2861-2900

2861
グノーシスとは何か」(マドレーヌ・スコペロ著、入江良平他訳)
ユング派との関連あり。
・寓意の技術に長けていた。
グノーシス主義者は自らについて語ることを好まない。彼らが著作の中でなそうとするのは、数多くの天上的な存在が集う上の世界を想起すること。これらの存在の中心には知られざる神がいる。知ることができ、知ることを望む人間、そうした人間の「知識」が究極の目的とするのは、この神である。
・地上における魂は、劣った神が創造したこの世界の暗闇に幽閉されている。
・人間は、暗澹たる苦悶の色に塗り込められたこの世から逃れて、自分自身に回帰し、そうして自分自身を乗り越えて神を見いだす。
・真のキリスト教徒、啓示の唯一の受託者を自称した。
・この世は劣った神が創造したもので、キリストが汚れのるつぼである肉体に具現したはずがなく、その肉体の中で苦しんだはずがない。
・人間の魂を誘惑しようとする詐欺師と非難された。
・絶対を探求する魂の道程。
・自らを知り、自らの起源を探求したいという関心。
・世界は邪悪な勢力の仕掛けた罠の所産である。
・自らの内面に埋もれている知識(グノーシス)の閃光によって世界から逃れることができる。
・人はこの賜物(グノーシス)によって神との結合、神と一つになることが許される。
・汝自身のもとへと立ち帰る。
・変容させ、彼を神的にする。
・福音の救済は万人に提供される。ところがグノーシス的宗教は選ばれた者たちだけのための宗教である。人は選択によって知る者(グノーティスコ)となるのではない。知る者は最初から知る者なのである。したがって、少なくとも理論上は、グノーシス主義への改宗なるものは存在しない。
・自分達だけが、イエスの隠された言葉を受け継ぐと主張した。
・人間と宇宙と神との関係を論じる夥しい文献。
・複雑で魅惑的な神話。
旧約聖書の神は正義の神ではなく欺瞞の神である。この神は、人間に自らの神的な起源を忘れさせるために運命の重い鎖で人間を縛った。神の神は創造と無縁である。彼は無限の光の中にひとり存在している。
・世界や被造物に対する軽蔑から、グノーシス派は、超然主義的な道徳に導かれた。結婚や出産の否定にまで至る。
・絶対かつ究極的知識に対して抱いた憧憬。
グノーシス派は旧約聖書を悪の神の作品とし、新約聖書を善と光の神の言葉とみなすために、旧約聖書の神と新約聖書の神が同一であるということを否定している。(カトリック教会は、両者の根底における一致を主張している)
・オフィス……ギリシャ語で蛇。
・「パナリオン」……ギリシャ語で、医者の持ち歩く「薬箱」。蛇の噛み傷すなわちグノーシス主義者の教えに対する解毒剤。サラミスのエピファニオスの反グノーシスの著作。
・教義は神についての個人的かつ直接的知識に基づいており、この知識は、教会組織を無用にしてしまうと考えられた。
ナグ・ハマディは一部ユング研究所の所蔵になったこともある。
・彼女を人間の体の中に閉じ込めて、無慈悲な輪廻の鎖に縛り付けることに成功した。物質に囚われた魂を象徴する。この魂を(邪悪な)天使たちの束縛から解放すること。

2862
グノーシスとは何か」(マドレーヌ・スコペロ著、入江良平他訳)
●神がつくったはずのこの世界が、なぜこのように邪悪で不幸に満ちているのか。なぜ人間はこの不幸を味わわなければならないのか。この問いにどう答えるか。ヨブの問いにどう答えるか。そして病者たちの問いにどう答えるか。ひとつの整合性のある答えが、グノーシスではないかと思うのだ。
●イエレンステンという作家の「青春」?という作品があり、解説部分にグノーシスについての言及があった。
・魂を破滅させようとする悪意に満ちた神を想定し、これを旧約聖書の神と同一視した。
・この世に囚われた魂の救済者。
●この世に流タクされ(流罪とされ)、肉体に幽閉されている。
・魂たちを奴隷状態にとどめている邪悪な創造の天使たちから逃れる方法を教える。
・宇宙に対する神性の絶対的超越。
・バシレイデスは厭世主義。個人的厭世主義……全ての魂は罪で汚れており、受ける報いは自分の過ちの報いに他ならない。罪を犯さないで苦しむ人を見いだすことは稀である。宇宙的厭世観……唯一にして名付けることのできない神は、この世から無限に遠くにある。神的な源泉から離れるにつれて不完全になる。
・神は、彼を信ずる者たちを解放するためにこの世に初子を送られた。その名は知性であり、彼こそがキリストである。
●しかし現在では知性についてもその起源をかろうじて論じることができる。
●自分の過ちの報いとして苦しみがある。しかし、無垢の幼子がなぜ苦しまなければならないのか?こうドストエフスキーは問いかける。この世界をつくった神に抗議する。
・仮現論。キリストの人格の理解の仕方。キリストの一切の人間的属性を否定する。彼は受肉せず、十字架の上で苦しんだということはあり得ない。彼の神的性質と両立しない。グノーシス主義者は受肉しないキリストを描く。
・自分をこの世に幽閉しているアルコーンたち(地上の邪悪な天使)から、どのようにして逃れられるか?呪文、魔法の言葉、合い言葉によってだ。
●こうなると賛成できない。議論の出発点は共感できるが、解決の方向は間違っていると思う。
・ホロス……ギリシャ語で境界。→境界例に使える。
・人間を三階級に分ける。霊的な者、心魂的な者、物質的な者、霊は神の閃光であり、これを宿している者はほぼ自動的に救われる。心魂的な者は慈善活動に頼る。物質的な者は望みは全くない。すでに堕落しきっている。
・救いは自己の探求として理解されている。それは過去と現在を知り、自分自身の運命を認識することだ。
・地上の人間の状態は悪夢にうなされた一種の重苦しい眠りに等しい。生は悪夢に過ぎない。
・我々がこれら全ての夢を経て目覚めるまで、それは続く。これらの様々な困惑のまっただ中にいるとき、人は何も分からない。これらは何ものでもないからである。
・知る者は目覚めた者に似ている。盲の目を開いた者に祝福あれ。
●不幸の底で苦しむ人々への救済。特に、自らの知力を誇りつつ、しかし世に入れられない者への救済。
たとえば、知力がありながら、自己愛が巨大すぎたり、感情や衝動の制御ができない人たち(つまり自己愛人格障害境界性人格障害)には適した宗教である。ドストエフスキーもこの系統といえるのではないか。
社会の一角には、必ずこのタイプの人たちがいる。社会に歓迎されない知識人のタイプである。

2863
グノーシスとは何か」(マドレーヌ・スコペロ著、入江良平他訳)
●生は悪夢に過ぎないというなら、どう生きればよいのか。一刻も早く夢から覚めるのがよいのだろう。しかしそのことは肉体とこの世からの脱出である死を意味するだろうか?
●しかしこれは思弁のレベルのことであって、現実の生活はまた別である。それが人間の通常の仕組みである。認知などというものは、現実生活の一部を精錬して拡大適用したものに過ぎない。知識や論理などというものこそが「あだ花」である。そんなものが過剰に現実生活を縛るようなら、本末転倒である。
・肉体と性と出産を。屍でしかないこの世との絆として非難する。
・禁欲の理想、単独者、隠者の姿。
・神性との直接的な接触を探し求めていた。人と神とを直接に出会わせる知的で純粋な思弁。
・二元論的な発想。
否定神学様式。未知なる神はいかなる方法によっても定義されえないという思想。人間の言語は、神が何でないかを言うだけで満足しなければならない。なぜなら人間の作ったいかなる属性も神にはふさわしくないからである。
プロティノスの飽くなき自己の探求。
プロティノスにとって、神の認識は長い知的研究の結果もたらされた。他方、グノーシス主義者にとって、この知識は神の啓示に由来し、しかも選ばれたものだけのものである。
・一者、一つの光を源泉として発し、一者から離れるにつれてほんのわずかずつ劣化してゆく流出である。
・世界が悪だということ、人間が世界から離脱せねばならず、さらに真の神は未知なる神であって、キリストは彼の使者だと告げる。これが明快で、断固として、執拗に繰り返される教義である。
・救済はもはや終末まで延期されない。グノーシス主義者は、知識をもたらす啓示を聞くことにより、いますぐにでも救われる。
・複雑な教えを言葉とイメージと象徴によって伝えている。人間に課せられた大きな実存的諸問題。
・人間論は宇宙論および神論(神学)と不可分に結びついている。
・身体は一つの牢獄である。
・お前が衣のように身につけていた敵はこのようなものである。
・身体は狭い牢獄である。魂はそこで苦闘し窒息しかかっている。
・身体は世界の似姿である。世界はおぞましい牢獄であり、人類はその中であたかも迷宮にいるように、道に迷っている。
・悪は教義の根本的関心の一つである。
・世界が悪だということは、その創造者も同じく悪だということを意味する。実際、真の神、無限に善なる神が、無限に邪悪なこの世を創造しえただろうか。
●世界は悪で身体は牢獄であるという。この決め付けは認知療法の良い対象となるだろう。
・身体はアルコーンたちが人間に着せた忘却の鎖であり、これがアダムを死すべきものとする。
・アダムに生を与えることは、彼に死を与えることを意味した。
・大がかりな欺瞞。その目的は人間の誘惑であり、その武器はセクシュアリティである。

2864
グノーシスとは何か」(マドレーヌ・スコペロ著、入江良平他訳)
・模倣霊。邪悪な力。幻影の能力によって、現実を虚偽に、虚偽を現実に変容させる。自分の無知を知と思い込み、自分をとりまく宇宙の幻影を見抜こうとしない。
・この幻影は狂気に通じている。
●幻影が、夢が、現実と奇跡的な一致を果たしている。長い淘汰の歴史が、一致をもたらした。しかし一致というが、完全な一致どころではない。人間が五感により、さらに時間と空間の形式により、抽出した部分での、脳内の幻影と現実との一致である。脳が現実を写し取ったといってもいい。
・アルコーンたちの陰謀の究極の目的は、人を神から遠ざけることである。
・次々に生起する時間、そして歴史は、グノーシス主義者にとっていかなる意味も持たない。神は世界を創造しなかった。歴史に神が介入するのは、ただ人間が陥っていた袋小路から彼を連れだし、歴史を粉々に打ち砕き、それがペテンであると暴露するためだけである。
・魂の堕落の結果は、天の出自の忘却であり、したがって無知であった。魂は物質によって盲目にされ、アダムと同じく、自分の狭い独房しか分からなくなった。
・彼女は強盗や傲慢な人間の中に迷い込んだ。
・救済者は霊であり、魂の分身だ。地上のことどもに巻き込まれていない。その役割は魂を知識へと連れてゆくことである。
・教育の目的は、帰還のときアルコーンたちが尋ねてくる質問に対してどう答えればよいかを教えることだ。
・私は全てを見るためにやってきた。
・浄化された霊。
・人間を構成する三つの属性、身体と魂と霊のうち、霊だけが救済に値する。
・魂を投げ捨てる。
・魂と霊は昇華され浄化された愛により結合する。
・内面的な美、魂がわが身を飾る最上の装飾品。
・彼らの霊的な性質のゆえに、グノーシス主義者は救われるために善行をする必要がない。同じく、どのような事柄に巻き込まれようとも、彼らが堕落することもありえない。
キリスト教徒たちを、知識に到達できない二流の連中として見下すようになった。
・肉体的人間、心魂的人間、霊的人間の分類では、キリスト教徒は心魂的人間である。彼らは魂を持っているが、霊は持っていない。彼らは知識に直接到達することはできないのである。
●全体として仏教との類似がある。生老病死や四苦八苦をまず掲げ、その後に救済を説く。「悟る」ことはつまりは高い次元での「知ること」である。
・マルコスの方法。彼女を惹きつけたいと望むと、彼は歓心をそそるような話を続ける。「私は汝に恩寵を分かち与えたい。……さあ、私の恩寵が汝に下った。口を開け、予言せよ」女性は「今まで予言をしたこともないし、予言の術も分かりません」と答える。しかし彼は呪文で煙に巻きながら、「口を開け、何でもよいから言え、汝は予言するであろう」
この言葉で彼女は愚かしくおごりたかぶり、自分の心が飛び跳ねるのを感じ、意識に浮かんでくるあらゆる愚言を口にし始める。この瞬間から彼女は自分を予言者と思い込み、マルコスに感謝して、何とか彼に報いようと努めるのである。
●心理家にはこのような一面があることを自戒として明識しておくべきである。
キリスト教世界、そしてキリスト教の直系の子孫である近代が闇の中に押し込めてきた部分、ユング心理学の言う影が、グノーシス主義に不可避的に投影されていたのだろう。グノーシス主義はある種の負の聖性を帯びるに至った。

2865
精神科の現状を告発して喜ぶつもりはないけれど、しかし、必要悪がなぜどのようにして行われているか、その認識を共有することは意味があるのではないかと思う。解決はないのだということも、しかし、何か非常に後ろめたいことをしているのだということも、社会が共有すべきだと思う。

この世界にはよいことも悪いこともある。その比率がある。精神病院や老人病院では、その比率が一般社会と違うように思う。

2866
アウトサイダーについての考察
知力は高いのに世の中から評価されず、逆に世の中を恨んでいる。それは性格が影響している。自己愛性性格障害であったり、境界性性格障害であったりするのだろう。ときには世界と人間は悪であると断定してグノーシス主義者のようになったのもする。また、仏教の中にも似たような雰囲気はある。
社会の中核を構成する人々は、何かしら排除の装置も持っている。その排除装置に引っかかると、文学者になったり、宗教者になったり、アウトサイダーとしてアイデンティティが定まることになる。
排除の装置が働くのは、やはり性格要因に対してであろうと思う。また、知的に非常に優秀な人が、人事の都合で、また同僚からの嫉妬が作用して、排除されることもあり、そのような人たちもアウトサイダーとして生きることになる。

2867
3Rプログラム。
薬をのませながら、活動拡大を指導することは、ブレーキをかけながらアクセルを踏むようなものだ。患者さんにはとても苦しいことではないだろうか?
薬が過剰だと、レセプターが増えて、敏感さが増す。これは悪循環になる。
→グラフ化できる。
薬が適量で活動が適量だと、薬の減少とレセプターの減少が相伴って起こる。
薬が過少で、活動が過剰だと、ドーパミンが多すぎて、再発の危険が大きい。

案一
横軸‥‥敏感さ(レセプター量)
縦軸‥‥活動量(ドーパミン量)

案二
横軸‥‥薬
縦軸‥‥活動量(ドーパミン

3Rは具体的な数字を提示するのが分かりやすい。
独立変数は薬と活動。レセプター量はそれらに伴う従属変数と考えてよい。ということは、薬と活動量を変数として、時間とレセプター量の動きが分かるようなグラフがよい。

2868
3Rプログラムでの薬と活動量の調整の実際
(レセプター)ー(ドーパミン)ー(薬)=適量
(レセプター)ー(薬)=有効レセプター
(有効レセプター)ー(ドーパミン)=適量‥‥これが過剰だとdown regulation、過少だとup regulation。
主にダウンレギュレーションを利用してレセプター量を減少させるのが3Rプログラム。

レセプター、ドーパミン、薬は薬が最も独立で、ドーパミンが次、レセプターは従属している。
つまり、薬↑とすると、レセプターは長期には↑、ドーパミンは↓(動きが鈍くなる、億劫になる)。
薬↓とすると、レセプターは長期には↓、ドーパミンは↑(動きやすくなれば↑、しかし恐怖心が起こってきて外に出られないとなればかえって↓)
→なるほど、もう少しいろいろな要素を考えあわせて相互の関係を考察する必要がある。あまり単純化しても役立たない。

2869
セレネースは本当にうつにするのだろうか?
体が重くて動きたくない、億劫だ、抑制がかかる、そんなところをうつと言ってよいのだろうか?
本当にうつになるのだろうか?レゼルピンがうつを起こすように。

2870
3Rプログラム
結局、レセプター減少を目指すとすれば、薬と活動の方向は、再発可能性を高める方向と同じである。だから、再発しない範囲で、薬は減らして活動は高めるということになる。その具体的な目安は何かということが課題である。
すぐには何も思いつかない。→「範囲」である。上限と下限。
一方の極は分かりやすい。再発ぎりぎりということだ。不眠がちとなり、過敏になる。
鎮静しすぎの場合にはどうか?これが分かりにくい。

アクセルとブレーキのサンドイッチであるから、ある程度は矛盾している。
サンドイッチにすれば、動揺が少なくなる。動揺をなくして、固定しながら、望ましい方向に向かわせる。そのために薬と活動量をコントロールする。

2871
出産後、授乳をはじめると、プロラクチンが出て、精神的にも安定する。
これはドグマチールの場合に最も近い。そしてハロペリドールの場合にもやはりプロラクチンは上昇している。
プロラクチンが上昇するまでの経路の中で、どこが精神安定に役立っているのか。

2872
なぜ分裂病になったかと問う。つまりは「なぜレセプターが増えてしまったか」と問うことだ。(一応単純化してみる)
ここに生育の歴史を振り返る必要が出てくる。レセプターが増えるような生活歴があって、その結果として特有の性格が形成されていたのではないか。
2×8になるとしても、素因と環境の両方の影響を様々な程度で考えることができるわけだ。


対人距離の取り方が下手で、不用意に近づきすぎたりする人は、それに懲りて対人距離を遠くとり、結果としてレセプターを増やしてしまうことがある。
この場合には、対人距離の取り方の障害が一次障害で、レセプターは二次的な障害となる。
これとは別に、レセプターが多いことが一次障害である場合もあるだろう。

また例
親が性格の変異を有している場合。子供は環境に対して引きこもることで適応しようとし、結果としてレセプターを増やしてしまう。これも二次性にレセプターが増える。

2873
ベンチャービジネスに関しての日米の違い
若い人がベンチャービジネスに挑み、その結果がだめだったとしても、アメリカではそのチャレンジ精神と経験を評価してもらえる。履歴書にも書いて、それがポジティブに評価される。経験がない人よりは価値があると考えられる。苦い経験もしたのに、再びチャレンジするだけの気力もあると評価される。
勿論、その前提として、失敗の原因分析が大切である。人は失敗から学ぶことができる。
日本ではどちらかといえばネガティブに評価されるという。

2874
認知行動療法の理論と実際」の中の「摂食障害患者の精神発達と環境」(青木宏之
摂食障害には2系列の問題がある。食事行動に関する問題と、心理社会的発達に関する問題。後者は社会的技能、対処行動、問題解決技能。
・食事行動を改善する過程が同時に心理社会的発達を促進する過程ともなりうるように工夫する。
・患者家族向けにパンフレットを作り、病状の説明、治療の進め方、家族への助言などを載せている。
・患者が自分で問題を同定し、方法を考える。主体性が尊重され、治療者との合意、納得が確保される。人間関係における相互性が経験される。→これが患者を育てる。
・良い面は積極的に評価。寂しいなどの否定的な面も、集団療法において共感され、支持され、安定感が促進される。
・様々な考え方、対処の仕方があることを体得する。
・試行錯誤の中で、治療者にも不充分なところがあると知る。現実受容が促進される。
・問題解決技能。目標をスモール・ステップに分ける。代替方法を考える。
・食事行動改善を通して、主体性、相互性、積極性、安定性を促進し、多様な見方・やり方があることを経験し、現実受容が促進され、問題解決技能が学習された。つまり、心理社会的成長を促進した。
●なるほどうまい方法である。
1)問題は二つあるものの、患者は食事行動だけが問題だと認識している。
2)患者の問題意識に合わせて、それを解決していく過程で、もう一つの問題について学習していることになる。患者はそれを最初は意識しないが、次第に理解するようになる。成功体験が患者を変えるという面もある。
3)自主性を重んじ、相互性を守るという点で、療育的である。この点に、「対話的関係」のセンスが見えていると思う。ソクラテス的対話の関係である。産婆役としてかかわる。治療者にそのような「余裕」がなければならない。
4)問題解決技法や社会的技能の開発は、つまりは生き方のコツの伝授のような側面がある。

2875
本当に分かりやすい、親切な説明が必要である。患者に親切になろうと思ったら、そのことがまず第一に必要だと思う。
専門ではないからよく分からない。本を読んでもすぐに分かるわけではない。どの本がいいのかもよく分からない。
すっきりしない状態で生きているのである。そのことを理解しないといけない。医者というものは往々にして共感性に乏しい人が多い。

2876
スタイルまたは様式の問題である。
絵描きはいろいろなものを描いて、とてもその人らしい。スタイルがあるからだ。
現象を分析する、それを表現する、そこに自分なりのスタイルがある。
臨床の場面でも同じである。自分なりのスタイルがあり、それに熟練することだ。絵描きは全てのスタイルを追い求めるのではない。自分だけのスタイルを求めるのだ。

2877
シンボルの過剰の病理
人間はシンボルを操作する。記録して伝達して解釈する。
たとえば紙切れなのにそれは紙幣として流通する。
シンボル操作部分の病理としての面が分裂病にはあるだろう。特にシンボルの解釈の点で、過剰な解釈がなされ、そのせいで自分を苦しめてしまう。

他人の仕草がシンボルとしての働きをするから、分裂病者の苦しみがある。過剰に被害的になる。
過剰相貌化とはシンボルの過剰解釈である。
1998年1月19日(月)

2878
新しい社会現象を新しい精神の傾向の原因として分析してみせる。関係づける。昔からある方法である。
たとえばテレビゲーム。たとえばブランドものを扱った豊かさの精神病理。関係付けの仕方は情緒的、あいまいなもので十分である。
それで一丁あがり。
日本的なものについても伝統的に盛んである。日本人に特有のものとされる二つを取り出して因果関係をつけてみせる。
これでもう一丁あがり。

2879
チンパンジーの様子をテレビで。
道具の使い方などについて大人のやり方を好奇心を持って見ている。自分でいろいろと試してみる。
臨界期があり、それを過ぎると好奇心もなくなり探求心もなくなる。
人間の知能や性格傾向についても、同じことがいえるのではないか。時間が経てば成長が止まってしまう。

2880
たとえば対人緊張の診察で
異性に対しての緊張は異性愛の過剰傾向、同性に対しての緊張は隠された同性愛の傾向と診断するとしたら、どうだろうか?
誰も相手にしないのが常識というものである。しかし診察室では異様な関係が生まれる。そのような公式的あてはめごっこを診察だと誤解している治療者がいて、一方で、そのことをありがたがる患者がいる。時間が経てば、愚かなことであったと思うに違いないのだが。

2881
兵力の逐次投入は愚策である。昔からの公式であるという。
セレネースほかのメジャートランキライザーにおいても同じ。
また、抗生物質についても同じ。

2882
認知行動療法の理論と実際」の中の「過食症認知行動療法
フェアバーン認知行動療法
1)ストレスは何か。食行動は対処行動である。別の対処行動を発達させる。
2)自動思考の同定と修正
3)スキーマの同定と修正
・カッツマンらの心理教育的アプローチ
1)ストレスは何か。食行動は対処行動である。別の対処行動を発達させる。
2)過食時の感情・思考の同定と修正
3)人格面での問題点の同定と修正
・痩せたいなあという気持ちが出てくると、雑誌をみて、(憧れの)宮沢りえもたいになるには、もっと太らないといけないと思うようにしている」と、ボディ・イメージの障害に対する自分なりの対処の方法を考えた。
・「自分が太っていると思ってしまうのがこの病気の特徴だと思うようにして下さい」と『病気のせいにする』技法を用いてサポートする。
・病気の情報を十分に提供する
過食症にならないためには、
1 3回の食事を必ずとる
2 吐かない、下剤乱用しない
3 過食前の自分の様子をよく観察する
4 気晴らしをする
・主張訓練法もよい
・ミラーテクニック‥‥一人でできる主張訓練法
・結局、1)食生活の乱れを正す。2)性格の問題を是正する。の二点にまとめられる。

2883
分裂病の場合にどのような原則に従ってリハビリを構築するか、そうした基礎的仕事が求められている。
しかし根本的に何が障害されているのかも分からないのだからどうしようもないけれど。
認知療法では、認知がうつの原因ではないと言いながら、認知を是正することによってうつが治る。これで言えば、原因が特定されないままでも、分裂病の場合にも何とかなるかもしれない。

2884
「エピレプシー・ガイド」(久郷敏明)
・脳波はあてにならない。脳波にしたがって薬を増減してはならない。
てんかん性格はない。環境によって形成されるものである。医原性および社会心理学的な重圧を与えてきた治療者の責任は重い。
ワイツゼッカー(1929)。多くのてんかん患者は、両親と過度な結合が目立つ。思春期に結合の危機に陥り、神経症的加工が始まる。性格変化は、彼らに固有な性質ではなく、彼らに理解を示さない周囲への反応様式である。彼らは几帳面で思慮深く、すべての問題に真剣な義務感をもって取り組む。
●そう言われてみれば、特有の性格があるのか、自信はない。昔から言われていて、その通りだと信じていたというだけのことであったか。「こころの辞典」にもてんかん性格であれこれ書いた。
てんかん性格があるかどうか位、調査すればすぐに分かることだと思うのだが?
てんかん患者にもっとも多く見られる神経症状態は、ヒステリー反応(疑似発作)である。
てんかんにうつは多い。心理的要因から起こると考えられる。非精神病性である。器質因としては、左側頭葉の機能障害、さらには抗てんかん薬の副作用が考えられる。
・Sは優位半球、躁うつは劣位半球と関連するとの説があり、現在でも支持されている。
●本当?聞いたことない!

2885
「エピレプシー・ガイド」(久郷敏明)
・全身けいれん時、特にあれこれしなくていい。自然な呼吸を確保する。事故の原因となる危険物を除去すること。自然に目が覚めて、また自然に眠る。
・抗てんかん薬が発作を誘発することがある。特にレンノックスで。また、離脱発作も起こりうる。離脱発作だと思ったらすぐに薬を元に戻すのではなく、再度の発作が起こるまで自然経過を観察する。
・治療終結は家族の強い希望があったときだけ。医者の方からやめるといって再発したら、関係が壊れる。
・五年間発作がなかったら、終結を考える。しかし積極的には勧めない。再発すれば雇用と運転免許を失う。
・適剤。症候性部分てんかん……CBZ。あとはVPA。
血中濃度を治療適範囲内に維持することが適切だと誤解されている。治療経過が大切である。
バルプロ酸血中濃度と治療効果の関連が弱い。
・CBZやVPAは活性代謝産物を有するので、単剤投与していても厳密には多剤治療である。
・治療初期の血中濃度は、代謝速度の個体差を把握することに役立つ。
バルプロ酸とフェノバールの併用はダメ。
テグレトールは自己誘導がある。投与初期には少量で十分な血中濃度に達する。持続投与では代謝速度が亢進し、治療効果が減弱する。
・ヒダントールD、E、Fは使わない。
・点頭てんかんの場合、ACTHよりもビタミンB6を試みる。
・発熱と発疹のときは直ちに連絡。

2886
「エピレプシー・ガイド」(久郷敏明)
・事前に説明されていた副作用は患者と家族の不安は少なく、医師患者関係は維持または強化される。
・説明がないままに予想外の副作用が出現すれば、医師患者関係は根底から破壊される。
・すべての薬物を有効濃度に維持すれば、覚醒水準が低下し、発作が増悪する。生活の質を重視する立場から、薬物の限界を設定することが必要である。
●なるほど。薬ではどうにもならないてんかんがあるという事を専門家は知っているから、限界を設定して、発作と副作用の天秤を考えてQOLを最大にするように考える。
・精神的緊張と弛緩を比較すれば、弛緩が誘発因子として頻度が高い。覚醒時の全身けいれん発作の好発時間である「くつろぎの午後」も、弛緩に関係する。
・通常の晩酌は禁止しない。
・重積に対して、即効性のDZP、遅効性のPHTの両者を静注する。
てんかん患者の精神症状の2〜3割は薬の副作用による。多剤を避けて、鎮静催眠作用の強い薬物を回避する。
・CBZは精神症状を改善、VPAは影響しない、あとの薬剤は悪化させる。とくにバルビタールベンゾジアゼピンはよくない。
・妊娠に関しては、フェノバールやヒダントールが安全性が高いと思われる。
・重症度評価。発作頻度と発作型を手がかりとしていたが、不合理である。頻度が多ければ重症というものではない。複数の発作型を合併する患者も少なくない。

2887
「エピレプシー・ガイド」(久郷敏明)
・生活の質とは、患者の心理的な期待と実質的な体験との差異である。患者の視点による満足感、日常生活の快適さ、生きる喜びなど数値では表現できない主観的指標。希望と自覚。「客観的な生活の質」などという奇妙な用語は、基本理念が理解されていない証拠である。
てんかん質問紙の臨床尺度
家族的背景、情緒適応、対人関係適応、職業適応、経済状況、発作の受容、意志・医療との関係、全体的社会心理的機能
てんかん患者の治療予後を決定するのは疾患の特性ではなく、治療者の資質である。大多数の患者が最適の治療を受けていると考えることは机上の空論である。
てんかん患者に対する社会の偏見には、医師の否定的見解が有害な影響を及ぼしている。
・処方内容を教えてくれる医師がいい。
・転院患者の両親には、患児に服薬させることの必要性を確信していたかどうかを質問する。
・発作を報告すると薬を増やされる。これでは寝てばかりになってしまう。だから適当に調整する。
・患者は正確な情報を求めている。病気への援助は十分な説明から開始される。しかし病名告知と催奇形性の問題は扱いが難しい。病名告知は高度な医学的判断に属する。催奇形性の説明は「恐怖のカタログ」の呈示になりかねない。
・治療者の本来のあり方は、疾患に関する正確な知識を提供し、患者が自由に選択できる複数の治療法とその長短を提示すること。最終決定は患者と家族に委ねられる。……この過程での治療者の配慮が、病者への人間愛に基づいたものである限り、封建的権威主義に陥る危険は回避できると考えている。

2888
「エピレプシー・ガイド」(久郷敏明)
・病名告知……患者家族の心性を考慮。否認が強い初期の段階での告知は望ましくない。治療関係を関係を悪くする。告知が、患者家族の治療意欲の増大につながるような状況を作ること。医師患者関係が深化すること。そのために説明する。
・教育的接近が大切。同時に精神療法的配慮。精神科医てんかん治療に当たる必然性。
・過保護と適切な養育は必ずしも明確に区別できず、普通の子と同じように育てて下さいといっても、現実には実行できない。
・障害児の親は激しい葛藤を経て障害児を受け入れる。障害が重度であるほど、わずかの成長と発達が喜びとして体験される。治療者は障害の正確な特徴を早急に伝えるべきである。
・あいまいな表現を避け、明瞭な指針を伝える。単なる医学的診断だけではなく、日常生活と教育、福祉、援護措置などについて十分な情報を伝える。
てんかんの服薬しばしば不規則である。
●この上もなく正確と伝え聞いていたのに!見解が異なる。
・症状が起こらないのに、長期にわたって薬を飲み続けなければならない。これでは服薬が不規則になる。
・本来消失するはずの発作が抑制されないのは不規則な服薬による。不規則な服薬→慢性化、治癒の遅延、適切な処方が決定できない。
・外来主治医がある患者は規則的に服薬している比率が高い。
●こんなにも当たり前のことなのに。

2889
ヤロムの集団における治癒因子
これはたとえば自由を保証したとして、いいことをする自由もあるが強盗殺人の自由もあるといったように、二面性があるのと似ている。
治癒因子はそのまま治癒阻害因子でもある。これは臨床家の実感である。

2890
2×8理論による説明
近年の分裂病の軽症化を説明

昔は、田舎で育って、子供時代を田舎の環境に合わせて適応した。レセプターもそのように調整した。
そんな人が都会に出たりすると、バックグラウンドの刺激が大きい。パンクしやすくなる。つまりドーパミン過剰になりやすくなる。
現代では、田舎も都会もテレビなどの影響で、バックグラウンド刺激が大きくなっている。この場合に思春期になって都会に出たとしても、さほどの変化があるわけではない。
つまり、田舎も騒がしくなって、心配するほどのレセプター過剰にはならないと考えられる。

2891
2×8理論による説明

レセプター量を決める臨界期がどこかにあるのか。
あるいは、レセプター量の可変性、異変性が問題なのか。これがなかなか変化しないような体質だと、あっという間にドーパミン過剰になってしまう。

2892
専門外の人のための精神医学入門
一般知識人のための精神医学入門
まず診断学。疾病分類。何が異常なのか。反応性と内因性と外因性。
社会が許容しないから病気、社会が許容するから正常範囲内、そんなものではない。医学的判断は事例性とは本質的には別である。

2893
「エピレプシー・ガイド」(久郷敏明)
・運動は脳波を改善させるとの指摘がある。体育を危険視するのも考えもの。水泳が難しい。
・発作に対しての級友のあざけりは患児の心理に破壊的な悪影響を残す。
・「発作が多少増えてもいいから、薬を減らして、元気だった頃に戻して下さい」これが生活の質の視点である。
●そうは言うものの、発作は脳神経細胞を焼き尽くすのではないか。だとすれば、やはり発作を抑えることは患者の利益である。しかしそのことが患者の消極的で非社交的な人生の原因になっているとすれば、問題である。生活の質が低下している。
・三年発作がなければ、一定の条件下で運転も許可されてよいと考える。しかし現状では絶対欠格である。職業としての運転や大型車両の運転は避けるべきである。治療中止してから三年が経ち、発作がない場合には運転は許可される。
●自動車免許も難しい。一通り説明して分かってもらうしかない。
てんかんであることの宣告は、ガンや分裂病に比較して受け入れやすいと考えるが、実際の状況としてはそうはいかないようである。重大な衝撃となる。だとすれば、病名告知にもっと配慮があってよいはずだろう。この点は反省させられる。

2894
認知行動療法の理論と実際」の中の「過食症認知行動療法
ミラーテクニック(篠田1989)
一人でできる主張訓練法
独居時に自分に話しかける。
1)その時点の自分の表情、顔色、ムードなどを確認する。
2)復習
その日の対人関係でのやり取りを想起する。相手に対する感情やその時点で言語化できなかったことについて、言語化して鏡の自分に話しかける。‥‥発散効果がある。
3)予習
いつも自己表現しにくい相手に対しての意見、言いたいことを言語化し、鏡の自分に向かって少なくとも五回以上練習する。言語化する際の自分の表情、仕草も選定し、練習する。これらを毎晩就寝前に行うのがよい。

●なるほど、面白そうである。

2895
認知行動療法の理論と実際」の中の「過食症認知行動療法
低体重の影響(Garner 1986)‥‥いろいろな症状について低体重が原因だとわかり、治療の動機付けができる。また治療経過中にチェックする。

・食べ物に対する態度と行動
食べ物のことで頭が一杯になる
レシピー、料理本、メニューなどを集める
普通ではない食習慣
コーヒー、紅茶、香辛料などの量が増える
気晴らし食い
・情緒的・社会的変化
うつ状態
不安
イライラ、怒り
情緒不安定
精神病的体験
心理テストでの性格変化
社会からこきこもる
・認知変化
集中力低下
判断力低下
無気力
・身体変化
不眠
脱力
消化管障害
音・光への過敏
むくみ
低体温・基礎代謝率の低下
知覚異常
性的関心の低下

●?だって、拒食症は、基礎代謝も亢進して、活動的で‥‥という像ではないか?拒食で体がだるいなんて?

2896
認知行動療法の理論と実際」の中の野村の論文。
・基本姿勢は、「気分の背景にどんな考えがあったのか?そこにゆがみはなかったのか?」と共に考えること。
・自動思考同定のために。「その時、どんな考えが浮かびましたか?」と尋ねる。
・うつの人‥‥努力と根性で乗り切ろうとする。
●この点では、将来はうつは少なくなるのではないか?あるいは、執着気質を根底に持つうつは減少するのではないか。逃避型のうつが増えるのではないか。→?
・生活を構造化し、行動を強化する行動療法的治療。→病理が深いときや患者の能力が低い場合に有効。
・うつの遷延化という場合、慢性化と神経症化を含む。(市橋1987)
・遷延化の要因として、人格構造と状況構造の二つを区別することができる。(曽根ら1987)
・広瀬の逃避型うつ病(1986)。過保護に育ち苦労の経験の少ない、「粘りに欠ける完全主義者」で、出社恐怖を中心とした抑制症状の強いタイプ。
・遷延性うつ病の性格が通常のうつ病とどう違うのかについての研究がない。分裂気質や回避性、境界性人格障害が遷延化に役割を果たすという見解もある。(山口1987)

2897
中年の心の寓話

1998年1月21日(水)
浦島太郎の話は、中年期の心性を捉えたものではないかと思える。
人生という竜宮城に生きる。中年期は安定しているし、家庭や仕事の局面ではしなければならないことが次々にある。人生を忘れていられる時期である。青年期には異性や仕事の選択の場面で、自分の人生を考える。中年期にはそのような深刻な選択はあまりない。脱サラリーマンをして独立したり、転職したりすればまた青年期のような悩みも蘇るのだろうけれど。また、老年期のように、喪失体験に悩まされることもない。自分の体、知的能力、友人の死、子供の独立、仕事からの引退、社会的役割の変更など、喪失体験が次々に襲う。中年期はその点では比較的安定している。
このような相対的安定に包まれて、あっという間に白髪のおじいちゃんになる。
浦島太郎が玉手箱を開けるときとは、仕事をやめて隠居生活になった瞬間のことだ。

2898
うつの場合に特徴的な自動思考やスキーマが論じられる。
しかしそれらは、うつに特異的というよりも、一般に心の視野狭窄状態を示しているものではないか。
不安が心を覆うと、心の視野狭窄状態になる。
例えていえば、心の中を照らす懐中電灯が弱くなって、本の一部分にしか光が当たらない状態。つまり、注意が狭くなり、いろいろなことを総合して勘案することができなくなっている状態である。
二分割思考でも、選択的描出でも、過度の一般化でも、うつ以外のいろいろな状態にみられると思う。
そしてこのようなことで心がふさがれて、結局はうつ状態になるという経路は理解できる。
しかしそれならば、一般的な不適応思考というだけのことである。そんなことを考えていたのでは、よい適応ができるはずがない。適応が悪ければ不安にもなりうつにもなる。

では、不安が視野狭窄をもたらすのか?視野狭窄が不安をもたらすのか?→両方だと思うが?

視野狭窄は思考障害か?注意の障害か?

一種の退行状態とも見える。見たくない部分があるから、心に覆いをする。結果として視野狭窄になる。

視野狭窄にアナンカスティクがプラスされると華々しいくっきりとした病像となる。
視野狭窄にマニーがプラスされるとこれもくっきりとした像を結ぶ。

一般に、疲労視野狭窄を誘発する。視野狭窄は、内部に潜んでいたいろいろな病理を露呈させる。
たとえばスプリッティング。外部への投影。→S系の病理。Bも。
アナンカスティクやマニー。→うつや強迫症

2899
木村敏うつ病と罪責体験」(1968)
かれらの有する強い責任感や義務感の背後にあるのは、自己の責任や義務を敢然と担い通そうとする強力な意志ではなく、またかれらの利他的な同調性の背後にあるものも、真に他人のために他人を愛そうとするような積極的な人間愛ではない。彼らの勤勉さや誠実さを支えている努力は、責任を遂行し周囲の人たちに尽くそうとする努力ではなくて、自己の勤勉さをあくまでも保持しようとし、自己の誠実さを決して失うまいとする努力である。かれらは自らの責任や義務の対象に対して誠実であるのではなくて、責任感、義務感をもっているという自己の態度を保持することに懸命なのである。かれらは他人のために他人に尽くすのではなくて、他人に尽くすという自己のあり方を変更することのないように努力を払うのである。‥‥うつ病者一般を特徴づけている好ましい人物像は、実はポジティブな誠実さの仮面に隠されたネガティブな無力さの表現である(Williams 1984)。
●日本の第一級の学者がこのようなことを書いている。古いから仕方がないかも知れないが、それにしても、よくない。俗流心理分析そのままではないか。
●仕事はこうしたことの背後にある構造を抽出することだ。この場合でいえば、例えば、内的規範への硬直化した忠誠。
価値の置き方として、他人よりも、自分の内面。しかしそんなことは当たり前ではないか。他人が大事というような「仮面」をつけていることが特徴。
それを本当に利他的で他人を大事と思っていると考えては間違いだということ。しかしそんなことではあまり精神医学とはいえないだろう。
むしろ問題点は、硬直していることにあると思う。「どのように」硬直したいるかが違うだけで、硬直自体は他の病気でも問題になる。状況に応じて対応することができれば、たいてい問題はないはずである。
●要するにアナンカスティクということではないだろうか?現実の状況に合わせて変更できないことが病理であると思える。頭の中にある秤が、すこし壊れている。秤の支点が錆びついていて、天秤が動かなくなっている。
●価値観がずれているということと、柔軟性がなくなっているということとはかなり違う。

2900
SとBの共通点。
幻覚妄想状態とは、つまりは内部状態を外部状態に投影・延長するということだろう。
外界の認知に関して障害があり、主に、内部状態を外部状態と取り違える、この点ではS(分裂病)とB(境界例)は似ている。