春のまどろみから醒める

春のまどろみから醒める

お金の計算をしてうれしがる人
利息の計算をしてうれしがる人

手段が目的化しているあからさまな一例ではないか。

金を溜めこんでもそっくり残して死んでみたりして。
つまり金という手段の先に目的がなく、
金が目的になっている。

彼らは人生を十分に生きたのだろうか?
彼らにとって人生の可能性とは何であったのか?

彼らは手段を準備しただけで死んでしまった。

死という行き止まりが、
私をまどろみから醒ます。
死は日常の嘘の衣装をはいでゆく。
むきだしになった人生を私は見る。

病院の一室で白衣を着たわたしは慄然とたたずむ。

人生には人をまどろみから醒ます瞬間が何度も訪れる。
我々のまどろみは実は完全な整合性に至っていない。
なぜ完全にだましてくれないか。
すきまだらけでその向こうには何か
耐え難いものが存在すると予感させる。
時に行きあたる裂け目には目をおおいたくなる何かが
横たわっている。
まどろみは慰めだがしかし不完全な慰めでしかない。
うまくできた話なのだがそのからくりは
破綻しているのだ。
そんなことを知らされる病室のひととき。
外では桜がおわりである。

Last updated Apr 16, 2006 01:18:30 AM