こころの辞典3401-3477

3401
生育歴に現在の障害の原因を求める方向。やはりもっと真剣に考えていいだろうと思う。わたしは病気主義に傾きすぎの傾向がある。

3402
女性の社会進出は何をもたらすだろうか。
進化の仕組みとして、優秀な、適応度の高い精子を選び出し、次の世代の適応度を高めるようにできている。そのために、男性は適応度の試験を課されている。それを見定めて、女性は受精に応じる。
女性の社会進出は、女性の側の序列化をまた一歩進めるだろう。従来も、男性をはかるのと同じ物差しで女性をはかり序列化することと、女性独自の価値の序列の併存が行われてきて、その故の混乱も生じていた。
今後はこの価値の複数化による混乱がさらに深まるのではないか。

3403
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学学陽書房
共依存は「偽の親密性」である。
・支配欲と愛情を混同している。
・自己評価が低く、他人によい評価をされても、その背後にある悪意を読みとろうと「マインド・リーディング」を絶えずやっている。これが一歩進めば妄想になる。こうした態度は彼らを孤立させ、その孤立が彼らの自尊心をさらに下げるという悪循環に陥る。
・表情に乏しい。
・楽しめない。遊べない。
・他人が自分をどう思っているかに気を取られて、楽しめない。
・他者からの「あるがままの受け入れ」が得られないことに早々と失望してしまう。常に寂しさの痛みをかかえ、これが彼らに人生を苦しいもの、生きる価値のないものと感じさせる。
・「その人に愛して欲しい」と思う他者に対する怒りや恨みを鬱積させ、ときに爆発させる。激しい怒り。これが心身症の形をとったり、摂食障害、薬物依存、ギャンブル依存の形をとったりする。
・自己処罰の傾向がある。
・親たちのために生きてきたのだから、親たちの期待からはずれたことを自覚すると自己処罰の感情にとらわれる。窃盗癖の場合でも、窃盗ではなく処罰に関心が向いている。
・無力感・離人感。
・診察場面でACに新たなトラウマを与えてしまうという失敗を犯すことがある。ACは人生にトラウマを呼び込みやすい人々である。
・酒や夫のために生きないで自分のために生きること。
・人のためにだけ生きて、自分の生に喜びを見いだせなければ、意味がない。

3404
精神療法
・宇宙の広大さに比較して、自分の存在や、自分の悩みが、どんなに小さいものかを納得していただく。140億光年の孤独である。人間の生の無意味さを心底まで悟っていただく。それが大切だ。それがもっとも根本的な精神療法である。
・解剖学の時間。徹底的唯物論。この塊がつまりは人間なのだという認識。そこから出発すれば、現世のいろいろなこともかなり小さく見える。本当の大きさを測定できる。心理的錯覚を訂正できる。
・人の死にゆく現場を体験する。この世に生きていることの大切さをもう一度思い出すことができる。「この桜の花の美しさ」をもう一度知ることができる。
・ときどきは、このようなものに触れてリフレッシュする必要があるだろう。

3405
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学学陽書房
・自分の欲望や感情に従って生きることをしないから「よい子」に見える。
●抑圧される前に自分で抑圧している。内在化している。それがよい子、分別のある子と映る。
・人の世話を一生の仕事として選ぶ人も少なくない。看護婦、ケースワーカー、医者にはACが多い。
●例えば、医者にはACが多いと言われて、そこでそんなに悪い気はしないのではないか。それがACのいいところではないか。他人の責任も自分の責任として引き受けてしまっているところが悪いのだ。他人の悪いところも、内部に引き受けてしまっているところが悪いのだ。堂々と、そんなことは自分に関係ない!と言い放つことだ。そのようにして切り離すことだ。べっとりとまつわりついてくるものにいつまでもつきあう必要はないのだ。
共依存性‥‥周囲の他者の必要を満たすことによって、はじめて自分の存在を肯定できるような考え方、生き方。
●自分自身は空っぽである。相互に他者を自分の人生の中身としている。中空である。そのような構造を意味があるものと考えたこともあったが、実はそうではない。それは病的な姿であった。そう考える。
・ACのもう一つの側面、怒りと攻撃性。パワーへの渇望を心に秘めるようになる。
・アリス・ミラーは精神分析に一種の精神的暴力を認め、一定の距離を置くようになった。

3406
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学学陽書房
・ACは、憎悪の対象であるはずの親に似てくる。
●必ずしも憎悪だけではないが、親の問題点を反復する。「否応なしにはまっていくメカニズム」が、実に不思議である。「刷り込み」のようなものだろうと思う。
・迫害者の親イメージは分割され、パワー部分は神格化され、憎悪部分は他者に転化される。
●転化の語は正しいか?
・被虐待少年は過酷な生活をファンタジーで癒す術を身につける。
●日本の私小説家たちは、この種の人たちが多いのではないか。石川啄木太宰治。?
・ドイツ女性たちのACとしての要素が、権力者ヒトラーへの共鳴を呼んだ。
●日本ではオーム真理教の問題が記憶に新しい。教団に集まった人たちの中に、分裂病の人が沢山いる。正常度のやや高い、リーダー層の人たちには、マイルドな精神病の人たち、性格障害の人たちが、かなり含まれているだろう。そのような人たちの混合物である。
●また、藤沢病院のデイケアを核として成立している劇団。中心部分には性格障害者たちがいて、周辺部分には分裂病者たちがいる。これも宗教団体と同じ構図であろう。
・自己を癒す必死の手段として、ヒトラーの演説があった。
●こうした病理が、個人の病理にとどまらずに、社会の病理にまで拡大して行くところに問題がある。多分、宗教という現象は、このような成立過程を持つのだろう。
●何が健常で何が病理であるか。それは政治の問題だとも言えるだろう。多数決の問題である。「現実との照合」という面と、「多数決」という面と、両面がある。

3407
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学学陽書房
・家とは、人工子宮が子供の成長に沿って拡大したもの。人間は早産で生まれるから、生後数ヶ月は親の腕と胸が作る空間(人工子宮)の中で過ごす。
●家という空間。育成、刷り込みの空間。子は逃げられない。
・この世界には一定の秩序と連続性があり、自分の生は周囲の人々から支持されている。この信念を破壊するのがトラウマである。世界観に亀裂が走る。
●それを「人間不信」と言ったりするのだろう。世界観という観点で診察室で問題にする人は少ない。しかし同じことだ。彼らにとって世界とは他人のことだ。
・生後初期に群から切り離された場合、たとえその後群に戻され順調な発育を遂げたとしても、群に混乱が生じてストレスが高まったりしたときには、攻撃的な行動や極端な引きこもりが見られる。
●生後初期にこうした意味でのストレス耐性が決定されるのだろうか。「ストレスに弱い個体」は、集団にとって何か意味があるのだろうか?それとも単に、淘汰されるべき、無価値の個体なのだろうか?
●ストレス耐性の低い人は社長になってはいけない。危機に際して頭が真っ白になる。しかしそれでは、成長過程の劣悪な環境がすべてを決めてしまう印象である。劣悪な生育歴「にもかかわらず」立派に人になる、こうでなくては説得力がないではないか。
●しかしスポーツ選手の場合にも、骨格の成長など、臨界期に充分適切な環境にあることが大切と考えられる。脳でも同じではないか。臨界期に心に「隙間」や「空洞」ができると、それ以後、その上にいろいろな構造物が乗せられることになる。危ない。もろく、崩れやすいものとなるだろう。

3408
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学学陽書房
●生後初期の分離体験は、生後初期に、強いストレス下での適応を強制されることだ。そのような個体は、ストレスに強くなるはずではないか?なぜなら、そのような劣悪な環境下でも生き抜いたのだから、それだけの強さはあるはずである。ストレス試験に合格したから、今生きているということになるだろう。それなのになぜ、生後分離体験のない者のほうが成長してから問題が少なく、分離を経験した者は後に障害を発生する可能性が高いことになるのだろう?
●生後初期の分離体験が、心に「ひびを入れる」。それは分かる。ひびの入った心は、いろいろな局面で、ひびの影響を受けるだろう。ひびの入っていない陶磁器のほうが丈夫で長持ちするだろう。
●脳の成長のプロセスで、本来予定されていないストレスにさらされて、予定外の成長をたどることはあり得るだろう。それは結局は「破損」と評価されるべきことなのかもしれない。
●しかし、生きていれば、心にひびを入れる出来事はたくさんある。最初のもろい時期にひびが入ってしまい、しかしそれでも生きているのだから、それ以後のひびには強いのではないか。
●心の古いひびと新しいひび。ひび割れ。
男児の場合、被虐待児は加害者に同一化することによって、恐怖と絶望を防衛する傾向がある。
●悲しい連鎖である。しかし仕方がない。それがこの世界の構造である。あえていえば、初期条件を定めた者の責任である。結局どんなことも本人に責任なんてないのだと、精神科医風に語りたくなる。脳の損傷も、生育の欠損も、あるいは何かの過剰も、本人の責任の範囲ではない。

3409
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学学陽書房
・暴力の目撃者になることも、トラウマになる。
●内山の例。父は外に女をつくり、母に暴力を振るう。足で顔をけって、指が目に入り、母は失明した。いま父はその女と暮らしている。そして母を責めたのと同じような調子で、いま内山を父が責める。気に入らないという。
・「やさしい暴力」
・子供への期待の圧力。親の価値観の押しつけ。親の夫婦関係は冷たい関係にあることが多い。
・夫は仕事依存。家族とのかかわりが極端に薄い。夫に置き去りにされた妻は、子供との間に情緒的距離を保つことができず、母子間軽は極度に密着して、親と子の分化が充分でない。姑の存在など、上の世代からの圧力にさらされている場合も多い。
●夫に置き去りにされた妻は、子供を完璧に育てることで、見返そうとする。夫は妻を、「役に立たない、世間知らず」となじる。その批判に答えるために、子育てに熱中する。完全に支配し、「成果」を上げようとする。成績を上げさせる。そのことで夫に対して、姑に対して、自己主張している。子供は何だろう?ただの道具である。子育てを通じて夫と姑に対抗している。子育てを通じての自己実現といった程度のものでもない。完全にそれ以下である。
●姑に対しての対抗心も強い。姑は夫を育てた。それ以上の子供を育てなければ妻の「負け」である。
・親は子供の世界観に侵入し、これを暴力的に制圧する。親はその暴力性に気づいていない。親自身がすでにその心を他者に制圧されているからである。

3410
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学学陽書房
・父は職場の期待を読みとり、その期待に沿って生きる。母は夫や姑の期待を読みとり、その期待に沿おうと共依存的な生き方のなかに溺れていく。「子供もまた、親の期待を読みとり、その期待を満たす方向に生きるべきである」と親が考えたとすれば、この考え方がすでに暴力的である。これが「やさしい暴力」であり、「見えない虐待」である。
●自分の大切な人のために生きるという標語は美しいものとして定着している。宇宙戦艦大和は、「愛する人を守るため」に戦うのだった。
●いい成績を上げ、立派な人になることを期待されている子供。あなたがわたしの生き甲斐なのよと言われて育つ。その期待から逃れる方法はない。それは立派な親だから、反抗しようがない。
・統制と秩序、効率性。これを子供に押しつける。
・よい子たちは、真の自己とは無縁な、偽りの自己の鎧を着込んで、喜びの少ない生涯を送ることになる。
●喜びを味わうこと。
・よい子たちの多くはいずれ親の期待を満たすことに絶望するようになる。
・何らかの挫折体験をきっかけとして、家庭内暴力が始まる。
・絶望のサインを親に送る。これまで言ったこともない要求をする。
・要求をのむと騒動は大きくなる。子供が本当に求めているのは、個々の要求ではなく、自分の存在そのものの「承認」である。「わたしのほうを見て」「わたしそのものをそれでいいと言って」というメッセージを親が汲み取ることを求めている。
・自己処罰の傾向が事態を複雑にする。親による処罰がさけられないところまで、自らを追い込む。

3411
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学学陽書房
・暴力の結果として生じる家族関係の変化は、結局荒れる子供の母親の「隠された意図」とを実現したり、「表現されない怒り」を表現したりしているように見えることが多い。
●なるほど。こうした側面はあるかもしれない。
・子供の暴力は、危険なまでに融合した母子関係(情緒的近親姦)を切断し、息子と母の距離を広げることに役立っている。
●母と息子、母と娘、この非対称な関係。
・「お母さん、あなたは空虚です。」「自分の中身を充実させて欲しい。」青少年たちが母親を「ロボット」と呼ぶことはまれではない。
●自分の幸せ、自分を充実させる、そんなことを言われてもどうすればいいのか?カルチャーセンターに行って趣味を見つければいいのか?そのように困惑していた人もいた。自己実現の感覚に乏しい。
●誰かの応援団になることでその人を部分的に(できれば全面的に)支配する生き方。自分がプレーヤーにならない。自分は観客席で応援したり、監督になって指示を送るだけ。
共依存の母子カプセルはスポーツ選手やタレントの場合を考えるとわかりやすいかもしれない。母はマネージャー、子はタレントまたはプレーヤーといった場合。勉強もその延長にあるだろう。
●そんなに勉強が大事なら自分が勉強すればいいのだ。そう母親に言えばいい。また妻に言えばいい。
・息子の迷いと自分の迷いを区別できない母親。
●変なカウンセラーの害は大きいものだ。無責任である。しかしそのことを自覚していない。事態が悪化すればそれは子供や親の責任。改善すれば自分の手柄というわけだ。

3412
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学学陽書房
・親たちのミーティング。「まず親の治療から」。妻の共依存、夫の仕事依存と「男らしさの病」。
・暴力を振るう子供の問題点は、暴力と「理解されない要求」という形でしか、親たちに思いを伝えられないことだ。
・治療者にできることは、子供のメッセージの意味を親たちに通訳し、親子間で途絶したコミニュケーションを回復することである。そのためには、親たちに聞く耳を備えてもらう必要がある。自らの価値観を変え、人間として成長していただくことが不可欠である。うまくいけば、子供は親たちの問題を引き受けることをやめて、自分自身の問題に直面するようになる。
●母子癒着のカプセルの中で、母親の葛藤を子供が苦しむ。暴力や登校拒否の形で苦しみを表現する。まさに一体である。子供が学校に行けないということを今度は母親が苦しむ。それは自分のコントロールが失敗しているということでもあり、また、子供が苦しむべきところを母親が代理で苦しんでいるということでもある。
●母の心の中には子がいる。子の心の中には母がいる。このようないれこ構造ができている。どこにも「中身」というものがない。
●しかし考えてみれば、中身とは何だろう。せいぜいが趣味程度のもの、よくて仕事、しかしそれもどうも人生の中身、人間の中身というには疑問が残るのではないか?母子癒着で生きている母親に限らず、人間一般に、空っぽなのである。また逆に、中身があるなどと本気で思っているとすれば、そちらほうが甚だしい思いこみではないか。
●空っぽなのはむしろ自然である。空っぽのままでいいのだ。そこを他人で満たそうなどと思うから、いけない。そこは神の通り道である。時々神の風が吹いてすぎる、そのために空けておかなければならない。

3413
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学学陽書房
●だから結局、適当に距離をとるということだ。盲目になって、この子が大好き!などといっているうちは、妄想状態である。妄想で考えられている子供と現実の子供との間に差がある。その差を縮めようと子供は努力する。適当な範囲に縮まればよい。しかし縮まる前に子供が息切れしてしまうことがある。そのとき子供は、現実のこの自分が大切か、親の心の中にすむ幻想の子供像が大切か、二者択一を突きつける。そして親に拒まれたとき、こどもは自分を認めろと交渉を始める。
●しかしまた逆に、子供も、親の中の幻想と張り合うのもいい加減にしないといけない。それは親の心の中のことである。子供が全部支配できるわけではない。その点では距離をとることが必要である。人それぞれのファンタジーを抱いて生きている、それだけのことだ。母親はそのファンタジーを子供に押しつけてはいけない。子供は母親のファンタジーを捨てるように強制してもいけない。現実は現実、ファンタジーはファンタジーである。どちらも大切である。厳密に一致させる必要はないではないか。なぜ適当に距離をとっていられないのだろう。「距離をとることが必要だ」と知識として分かればそれでいいのではないか。
・家庭内トラウマが起こった時点で子供の心の成長は停止する。
●しかしなぜそうした困難を、自分のプラスの教材として主体的に読解することができないのだろうか?辛いことでも、人間や世界のあり方の一面として教材とすればいいではないか。全面的なマイナスの体験というものもないだろう。読解する力の問題ではないか。そこに何が書いてあるか、分からないだけの話ではないか。そうしたことの導きをしてあげるのが親というものだろう。→これが先輩の仕事である。辛い体験があったとき、それをなかったことにするのは親として正しくないだろう。

3414
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学学陽書房
・ACにとって、外界は自分を迫害する恐ろしいもの、自分は迫害を逃れるためにカメレオンのように変化する主体性を欠いた存在。
●無力な自分が生き延びるための方法。自分を変化させること。記憶を変化させること。主体性を捨てること。都合の悪いことを分離すること。
●自分があまりに無力なうちに分離を体験した場合は、こうした「無力である自分がいかに世界に適応するか」「圧倒的に強力な迫害社に対していかに自分を守るか」といった課題に、「生存のためには自分を変えて、主体性を捨てて、生き延びる」といった方式の戦略で臨むことを学習するのではないか。
●成長に見合った適切な課題が必要である。子供に重すぎるバットを握らせるようなものだ。骨折してしまう。
・ぬくもりと安全感を与えるグループ。
・君はそのままでいい。君はそのままでこの世界に受け入れられている。
・「どうしてこの家を嫌いながらこの家を離れなかったのか、いまでは分からない」
・成長の始まりは、問題に名前を付けること。
・ACの成長は、①安全な場所の確保、②嘆きの仕事、③人間関係の再構築。
・偽りの自己を捨てること。真の自己にかぶせられた偽りの自己は、外敵の攻撃から身を守るためには有効である。しかし一方では、真の自己を窒息させてしまう。
・ACは、共依存的自我を手放そうとしない。手放したときに自分を襲う新たなトラウマを予想し、その恐怖にうち勝つことができない。「苦悩の中の安定」に身を置き続けようとする。

3415
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学学陽書房
・「わたしはすべてを犠牲にして、この娘のために生きています」と語る母。
●しかし、こうした共依存的生き方にも理由はあるのだろう。進化論的有利さがあるのだろう。たぶん、生存環境がもっと厳しくて、自己実現どころではない環境では、有効なのかもしれない。栄養と睡眠をとり、病気から身を守る、それだけのことで全部のエネルギーを費やすような環境下では、共依存的生き方が有利なのではないか。
●また、農耕民族の中では共依存的生き方が報われる生き方だったのかもしれない。狩猟社会では、共依存的生き方は報われることの少ない「病的な」ものと映っていたのではないか。
・まず力の抜き方を覚えていただく。
●アルコールにはまる人が何と多いことか。民間の安定剤である。
・援助が急すぎると、かえって彼らの自尊心を傷つけ、力を剥ぎ取ってしまう。→再度の傷つけにつながる。
・よちよち歩きの幼児が転んだとき、幼児の立ち上がる力を信じられる母親は、幼児を見守るが手を貸さない。泣き声にも動揺しない。立ち上がった子供の力を称える。子供は自分を見守る母親の瞳の中に、自分の力への賞賛を見いだす。それを肯定的自己イメージの素材とする。
・こうした見守り(ウォッチング)には、時間と心のゆとりが必要である。ゆとりを欠いたとき、母親は性急に抱き上げたり、叱りとばしたりする。このような体験を繰り返す子供は、自分の能力を自覚する力を発揮させることができず、母親に依存し続ける。
●その母親にとってはそれも利益である。

3416
ある大学講師。「同級の彼らが遊んでいるときに、自分は勉強していた」と語る。恨みがこもっている。彼はそのようにして自分の未来に投資してきた。だから、その未来を手放すことができず、姑息な手段を弄して組織の中で生き残ろうとしている。しかしその未来は彼にコントロール可能なものではない。不安定要因が多すぎる。そこで彼は深刻な葛藤状態に陥る。彼にしてみれば、当然の報いを要求しているだけなのだろう。彼は自分の未来に投資したのだから。しかしそれは保証のない株投機のようなものだ。報われないからといって、誰のせいでもないではないか。
そのような彼の葛藤が周囲の人々を傷つける。痛ましいことである。

3417
心療内科の患者がこんなに多いなんて、やはり現代の社会のあり方に問題があるのではないか。
不安神経症自律神経失調症不登校などがこんなに多いなんて思わなかった。
軽症精神障害。入院が必要なほどではない。

3418
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学 学陽書房
・「よい治療者は、わたしをコントロールしようとするのではなく、わたしが自分で自分の行動を決めるのを助けてくれた」
・援助するつもりが、逆に新たなトラウマのきっかけを作ったり、本人の力や自尊心を剥奪してしまったりすることが多すぎる。
・安全な場所とは何か。
・「先生はわたしの話だけではなく、わたし自身に関心を持ってくれる」
・肯定的自己イメージを徐々に人格に統合する。
・自分が狂っていたのではなかった。狂っていたかに見えたものは、極端なストレスへの正常な反応だった。これが現実に即した認識である。
●このような説明がいいだろう。患者を育てることができる。診断はしばしば患者を切ることになる。
・自分が安全を売る商売をしているという自覚を持たない治療者から安全を買おうとしても無理である。
・まず食欲と睡眠の安定を図る。不眠や不安をコントロールすることは自分を守る第一歩である。
●この説明もよい。薬でコントロールできるのはこのあたりです。その先の精神的なことについては薬は届きませんと説明するのもよいだろう。
・なぜあなたが危険な場所にしがみついてしまうのか、そのわけを理解し、その場所から去りましょう。
・ACはACに出会うだけで、孤立感から救われる。安全な場で、こうした出会いがあるといい。

3419
クリニックに行かないと母親の機嫌が悪くなるから。そう言っていた息子。その後でカウンセラーに、「いい年をして、化粧濃くて、男がいると色目を使って」などと悪口を言っている。そんなに母親が好きか。嫉妬してどうする。やはり母子分離が必要だ。あるいは、もっと高級な防衛機制を使って欲しいものだ。それが大人というものだ。

3420
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学 学陽書房
・まず心理教育的な講演会を六回程度。聴衆として話を聞くという受け身の態度を維持している限り、過度の情緒的動揺を体験することもなくてすむ。
・集団の目的と、方法が指示的に与えられる。どのように振る舞いどのように考えればよいか、悩まなくてすむ。
デイケア場面でこれが必要だった。患者に理解がなく、さらにひどいことに職員の側にも著しく理解に欠けている人たちがいた。何を、何のために、どうすればいいのか、分からないまま、患者の病理に巻き込まれていく。巻き込まれていることが優しさで、その苦痛に耐えることが専門家だと誤解している。
・グループというものは、成立と同時に、グループ維持のためのルールが生じ、メンバー間の秘密の共有やタブーの発生に犯される。あらゆるグループはこうした腐敗に犯されやすい。
●こうした集団力動の特性を理解した上で運営しないとうまく行かない。さらにこの上に個々の人間の病理が重なるから複雑である。
・ようやくの思いで人に話したところ、ばつの悪さと屈辱感、罪悪感だけが残ったという場合、語る相手を間違えたのである。
●アドバイスはしばしば相手を傷つける。こうした傷つけへの感性がないといけない。
・トラウマ体験を話すことは、退行と依存を生じさせる。それが相手の共依存性を刺激する。共依存関係に入り込み、お互いの成長が停止する。その関係はいずれ破綻して両方に新たなトラウマを与える。
●語ることで再度傷つくことがあるわけだ。

3421
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学 学陽書房
・年上の男性セラピストと若い女性セラピストの組み合わせは禁忌である。彼らの問題は基本的に男性による「権力」支配の問題に関連しているから、男性の権力がグループに浸透しているような場では、回想も悲嘆も発展しない。
・初期の個別面接では、回想は感情を伴わない単調な繰り返しであることが普通である。
・「クライアントから投げ出される連続写真やサイレント映画の一部のような回想の断片に、音楽やセリフをつけること。」(ハーマン)
・イメージの断片を記憶として統合すること。
・「家族のアルバム」から気になる数枚を抜き出してもってきてもらう。
・子供のうちから成人としての責任や役割を負うことになってしまった場合、その嘆きは人格に統合されることなく、「内なる子供」の悲嘆として、いつまでも残る。
●このあたりの感覚はよく分かる気がする。「子供のうちから成人の役割を引き受けた」そのことがなぜ、後年になって苦しさとして残るのだろうか?一種の恨みとしてとらえてよいのだろうか?
・恋人と別れるという喪失が、小さい頃自分が親に愛されなかったということによる喪失体験を呼び起こす。こうして自分の中の過去と向き合う。
●このあたりは精神分析的感覚。
共依存自己は、外傷を受けた真の自己の傷が、歪んだ形で覆われて生じるもの。偽りの自己でもある。
●その内側に真の自己がいる。

3422
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学 学陽書房
・「でもわたしは愛され、悩みを聞いてもらい、面倒を見てもらって当然だったのですよね。わたしがわたしらしく成長していくためにも、そうしてもらうことは必要だったのですよね。」
●なるほど。こうした平明な感覚がいいかもしれない。しかしどこか少女漫画の世界のようだ。
・グリーフワークの涙には怒りが含まれている。
●残酷で抑圧的な母親に対する涙。
・空虚感と寂しさと無気力に打ちのめされては救いを求め、そこで癒される代わりに治療者に反感を抱き、最後は嫌悪と反感を抱いてそこから離れる。これを繰り返して次々に治療者を渡り歩く。
●基本的に親またはその他の重要人物との関係を反復するのだろう。
・グリーフワークの基本。自分というものについての物語を編むこと。自分について語ること。物語を聞き手と分かち合うこと。
●ここに治癒が成立する。
・シェアリング(分かち合い)が始まる。
・他人から何かをしてもらうのだと誤解したまま、漠然とセラピーに参加していても、何も起こらない。
・聞き手の批判や査定や解釈は話しての安全感を脅かすので、厳重に避ける。
・話し手は自分に誠実であること。
・語ることは精神的ストリップではない。「ここで話せるのはここまで」という話しての判断に誠実であることも大切。「自分の心を守ることに誠実」。

3423
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学 学陽書房
・貧しい家の中で長女として家族を支えてきた。自分には人並みな子供時代というものはなかったという恨みのような感情。
●一生の財産ともなるような大切な時期を、自分が「立派」だったばかりに逃してしまう、その悔恨。自分がだめな人間でそうなるのなら仕方がない。諦めもつこうというものだ。しかしそうではない。立派だから、そうなってしまったのだ。これは悔恨に値するだろう。
・人格は変わる。それは世界の認知の仕方の変化による。
・新しい自己の創造。‥‥自己を守り、自己を傷つける相手と戦うことを学習し、トラウマに再び出会うことを防ぐ術を身につけた新しい自己である。
●なぜ自分で自分の利益を守らないのだろう。それが不思議だ。利益というものの内容が違うのだろうと思う。おそらく、もっと別の利益を守るために、自尊心を犠牲にしているのだ。自尊心を傷つけても、一人になるのが恐いという人は多い。
・夢想を具体的な計画に変える。自己の限界を受け入れた上で、自己に備わった力を自覚し、それを着々と伸ばすことができるようにならなければならない。
●自己の限界を実は彼らは受け入れていないのかもしれない。
・ACに固有の、他人への不信感。
●他人への不信感は世界への不信感ということだ。人間には絶望するが、自然を愛する、自然に慰められる、そういうこともしばしばある。
・悲惨な過去の体験を受け入れ、その過去が自分の将来に影響を及ぼすことを拒否しようと考えている。
●これこそ大事なことだ。自分の人生を自分で守る。

3424
患者は何を言って欲しいのか。それに敏感であることだ。彼らは真実を欲しているとは限らない。慰めを欲していることもある。背中を押してくれる人を求めていることもある。言葉には有効な時期がある。

3425
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学 学陽書房
●本当はそのように自分で自分の人生を守ったりしなくても、自然のままに生きて、神(または偉大な何か)の摂理のままに身をゆだねることができれば、最上である。「なされるがまま」である。なされるがままの哲学は、人間と世界を全肯定しているように見える。果たしてそうだろうか?人間と世界の全否定の上に成り立つ、徹底的な無力感ではないだろうか?
・わたしを守るわたし。
・親の援助を受けていては、親の支配からも離れられない。
●物質的前提、下部構造から考えていくことの必要。
・「あなたはもう、一人で生きていく力を備えているのに。」
・「もういい加減に親を怒るのはやめなさい」「過去のことなのだから」「親だって大変だったのだから。それを理解して和解しなさい」といったようなことは一切言わないようにしている。

3426
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学 学陽書房
・家庭内に閉じこもって暴れている子供は退行(子供返り)している子供である。自己流に「内なる子供」を表現してグリーフ・ワークしている人たちである。せっかくグリーフ・ワークに乗り出したのだから、怒りを、特に親に対する怒りを途中で抑制させないで、これを用いて家族関係を変える努力を親の方でしてみることが大切である。
●閉じこもりを退行と規定して、そこから始めるのがよいのだろう。わがままと見えるものは、内なる子供の表現である。子供の頃に甘えきれなかった、内なる子供の発露である。そしてそれをきっかけとして、親の生き方、親の側の家族関係を変えるように努力する。
●親が不幸せだから、閉じこもる。このようにはっきりと公式化するとよい。だから、親が幸せになることが必要だと結論が出る。
・暴れる子は、自分の体を張って、親(特に母親)の表現されない怒りや欲望を表現している。家庭内で子供が暴れている家では、数年もすると夫婦関係の改善が見られるようになる。
●これが家族を一つのシステムと考えるということだろう。
・親自身が、子供であったときの親との関係で傷ついた自己を直視できるようにならなければならない。
・怒りは欲求不満を訴える一つの方法である。訴えが届けば止む。届いていないから続く。子供の言うことに「でも」と応えてしまうから届かない。
・今までの人間関係の中で感じていた怒り、不幸、惨めさを全部親に振り向けていたメカニズムが変化し、「この頃なんとなく生きるのが楽だ」という感覚が生まれ、その感覚が過去の親に対する恨みの感情を癒す場合がある。

3427
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学 学陽書房
・親に対する怒りや嘆き、親からもらえなかったものに対する嘆きを自覚する必要がある。それに気付かず、漠然とした恨みになっているときは、自分を犠牲者とか、被害者だとか思いこんでしまう。原因も分からないまま、どこの場面に行っても、犠牲者になったり被害者になったりする。
●それは他の誰からでもない、親から貰いたかったのだと主張していいのだ。
・人に嫌われるように振る舞っていながら、わたしはどこに行っても邪魔者にされると言う。みんなが怖がって寄りつかないのを、「いつも孤独だ」などと言っている。
・問題の中核には親との関係がある。しかし面接の中で親との関係の話になると、クライアントの方が親を弁護することがある。親への怒りを否認する。その場合には面接では深めない。グループに導入して、仲間が親について語る場面に立ち会うことを薦める。親に対する怒りは、ある程度グループになじんでから、はっきり表現できるもののようである。
・私たちは親を選べない。変えることもできない。
・私たちの人間関係の成長は、「親があのようである」ことを受け入れるところから始まる。親を変えることの魅力から離れることができたときに始めて、現在の自分のまわりに存在する温かい人間関係に気付くようになる。
●親を変えたいとする欲望。なるほど。そうかもしれない。

3428
東京ラブストーリー
・その時心の中で「お母さんごめんなさい」と叫んでいた。‥‥面白い。
・愛としがみつきの区別。
・別れに弱い体質。
・恋愛嗜癖
・人間の心理を拡大鏡のように見せてくれる。
・なるほどと感じるのは、自分の心のどこかに同じような病理があるからだろう。

3429
心を殺された私 緑河実紗 河出書房新社
・「ショック」が与える、「それ以前の人間と、そのあとの人間」「同じ人間でありながら、別個の人間になる」という過程が、表現されている。村上春樹の小説。
サリンの怖さというものは、これまでに一度も言語化されたことのない種類のものです。だから被害者の方も、本当の意味では、その時の恐怖感をまだきちんと言語化できていないのだと思いますね。結局うまく言語化できないから、そのかわりに身体化するしかないということになります。感じていることを言語に置き換える、あるいは意識化する回路ができていません。だから仕方なく無理に押さえ込んでしまおうとする。でもいくな懸命に意識で押さえ込んでも、身体の方は自然に反応してしまいます。それが身体化ということです。
●よく言われることではある。例えば歴史の中で見ると、性の抑圧、女性の人権の抑圧、日本では家父長制による人権の抑圧、こうしたものがあった。最初は疑問を呈する言葉もなく、反抗の言葉もない。後には明確に言葉が与えられる。例えば、日本の家父長制の犠牲になった人たちの、意識化されない苦悩が身体化した症状としてどのようなものがあったか?
言語化すれば、身体は悩まなくてすむのはなぜだろうか?言語空間に代理の現実が出現し、そこで体験がなされ、脳内の処理は一段進展する、それでもいいわけだ。脳にとって、現実空間と、言語によって創出された空間との本質的な区別はないのかもしれない。→これは妄想論にまで通じる問題である。

3430
心を殺された私 緑河実紗 河出書房新社
・圧倒的な力による、無力化、孤立無援化。自力が及ばず、抵抗が望めない体験。
・通常の範囲のショックの場合、その後のケアするシステムが人間の内部にある。しかしそのケア・システムでカバーできる範囲を超えるショックが与えられたとき、心的外傷となる。1 恐怖に圧倒される。2 出口のない罠のような状況に陥れられる。3 消耗の極致にまで追いやられる。人間の限界までの「孤立無援と恐怖」が特徴である。
・暴力に対する抵抗も闘争も可能でないとき、人間の「自分は大丈夫」という安心感覚を伴った自己防衛システムは圧倒され、解体に向かう。
●闘争と逃走が可能でないとき、つまり戦うことも逃げることもできないとき、それがストレスの本質だろう。戦ってしまえば、また逃げてしまえば、終わるのだ。しかし終わりにすることができない。その場合、アドレナリンによる行動体系が無効である。しかし相変わらずアドレナリンは分泌され続ける。多分、アドレナリン過剰は、別の系のスイッチとして働くのではないか。そこで学習された無気力とか、うつ状態とかが発生しそうである。言ってみれば、一種の自爆装置のようなものか。自分を抹殺することによって、集団に奉仕するのではないか。闘争も逃走もできないのでは、生きることができないということだ。
・自分の症状について明確化できない苦痛。
●これは大きいだろう。わけが分かっていれば、辛くても耐えられる面はあるかもしれない。「一体何が起こっているのか?これは何なのか?これからどうなるのか?」こうしたことについての理解が本質的に重要である。これは宗教でも、民間伝承でもいい。理解のフレームが与えられる。

3431
心を殺された私 緑河実紗 河出書房新社
・自分は汚れて、無価値であるという感覚。
●これが自尊心の傷つき。
・できるだけ早い自己受容が、早期回復につながる。問題を隠蔽することではなく、反対にリフレーミング(問題の引き直し)を行う必要がある。
●リフレーミングが必要であることは痛感する。感じ方や考え方に、硬直が見られる。あたかも洗脳されたような、マインドこんとろーるでも受けているような、普通の感覚や理屈が通じない部分がある。そこが「とけていく」ことが、回復の第一歩だろう。そのような「通じない部分」ができてしまうのは、やはり孤立ということと関係があるだろう。
・羞恥心、敗北感、異常な憎悪、自責、否定など。これらが背景にあるので、心が硬直してしまう。
●やはりリラックスするには自信がないといけないのだろう。普通の自信でいいし、親との普通の結びつきでいい、それさえあればなんとかなるのだが。
・遭遇した事態を、自分の責任=我慢してやり過ごすと考える。
●何か失敗したときに、親に失敗しましたと報告できない人。失敗したこともショックなのに、親に叱られることが二重のショックになる。そもそも失敗がショックなのは、親が背後にいて、にらんでいるからだろう。
●どんな子供でも、自分が無力な時代から親は親なのだ。だから親には好かれたい。それが精神の習慣である。その親を失望させたり、怒らせたりするようなことはしたくない。そこで何か起こっても、親には報告しないで処理しようと考える。

3432
心を殺された私 緑河実紗 河出書房新社
●このあたりは親も考えないといけない。ダブルバインドになっていないか?失敗を報告すれば叱られる。報告しないことが分かればまた叱られる。結局、報告しないし、さらにはばれないようにするしかない。親の愛をつなぎ止めるためにそうせざるを得ないのだ。
・泥棒を招いてもてなしたようなものだ。
・人は何か害にあったらここまで怒っていいんだ。沈黙しなくてもいいものなんだ。私なんかレイプされても耐え忍んでいたのに‥‥。
・闘わなきゃ、それで自分なりにこの問題をクリアしなきゃ。
●闘って、勝つ感覚、それが大切ではないか。その後の自分の自尊心の基礎になるのではないか。我慢してその場をおさめることは大人のやり方ではあるが、しかし泥棒に都合のいいやり方である。自分が泥棒だから、「世の指導者」は、そのように忍耐を語るのではないか?世の怒りを静めるためには、まず自分が怒りを捨てることだというのだ。そのように怒りを捨ててもらって都合のいい人がたくさんいるのだ。
●わたしもかつて、怒りを捨てることの大切さを考えていた。それが聖人君子の教えであった。世界の平和につながる、人間社会の高い徳であると考えた。しかしそうだっただろうか?そんなことですましているから、いつまでたっても悪ははびこっているのではないか?有効な抑止力を真剣に考えず、ただ許すことを語るのは、泥棒の味方ではないか。
●人民からの搾取という構造の上に文化が成立している。そこで下に向けて語られるのは、奴隷の道徳である。
・本当に我が家はおめでたい一家なのだ。人を疑うことを知らず、人の気持ちを考える。
●世間体もある。自分が我慢するのではなく、娘が我慢すればいいのだ。結局、この処理しきれない痛みは共有できないものである。「大人になりなさい」なんて平気でいうのだ。
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心を殺された私 緑河実紗 河出書房新社
・好奇と困惑の瞳は即刻、分かる。医者、弁護士、警官、誰もがもっていて、わたしが何度も刺された目だ。理解しようとしない「あの目」には身が縮まる。
●なるほど。ここを「被害的成分」と決定するのが、精神科医の役割である。そのようにして現在の体制を維持することに貢献しているのだ。
・半年にわたる心理療法が必要。言葉を活用する。
・「同情も何もいらないので、専門的に援助して下さい」
●なるほど。しかしこれに適切に応えられないのが辛い。こういうことに対して「わたしが責任をもってあたります、お任せ下さい、悪くない結果を保証します」とは言えないはずだろう。分からないことやできないことについては、正確に言葉を返す方が誠実だと思う。それが拒絶に聞こえるとすれば、考え直す必要があるけれど、しかし悪い商売人と同じにならないように自己点検する必要がある。誠実な気持ちで、できないことはできないと伝えなければならない。
・「安全環境での長期にわたるストーリー再構築」
●薬剤に対しては否定的。薬を使うのが普通になってしまい、薬なしではいられなくなってしまうと考えている。なぜそんなことを考えるのだろうか?周囲にそんな重症の人がいたのだろうか?
・本当に深刻な事態に直面すると、人間は言葉すらも失ってしまう。
・もし、心的外傷を、我慢しよう、耐えよう、許そう、こちらにも落ち度があったのだからと考えていたら、こう言ってあげたい。それは無理で不可能である。

3434
心を殺された私 緑河実紗 河出書房新社
●奴隷の道徳を、精神科医も説くのだろうか?耐え難いことを耐えられるようにするために、安定剤を処方するのだろうか?そんなことがあっていいはずはない。
・いままでのまともな時間と人生を返して。症状も全部なくして。わたしのいいところも、きれいさも、全部返して!
・専門治療期間からの否定は、孤立無援、無力、自己無価値感を深めた。
・この時期手を離さないでいてくれた他人というものがありがたかった。
●治療者は、これもできる。治すことは難しいが、手を離さないでいることはできるとはっきり伝えたいものだ。
・忍耐が美徳とされる社会通念があったとすれば、それは個人を殺した上で成立していたのではないか。
・物語るということ、ストーリーを再構築するという認識は、あらゆる心の葛藤に適応するようだ。

3435
「眠らない女」酒井あゆみ 幻冬舎
●風俗関係の女性の聞き書きの形をとっている。生育歴、家族歴、現在の職業意識、異性に対する感覚など、おおむね項目を決めて、描いているようだ。筆は滑らか。
●まるっきり、アダルト・チルドレンものの延長の感じがする。ACの具体例を、症例報告としてまとめた趣である。
●「何か満たされない感じ」をうまく描いている。境界例的な側面。
●夜の仕事をしていると、昼の仕事のイライラがあまり気にならなくなると、何人かの人が語っている。相対化できるというか、他人を見る見方に違いがでる。
●客を軽蔑している人も多い。自分はそのような客を相手にしているのだと深刻に嫌悪する風でもない。
●要するに金である。最初に借金ができてしまって、という例もある。一回生活レベルをあげてしまうと、もう元に戻せないという事情もある。例えば、証券会社勤務の人。客はみんな金持ち。すると自然に金遣いが荒くなり、自分の給料だけではやっていけなくなる。その他に多いのは、金銭感覚のおかしさ。金のためだといいながら、稼いだだけ酒を飲んだりしている。(なかにはしっかりしている人
もいるけれど。)
●決定的に病気というわけではないけれど、やはりすこし病的な人たちが多い。マイルドな病理が覆っている。
●他人に「必要とされる」感覚を求めている人たちも多いようだ。
●家族関係ではやはり共依存の関係がずいぶんでてくる。男関係ではまさに問題ありの人が大半である。どうしてこうなるのだろうか。
●「退屈さを嫌う」言葉も多い。刺激のある生活を好む。好奇心に満ちている。
●夜も昼も働いて、よく疲れないなというのが印象。一人で部屋にいて何か考えなくてはいけない時間を回避している、そのために懸命に働いている、そんな印象もある。
3436
母子カプセル。母子癒着。
子供がうまれたとき、「全く無力で、自分の世話を受けないと生きていけない生き物が、わたしを必要としている」という事態を経験する。これは大変嬉しいことだろう。生きる理由が見つかる。全く無力なものから必要とされる。
これは支配の快感につながる。
相手が無力のままで自分を頼りにしていれば、母親の快感は持続する。子供に生活能力がないままであれば、母はいつまでも楽しいだろう。
男子はは母に世話をしてもらい、結婚してからは妻に世話をしてもらう。かしずかれるとも言えるが、支配されているとも言える。
子供の自立は母親にとって痛手である。「空の巣症候群」が発生する。子供がいなくなれば、母の生きがいも消失する。空洞があらわになる。
逆に、女性は結婚してから妻ではなく母になる。

男子が夫・父となるときと違って、女子が妻・母になるとき、大転換を経験しなければならない。それは辛いだろう。
子供時代は、男子と同じで、母親がその女子を通じて生きがいを達成する、という構造の中に生きていた。しかし突然、誰か他人を通じて(つまり夫や子供を通じて)、生きがいを達成するという存在に変わってしまう。
それが自然にできれば、とりあえずはいいのだけれど、後で空の巣症候群などを経験しなければならない。
一方、それが自然にできなければ、それなりに苦しまなければならない。

3437
「御直披」板谷利加子 角川書店
●レイプ被害者と警察官の間の書簡形式。くだらない。読み物としては下等。文章と教養が下等。程度の低い文学趣味。少女趣味と言ってもいい。ただ、だからこそ、一般被害者と、専門の物書きではない警察官の間のセンチメンタルなやり取りという雰囲気はでると計算したのかもしれない。

3438
アダルト・チルドレンの話。柴門ふみの若者の風俗漫画。
愛とは何だろうかと考え直す。
まず傷ついた心がある。生育の途中で傷ついたり、最近傷ついたりしている。
その傷をいやしてくれる人との関係を愛だと感じる。
例えばセックスもそうだ。セックスが人の心を近づける。髪をなでたり、昔話をしたり、リラックスした気持ちで打ち明け話をしたりする。それはとても人の心を慰める。秘密を共有するほどの親密な関係を持つきっかけになる。
しかし心の傷を癒してくれる人との関係が、愛なのだろうか?
柴門ふみの漫画で造形されている人物は、アダルト・チルドレンの要素がある。しがみつきを愛だと思っている。弱い者を手助けすることを愛だと思っている。共依存関係を愛だと思っている。分かれるつらさや一人で生きるつらさを回避するために、関係を続ける人たちがいる。
愛の定義なんかどうでもいい、男と女がいろいろな仕方で親密に関係する、それだけだ。そう考えてもいい。共依存が「悪い」、「改善すべきだ」となぜ言えるのか?そう考えてもいい。実際、そのような考えしかなく、その考え方の範囲内で生きて死んだ人たちもたくさんいる。考えてさらに不幸になるよりはよい人生だったかもしれない。疑問のない人生は、苦しみもあるが、安定している。自由という不安定に耐えるには強くなくてはならない。なぜ誰もがその程度までに強くなれると信じられるのだろう。
ドラマでも漫画でも、そこには共依存を描いて愛の物語とみなす精神の習慣が刻印されている。
次の課題は、共依存ではない愛を描くことである。それを本当の愛というべきか?それとも、また別の病理を癒す関係でしかないのだろうか?
逆に、病理のない人は、華々しい愛の物語を構成しないだろう。
柴門ふみの提示する人物は、共依存的でない愛を提示していない。自分の心の傷を癒してくれるパートナーを積極的に求めていいのだと語っているだけだ。かつてはそのように積極的にパートナーを求めることが不幸せの原因だと言われていたのだから、それは変化である。親の言うことを黙って聞いていればいいという時代ではなくなった。しかしでは誰を求めるのか?愛ではなく共依存であると言われてしまう。では共依存ではない愛はどこにあるのか?

トラウマから出発する愛と、母親のイメージから出発する愛があるだろう。前者はマイナスを補うための愛である。後者はプラスを保持するための愛である。
しかし考えてみれば、母親の愛とは、自分が赤ん坊であるという決定的なトラウマが基礎条件となって生まれた感情である。赤ん坊は徹底的に無力である。それは極限のトラウマだろう。
従って、すべて愛は、トラウマの補いを求める心から出発していると言っていいだろう。
人間の心には原理的に大きなひび割れがある。そのひび割れを修復するために、異性の愛を求める。
男女の愛は、母と子の反復である。いわゆる女や妻はない。母があるだけである。女や妻として生きていると思われる人たちも、やはり母である。子どもとの関係でそのような行動をとる母は存在する。その母を反復しているだけである。
女の子は、両親に、どのような母になるべきかを教えられる。男の子は、両親に、どのような子であるべきかを教えられる。

3439
臨床場面で、スルピリドの聞き方が全く違う。男と女は別に考える必要があると痛感させられる。

3440
女装をして楽しむ人。どこかが壊れているのだろうか?本人は少し苦しそうである。

3441
時間遅延理論。周辺事項。

自閉。現実をいきいきと生きていない。現実との生ける接触の喪失。これは荻野のあげた、「自動的に」定期券を見せて改札を通るという例と似ているだろう。
自意識の関与が薄くなった状態。
他意識の作動だけがある状態が自閉である。としてみてはどうか?

感覚→処理→運動
これが神経系である。処理の部分が上の方向に複雑化して、抑制や促進で構築されたものが脳である。
反射経路や小脳は、処理の自動化である。迅速に省エネルギーで行う。
この状態の純粋化が自閉状態である。(自閉と名付けているものは一つではないだろう。)

3442
共依存・男女の愛
支配されているかのように見せかけて、実際は支配している女性。支配しているように振る舞いながら、実際は支配されている男性。このパターンが共依存には多いだろう。もちろん、この逆もある。
こうした男女の関係は、セックス場面でも明確に現れるのではないか。
欲望しているのは男性で、女性はそれを受け止める、または「処理」している、そのような構図。しかしその深層には、男性が欲望するように仕向けている女性がいて、その根本では女性が支配している。

愛していると言わせたい。必要だと言わせたい。言わせるように仕向けているのが女性であれば、支配しているのは女性である。しかしまたもう一段深く読むこともできるはずである。男性に、「君が必要だ」と言わせるように仕向けるように仕向けているのは男性である。
そうなってくると、どちらが先ということもはっきりしなくなってくる。

こうして入り組んだ「支配・被支配」の構図ができあがる。

セックスの最終局面では、男性が欲望しなければセックスは成立しない。日常生活場面でも、肉体的に強く攻撃性が強いのは男性であるから、能動的側面に関しては男性が受け持つことが多いだろう。また現代社会では金銭を家庭に供給するのは主に男性であり、その点から発する優位さもある。重大な決定に関しては男性が最終的に決定することも多いのではないか。しかしその場合、入り組んだ支配・被支配の構図により、実際は誰の決定かあやふやになる。

3443
痴呆のケアについて、地域医療の担い手として何ができるか、考える必要がある。
1)病院との連携をどうするかがまず大切。病院は一定期間を経過して病状が落ち着いたら、また在宅ケアにつなげる方向で考えて欲しい。しかしそれにはまず病院の態度が問題。そして次には、家族の考え方が問題。もう面倒くさいのはごめんだとの素朴な気持ちも分かる。しかしそれではいけない。うば捨て山になってしまう。
2)在宅で看取ることの援助。
(痴呆の程度とは別に、行動面での重傷度がある。さらにいえば、家庭介護の困難度がある。)
訪問看護、往診の活用。しかしなかなか難しい面もある。)
3)患者・家族教育。→痴呆の予防。始まりについての知識。どうなったとき何をすればよいか、教えておく。→これは青少年に対しての分裂病教育と同じ。中高年に対してのうつ病教育と同じ。
4)重症化を防ぐ活動。老人デイケアほど重くない人を、地域活動の中でいかに活性化していくか。→このあたりは地域コミニュティのありかたを問い直す活動になる。→会社に属し、地域に属し、血縁に属しという、複線のアイデンティティが確保できればよいのだが。

3444
中高年に対してうつ病教育を明確にしないのは、それがある種の人たちの隠れ蓑に利用されてしまい、結果として会社の生産性を低くしてしまう可能性があるからではないか。
生活保護とはこんなもの」と宣伝しすぎたらやはりまずい結果が生じるだろう。

一方、青少年に対する精神病教育は必要不可欠であると思う。

3445
病気が重い人ほど、薬を恐怖する。
つまり、薬恐怖という病気であると考えられる。現実把握が悪くなっている。結局、病気が「薬をのむな」と命令している状態に近い。

3446
性同一性障害
心が女性だから、体を改造したいという。あるいはその逆。
本質的には脳が間違っていると思う。
しかし、そうしたいのならそれでもいい。
やくざが入れ墨をしたり、小指を切ってみたり、そんなことに似ている。

例えば脳が「母親を殺せ」と命令する。母親が承知すればいいけれど、やはり社会的に許されないことだ。
ここでも原則は、妄想であろうと何であろうと、人に迷惑をかけない範囲であれば、自分の勝手だということだ。小指を切る程度は勝ってである。ピアスをするのも勝手である。
しかし性の話には生殖のことが絡むので、全く個人の勝手というわけにはいかない。社会の出生率、ひいては将来の社会の活力にかかわる。
二つの社会があって、一方は性転換手術を認める社会、一方はそのようなものを抑圧する社会であるとすれば、長期的に見れば、後者の社会は前者の社会を圧倒するだろう。生殖に関係しない人間だけが増えるのはその意味では好ましくない。

その欲望が病気に発するものであるとすれば、病気を治すのが筋ではないか。刑法はそのように考えている。
ペニスを切り落としたいという欲望が病気に発するものであるとすれば、治療すべきだろうか?それは刑法の範囲にはないから、自由だろうか?
自分のペニスは自分でどうとでも処分してかまわないのだろうか?

かまわないような気もするが。間違っている脳を止めることはできない。

3447
昔の嫌なことを思い出す悲しさ(1)
体験した事柄の中で、未解決のままに心に傷として残っている言葉や感情、情景。それらのものが、自分にとって何かしら許せるもの、受け入れ可能なものとして整理できていればよい。そうでないなら、何とかする必要がある。
忘れてしまえればいい。
そんなこともあったかな、と感情的に脱色してしまえればそれもいい。
しかし折に触れて思い出し、嫌な思いが蘇るとしたら、やはり心のケアが必要なのではないか。
こうしたことが原因になってアルコール症になったり、対人関係の不全が生じたり、自分の人生が充分いい人生だと思えなくなったり、そうした「症状」として結実すれば、それもまた解決への一歩である。
しかし症状として結実することはむしろ少ないだろう。
嫌な気分で、苦々しい思いで、思い出してしまい、そうした嫌な気分をどうすることもできずにかかえている。それが大多数だろう。
そうした心の傷をどのように解決できるか。
解釈変更の可能性はどれだけあるだろうか?
わたしは悲観的である。思い出さないようにすることができるだけではないか。思い出さないためには、今が幸せならばいいだろう。
今が幸せならば、「そんなこともあったね」「そんな人もいたね」「昔は大変だったさ」などと軽い気持ちで言えるのではないか。
たとえば老齢になって、昔を思い出したとき、どうだろう。老齢はどの人からも希望を奪い、力の感覚を奪い、や幸せを奪う。そんなとき、昔の嫌なことが記憶の中から洪水のように押し寄せたら、どんなに嫌な気分だろう。
解決は、そんな嫌なことはなるべく回避すること。それしかない。多少の嫌なことも受け入れられるならそれはとてもいいことだ。
3448
昔の嫌なことを思い出す悲しさ(2)
・やはり根本的な解決は、多様な解釈を可能にする教養を身につけることだろう。
・傷を他人に傷として返して、うっぷんを晴らすのはよくないと思う。そのことがまた自分の人生をよくないものにする。もっとも、他人に与えた傷は、それを傷として認知していない場合も多いだろう。
・傷といえば、鋭く傷つけるというイメージがある。そうではなく、むしろ精神の腐臭といったものだ。腐った精神の餌食にされてとても嫌な思いをするのである。
・例えば、先日の藤沢・東急ハンズで。3000円買うごとに抽選一回というサービスをやっていた。Tシャツを着た汚い身なりの35歳くらいの男性がやってきた。係りの二十歳くらいの女性が説明している。多分、こういうことだ。4000円のレシートで一回抽選した。その後で2500円の買い物をした。合計で考えると二回抽選できるから、もう一回引かせろというのだろう。係りの女性は、「一回抽選済みの印を押したレシートは使えない。そういう決まりだから、抽選はできません」と説明していた。男は納得しない。汚い言葉で怒鳴っている。女性は困って、そばにいた上司に委ねた。40歳くらいの女性は、一応話を聞いて、本当はだめなことを説明した上で、でもどうぞ一回引いて下さいと結論を出した。男は早速くじを引いて、参加賞ではない、ペンライトのようなものを当てた。そして立ち去るときに、若い女性のそばに行って、耳元で、また汚い言葉を投げつけたようだった。わたしたちはその何人か後だったが、若い女性はそっと目の端を拭っていた。ひどい場面だった。上司が方針を曲げたことも彼女には理不尽に思えたかもしれない。
なぜこのような目に遭わなければならないのだろうか。

3449
昔の嫌なことを思い出す悲しさ(3)
・ストーカーの被害にあった女性。いまだに後遺症に悩んでいる。なぜこのような目に遭い、さらに後遺症に痛めつけられなければならないのか。
・こうした「昔」をどのようにしていやなものでなくしていけるだろうか?こうした体験のどこに、解釈変更の余地があるだろうか?
・運が悪かった、世の中にはそのような人もいるのだと学習できた、そう思えというのだろうか?
・自分にも落ち度があったと思えばいいのか?もちろん、それはいつでも可能だ。そんな場所にいたことが第一落ち度である。アルバイトなどしなければよかった。変なことを言われたらすぐに上司に代わればよかった。いろんなことは考えられる。
・しかしそんなことは本当は学習しなくてもいいことだ。なぜそんなことで傷つけられなくてはいけないのか。
ドストエフスキーなら、「こんな世界の入場券はいらない」と言ってしまうかもしれない。神よ、これがあなたのつくった世界か。そしてこれがあなたが「配慮した」わたしの人生か。
・傷つけた者の責任が曖昧になるのなら、神に責任があるだろう。神はどのように償うことができるのか。
・同様のことは「不幸な家庭」にも言える。そしてさらに、不幸な家庭の場合には、「その遺伝子が自分にも組み込まれている」ということが、二重に人を打ちのめす。恨んで余りある人たちの遺伝子で、このわたしも構成されているのだ。その悲しさ。
・解決されない多くの涙。流されるはずなのに流されないでいる多くの涙。この世に満ちている。清算されずにいつまでも漂う涙。神よ、あなたはこれをどうするつもりであるか。
・むしろそのことを逆に神はわたしに問いかけているのではないか。「あなたはどうするのか」と。わたしはどう答えるだろうか。

3450
神経細胞の刺激・反応曲線の分類として、うつ型(depressive)、強迫型(anankastic)、躁型(manic)と分類できる。これらは連続して移行する分布として表示できる。
・これによって病前性格が表示できる。
・躁型神経細胞が躁期の後にダウンすると、この分布が一時的に変化する。当然、うつ型または強迫型が突出したパターンになり、かつ、そうしたパターンで生きることには慣れていないから、そのパターンで生きる技術に欠けている。そこでうつと強迫の混在した病状を呈する。
うつ病躁うつ病強迫性障害はこれで説明可能である。
躁うつ病‥‥うつ型と躁型の両方が突出したタイプ。躁病期の後に躁型細胞が機能停止すると、うつ型細胞が残る。そのときうつ病を呈する。
・単極型うつ病‥‥躁病型細胞は少ない。うつ型は多い。躁病期は軽くて目立たない程度である。しかしその時期に躁細胞は疲弊し、機能停止する。そのときうつ病を呈する。
強迫性障害‥‥これも躁病型細胞が疲弊して機能停止した時点でのパターンが、強迫型細胞成分が多いときと考えられる。

3451
川口さん。
・子供が言う。「僕が登校拒否してあれこれわがままを言っていたときの方がずっと苦しかったはずだ。その時に比べれば、いまはそんなに大変じゃない。」
・住宅も生活資金も潤沢に与えられていたとき、子供がうまくいかないとすれば母親の責任である。子供たちの中で出来のよかった次男の息子だから、少なくとも次男以上にはうまくいって欲しい。それができないとすれば、母親の遺伝子か、母親の育て方か、どちらかに責任がある。そのように義父母からの圧力があっただろうし、そのように感じて子育てをしていたはずである。
・今回義父母が倒産して状況が変わった。今度は義父母を責めることができる。義父母が謝る番だ。責任はわたしにあるのではない。義父母に責任がある。
・こうした攻撃性の発露である。義父母を攻撃してうつになって泣いているのである。
・お母さん自身は、「不登校になったときは大変だったけれど、お金があればなんとかなると思っていた。いまお金がなくなって、大変だと思っている」

3452
「子供に手を上げたくなるとき」橘由子 学陽書房・女性文庫
・痛快。「わたしは子育てが嫌いだ」
・男は男社会に守られて生きていける。
・「母親には、正しいことを教えてくれる人ではなく、受け止めてくれる人が必要である」なるほど。カウンセリング場面でわたしはどうしているか。
・中にカウンセリングの話と、小児科医の話がでてくる。これも面白い。
・カウンセラーはじっと鏡になっていた。「わたしをそのままで受け入れてくれた」。なるほど。わたしはそんな風にできているか?
・小児科医の話。教育委員会・保守的道徳の代表のような小児科医が、子供が病気になるのは母親のせいだと言葉の端々で責める。それに対して近所に開業した親切な小児科医がいて、とても救われた。そしてその小児科医はとても繁盛した。

3453
親身のふりをする技術。

誤解されそうであるが、これは単に患者をだますことではない。
・まず患者は親身に心配してくれる人を求めている。完全な味方を求めている。私心なく奉仕する人を求めている。その心に応えたい。
・しかし一方、過度に踏み込んで欲しくない。正しいことでもプライドを傷つけられるような言い方はされたくない。最終的に「正しい状態」になることを求めているのではない。幸せのビジョンを他人に決めて欲しくない。押しつけられたくない。
・そこで、親身にはなるが、踏み込まない。これが大事。
・一つの方法は、徹底的に聞く、しかし多くを語らないこと。これは親身のふりをすることでもある。

3454
徹底的に聞くクリニックをつくりたい。カウンセラーが余裕を持って仕事ができる、かつ、患者が拒絶されずに充分に話せるクリニックをつくりたい。

たちの悪いカウンセラー。独りよがり、視力の悪いカウンセラー。こうした人たちによる弊害を取り除きたい。

本来語られるはずの言葉を語って欲しい。何かの理由でせき止められている言葉を解き放つ場であって欲しい。

3455
「家族」という名の孤独 斎藤学 講談社
●会社または大人社会→家庭へのしわ寄せ→子供の適応障害。こうした因果関係が議論される。もっともらしいが本当だろうか?なにか説明力がありすぎて、疑わしい。
●集団性動物としての人間の本能が、どの程度この現代社会での人間の生き方に影響しているか、掘り下げて考えてみたらどうだろうか?家族とは何だろうか?
●原始共産主義的社会から家族を経て、個人まで。大家族から核家族。地域社会の崩壊。ただ単に隣というだけの関係。関係というよりは無関係。
●最近はキブツの社会も変貌しつつあるそうだ(1998年9月5日(土)付け朝日新聞)。豊かになったことの結果という。豊かになった人々は、個々の家族で食事をとるようになった。

3456
「自分のために生きていける」ということ 斎藤学 大和書房
●専門家がこうした啓蒙書を読んでいるということ自体、問題ではないかと思うこともある。量子力学の専門家が、アインシュタインに関しての一般向けの啓蒙書を読んでも仕方がないではないか。
嗜癖は退屈と表裏の関係にある。
嗜癖は代用満足であり、真の満足には至らない。だから次第にエスカレートする。
●退屈というより、欲求不満かもしれない。
●退屈するということは、レセプターが減少してしまったということだろうか。あるいはうつ傾向と言ってもいいかもしれない。ドーパミン不足と言ってもいいかもしれない。
・退屈感はある種の「寂しさ」を防御することによって生じる。
・退屈感や寂しさの基底には自己認識の問題が横たわっている。
・日常の中で感じるちょっとした違和感や自信のなさ。場違いな感じ。
・厳しすぎる自己監視装置。これが自己評価の低さにつながる。
・子供時代のトラウマの量と質が、自己否定の程度を決める。
・患者の自己評価を高めるのが治療者の仕事。
・「耐え難い寂しさ」‥‥●これが光源氏をつぎつぎに女性へと駆り立てていたものではないか。なぜ耐え難い寂しさか。答えは生育歴の中にあるというわけだ。母からの充分な庇護があったかどうか。一人で安心していられない人。だからこそ人を求め関係を求める。
●しかしながら、それは代用の満足であるから、真の永続的満足ではあり得ない。いつまでも求め続けさすらい続ける。どこにもない場所を求めどこにもいない人を求める。
・ジェットコースター人生。「おっぱい」を求め続ける。

3457
テレビで松井が打っているうちに家に帰ろう。

3458
若いうちは認知も揺れる。振り子のように。しかし振れた振り子は落ちて来る。だんだん中立的な認知に落ち着いていく。

3459
躁状態シュープ→postpsychotic depression
SとDの関連。

躁状態シュープの引き金になりそうである。
一念発起

DAMで、躁状態の後でDAになったとき、シュープが起こりやすくなっているように見える。
そのメカニズムは何か。

3460
シゾチーム

場の風に合わせる能力
変化力

単に対人距離が遠いというのではないのではないか。
場に応じて、対人距離を柔軟に変化させる能力。
どのチャンネルを使うかを適切に選ぶ能力といってもいいだろう。

レセプター変更力
変更可能性

ボリュームのようなもの

3461
DAM
抗うつ薬はMをupさせる。だからdepressionを反復しやすくなる。当然躁転もしやすい。

Aにアナフラニール。ダウンしているMをupさせ、全体のバランスをかえる。
しかし他の抗うつ剤よりもアナフラニールが適しているのはなぜか?

強迫の人はAが突出しているはず。アナフラニールを投与するとMがupする。相対的にAの突出は目立たなくなる。→しかしこれでは何も説明していないではないか。

3462
順位制社会

メスは自分の順位を何によって判断するか。
子や夫が道具にされる。
順位決定アクセサリーである。
自分がどうかではない、誰が自分を評価してくれたか、それで順位が決まる。

この事情があるから、メスの順位は一層複雑である。

3463
レセプターコントロールの具体的な方法。

3464
「自分のために生きていける」ということ 斎藤学 大和書房
●おっぱいを求め続けるジェットコースター人生もいいけれど、その人の求めている「おっぱい」は仮想的なものではないか。この世にないものではないか。この世にないものを求める人生は、恐ろしく空しいものではないか。必敗の方程式ではないか。結果は、「求めたが、得られなかった」となるしかないのだから。
源氏物語はさすがによくできている。エディプスは実の母を求めるが父の禁止がある。光源氏は実の母によく似た藤壺を求める。さらに藤壺に似た紫の上を求める。このような連鎖の系列が形成されている。次第に求めてもいい、許されるものになっていく。禁止は緩やかになっていく。許されるものになるに従って、強烈な感情は失われていく。原型はエディプスである。男の子のとっての母親というもの。求めても永遠に得られない満足。
母とその代理とのすり替えが、平安の宮廷の中で成立した。ここに実験的エディプス状況が成立する。
●罪の味が、恋をさらに味わい深いものにする。深みのある味になる。
光源氏は何一つ欠点のない完全無欠の男である。ただ、「おっぱい」に恵まれなかった。ここでも純粋型の「おっぱいの欠落」が提示されている。「おっぱい」を求めて永遠にさまよう。小さな恋と小さな満足はある。しかしそれは彼の求めるものの影でしかない。
・「安全な子供時代」と「人間としての尊厳」がない。そこでは自尊心が育てられない。そんな学校ならいかなくていい。
・自尊心をはぎ取られたまま、すべて自分が悪いと思ってしまう人が沢山いる。今まで、あなたから健康な自尊心や自己評価を奪い取っていたものについて怒れ。それによって傷ついていた自分をいたわれ。傷つけられたあなたが悪いのではなくて、傷つけた方が悪い。傷つけられたあなたは癒されなければならない。これ以上、自分を叱咤激励する必要はない。

3465
「自分のために生きていける」ということ 斎藤学 大和書房
・自分が受けた不当な扱いについて、正当に怒ることができれば、あなたの本当の感情がよみがえってきます。
・悩みも恵みである。それは成長をもたらす。
嗜癖は根本的に支配をめぐるパワーゲームである。パワーゲームの価値観の中に生きている人間は寂しい。
・誰かをコントロールしている間は、自分の無力を感じないですむ。
・こうした上下関係から抜け出して対等な関係を築いていくことが大人としての成熟である。
・親に強く支配された人ほど、パワーゲームから抜け出せない。
●特に子供時代はそうではないか?
●夫婦の間でも、これは多い。普段着の関係になるから、なおさら、地が出てしまう。
●大人になれば、自ずと多様な価値観の世界に住む。隣の人と価値観が違えば、パワーゲームも、お互いが自分の勝ちだと信じていられる。しかし子供はそうはいかないだろう。均質な価値観の中でパワーゲームは勝手に進行するのだ。
・相手との対等で親密なコミュニケーションは成立しない。
・過食することで周囲の人の情緒を振り回すというパワーゲームを始めてしまえば、過食を止めることはできない。周囲に、振り回される人がいる限り、「自分の思うままにコントロールしている」感覚が味わえるから、そのパワーゲームから降りられない。
・相手の中に何を見るかは、自分の心をのぞくことである。世界の発見は自分の発見である。相手の中に発見したものを愛せるかどうかは、自分自身を愛せる能力にかかっている。相手を抱きしめられる人は自分自身を抱きしめられる。自分の中の何かを排除し否定している人は、その部分を誰かの中に見たとき、その人を抱きしめられない。

3466
「自分のために生きていける」ということ 斎藤学 大和書房
・自分に欠けているものを得ようとして人を好きになるとしたら間違いである。
●そのような「必要」から始まる愛は、愛ではなくやはり「必要」というものである。
・自己評価が高く、自分自身がハッピーに生きていたら、他人にハッピーにしてもらおうとは思わない。
・普段はテンションが高いが、プライベートな場面ではなかなか憂鬱な一面を見せる人。それはとてもプライベートな心の一面を見せたということで、相手に対しての親密さと信頼をあらわす。相手はそのように受け取って、普段は人に見せないこんな深いところまで開示してくれて嬉しいと思う。「こんなことは君にしか言えないけどね」という調子である。そのような恋愛の戦略がある。実際にはただ甘えているだけである。
・「全人類を救うためにわたしは生きる」と考える人。ある程度共依存を昇華していると言えるだろう。
しかしこの場合も、全人類に必要とされなければ生きられないのだろうか?生きられないとしたら、やはり何かが欠けている。そしてその欠落を満たすために「人類のため」に活動するとしたら、やはりいい生き方ではないことになるだろう。
そうではなく、自分に何も欠けてはいないけれども、あるいは人類のためと力みかえらなくても楽しい人生を生きられるけれども、人類のためになることをしてみたいというのは悪くないのではないか。
人類のためにと空想して意味付けをしないと、現在の生活を意義あるものにできないとすれば、あるいは退屈な人生を我慢できないとすれば、やはり何かが欠けているのだろうか?
それは欠落をかかえた人生で、よくない人生なのだろうか?
そうではなくて、欠落をかかえていても、人に迷惑をかけないようにしなさいということだろう。
3467
別れた彼と会わない。電車は一本早く乗る。彼の借金のことを自分から調べたりしない。そのようにして自分の孤独を育てている時間があなたを成熟させる。
彼の抜けた穴がぽっかりと空くだろうけれど、それはどんな孤独でどんな寂しさでどんな怖さなのか、見つめること。それがあなたを成長させる。

バスの都合があって、彼と一緒に電車に乗るには、彼女が一本電車を待って乗ることになる。

どちらの電車に乗るかは、彼女が自分で決められる。

3468
補聴器でたとえる。レセプター理論。

補聴器のボリュームが大きすぎると、閉じこもり傾向になる。

しかしながら、分裂気質はそれだけではない。ある時急に対人距離がゼロになる。
それは場面にあった対人距離調整ができないということだ。
調整ができないので、いっそのこと最大にしておいて、危険を少なくする。うっかり近付きすぎたときの危険は何としても回避する必要がある。

3469
免疫不全状態→肺炎→咳
分裂気質(性格基盤)→分裂病不登校

性格基盤→背景病理→前景症状
遺伝的基盤 +生育歴 +生活環境

3470
源氏物語
最後の後悔。欠けたものを求め続けて、しかし満たされず、結局は一番大切な紫の上も幸せにできないままで終わる。幸せにできなかったのは光源氏の洞察力の不足からである。
しかし洞察には本質的に経験が必要であり、そのために時間が必要である。分かったときにはすべては遅い。
自分が父に与えた苦しみを、いま自分が味わう。その辛さ。それもまた愛ゆえである。

愛の情熱、エロスの奔騰をよいものと賛美するのはたやすいが、しかしそれ結果を引き受けることは難しい。これは人類の課題であろう。

時間が否応なしに人を押し流す。

3471
98-9-6
生きる喜びに見放された人たち

たとえばそれはうつの人である
診察していて、「それはうつのせい、うつが消えれば、そんな苦々しい思いも消える」などと言っている。実際そう考えてもいる。
しかしそれは、あなたの脳内の神経伝達物質の異常である、とイメージしているわけで、結局は、そうした悩みも物質レベルの言葉に翻訳しているわけだ。
悩みというものの実体を、神経伝達物質の異常、たとえばセロトニンの枯渇であるとみなしている。
では、自分の悩みも、そのように考えられるか?「人生はこんなに辛いものか」と思うのをやめて、「最近はセロトニンが少し足りない」などと思うのか?

しかしこの宇宙の歴史を考える。
意識が発生して、現にこのように言葉を綴っていることは、確かに驚異である。

3472
この今日の日付が一回限りだということ!

カラマーゾフの兄弟。アリョーシャが、子どもたちに呼びかける美しい場面。

人の声は人に届いて、人を変え、世界を変える。

そのために生きても、悔いはないではないか。

3473
嗜癖
むやみに語ること。むやみに書くこと。これらは嗜癖の一種である。現実的効用に乏しく、ただ自分の不安を防衛するための営み。

3474
背が高いことは少年時代の栄養状態の良さを意味し、つまりは少年時代の裕福さを意味している。
太っていることは、背の高さが伸びなくなってから、栄養がよくなったことを意味する。最近の裕福さを意味する。

3475
ピラミッドの形成期。
生殖年齢に達するまでにピラミッドは確定している必要がある。女性の生理が始まれば、そのときに魅力的に映る男性との間に子どもができる。初潮年齢までに競争の結果は確定する。

猿の社会をそのまま人間に当てはめてもいけないが。現代の社会をよく見て、語る必要がある。

3476
人間は殺人もする、皆殺しもする。大量殺戮兵器も作った。しかしその一方で、セックスを続け、世界人口は増え続けている。
殺人しながらセックスを続ける。これは面白いことではないか。
人類の希望はここにあるのではないか。

悪いことをしながらもいいことをしている。
現在を破壊しながら、未来を建設している。

一方で、
セックスも暴力に汚染されている。
人殺しも、高い理想に染め上げられる。

3477
わたしの手元に迷い込んだ小さな虫を見て、誰かの生まれ変わりかと思ったりする。潰そうと思った手をとめる。

3478
忘れられてしまうということ。この世界の記憶から。
例えば神はこの世界の詳細な記録を持っているのだろうか?神はそれほどこの世界に関心を抱いているとは思えないふしがある。作って、それきり。あとは放って置いている、そんな感じだ。

あったこともなかったことになってしまう。

あるいは、あってもなくても同じ。
この世界に何の変化も生じない。

いや、部分ではあれ