個の悲劇と集団の統計学

個の悲劇と集団の統計学

悲劇的なるものから目をそらすために、
人生ではなく社会を問題にするのだった。

個人の人生を厳密に評定すれば、
明らかに圧倒的に悲劇である。
神は言い逃れすることも難しいだろう。

集団としての人類を評価するなら、
悲劇的要素も薄まる。
どの人にも共通する悲劇であるから
忍受するようにと宣告することさえできる。

悲劇に直面して、
「誰でもそんなものだから」
「あなたばかりがつらいのではないから」
「辛抱しなさい」
そんな説教はもうやめよう
わたしたちひとりひとりは単なる集団の構成員ではない
取り替えのきく部品ではない
統計の数字ではない
そんなものに安易に還元しないで欲しい

圧倒的な悲劇的な状況でも
ごまかさないで
受け止めたい
それが神の問いかけなのだ
わたしはまともに受け止めてまともに応えたい
いいじゃないか
わたしはその流儀が好きなのだ

わたしは天国の入り口までしかいけないだろうが
その天国の入り口で
神さまにきちんと問いただしたい
この悲劇もあなたの計画なのかと

そのように力んでしまうこともある
昨今である

Last updated Apr 20, 2006 08:52:16 PM