政治の季節と脱政治の季節・脱政治のアイコン

昔、学生も社会人も熱く熱く政治を語った

高度経済成長は地方の人材を東京などの都市部に吸い寄せて
安価な労働力として
使い捨ててゆく一面があった
たとえば「自動車絶望工場鎌田慧

政治はそうした経済のただ中での
人間の扱われ方に対する疑問でもあり異議申し立てでもあり
自己批判でもあった
例えば東大闘争

この時代は
不本意ながらも参加すれば相応の分け前はもらえる
という時代であった

だから不本意なことに参加して利益の一端につながろうとすることの倫理的葛藤がいつもあった

それは戦後経済の壊滅的どん底からの再出発を見事に成し遂げた自信に裏付けられていた
自分たちは有能である
だから倫理的にも高いものを求められているはず
倫理的に高くあることが潜在的に可能であるとの自信も意欲もあった

ーー
戦後しばらくが経ち
バブルも通り過ぎて
経済の沈滞と後退が長期化して現在もまた継続している

そんな中で
「国がなんとかしてくれるはず」
「国が支援してくれるはず」
というインタビューをなんども聞かされてきた

農業も
公害訴訟も
米軍基地被害も
核施設問題も

自分が決定者ではないのだ
自分ではない何者かが政治の主体であり
自分はその理解と保護を受ける立場なのだと平気で言う

米軍基地は地元が嫌がるから他に行ってくれと言う
他の地域の住民がなぜ受け入れると思うのだろう、自分たちがそれほど嫌なものを

そして
今回2010年も
オリンピックで有名になった女性の出馬宣言である
金メダルも目指しつつ政治にも関わりたいと語る

確かに
オリンピックの東京誘致では
かつてのオリンピック有名女子選手が画面に写っていた
何か活動している様子だった

ーー
歴史を見れば地域集団の軍事力も経済力も倫理力も
循環している
周囲の勢力との相対的な力は拮抗しつつ循環している

ある時点でよく適応した勢力は
よく適応しているが故に
次の時代への適応が遅れる

次の時代の覇者は別の集団になり
またその集団は成功したが故に転身が遅れる

ソニーは転身ができなかった
IT産業は米国のあとを追いかけたいのだが
人員の比較で言えば
中国とインドの方が十倍の優秀な人員を確保出来ている

教育と伝統が人材を支えるのだが
ITにはそもそも伝統がないのだし
SEになる教育が伝統と関係しているとも思えない
グローバルな競争になれば
教育コストも高く
生活コストも高く
ほどほど幸せで冒険しようと思わず
危険を冒すよりは公的保護で暮らそうと思う
日本は勝ち目はないと思う

調子がいいうちに
将来への権利として政治力を確保するべきだったが
たぶん失敗している

今日本は経済力の沈下のど真ん中であり
政治的熱気の最底辺にあるといえるだろう
マスコミについて言えば
語る側は3.14までしか知らないのも困ったものだが
聞く側は3までしか知らないのだから批判も判断もできない具合だ
編集権を振りかざして
ビデオの部分だけを繰り返して流す
私は愚かな総理大臣だとなんども繰り返してニュースの時間が過ぎる

そのことでマスコミは飽きられ
政治そのものが飽きられ
関心が向くとすればマスコミのおかげで誰でも知っているスポーツ選手とかタレントとかになる
それは政治的シンボルではない
むしろ脱政治のアイコンなのだ

しかしそれもいいのだろう
敗戦時もそうだった

有能な人間や
勇敢な者、自己犠牲的な者は死んでしまった
そこからの出発だった

だから今が最悪でも絶望しないでいいと思う

少子高齢化
どんな工夫をしたところで
乗り越えることは難しい壁だと思う

しかしそれさえも
ある期間が過ぎれば
高齢の多数層が消えてなくなってしまうのだ
それは確実なのだ

冷静な計算をすると
団塊の世代の介護や医療に合わせて
施設や人員を用意すると
次の時代には完全に余ってしまう
だから気前よく供給するわけにはいかない

施設は腐らないし
人員は容易に転身できない

かつて使われなくなった学校教室が続出し
小学校教員は採用が制限され
給料の高い公務員教師が増えて困ったものだ
しかも日教組の関係がある

それでも
復興への準備はできるだろう
その頃には
第二の田中角栄も登場する
政治は熱く語られ
若者は情熱を傾けて倫理的に生きる

ーー
時代のミスマッチはそこここで生じている

金メダルを目指す国会議員
納期に追われ疲弊しうつ病になるSE

政治に対して異議申し立てをしないときミスマッチが放置される

マスコミの異議申し立てというものは
国民の声ではなく
スポンサー企業の声である
お金が誰から出ているのかを見るだけで明白である

おかしなニュースの時に
おかしなスポンサーがついている