何かを知覚するときには、ただ受動的に感受しているのではない。知覚には能動性が含まれている。コウモリが自分から超音波を発して、その反射を受け取るように、人間の側から対象に「網を投げかけるようにする」能動性が含まれているのではないかと考えられる。
たとえば、低次の例では、目で見るときも手で触っているように能動性を発揮している。目は「ざらざらした」質感をとらえるが、それは手が能動的に動くことによって獲得する感覚である。
さらに高次の説明を述べれば、眼球を固定した場合、視覚的認知がどれだけ制限されるかという実験がある。眼球を動かして能動性を発揮することによって、感覚を手に入れているのである。
こうした事情から、知覚には能動性が関与していることが考えられる。そして離人症が能動性の障害であるという記述の深い意味がここにあると考えられる。

461
自我障害
能動性‥‥させられ系、離人、強迫。
自己所属感‥‥幻声
自我境界‥‥自我漏洩

(自我漏洩に影響体験を対置するのは間違いであることになる。?自我境界の障害を上位に置き、それを自我漏洩と影響体験に分ける。影響体験は能動性の障害としても説明される。?)

二重自我や交代人格などの症状を除外した、自我障害の一部を一級症状と呼ぶ。

462
不安にはパニックから弱い不安まで強弱がある。

463
自我親和的と自我異和的
ego syntonic and ego alien(dystonic?)

464
無意識の二層
集合的無意識と個人的無意識に分ける。集合的無意識は人類または更に広くは生物全体が進化の途上に記録していった無意識の記憶である。
絵画療法などの場合に出現したイメージが何を意味しているのか、メッセージは何であるか、考える場合に、参考になる。即ち、たとえば「うさぎ」が何を意味しているのか、その人の内部のイメージシステムを探るとき、そのイメージは心のどの層から出たものか考えてみる。
集合的無意識層から出たものであれば、ある程度類型的であるから、ある程度公式的な読みとり方も可能になるであろう。しかしそれもある程度である。公式的な読みとり方は常に危険である。

また、無意識層のイメージシステム形成にあたっては、言語システムの影響が大きい。言語はそれ自体、イメージ間の暗黙の関連を含む。それが心に取り入れられて無意識層の形成に関与しているとも考えられる。
つまり、集合的無意識も個人的無意識も、言語システムから来る無意識にある程度は「汚染」または影響されていると考えられる。

465
交感神経は散瞳させる。副交感神経は縮瞳させる。

466
模倣
人まねをすることが主な行動パターンとなっている人々がいる。人まね性格。これは集団としては大切である。生存の戦略としても、自分の能力が特に高くなくても、能力の高い誰かの真似をしていれば、能力が高いかのように振る舞うことができて、大変有利である。

467
三叉神経痛
neurovascular compressionに対して、神経血管除圧術を行う。

468
葛藤が症状を起こすだろうか?
葛藤は症状の内容を決めるだけである。
病理が形式を決める。葛藤が内容を決める。それが神経症である。

いわゆる心因性疾患はない!
その人はすでに病的状態であったが、葛藤内容が特になかったので、症状の内容がなかった。症状の形式はすでにあった。

不適応はストレス信号となり他の防衛システム・行動様式を探す。
適応が低下すると、免疫系が低下するように、別の行動様式にスイッチが入る。

469
産褥精神病
puerperal psychosis
出産後数週以内に起きる精神病状態の総称。原因としては、身体的にホルモン環境の変化がまず考えられる。心理的には親になることや夫婦関係の変化などがストレスとなると思われる。たとえば、親との間の葛藤が未解決な人の場合、自分が親になるにあたって、未解決の葛藤が再燃するとも解釈される。
状態像としてはうつ状態が多く、その場合には産後抑うつとも呼ばれる。うつ状態になったときには嬰児殺しや心中の危険があるので注意を要する。分娩後十日くらいまでに起こる軽度のうつ状態で、理由もなく涙もろかったりするものはマタニティブルーと呼んでいる。産後抑うつとの区別は特に明確ではないが、うつの軽度のものを指しているようである。

470
月経前緊張症候群
premenstrual tension
月経前の場合には多くは月経予定一週間くらいから、不安、イライラ、抑うつ、無気力、衝動的、過食、アルコール多飲、易怒的、頭痛、浮腫、過眠、不眠、下痢、便秘、吐き気、めまい、動悸、発汗などに悩まされるもの。月経前のほかに月経中、月経後、また排卵に一致して、不快な気分を訴える場合がある。月経前のタイプと同じ原因かどうかは不明である。

471
生殖精神病
女性の場合、月経、妊娠、出産、更年期と、生殖機能に関係しての精神不安定状態が種々知られており、それらを総称して生殖精神病と呼んでいる。たとえば、月経前緊張症候群、産褥精神病、マタニティブルー、産後抑うつ更年期障害、更年期うつ病などを含む。症状発現がホルモン系の変動に直結している印象があるので興味を持たれている。しかし現在は性ホルモンそのものだけではなく、性ホルモンと相互作用するいろいろな系も含めた多因子型の脆弱性を想定しているようである。

472
目次
◇脳の解剖と特性
◇心理の解剖と特性
◇精神の異常とは・疾病見取り図
◇予備知識・症状の名付け方
◇前景症状の把握・各状態像
・自我障害
うつ病系症状
・痴呆系症状
・その他の症状群
◇背景病理の把握
・病態レベル
・背景性格
・家族歴、遺伝負因
・心理テスト所見
◇古典的疾病分類・総論
◇古典的疾病分類・各論
分裂病
躁うつ病
神経症
・痴呆
・アルコール症
・性格障害
◇治療
薬物療法
・精神療法
◇とりまく社会
・法制度
・相談窓口・社会資源
◇索引

473
見取り図

    能動ー自動ー被動ー他動
運動           させられ
思考     自動思考  させられ
感覚     離人    させられ

強迫症の位置づけ?

474
能動感
そもそもなぜ自分が行為している感じなど生じるのか?外界の生き生きとした感じなどなぜ生じるのか?物の実感とは何か?
予測(普通の意味の予測ではない・照合作用のこと)との一致とずれ

外国旅行の生き生きとした感じ
見慣れた景色がくすんでくる様子→自動化・無意識化・照合機能停止

475
非定型精神病

     分裂病  躁うつ病
症状   S MD
経過 Shub Phase

S+Shub=S
S+Phase=Atypical
MD+Shub=?(MDIのひとつのタイプ)……だんだん悪くなるタイプがある。
MD+Phase=MDI……考えるに、これは嘘ではないか?これは反応性かも知れない。

Phaseで済むものは反応性なのかも知れない。

476
Front signs or syndromes (problems) 前景症状
Background pathology 背景病理

477
脳の中のイメージ
脳の中に像を結んでいる外界の像。これは本来外界とは関係のない独立のものである。しかしながら、外界と一致していれば都合がよいので、照合できる部分については一致するようになっている。この一致が生存可能性を高める。
照合はある存在の全体について実行することはできないし、必要もない。実際の生活に必要なところから一致を確かめていればよいわけだ。
trial and error により蓄積されてきた結果である。それがいま人間の各人の内部にある像である。それは外界そのものではない。

創造力の問題はそうしたことにつながっている。
はずれかどうか知らないがたくさんの物を創り出し、それを現実と照合する。この作業を繰り返している。

478
離人症
離人症状について、解離性障害として記載されることがある。「自己の精神過程または身体から遊離し、自分が外部の傍観者であるかのような感情の体験」「ロボットになったような、夢の中にいるような感情の体験」とDSM3Rでは記述されている。これでは何が本質なのか分からない。

479
能動性意識
知覚、思考、感情、行為の自己所属性あるいは(現)存在意識と、自分がしているという実行意識からなる。(濱田)
能動性意識の障害に、離人症、させられ現象、

しかし、能動性と言うからには、自己所属性はすでに前提されている。実行意識もあやふやな語である。
結局、能動性はほかの言葉に還元されない。行為や感情や思考の主体が自分であるという感覚である。

行為の主体が自分であるとは?
・意志する者と実行する者。意志するのは自分。実行するのは自分。→能動性。
・意志するのは他者、実行するのは自分。→させられ体験。

思考の主体が自分であるとは?
・意志するのは自分、思考するのは自分。→能動性。
・意志するのは他者、思考するのは自分。→させられ思考。
・意志するのは他者、思考するのも他者、思考を入れられる→思考吹入
・意志するのは他者、思考するのは自分、思考を抜かれる→思考奪取

感情
・?

480
ego-syntonic 自我親和性……欲動や表象が自我に受け入れられること
ego-alien 自我異和性……欲動や表象が自我に受け入れ難いこと。フロイトは自我が抑圧する性衝動に用いた。

ego-syntonic と ego-dystonic 自我親和性と自我異質性……自己の規範に調和し共存するか否か。(Jones,E.1938)

優格観念は自我親和性を持ち、強迫観念は自我異質性を持つ。

強迫……自分としては出てきてほしくないと思っている行動や思考や感情や欲望が、自己の意志に反して出てきてしまう状態。
不合理か否かだけではない。反道徳的であったり、自分の趣味に合わなかったりするもの。

481
ヒステリー性格者
模倣を主な行動様式とする。発達の不十分な個体の場合にはよい戦略である。未熟だから模倣戦略は価値がある。

482
病態水準
神経症レベルと精神病レベルとは言っても、それほど明白に区別されるわけではない。精神病レベルとは言っても、一時的であるのが通例である。神経症レベルや正常者は決して一時的にも精神病レベルにならないであろうか?意識障害は当然除外するとして。
個人の内面で、妄想的確信とすれすれの信条はかなりあるのではないか。人に話す的には反省も働くから訂正されることが多いとしても、自分だけで非反省的に思っているときには妄想すれすれの考えというものは少なくないようにも思う。ある意味ではそれが人間の「ふくらみ」というものではないか。
病態レベルについても、個人ごとにだいたいの傾向が観察されるだけである。本質的に違うわけではなく、なだらかな移行があるだけである。

483
疾病性と事例性
同性愛者に対する考え方の変遷。DSM3では同性愛者は精神障害のひとつであった。DSM3Rになって、除外された。
同性愛者について、病理標本の裏付けはないままに、ということはつまり疾病性の確実な根拠はないままに、疾病性の推定のみによって精神障害のひとつとされていたことになる。ひとつの世界観の押しつけであったわけだ。
本人や周囲の人々の苦しみを取り上げることはよい、つまり事例性をまず認める。しかしそこから疾病性を認定するにはやはり断層がある。断層があるということを忘れてはならないのに、常識というものの力の強さゆえ、忘れがちである。断層を埋めるものは身体に還元される異常、典型的には病理標本である。

484
対人距離
接触恐怖の一面がないだろうか?人混みが苦手。

485
場所の診断と病理の性格の診断
脳の特性から、場所に特有の機能がある。従って、症状には場所の特性が反映される。また、病理の性格の反映がある。たとえば血管性障害、新生物、変性疾患などの病理の特性が反映される。
脳血管障害の場合には、症状の出現の時間的特性に病理の特性が反映されている。場所の特性は症状の内容そのものに反映されている。これをモデルとして分裂病うつ病神経症を考えられないか。

486
てんかん性格
epireptischer Charakter
=粘着気質 viscosty temperment,Kollathym
粘着性と爆発・解放の両極構造を持つ。ドストエフスキーが代表としてあげられる。
粘着性は、几帳面・融通がきかない・執拗・まわりくどいなどの特徴で示される。関心の転換が不活発で持続的である。迂遠思考は特徴のひとつで、なかなか話の核心に至らず、周辺部をうろうろ往復し続ける。ときに衒学的でエスプリに欠ける。平たくいえば、くどい。
爆発性も特徴である。これはてんかん発作から直接に連想される特性で、易刺激的、爆発的、暴動的などと表現される。感情はしばしば極端な振幅を見せる。悲しみも喜びも巨大である。賭事に熱中する面もある。一か八かの一瞬に生きている実感がこみ上げてくる。固着性が強い。予約の時間は厳守し、服薬も比類なく正確である。
我慢に我慢を重ねて(粘着性)、限界を過ぎると爆発してしまう(爆発性)。「はっと気がついてみると、相手は血まみれになって倒れている。どうしたんだろうと思ってみるが思い出せない。右手がぬるぬるするので見ると、べっとりと血がついている。周囲には人だかりだ。何か大変なことをしてしまったらしい。」

487
風土と気質
和辻哲郎「風土」の例。
気候風土と気質性格との関連はもっとも素朴には、南の島で育ったから「温暖な」性格とか、北国で育ったから暗くて陰気とか、東北地方は我慢強いとかの説があり、因果関係の理解に手間取るようなものである。
海からの風には交感神経を刺激する粒子が含まれている。漁村の人々は交感神経優位の人間になる。荒くれ者のイメージである。山の風には副交感神経を刺激する粒子が含まれている。山の人たちは副交感神経優位の人間になる。これも、単純な二分説に属し、使用している論理は述語論理のようである。
農業従事者は予測可能な収穫をあてにして几帳面な態度で責任感を強く持って仕事をする。収穫は保存可能であり、未来を計画しながら生きる。田圃が四角いのも、収穫量の計算に適しているからだという。二宮尊徳が代表である。
漁業従事者の場合は漁獲は予想不可能であり、魚は大部分は腐る。従って刹那的になる。
商業道徳はおおむね農業道徳から発する。
農業生産物が保存可能になったのは近年であり、税を物納せず貨幣で納めるようになったもの近年である。農産物はすぐに腐り、物納した税もすぐに腐るという世界では、執着気質型の性格はあまり活躍できないだろう。近代になって初めて、執着気質は活躍するようになったものであろう。

風土が気質を選択する。

488
ヤロムの集団精神療法の治療因子
1よくなるという希望をもつこと
患者集団の中にいると、自分もあのように悲惨な状態になって、人生をむだに過ごすのかと思うと絶望する。病気がひどくなるだけではなくて、人格も腐り、犯罪まがいのことで生きて行くようになると気付かされる。
2普遍性(自分だけではないのだと気付く)
ずるいのは自分だけではない、怠け者なのは自分だけではないと気付き、居直る。それだけのことだ。金のためなら何でもするのは自分だけではない。
3情報
教育的情報はある。それは役立つ。しかし患者の間に流通する不正確で有害な情報も実に多い。「薬は多すぎるとだめ。自分でこっそり減らす。」「あの赤い薬をやめたらすっきりしたから、君もやってごらん。」「被害妄想までいったらもうだめだ。治る見込みないよ。」など。本当に困ったものである。
4思いやり。愛他的行為により、自己評価を高める。
相手を見下すことと背中合わせである。自分より不幸な人がいることを確認するだけの行為になっていないか。貧しい心は治らない。もしも愛他的行為をしたとしても、余計なお世話だと誤解される。相手は被害妄想に悩んでいるのだから。
5家族関係についての修正感情体験
そこまで患者同士の関係は深まらないし、スタッフとの間でも同様。集団としての力動が発生しない。修正悪感情体験ならばある。
6社会適応技術の学習
SSTどころの話ではない。指摘するのがまず難題。指摘しても分かってくれない。分かってくれても治しようがない。患者同士のことでいえば、三千円を借りておいて、手持ちの不要のがらくたで返済する。ネックレスを値段を偽って売りつけようとする。こんな社会適応は学ぶのだ。相手が病気ならば騙しやすい。
7行動を模倣する
仕事をしないでぶらぶらする。そのために生活保護を申請する。そのために親を捨てる。親の金を使ってギャンブルに通う。模倣が勧められる行為であるのは、よいモデルがいるときである。よいモデルはデイケアに来るだろうか?
8対人関係の学習
悪い対人関係パターンだけを学習する。善意は踏みにじられて返却される。この世界はひどいところだと学習する。こんな対人関係は知らない方がよい。こんなひどい人がいることも知らない方がよい。そして、こんなひどい人と自分が同質なのだとは絶対知らない方がよい。
9集団凝集性
全然高まらない。分裂病の人たちはもともとが集団機能の低い人たちである。この人たちに集団凝集性を求めるのは間違っている。いつまで立っても傍観者である。今日見学に来た人と変わらない。誰かのコンサートで偶然同席した人以上の関係ではない。クリニックの待合い室にいるのと変わらない。
10カタルシス
前提は強力な超自我である。しかしそんなものはない。自我さえも薄い。イドも薄くなっている。お門違いである。カタルシスを促進しようとすれば、退行促進的となり、最悪の結果を招く。
11実存的因子
彼らほど不条理に直面している人々はいない。それなのに彼らほど実存の感覚に遠い人たちもいない。反省的意識に乏しい。
結局、病人同志が集まって何かをしようというのが間違っているのだ。お互いに悪影響を与えあうだけだ。本当に治りたいと思ったら、普通の人たちの普通の集団で治療すべきだと思う。
489
集団精神療法の言葉
集団を記述する言葉をどれだけ持っているかが問題である。我々の現状では、個人の内面から見た対人関係を記述する言葉が多い。対人関係そのものに焦点を当てた言葉、集団そのものに焦点を当てた言葉が不足している。集団のことや対人関係のことは、個人の内面の記述に還元できないからこそ、集団の心理学があるのだ。
intrapsychicな言葉から、interpersonal さらには group itself の言葉で記述することが必要である。

490
集団精神療法の技術
集団の設定(枠・構造・約束・目的)、メンバーの決定、経過に応じた対応。集団設定としては、退行のレベル設定も大切。どこまで現実的でどこまで空想的な集団であるか、性格付けが重要。

491
集団設定
時間、場所、休むときの連絡の要否、自由参加か限定参加か、参加の目的、結果はどのようにして評価されるか、家族との意思統一、プログラム内容(レクか訓練か)。
途中参加はどうするか。卒業するか。何人にするか。年齢、性別、疾病、病態レベル、社会機能レベル。

492
メンバー決定
対人関係パターンの把握。集団内での振る舞いについての予測。
患者の目的と予想される効果、そのための必要条件と予想される挫折。
役割、期待。
治療者は自分でメンバーを選ぶことが大切。何をしたいかは、どんなメンバーを選ぶかということと同じである。
また、患者も自分で希望することが大切。強制入院ではないのだから、本人の意思が第一である。また、家族の意向も大切。

493
集団治療技法
リーダーシップのあり方。個人精神療法との組み合わせ方。情報のフィードバックの仕方。役割分担の仕方(A-Tなど)。
特に、集団場面の指導と、個人精神療法での指導とを組み合わせる技術が大切。各々の担当を違う人が担当するのがよいかも知れない。

494
非定型精神病
経過は相性(Phase)であり、症状は分裂病とうっかり言う。しかしそれは分裂病症状なのだろうか?たんなる妄想状態ということではないか?自我障害の特徴を確実に備えているか?→言葉の選択に注意。
経過に本質を見るか、症状に本質を見るか。→もちろん両方であるのだが……。

495
人に何か言われるとそれが見えてしまう。(オバQなど)。患者・篠の場合。

496
治療者の自己一致
この態度が患者によい影響を与える。

497
理想社
資本主義経済も社会主義経済も、人より楽をして多く儲けようと思うから弊害が出る。

498
ソクラテスの毒杯
彼が毒杯を受け入れたのは、「悪法も法」だからではない。霊魂の不滅を信じ説いていたのだから、毒杯を拒む理由はなかった。

499
イデアと実在
プラトンイデアの説は多少の拡張解釈を許してもらうなら、多様な解釈が可能である。プラトンが現在の言葉で語るなら、と考えてもいい。
目に見える現実はイデア(真の存在)の影であるという。これは量子力学の解釈とも関係する。また、人間の知覚についての議論とも関係する。真の実在は確率的に存在しており、人間の観察によって、ひとつに定まる。それが観察される。観察される前には猫は「確率的に死んでいる」のだ(シュレディンガーの猫・量子効果が猫の生死に直結している箱の例)。
人間の知覚は真の実在の一部分の性質を、感覚器官の特性を通して把握している。極めて部分的で間接的な認知である。
では、人間は「真の実在」イデアを知ることができるのだろうか?不可知である。

500
アパシーシンドローム
病前性格としては、真面目、おとなしい、手のかからないいい子、礼儀正しい。頑固、強情、融通がきかない、強迫的、几帳面、完全主義。小心、攻撃性欠如、積極性欠如。自尊心が高いので敗北と屈辱を異常なほどに嫌がる。勝負する前に降りてしまうことがある。
本業からは退却するが、アルバイトや趣味には打ち込むことがある。この選択的退却に注目して、退却神経症と呼ぶ(withdrawal neurosis,avoidant neurosis)。
分裂病うつ病は除外する。