こころの辞典51-100

51
閉所恐怖
claustrophobia
たとえばエレベーター、しかも窓のないエレベーターを恐怖する。窓があればどうして安心できるのかを尋ねると、発作が起こったときに助けを呼べるからだと言う。しかしそれならインターホンがついているではないかと尋ねると、それ以上は分からないと言う。患者には閉じられた空間に孤立することはとてつもない恐怖である。自分ではどうしようもない不安発作が起こったときのために、安全な場所と危険な場所を区別しているらしい。

52
赤面恐怖
erythrophobia
人前で緊張して赤面することを恐れること。赤面は家族のように深く知っている人に対しては起こらず、また、電車で偶然乗り合わせたような全く見知らぬ人の中でも起こりにくい。名前程度は知られているがまだ本性を深くは知られていない、そのような中間的な状況で起こりやすい。たとえば、結婚式で見慣れない親戚や相手方の親戚が集まる場所などで起こりやすい。
赤面によって実際に仕事に支障があったり友人を失ったりするわけではないので、赤面を自分の一面として受け入れられれば(あるがまま)苦痛は半減する。

53
先端恐怖
aichmophobia
ナイフの先端や針の先端を、不合理なまでに極度に恐怖する状態。自分でもおかしいと思うが、恐怖はやまない。

54
対人恐怖
socialphobia,anthrophobia
=社交恐怖、社会不安障害、社交不安障害 SAD social anxiety disorder
日本で症例が多く、研究も盛んな恐怖症であり、対人的な場面で過度に緊張してしまい、仕事がうまく行かないのではないかと恐れたり、友達関係が壊れるのではないかと恐れたりする状態。さらには緊張したらどうしようかと予期して不安状態が続くようになったり(予期不安)、対人場面を回避して生活するようになったりする。若い人に多い。
赤面恐怖のほかに醜形恐怖や自己視線恐怖などが含まれる。後二者は自分の容貌の醜さや自分の視線が他人を不快な思いにさせるのではないかと恐れるもので、加害恐怖、さらには加害妄想と言ってよい面もある。重症例には妄想症と呼ぶべきものもある(思春期妄想症)。

55
単一恐怖
simple phobia
単一物、単一状況への恐怖。たとえば、はさみ、馬、蛇、クモ、細菌などへの恐怖。

56
不安障害
anxiety disorder
不安神経症、パニックディスオーダー、心臓神経症過呼吸症候群、対人恐怖症、空間恐怖症、単一恐怖症、強迫神経症などを不安を共通項としてまとめて考えて、不安障害と呼ぶ。

57
一節性と二節性  →没
シュナイダーの考え方。妄想知覚は(正しい知覚+妄想的意味付け)で、二節性である。妄想着想は妄想的着想のみの一節性である。分裂病に際しての診断価値が高いのは二節性のものであり、従って、妄想知覚が分裂病の一級症状として採用されている。たとえば、妄想追想の場合にも、(正しい記憶+妄想的意味付け)の構造をとるものと、妄想的着想のみのものとがある。日常の臨床においても、仲間と一緒にいて、そのときはそれほど疲れた風でもなかったのに、次の日になってとても疲れたと訴える場合がある。また、友人と一緒に遊んでその日は楽しかったのに、次の日になって、友人に悪いことをしたから謝りたいと言いだし、友人はそんなことは全然ないよなどと言う場合がある。これらは、体験とその意味付けの二節性を有していると解釈できる。

58
逆行健忘と前行健忘
retrograde amnesia and anterograde amnesia
1月1日に怪我をして意識障害が起こり現在2月だとする。事故前のたとえば12月の記憶が失われるのを逆行健忘という。事故後のたとえば1月の記憶が失われるのを前行健忘という。事故の前には記銘の障害は考えられないので、逆行健忘は回想の障害である。事故の後を忘れる前行健忘では記銘と回想の片方または両方の障害の可能性があると考えられる。

59
既視感と未視感
de’ja’ vu and jamais vu
初めて見る情景のはずなのに既に見たことがあるように感じたり、逆に、見たことがあるはずなのに初めて見るもののように感じること。文学作品の中にも描かれているという(トルストイディケンズプルーストなどにあるということだ)。体験の構造にまで言及した表現ではないので、疾患に特異性はないし、そもそもこの体験自体は健康者にも起こり、病的体験とは言えない。
しかし既視感が不思議な感じがすることは確かで、前世で体験したことだとか、個人の意識を超えた記憶がよみがえるのだと考える人たちもいる。
情景そのものが同一なのではなく、情景が喚起する内的体験が同一の構造をとっており、それゆえ軽い錯覚が起こるのだと推定される面もある。
センスス・コムニスの観点から説明できる部分もあるかも知れない。
また、視覚に限らず、体験について既体験感を感じることがある。既視感や既体験感と感じるからには、いま経験していることは自分にとって初めてのものだと分かっているはずだとの意見があるが、はっきりそうとも言えないこともある。初めてだったか、あるいは夢の中で経験したか、とあいまいに思うことがある。
既視感の場面はなにかしら情動を伴うもののようで、個人的な調査の範囲では自分にとって好ましい経験のようであった。
目の前にある情景を一瞬早く記憶に格納して、素早く回想しているとすれば、既視感が成立するだろう。
数多くの人が数多くの既視感を経験していることは確かであるから、既視感成立のメカニズムもまた普遍的で起こりやすいものであるだろう。
未視感に出会うことは少ないようである。分裂病での妄想気分に関連した世界変容感や知覚変容感も未視感と似たような言葉で表現される。「見慣れた道で、実際このあいだまでと同じなのに、でも何かがすっかり変わってしまった。同じだけれど、見たことのない街のようだ。」しかしこれは未視感とは呼ばないようだ。

60
知能
intelligence
知能とは、知能テストで測られる精神機能である。

61
痴呆
dementia
いったん獲得された知能が何らかの原因により永続的に低下した状態を指す。獲得される前に障害があった場合には知的発達遅滞である。永続的ではない一時的な知能低下としては、老年者のうつ状態でみられる仮性痴呆(偽痴呆ともいう:pseudodementia)、ヒステリーでみられるガンザー症候群(Ganser’s syndrome)がある。早発性痴呆は精神分裂病の昔の呼び名である。経過の特性から名付けられた名前であるが、必ずしも痴呆に至らないので使われなくなった。痴呆と言うよりは分裂病性の人格変化であると考えられている。

62
させられ体験
made experience,passivity feeling,gemachtes Erlebnis
=作為体験、影響体験、影響感情、させられ現象
思考や行為の自己能動性または自己所属性が失われ、「他人にさせられる」体験をいう。シュナイダーのいう分裂病の一級症状のひとつである。思考はそもそも初めから自分が考えているものであるが、思考奪取、思考吹入、させられ思考では能動性が失われ思考の主体が他者に移っている。行為では、誰かが私の足を動かす(誰かに私の足が動かされる)、感覚では性器をいじられるなどの症状が見られる。感覚面では体感異常とも分類される。ドイツと日本では重視されるものの、それ以外では重く見られないという。英訳はなんとなく落ち着かない。

63
安定剤
「先生、アイスクリームにも安定剤が入っているんですよ。びっくりしました。でも、よく考えてみたら分かったんです。食べるときに冷たくてびっくりするといけないから、気持ちを落ちつけるために安定剤が入っているんでしょうね。私はアイスクリームが好きでよく食べるから、処方してもらっている安定剤は少し減らしてもいいかも知れません。」「そうですね、考えてみます。」

64
末梢神経名称対照表
性神経 =随意神経 =動物神経

自律神経   =不随意神経  =植物神経
・交感神経  =活発神経(闘争と逃走・狩猟) =NA (α、β)
・副交感神経 =休息神経(睡眠・消化)    =Ach

さて、精神科の困った症状とは、ほとんどが交感神経亢進・副交感神経不活発の状態である。リラックスに欠けているのだ。不安状態とはこれだと言ってもいい。NA upとAch downである。睡眠は不足で、食欲はなくなり、便秘・下痢となる。常に闘争と逃走の状態におかれ、緊張と不安に支配される。
向精神薬はたいていが抗コリン作用を有する。アセチルコリン作用から見れば、これもよくないことだ。
自律訓練法とは、本来不随意な神経系を、随意的にコントロールして、副交感神経優位状態をつくり出すことである。

65
自律訓練法
autogenic training
自律神経はautonomic nerveであるから、自律神経の自律は自分を律するの意味である。一方、自律訓練の自律は自己発生的の意味であり、随意的と言ってもよい。随意的リラックス法、さらに内容を明示するなら随意的筋血管緊張解除法と呼ぶのがよい。ヨガなどの訓練の本質は何かと研究した結果、筋肉と血管の弛緩が本質であるとの結論が得られた。筋肉ならば本来随意的にコントロールできるはずで、それが結局、自律神経系の諸器官の状態を変化させるのだから、血圧、心臓、消化器などの器官はある程度随意的にコントロールできるはずのものである。持続的交感神経緊張状態に対して有効である。つまり、持続的な不安・緊張状態に対処する、薬以外の有効な方法である。

66
環境の奴隷
環境のせいで仕方なかったと考えれば、責任を免れることができる。(環境因説・他責型。)しかしそれは同時に環境の奴隷となっていることだ。人間には環境を選び取る力があるし、未来の環境をつくり出す力もある。
赤ん坊は別だが、ある程度の年齢になれば、いまの自分を決定していると考えているその環境も、自分が半ば選び取ったものである。昨日までの自分の選んだものが、今日の環境である。
環境のいいなりになる人と環境も積極的に選ぶ人の違いは何だろうか。
(たとえばIQの低い人は環境に応じた生き方しかできない。IQが高くてしかも能動的な人は環境にもかかわらず人生を選ぶことができる場合がある。→表現に難あり。)
また、神の愛を感じている人は、現在の境遇自体が神から自分に向けての問いかけであると考えることもできる。困難な環境のなかであなたは何をするのかと神に問いかけられ、生き方をもって神に答える。
人間の連帯の価値を信じている人、人類の未来を信じている人、そのほかそれぞれに環境の奴隷とならずにすむだろう。
環境にもかかわらず良く生きることは常に可能ではないだろうか。

67
生活習慣病
成人病の名称をやめて生活習慣病と呼ぼうと提唱されている。大変よいことである。習慣や行動は変えることができる。思考や感情のパターンを変えるよりは易しいことだ。生活習慣病ならば治せると感じられる。(そして、それら悪い生活習慣がなぜやめられないかを考える場合のポイントが不安である。結局は不安のコントロールの仕方の問題なのだ。)

68
境界型人格障害
不安をコントロールするために対人関係を特に異性関係を利用するパターンの人たち。理想的で空想的、強烈な対人関係で不安を癒そうとし、深い関係を常に求め、しかし常に満たされない。対人関係の始まりでは理想的空想的な人物像を投影するので激しい理想化が起こる。しかし現実の人間は患者の空想のレベルには届かないので時間が経てば失望する。失望の裏には見捨てられる不安が常に伏在している。失望とともに怒りが発生し、自分と他人に向けられる。自分に向けられた怒りは抑うつや自殺企図となる。頻回の自殺企図にもかかわらず実際に死ぬことは少ない。他人に向けられた怒りは、他責、暴力、対人操作などとして表現される。感情は強烈さを求めつつ満たされないので、空しさをどうすることもできない。家族関係は助けにならない。この空しさを満たしてくれるものは、見捨てられる不安を打ち消してくれるほど強烈な新しい人間関係だと空想して、次の行動が始まる。
微かな世間並みの幸せに安定していることはできない。幸福にしろ不幸にしろ強烈さを求め、常に不安定である。安定のなかには刺激はなく、刺激を求めれば変化が不可欠である。変化し続ける強烈な人間関係のなかで幸福にしろ不幸にしろ強い感情を感じているときだけ、生きている実感がする。これは、離人症の人たちが、血が出たときに生きているのだと実感できるとか、激しい痛みが襲ったときにだけ生きていることを実感できると述べることと似ている。
他人を振り回していればそのときだけは他人は注意を払いエネルギーを注いでくれる。それが優しさや愛と感じられる。しかし振り回していないと放って置かれて寂しくなる。見捨てられる不安が再燃する。
治療の枠はずしは彼らの好みの行動パターンである。自分のためにどれだけスペシャルサービスをしてくれるかを試す。「先生は仕事だから私に会っているだけでしょう。本当に私のことを心配してくれるなら‥‥」と言い始める。治療の場所、時間、通常してはいけないこと(性的関係など)の枠を破るよう治療者に対して要求し、自分だけ特別扱いであることを、自分に対する愛情と解釈する。このようなスペシャルサービスはいつまでも続くわけがないから、いつかは見捨てられる。見捨てられそうになる時さらに激しい対人関係のピークを体験する。このときが彼らの本当に生きている瞬間である。この痛みが不安を癒す。痛みは快感でもあり、彼らはこの痛みに飢えていると言えるのかも知れない。しかしこれは吹き出す血を見て生きている実感をつかみなおすパターンに似て不毛である。覚醒剤が身を蝕むようなものだ。
見捨てられることが恐いから、どこまでは安全か確かめておきたくなる。次々にエスカレートしているうちに、見捨てられる地点まで来てしまう。「見捨てないで下さい」と何度も念を押すために、人を振り回し続け、そのせいで見捨てられてしまうのである。構造的悪循環である。
人格発達は、一部分では非常に発達しており、魅力的である。しかし一部分は非常に未発達で、空想と現実を区別できないほど機能低下していることがある。
治療者としては枠はずしを要求されたときの対応が難しい。あまりにも明白に拒絶するとそれは患者にとっては見捨てられたことを意味する。不安は高まり、それを鎮めようとして新しい関係を探す。別の医者に行ってしまえば当方としてはとりあえずそれでお終いになるが、しかしそれでは治療になっていない。逆に、そのときは要求を受け入れてすこしだけ枠をはずしたとしても、要求はエスカレートしていつかは拒絶せざるを得ない時が来る。こうした困難に対処する方法として、治療構造を工夫することがあげられる。たとえば、治療の枠を管理する医者と、精神療法担当者とを分離する方法があり、A-Tスプリットと呼んでいる。この方式であれば、枠はずしを要求してきたときに、精神療法担当者はそういった要求をしてきた心の動きを問題にするだけでよい。実際に枠を守るように決定するのは管理医である。精神療法担当者は患者を見捨てないですむ。

69
A-Tスプリット
境界型人格障害を参照。

70
治療構造
精神療法家の愛や献身が患者を癒す、そのような素朴で幸福な関係もなかにはあるが、未熟な愛が患者をいつまでも患者のままにさせておくことも多いので注意を要する。患者を癒すのは愛でもあり専門知識でもあり治療構造でもあると、成熟した見解を持って治療にあたりたいものである。

71
思考化声と幻声
思考化声では内容は自分に属し、声は他者に属している。幻声では内容も声も他者に属している。通常状態では内容も声も自分に属するものである。自己所属感で分類すればこうなる。体験の自己所属感は体験の能動感と同じである。
誰か他人の声が「聞こえる」ということと「聞かせられる」ということとの差はあるだろうか?思考化声と幻聴はさせられ体験に含めてよい。自我の能動性が障害される状態である。
「聞かせられる」、「見られる」という場合、話す、見るの主体は他人にあり、自分はそれらに受動的にさらされるばかりである。

72
離人と能動感
古くから離人症は自己の能動感の障害と言われてきた。その根拠はどこにあるのだろうか。能動感の障害は典型的にはさせられ体験であるはずではないか。
離人感は、感覚面での能動性の障害と言える。感覚は一見すれば受動的なものであるから、能動的感覚とは何か、吟味が必要である。
(『感覚面での能動性』(?)が、「実感」「いきいきとした感じ」につながっている。? 能動性と感覚の問題は深い。)

73
強迫と能動感
自己所属感で説明すれば、行為や思考・感情は自己に所属しているものの、それが不合理でばかばかしいと思っているわけだから、内容に関しての自己所属感は「薄れて」いるようである。

74
強迫
強迫は繰り返し体験とでも言った方がいいのではないか。漢字の意味が分からない。

75
精神科疾患・診断と治療
A脳の解剖と特性‥‥神経伝達物質
Bこころの解剖と特性‥‥防衛、スーパーエゴ、エゴ、イド。
C診断‥‥診断作業の方法
・前景症状‥‥各種状態像
・病態水準‥‥鑑別
病前性格‥‥典型像
・環境状況‥‥家庭、職場
・検査‥‥心理検査・画像診断・脳波・身体的診察
・背景病理‥‥伝統的診断、外因・内因・心因
・児童
・痴呆
D治療‥‥選択法
・薬
・精神療法・カウンセリング
・社会復帰療法・環境療法(DC)
F制度
・法律
・利用可能な制度・相談窓口

76
頭部外傷後人格障害
頭部外傷後に脳の上位機能が失われることによる症状と、それに伴う下位機能の亢進による症状が現れる。上位機能欠損としては抑制欠如、道徳感情低下、自発性減退などが見られる。下位機能亢進としては本来の性格の先鋭化がおこり、爆発性性格、多幸傾向などが見られる。

77
防衛機制
いろいろな種類があるが、現実の歪曲が激しくなるほど、低次のものとなり、自分や周囲におよぼす害も生まれてくる。?現実Aを存在すると半ば認める。健康型。?現実Aは存在しないと考える。→抑圧型。神経症タイプ。?現実Aは存在しないどころか、現実Bが存在するとして、現実解釈をねじ曲げる。→精神病タイプ。現実検討が損なわれている。
(現実検討の点で言えば、?だって損なわれているはずではないか?)

78
治療者は患者の何を受け入れ、何と連帯するのか?
患者の精神機能は全面的に病的なわけではない。部分的に病的であったり、一時的に病的であったりする。したがってたいていの場合、健康な自我機能は残されていて、治療者が、患者の健康な自我機能と連帯するチャンスは常にある。
病的部分と健康部分とを分けて考えると、健康部分の悩みを受け入れ、健康部分と連帯すればよい。病的部分と健康部分の区別がはっきりしなくなることが精神病の特徴である。区別がはっくりしなくなったとき、区別を再びつけられるよう援助するのが治療者の役割である。病的部分があっても、それを病的と認識できていれば、病識があると言う。病的部分と健康部分の区別をする認知機能は病気におかされていないことになる。

79
空想と夢の意味
現実検討能力を問題とするとき、簡単に言えば、現実と夢・空想・想像を区別する能力を考えている。心の内容と外部現実の区別と言ってもよい。
一般の人に、「夢見る力・空想力・想像力は大変重要なもので、それを否定するようなまたは軽視するような精神医学は浅薄である、患者さんから夢や空想を奪い去るのか、かわいそうすぎる」と非難されたことがある。
空想・夢・非現実と言っても、「自分が国連事務総長だったら‥‥をしてみたいのになあ」という普通の言い方と、「自分は国連事務総長だから‥‥をしてあげますよ」とまじめに言うのとでは意味が違う。当たり前のことである。現実検討能力で問題にしているのは後者である。
一般に言う、夢や空想は、将来の希望であったり、かなわないまでも心に抱き自分を勇気づけるものであったりする。一方、現実検討のことを話す場合の夢・空想は心内のイメージやファンタジーのことであって、幻覚妄想状態のときの心の中にあるものと言ってもよいものである。現実検討能力を現実と妄想を区別する力と言えば分かりやすいが、定義から、妄想は現実とは区別されないものである。現実ではないと判定されたものはイメージとかファンタジーとか呼ぶしかなく、日本語では夢・空想などの言葉を当てている。「心の内容」くらいが穏やかな言い方だろうか。
さて、よく考えてほしいのだが、夢や空想を悪いと言っているのでは決してない。心の中で考えたことがそのまま外部の現実であるかのように思ってしまうところが問題だと指摘しているのである。心の内容と外部の現実を区別できなくなっているとき、精神病状態と呼ぶ。

80
施設によって異なる病像
大学病院と古くからの大病院と街中のクリニック。これらでは出会う病気のタイプも異なり治療も異なるようである。古くからの大病院の入院治療を担当すると、昔からの精神医学教科書が大変役に立つ。クレペリンやシュナイダーの偉さがよく分かる。大学病院の勤務では最近の雑誌報告などがとても役に立つ。街中のクリニックではこれらと少しずつ差がある。古い大病院ではクレペリン以来の精神分裂病躁うつ病神経症、性格障害などといった診断学が充分に役立つ。クレペリン以来の伝統的な精神医学は入院治療を中心に考えているらしいところもあって、入院治療に際して役立つのは当然と言えば当然である。しかし街中のクリニックでは役立たないことがある。なぜか。
街中のクリニックに来る人の中には病気のはじまりの人もいる。病気の始まりの時には、いろいろな病気で共通のこともある。非特異的な症状だけが前景に立ち、たとえば、不眠、食欲不振、集中力欠如、うつ状態などが問題になっている場合、一体どんな病気であるのか、判定に根拠を欠く場合がある。
時間が経って、各病気に特有の症状が明らかになるにつれ、診断は容易になる。この時期には入院治療の必要なことも多く、古くからの診断学が役立つ。

81
ファイナル・コモン・パスウェイ
final common pathway
脳の疾患について病理の性質が多少異なっても、極度に至れば同様の痴呆状態に至るという考え方。最終共通経路。
はじめは共通・自律神経症状や不安症状(たとえば街中のクリニックに初診する。また、神経科ではなく内科などに相談に行く。)→各病態に応じて特有の症状(入院治療)→最後は共通・痴呆や意欲減退状態

82
アルコール幻覚症
alcoholic hallucinosis
アルコール中毒症者にみられる、幻聴を中心とする特有の幻覚状態。本質についての議論は見解が分かれていて、?離脱症状、?潜在していた精神分裂病が顕在化したもの、?独立の器質性精神病、などの考え方がある。「殺される」などの被害的・迫害的な幻聴があり、自殺、自傷、遁走、放火、他害などの問題行動を引き起こすことがある。たとえば自分の腕をノコギリで切るなどの取り返しのつかない悲惨な行動化を引き起こす可能性があることに注意する必要がある。

83
アルコールと薬剤の相互作用
【参照】チトクロームP-450
夜に薬をのんでその上にアルコールを飲んだらいけませんかとの質問がしばしばある。「いけません」が答えであるが、理由は次の通りである。
アルコールが肝臓で代謝・分解されるときには、肝臓にあるチトクロームP-450が必要であるが、P-450は同時に薬剤の代謝にも使われる。先にアルコールを飲んでから薬をのむと、まずアルコールの代謝のためにP-450は使われてしまい、薬の代謝が滞ってしまう。薬の分解が遅れると、強いままの作用がいつまでも残る。そこで薬の効き過ぎが起こる。逆に薬を先にのんだ場合には、薬がP-450を使ってしまうので、アルコールの代謝が遅れる。酔いがいつまでも残ることになる。
また、慢性飲酒の場合には普段から大量のアルコールを処理する必要があるのでP-450が増加している。その状態で薬をのむと、大量のP-450は薬を速やかに分解してしまうので、通常量よりも多い薬剤がないと普通の効き目が現れない。したがってアルコール中毒症者には麻酔薬や精神科の薬が効きにくく、さめやすいことになる。手術を受けるときには注意が必要である。

84
アルコール性肝障害
アルコールを飲んでいてまず心配なのは肝臓であろう。アルコールが原因となる肝障害としては、アルコール性脂肪肝から始まり、アルコール性肝線維症、アルコール性肝炎、アルコール性肝硬変と要注意の病気が並ぶ。そろそろ危ないかなと注意すべき目安としては、
? 清酒で3合以上(純アルコール量にして60グラム以上)を5年以上飲み続けているとき。
? 検診でγ-GTP高値、高脂血症、肝腫大が指摘されたり、手指に震えがみられるとき、顔面の毛細血管が拡張しているときなど。
?禁酒すると?、?が改善するとき。
などがあげられる。

85
アルコールと妊婦
妊娠中の飲酒によって胎児に主として知的発達障害が生じることが、現在では世界的な常識であるとされており、胎児性アルコール症候群と呼ばれている。精神・運動発達遅滞、記憶力低下、情動不安定、多動、注意散漫などが観察される。一日純アルコールにして60cc以上が危険量と言われているが、「子供を望む母親は飲酒を中止すべきである」と勧める専門家が多い。妊娠しそうなときや妊娠が分かったときはアルコールを控えるのが安全らしい。

86
アルコールのフラッシャーとフォーマー・フラッシャー
アルコールの代謝に必要な酵素のひとつであるALDH2が欠損していると、少量の飲酒で顔が真っ赤になる。このような人をフラッシャー(flasher)と呼ぶ。以前はフラッシャーだったが、鍛えて大酒家になった人はフォーマー・フラッシャー(former flasher)と呼ぶ。最近、飲酒と咽頭癌、食道癌の関連が指摘され、ALDH2欠損者に危険が高いという。研究によれば、「酒を飲み始めて最初の数年はすぐ赤くなっていたが、次第に酒に強くなった」という人はフォーマー・フラッシャーであり、消化器癌に注意すべきである。

87
アルコール性痴呆
alcoholic dementia
アルコール中毒症者の10%が痴呆症になるとのデータがある。アルコール中毒症者はビタミンB1欠乏によりウェルニッケ・コルサコフ脳症になり、ニコチン酸欠乏によりペラグラ脳症になり、肝障害にともなって肝性脳症をおこす。これらが広義のアルコール性痴呆に含まれるが、このほかに、栄養障害や肝臓障害がなく痴呆を呈するものがあり、これを狭義のアルコール性痴呆と呼ぶ。記憶障害、判断力低下、感情鈍麻などがみられる。CTでは前頭葉を中心とする脳萎縮所見が確認されている。アルコール中毒症者には特有の判断や認識の甘さ、自己正当化、思考の貧困、感情変化などがみられ、痴呆と言うほどではないものの、単に性格変化とだけ言ってすまされない、器質性の変化を想定させる面もある。これらも前頭葉を中心とする脳萎縮所見と関連しているらしい。脳萎縮は断酒により改善傾向を示すことが特徴である。

88
潜在性肝性脳症
アルコール性肝障害があっても特に異常なく生活している人が、鋭敏な神経機能検査によりはじめて異常が検出される場合がある。患者に自覚症状はなく、周囲の人々もはっきりとは気付かないことがおおい。判断力や決断力の低下がみられ、注意散漫となり、自動車事故や労働災害を起こしやすいという。WAISでは言語性能力は正常、動作性能力(符号、積み木問題)が低下する。CTでは前頭葉中心の萎縮所見がある。欧米では潜在性肝性脳症は顕在性肝性脳症の2〜3倍と推定されている。

89
アルコール精神病
alcoholic psychosis
アルコール依存症を基礎として発病する精神病。アルコール性幻覚症、アルコール性嫉妬妄想、アルコール性ウェルニッケ・コルサコフ脳症、肝性脳症、アルコール性痴呆、離脱症状の一つとして振戦せん妄(離脱せん妄)、などが含まれる。このような状態に至る頃には、家族関係も仕事関係も悪化していることが多い。

90
アルコール性嫉妬妄想
alcoholic jealousy
アルコールは性衝動を高めはするが、アルコール中毒症者ではインポテンスが少なくないため、結果的に性生活は不満足なものとなり、病的嫉妬に結びつくと言われてきた。学問的には、アルコール中毒が、嫉妬妄想にどのくらい直接に結びついているのかについて見解が分かれている。アルコールにより脳が損傷され、全般に妄想に陥りやすい状態が準備される。ここから嫉妬妄想になるか被害妄想になるか、その他の妄想になるか、それは状況が決めることで、アルコール中毒症者の場合、夫婦仲が悪くなる、経済的に行き詰まる、友人からも見放される、インポテンスになるなどの条件の中で嫉妬妄想が形成されるのであろう。このように見てくれば、アルコール中毒症と妄想反応との二段階に考えることにも理由がある。

91
自我障害
離人体験やさせられ体験、自我漏洩症状などを指す。ドイツ精神医学では、自我意識の特性として、?能動性?(同一時間の空間的)単一性?(過去現在未来にわたり一貫している)同一性?外界や他者との間の境界があることがあげられ、それぞれの障害により自我障害が発生する。?の能動性が障害されれば、離人体験やさせられ体験が生じる。?が障害されれば、自我漏洩として思考伝播などがみられる。
自我障害は種々の疾患でみられるが、とくに精神分裂病の症状として重要であり、シュナイダーの精神分裂病の一級症状は主に陽性自我障害を指標としたものである。精神分裂病の本質として自我障害を考える流派はいまもある。

92
自我漏洩症状
egorrohea symptom
「自分の中から何かが漏れる」症状を指す。臭いが漏れるのは自己臭妄想や体臭恐怖、思考が漏れるのが思考伝播、自分の視線が他人に迷惑をかけていると感じられるの自己視線恐怖、自分の醜さが他人に迷惑をかけると感じられるのが醜形恐怖。いずれも自分の中の何かが外に出て他人に迷惑をかけているものである(加害妄想)。さらにそのために他人は自分を嫌い避けていると考えるようになる(忌避妄想)。させられ体験は逆に、自分の外の何かが自分の内に入ってきて自分に迷惑を及ぼすもので、方向が逆である。自我境界の病理として自我障害のひとつと考えられる。思春期妄想症との関連で提唱されたもので、思春期妄想症や重症対人恐怖の場合にしばしば見いだされるとする。臨床場面では確かに青年期の対人恐怖症の場合に自我漏洩症状を伴う場合を経験するので意味があると思われる。精神分裂病境界型人格障害、重症対人恐怖症などと関連がある。

93
思春期妄想症
adolescent paranoia
自我漏洩症状・加害妄想・忌避妄想・重症対人恐怖などを特徴とする、おもに思春期に発生する妄想症。背景病理としては重症神経症の場合もあり、境界型人格障害精神分裂病の場合もある。外来診療で少なからず出会うので、わが国の臨床的疾患単位として意味があると思われる。治療は背景病理に対しての治療を考えればよい。

94
一級症状
first rank symptoms
精神分裂病の診断に際して第一級の重みを持つとしてシュナイダーがまとめたもの。思考化声、問答形式の幻声、自己の行為に随伴して口出しする形の幻声、身体へのさせられ体験、思考奪取やその他の思考領域でのさせられ体験、思考伝播、妄想知覚、感情や衝動や意志の領域に現れるさせられ体験があげられている。これらがみられて、身体的基礎疾患が見あたらないなら、臨床的に控えめに分裂病と診断してよいとされる。

95
思考化声
thought echo ,echo de la pansee,thought spoken out loud
=考想化声、思考反響
自分の考えが、他人の声になって聞こえてくる状態。分裂病の一級症状の一つ。

96
思考吹入
thought insertion
=考想吹入
考えが外から吹き込まれて自分の頭に入ってくること。させられ体験の一つで、分裂病の一級症状の一つである。「考えが入れられるんです」と訴える。

97
思考奪取
thought withdrawal
自分の考えが他人によって抜きとられる体験。分裂病の一級症状の一つ。

98
思考途絶
blocking of thought
思考の進行が中絶し、停止する状態。主観的には思考奪取の結果と感じられる場合もある。

99
問答形式の幻声
単に問答形式と言えば、第三者同士が問答しているものと、二人称者と自分が問答するものとの二種が考えられるが、どちらも精神分裂病の診断にあたって重要であるとされ、シュナイダーによる分裂病の一級症状のひとつである。

100
破瓜病
Hebephrenia
破瓜型分裂病のこと。解体型分裂病とも言う。破瓜とは「処女膜が破れる」意味で、思春期のこと。思春期に多い精神病であるから、こう呼ばれる。分裂病の中でも陰性症状が中心で、自閉や感情鈍麻がみられる。分裂病は破瓜型、緊張型、妄想型などと分類されるが、おのおのの要素をいくらかの割合で持っている場合も多いので、特に典型的な場合以外は下位分類を特定しない医師もいる。