万能的な核を持つ境界例患者の精神病理

以下で紹介されているような風景は各家庭でいつも反復されていることのように思われる。
不思議なことだがいらいらしながらもどうすることもできず
立場が入れ替わればやはり似たようなことをしているようだ
そのような意味では役割が人間をガイドしているとも言えるだろう。

正論を言って大人を困らせるというのが子供たちの一般的な方法である。
普遍的な正論と言うべきか部分的な正論と言うべきか。

精神医学39 ( 5 ) : 513-520, 1997
万能的な核を持つ境界例患者の精神病理
社会的枠組との関連から
津田均
【抄録】万能的, 自己愛的な核を持つ境界例4 例を取り上げ, その核の位置づけを, 患者と社会的枠組との関係から論じた。患者には, 枠や制限の設定を伴う役割構造が受け入れられていないことを示し, それと, ライバル関係の止揚がなされないことが関係していることを論じた。患者の万能的な核は, 役割構造の制限を受けない親切心, ライバル関係を完全に超えて他人に認められるような能力, 美質の主張であると考えられた。さらにー見役割構造の介在が存在しないように見える, 愛, 友情をめぐる二者関係においても, 患者は, 自分と他者を出口のない関係へと導き, 安定した関係を築くことが困難なことを論じた。考察と関係する治療の留意点についても付言した。
B o r d e r l i n e p a t i e n t s , S o c i a l f r a m e w o r k , O m n i p o t e n c e, R i v a l r y

境界例の臨床において, 転移, 逆転移への対処
と治療枠の維持が重要課題となることは, 衆目が
一致する。これはとりもなおさず, これらの点に
おいて治療者が困難を覚えるような対人関係を,
境界例患者が治療者との間にとり結ぶ傾向にある
ことを示している。
一方, 境界例患者には, 汎神経症症状, 小精神
病状態, 衝動性, 対人認知の歪みなどが現れる。
これらは, 特に境界例の臨床ではその時々の対人
関係の変化に連動して出現するものであるけれど
も, 一応患者個人に属する症状, あるいは認知,
行動の偏倚とみなしえる。
さらに境界例患者については, 外見の豊かさと
大きなギャップをもって現実的社会機能の達成度
が低いということが指摘しえる。彼らは, 社会生
活での役割をなかなか占めず, リハビリテーショ
ンのルートにも乗りづらい。これは, 境界例患者
の, 社会制度との関連における特徴である。
ここに挙げた3 つの領域一対人関係ないしは治
療関係, 症状, 社会制度との関係一の問題は, 一
次的原因の影響がまず症状として現れる器質性の
疾患はさておき, それ以外の精神疾患においては
しばしば同等に根源的である。このことは, 例え
ば, エディプスコンプレックスが, 社会構造にか
かわる概念であるとともに, 神経症症状の象徴的
意味を示し, 転移を介して治療関係にも現れるこ
とに示されている。躁うつ病の役割理論8), 構造
主義的分裂病論10), いくつかの境界例論4・14・17) も,
疾病と社会制度, 構造との抜き差しならぬ関係を
明らかにしてきた。
本論では, 万能的, 自己愛的な核を抱いている
境界例患者を取り上げる。この核は, 患者個人が
保持する症状, ないし非現実的な行動パターンと
言えるが, 同時に, 対人関係ないし治療関係にお
いても患者の社会制度への適応においても, 特有
の困難をもたらすものである。以下に, このよう
な実例を通して, 境界例において先の3 領域の問
題がどのように関係しているかを示してみたい。
その際に導きの糸としたいのが, 境界, 枠をめ
ぐる思考である。Derrida 3) も論じるように, 社
会システムは境界線によって様々な枠組に分割さ
れ, その中での役割が決定されることにより成立
している。境界を引くということは, それによる
分割の正当性の根拠づけを内に含み, 人間の営み
に制限を導入する, すぐれて規範的な行為であ
る。治療の枠を必ず一度は破ろうとする境界例
者は, この規範に対して違和的な立場にいること
が想像される。患者のこのような立場を理解する
ことは, 境界例の症例におけるその他の多くの側
面を理解する上でも役に立つように思われる。
以下に4 症例の概略と, それぞれの症例で特に
検討の対象とするエピソードを呈示する。万能的
な核は, 症例1, 2 では人に対する親切心に関す
るものであり, 症例3, 4 では, 能力, 容姿など
自己の美質にかかわるものであることを, あらか
じめ述べておく。なお症例の記載に関しては患者
のプライバシーの保護に留意し一部改変した。

症例
〈症例1〉A 。32 歳, 女性。
父は通信教育で大学を卒業した苦労人である。A
に対しては, 女の子は学業を終えたら小遣いを稼い
で早く結婚するものだと常々語っていた。母は, 職
場で信頼される小学教師だが, 硬いところがあり感
情が表に出ない。妹2 人にも, 職場, 学校に適応不
全がある。
A は中学時代からクラスの対人関係に困難があり,
クラプ活動の音楽の時間が救いだったと述懐してい
る。高校時代, 音楽を学んだ大学時代には, 男性教
師に思慕して満たされず落ち込むということを繰り
返した。同級生と自分の演奏の実力を比較して, 劣
等感から抑うつ状態となったことがある。卒業後は
一般のアルバイトをいくつか試みたが, 自分より若
い同性の同僚に嫌われているという被害意識をしば
しば持った。また上司に思慕して近寄り, 別の上司
に叱責された時には, 叱責した上司に強い怒りを向
けた。この頃から現在の夫と付き合い始めている。
A は, 27 歳の時に「胸に鉛を置かれた感じ」, 「自
分が何をすべきなのかわからない」を主訴に某精神
科クリニックを受診, ほどなくそこの主治医に甘え
て定刻後も立ち去らなくなり我々を紹介されてきた。
我々のもとでは約3 か月の入院治療を試みたが, 病
棟の管理的側面とことごとく対立したまま退院とな
り外来通院に移行した。退院後A は, 婚約者に「本
当は自分のことを負担に思っているのではないか」
と問い始め, 関係が危機的となり, その時に大量服
薬をしたが, 関係は壊れなかった。その1 か月後に
A は音楽活動を再開, この時は, 優秀な同僚に対す
る劣等感にさいなまれることはなかった。その後な
んとか結婚にこぎつけ現在に至っている。
エピソード
A は, 自分は他人の苦しみを聞い
てあげるのだということを常々語っていた。ある日
のこと, 例によってA が, これから自分は仕事のこ
とで悩んでいる同僚の悩みを聞いてあげるところだ
とある友人に語ったところ, 思いがけずこの友人か
ら, 「そんなふうに簡単にひとの苦しみをわかってあ
げられると思っているのは思い上がりだ」と言われ
た。そのときA は自分の基盤ががたがたと崩れる感
覚を抱いた。
A は, 自分の小遣いくらい自分で稼
げという父の意向に促されて, 通信教育の答案を添
削するアルバイトを始めた。しかしA は, 自分の添
削を学生が見ると思うと懇切丁寧にコメントをつけ
ずにはいられないと言って, 実際そう心がけた結果,
全くノルマの枚数を果たせず首になってしまった。
このことを受け父がA に, 「いくら人に親切にすると
いっても限度があるものだ」と言ったところ, A は,
「そんなことを言うお父さんに私の苦しみがわかるは
ずがない」と父の発言を弾劾した。? 入院の後半で
A は, 自分のことを看護婦たちが非難していると訴
え始めた。その頃A は, 挑発するように消灯後に病
棟の食堂に出てきて料理を始め, 婦長と看護婦N に
厳しく注意された。引き続く面接でA は, 「婦長さん
は管理する役にあるから無理にもあのように言わな
くてはならない。かわいそうだ。でもN 看護婦は許
せない」と語った。
〈症例2〉B 。37 歳, 男性。
父は難聴があるにもかかわらず頑張ってきた努力
型の教師である。B に対しては早く自立しろと厳し
い。B は, 自分の「底なしの苦しみ」は父にはわか
らないと言う。母は主婦で, B が自分にあたる時に
も黙って耐えている。姉は健康で明るい。
B は反抗期のない手のかからない子どもだった。
中学高校時代と, 正義感から風紀委員を務めたこと
があり, また病欠の同級生のノートをとってあげて
親から感謝されたことがある。現在教員。なお治療
中, 中学生はよく生徒同士で教師をからかったり,
担任の悪口を言ったりするものだと話を向けると,
意外な話を聞いたという顔で自分にはそのような経
験は全くないと言ったのが注目される。
B は中学教員となって3 年後, 「疲労」から離人
感, 頭のもやもやを生じ, 家で暴れて母にあたるよ
うになった。休職, 復帰を繰り返したが, 養護教員,
病院の看護助手などをしていた時期があり, その時
の状態は良好だった。
復帰した中学で, 同僚の女性教師に「担任の生徒
のおさえがきいていない」と言われた後に( エピソー
ドに詳述) , 再び家で母親に紙を燃やしてつきつける
などが始まり, 32 歳時に我々のもとで半年ほど入院
治療を試みた。B は退院後復職したが, 今度は同僚
教師に失恋した後に荒れて職場へも行けなくなり,
その時に急にアダルトビデオを大量に買い, 自責の
念に駆られた。そこで35 歳時に再び我々のもとで入
院治療を試みた。この時には, 女性治療者, 女性他
患を「清楚な女性」と理想化し, 唐突に近づこうと
するのが目立った。現在は職場に復帰している。
エピソード
B は, 教育基本法の理念にのっとっ
て生徒1 人1 人に親切にするという教育を実践して
いるという自負を抱いていた。彼は, どんな非行に
対しても頭ごなしに叱ってはだめだという考えから
説得を試みた。また通信簿には「1」をつけないという
方針を貫こうとした。しかしこのような態度は現実
にはうまく機能していなかった。授業は落ちこぼれ
る生徒が1 人も出ないようにという配慮のあまり全
く進まず, 授業中は生徒の私語が絶えなかった。こ
の点についてN は, 教頭から叱責され, 同僚の女性
教師から, 「生徒のおさえがきいていない」と批判さ
れた。B は, 教頭, 同僚を, 権威的, 教育の基本的
態度において間違っていると思ったが, これらを契
機にB は職場へ行けなくなり, 家で母親に暴力をふ
るうようになった。
〈症例3〉C。22 歳, 男性。
父は優秀な法律家で, C によく人生訓などを言っ
て聞かせるが, そのたびにC は強い葛藤を覚える。
母は控え目な主婦で, 特にC の幼少時には, 一人っ
子であるC を社会的にきちっとふるまう子にしつけ
ることに懸命だったという。
C は, 小学5 年までクラスで孤立し, キザだなど
といじめられていた。小学6 年からは, コンピュー
ターゲームなどを介して友人ができた。中学時代は
成績優秀だったが, 少しでも高圧的に教師に叱責さ
れると激しい苦痛と怒りを覚えた。高校に入ると,
同級生から「ばかにされている」という症状が強ま
り( エピソードに詳述) , 結局自主的に退学した。C
は18 歳時には大検に合格し, 実力不相応な進学目標
を掲げて予備校に通い始めたが, そこの女性カウン
セラーに恋愛転移を起こし, 交際の申し出をカウン
セラーという立場を理由に断られると, 予備校で自
分の腕をナイフで切った。C は, 何で職業的立場を
理由にするのかという怒りと, 自分が嫌われたとい
う気持を抱いたという。C は, その後の数か月間自
宅に引きこもった後に某精神科クリニックを受診し
たが, すぐにためておいた薬を大量に飲んで助けら
れた。これを契機に半年間, 我々のもとで入院治療
が行われた。入院中C は, 「先生は親切にしてくれる
けれど, 医者というペルソナのもとでのみそうして
いるのではないか」とつっかかり, 病棟の規則に対
しては卑屈になったり激しく対立したりした。また
集団絵画療法に参加したが, すぐに隣の患者の絵の
ほうがうまいと評価されているのではと思い始め,
出席しなくなった。退院後の外来通院でも状態は一
進一退であったが, ある日母親の前で酒をあおり暴
れた時に我慢強く耐えていた母が錯乱状態となり,
それ以後C は, 得意の数学以外の教科にも関心を示
すようになり, 受験目標も下げ始めている。
エピソード
C は, もともと数学が好きだったが,
大検に合格し予備校に通い始めたころから, 大数学
者になるという志望を抱いた。自分にそれだけの才
能, 実力があるとも信じているようだった。しかし
C は, 大学レベルの数学の問題を考えることはする
ものの受験問題を時間内に解く練習はせず, 他の教
科の勉強もしなかった。この態度は, はた目には,
単に志望大学に入る実力がないという現実に触れる
のを回避しているにすぎないように見え, それどこ
ろかこの態度をとるかぎり, C は一生予備校生でい
なくてはならないように思われた。しかしC は, 父
に, もっと現実的に勉強をしなければならないと諭
されるたびごとに, なんで自分の可能性をつぶすん
だと家の中で荒れた。C は以前より, 例えばコンピ
ューターゲームのことを仲間と話しているうちにC
以外の人たちがC の知らないゲームの話で盛り上が
り始めると, たちまち彼らが自分をのけ者にし, ば
かにして見捨てたという意識を抱いた。C にはこの
ような「ばかにされた」体験が幾重にもうっ積して
おり, 自分が大数学者になれば, 今までばかにして
きた連中を見返すことができ, また自分の存在が恋
愛転移を起こした予備校のカウンセラーに認められ
ると思っていた。
〈症例4〉D 。45 歳, 女性。
父は婿養子で, 仕事でも趣味でも成功した企業人
だが, D の幼少時には家庭を省みなかった。母は自
分の分裂病の妹を引き取っている我慢強いタイプの
人である。現在健康な弟2 人は初めから母が育てた
が, D の幼少時は, 母方の祖母がD を養育した。
D は小学から高校まで時々不登校に陥っている。
祖母に甘やかされて育ったために同級生に比べて不
器用で, そのことに劣等感が強かったからだと言う。
高校卒業後は比較的明るいO L 生活を送り, そこで
知り合って結婚したのが現在の夫である。しかしD
は, 夫とは, 結婚の直後から性生活も趣味も合わな
いと感じ始めた。夫の子を流産した後「話のはずむ」
男性と出会って交際をしたが, 結局この男性と別れ
ることになった。その頃から朝起き上がれない日が
多くなり, 向かいのビルから覗かれているという関
係念慮も生じた。34 歳の時これらを主訴として某精
神科クリニックを受診, そこで, 主治医が「他の女
性患者に特に親切にした」という気持を抱いたのを
きっかけに我々の外来へ移った。
症状としては現在まで, 過食,衝動的なイライラ
感, うつ状態などが消長を繰り返しつつ継続してい
る。自分は何もする能力がなく, 人生は失敗だった
と訴えることも多い。C は, 治療中ささいなことか
ら, 治療者にばかにされた, あるいは治療者が見放
そうとしているという気持を抱きやすい。結婚生活
はまがりなりにも維持されているが, D は, 家事も
できず, 夫の商売の手助けもできず, 夫に申し訳な
いという気持を抱く一方で, 不潔恐怖が出るために
夫の下着が洗えないという症状も保持している。
エピソード
D は, 決して美貌を鼻にかけるよ
うなタイプではなかったが, 自分の容姿の美しさに
強いこだわりを持っていた。それが哀えていく以上
外出もできず生きていてもしかたがないという執拗
な訴えが, 中年期のD の治療を現在でも困難なもの
としている。これと関係していると思われるのが, D
は, 若い頃から自分の存在価値に自信がなく, その
ために男性から声をかけられると自分が認められた
うれしさからすぐについて行き, 周囲から発展家と
誤解されたというエピソードである。
D は, 治療者に若い女性の新患が入るたぴに, 自分と比較して
嫉妬心を抱き, 面接時間を気にし, 治療者が新患と
個人的な話題をしているのではないかと勘ぐった。
人と比べる傾向は, 実生活でも問題を生じた。例え
ば, D は, 趣味を始めようとしても, まだ初歩の段
階にいるうちから自分の実力を他の人と比較して劣
等感を持つので, 結局何も始めることができなかっ
た。

考察
1. 症例の診断について
境界例というカテゴリー自体は広く認められて
きているものの,その概念規定, 外延などには依
然議論がある。ここではまず, 症例1, 3, 4 が,
DSM -Ⅳ の「境界型人格障害」の診断のための項
目 を, 物質乱用, 無謀な性的関係といった主に
家庭外で生じる問題行動がみられない点を除け
ば, すべて満たしていることを述べておく。
問題となるのは, 症例2 である。B は, 唐突に
女性の治療者, 他患を理想化して個人的に近寄
り, 自分を批判した上司, 同僚に, 一面的な悪い
評価を与える。また, 「底なしの苦しみ」を訴え,
感情の統制がとれず, それが家庭内での母への暴
力に噴出する。これらは境界例の特徴に一致す
る。ただし, 患者の病歴で目立つのは, 思春期に
も教師のことをからかったりしたことがなく, 女
性に対しても, 常に「清楚な女性」というイメー
ジのもとで近づいている点である。B は, 人への
親切を中核とする理想像の中に自らを律し, 他人
をからかう気持, Fアダルトビデオ」に代表され
る肉欲などが自分に存在することを否定しさろう
としている。この点は, 依存的かつ性愛化した関
係によって自己を支え, その関係の破綻によって
崩れる典型的境界例とやや異なっている。けれど
も, この, 自己の気持の一面を否定しさろうとす
るB の態度が, 理想化と怒りの両極にふれる対
人関係上の問題を引き起こしていることも事実で
ある。ここでは症例2 を含めた4 症例を「境界
例」と総括して考察を進める。
2 . 万能的, 自己愛的な核について
我々が, 患者が保持している核として注目しよ
うとしているものは, 具体的には, 症例l の
A , 症例2 のB が自ら主張している自分が他人
に示す親切心, 症例3 のC , 症例4 のD におけ
る, 大数学者志望, 美貌, 若さへのこだわりであ
る。これらはさしあたって次のような性質を持っ
ている。まず, B があくまで「教育基本法の精神
にのっとった」自分の方針を貫き, D が容姿の衰
えに対して必死で抵抗していることが示すよう
に, 患者は, これらの核を, 譲り渡すことのでき
ない自分の支えとして保持している。しかし周囲
の人間には, これこそが患者の現実適応を阻んで
いるものとしか見えない。生徒へ親切なコメント
を書くと言って通信添削の枚数のノルマを果たさ
ないA , 受験問題を解く実力がないうちから大
学レペルの問題を長時間考えるC は, そもそも
アルバイトをする, 大学生になるという社会適応
を放棄しているように見える。そのため, 治療者
を含めて周囲の人間は, A , C の父親がそうした
ように, 患者が譲らない核の非現実性を指摘せざ
るにはいられなくなる。するとそのような態度を
患者は, 「私の苦しみがわからない」(A ) , 「自分
の可能性をつぶすのか」(C ) と弾劾し, それに抵
抗する。しかし時に, このような高所からの指摘
ではなくささいな出来事が, 患者が依拠する核の
脆さを明るみに出す。「簡単に人の苦しみをわか
ってあげられると思っているのは思い上がりだ」
という友人がA に述べた言葉は, A の親切心の
自己愛的性格を瞬時に暴いたものと言えよう。こ
のときA は, 自分の基盤ががたがたと崩れる感
覚を抱いている。
このような患者の核は, 自己愛的であると同時
に, ほとんど無制限の親切, 能力, 美しさを主張
しているという点で, 万能的である。Kernberg 6)
は自己愛について, 健康な自己愛がself-esteem
を介して自己存在感の喜びなどをもたらすのに対
して, 病理的な自己愛は脆弱で病理的な自己を保
護しているとまとめている。本論で論じたいの
は, ここに示したような病理性を持った自己愛的
な核が, 患者と社会制度, 構造との特別な関係と
呼応して形成されてきている点である。
3 . 患者が対人関係で抱く感情
その前に, これらの核をめぐってどのような対
人関係が存在し, 患者がその関係の中でどのよう
な感情を抱くかを見てみる。
まず, A , C の父親が示すような「人に親切に
するにも限度があるものだ」, 「もっと現実的に受
験のことを考えるべきだ」という, 患者の核の非
現実性を指摘する「大人の」論理, 「現実の」論
理に対しては, 患者はこれを弾劾する。そのとき
患者に生じている感情は怒りである。境界例患者
の特徴として, 攻撃性や怒りが強調されるが, こ
の2 つは, その日常的用法からして区別されるべ
きものと思われる。怒りは, 自分の正当な権利が
侵害されたことを訴える感情だが, 攻撃性には必
ずしもこのような意味はない。ここでの患者の怒
りは, 自分たちの親切心, 数学に賭ける気持など
の論理のほうが正当であり, 「現実の」論理はこ
れを不当にも侵害するものであると主張してい
る。
一方で, 高所からこのように諭されたときに患
者に生じる感情とは別に, 主に同性の友人のよう
なライバル関係となる可能性のある人たちとの間
で, 患者が抱く感情がある。それは, ばかにされ
た(C ) , 嫌われている(A ) といった感情である。
D が他の女性患者に対して抱く感情もこれに含ま
れる。このような感情は, 典型的にはもともとそ
こに自分が加わっていたはずなのに, 自分以外の
友人のみで(C ) , 自分以外の患者と治療者の間で
(D ) 話が進み, 自分がはじき出されるという状況
で生じる。この状況は, 母子の二者関係に新たに
子どもが生まれることで侵入コンプレックス9) が
生じるのと類似の状況である。このような状況で
患者は, はっきりと意識して, 自分とライバルの
実力を比較する気持(A ) , ライバルヘの嫉妬心
(D ) を抱くこともあるが, しばしば関係念慮的
に, ぱかにされ, 嫌われ, その場から見捨てられ
たという感情を抱く。この感情と患者の万能的な
核との関係は, 次節で論じる。
4 . 患者と社会構造との関係
患者が, ここで万能的, 自己愛的な核として取
り上げたものに基づいて行動し, しかもその非現
実性が指摘されることを不当と感じることの背景
には, 患者が, 役割構造に必然的に伴ういくつか
の側面に異を唱えているということがある。
このことがもっとも明瞭に現れているのは, C
の「先生は親切にしてくれるけれど, 実は医者と
いうペルソナのもとでのみそうしているのではな
いか」という訴えである。ここでC は, 親切心
のような感情が, 医者という役割の中, 枠の中へ
制限されることを, 弾劾すべきこととしている。
この点が, 患者A , B の核として取り上げた,
他人に対する親切心の特徴でもある。A は, 自
分がある期間内にある量の仕事をこなさなければ
ならないという経済原則に従った労働者としての
役割に限定されることを認めず, それよりも, 自
分の添削を見る生徒への親切心を上位に置く。B
も, 1 人の生徒の落ちこぼれもないようにする,
すべて説得で非行を解決するというような限定の
ない親切心の実践を試み, そのため授業が進まず
教室内が騒然とするという点で教師としての役割
が果たせなくなることのほうは省みない。
患者にとって, 役割構造が存在して, それが人
間の善意に制限を加えたり, 人間の生活を管理し
たりするということは, 仕方がないことではある
かもしれないが, あくまでそれを苦痛として耐え
忍ぶべきものであり, ましてや堂々と制限する
側, 管理する側に立つべきものではないのであ
る。だからA は, 婦長が自分を注意したことを,
役割上仕方なくしたものとして, つまり婦長個人
が婦長という管理的責任を負っていることに苦し
みながらしたものとして許したが, 他の看護婦が
注意したことは許さなかった。
このような患者の主張が, 一面, 首肯される社
会への提言であることは注目に値する。B のよう
に, 落ちこぼれを出さず, 管理をしないで非行を
改善する教育をすること, C のように受験制度に
とらわれずに好きな勉強をしていくことは, そこ
だけを取り出せば積極的な態度であり, 管理社会
への批判的意味を持つと言えよう。社会制度の管
理的側面の弊害が強くなれば, それに対する批判
として, 我々の患者のものと同じ主張が世論に現
れてくる。しかし実際には患者の主張をそのまま
我々が認めることは困難である。なぜならばそれ
は, それがなければ社会制度が成り立たないよう
な役割構造の制限的側面を認めず, 認めないこと
のほうを正当としているからである。患者の行為
の非現実性は, 役割構造そのものを超え出ようと
するhubris (傲慢) に由来する。周囲が性急に患
者の非現実性を指摘したくなるのも, この点が周
囲の人間を刺激するからであろう。
ところで, 役割構造によって設定される枠に
は, 競争がかかわってくる。経済的な枠組には経
済競争が, 受験という枠組には受験競争が存在
し, 授業という枠組にも, 理解できる人とできな
い人との間に差異を作る面がある。この競争とい
う面を, 患者らは, 1 人の落ちこぼれも出さない
ことを目指し成績簿に「1」をつけることを拒否す
るB に代表されるように, 好ましからぬものと
する傾向にある。しかし患者らが強く悩まされて
いるのも, 競争である。A , D は能力, 若さなど
ですぐに自分と他人を比較し, 深刻な状態に陥っ
ている。この比較が, もともと自分と関係のあっ
た人をライバルに奪われて, ばかにされ見捨てら
れるという感覚につながることは, すでに述べ
た。
ある枠の中での競争ならば, そこでの劣位はそ
の枠の中での出来事であり, それが自己の全体の
否定を意味することにはならないはずである。し
かし枠構造が受け入れられていない我々の患者が
ライバル関係において抱く感情は, ある社会枠で
の劣位の感情よりもさらに深刻な, 自分の全体が
蔑まれたという感情に至る。患者のこのようなラ
イバル意識の両側には, 次の2 つの自己イメージ
が存在する。一方は, 結局自分は何もできない人
間で人生は失敗だったという, 無価値な自己イメ
ージである(D ) 。これは, 不当に自己を卑下した
感情のようであるが, 例えばC , D には, 実際
に, すぐに他人との比較の気持が生じるために,
絵画療法や趣味を始めることもできないというこ
とが生じている点には注意を要する。町沢12) が,
多数例研究で大うつ病より境界型人格障害に有意
に多い項目とした中にも, 自分の人生を失敗と考
える傾向と他人と比較する傾向が含まれている。
もう一方は, このようなライバル関係を完全に越
えるような価値が自分にあり, それにより他人に
蔑まれずに認められることができるというイメー
ジである。これが, 患者C , D の能力, 美質にお
ける万能的な核をなす。C は, 大数学者になるこ
とによって今まで自分をばかにしてきたライバル
を見返すことができ女性カウンセラーに認められ
ると考え, D は, 必ず男性からの評価を得られる
自分の容姿を失うまいとしていた。
5 . 出口のない二者関係
以上に, 枠, 制限の設定を伴う役割構造が患者
において受け入れられていないこと, そして, そ
のこととライバル関係の止揚がなされないことが
関係していることを論じ, 患者の万能的な核が,
役割構造の制限を受けない親切心, ライバル関係
を完全に越える自己の能力, 美質の主張であるこ
とを示した。この点については, 役割のような構
造は, 職業関係, 医者, 患者関係のような文脈に
おいて介在するもので, 友情, 愛情といった対人
関係ではそもそも介在しないものだという議論が
ありえよう。「ノモスの世界を構成する秩序によ
って直接性を遮蔽するという営み」7) は, 友情,
愛情関係にはもともと不要なものとも思われる。
とすると, 患者の病理は, 社会役割的な関係に,
友情, 愛情といった領域での人間関係を持ち込ん
でいる点に求められることになる。確かに, 医者
のもとを訪れてすぐに生の親切を求める境界例
者にはそのような側面が存在する。しかしそれな
らば, 患者は, 友情, 愛情などの関係には問題を
生じないはずである。ところがこの領域において
も, 患者は, 客観的には「不安定の中の安定」と
形容されるようなストーミーな関係に翻弄され続
ける。
これまでに触れてきた, 患者が他者との間に作
るライバル関係は, Lacan の文脈に従えば, 「想
像的」な二者関係であり, これが嫉妬と攻撃性か
らなる出口のない回路という性格を持つことは容
易に理解される。しかし境界例患者が他者と, ラ
イバルとしてではなく, 愛情, 友情を目指して向
き合ったとしても, 患者はやはり出口のない状況
に陥っていく。この点に関してはさらに考察が必
要である。
患者が相手に唐突に「自分のことを怒っていま
すね」と尋ねる状況は, しばしば, 投影同一視の
具体例として, 自己の怒りを他者に押し込む機制
により説明されるが, Watzlawick 16) はこれをパ
ラドクシカルに, 二者関係を地獄に導くのに有効
なコミュニケーション技法として紹介する。ここ
で我々が注目したいのも, この状況の出口なしの
性格である。この問に相手が「ノー」と答えて
も, 問を発した方は「相手は無理してああ答えて
いる」, あるいは「相手の本当の気持ちは自分の
ほうが知っている」と考えて, 「やっぱり怒って
ますね」と何度でも問い直すことができるので,
2 人はこの状況から逃れられない。
実際に患者は, 愛情をめぐる関係の中で, この
ような問を発し始める。A が婚約者に向けた
「本当は自分のことが負担なんじゃないか」とい
う問が, 同様の状況をもたらす問であることは明
らかであろう。Laing は, 「結ぼれ」11) の中でこ
のような出口のないやりとりの数々を, 論理学の
演習のように披露している。先に役割構造との関
連で問題にした, 「先生は医者というペルソナの
もとでのみ親切にしているのではないか」という
C の治療者への訴えも, 実は同様の性質を持つも
のであった。新宮15) の言うように, このような
問は, 我々一般が確証を持って否定し去ることの
できない問である。それゆえこの問をめぐるやり
とりには終わりがなく, それはしばしば普通のや
りとりの埓外にある暴力的挙措によって断ち切ら
れるほかはない。しかし患者は, 愛や友情にかか
わる二者関係において, 自らと相手をこのような
状況へ導き続ける。
6 . 治療について
以上の症例, 考察と関連する治療上の留意点に
ついて最後に簡単に触れる。
第1 に, 特に治療関係が固まるまでは, 治療者
の指摘もまた, 不当な現実のお仕着せととられる
か, 「ばかにされた」, 「見捨てられた」という感
情を引き起こすかのどちらかに陥る可能性が大き
いということが挙げられる。Richard-Jodoin 13)
は, 早すぎる直面化, 洞察への試みが, 自分の正
当な感情を否認したり品位を汚したりするものと
患者に受け取られることを述べている。特にここ
に述べた患者の核は, 治療者がその非現実性をす
ぐにも指摘したくなるような性格を持っていると
いうことの理解が必要である。この点に関して
は, Blankenburg 2) がヒステリーの治療につい
て, ヒステリー患者は, 意識せずに, 治療者が患
者の“見せかけ(Schein)”を暴く役を演じるよ
うに誘惑していると注意を喚起しているのが, ア
ナロジーとして参考になる。
第2 に, A が大量服薬をした後にも婚約者と
の関係が続いたこと, C が家で暴れた時にそれま
でじっと耐えていた母が錯乱したことなど, 治療
外での出来事が大きな意味を持つ点が注目され
る。もちろん生活の中で修羅場の生じないスムー
ズな治療の進展が理想ではあろう。しかしA が,
他人と実力の比較をすることなく音楽活動を再開
したり, C が数学以外の勉強を始めたりといった
大きな構造的変化を伴う展開が, このような出来
事を待ってはじめて生じた点は, 見逃しえない。
第3 に, 患者の核は非現実性において問題なの12)
であり, その内容はむしろ尊重されるべきもので
はないかという点を提案しておきたい。例えばB 13)
の親切心は, 養護教員, 看護助手などをしていた
時にはうまく機能しており, この時は生活上の問
題も少なかった。このことはGunderson 5)が医療
サービス職が現実に社会復帰の候補となりうると
していることを想起させる。C の数学への学問的
関心, D の身だしなみへの心配りなども, それ自
体は今後とも患者の生活の支えとして機能し続け
るべきものと言えるのではないであろうか。