こころの辞典3301-3397

3301
病気未満の人のために、読むこころの薬。

3302
親切……親を切る。なぜ親切というのだろう。

3303
人間失格
過敏で、しかし、人間関係の常識を共有できない人。
現代においてますます増えている。
2×8タイプである。

3304
人の気持ちが分からないで、自分勝手に話し続ける人。そのことでまたさらに嫌われる。
この、特有のわからなさをどう理解したらいいのか。
他人の気持ちが分からない人について、どう考えるか。他人の気持ちというものは、原理的に分からない。だから、自分の気持ちを当てはめて考える。
当てはめる元の、自分の気持ちの発生の仕方、気持ちのありかたが他人とずれていたら、当てはめても間違うばかりである。‥‥性格障害。
気持ちの発生とあり方は他人と同じでも、それをモニターする部分で間違っている場合がある。‥‥内的盲目。

結局、他人というものが分からないのだ。どうしてこうなってしまうのか。脳の壊れ方の一つの典型である。

3305
うつは、病気というべきかどうか、難しいところもある。
神経細胞がダウンして、再び回復するまでの間、しばらく休むということなので、理にかなっている。むしろ、薬そのもののようなものだ。
疲れ切ったときに、休息を要求する。動きたくないから、食料を獲得することができない。しかし食欲がなくなっているからちょうどいい。
うつ状態が病気なのではない。
しかし社会生活の不都合という点から考えれば、働けなくなり、食欲がなくなり、睡眠がとれなくなるという点で、「病気」ということになる。

社会形態が違えば、うつはあまり目立たないはずである。不調になって仕事の能率が落ちたとしても、休んでいればいいだけのことだ。働けないからといって大いに心配するのはやはり社会の仕組みが関係している。
能率が落ちるとはっきり数字で分かってしまう。欠席も問題にされる。そのような社会が「この人はうつだ」を指摘し続けているのだ。

また、うつになる原因も社会がつくっている。原始社会で、人間にそれほどやることがあっただろうか?現代社会ではいくらでもやることがある。仕事はいくらでもある。なぜだろうか。貨幣制度が関係している。
例えば、農耕社会でも狩猟社会でも、働きすぎて収穫が多すぎると、腐るだけである。
現代社会では、腐らないような収穫がある。だから際限もなく働き続ける。そしてうつ病になる。

仕事が次から次にあるという状況は、最近のものではないかと思う。
犬も猫も、大して繁栄はしていないが、大して疲れているとも思えない。

人間の場合、活動と休息のサーモスタット(自動制御装置)が壊れているように思う。必要がないのにいくらでも働く、これが人間の特徴である。
その理由は、人間は現実を生きているのではなく、脳の中にある世界を生きているからである。

3306
軽症うつ病について説明。
・精神病ではない。精神病としてのうつ病との違い。
・同じ言葉を使っているので困る。
・反応性・ストレス因性である。
・大きすぎるストレスがないかどうか、評価。
・性格因がないかどうか、評価。
・治療の原則。

3307
うつの症状を植物にたとえる。
根は身体にある。しかしその枝先は、多くは心理面に及び、憂うつ、おっくう、悲観的、否定的な思考や感情に傾く。ときにその枝先は実存の次元に及び、生きていることの意味を問い直し、やはり答えが見つからないと嘆くようになる。
これは他の全般的な症状と考え合わせれば、うつの症状と考えてよいのだが、実存的問いだけを取り出してみれば、絶望しても無理のない、哲学・倫理の難問である。

3308
更年期のめまいには、心因性めまいが混入している。
これは、パニック発作と同様のメカニズムである。
パニック発作の図がそのまま使える。(図参照)

身体因に起因するめまいの再発を防止するためには、漢方薬を使う。
不安とめまい発作の悪循環を断ち切るために、ソラナックスが有効である。
この二段構えの処方が必要である。

3309
閉じこもりについての説明
1)レセプター×ドーパミン=の過剰
これは、レセプター過剰の場合もあり、ドーパミンの放出特性として、急激な立ち上がりを見せるものの場合もある。

2)強迫性障害が背景にある場合。
自分や周囲を完全にコントロールすることができない場合、オールオアナッシングの癖を発揮して、全面放棄してしまう場合がある。
自分が完全にコントロールできる場面だけに生活を限定してしまう。そうすれば、「完全にコントロールする」という目的は達成される。そのかわり、世界を広くありのままに味わうことは犠牲にしている。

3310
あるがままとなされるがまま
「大きなもの」「偉大なる存在」「神」「自然の摂理」「自然」、これらの言葉で表現される何かに、身を委ねること。
これは具体的な誰かの意志に身を委ねることとは全く異なる。
自分の内にあり、かつ、自分の外部にも遍在する「大きなもの」の流れに身を委ねるのである。それがなされるがままである。

3311
デイケアという行き場があるから、社会復帰の努力を放棄する。生活保護にでもなって、昼から遊んで暮らす。そのような構造に手を貸すのは、患者のためにならない。そして自分自身の人生として、よい人生にならない。
入院医療からデイケアへ、これならば肯定できる。しかし、社会からデイケアへ、この方向が多いので、デイケアは賛成できない。

しかし、では彼らはなぜ、自分を駄目にするような楽な選択をするのだろうか?それだけ辛い何かがあるとしか考えられない。

3312
夫が優しい場合、妻の自律神経失調症は治りにくい。
優しいといっても、その実体は無関心で、責任回避の姿勢である。優しくしておけば一番楽だというだけの、優しさである。本人のためを思って本気になれば、ことが面倒になる。本気にならないことが、優しさと映る。それだけのことだ。

3313
患者さんは何を求めているか?

めまいを消して欲しいのか?
めまいを起こして悩んでいる自分を受容して欲しいのか?

症状を消すことが仕事ではない。この観点が大切である。
生きる意味を回復させること。
存在の意義を回復させること。

犬伏さんは、その悩みは実存の次元にまで届いている。

患者さんは安心を求めて来院する。

決め付けとしての診断ではない。対話を拒むものとしての薬物療法や説教ではない。

3314
それぞれの立場で自分は正しいと思って生きている。
それぞれの立場を相対化する技術が、高次の認識というものだし、ストレスを相対化することにもつながるだろう。

3315
食事と愛情
例えば鳥の場合、親鳥が食事を運んでくれる。餌は親の愛そのものである。

拒食症の場合、餌=愛(特に親からの愛)を拒む面があるのではないか。
過食症の場合、過食をして確認しているのは、愛ではないか。愛があるのだと自分に言い聞かせたいから、過剰な食事をしているのではないか。
食事をとることで、こころのどこかで、自分は愛されていると確認しているのではないか。

自分は愛されているということを確認するための、強迫行為とみえる。

富地さんが故郷を思い、親を思い、過食に走るのは、愛情の具体的な表現を求め、反復して確認しているのではないか。

3316
自律神経失調症の構造分析
パニックの構造を援用できる。

身体因→めまい(その他の症状)→不安
↑ ↓
←(悪循環を構成する)

身体因→めまい(その他の症状)……この部分は心理的なものではない。治療は身体療法。漢方薬が有効であろう。

めまい(その他の症状)→不安
↑ ↓
←(悪循環を構成する)
……この部分は心理的なもの。抗不安薬が有効な部分である。

患者は、自分の症状のどの部分が本来の発作で、どの部分が心理的悪循環部分であるかを区別できない。

たとえば、バラアレルギーの人が、造花のバラを見ただけでアレルギー発作を起こした例。この場合にも、最初は身体因からなる発作であったものが、次第に心理的原因による発作に移行している。この場合にも、自分では分からない。

なぜこのような不必要な反応が形成されるのだろうか?

たとえば、運動が小脳回路によって自動化されることに似ている。いちいちアレルギー反応を起こさなくても、自動的に素早く反応が起こる。?しかしそれでは説明しきれない。本質的な意味では免疫反応は起こらず、ただ結果としての鼻水だけが出ている。なぜか?

3317
湘南心療内科……SSN,SNSNなど。略号化。
さらに約束処方として、SSN1,SSN2など決められないか。

3318
薬剤の説明のシステムを作ること。患者に何を伝えたいか、何を理解してほしいか、明確にすること。

3319
新星出版「(健康保険が使える)漢方薬−−処方と使い方−−」木下繁太郎(1990)
大磯図書館にあり。

3320
薬剤について、適切処方を決めるにあたって、個人差が大きいことを説明。
また、個人の内部でも、時期、体調、心理状態によって、差が大きいことを説明。
そのあたりを理解せず、単に「悪い薬」と考える人がいるのではないか。

3321
分裂病を、若年性妄想性障害と呼び替えてはどうか。
いつ、どんな症状があるかを言っているだけである。害は少ないのではないか。知的障害や認知障害といった言葉よりはいいかも知れない。

3322
カルチャーショックや文化摩擦と分裂病の発症。
特異的な原因とは考えにくいのではないか。分裂病でもうつ病でも起こるだろう。

内容ではなく、形式で考えたい。アイデンティティの問題などといっても説得力はないのではないか。むしろドーパミンで考えたい。

分裂病タイプの人は、新しい環境への柔軟性がない。具体的に言えば、ドーパミンレセプターを調整する能力が低い。このタイプの人が、環境刺激の変化にさらされると、発症の危険が高まる。細かくいえば、生育の過程で獲得されセットされたレセプター数に対して過剰な刺激が入り、ドーパミンが過剰に放出されると、幻覚妄想状態になる。環境が変わり、慢性的にドーパミンが多いのだから、レセプターを調整すればよいのだが、それができない。まるで関節が固くて動きが悪いようなものだ。

もう一つは、刺激とドーパミン放出量の曲線の特性が問題になる場合があるのではないか。すなわち、刺激が少し増えただけなのに、ドーパミンは急激に増えてしまう場合があるだろう。この場合にも幻覚妄想状態に到る可能性が高い。

3323
ミロの絵。子どもの絵に似ていると思うだろうか?子どもの絵との違いがわかるだろうか?
これがシスとトスンスの錯誤の例である。超越と後退の錯誤といってもいい。ミロを子どもの絵と混同して笑うのは間違いだし、子どもの絵をミロの絵のように賛美するのも間違いだろう。
それは脳のどの部分から出たものなのか?

患者の頭の中にあるものを、全否定して、すべてを混乱の産物とみなすのは間違いだし、視力に問題がある。
患者の頭の中にあるものを、すべて賛美するのも間違いだろう。

患者の親の中には、「病気ではない。ただいろいろと辛いことが重なって、心がもつれているだけだ。そのもつれをほぐすことができれば、すっかりよくなるのではないか」などと語る人も多い。

このような言葉が出る原因として、親の教養の低さ、親の側の否認など、親の側の要因がまずある。しかし一方では、子どもの側の変化が、激変ではなかったことを示しているだろう。少しずつ変化したのであって、毎日接する人にはそれは「自然な」変化のように感じられたということだ。

ミロは壁のシミをじっと見つめて、生じた幻覚を元にして絵を描いたことがある。彼はシュールレアリスムのただ中にあった。
ひょっとすれば、やはり子どもの絵とミロの絵に、本質的な差はないのかもしれない。

ミロが子どもの絵に優越していたのは、技術は勿論であるが、結局、人々はどのようなものに感動し、どのようなものをよいと認めるかということを学んだ、または知った、ということではないか。
大人の世界で流通価値のあるものを提出して見せた、そのあたりの心得。それが子どもとの差だろう。
子どもは、どう描けば、「元気のいい、いい絵だ」と評価されるかならば、知っている。しかしそれ以上の大志は抱いていないから、絵はその程度のものになる。

3324
分裂気質は相手の気持ちが分からない。循環気質は相手の気持ちが分かる。これが伝統的な言い方。
しかしそうだろうか?循環気質は相手の気持ちが分からないから、「自分は受け入れられている」と単純に信じることができるのではないか?
分裂気質は相手の「気持ちとは関係のないサイン」を気持ちのサインと誤解してしまう癖があるだろう。その点では相手の気持ちに過敏である。「自分は嫌われるのではないか」との気分が前提にある。
循環気質は「自分は相手に嫌われない」という、根拠のない前提があるのではないか。その前提の規定にあるのは、鈍感さではないか。

過敏と鈍感という対比のほうが正しいのではないか。

3325
人間は自分の行動を制御するときに、平均的でないと意識して行動するわけではないだろう。自分にとっての標準的な仕方で行動するのではないか。ということはまず、行動の基準のずれが問題になる。
内的な視力。自分の心の状態をモニターする力が問題である。

3326
自分のこころの状態をモニターする部分、つまり自意識。自意識がモニターしている感情部分、つまり「見られている意識」、猫も持っている意識。後者が集団の平均とずれていると、性格障害が起こる。平均とずれている自分の内部感情を、延長して他者を推定する。この結果、性格障害が起こる。
例えば、境界例の場合の、投影性同一視がまさにこれにあたる。

3327
外界の知覚‥‥幻覚と正確な認知
妄想と正確な認知

世界モデルを生成して、それを現実と照合してうまく適合するものを選択して残す。

照合プロセスでは外界知覚部分と、照合部分とを区別することができるだろう。それに応じて、障害も発生するだろう。

3328
境界例は、自信の世界モデルのズレを補正する機会が与えられないままだったのかもしれない。現代社会では、一人一人が生きやすくなった分、共同体としての一致度が低下しているのだろう。
固まって生きる時間が長ければ、それだけ集団の力が大きくなる。教育というのでもないが、集団からの強制力が働く。

3329
自律神経失調症
いつもある症状、持続的症状については、人間はさほど気にしなくなるものだ。ときどき出る症状だから、対比の効果によって、気になる。
自律神経症状は、ときどき出て、また消えて、また突然出るのではないか。その出現の様式がコントロールできないし、予測できない。だから困る。

また、症状を忘れているときは出ない。思い出して注意を向けると、途端に現れる。そのような特徴があるのではないか。そこに心理的悪循環が成立する。
ということは、症状の程度が、ちょうど「気にしなければ気にならない、気にすればやはり気になる」という程度のものだということだ。この種の症状が、森田のいう、「精神交互作用」の対象となる。

注意を向けるときには必然的に、悪い予感を持って注意を向ける。その時に「やっぱり!」という形で悪い予感は実現してしまう。この形の悪循環がここで成立する。
通俗の言葉で言えば「自分が症状を作っている」ということになる。

二種を区別できるのではないか。
1)持続して存在する。気にすれば意識に浮かび、気にしなければ意識から消える。
2)持続して存在しない。気にすれば存在を始める。気にしなければ存在しない。
痛みなどの主観的な感覚は、「客観的に存在する」ということと、「意識の内にある」こととの区別がしにくい。そこで、両者は混然となる。

3330
白いライオンレオ。ハンディキャップがあるにもかかわらず、なお他者に優越している。それは真の勇者の印である。

ナスカの地上絵で、尾を巻いている猿がある。尾は枝をつかんだりするときに使われる。地上絵では、実際の尾の巻き方と逆になっていて、実際の役には立たないような尾になっている。それにもかかわらず、他者と互角以上に渡り合える。そこに聖なるものとしての資格が生じる。聖なるものとして描かれることになった。

ハンディキャップがあるにもかかわらず、なお強い、ここに真の強いものとしての印がある。このような指摘。

病気というハンディキャップをどのようにとらえるか。

例えば筋肉隆々を強いものの印ととらえるような平板なとらえ方ではない。負の刻印が聖性を帯びる。

3331
ドラエモンはネズミに耳をかじられた。その時以来、ネズミが大嫌いで恐怖を抱いている。また、その時のショックで体が青くなってしまって元に戻らない。妹のドラミは猫の通常で、黄色い色をしている。

恐怖症とパニック、PTSDのドラエモンである。

3332
たった一度の経験が永久的な変化を残す。恐怖症やパニックなど。

このような事態が起こる背景には、遺伝的にプログラムされた回路が関与しているのではないか?通常の学習ではこのような強烈な刻印は起こりそうにない。
そのような回路の誤動作と考えるのがもっとも自然ではないか。

3333
蛇が恐いということは、遺伝子には書かれてはいない。集団内の他の成員の様子を観察して知る。そのような学習がある。模倣といってもよい。
患者はしばしば、よその人がこうなったからとか、よその人にいわれたからとか、テレビで言っていたからとか、影響されることが実に多い。そのような影響が特に強烈な人たちがいる。
これも、生存に関する他者からの情報を有効に生かそうとする本能の一部であろう。本能の部分的誤動作と言えるのではないか?
このタイプの病理が神経症圏の病気には少なくないのではないか?恐怖症やパニックなども。

例えば、他の成員が珍しいものを食べて死んでしまったとき、自分はそのようなものを食べないようにと学習する。その学習の様式が、誤用される。そして心気症が成立する。

一般的にいって、「消去の困難な刻印」である。こうした刻印を消去するのが治療ということになる。どうするか?

→以前読んだ、学習の様々な形態と、神経症の発生についての論文。治療については言及がなかった。
一度限りで、かつ深く刻印されるタイプの学習(たとえばローレンツの刷り込み)から、大人になってからの外国語学習のように、何度やっても忘れるようなタイプの学習まで。学習には種類があり、階層がある。

神経症(その一部であるが)になるとは、こうした学習のさまざまの層の中で、間違った層の学習が発動しているのではないか。そして間違うような脳の仕組みがまた別にあるのではないか。その詳細は、発症時の状況が語っているのではないか。?
→その関連で怪しいのは、精神分析でいう、退行ではないか。退行時には、脳の古い層が露出しているのではないか(もちろん比喩的な意味であるが)。あるいは疲労時。疲労して、現状から逃れたいと無意識に希望しているとき、?

3334
受診の手引き 治療を始める皆様に
・プライバシーの保護 これは大切
・診断面接 はじめの何回かは診断のための面接になる 急ぐ人もいるだろうが、焦ってはいけない
・心理テスト これまでのテスト 希望による
・治療 薬は希望に応じて 副作用のないものを使う 漢方薬を積極的に使う
・ブックリストがある 書店に置いてある
自律訓練法認知療法など、必要に応じて話し合う
・再診予診表に記入してもらう
・治療を中断するとき
通院をやめたいとき、転院するとき、入院するときなど、当院での治療を中断するときがあります。そのときには何らかの形で連絡して下されば幸いです。来院してお話して下さる方が多いのですが、場合によっては電話でも、郵便でもかまいません。ご本人でなくても結構です。次の主治医にこれまでの治療の結果を伝えることはとても大切なことだからです。

3335
再診予診表をそのままカルテに使えるように改善する。医師所見や治療内容を記入する部分を作る。さらに日付と氏名。

3336
ずっと続けてもらうことを期待しない。とりあえず四、五回を目標にするだけでよいのではないか。

3337
患者の自己決定権を尊重している限りは、患者は自分の知能以上の治療を受けることができない。この限界をどう考えるのか。

1.お任せコース
 1.1 相手が悪かった場合……最悪(やられ放題。チェックができない)
 1.2 相手がよかった場合……最上(相手の医師の知能を利用できる。この場合、医師に対するチェックは、良心または神が担当することになる。これを信用できるかどうか。)
2.自己決定コース
 2.1 相手が悪かった場合……自己決定に見合った結果(各種民間療法。しかしその担当者が主観的に自分の劣悪性を認識していない場合もある。自分自身も信じ切っていて、自分にも施行し、結果として悪い結果を招いている場合など、仕方がない。たとえば、その操作が意識状態や判断を曇らせる種類のものであれば、正しい判断に至る道はますます遠いものになる。曇った知性は、自分の曇りをはらす要因を遠ざけ、曇りを固定させる要因を自ら作り出しているものだ。)
 2.2 相手がよかった場合……自己決定に見合った結果

専門知識を有していない人の場合、どう行動すればもっとも利益を得られるか、それが問題である。
個々の治療法について選択するというよりは、「この人に任せよう」という選択になるだろう。
この医者は患者の利益よりと自分の利益のどちらを尊重しているか、それを判断することになるだろう。
専門知識そのものよりも、態度の問題、人柄の問題になるのではないか。
あるいは、そのような意味での「道具立て」の問題になるのかもしれない。

3338
神の領域を侵すものとの考え方
たとえばクローン人間の話など。なぜそれを神の領域と考えるのだろうか。そんなことを神がオペレートしているはずはないだろうに。生命科学の領域はいままでなじみがなかったから、そのように感じるのだろう。
たとえば写真が例である。写真を撮ると魂が薄くなるなどという人もいた。新しい技術が技術として受け入れられる前に、呪術的世界観との交代の時期があり、その時期にはいろいろなことが言われるのだ。
総じて愚かなことである。

3339
診察室で。たとえば「背骨が曲がっているから、いろいろな症状が起こる。毎日通って治さないといけないと言われた」などと聞かされる。うんざりするのであるが、それでも、整骨院のほうがわたしより説得力があるのだ。その事実。
向こうは副作用もなく、ただ恐怖をあおる。患者が自分自身では確認しようがない「兆候」を盾に、背骨に原因があると診断してみせる。
整骨院は理性と戦っているのだ。そしてまずまずの勝利をあげていると思われる。

3340
恐怖症。診察室でもっとも頻繁に見られる恐怖症は、薬剤恐怖である。
一種の催眠状態またはマインドコントロールである。
たとえば安定剤や眠剤への恐怖。
安定剤をたくさん使っていたら、死んでしまった、と聞いて、怖くなる。安定剤が原因だと思ってしまう。ここに理性の曇りがある。
安定剤をたくさん使わざるを得ないほどの重症であったということだろう。
だから、結果としては死んでしまった。もともと重篤だから、死んだだけである。薬のせいにされてはたまらない。
一方で、漢方薬には一定の人気がある。副作用がないという。
一般の人は副作用を何だと思っているのだろうか。

しかしながら、結局は我々は世間の常識の中で治療していかなければならない。

恐怖症が恐怖症として成立するための条件を「薬の副作用」は備えているのだろう。

得体の知れないもの。生命の危険に関係する。身近な人が被害にあっている。

3341
蛇嫌いとぬいぐるみ嫌いでは、明らかに質が異なる。蛇嫌いは深く遺伝に根ざした何かを感じさせる。だからこそ、広く見られるし、強力で根深い。
「薬嫌い」はどのようにしてできるのか。また、「医者嫌い」はどうか。

3342
1.診察は、マイナス要素を少なくする。嫌われないようにする。それが第一。徹底的に、患者の常識に沿う。それしかない。
2.言葉は少なく。多く語れば、嫌われることも出てくる。元来が被害的傾向のある人たちである。
3.薬は少なく。副作用が出たらアウトである。マイナスのプラセボー効果も考慮に入れる。絶対に副作用はないとムンテラしながら使うこと。杓子定規に、「可能性のある副作用は……」などと言っていたのでは、台無しである。治るものも治らない。
しかしまた一方、懐疑的な人の中には、一つくらい副作用を説明した方がいい場合もある。そのあたりの呼吸が難しいのだ。
4.イメージを大切に。親切。親身。患者は専門知識は分からないのだから、どのようにしてイメージを売るかということが大切である。特に心理関係の医院であればそれが大切だ。骨折ならば、感じが悪くても治るだろう。虫歯なら、削れば治るだろう。自律神経失調症の場合にはそうはいかない。
5.自律神経失調症を治すには、「手続き」である。「薬効」ではない。SLを使って、痛みを消してしまう。そのような気迫が必要である。薬効に頼るな。これが秘伝である。いかにも治りそうな「手続き」を繰り返す。これだけである。これはその時代、その地域に合わせて、つまりその人の精神構造に合わせて、施行するのである。ここに高度の専門職が成立する。
6.ラビのようなものだと考えていい。ラビの仕事も、苦しみのさなかにある人を人を傷つけないことがまず第一に肝要である。その点で、人の心の動き、人の苦しみに敏感でなければならない。言葉がどれだけ人を傷つけるか、反省することが必要である。毎日反省してもなお足りないくらいだ。

3343
自分で体験するのではなく、他人の体験を見て、学習する。たとえば、未知の事態に遭遇したとき、母親の行動を見て態度を決定する。
薬に関しても病気に関しても、未知の事態に属する。そんな時、周囲の人の有様を見てみようと思うのは当然である。しかしながら、その、参照される人たちが、おかしな人たちである。あるいは、自分から声高にふれ歩く人たちは、やはりそれなりの「病気」の人たちである。そして病気を心配する人は大抵気弱になっていて、依存傾向が強まり、やや退行傾向になっている。そんな普通の人たちがいともたやすく洗脳されてしまうのも無理はないだろう。
この世間に理性は珍しいのだ。

社会的参照の理論。薬恐怖などはまさにこれである。
厚生省が、薬の使用量を減らしたいとする意図を持ってマスコミ対策をしていることとも関係しているだろう。

3344
対人緊張の強い母親。この態度は、無垢の赤ん坊の対人様式に染み込むのではないか。遺伝的特性も問題であるが、人生最初期の、すり込みの時期に相当するような時期に、分裂病母親の対人緊張を刷り込まれたのでは、その後の人生に影響が出るのも無理はないのではないか。

3345
ドラエモンは自分のネズミ恐怖を克服しようともがいたりしない。あるがままである。
これは美点である。

3346
トラウマ克服の鍵。

自分を見ること。自分を知ること。観察自我を育てること。
「人のふりみてわがふり直せ」。これは他人を鏡として自分自身を知る態度。

他者が鏡となる。他者に働きかけ、他者からの反応をもらう。そのことで人は自分を知る。社会化を成し遂げる。

観察自我が育つということと、社会化ということとは同一である。「他人から見た自分」というものを、自分の心の中で構成できるようになる。

このあたりが弱い人はトラウマに弱い。

自分のトラウマを相対化できない。状況を相対化できない。なぜか?なぜ、ある種の視野狭窄状態から脱出できなくなるのか?

視野狭窄または思考狭窄。同じ景色ばかり。同じ思考ばかり。そこから抜けられない。

3347
自分が思うことを相手も同じように思うわけではない。そのことを発見しないといけない。

チョコレートの箱の実験。中に何が入っているか。箱の中は他人の心。
境界例の人たちは、自分の心を他人にも適用してしまうところがある。→他の解釈を最近書いたはずだが、思い出せない。※

※ 平均とずれている自分の内部感情を、延長して他者を推定する。このようにしてしか、人は他者を推定できない。自分の内部感情の生成が平均とずれていたら、他者の内部状態の推定も間違うだろう。

3348
精神科医は、なぜ自分が正しいと信じられるのでしょうか?
愚か者で、反省が足りないからです。

いつも他人を「判定」する立場にいるので、自分がいかに愚かであるか、反省する機会を持てなくなっているのです。

3349
北川さん。息子が学校で。宿題をやっていかないから、居残りで勉強させられている。そのことを母が非難がましく語る。
人もやっているのだから、いやなこともやる必要があるとなぜ思えないのだろうか?

3350
人間だから、体が辛いと心も我慢が足りなくなる。それは仕方がない。そのことも勘案する必要がある。

3351
ストループ・テストと恐怖症の克服
クモ恐怖症の場合、カードに「クモ」と色つきのペンで書いて、文字ではなく、色を読み上げてもらう。字へのこだわりが薄れる頃には、実物のクモに関する恐怖も薄れる。ワットの報告。十年以上前。

3352
接骨院に見習う!
・背骨が曲がっているということと、症状の発生との間を論理的に説明する必要はない。(何という恐ろしい、論理の欠如であろうか!理性の敗北!)
・治療者にしか分からない情報を握っている。手を当ててみて、「背骨が曲がっている」といえば、曲がっていることになる。それは患者が判断することではないし、信じるか信じないかというだけである。
・治療行為は、すぐに完治することもない。副作用が出ることもない。それでいい。その程度のことが、患者に求められていることなのだ。
・副作用が出れば、その人だけでなく、その人と話をする周囲の人たち全部に、恐怖感を与えてしまう。それだけの患者さんを失うのだ。副作用だけは回避する。それが鉄則である。長期間の間に、「あそこの薬は副作用が出ない、いい薬だ。いい治療だ」との評判を勝ち取る必要がある。

3353
他者に話すことで、我々は話の内容の出来事を、追体験している。
ベッドの上でお母さんと、その日一日のことをいろいろとお話しする習慣を持っている子供は、そうでない子供に比べて、はるかに多くの情報を覚えていることが判明している。

復習の効果である。

語ることによって過去を再生し再構成する作業。PTSDの治療でも、それが本質的に必要だといわれる。
回想作業の中でもう一度体験し、今度はうまくやる。自信をつける。そういうことだ。
それはたとえば映画や小説でもいい。傷の体験を消去するに足るだけの、成功体験を与える。

回想することはすなわち、勝利のリハーサルである。

3354
既視感は、幼児の頃のエピソード記憶の断片である。こう書いてある本がある。断定するのは間違いとしても、そのような側面が果たしてあるか?
エピソード記憶と、意味記憶の区別についても混乱があるようだ。
体験そのものの記憶(エピソード記憶)と、純化された情報としての記憶(意味記憶)。

3355
フロイトが、現在の症状の原因が幼児の体験にあるという場合。原因となっている体験の記憶は、患者には記憶として残っていない。
トラウマが潜在記憶としての意味記憶という形を取って、時間的にははるか後の、我々の行動に影響力を発揮することを意味している。

出来事は忘れ去るが、後の行動には作用する。エピソード記憶は消え去るが、意味記憶は保持されていく。
(このように意味記憶という言葉を用いることは間違いではないだろうか?どうだろうか?)

トラウマは「思い出すのも忌まわしい。」心の中でさえ、それについて語ることを拒否する。故に、エピソード記憶は残らずに、意味記憶だけが保持される。(この書き方でよいのだろうか?)しかし完全に消去されているわけではない。思い出すこともある。しかも出来事を思い出すに至ったときに、トラウマが解決するのだとフロイトは考えた。精神分析のいう治療とは、エピソード記憶を回復させる作業である。
最初は抑圧が解除されないので、語ることにはブレーキがかかる。しかし語るに連れて、潜在記憶から健在記憶へと形を変える。最後には意味記憶に随伴するエピソード記憶がよみがえる。すると心の障害も治癒する。

このようにして神経症が成立し、治療が進行するというわけだ。
このような面はあるかもしれないが、しかし一部でしかないのではないか。

回想することで癒されるのは、回想することが、その体験を「受け入れる」ことになるからだろう。受け入れていないうちは回想を拒んでいるのだ。

そもそも金と時間を費やして治療に通うということは、治療への意欲があるということで、心の中で何とか解決しようと試みている状態である。そして、回想することは、治療というよりも治療の結果である。語ることができたから治るのではなく、治ったから語ることができたのだ。だから、「語ることができたときには治っている」という事情になる。これを因果関係を取り違えて、語ったから治ったととらえているのではないか。

思い出す努力がなぜ治癒につながるのか。
思い出すということは必ずしも過去の体験の全体的な回想ではない。回想は必然的に選択的回想である。自分にとって「都合のいい選択的回想」ができたとき、過去を「消化」「咀嚼」できたと言えるのではないか。
都合の悪い回想ばかりしているなら、それは耐えがたいことであり、思い出したくない。症状に転化してでも自分を守りたいと思う。

なぜ症状になるのだろうか。その必然性が分からない。

3356
人はいかにしてトラウマから立ち直るか。結局は、「忘れるからだ」と答えたいような気もする。
忘れるために工夫する方がいい。
1.物理的に離れる。
2.痛手を受けたこと・ものに関して、devalueする。脱価値化する。無価値であると信じる。解釈を変更する。意味づけを変更する。あの男は悪い男だった、と価値づける。
3.「悪い体験」の上に「いい体験」を上塗りする。恋愛で痛手を受けたら、いい恋愛でうち消す。
4.そのような体験にはまりこんだ自分について、考察を深める。

3357
共依存の形ではまりこんでいる男女。男はギャンブルがやめられず借金を作る。女は借金を肩代わりして払ってやっている。取り立てるあてのない、不良債権となっている。それが350万円。
別れたいというと、「そんなこと言うなんておかしい。頭がおかしい。そんなことあるはずがない」という。金を貸してくれと必死にすがる。涙を流す。そのときにはわたしはこの人を助けてあげなければならないのだという気になっている。
一種の催眠、マインドコントロールのようである。

頭ではよく理解している。悪い男にはまりこんでいると理解している。別れた方がいいと理解している。しかし気持ちは解決できないでいる。

別れたら寂しい。そんな気持ちはある。

彼が転勤で遠くに行ってくれたら、うれしい。それしか解決はないように思う。

金を貸さないと言うと、携帯に電話、家に電話、会社で騒動、と大変なことになる。それは困る。困るという気持ちを見越して、彼は彼女を操作している。

彼女に何をしてあげられるか。多分、マインド・コントロールからの解除の技法になるだろう。

3358
大量の精子の中でどれが卵子と結合できるか。その際に、精子として有利な条件と、出生してからの生存の有利さとの間に関連はあるか?
精子としての優秀さと、出生後の個体としての優秀さとの間には関連はあるか?
どの精子でも、おおむねはその個体の特性を反映しているので、あまり関係ないかもしれない。しかし、肝心要の点での優勝劣敗は、大きな影響を与えるような気もする。
何かのメカニズムがあるのではないかと空想することもできる?
精子の中からどれが選択されるかということと、出生後の優秀さとが関連していれば、とても有利ではないか。そのような関連のない個体よりも、ずっと有利であろう。
精子としての優秀さと出生後の優秀さの間に関連がないとしたら、「無駄な淘汰」が一段働いていることになる。

3359
自然法則が不変で平等であるから、医学や天文学や物理学が可能になる。
なるほど。確かにそうだ。科学としての医学には、こうした普遍性と再現性が背景にある。

精神の医学はどうだろうか?普遍性には劣る。再現性は悪い。個別性が強い。個別の中でも、時期によって違うようにも見える。条件は似ていても、結果は異なるといったように、決定性が弱い。原因と結果の結合が、ある程度偶然に支配されているように見える。
それはそのように見えるだけで、人間の知性がまだ及ばないからだろうか。(わたしは個人的にはそう思うのだが)

物語から科学へ。ここでもその道筋をたどるのだろうか。
空想から科学へ。

3360
なぜきれいな顔が好まれるか。
・心身の健康を意味し、遺伝的優秀さを保証する。発達に遅滞があれば、顔に何らかのサインが出る。病気があれば、表情に現れる。精神的に苦悩があれば、表情は晴れない。こうした諸々のことを顔が表現している。
・人は主に顔の表情から、他者の内面を読みとっている。ということは、顔のいい人は他者に対してよい感情を配給していることになる。つまり好かれることになる。他者に対してよいメッセージを配給していると(ときに)「誤解」される人(しばしば得をする)が、美しい顔、好かれる顔である。

3361
初診インテークで、面接のセッティングまで終了できないか。診断面接として、何回、1回30分として行うが、二回分をまとめて行うこともできるとか。その場合の料金の説明とか。

他院での心理面接のあり方を見ていると、当院のサービスはダンピングに近いもののように思えてくる。

3362
心気症の構造。パニック、自律神経失調症など、同じ構造をとっている。

○パニックと自律神経失調症の同型性
・不安のコントロールが大切。
・若い人にパニックが多いのは、不安の敷居が高いので、きつい症状となって出る。老人になると、不安の敷居が低くなって、マイルドな症状で苦しむ。

3363
デパートに学ぶ経営戦略。
○顧客ターゲットを絞る。
・プランタンは若い女性にターゲットを絞った。一番ではなく、唯一。特色を出す。イベントを打った。買い付けするときもターゲットがはっきりしているからはずれがない。従業員の服装や髪型まで、ターゲットに好感を持たれるように考えた。
・ターゲットを絞ることはできるか?
軽症・早期の例。
家庭がしっかりしている。
治療に意欲を持っている。
社保。国保。生保は不可。

子ども
若い女性……自律神経失調症。うつ。S。
子育て中の女性……子育ての悩み。
老いた女性……自律神経失調症。うつ。ときどき痴呆。
若い男性……うつ。S。薬物。
老いた男性……うつ。

例えば、「神経症デイケア」というように絞り込む。谷間の発想。

・この中で、やりたいのは?
子ども
パニック
自律神経失調症
神経症
うつ

Sをどうするか?

・必要性が高いのは?→需要が多いから、繁盛する。
パニック専門外来の赤坂クリニック。インターネットで宣伝。これが一つの例。
自律神経失調症心療内科の看板に適する、カウンセリングと自律訓練法
「心と体のクリニック」という言い方でよいか?
メンタルには行きたくないが、どこかで相談はしたい→メンタルとの差別化→メンタルっぽい人に遠慮してもらう。でも、それではどうか?メディカル・マインドの問題。

・適さないターゲット
きたない
わがまま
病識がない
家族の理解が足りない
要するに、他人の迷惑になる人

・何で唯一になるか?他ではまねのできない「ウリ」は何か?
知性。
治療システム。
説明の方法。図表。プリント。
漢方薬ミックス。
心療内科専門医院。→心理テスト、自律訓練法。注射などの分裂病臭いことはしない。心電図などの身体の検査も、心療内科らしくない。

最大のウリは、「丁寧なカウンセリング」。

・イベントを打つなどして、イメージを浸透させることはできるか?
こころのくすり箱で専門性をアピール。
こころのくすり箱で人柄をアピール。
専門外来として、枠を決めて、アピールする。十種類可能。

・ターゲットに好感を持たれるにはどうするか?
受付を頻繁にあけるのは問題がある。
同時に、面接を頻繁に抜けるのは問題がある。

服装。
髪型。化粧。変な靴下。

予約制の問題。
知人に会いたくない。

○紹介患者が多い。その中でつながらない人もいる。→方法はあるか?少なくとも、紹介元に悪い印象を残さないように工夫する。
山崎松江。

○待ち時間の問題
・他人の特別扱いを見ると、嫉妬を感じる。それはまずい。どうするか。
・必要に応じて時間をかけている。時間が長いのは、必要だからだ。えこひいきではない。時間が短いのはその人が嫌いだからではなく、必要がないからだ。そのことを理解して欲しいのだが。→余計な言い訳をせずに、まじめにやるしかない。

3364
公文式を、応用する。行動療法も公文式も、つまりは学習理論だろうから、共通である。パニック障害の克服プログラムに応用できる。

できるところから、大量に反復。それが意欲と自信を生む。意欲と自信は集中力を生む。このようにして、理解と習得に加速度がつく。

「どうしてできないか」ではなく、「何ならできるのか」を明らかにする。
できるところまでを反復して確実にしているうちに、その先の所が理解できるようになってくる。

量をこなすことが大切である。これも役に立つ。面接で一度いえばわかるわけではない。繰り返すことが必要である。
学習内容は、時間が経てば減衰していく。減衰を防ぐには、再学習することだ。再学習は、初めての学習ほどは労力がいらない。

公文のチェックシート、進歩シートが役立つ。現状と目標が目に見えるようにする。

3365
老人、病人、美人。
こうした分類項目の意味するもの。

3366
アダルト・チルドレンと癒し」西尾和美著、学陽書房
●事の原因を外部に帰属させて納得するのは、本当は賛成ではないが、しかし、原因が何であれ、自分を変えなければならないと決意していれば、問題はないだろう。
●外部原因説であるが、しかし核家族制度が前提になっているのではないか。集団の凝集性が高い状況では、また違った様相を呈するのではないか。ついこの間まで、個の確立などといったことを課題にしていたはずである。個の確立とは結局、経済的に豊かになって、他人に依存することなく、自分勝手に振る舞い、その結果破滅しないですむ、そのような下部構造が用意されれば、自動的に発生するものであった。自分勝手にやってもいいとなれば、自分勝手にやるものなのだ。その場合に、自分の勝手が相手の迷惑になるかどうか。それは本当に迷惑なのか。他人を尊重するためには我慢すべき事なのか。そのあたりの教育が、個の確立と関係しているだろう。
○自分はキズモノだという思い。→自尊心の回復。
●何か微妙に、思考のずれがあるように思われる。
○とんでもない事態にはまりこんでしまったという、狭窄感。
●マインドコントロールに似ている。まさに認知訓練が必要である。思考のコペルニクス的転回が必要。
○自分は他のみんなとは違っているという思い。
●このあたりも、自分が他人とは充分のつながっていないことを示しているのではないか。マインドコントロール(のようなもの)の結果として断絶しているのか、あるいは内的な特性として断絶があるのか。
○他人の問題にのめり込む。他人の世話に夢中になる。他人がとるべき責任を自分がとる。結果として相手は無責任になる。

3367
アダルト・チルドレンと癒し」西尾和美著、学陽書房
○他人をコントロールしようとする。
●これには表と裏がある。(表)彼がわたしを支配している。(裏)わたしが彼を支配している。
○相手に幸せにして欲しいと思っている。
●自信のなさ。しかしこれが根本的な行動パターンである。
○表面的には有能。→内心自信がない。自己評価が低い。相手にしがみつく。→ますます自尊心が低くなる。
●こうした悪循環はいけない。自分をだめにする。
○長所を見つけて、体験を再構成する。(リフレイミング)。自尊心を再び育てる。
○優しさと愛に飢えている。健全なモデルがない。→だから変な男に引っかかる。
○自分で自分を守ってあげる。
●この言い方の延長で、解離を促進してはいけない。しかし、自分が真に守るべきものは自分である。
○アファーメーションの技術。この関係の本を読んで、エンハンスする。
○自分のために手紙を書く。1.状況を書く。2.自分の気持ちを書く。主語は、「わたしは」。3.相手にあてて、冷静な手紙を書く。いずれの手紙も、出さなくてもいい。場合によっては出してもいい。

3368
アダルト・チルドレンと癒し」西尾和美著、学陽書房
○自分にとって重要な人物に認められることが、自分が自分を肯定するための大切な条件である。
○わたしは親に気に入られたいから、子供を虐待した。
●このようなタイプの虐待もある。親からの悪い影響は、過去になっていない。現在である。
○一人でやっていける自信をつける。
○他人に幸せにしてほしいと希望している。
●この裏には、自分自身で幸せになる方法が分からないことがある。よいモデルがない。
○自分からは彼を見放したくないと考える。
●これは彼のためにもならないし、自分のためにもならない。
●過保護→ストレス耐性トレーニングができていないということだ。教育は、魚を与えることではなく、魚の釣り方を教えることだ。そうすることは実際的にも重要だが、自尊心を育てる点でも重要である。希望に応じて魚を与えられる子供は自尊心を育てられない。惨めなだけである。自分が希望することはできるが、結局は他人の顔色をうかがっていなければならない。釣りの仕方を覚えた子供は、自尊心を育てることができる。自分の欲求に従って、自分で結果を出すことができる。欲しかったら釣ればいい。釣れなかったら努力すればいい。
○親は自分が子供のモデルであることを意識して振る舞う。
●これは診察室でも同じであろう。患者にどのように振る舞うか、それがそのままモデル学習の機会を提供している。
○自分の癒しがまず大切。

3369
アダルト・チルドレンと癒し」西尾和美著、学陽書房
○解決ではなく、改善でよい。少しでも改善する、それを目標とする。
●それだけで患者は癒される。クリニックでの方針としても大切。
●自分のことを本気で考えてくれる人がいると実感し信じられることが大切。
○健全なコミニュケーションのモデルを提供するチャンスである。
○自分ので気なかったことや、自分の期待を子供に託して、子供を通して生きるようなことはやめましょう。自分の癒しと自分の幸せに責任をとって、子供は別個な人間であるという考えをもって接しましょう。
○アファーメーションについて。
1 自分の中の宝石を磨く
2 自分の世話をする
3 ほめ言葉のない人に、ほめ言葉を求めない。(自分の努力が足りないんだ、自分がもっと頑張れば相手は分かってくれる、変わってくれると信じていても無駄。)
4 きれいに拒否される。拒否されても、胸を張って前進する。

3370
なぜあのような人を選択したのか。
配偶者選択の問題。
そこには人生の縮図がある。あぶり出しでもある。

3371
「安全な場所」というキーワード。
1。パニックの場合。
2。アダルト・チルドレンの場合。
どちらも共通のものがある。
単に言葉の重なりだけだろうか?
あるいは、不安の共通経路ということで、最終的に同じような結論に至るのだろうか。

3372
不登校
社会の序列の中で、自分の位置を受け入れることができない。
サル山のサルを語るような言葉であるが、実際そのようなものだから、仕方がない。
家庭での自分の位置と、社会での自分の位置とが大きくずれている場合、学校での自分の立場を受け入れ難く思うのは、無理もないことである。

社会の中での待遇よりも、家庭での待遇が悪ければ、それは社会に出て行く圧力となる。たいていはこのパターンになる。仲間と遊んでいた方が楽しいのだ。家庭は子供のためにあるのではなく、親のためにある。
逆に、家庭の方が居心地がいい場合。これだと社会に出て行く圧力にならない。

また、女性の場合には、家庭での序列、勉強社会での序列、友達付き合いでの序列と、男性よりもさらに数の多い価値基準の中で生きるようになる。ここで混乱も生じるし、また逃げ道も生じる。

純化して言えば、勉強ができなくなったから不登校になるという場合が多い。
最初から勉強以外の価値観の中で生きている子供ならば、勉強にはついていけないけれど、学校には行くということができる。
しかし自分にも原因不明で勉強が頭に入らない、努力しても駄目。その時点で絶望的になってしまう。まあ、無理もないことである。

3373
手が震える人。
・人間の手は、動いているか静止しているかのオール・オア・ナッシングではない。震えについていえば、どの程度かは場合によるが、必ず多少の震えはある。
・震えと不安は悪循環を形成している。
・不安が高まれば、震えを見ている虫眼鏡の倍率が上がる。倍率を上げれば必ず震えは検出される。検出されると「ああやはり震えていた」と、不安が検証され、不安は高まり、虫眼鏡の倍率が上がる。するとまた震えは必ず検出される。
・不安→虫眼鏡の倍率が上がる→震えが検出される→不安が検証され、高まる→虫眼鏡の倍率がさらに上がる。こうして悪循環が形成される。

手が震えてもいいじゃないか。目的本位で生きていけばいい。
1998年7月24日(金)

3374
共依存
・「いつか捨てられるという不安。劣等感。」を抱きながら、女に金を無心する。
・必死で頼られると心地よい。
・自分の幸福のために生きられるように。それが精神療法の中心。
・でも分かっているんだけど、何回もいわれると自信がなくなってしまう。たとえば「1+1は本当に2でいいの?」と何度も訊かれると、自信がなくなる。そんなことってあるでしょう?
・いつか捨てられるという不安があるから、どこまでなら捨てられないですむのか、確認したくなる。そこで、わざわざ嫌われるようなことをしてみる。ぎりぎりまで試してみたくなる。相手は腹を立てながら、なぜこんなことをするのだろうかと疑問に思う。この時点で、相手が正常ならば、見捨てている。しかし、見捨てないような人たちがいる。その場合に、共依存の形となり、お互いに憎しみ合いながら、離れられない。被害的に思いながら、支配し合っている。
・支配し合う関係。支配の軸が違うのではないか。一元的な軸しかないならば、どちらかが支配して他方は支配されるはずである。しかし、二軸ある場合には、支配されつつ支配することが可能になる。お互いにとって「必要」ということになる。この場合の必要とは、支配者にとって被支配者が必要ということだ。

3375
母と子の病理。
期待の病理
愛情と別のものとのすり替え
母子癒着。

渋谷さとみ、山中、真ん中分け君(太田行哉)、皆同質である。母親の病理である。
母親が期待する。子はそれに応えられない。ここから病理が始まる。非現実的な要求を子供に突きつけてしまう。
原因は、「母親の現実把握が悪い」ということに尽きる。自分の願望と現実の区別ができていない。願望通りにさせようとして、子に努力を強要する。しかしできないものはできないのだから、限界が見えてくる。しかしその妥協がいつまでたってもできない。
母親は「なぜ期待に応えないか」と攻撃性を抱いている。「この子のためだ」と思うことで、攻撃性は愛情の衣装をまとう。親の責任とか、親の愛情とか、言ってはみるが、実質は、子は親の満たされない欲求を満足させるための道具となっている。表面に見えているのは攻撃性である。
ここで母親が、「お前は駄目だ。これ以上期待しても無駄だ」と断定してしまえば、それなりに傷つくけれども、子は「期待の病理」からは免れることができる。母親が妄想から目を覚ますことが必要である。

子は期待に応えようとするが、できない。できない自分を受け入れることができず、症状に逃げる。
子は怒りを内在させている。自分に対して怒り、親に対して怒る。しかし怒りを抑圧しなければならない。親は自分のためを思ってくれているのだから、そのことに反抗することはできない。
攻撃性を抑圧することで、現代型のヒステリー反応が起こる。
学校に行こうとすると腹痛が起こる。親に何か言われるとパニックが起こる。学校でストレスが高まるとパニックに似た発作を起こす。

親は、ただ言えばいいだけだ。自分がすることではないから、努力に上限がない。子供はどれだけ努力すればいいのか。母親が納得するまで、終わりはない。能力が追いついていかないから、できない。
親は、自分をコントロールすべきだ。子供を過剰にコントロールすべきではない。

ここに癒着がある。それは誰の喜びなのか。誰の責任なのか。

「努力」に対する幻想があるかもしれない。努力すればなんとかなるはずだと幻想している。

3376
いい子を演じることをやめられない。苦しいのに。なぜか。
「こんなに辛い。助けて」と母親に言えないのはなぜか?

3377
子の問題。その原因として母が問題の場合がある。ひいては父が問題の場合がある。母親と父親のケアができれば、子の問題が解決する場合がある。
大きな意味で、環境調整である。

3378
アダルト・チルドレン」完全理解 信田さよ子 三五館
○人間関係の回復がないと酒はやめられない。アルコール依存症を人間関係障害として見る。
○アルコールの治療に関わる人のほとんどが自分をACだと思った。これは自分のことだと思った。だから、広がった。
○関係の病理。本人の人格に問題があるのではなく、本人を取り巻く人や者との関係の持ち方に問題があるとするとらえ方。人との関係で満たされない寂しさや空虚感を、ハマる快感にすり替えていく、そしてそれが習慣になる。これが嗜癖の本質である。
嗜癖の人間関係は、(たとえば、青木さん)対人関係というよりは、嗜癖に分類すべきものだ。ウソの対人関係といってもいいだろう。
○父は仕事を熱心にやる。母は良妻賢母をやる。子供は親孝行でいい子をやる。それぞれが一所懸命に機能している。その果てに起きてくることが、機能不全である。みんながよかれと思ってやっている。
○機能不全とは、安全感のない家族。安全な場所を提供できない。
○世話をやく人との関係に嗜癖している。「自分がいないと生活できない人」に仕立てる。それで夫を支配する。これが関係嗜癖
○支配される人は、支配する人に苦しみながらも、離れられない。その関係を抜け出すことが、孤独になることを意味するから。
ケアテーカーと一緒にいると、私たちはどんどん自立の能力をそがれていく。自分のことをする能力が退化する。

3379
アダルト・チルドレン」完全理解 信田さよ子 三五館
○ACの洗い出しリスト。孤立感、極端な自己評価の低さ、愛と同情の混同、怒りや批判への脅え、自分の感情に気づき表現する能力の欠如、自己肯定感のなさ、絶望的なまでの愛情と承認の欲求、など。また、別の例では、孤立感、自己非難、失敗することの恐怖、承認されることの欲求、コントロール(支配)することの要求、頑固さ、一貫性のなさ。
○これらの中でもっとも本質的なのは「自己承認への欲求」でしょう。「居場所のなさ」の感覚、「生きていてもいいのだろうか」という感覚。
●卑屈になることによってようやく自分の居場所を確保している人も多いのではないか。そんな人たちは、自分の居場所を得るために自分がどんなに卑屈になっているか、自分の人生をどんなに台無しにしているか、そんなことも忘れている。その感覚が大人ということだと心得ている。
●「おなたがたと同じように惨めで卑屈になる覚悟がある」と証明した者のみが、集団への入会を許される。そのようにして、卑屈さが保存される。愚かな者たちである。
○わたしのような者が生きていていいのだろうか。わたしがいるから両親の仲が悪いのではないか。わたしが悪い子だから、こんなにいわれるのではないか。この世にいてはいけないのではないか。
○周囲の期待に自分を合わせるだけの人生を生きてきた場合、自立して自分がどう歩んだらいいか分からない。
○自分の原家族の話をすること。

3380
アダルト・チルドレン」完全理解 信田さよ子 三五館
○経済力を持つことと自立することとは必ずしも一致しない。
○「安全な場所」を確保すること。わたしもここにいていいんだと感じられる。→指定席。予約。挨拶。自分がいないことに誰かが気づいてくれる関係。
○経験をストーリー化する。何度も話していると、少しずつ変化する。新たに記憶が蘇る。親についての新しい発見がある。そうしたことでストーリーは変わる。
○現在の自分が安全感を感じていることで、消されていた記憶が甦る。
○他のメンバーが、共感を持って聞いてくれる、誰からも批判されない、涙を流してくれる。現在の自分を受け入れてくれる場所があってはじめて、自分のことを語ることができる。
○「そのときだけは、彼はわたしを必要としてくれる。」親に捨てられるのではないかという思いがずっとあって、その代わりを夫に求めていた。
●夫に何を求めるか。その淵源は親にある。「鋳型」が問題。
○三世代の関係を並べたとき、?夫婦関係、?対子供関係、?対親関係の順で優先されるべきである。これが混乱すると、家族機能不全が生じ、子供の傷つきが生じる。
○「あんたを支配するわよ」と言いながら、「あんたが言うことを聞かないとわたしは死んでしまうよ」と脅す。ACはみんなこの伸縮自在の親の術中にはまってしまった。

3381
アダルト・チルドレン」完全理解 信田さよ子 三五館
アメリカでは父親からの性的虐待や暴力が多い。日本では、多くが共依存的な親との関係によるもので、「あなたを愛しているわ、期待しているわ」という親の支配によって生み出されるACである。
●「羊たちの沈黙」は父からの性的虐待の話という!
○いまだに親がわたしの中に住んでいて、愛情という言葉でわたしを縛っている。
●確かにこの手の親は性悪だ。いい人の衣をまとっている。愛情の衣をまとっている。しかしその実体は支配であり、攻撃である。優越したいとする欲望である。いやなものだ。
○日本の場合、親は外にいるのではなくて、自分の中に入り込んで、愛情という衣をつけて居座っている。
○自分の人生を語るときの主役が親ではおかしい。本来なら、自分の人生を語るには自分が主役でいいはずである。しかしそうならない。親の人生を支えていたのだから、主役になるはずがない。
○自分と親のストーリーを他人に語り、少しずつ親が収縮し、自分が主役のドラマを作り直す。親と訣別する。
○インナーペアレンツに支配されて、親の人生の共演者になっている自分が、自分の人生の主人公になる。
○親を自分の人生ストーリーの一登場人物にすること。
○こうするためには、自分が作ってしまっている親とのドラマを語り続けること。語り続けるうちに、ドラマのストーリーは必ず変わる。そして、語ることのできる安全な場所を求めること。
○困った状況に陥っても、可能性を信じることができる。その場にいる人は、どんな人出も意味がある。だからすべての人を位置づけなければならない。過去ではなく現在と未来。「いま・ここで・新しく」。考えるよりも行動する。動きながら考える。

3382
アダルト・チルドレン」完全理解 信田さよ子 三五館
○サイコドラマでは、普段言えないことが言える。普段分からないことが立場を変えてみて分かることがある。劇だから失敗してもいいし、やり直しがきく。
○暴力を振るう夫には耐える妻がくっつく。世話を焼く人には依存したい人がくっつく。しがみつきを愛と錯覚したカップルがまた誕生する。これが共依存と依存症の夫婦である。支配する・されるの関係が貫いている。自分をACだと自己認知することで、この鎖を断ち切ることができる。自分が生まれ育って身につけてきた対人関係がゆがんでバランスを欠いていると自覚すること。親になりたがらない人もいる。自分が親から受けたものを考えると、親になるということがとても恐ろしい。自分のような存在をもうつくりたくない。
○親の問題が整理できたときに、夫婦の見方が変わる。親の問題の整理がつかないことを、配偶者との関係に移しかえて解決をはかる場合がよくある。父に求められなかったものを夫に求める。母に求めて満たされなかったものを妻に求める。こうした期待は配偶者に親を期待することであり、当然夫婦間では過重である。それが満たされないのが不満となり、夫婦の不和になっている場合がとても多いと思われる。
●異性の親に求めて得られなかったものを異性に求める。これはエディプスの発想か?世代を違えて、欲望が成就する。自分が親になったと考えてもいい。
○ACはなんでも人のせいにしているといわれるが、人のせいにすればいいと思う。人のせいにできなかったから、ここまで苦しかった。自分であまりにも過剰に背負い込んで、自分の存在までも余分じゃないかと思い、生まれてきたことも申し訳なかったと思う。人のせいにするどころか、自分を肯定できなかった。
●なるほど。そういう人もいるだろう。しかしそうでない人もいる、と頑固に考える。そこが難しいところだ。こちらの目も、日々変化している。
○ACという言葉は、親の影響、親の支配、親の拘束といったものを、認める言葉。「あなたの責任ではない」と免責する言葉。

3383
精神科医の独りよがりで視野の狭い理解。これほど患者を失望させることはない。自分は所詮は理解されないのだと思ってしまう。精神医学は自分を抑圧するものでしかないと思ってしまう。
しかしながら、そのように判断してきた精神科医も、浅薄な別の精神科医によって、「病気だからどうしようもない」とレッテルを貼られて、おしまい。

精神科医が診断をしてレッテルを貼ることも、支配の一つの形である。ここから生じる外傷体験を語る人もいる。分裂病だといわれた。躁うつ病のはんこを押された。
これは支配である。ここにもACの発生する温床があるだろう。

一般の弱者に対して権力を行使する。この点では精神科医は小役人のようなものだ。

3384
パニックや恐怖症の形成を、アドレナリンと、アドレナリンレセプターで説明できないか?
また、仮にそうだとすれば、アドレナリン・ブロッカーが、治療に有効なはずではないか?

アドレナリンの大放出というエピソードは、レセプターを増やして、かえって過敏にするのではないか?(ここはドーパミンでの、分裂病と似ている。履歴効果。大放出にさらされると、かえって過敏になり、再発作を起こしやすくなる。)
そのことは、再びの危険を回避する効果があるだろう。また、そのような危険に二度と近付かないことは、生存に有利だろう。

βブロッカーは有効だろうか。

慢性にアドレナリンが高い状態とは別なのだろう。その場合には、ダウンレギュレーションが起こるだろう。
一時的に過剰なアドレナリンにさらされる。そのことによる変化が、恐怖症であり、パニックであり、不安症である。

体質としてアドレナリンレセプターが増えやすい人がいるだろう。
また、体質として、レセプター量の調節ができにくい人がいるだろう。

また、アドレナリンレセプターと言っても、体のあちらこちらにあるだろう。「どの部分の」、という議論も大切かもしれない。

3385
会社でのストレスのチェック。「すぐ開始」。

す 睡眠
ぐ ぐったり(疲労
か 家族・同僚との会話
い いらいら
し 仕事の不調

3386
好感度
信頼度
広告

医院経営の要素。これらをどのようにミックスさせていくか。

3387
子供らしい子供時代が子供には必要ではないか。
過度に大人であったということは、ほめられるべきことではないようだ。

子供らしくすることを許されていなかった。家族の配置として。また、経済的条件として。
子供らしいわがままや依存は拒絶されていた。そして拒絶の場面が明瞭に記憶されている。拒絶でない場面も多々あったのだろうが、現在回想可能なものとしては、拒絶の場面が鮮明である。そのような傷として、わたしの中に格納されている。

失われたものはもう失われたままなのだろうか。何らかの方法で、代償可能なのだろうか?償うことができるのだろうか?
わたしはわたしの中に生きている自分のために、自分の人生のために、償いができるなら行いたいのだ。

子供時代の喪失と言えるだろう。何か大切なものを失ったままなのだ。
過剰に分別があった。分かっていた。だから自制した。そのようにして周囲を助けて、自分を殺した。犠牲にしたのである。
その苦しさをもっと発散してよかった。

甘やかされたという財産を持つ人が、人を甘やかすことができるのではないか。言葉のよい意味で。

3388
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学学陽書房
・他人のための自分。自分のための自分。
・「犠牲者物語から英雄物語への転換」。聞く者に「危地をくぐり抜けた者のゆとり」を感じさせるようになる。それとともに、話は現在のことが中心になってくる。
●他人のための自分でしかいられないのが共依存である。
・被害者は、そのような被害にあってしまう自分というものへの自信と肯定感も失う。
●自信、自尊心、自分はいいのだという感覚。これが傷つけられたままでいる人は多い。しかも、そのことに気付かないでいる人も少なくない。そんなにまで自尊心を傷つけられて、それでも別れられない、だって、寂しいから。
・戦場で傷ついた人が、また戦場に赴く。自分ではコントロールできなかった状況での心の傷を、自分の身を同じ状況に置くことによって再現し、それによってその状況を自分の医師と力で今度こそ支配しようとする試みと解釈されている。
・トラウマが人生を支配するとき
・H.クリスタル「災難症候群」
?コミュニティ・サポートを利用する能力の低下(孤立化)
?絶望感を伴う慢性・反復性の抑うつ
?心身症不定愁訴
?感情反応の遮断
?失感情症
●孤立に至る背景には、「わたしが悪いからだ」という罪悪感が微妙にあるのではないか。

3389
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学学陽書房
・憎しみへの嗜癖(クリスタル)‥‥どこへ行っても誰と会っても、他人への不安や怒りに圧倒されて、人間関係を作れないまま人生から逃避する結果になる。
●不安の増大に対処する方法として、憎しみを採用している。
・虐待された人は、自分の中の攻撃性を調節する能力、あるいは他人からの攻撃に対する不安を調整する能力が弱まっている。
●自分も身に染みて嫌なことだと分かっていながら、相手に暴力を振るってしまう。自分が傷つけられたのと同じ仕方で相手を傷つける。このようにして、不幸が再生産されている。これはなぜなのか。かっとして、相手を傷つけたいと思うとき、それが心底のものであれば、自分がもっとも傷つけられた方法で相手を傷つけたいと思うだろう。怒りの瞬間にその人は相手を完全に滅ぼしたいと思うのだろう。それが攻撃性というものではないか。
●攻撃した後も、また平常の付き合いが続く。これも問題を複雑にしているのではないか。そのような攻撃性を向けた相手とは、もうそれ以後は平常の付き合いはできないだろう。しかし人間社会はそれを許さず、いろいろな形で付き合いが続く。これは人間の本性と社会の仕組みが合致しない例ではないか。
・次の世代の子供を安全に育てること以上に有効な精神医学的予防策はない。
・家族という危険地帯。
・虐待される女性。「ここで妥協すれば、あの人が優しくなるかもしれない」という幻想を捨てきれない。
・被虐待女性に共通するのは、自尊心のなさ、自己評価の低さ。

3390
川口親子のケース
・夫婦の溝。八歳違い。夫は甲府の大学で英文学教授。甲府茅ヶ崎で二重の生活。愛情薄れ、性交渉もなし。金は主人の親が援助し、妻に直接わたされる。妻は誰に相談することもなく、自由にその金を使う。洋服や靴が増える。妻は会社役員の子供で、元来裕福だった。
・妻の母は子育てに命がけの人。子供をいい学校に入れることに熱中した。
・見合いで望まれてした結婚。その時も、玉の輿と周囲に言われ、親も勧めてくれた。恋愛感情といったものは希薄で、こんなものかと思っていた。
・夫の親が破産。現在住んでいる家も、売却の予定。300坪の敷地に150坪の家。もうこれからは「普通の生活」をするしかないという「絶望」。
・セックスには興味がない。子供のために、夫と仲良くすること、そのためにはセックスも必要というのなら、いくらでもする。
・主人には物足りない思いを抱いている。大学の先生の給料はたかがしれている。
・君は半分は親と結婚したようなものだね、と夫にいわれる。
・そうした夫婦のあり方の不満のはけ口として、子育てに熱中する。日能研に行かせる。上の姉はうまくいった。下の子はつまずいた。
・子供にしてみれば、「優しい暴力」である。「がんじがらめ」「逃げ場のない強制」である。あなたのためなら何でも、と言われて、成果が上がらないと、申し訳ない。
・成績を上げることを強要されている感じがある。
・子は親の悩みを不登校の形で悩み、親は子の悩みをうつの形で悩んでいる。それぞれが自分のことを悩めば問題は解決するだろう。
・子供。キャンプに行って、みんなと寝られない。それで急遽帰ってきたことがある。
3391
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学学陽書房
●そこまで踏みにじられて、どうして?との感想を抱かざるを得ない。洗脳されたような印象。催眠術にかかっているような。なぜそんな事態から抜け出せないのか。
・自尊心のなさが生む共依存
共依存の本質は、「人に必要とされることの必要」です。自分にとって大切な人から、「あなたがいないとわたしは生きられない」と言われることで、自分の存在がはじめて承認されたように感じるところから、共依存者的生き方が始まる。
●「わたしの生きがいはわたしだ」こう言い切ることは、古い世代の女性にとっては抵抗があるだろう。しかし、「わたしの生きがいは夫だ」といえば夫が窒息し、「わたしの生きがいは子供だ」と言えば、子供が窒息する。「私たち夫婦の生きがいは子供だ」と言えば、子供が窒息する。自分が自分のために生きて欲しい。他人にかかわるときは、全く報酬を求めない心であたって欲しい。
・人に必要とされるための手っ取り早い方法は、その人の世話をし、情緒的な支えになって、その人が自分なしではやっていけないところまでもっていくことです。
●なるほど。そういうものだろう。実例はたくさんある。
・自分が一人になることに(あるいは自分で自分を直視することに)耐えられないために、他人に頼られる必要を感じてしまうところに共依存者の問題がある。つまり自尊心ないし自己確信の問題と関連している。
●見捨てられて辛い経験をしてきた人は、一人になることを見捨てられることだと思ってしまう。他人に肯定されて育ってきた人は一人になっても、他人から肯定されている感覚を持ち続けることができる。

3392
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学学陽書房
・自己に対する否定的感情を持っている人が、人に頼られることでこうした否定的感情を感じないように、考えないようにするところに共依存の核がある。
・自己というものをそのままでは評価できないから、あるいは自己の感情や行動に確信が持てないから、自分から人を愛し接近するなどという大胆なことはできない。そのかわり自分を頼ってくる者、すり寄ってくる者の世話をして、いよいよ自分を頼るように仕向ける。
●根底にある自己不確信、というわけだ。そうだろう。そうでなければ、あれほど自尊心を傷つけられて、平気でいられるわけがない。それでも離れないでいることが全く不可解である。しかしその人の内部では、帳尻は合っているのだ。
・あたかも「弱い女性」の生き方のように見えるが、実際は、共依存はパワーとコントロールのための手段である。人を頼らせ、自分から離れられないようにして、相手を支配し、ペット化する。
・支配するために相手に尽くす。
・結果として相手の自立能力は削がれ、相手もまた、自己を確信できなくなる。
●子供が登校拒否をした。親がすべきことは何か。子供の事情を子細に探ることではない。まず自分を正常化することである。子供を愛情という名の檻から解放することである。
●「やはりわたしでないとだめなのね」と言いたいのだ。
●セックス場面での支配と被支配、依存と被依存がこうした関係の原型かもしれない。少なくとも、事情を明確化するための比喩としては分かりやすい。
●相手をだめにすることが、自分の利益になる。そのような事情。

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アダルト・チルドレンと家族」斎藤学学陽書房
・日本女性のほとんどすべては共依存。そのように長い時間をかけてしつけられ教育されてきた。
・そうした教育は家庭や学校ばかりではない。漫画、ドラマ、ポップスの歌詞に至るまで、共依存のすばらしさを歌い上げている。
●実例を探せば面白いだろう。
・女性が自己確信的になること、自己の幸せを守るためだけに自分の力を使うことを薦める歌はほとんどない。
・日本では特に共依存の病理が見えにくい。
共依存は二人でだめになる病理である。
・回復の目標は相互に対等な親密性である。
・本来の自分の判断を否定したり隠したりする。自分の感情に不誠実で、それを否認する。
●頭の切替が必要だろう。昔の言葉で言えばパラダイム・チェンジである。否認することが正しいことだと教えられてきたのだから無理もない。問題は根深い。
・「他人に批判される」ことを恐れ、結局は離れられない。
・周囲の人間にもこうした形での「他者への配慮」を求める。
●息苦しさの中で一緒に窒息していなければ気が済まない。他人だけが深く楽々と息をしているのは耐えられない。
・自分の世話を受けている他人は、自分の仕事・役割に感謝し、少々の問題があってもそれを表面に出したりせずに、自分の支配下にいなければならない。典型的には親と子。共依存は支配と被支配を形成する。
●親の愛という形での支配力である。
●植物には水も必要だが、空気も必要だ。水をたくさんやればいいわけではない。

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アダルト・チルドレンと家族」斎藤学学陽書房
●それは支配なのか愛なのか。親密性なのか強制なのか。親のためなのか子のためなのか。
●親のために子が悩み、子のために親が悩んでいる。なぜ各々自分のことを悩んで解決しないのか。親子で境界を越えているところがある。
共依存者は他人の感情と自分の感情とをはっきりと区別することができない。相手が沈黙したり不機嫌そうな表情をしたりすると、自分が何か相手にとって不本意なことをしたのではないか、そもそも自分に欠陥があるのではないかと不安になる。
・他人が感じる感情と自己の感情とを切り離せないために、例えば、自分の愛する者が自分以外の者に惹かれるとき、彼らをそれを受け入れることができない。共依存者の利他主義は、実はこうした自他の区別の曖昧さから生じている。
・親密性の根底にあるのは自己肯定の感覚である。自分は自分という自己肯定が、彼らにいきいきとした感情生活を与え、シラフの生活そのものを楽しむ能力をもたらす。
●「生きていくのには他人が必要」。この文章の意味内容が多様である。共依存的生き方の表明ともなりうる。また、著者の言う親密さの意義の表明ともなりうる。他人なんか必要ないということではない。他人なんかどうでもいいとか、道具に過ぎないとか、利己的になれとか、そんなことでもない。共依存は、見かけは利他的であるが真実は利己的だ。
人間は心底は実は利己的なのだから、その上に立脚して、他人を傷つけない生き方を探すべきだ。利他的なふりをして、実は他人を支配し傷つけ続ける生き方はよくない。
●過剰な一体感は実は誰かの支配であり誰かの利益になっていないか。そして陰湿な強制力が働いていないか。オープンでない湿った感じ。
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アダルト・チルドレンと家族」斎藤学学陽書房
・男女関係はいつでも大人・子供関係へと堕落する危険をはらんでいる。
●男女関係をとることができない場合には、あるいは面倒な場合には、親子関係をとってしまう。妻に対して子供と同じ立場で接している夫は少なくない。
・自分の男性性に自信のない男がマッチョを気取る。暴力に至る。男が謝罪し、愛を告白し、女がそれを受け入れる。そのようにして始まる関係は、そのスタートの時点から男のプライドを傷つけることになり、我慢を強いることになる。彼の怒りは関係を結びなおしたその時点から、再び蓄積しはじめる。暴力男が自分を抑制し、静かにしているときこそ、暴力の欲求が蓄えられているときである。
・なぜ逃げ出さないのか。
●実にそれが不思議だ。
・暴力から逃れるシェルターにたどり着いたとしても、女たちは言う。「自分がいないとあの人はやっていけなくなる。死んでしまうかもしれない。かわいそう」「置いてきた子供が心配だ」
●だからこそ、嗜癖のパターンという。
・まず教育プログラム。次にグループ療法。
●これは大切。デイケアでもこれをきちんとすればよかった。
・頭では分かっている。しかし離れられない。それが嗜癖
嗜癖をやめられるのは、底をつき、死ぬか、別の生き方をはじめるかの選択を迫られるときだけ。
●この現実を直視する必要がある。

3396
自分の人生を自分が信じる。それで充分だ。誰にも決めて欲しくない。他人に何が分かるというのだろうか。最終責任は自分がとるしかないのだ。だれも自分の人生を代わりに生きてくれるわけではない。

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アダルト・チルドレンと家族」斎藤学学陽書房
・夫婦間暴力、近親姦児童虐待は、家庭の外に出ない。家庭内の権力者による権力の濫用である。加害者たちは、家庭の外で体験するパワーの欠損を、家庭内のこれらの行為で代償している。
・そうした危険な場所の中で心理的に破綻しないでいられるためには、病的な心の防衛法に頼らなければならない。こうしてものをいつまでも使い続け、問題の解決が引き延ばされるうちに、子供たちは次の世代の加害者や被害者に仕立て上げられる。
・夫婦間暴力の場合、子供たちが、繰り返される暴力の目撃者の役割につく。あるいは母親の情緒的不安定の影響を受けながら育つ。
・夫婦間の暴力の場面は次には愛着の場面に切り替わる。これが親イメージのまとまりを悪くする。「よい親」と「悪い親」が分割されて存在するようになる。
・悪い親は否認されたり、親以外の他人に転化されたりする。(→投影といっていいだろう)
・よい親に対しては自分を、叱られ、無視されて当然の存在と感じるようになる。ここから自己肯定感の損傷が始まる。自己評価の低下が始まる。これは子供の安全感を危険にさらす。その結果、よい親を取り入れて、自分のものとする。加害者の暴力男に同一化して、無力感を幻想的な全能感に置き換える危険な子供がうまれる。
●いまひとつの論述。親の像のスプリッティングから、内的対象のスプリッティングへ、そこから病理への発展。ここがもっとうまく描けるはずだ。

3398
アダルト・チルドレンと家族」斎藤学学陽書房
・「彼は父とそっくりだ。危ないと思った」「でもその後、一緒にいないとたまらなく寂しい」。社会生活では不器用な、プライドの高い、危険でマッチ