モーツァルト的変換装置 絵画は楽譜と同等物である

Jun 4, 2006
モーツァルト的変換装置 絵画は楽譜と同等物である

絵画においては
現実の睡蓮 → モネ的変換装置 → モネの睡蓮

音楽においては
現実の体験 → モーツァルト的変換装置 → 楽譜 → 実際の演奏

と考えられる。
音楽では演奏者が存在している。絵画では、観賞者が音楽演奏者に相当している。
音楽では演奏者と聴衆が異なることが多い。演奏者が自分の発している音を聞いて鑑賞する場合が、絵画の場合と同等になる。
絵画では、ある絵について、いろいろな解説をしてくれる場合、音楽演奏者と聴衆に近い関係となる。

そこで両者を統合して細分すると、

現実の体験 → 芸術家の内部の変換装置 → 楽譜や絵画 → 演奏家や解説者の活動 → 鑑賞者の感動

ということになる。

わたしの理論では、絵画は楽譜と同等物である。絵画を鑑賞する人は音楽の演奏家と聴衆を兼ねていることになる。

考えてみれば、たとえば吉田秀和は、解説者として、音楽についてが本職であったが、絵画についても、同じような態度で読者に語りかけたと思う。

以上から、結論すると、モネ的変換装置が存在し、それを鑑賞することが可能であるなら、同様に、モーツァルトの楽譜を読むことによって、モーツァルト的変換装置を感得し、そこに感動することができるはずである。
つまり、実際の演奏音でもなく、さかのぼって、楽譜でもなく、さらにさかのぼって、モーツァルト的変換装置を鑑賞しようという態度である。
一応、そのような結論が得られる。