こころの辞典3601-3700

3601
フランクル
不本意な状況の中でも、なお主体的に生きることができる。
たとえば渡辺公子。困っているが、その体験を逆に活用することはできないだろうか?
苦しみの体験を意味あるものにすることができそうなのに。

デイケアの図。病状軽快の方向と、生活深化の方向。困難な状況にあってもなお、生活を深めることができる。

3602
痛みを覚えるという。感覚の覚である。おぼえる?記憶するとどうつながっているか?さとるとも読む。

3603
新聞で。借金が多くなってどうしようもなくなったら、自己破産してやり直せとの意見に対して、その時借金はなくなったとしても、借金を重ねた正確が治らないうちはまた同じことの繰り返しになる、自己破産が解決になるわけではないとの意見。そうだと思う。そして性格は容易には変わらない。この場合の正確は、不安処理の方法、葛藤処理の方法ということだろう。
不安処理としては、嗜癖行動が代表である。気持ちがいいからやるという場合と、不安が消せるからやるという場合と、違いがあるか?

3604
「なぜわたしだけが苦しむのか」 H.S.クシュナー
・一人ではない。見捨てられてはいない。そのことを確認し合う。
●これが大事。病気の人には特に。
・「いまわたしが置かれている状況は、わたし一人の手にはとうてい負えるものではないのです。」
・祈りの目的は、神が共にいて下さるという確信を自分に与え、恐れを小さくしてほしいということ。
●神に祈る。安定剤としての働き。人間が何を安定剤として用いているかを広く考察することは有意義ではないか?いろいろな活動を通じて、結局は、脳内の抗不安物質をコントロールしているのではないか?例えばアルコール、話を聞いてもらうこと、ギャンブル、仕事など。
・祈っても奇跡が起こるわけではない。しかし勇気を求め、耐えがたい困難を耐えるための力を求め、失ったものではなく残されたものに心を留める寛大さを求める人たちの祈りは、かなえられることが多い。
●「勇気を下さい。耐える力を下さい。残されたものに心を留める心のゆとりを下さい。」ということになる。
・しかしその力は、周囲の人たちの愛に由来する。
・恐れと疲労でいっぱいの時、苛立ちと怒りになってしまう。
●そんなときこそ、周囲の人の助けが必要で、暖かい言葉が必要なのに、苛立ちと怒りを発散していては、まわりの人たちが敬遠してしまう。これはどういう事情だろうか?集団は、このような「不適応者」を排除する方向に向かっているのだろうか?恐れと疲労でいっぱいの人は、死んでもいいと断定するのが集団の力学だろうか?
●しかしながら、愛もある。不適応者も、いまなんとか助けて生き延びれば、後で集団の利益になるということだろう。
●野生の集団の原則は、「現在」の適応状態であり、人間のように進歩した状態では、「未来も含めて」の適応が測定されるのかもしれない。

3605
しへき
物質しへき、家庭しへき、人間関係しへきと並べている。
どれも結局は脳内のある回路を刺激しているのだろう。「しへき回路」が想定されているわけだ。

しへきの反復性。このことと強迫性障害を比較する。
不安を処理するため?

最初に不安があるのかどうか。それも論点になる。

ケアテイカーは、自分より弱い、庇護を要する人を見つけて、自分が安定する。自分の安定のために人を利用しているだけだ。

ケアしている間、脳内の安定剤類似物質が出るのだろう。

3606
問題のある父親に育てられ、夫に再度問題のある男を選んでしまう。
このことを、「自分の愛の力でまともな男にして自分を普通に愛することができるように変えられれば、父を変えるという課題を実現できたことになる」と説明している。
それよりも、そのタイプの男といろいろやりあうこと自体に快感があるのだと考えた方がいいのではないか?

そのような回路があるから、いやでも再度繰り返してしまうとするのは、どうだろうか?
その方向に導く誘因があり、それ自体は快感だと考えた方がつじつまが合う。

3607
心の傷をいかにして癒すか。

傷よりも早く走ること。

3608
赤ん坊の全能感。
泣いて要求すればすべてが手に入る。(逆に、赤ん坊は、泣いて手に入るものだけしか欲求がない。)
母親は何を見返りに手に入れるか。世話をすることでとても満たされる感覚を手に入れる。赤ん坊の奴隷になって幸福である。

泣いて手に入る程度のものを、泣いて手に入れる。これが赤ん坊である。

これが思春期にまで延長していれば、「母子癒着」である。

赤ん坊の場合には、欲求も少ないし、母親がどうにかできる範囲のものである。オッパイでも、暖かい毛布でも、おむつ替えでも。しかし思春期になるとそうはいかない。欲求の中心は社会的なものである。仲間からの承認など。それを母親に要求するから、話は終わらない。
母親が見返りに手に入れるものも少なくなる。赤ん坊のように可愛いわけでもない。頼りない感じがどうしようもなく切なく可愛いわけでもない。むしろ「この子はあの可愛かったあの子なんだ」と思って可愛がろうとしている面もある。

3609
エストロゲンのスパートと従順性。自分の主人を見つける。生まれたときと、思春期。親と、配偶者。「まわりに合わせる」能力を高めるホルモンである。これから当分生きていく「社会」に自分を合わせる。

最近はエストロゲンのスパートが早い。これは、満足させてくれる男が周囲にいないことの原因になっているのではないか?栄養が良すぎる。発育が早すぎる。
男が社会的に成熟するのは遅くなっている。社会は複雑になり、そかも老人が増えているから。
女が生物として肉体的に成熟するのは早くなっている。
女は成熟した男性を求める結果、かなり年上の男性を好む。当然その年ごろの成熟した男性は結婚している。そこで、援助交際となったり不倫になったりする。

女性の生殖年齢は幅広くなっているが、エストロゲンのピークはかなり早く来て、急速に萎み、あとは男性と似た状態になるのではないか?

エストロゲンのピークで、女性は大人の女としての感受性を形成する。これは刷り込みのようなものだ。早すぎるエストロゲン・ピークは、不幸である。未熟なモデルしかない。これでは未熟にしかなりようがない。
エストロゲン・ピークのときに、「大人」の成熟した感性を埋め込むようにしなければ、一生成熟はできない。
この大切なときに、未熟な男性と付き合っていたのでは感受性は成長しない。成熟した男性は歳が離れていて、多くは不倫だったりする。それでは幸せな成熟はできない。ここに根本的な矛盾があるのではないか。

初恋は感受性を決定する大切な体験である。いい初恋ができないのである。

肉体の成熟と社会・精神・経済的成熟とが大幅にずれてしまっている。これが援助交際の背景である。

3610
湘南こども心療内科

ーーーーー
こども精神科病棟がないのはつまり、力が弱く、自傷他害といってもたいしたことはないから。それだけのことだ。
鍵をかけたり、保護室に入れたり、そんな必要がない。

女子病棟が乱痴気騒ぎなのも、他害の程度が知れているからという面もある。順位性社会としてもあまりきつくないからという側面もある。
男子病棟は順位性社会で暴力の支配する場所である。

3611
脳と悩み。肉月は肉体の具象を。リッシンベンはその機能を。
考える、意志する、感じる、喜ぶ、ではなく、悩む。

3612
イライラと怒り、終わりのない苦悩。
患者はそれを実存の悩みととらえている。
医者はそれをうつ状態と見る。そこで薬剤をすすめる。患者は憤慨する。自分の悩みを病気と見るなんてひどい!というわけだ。
実際、どうなのだろうか。分かるようでもあり、分からないようでもある。
そのイライラは病気の結果なのか。実存の悩みの結果なのか。あるいは、そのイライラがあるから、悩みが発生しているのか。そんなことまで説明しても分からないだろう。
たとえば占い師や宗教家、人生の指導者のような人たちの役割を求められているのだろうか?
断定的な言葉を押しつければ、満足するのかもしれないのだが。

3613
「なぜわたしだけが苦しむのか」 H.S.クシュナー
・病状が好転しないと苛立つ。自分自身に腹を立て、医師に対して怒りを抱く。
・子供の能力の限界を受け入れることができないで、苛立ち、あるいは自分を責める。
・どうすればこれからの長い年月を耐え抜けるのだろうと途方に暮れる。
・あなたは周囲の人々の愛を発見し、神の愛を発見する。
・苦しみはある。神に祈ってもそれを取り除くことはできない。しかし苦しみの中で周囲の人とともにあることを発見できる。人生の悲劇や不公平に負けない力を見いだすことができる。祈ることで力を与えられ、愛を信じることができるようになる。「苦しみが訪れませんように」「喜びが訪れますように」と祈ることは適切ではない。「苦しみの時にも力と勇気を与えて下さい」と祈ることはできる。
●入学試験に際して、天神様はお願いされる。全員の願いを聞きとどけるわけにはいかない。では、天神様はどのようにして合否を決定しているか?
・苦しみを乗り越えるために神に助けを求める。
・では、悲劇は無意味なのだろうか?
・「どうしてこうなってしまったのか?」「わたしが一体何をしたというのか?」と問うのではなく、「すでにこうなってしまったいま、わたしはどうすればいいのだろう」と問うのがよい。
・「現状はこうなのだ。わたしはこれから何をすべきなのだろうか」と未来を問う。
●この悲劇に対して、どのように応えるか。神にわたしがどう応えるか。それが問題である。

3614
歩くと走るの違いを論議したりする。無意味である。どこからが走ることなのかと言ってもどうしようもない。心の問題と薬の問題も同じ。

「妻の場合は、心の問題なんで、薬をのんだだけでは解決しないと思います。何か根本的なところを解決しないといけないはずです。」いいご主人である。

「心の問題」とは何をさしているのか?脳と心の話か?この人は霊魂について考え抜いたことがあるのだろうか?

この人は何を求めているのか?

家族というもの、特に夫婦というものは、長い間に同質性を増す。知らず知らずのうちに、精神病に巻き込まれて行く。決定的な妄想ではないとしても、しかし精神病に彩られる。その微妙さ。精神科医も注意する必要がある。

3615
「なぜわたしだけが苦しむのか」 H.S.クシュナー
・「人間は神の言葉である」。苦しむ人の重荷を軽くし、虚しくなった心を満たすべく、友人や隣人の心を奮い立たせるという方法を神はとる。
・励ましてくれた人、勇気づけてくれた人たちこそが、「神の言葉」だった。
●隣人愛を通して、神の愛が実現される。
・人生は公平なものではない。
・あなたがひとりぼっちでないことを知ることができるように、わたしをあなたのそばに座らせて下さい。
・どうして正しい人に不幸が訪れるのか。この問題を、誰も避けて通ることはできない。わたしたちはいつの日か、ヨブ記の中の誰かの役を演じることになる。
・「あなたは正義を求めていたのね。正義など、どこにもなかった。あるのは愛だけ。」
・「神とは、人間に赦してもらうような、そんな存在なのだろうか?」
・正義が貫かれる世界を創造しなかった神を赦し、あるがままの世界を受け入れる決心をした。世界に正義と公平を求めることをやめ、愛を求めた。
・誰も人に愛を命じることはできない。
・苦しみの中にあるにもかかわらず、不義の世にあるにもかかわらず、そして死にもかかわらず示されるとき、愛はもっとも自由であり、あるべき姿であるといえる。
・愛は完全無欠を賛美することではなく、欠点のある人間を、欠点にもかかわらず受け入れることなのです。不完全な人間を愛し受け入れることによって、わたしたちはより善い人間、より強い人間になる。

3616
敏感さと退屈
・富地さんのように、自分と他人を比べてしまって苦しい、他人が自分をどう見ているか考えると苦しい、など、このような過敏さがある。
結果として閉じこもって暮らすが、そうなると退屈である。
・レセプターの様子を考えると、過敏ということはレセプターが多いのであって、従って、刺激は少なくても良いはずである。しかし退屈だという。
・これは結局、刺激の選択性(刺激の種類、つまりトランスミッターの種類)を考えるか、あるいは、刺激・反応曲線の傾きが急激すぎるか、そのあたりで解釈することになるだろう。
・刺激が少ない領域では、反応も少なすぎる。刺激が少し増えると、急激に反応が多くなってしまう。この結果として、退屈と過敏が同居することになる。
・刺激の種類とすれば、次のようになる。ドーパンレセプターにも種類がある。トランスミッターは、何種類もあって、退屈なときと過敏なときは、別の回路が動いている。敏感と退屈は実は別のことであって、裏返しというものではない。敏感が薄いから退屈になるのではない。そのように考えられないか?
・自分に全面的好意を持っていると信じられるとき、彼女は安定する。それ以外の時、つまり、相手が中立のときと悪意を持っているときは、被害的に受け取る。悪意・中立・好意と並べて、解釈の中心がずれてしまっている。このようにも考えられる。

3617
不幸な生い立ちや不幸な事件はその人の未来を決定するだろうか?
不幸な生い立ちや不幸な事件は、その人の内的世界全部を暗くするだろうか?そうではないだろう。普通程度の知性があれば、そのような不幸は偶然の結果だと分かるし、そのような不幸は世界の一部分でしかないと分かる。決定されるほどのことではないと分かるはずだ。
苦しい嫉妬に駆られたり、苦しい恨みの感情にとらわれるだろうか?そんなことはない。
それはその人を外側から見る浅薄な目である。気にすることはない。人間はそんな単純なものではない。

そのような浅薄な見方が、要するに世間の見方である。そして専門家は二種類いる。世間の見方を純化した見方と、世間の見方を裏返した見方である。いずれも世間の見方そのままである。
それは結局、解釈力が足りないのである。了解能力がないのだ。

内界を絵でたとえる。絵が真っ黒になるわけではないのだ。絵の部分部分で効果的な黒を使えるようになるということだ。

絶望を知ったものほど、希望の意味を知っている。意志して希望することができる。黒を使うから、光が際だつ。絵に深みが生まれる。

絵でたとえる。全体の画面の中には悲惨な部分もある。しかしそれが全てではない。明るい希望にあふれた部分もある。その後の人生の経験を総合して、世界の悲惨さと希望のバランスを知り、全体として統合される。そうであってみれば、悲惨さも部分である。そして部分的にでも、深い悲惨さが配置されていることが、世界全体の深みを増すことになる。

3618
漢方診断
1。症状診断。
2。体質診断。
3。心の体質(性格)診断。
この三角形で処方する。

通常の漢方診断の本では、症状と体質を診て、処方する。しかし当院ではさらに正確診断を加味して処方する。

3619
夫は、優しいけれど、愛がない。
優しいけれど、暖かくない。

kindly but not friendly.

3620
人間が他の人を「判定」することの限界について。これには敏感でありたい。たとえば周囲の精神科医を見て、痛切な反省を要する。
自分の浅薄さをさらけ出さないように。

診断するということは、ときに攻撃するということと同値である。

3621
「なぜわたしだけが苦しむのか」 H.S.クシュナー
・失望させられる不完全な世界、こんなにも不公平や残虐、病気や犯罪、天災や事故の多い世界を、あなたは愛をもって赦し、そして受け入れることができるでしょう。
・神は完全ではないと知ったいまでも、あなたは神を赦し、愛することができるでしょうか?
あなたの両親はあなたが必要とするほどには賢くも、強くも、完全でもありませんでしたが、あなたは彼らを赦し、愛することを知りました。
・どうして起こったかではなく、こうなってしまったいま、わたしはどうするか。それが問われている。
・赦すことと愛することは、完全さには多少欠けるところのあるこの世界で、わたしたちが十二分に、勇気を持って、そして意義深い人生を生きるために、神が与えて下さった武器であるということがわかるのではないでしょうか。
●なるほど。そうだと思う。
・「悲しみにある人にとっていちばん必要なことは、説教の言葉などではなく、慰めを与えてくれる人なのです。暖かく抱きしめてもらえたり、ほんの少しでもだまって聞いてもらえたら、どんなに学識豊かな神学的説明を聞かされるより勇気を感じるものなのです」
・「一人だけで嘆きや寂しさに耐えるのではなく、少なくとも二人でその人の生きていくことの意味や目的を見つめ直すお手伝いができるような気がします」
・その人の人生観と、現実の人生との和解ができるとき、人ははじめて心に安らぎを感じるのだろうと思います。
●内界と外界の一致または和解。

3622
当院の児童部門の診療案内
特に相談の多い分野をあげると次のようになります。

・言葉の発達の遅れ
診断‥‥言葉の発達の遅れにはいろいろな原因があるので、まず原因を正しく把握することが第一です。難聴のように身体的な原因もあります。また、言葉を聞いて意味が分かるのにもかかわらず、自分で言葉を言うのは不自由な子もいます。この場合はある種のつまづきで、マカトン法などが有効です。
治療‥‥上に紹介したマカトン法などが有効です。お母さんに指導方法を覚えていただき、家で反復して練習します。

学習障害児(LD)
診断‥‥現時点での能力測定をしてみると、全般的には能力が低くないのに、ある特定の分野だけで発達の遅れが見られることがあります。学習障害のお子さんではこのパターンが多くみられます。発達測定テストを用い、同時に課題遂行時の様子を観察して、遅れのある分野はどこなのかを正確に見極めることがスタートになります。
治療‥‥個別集中指導で対処します。たとえば数の概念をしっかり覚えていただけば、その後の算数の学習はとても楽になります。

不登校
診断‥‥診断という固い言葉ではなく、「楽な気持ちで何でも言える」雰囲気がまず大切です。その中から問題点を知ることができれば一歩前進です。原因としては学習困難、対人関係の困難、いじめ、こうしたものが多いようです。睡眠リズム障害、朝の低血圧、子供の不安性障害など、生活指導と少量の薬物が有効な状態の場合もあります。
治療‥‥過去よりも未来に焦点を当てて話し合います。必要に応じて具体的な行動の指導をします。また、多くはありませんが、漢方薬を含めたお薬をおすすめする場合もあります。
 家庭内暴力でお困りの方、また、親子関係の修復でお困りの方は、相談数も大変多く、方針決定も簡単ではありませんが、まずお母さんをはじめご家族を支えることを目標として相談をスタートする場合もあります。
 不登校も長くなると子供さんの問題だけではなく、家族全体のあり方の問題になっていることもあります。問題を局所的にとらえずに、全体的に、長期的な目でとらえましょう。

薬について
 子供さんや若い人には薬はなるべく使わないようにしましょう。これが原則です。発達途中であることを念頭に置いて、長い目で見守りましょう。
 しかし場合によっては少量の薬を短期間使うことが、効果的な場合があります。変化のきっかけを作ることができるわけです。
 この点については、当院の専門家のアドバイスを理解していただいた上で、最終的にはお子さんとご家族が決定するということになります。

3623
漢方診療案内
当院では漢方薬を処方する割合が高くなっています。理由としては二つあります。
まず、当院で相談の多い疾患が、漢方治療に適しているということがあげられます。うつ、パニック、自律神経失調症更年期障害不定愁訴、不安などです。老年期記憶障害、登校拒否などでも使うことがあります。
これらの治療にあたって、西洋薬を使用した場合に、副作用がつらいと感じる人がいます。精神的に不安が高まっているときに、さらに薬の副作用についての不安が高まることは、よいことではありません。その点、漢方薬を使えば、西洋薬のような不快感が少なくてすみます。
次の理由としては、患者さんの要望が強いことがあげられます。これまで漢方薬を使っていて、体に合うから続けたいと考えている人がたくさんいらっしゃいます。この信頼感はとても大切なことですから、当院としては、その漢方薬をベースにして、発展的に薬剤を工夫します。

薬剤の選択
漢方診断として
1。症状診断
2。体質診断
3。心の体質(性格)診断
この三角形で診断して処方します。

通常の漢方診断の本では、症状と体質を診て、処方します。当院ではさらに性格診断を加味して処方することにしています。

漢方薬の安全性
以前、漢方薬の副作用が話題になりました。小柴こ湯で肺に副作用が出て、死亡する場合があるとの報道でした。その他にも、いくつかの成分について、過量となったときの危険について注意するように言われています。このあたりは疾患、体質、既往歴を考慮しての医学的診断になります。

生薬の効きめのばらつき
煎じて飲むタイプの生薬では、有効成分のばらつきが避けられません。野菜を食べるときに、いい野菜とそうでもない野菜とのばらつきがあることは当然で、漢方薬の成分についても同じことが言えます。こうしたばらつきは自然産物の場合には避けられないものですが、製薬会社で品質管理をうまくして、有効成分が一定になるように工夫しています。また、会社によって品質管理の精度にばらつきがあるともいわれています。
さらに、一般売薬と処方薬局製剤では、品質管理に差があるともいわれています。

有毒物の除去
自然産物ですから、細菌などの有毒物の混入をどのように防ぐかについても重大な注意が払われています。生薬の場合にはその点を一つ一つについて厳密に確認することはできません。この点では、生薬よりも、顆粒製剤に利点があると考えられます。ただし、顆粒製剤でも、薬をつくってから時間がたつと安全とは言えません。一、二週間までが限度とお考え下さい。

3624
パニック障害とはどんなものでしょうか?
・最近、新聞・雑誌、テレビ、さらには書店の棚で、「パニック障害」について見かけるようになりました。当院にも多くの人が「パニック障害」の相談で来院しています。パニック障害についての入門編を解説します。
・最近増えたのだろうか?
昔は、不安神経症、心臓神経症過呼吸症候群など、さまざまな名前で呼んで、それぞれ別のものと考えていました。しかしこれらは根本的には、不安が非常に高まった状態が共通していると考えられます。その結果として身体にさまざまな症状があらわれます。根本をとらえて、パニック障害と名付けました。とらえ方が変わったため、増えたように感じられますが、昔から多くありました。
最近はよく効く薬物(特効薬といっていいでしょう)が使われるようになり、さらに自律訓練法や行動療法が効果的であるということが分かって、治療にも希望が持てるようになりました。治療すれば治る病気なので、このことを一般の方にも医療関係者にもよく知ってもらうことが大切になってきました。それで、最近よく目にするようになったわけです。
「こころの辞典」で紹介したように、若い女性に多く、過呼吸症候群をおこして救急車で運ばれる人の数は、東京都で一年に12000人以上との統計があります。決して珍しいものではありません。

・精神病の一種でしょうか?
分類は、いわゆる精神病ではなく、心身症の一つと位置づけられています。ストレスと関連して起こる、ストレス病の一つです。

・どんなときにパニック障害を考えるのでしょうか?
症状の例をあげてみましょう。「激しい不安」が根本で、さまざまな身体症状が伴います。どの身体症状が出るかは、人により場合によりいろいろです。
 ・心臓がどきどきする。
 ・呼吸が苦しい。
 ・息がしにくい。
 ・のどに何かつまったような感じがする。
 ・めまいや耳鳴り、ふらつきがひどい。
 ・冷や汗が出る。
 ・手足やからだ全体がふるえる。
 ・死ぬのではないかと思うほどの恐怖。
 ・自分が自分でない感じ。
 ・現実感が希薄になる。
 ・一般内科などで身体の検査をしてもはっきりした理由が見つからない。
・特定の場所・場面が苦手になる。例えば、電車、美容院、歯医者などが代表的。

・治るのでしょうか?
たいてい治ります。

・何が原因でしょうか?過労やストレスでしょうか?
現在のところ不明です。しかし例えば、乳酸ソーダの話などは参考になるかもしれません。わたしたちが疲れ切ったとき、筋肉には乳酸ソーダという物質がたまっています。一種の老廃物です。この物質を注射すると、パニック発作が起こるという実験があります。つまり、過労状態の時にパニック発作は起こりやすくなるのです。この他にもいろいろなタイプがあるので、参考程度のことではありますが、「過労状態を避けること」「疲れたら積極的に休むこと」によって、乳酸ソーダを過剰に蓄積させないことが予防になると考えることができます。このような面からも、ストレスをコントロールすることの大切さが分かります。

・治療はどうしますか?どのくらいの期間かかりますか?入院は必要ですか?
薬物療法、精神療法、行動療法、認知療法自律訓練法、生活指導などを組み合わせて用います。
治療の期間は人によりさまざまです。ストレスコントロールが大切なのですが、ストレスをなくするためには仕事や勉強を一部諦めることが必要にもなります。その場合、どの程度妥協できるかが問題になります。多少の不具合をかかえながらも自分の人生にとって大切なことは諦めないように、調整しましょう。パニック障害が始まってからの年月が長い人は治療にも長い期間が必要になる傾向があります。生活に支障がない程度にまで回復することを目標として設定するなら、それほど長くはかかりません。
入院はたいていの場合必要ありません。しかしパニック障害の背景に別の病気があったりした場合には、入院加療をおすすめする場合もあります。

3625
聞き上手
・心に思っていることを充分に言える。そして相手にうまく理解してもらえる。そのように感じるとすれば、相手は聞き上手である。
・プロとしてはもう一段階ある。心の中で充分に形になっていない考えや感じを、形を付けて引き出される。それは質問がいい場合もあり、相づちがいい場合もある。きちんと時間をとって話をして考えているということが、役立つ側面もある。

心の引き出しがだんだん増えてくる。そのようでありたい。成長促進的面接である。

3626
絶対臥褥
保護室にいるのと似ている。環境刺激を最小にすることによって、ドーパミンを減少させる。まず一週間、DAを少なくして落ち着ける。それ以上では、アップ・レギュレーションが起こってしまうのでよくない。

3627
心療内科への反応
・「紛らわしい」(患者を混乱させるとの趣旨?)
・「結局、除外診断でしょう?」(積極的診断や治療があるわけではないのではないかとの反応)

3628
心療内科
新しい疾患モデルの提案という側面がある。それは同時に新しい治療モデルの提案でもある。
むかしはたたりやお祓いの世界であった。
現在は身体医学モデルである。それが単なる「モデル」であることを確認する必要がある。

3629
心療内科の標榜」(1)
・土居、小此木、荻野など、高校時代。
・入学時の石川先生の講演。
フロイトユング、みすずの本。
・精神医学への一度目の絶望。身体医学の方法論から見れば、まだ光がさしていない。学生としては敬遠したくなる。新しい方法論というよりは、科学の方法論がまだ浸透していないだけと見えた。正統的科学的身体医学の内部から見れば、心身医学はやはり未熟で胡散臭い。
・大学の心療内科の講義は面白くなかった。
・夏休みの実習の時、一緒に実習した学生さん。「自律神経といっても、脳とはつながっているのだから、自分でコントロールできないわけでもないだろう」と語っていた。それも一つの身体観、治療観だろう。そんな人もいる。
・心の研究は最終的には、そして基礎的には脳を研究することであると考えて、脳科学の分野に。
基礎医学への絶望。
・身体医学に距離を置いて眺めてみると、精神医学の価値を感じる。正統的科学的身体医学の内部からではなく、一般常識の立場から考えてみると、精神の医学は意味があると感じられる。
・精神医学開始。
・精神医学への二度目の絶望。誠実であろうとすれば疲れ果てて長く続けられない。長く続けようとすれば腐る。ではわたしは何の役に立つだろうか?
・新しい疾病観と治療観の提示。
・現在の科学の方法では救いきれない部分を、どうするか。あるいは、一応ケアされるけれども、充分であるか?例えば、心の問題。
・患者の持つ伝統的な疾病観、治療観と比較して考える。後退か、前進か?プレとトランスの錯誤。

3630
心療内科の標榜」(2)
・「紛らわしい」との意見。しかし、では患者はどうすればいいのか?医者は紛らわしくない患者だけを治療していればいいのだろうか?
・「除外診断でしょう」との意見。=くずかご。しかしこれは分類の不備を証明している。
心因性疾患は、人格の価値として、一段低く見られているところがある。
・ストレスに対する反応としての症状ととらえる。
・症状は、何かを訴えている。言葉以外の表現の経路である。
精神分裂病の見落としは、重大な問題である。
・(率直な意見の表明は結局、他人の悪口になる。)
・伝統的身体医学への批判。
・伝統的精神医学の主流は、伝統的身体医学の方法論で、伝統的身体医学の一支流になろうと目指している。
・整体士。怪しげな売薬を売りつける薬屋。不安を煽り、商売をする。自分で需要を作り出す。この手の商売人のしたことの後始末も役目である。
・権威や専門性を感じさせる検査。これが必要。例えば心電図のような。
・世間は、心療内科神経科も精神科も区別はない。ときに「きちがい病院」という人もいる。医者も、単に精神科では響きが悪いから、心療内科ならソフトでいいだろうという人もいる。
・「神経」が悪いとの言い方。精神とどう違うのか?
・「妻は心の問題で、薬をのんで治るのとは違うんです」と夫が語る。これは何を意味しているのか?プレとトランス。
インフォームド・コンセントの実質。心療内科や精神科で神経症を扱うときには、インフォームド・コンセントのインフォームドの部分が本質的に重要である。それが治療であるとも言える。

3631
心療内科の標榜」(3)
・くずかご的状況。紹介者の気持ちは、くずかご。はじめから心理的問題がある人もいる。治らないで続くと、心理的にも困難が生じる場合も多い。
・そのようにして一般内科から放り出された患者を扱う。従って、処方にも、精神療法にも、工夫が必要になる。教科書的な決まり切った処方をして、治らなかった患者が送られてくる。それを何とかしろということだ。診断もついて、しかし難治性というのではない。「困った」人が紹介されてくる。治らなくても、性格のいい人はその一般内科の先生と長くつきあう傾向がある。はじめから心理的問題があり、一般内科で対処できなかった場合。治療が長くなっているうちに、心理的問題が浮かび上がってきた場合。また、冷え性のように、処方に困る症例の場合。

3632
頭痛について
 医者であり、一般向け読み物のライターでもあるオリバー・サックスに「偏頭痛百科」という本があり、翻訳も出ています。最新の知識とは言えませんが、頭痛の苦しみはよく伝わってきます。
 頭痛の原因を調べてみると、MRIやCTで何か病変が見つかることは圧倒的に少ないようです。大部分は写真に原因が写らない慢性頭痛です。致命的なことはありませんが、生活を大きく制限することも多いものです。
 頭痛の分類については国際分類も変更があったりして、一定していません。言葉も実状を正確に表現しているものとはいえません。たとえば偏頭痛は(片頭痛とも書きます)「片側」だろうと思えばそうでもないのです。極端な例では「頭痛なき偏頭痛」についての議論もあるほどで、一般の人には大変わかりにくいだろうと思われる言葉です。
 大胆に単純化して分類すれば、まず血管性、緊張性、心因性の三種に分けて考え、次にさらに細かい分類に進む、と考えたらいいと思います。これらいくつかの頭痛が一人の人に混在していることもあります。このあたりの見立てが大切です。
 そんなわけで、頭痛の診断には、精密な問診が重要です。さらに心理的要因が深くかかわっていることも多いので、症状だけではなく、生育、性格、生活状況、ストレス因子、これらの把握が必要になります。

頭痛の相談ではどんなことを伝えればよいですか?

診察室でお伺いしたいことは次のようなことです。あらかじめまとめて、お話しいただければ幸いです。
(1)どこがどんな痛みか、詳しく。
たとえば、次のようなことです。
「ズキン、ズキン」「ガツン、ガツン」「拍動性」
「痛いと言うより、重い感じ」「頭がしめつけられる感じ」「頭に帽子をかぶったような」「ジワーッと」
「頭の片方が」「後頭部が」「目の奥のあたりが」
「刺すように」「耳の奥で響くような」
(2)いつ始まって、どのくらい続くか。
 たとえば、「朝に起こり、5分くらい」「夕方に始まり、夜まで」「寝ているときにも」など。
(3)起こりやすい状況は何かあるか。
 たとえば「生理との関係」「食事との関係」「睡眠との関係」「仕事」「ストレス」。
(4)頭痛の前後に頭痛以外の症状はあるか。
 たとえば、「吐き気」、「涙目」、「めまい」、「図形が見える」、「肩こりがひどい」など。
(5)頭痛が始まったら、あなたはどう過ごしているか。楽になる方法があるか。
 「一日横になってしまう」「5分くらい我慢する」など。
(6)何歳頃から始まったか。年齢が進むにつれてどう変化しているか。家族に頭痛持ちはいるか。

治療はどのようにしますか?
1 薬
 大きく分けると、痛くなってしまってからの薬と、痛くならないように予防する薬とがあります。患者さんの個別の特徴に合わせて、抗セロトニン薬、βブロッカー、カルシウム拮抗薬、抗てんかん薬、抗うつ薬漢方薬などを工夫して処方します。適切な選択に成功すれば楽になります。ただ単に「このタイプの頭痛だからこの薬」というわけではないところが難しいところです。
2 生活調整……頭痛のひきがねの発見して回避する
 自分の頭痛のひきがねについてある程度わかっている人も多いものです。代表的なものをあげます。
(1)生理……生理前、生理中、排卵期、更年期など。生理との関係に気づいている人はとても多い。
(2)睡眠……寝不足など。
(3)ストレス……なんといっても一番多い。けんかした次の日にひどい頭痛が始まって、一日何もできなかった、など。
(4)食事……チョコレート、赤ワイン。チーズ、ナッツ。グルタミン酸をたくさん使う料理(オリバー・サックスの本では、「中華料理店症候群」として紹介している。日本では「味の素」。大部分の人は心配ないときちんと注釈している)。当院の外来ではあまり話題にならない。わかっているなら避ければいいだけだし、避けやすいからだろう。

3 頭痛日記
 2であげた「頭痛のひきがね」を再度考えてみると、生理にしても睡眠にしても、「心身全体の調子が落ちている」ことが背景にあるようです。そうした総合的な生活と体調の様子をつかむために、頭痛日記が役に立ちます。頭痛が始まったとき、終わった時を中心にして、睡眠、食事、対人関係、仕事、などを書き加えて日記を付けます。そのなかから生活調整のヒントをつかむわけです。診察の時にとても参考になります。また、薬剤使用の時間を加えればさらに役立ちます。

3633
自己と非自己の区別が曖昧になる。空想と現実の区別が曖昧になる。この二つのことは同じことなのだろうか?どうつながっていることなのだろうか?
組み合わせるとすれば、自己=空想、非自己=現実、こうした組み合わせになるだろう。

3634
脳血管障害と不安 ふらつきは心因性か?
脳血管障害後、ふらつきがある。脳外科の医者は脳血管障害のせいではないという。心因性にふらつくことがあるのか?
何かの拍子にふらつく。後遺症なのではないかと不安が高まる。不安は出口を探す。人間は以前症状のあったところに再度症状を出す傾向がある。反復する胃潰瘍など。最初は器質性、次は心因性である。この人は脳血管障害の経験があったので、脳血管障害類似の症状を呈する。ふらつく。すると、「不安は的中した。やはり!」ということになる。
不安とふらつきは互いに原因と結果となって、悪循環して、固定化する。

ふらつきに不安を代入すると、不安と不安が悪循環することになる。不安と予期不安といってもいいかもしれない。

(診察中の発想思い出せない。原因と結果の連鎖が、脳血管障害の場合には特別なのだが‥‥)

3635
過敏性腸症候群IBS

「このごろ下痢で、トイレに行って出してしまうと落ち着くんだけれど、また痛くなる。そんなことの繰り返しで、外出もおっくうになってしまう。仕事にも支障が出ている。会社ではリストラの話が出ているのに、こんな体調では目をつけられてしまう。胃腸科で調べてもらったけれど、特に悪いところはないといわれた。病名は過敏性腸症候群といわれた。ストレスに関係する病気で、心療内科に行けば相談できるらしい」
とまあ、そんなわけで、過敏性腸症候群の人が当院にいらっしゃいます。

ストレスが関係して、自律神経の異常が発生し、腸に症状が出ると考えられます。タイプとしては、?下痢型、?便秘型、?下痢と便秘の交代型、?ガスがたまってお腹が張るタイプなどがあります。

診断
診断の手がかりとしては、以下の項目のうち、6つ以上あてはまれば、疑わしいといわれています(川上先生の表をアレンジして紹介します)。血液検査やエックス線検査で以上がないことが前提になります。また、お腹の調子以外に自律神経症状がないかどうか、ストレス関連症状がないかどうか、細かく調べることも必要です。
1 子供の頃、腹痛をおこしていた
2 激しい腹痛で、救急で医者に診てもらったことがある
3 以前からときどき腹痛がある
4 お腹をあたためると腹痛が軽くなる
5 排便すると腹痛が軽くなる
6 下痢、便秘、ガスがたまるなどで困っている
7 排便すると腹痛が起こる
8 腹痛を伴う下痢がある
9 下痢と便秘が交代でおこる
10 下痢と便秘が以前からときどきある
11 うさぎの糞のようにころころとした便である
12 うさぎの糞のようなころころした便が出て腹痛がある
13 便の中に粘液がまじっている

対策
症状に応じた手当と、原因に応じた治療の二つを考えます。

手当
まず症状は、下痢、便秘、ガスなどですから、それらを調整する薬を使いましょう。下剤や下痢止めですね。弱いものから強力なものまで、さまざまあります。これだけで解決するわけではありませんが、症状が緩和されれば、自分の状況について見通しよく考えることができるようになります。

治療
以下のような原因が考えられています。
?ストレス‥‥原因の中でももっとも多く、重要なものと考えられています。仕事のストレス、家庭のストレス、学校のストレス、更年期のストレスなどがあり、いくつかのストレス要因が重なっている場合もしばしばあります。
?性格‥‥神経質な人、気にしやすい人、責任感が強い人、几帳面な人などにおこりやすいようです。もちろんそれ以外でもおこりますが。
?体質‥‥もともと胃腸が弱い体質の人がいます。遺伝的に胃腸が弱い人もいるようです。このタイプの人はストレスが胃腸に出やすいようです。
?食事‥‥暴飲暴食、食欲不振、過ぎたアルコールなど、心当たりはありませんか?
?睡眠‥‥睡眠不足。ストレスの原因でもあり結果でもあります。

上の原因に対して、次のような治療があります。

?充分な睡眠。眠れないときには薬の助けを借りることも検討してみましょう。ストレスに対抗するために睡眠はとても大切です。
?食事の見直し。規則正しい食事、バランスのとれた食事内容が大切です。ゆっくり、楽しみながら食事ができていますか?
?ストレス解消。これは言うほど簡単ではありませんね。仕事がストレスと分かっていても、どうしようもない状況で、多くの人は働いています。しかしそれでも、なんとか、現在よりも少しでもしのぎやすくするために、一緒に工夫を考えましょう。
?自律訓練法。短い時間で簡単にできます。何度かトレーニングして身につけて下さい。ストレス・マネジメントの初級編です。
?カウンセリング。お話の中で自分の置かれた状況を整理してみましょう。話しても何も変わらないとあきらめないで下さい。自分が変わればまわりが変わることもあります。
?性格傾向の把握。心理テストなどを使って自分の性格傾向をつかみましょう。それを生活改善に役立てましょう。
?薬。ときに漢方薬や西洋薬で調整して、それがきっかけになることがあります。話し合ってみましょう。

3636
不安を症状とみるか、生活状況への反応とみるか。
不安は心の問題なのに薬で抑えるのはおかしいとする考え方。腹痛と不安を同列の症状としてとらえることができないのはなぜか?多分、自己違和的なものとしてとらえられていないのではないか?
不安は自己親和的であり、違和的なのは状況であると考えているのではないか?
そのあたりをきちんと説明する。

3637
薬がほしい人とほしくない人。
効く薬がほしい人と、効かなくても副作用のない薬がほしい人。
それぞれの人に薬と病気についての歴史があり、妄想があり、思いこみがある。それは家族の常識でもあり、仲間間の常識でもある。そうした背景を正確につかむことが、治療の第一歩である。
「もっと効く薬!」と要求されても、額面通りに受け取ってはいけない。そんなことも知恵である。

3638
和洋合剤処方
互いのいいところを生かし、悪いところを打ち消し合う。
洋薬の副作用を減らす。和漢薬の効果発現の遅さを補う。
例えばかぜ薬。洋薬は効果早いが、眠くなり胃に負担がかかる。和漢薬は眠くならず胃にも悪くないが効果発現が遅い傾向がある。

3639
消費する人間
最近の若者の急激な変化と消費社会が関係あるのではないか。例えば、大人は商売のターゲットとして子供を考えている。経済観念の発達していない子供の欲望に訴えかけることで商売が広がる。そんなことをしていいものだろうかとの反省は広がらない。
例えば、「自己実現」といった言葉の背景にも、こうした消費社会のターゲットとしての人間像があるように思う。
こうした下部構造が上部構造を変えているのではないか。

もっと君の欲望を要求していいのだと社会全体がささやきかけている。抑圧は悪徳である。解放すること、それに伴い消費活動をすること。
仕事をする人ではなくて消費する人が増えている。
子供は純粋な消費者である。

1998年12月24日(木)

3640
患者の一部は医者を信じる。一部は文献を信じる。そんなことに腹を立てていても仕方がない。はやく区別すること。見分ける技術が大切である。どこが行き止まりかをはやく見つけることだ。それが行き止まりであることはどうしようもないのだ。ロマン主義では現実にはうまくいかない。

3641
精神分裂病という診断
例えば絵画をみるようなもの。これはルノワール、これはゴッホと、全体の印象は間違いなく伝わる。しかしそれを分析的に伝えようとすれば困難になる。
分裂病の診断はそのようなものだ。誤解の余地も多くあるけれど。

3642
生きている限り矛盾が発生する。たとえば社会的存在としての自分と生物としての自分と。会社と家庭と。そり矛盾をどのように解消するか。妥協点を見つけていくか。それが生活である。
矛盾という用語は古いけれど。

仕事と家庭。社会と自分。大人と子供。矛盾が突きつけられている。

3643
児童思春期の精神障害と心身医療の動向
場所の病理→脳の場合には場所の病理が症状になる。肝臓や腎臓ではこうではない。筋肉の病気では、足と腕と指先とでは症状が全く違う。
児童をとりまく社会の現状
子供はどんな環境を生きているのか?→消費者としての子供。もっと欲求することを要請されている。子供に商品券を与える日本という国。
愚かな消費者であることを要請されている。

3644
パニック。電車に間に合いたいと思って走る。ドキドキする。そのドキドキが不安につながる。
これは身体の反応が情緒を引き起こしているのではないか?
たとえばジェッコースターでのドキドキが恋愛感情であるかのような錯覚に似ていないか。

3645
自己修復系と自己崩壊系。時間がたつにつれてどのように変化するか。
例えば振り子は自己修復系である。放っておいてもよい。
性格障害は一般に自己崩壊系かもしれない。境界例が落ちつかないのは、振動系を構成しているからだろう。
うつや分裂病は自己修復系に属するようである。適した環境を選びとって安定したり、時間が回復を助ける。時間がたてば収束する。
自己修復系は長い歴史を持つ。自己崩壊系は歴史は短い。進化論的に淘汰される。

3646
(患者・鈴木勝さん)自分は体調が悪いと感じている。しかし医者に、検査の結果、また現代の医学の知識に照らして、どこも悪くないですよといわれる。
さて、自分は絶対に悪いのに医者は分かってくれないと確信しているのなら、妄想である。
また、医者のいうことは頭では分かるのだが、どうしての不安がわき上がる。いったん不安がわき上がると、どうしようもない。自分ではとめられない。これは強迫性障害である。

不安が抑えられない。これをパニックの系列と見るか、強迫の系列と見るか。自己違和的かどうか。
完全に違和的=パニック(不安症)
中間=強迫性
完全に自己親和的=妄想

3647
「電車に飛び乗ったあとのドキドキがおさまるまで時間がかかる。このドキドキは走ったせいだと理解している。しかしそれでもドキドキがなかなかおさまらない。切り替えがうまくできない。」
これは不安の抑制系の障害ではないか?ふと不安が発生してしまう。しかし普段はそれを抑制することができる。
パニックやうつの場合、いったん発生した不安に対して、その発展を抑制して、さらに解消することができない。
不安の抑制系と不安の解消系の障害があるのではないか?

筋肉でいえば、乳酸の分解系である。
短距離型の筋肉(赤筋)は瞬発力に優れているが、疲労の結果蓄積する物質を解消する能力には欠けている。
長距離型の筋肉(白筋)は瞬発力には劣るが、エネルギーを大切に使い、疲労物質の解消にすぐれている。
こうした違いが脳神経細胞にもあるのではないか。

うつの人たちは集中力がある。意志や感情を持続できる。しかし切り替えはうまくない。

ここからmad細胞理論につながる。

3648
一人きりで風呂に入っている。シャワーの音の中に電話の呼び鈴が聞こえる。
感覚遮断が幻聴を引き起こす。分裂病者の場合、人と日常的に接してはいても、ドーパミンを適切に放出するような刺激になっていないのではないか。

「このタイミングでこの程度のドーパミンが出るはずだ」と予測する。予測と一致する刺激がドーパミンと関係する。
予測が外れているのが分裂病ではないか。

予測とドーパミン

3649
強迫性障害
・どんな場合を強迫性障害と言いますか?
 この「こころの薬箱」シリーズで「手を洗うのが止められない」という翻訳本を以前に紹介しました。この本が強迫性障害の解説の本です。「もう汚くないことは分かっているのだけれど、そしてあまり洗うと手が荒れると分かっているのだけれど、それでも手を洗うのが止められない」のです。なんとなく分かりますか?手洗い以外にもたくさんの例が挙げられています。
 「神経症の時代」という本では、倉田百三強迫症状を紹介しています。(倉田は藤沢に住んでいたということです。)
 有名人で強迫性障害の実例をたくさん挙げることができます。たとえば清潔強迫の結果「ガラスの部屋」に住んだ人。食べ物に対する奇妙な強迫があった人。有名人になると、自分の内面と妥協する必要がなくなり、内面がそのまま行動に出るので、他人にもわかりやすいようです。有名人でない場合には、自分がどのように評価されるか恐れるので、あまりストレートに外に出さないことも多いようです。

 強迫性障害は、強迫症強迫神経症などとも言います。なお、強迫は「脅迫」とはまったく関係がありません。もっと日本語として日常的な言葉で表現できないものかと思いますが、今のところは妙案がありません。
 症状の紹介をしましょう。上記の本のタイトルの真似をすると、
「鍵を確かめるのを止められない」
「ガスの元栓を確かめるのを止められない」
「偉い人のいる会議の席上で、とんでもないエッチな言葉を言ってしまうのではないかという不安を止められない」
「頭の中で『いろはにほへと‥‥』が何度も鳴り響いて止められない」
「車を運転していて信号待ちしているときに、前の車のナンバープレートの数字を加減乗除して1にしないと気がすまない。信号が青になるまでに完成しないとその日は悪い日になるのでどうしても完成しないといけない。」
といったようなことです。
 もっと微妙な例では、
「医者にはどこも悪くないと言われるが、自分はきっと病気だという考えが繰り返し浮かんできて不安になる」などもあります。これだけでは強迫性障害と即断できませんが、微妙にその要素が潜んでいそうですね。
 まとめて言うと、自分の考えや行動がばかばかしいと分かっていて、止めたいと思うのだけれども止められない、それが苦しい。これが強迫性障害です。いやだと思っているのですがどうしようもない。しかし「何者かにさせられている」のではありません。嫌々ながら、しかし自分でやっているのです。
 症状として薄いものになると、「慎重な性格」と思われる場合もあります。その場合は強迫性性格と呼んだりします。

・背景についての意見
 日本には強迫性障害の人はとても多いのですが、それは教育にその背景があるかもしれません。日本の親の子供に対するしつけは、片付けなさい、整理整頓しなさい、手を洗いなさい、清潔にしなさい、きちんとしなさい、テストの時には間違いがないか確認しなさい、等々、強迫性格を育てる方向の指導が多いのです。
 しつけとしては、人に優しくしなさい、ユーモアを忘れないようにしなさい、自己主張をしなさいなど、強迫性性格に関係しないものも多くあるのですが、日本ではこうしたことはいわゆる「しつけ」とは考えられていないかもしれません。とくによい子たちは強迫性の成分をすこし多く持っているようです。
 日本の親は薄い強迫性格の子供をいい子だという傾向があります。試験の点数の高い有名大学ほど、こうした性格傾向の人たちが多く集まっています。試験には有利な性格なのです。整理整頓が好きで、確認を怠らないとすれば、点数はよくなりますよね。本当の賢さとは関係ありませんけれど。

・診断
 典型的な強迫性障害であるか、あるいは背景に(たとえば)うつ病などの病気がないか、そのあたりの鑑別が大切です。表面にあらわれた症状に対して薬を使ったり精神療法を試みたりしても、それは表面的な対応でしかありません。

・治療
薬物療法、行動療法、認知療法などがあります。特に薬は有望です。心理的なことになぜ薬が効くのかと考える人もいるでしょう。考え方は別にして、実際に効くということだけは事実として確かなことです。このあたりはまた脳と心に関して考える材料を提供しています。みなさんは脳と心と魂についてどうお考えですか?

・参考図書
神経症の時代」(倉田百三森田療法の森田、岩井などの評伝。その中心は強迫症とその治療)
「手を洗うのが止められない」(翻訳物)
「不安でたまらない人たち(?)」

3650
(基礎集団の問題)
子供の絵を日常見ている人がピカソを見たとする。また、未開民族の絵を収集している人がピカソを見たとする。そのときにどう判断するだろうか?いつも現代芸術を見ている人がピカソを見る場合。
その人の考える基礎になっている集団。それを基礎集団と呼ぶとして、それがどこにあるか。

いつも大人の精神障害を扱っている人が子供を診る。
子供一般が基礎集団で、その中での偏位として患児をみる人たちと、精神障害一般が基礎集団になって患児を診る場合と。

子供の精神疾患をどのように診断するか。子供は発達途上にあることを考えれば、異常と診断するのはためらわれることが多い。また、不思議なことに時間がたてばけろりと健常に復していることもないではない。だから、大人とはかなり違っている。

(許容度は大きい)→このあたりは内在する精神病理ではなく、自傷他害、つまりは迷惑の度合いで障害の程度を測っているところがある。子供に限らないが、脳病理と心の悩みの程度、社会の迷惑の程度、この三者を視野に入れて、病気の診断がなされる。議論はあるが、それなりの妥協点をみつけていくしかない。

子供だから、精神的不調の結果が大したことにはならない。自傷他害の程度の点で。
子供だから、親や世間は我慢する。許容度が大きい。

しかしまた、将来の自傷他害の可能性を考えると、楽観していていいわけではない。
(他害の内容)
また、他害についていえば、大人でいえばまず刑法・民法がある。そして社会の公序良俗がある。子供の場合、事件として成立する程度ではないとしても、いじめなどの形で、周囲にいる「傷つきやすい子供」に迷惑を及ぼすことがある。大人の社会の常識では「その程度であれば自分で自分を守ったらいいのに」と思われる場面でも、大きく傷つき、自分を守ることができない子供はいるだろう。子供の中にはそのような子供もいるのだということを前提にする必要がある。

(拡張された自傷
また、自傷についても、今現在の傷ではなく、将来苦しむことになるであろう傷つきも含めて自傷とすれば、大人の場合の自傷(つまり自殺)とはやや意味が異なるだろう。

3651
神経症の時代」渡辺利夫 TBSブリタニカ
・自然と社会は人間の本来に反することがある→不安。これは当然。むしろここから生の意志が生まれる。
・機が熟する。
・はからいを捨てたいと念じるはからい。これをいかにして捨てるか。
・自己の主観を事実と見立ててこれに恐怖する。
●主観と客観的事実を混同しているならば、これは真に妄想である。「空を怪鳥が飛んでいる」と言えば、それは他者によって検証可能である。「わたしは腹が痛い」と言えば、それは他者にとって検証不可能である。ただそれだけのことだ。「どうしてもわたしは腹が痛い」と言い続けるならば、「空を怪鳥が飛んでいる」と叫び続けるのと同等である。妄想と言った方が事実が明確になるだろう。神経質などという問題ではない。「そんなはずはないのだけれど、腹が痛いような気がして仕方がない」というのなら、神経質と言うべきである。

●とらわれの意識をどのように転換するか、あるいはそのままで受け止めるか。その課題にならば、自律訓練法が役に立つはずである。そのような目的を持って自律訓練法の解説を書けば役に立つだろう。
●途中には精神医学用語としての混乱も見かけられる。しかしそれは仕方のない範囲かもしれない。
・心の中に小さな波が起こる。それをしずめようとして波を起こし、さらに大きな波となってしまう。これは逆効果である。波をしずめるためには静かにしているのがいちばんよい。はからいを捨てて自然に身を任せることである。
・杭につながれたロバが遠くに行こうとしてぐるぐる回るうちに、だんだんひもが杭に巻き付き、いよいよ杭から離れられなくなる。神経症のとらわれはそのようなものである。

3652
単純なことであるが、「精神分裂病」や「精神病」「うつ病」という符号が実体とは関係なしに一人歩きしている。
素直な心の人は、あるいは言葉の意味を信じる人は、漢字で表現されたものから意味を汲み取る。
ところが実際には分裂していない分裂病は多い。抑うつ的でないうつ病もたくさんある。精神で病んでいない精神病も多くある。

言葉に振り回されている。名前の付け方が悪いのではないかと批判が出そうであるが、命名の当時の状況からすれば仕方のない面もあると考えられる。

語源に遡って理解を深めようとする態度は、危険を含んでいる。

3653
課題(1999年1月4日(月))
自律訓練法の教本を作る……いちいち他人の本を推薦しなくてもすむように。

こころの薬箱の話題
薬の説明
  一般に薬について、服用について
  個々の薬の解説
抗うつ薬
抗不安薬
自律神経調整薬
漢方薬
PTSD
耳鳴り
更年期障害
過剰診療の心配について
心理テストについて……何がどのようにわかるのか
自律訓練法について
森田療法に関して

3654
徳の問題も経済の問題にすり替えられていないか?あるいは影響されていないか?
豊かな時代、この豊かさを維持するために「消費」が必要である。
みんなが幸せな気分になるために微量のインフレが必要なのだ。
子供はどのように行動するか。子供はどのように楽しみを見いだすか。どのように生きがいを見つけるか。この答えは最近ではつまりは「消費」の問題であるように見える。
経済成長に寄与するかどうか、それが価値の源泉と言えば言い過ぎであるが、しかし微妙にそのような傾向がないだろうか?

3655
仕事か趣味か
仕事ばかりではたいへんだ。趣味を楽しみなさいという。転倒した話である。
本当は趣味など要らないくらいに仕事に没頭していればよいのだ。趣味を大切にするということは、それだけ仕事がいやだということだ。そのような人生でよいものだろうか?そのような人生を前提とした上で、趣味を大切にしなさいというなら、おかしな話である。

3656
親→教育者→カウンセラー→心療内科医→精神科医

普段正常を扱うか異常を扱うかの系列。
左ほど子供を正常として扱いたがる。右ほど異常と扱いたがる。
異常部分に目がいくか、正常部分に目がいくか。

精神科医の中にもかわった人はいる。「すべてはノーマルだ!」と。そうした人に信念はあるが根拠はない。

3657
精神病の中にもある神経症部分。
精神病になると環境への不適応は非常に大きくなるので、神経性的部分も大きくなる。

神経症
例えば、コンピューターで仮名漢字変換をすると、常に間違う。これが神経症。刺激に対して不適応な反応を返している。
精神病
ハードの故障。

3658
神経症の時代」渡辺利夫 TBSブリタニカ
・日常生活の中で誰にでも不快気分は生じる。「そんな気分もたまにはあろう」と受け流せば何も起こらない。その生理的事実を病的異常と感じ取り、これを振り払おうと格闘し、それに敗れて心が転倒していく、これが神経質である。普通の人は不快の気分がおこっても、それはそれとして日常の忙しい生活の中に埋没し、やらねばならない雑事をつぎつぎとこなすうち、いつのまにか不快気分は消え去る。神経質の人たちが不快気分にとらわれるのは、彼らの多くが完全欲において強く、きまじめだからである。完全欲の強い人は「かくあるべし」という規範によりみずからを処する傾きがある。「かくあるべし」という規範は「かくある」という世の事実によってしばしば裏切られる。したがって「かかるはずではなかった」という不快気分に陥り、その気分に執着していく。
●かくあるものとかくあるべしのあいだ矛盾と葛藤。
・向上発展の欲が強いから、自己を内省的、批判的にみつめる。向上発展を求めるが故に、それを妨げる可能性のある身体的、精神的病覚に関心を持たざるを得ない。実際には異常でないにもかかわらず、これに主観的にとらわれ、このとらわれが心に膠着してしまう。
・この主観的虚構性のからくりから患者を解放してやるならば、彼らは自己の向上発展を求めるその真摯さ故に、またねばり強い精神力故に、他の性格類型の人々よりも一層優れた人間活動の発揚をみせうるはずである。神経症者のこうした肯定的一面に光をあてたところが、正馬の症者観の特徴である。
●ごてごてした日本語。すっきりしていない。飾ってもさほど麗しくない。
・精神交互作用。

3659
答えはあなた自身の中にある。
なぜ答えがあると思うのだろう?

3660
教育の目的
1 エリート選抜
2 産業労働者育成
3 健全な市民の育成

3661
生きることすなわち消費という現状
食事、衣料、住宅、セックス、安らぎ、癒し、生きがい、プライド、すべては金を出して買う物になっている。
何を買うかがその人の生き方のポイントで、しかも、そこにまでアドバイザーがいて商売にしている。どの雑誌やアドバイザーを選ぶか、それがその人らしさ、個性という状態。

3662
病気が治らない場合。親に問題がある場合も少なくない。治療の行き止まりは親である。
渋谷さとみの母親。分裂病。娘はまあまあであるが。心身症でテスト前になると朝の腹痛。学校に行きたくなくなる。これは分かりやすい。
フェリスの拒食症の中村かなの母親。これは娘もとても変。しかし治療はまず母親から。この二例は成績のいい女生徒の例。

岩沢の母。子供は強迫症分裂病の傾向。母がとてつもなくおかしい。
てんかんのMR。鬼瓦の人。母親が赤のボールペンで予診表を書いた。母親がやはり病気。

母親の理解がねじ曲がっているので治療が進まない。親が病識欠如。
子供の場合、病識は親が分担している。親が壊れていると、病識欠如と同じ。
親子のシステムが病気を否認している。子供が病気であるということ、また、母親が病気であるということ。
巻き込まれていることもある。
ある程度は仕方がない。子供を悪く思いたくない。判断は甘くなる。
毎日見ているのだから、異常と健常の判断は甘くなる。
どうにかなるのではないかと解決をのばしのばしにする。それを愛情と思う気持ちもある。
また、子供の「異常」はなにより母親のせいであるとみなされる。親戚や世間の目があるので、異常と認めたくない。病識拒否といってもいい状態。

いわゆる「育てかた」の問題ではないが、もっと深い意味で親の問題である。遺伝の問題もある。

3663
論文で書いているほどには誰も立派ではない。論文は実践の記録ではなく、創作ではないか。
ヒステリー性の患者ならば、そうした創作作業に協力してくれるだろう。それはヒステリー性患者との協同疾患の記録かもしれない。

精神科医療の現実は重い。
しかし考えてみれば、内科でも外科でも結局は死につながる。その点では精神科はやや異色である。最終的な行き止まりとしての死が重いのと、精神科でいう、どうしようもなさの重さ。
どちらもどうしようもない。限界点で行き詰まる。

精神科では最善を尽くしても報われないことが多い。治癒が得られなくても、お互いに最善を尽くしたという感覚が残ればいい。しかし、治療者の意図が誤解されたり、被害的に解釈されたり、あるいは患者の持つ対人交流能力の障害により、この最終的なすがすがしさがない。
内科などで、結局は死んでしまったとき、家族に感謝されるか、恨まれるか、これはやはり医者は辛い立場に立たされる場面もあるだろう。しかし、思うのだが、最終的には人間共通の感覚として、理解できるところが多いのではないだろうか?
そのあたりが精神科医療には欠如していて、そのことを辛く感じてしまう人には毎日がとても辛いものになってしまう。

3664
子供の絵を日常見ている人がピカソを見たとする。また、未開民族の絵を収集している人がピカソを見たとする。そのときにどう判断するだろうか?いつも現代芸術を見ている人がピカソを見る場合。
その人の考える基礎になっている集団。それを基礎集団と呼ぶとして、それがどこにあるか。

いつも大人の精神障害を扱っている人が子供を診る。
子供一般が基礎集団で、その中での偏位として患児をみる人たちと、精神障害一般が基礎集団になって患児を診る場合と。

子供の精神疾患をどのように診断するか。子供は発達途上にあることを考えれば、異常と診断するのはためらわれることが多い。また、不思議なことに時間がたてばけろりと健常に復していることもないではない。だから、大人とはかなり違っている。

3665
欲求を満たすことと我慢すること
欲求を即座に満たすことを教育されて育った子供たち。欲求を満たすためには対人関係を破壊してもかまわないと思う子供たち。そもそもそのような利益の天秤がない子供たち。
我慢することに意味がないと思っている。確かにそうだろう。我慢しても実際の利益として報われることはないかもしれない。それがこの満ち足りた豊かな社会のありようである。
いちばん我慢をしない人がいい人生を歩いているのだろうか?
我慢は何によって報われるのだろうか?
我慢が何かによって報われると考えるのは虚妄なのだろうか?
心の中に倫理規範があり、倫理規範が確かに効力を持っているならば、我慢は報われるだろう。そうでなければ、報われないことの方が多いかもしれない。
新しいゲーム機が欲しくて親に頼む。だめだと言われたら祖父母に頼む。それでもだめだと言われたら大声で叫び、近所への対面を気にする大人の心理につけ込む。さらには‥‥結局は大人でいう境界型人格障害に似てくる。
対人関係よりも欲求充足が大切。この天秤ははっきりしているようだ。

3666
配偶者選択を間違ったばかりに、「人生に失敗した」と本にある。そんな薄っぺらなものだろうか。
確かに気候のいいハワイに住むことには意味がある。しかし寒くてつらい北海道に住んでみることも同じだけの意味がある。
要するに世界を確実に経験することである。どのくらいのものなのか、しっかりと経験することである。
それが暖かかったか寒かったか、そのことにはあまり優劣はない。

3667
順位性社会を生きている子供。それが現実である。社会制度としては平等であるが、本能は順位性社会を求めている。少年のあいだに順位を確定して、婚姻に備えるのだ。そのために順位を確定しなければならない。
制度を手直ししても、順位の本能は残る。

3668
人間に潜む邪悪さを顕在化させてしまう場所。たとえばインターネットはそのような場所である。またたとえば伝言ダイアル。最近の事件で。

社会全体が人間の欲望を開花させ最大化する方向に変化している。欲望を善用の方向に向け、平和を増進し、心の平安を増大させる方向の文化ではない。
人間の邪悪さは増幅される。人間の良心は窒息しかけている。

戦争兵器の開発。情報機器の開発。

3669
人と人とが憎しみ合い、争う。欲望と欲望を調停し妥協させる必要がある。それが政治過程である。政治的に成熟するのが大人になるということである。欲望の調停と妥協ができるということ。さらには欲望の善用ができるということ。しかしその意味では子供が多いままである。

争う場合のルールがあるはずである。ルールを無視していては動物以前の存在である。どの動物もルールに従って争っている。それが本能という装置である。
人間は本能が壊れている。壊れた本能部分を補うのは文化である。文化の伝達があってはじめてヒトは人になる。
人になりそこねたヒトが多いので社会は困っている。

3670
映像文化。行動で表現する文化。
文章文化。自己の内面で不満を処理する習慣。

3671
宗教の存在。→宗教とはいえないまでも、超越的なものへの感覚。
地域社会の存在。→顔の見える倫理。
総じていえば、倫理の消失。倫理とはつまり他人(他者からなる社会)の消失。

子供を魅了する「よいもの」「偉大なるもの」「憧れの対象」があるか。
子供を恐怖させる「恐いもの」があるか。

神のいない世界。
神のいない世界に倫理は存在するか。

他者が無視される社会。
他者がいない世界に倫理は存在するか。

不思議と謎のない世界。どのようにして自分の欲望を満足させるか、それだけが興味の対象。

3672
教育・啓蒙の効果
分裂病についての啓蒙→思春期(中学・高校・大学)
学習障害についての啓蒙→親

3673
それは医療の問題なのか。教育の問題なのか。社会の受け入れの問題なのか。その線引きに関してはいつも議論がある。
たとえばフリースクールの運営者たちの態度など。学校に行かなくても「自由なはずだ」という。どの立場からの話であるか。

3674
大分類1
従来からの診断分類……時代により分類しきれない場合も多い
被虐待児。
多動、自己抑制のない子。
精神障害
PTSD
強迫性障害

大分類2
攻撃的(外部に訴える)
ひきこもり(自分に訴える)
心身症(体に訴える、外部と内部の境界領域が身体)

大分類3
不安・葛藤を処理する場所で分類する
行動化→行為障害、非行、暴力、自傷他害
身体化→心身症
内面化(精神化)→苦悩

3675
対人関係を内在化する→心の引き出しが増える
家族構成の変化。多様な立場の人の内面の表出に触れ、その人を内在化し、場合に応じて引き出しから取り出すこと、そういうことができない。

少子核家族化による影響
心の内部にいろいろな役割の人が住んでいること。多様なアイデンティティを時と場合に応じて発揮できること。

3676
社会全体が豊かになり、少子化も伴って、家庭の居心地の良さと社会の居心地の良さに差がありすぎる。
家庭は暖かく、社会は冷たい。そこで引きこもる。

3677
親業の変化

3678
血縁サポートが消失。地域サポートへ。

3679
過剰な個体化。
厳しい環境下では集団化。集団の一部となることによって自分を守る。主体性を一部犠牲にすることによって、保険をかけているようなもの。
豊かになれば、個人主義でもやっていける。しかし、そうだろうか?人生早期からの個人主義は何をもたらすだろうか?
おそらく、個人主義で生き抜くためにはもっともっと豊かでなければならない。現状では中途半端な豊かさである。
だから軋轢も生じる。

3680
思春期スパート。その時環境は一定していた方がいい。そしてできればその時の環境がその後の人生の環境であればよい。行動様式を変えなくてすむから。
エストロゲン・スパート。人生に二度。二度とも、新しい人生のスタートの時点。それは合理的である。

3681
体験を格納する→感情の「旗」を立てて分類する。つまり、感情分類の網の目の数だけに分類される。感情が未分化だと体験を整理して収納することができない。
ひいては体験、葛藤、不安を言語化できない。つまり内面的に悩むことができない。結果として行動化や身体化する。

3682
最近の子供の行動化傾向
文化のあり方……映像
親のあり方……内面を問題にしない
家庭とは消費単位でしかない。その中の消費者として生きている。純粋消費者。企業は理性の未発達な子供をターゲットにしやすい。効率的販売。
倫理の変質。生産者の倫理から消費者の倫理へ。下部構造の変質が上部構造の変質に。(わたしたちは昔の人だからものを大切にしたいのよ)vs(こんな不便で汚いものは捨てなさい。みっともない。)
教育の変質。市民を教育しない。エリート選別と企業従業員の教育だけ。しかしそれすらも崩壊。
教育する側の問題。
茶髪からピアス、援助交際から非合法薬物まで
脳の構造→脆弱性
脳が壊れている。教育の限界。
幼稚園の変質。
学級崩壊。
公の場というものを尊重する気分に乏しい。
自分勝手な子供の増加。
中国の一人っ子たち。

3683
親は子供の外部理性である。それが壊れていたのではどうしようもない。

3684
男性ピラミッドと女性ピラミッド
女性ピラミッドのほうが価値多元的である

3685
母親の変化と母子関係の変化、そして子供の変化。

3686
登校拒否
暴力
摂食障害とくに過食
自傷行為
いじめ
校内暴力
児童虐待
ひきこもり(フリーターは以前は病的とみなされた。現代では必ずしもそうではない。かわってさらに重度の引きこもりがみられるようになった。)

3687
育てにくい子を支えきれない核家族

育てにくい子供と親への支援(多動、自己抑制のきかない子、衝動的)

学習障害、注意欠陥多動障害(→将来、行為障害や衝動統制障害に発展するか、発展を防止できるか)

3688
生育医療→小児科の拡大

3689
精神障害の早期発見と早期介入

3690
性周期に伴ううつ状態や行動障害

思春期の性の変化

3691
精神遅滞児がうつ病や精神病様症状を呈することは多い
適応障害から反応性の神経症状態になるのだろう。反応を起こしやすい。

3692
食事療法で発症を防止できた先天性代謝異常者が思春期以降に精神障害を発症することもある。

3693
児童虐待の発見、防止、介入の実際の方法→啓蒙

強い喪失体験の後の子供への援助→そのような援助があること、援助が必要で有効であることを啓蒙することができるか。

3694
年代  病態           背景にある家族構造
1950  赤面恐怖         家父長的家族
60   登校拒否         マイホーム主義
70   家庭内暴力、       ニューファミリー
    摂食障害
    手首自傷
80   校内暴力・いじめ     シングルマザー
    落ちこぼれタイプの不登校
90   児童虐待         夫婦別姓

虐待が後のボーダーラインや多重人格と関係しているか。(複雑型PTSD

倫理構造の変化
「社会の中での自分」像の変化

3695
同一性感覚の希薄な境界性障害
同一性感覚はしっかりしているが誇大化して柔軟性を欠いている自己愛性障害
いずれも身近な対象との関係の中で自らを発達させる能力を失った人格

「子供の世界」の体験の欠落
母親のコントロールできない自らの感情を子供が代わって処理してやる関係=「世話役の子供」

世代間境界が薄れている
子供に代わって親のほうが憎んでしまう、親機能の放棄。
→親は理性や超自我を演じる必要があるのに、そうしない。むしろ子供の子供機能を奪っている。

強迫的に子供の生活に干渉する、細かい父親。

3696
→ひとことで言って、子供の質の低下なのではないか。
体験を咀嚼する力の衰退。

3697
女性は一方では伝統的な女性役割を期待される。また一方では主張的で競合的であることを期待される。同一性を保ちにくくなる。

3698
1986年から摂食障害激増。初診時からすでに社会機能低下、学業成績下位、父は非専門職。社会階層を問わない。精神病理構造は強迫性から衝動性へ変貌を遂げている。

→強迫性から衝動性へ。

→衝動性をはぐくむ条件があるはずである。それは何か。
荒れすさんだ心。深い愛情を実感したこともない。そのような光景。ただ餌を与えられている。

3699
摂食障害の発症契機……受験や異性交際

食べることと食の本能の直接的結びつきが失われた。食の象徴的意味が大きくなっている。
→?実際の患者さんたちがそのような次元で悩んでいるとは思えないような気もするが。

3700
家族療法においては世代間境界を明確にすることが有効である場合が稀ならずある。