山羊は永遠を見つめて佇む

山羊は永遠を見つめて佇む Jul1の絵について

間接的知人であるOさんの絵を紹介する。
知人の知人であるから、わたしは個人情報をよく知らない。知人はわたしに「おもしろいよ」とだけ言って絵を数枚くれた。わたしは驚いた。少しだけ感想を述べた。そのあとで知人を通じてブログ掲載への許可をもらった。
ここで述べる自由な感想についてはOさんは知らない。気に入らないかもしれない。

数枚の絵について全体としての感想

ワーグナー
決してバッハ的ではない
色を付けたら現実世界に近くなった
鳥の羽、魚のしっぽなど、人間と生物との融合
人間と鳥、人間とトンボ、鳥と機械の融合
解剖学的
ダビンチ的
胎児は系統進化をたどる
過剰な装飾→過剰
どの少女も痩せていて、脂肪がない。たぶん、月経もない。→欠乏
過剰を方法として欠乏を描いている。

掲載の絵についての感想。

中央に年老いた山羊。耳は不自然にとがっている。それは臨界点を超えたしるしである。悲しい瞳。蛇。そして逆さの鳥。この三者は年老いた知者をあらわすだろう。そしてその手前に座る白い少女。白すぎる。そして関節部分には出血斑のようなものがある。白血病を感じる。右足は池につかり、その先は魚になっている。少女は悲しい瞳で左手に百合の花を持っている。ユリは花、茎、根まで描かれている。
画面手前には天使が飛んでいる。この少女の羽はトンボの羽である。緑のリボンが誘惑をあらわしている。
画面の奥に洞窟がある。洞窟の奥には光があり、そこでは若く美しいソクラテスが活躍している。しかし洞窟の内部は暗く悲しく沈んでいる。
知性は終末を結論した。それ以外に運命はない。ゆえにソクラテスの華やぎは虚しい。
神々の黄昏である。老人は過剰な知恵を持つものの、その過剰さゆえに、この美しい少女を荒々しく蹂躙することができない。少女の欠乏を補うことができない。ただいつまでも愛撫を続けるだけである。終わりがない。ウサギ。このウサギがそれを見ている。不思議の国のアリスが見ている。
少女には脂肪がない。乳房は微かである。神々は成熟する一歩手前の肉体と精神と合一することができず、ただ黄昏れている。少女の頭の周りには緑色の浮遊する何かがある。それは魂なのか罪なのか。いっそ蹂躙してくれれば罪も消えるかもしれないものを、そのように少女は泣いている。山羊と蛇と鳥はただ視線で犯し続け、指先で犯し続ける。ウサギはその一部始終を見つめている。そしてなお、それなのに、洞窟の外ではソクラテスが輝かしい知性を振りまいている。
樹と樹は枝でつながり合い、魚と少女はつながり合う。
融合と拒絶。光は洞窟の外にだけある。しかし老いた知性はそれを悔いることもない。ただ虚しく循環する時間を見つめている。最高の知性は虚しい循環を永遠に生きる。それは終末と同じことだ。永遠と終末は同義である。
Last updated Jul 04, 2006 11:56:54 AM