こころの辞典2901-3000

2901
金剛出版「抑うつ症候群」広瀬徹也1986 →入手すること

2902
認知行動療法の理論と実際」
・ブレンナーの統合心理治療プログラム(TPI)。
認知分化、社会知覚、言語伝達、生活技能、対人問題解決といった五段階について、最初は認知能力を中心に訓練し、徐々に社会的能力に訓練の重点を移行させていく小グループでのプログラム。
●本があるが、印象は弱い。
・写真週刊誌やビデオを使う。写真だけを見て、見出しや記事の内容を推定する。ビデオの一場面を見て、人物の関係や事件について語り合う。また、ビデオの途中でそれまでのあらすじをまとめ、その後の展開についての推量を話し合い、続きを見て推量について確かめあう。→個人の高位認知機能の修正を狙う。
・薬物を持続するよりも、再発前駆症状をとらえて素早く服薬することを学習させることも試みられる。遅発性ジスキネジアが問題であるし、陰性症状や基本的認知障害に対しては薬剤は無効か悪化させることもあると示されていることから。
・Sの症状を陽性症状、陰性症状、生活技能欠損の三種に分ける。予後予測性が高いのは生活技能欠損。

2903
どんな患者に何をするかを標準化する。検査や治療。その方が患者の満足度も高いのではないだろうか。
素人っぽくなく、プロっぽい印象が大切だ。

2904
認知行動療法の理論と実際」
自己臭症について
・自己臭妄想には「自己臭の発散→周囲の不快感→周囲からの忌避」という分節構造がある。つまり、心気妄想、加害妄想、関係妄想の側面を有している。
・相手の言動から自己臭の存在を直感するという関係妄想。
・周囲の人に害を与えているという加害妄想。
●しかし、自己臭の存在の確信と、加害妄想とは時間的に同時に成立するのではないか?どちらも原因となり結果となっている。
●「周囲から忌避されていると妄想する」のも上の事態と同時に成立するだろう。
・自分の恐怖を不合理とは考えない点で、通常の恐怖症とは異なる。
・対人場面の回避はひとつのオペラント反応である。
・勉強に向かったときには対人敏感性が低下し、自己臭体験は弱まった。
・了解的に把握できる。症状は学習によって形成された。こうした点は行動療法的接近に適している。

2905
結局どのような方法論を獲得するかということだと思う。

2906
認知行動療法の理論と実際」
アルコール症
・アルコール症者は問題解決技能が不足している。その根底に認知のゆがみがある。
・映画をスローモーションで再現するときのように、飲酒前、中、後に考えたことについて明らかにする。

パニック障害
DSMではパニックが上位概念で、ICDでは広場恐怖が上位概念である。
・焦点型認知療法(前半は認知療法、後半は行動療法。)
1)破局的認知を同定する(自動思考)
2)パニック発作に至るシナリオを、患者が明確に理解できるようにする
3)行動実験(例:過呼吸)を行うことにより、患者が破局的認知の誤りに気付き、認知の再構成ができるようにする。
4)回避してきた状況への段階的暴露を行う(行動療法)

・EMD(眼球運動による脱感作法)、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)
・CAC(Computer-Asisted Counseling)‥‥認知療法には適している。

・病気そのものと、病気をかかえている個人と、二つの次元に心を配る必要がある。
・家族の動揺は治療にマイナスである。
・同情されたくない、安易に頑張れと言ってもらいたくない。

2907
服薬を我慢することがよいことだと考える理由
・服薬が不規則になる人で、「我慢しなくてはならない」と考えている人がいる。
●薬を我慢することが、病気の治癒に役立つと信じている人がいるらしい。教育的に接することができるか。病気の成り立ちや、治療の戦略が理解できていない証拠である。しかしながら、解釈モデルが医療の常識と大幅にずれている場合には困る。
●薬をのむのは自分を甘やかすことで、根性がないことだと思っている?なぜだろう?「我慢しよう」と思うのはなぜか?我慢に何の利益があるだろうか?
●薬なしでやっていけるようになる、それが最終目標だということは分かる。しかし治療の妨げになる。やはり理解が足りないのだ。
●自助努力をしたいという気持ちは大切である。努力すべきは、薬を我慢することではなく、何であるかを理解していただく。他にやることがあれば変なことはしないのではないか。
●薬をやめたいという目標を前提にして考える。早く止めるためには今どうすればいいかを指導する。そうすれば腑に落ちるのではないか?

2908
認知行動療法の理論と実際」
・あれこれ質問する患者に対して、すべて答えるのではなく、なぜそんなにいろいろ知りたくなってしまうのかという患者の気持ちに焦点を当てて話を聞く。
インフォームド・コンセントとはいっても、実際にすべてを話すわけではない。しかし例外的ではあるが、すべてを知ろうとする人がいるし、時には挑戦的な態度で質問を繰り返す人がいる。すべてを適切に答える義務があると前提しているかのようである。
一種の性格障害であり、現在病棟で担当している人の家族は妄想性性格障害(パラノイア)と思われる。医療は手抜きをすると前提しているかのようである。
・特定の役割を特定の職種に割り振るタイプのチーム医療と、ネットワーク型のチーム医療。
●なるほど、そのように柔軟に考えてもいいのかも知れない。特に精神科領域で、多様な転移関係を観察し処理するという観点からいえば、ネットワーク型チーム医療は望ましい形である。

・患者と共に問題を整理する。
・考え方や受け取り方の極端なところをより現実的なものに変えていく。
・患者の悲観的な考えをより現実的な考えとバランスをとるために、現実よりも少しだけ楽観的な方に話を進めることの方が多い。
・患者の抑うつに気付かずに励ましている家族が多いので注意を要する。

2909
ある性格傾向をつくる悪循環
「不安なところを探しているところもあるみたいです」
不安を忘れたい、不安から遠ざかりたいはずなのに、なぜか不安を探して見つけてしまう。なぜか?
フィルターと言えば言えるが。
例えば、食事の葉っぱに付いている虫。気にする人は決まって見つける。次第に敏感になり、習慣として固定する。逆に、気にしない人は見つけないから、次第に無頓着になる。これも習慣として固定する。
不安やうつに関しても、背景に悲観的思考などを考えるとして、こうしたメカニズムが作用しているのではないか。

2910
認知行動療法の理論と実際」
・「治りますか、本当ですか」といった話になったとき、まずは病気について説明するが、次には「そこに認知の癖が現れている」と指摘し、悲観的な考えを現実的な考えに変えていく。治療動機を高める方向に治療的に利用することができる。
●つまり、患者の発言には二つの次元の異なる情報が含まれているということになる。
●心配は現実的ではないというのであれば、妄想的だと言っているのに等しいではないか?現実把握がずれているという点では、妄想的であると指摘しているのに等しい。幅広い、正確な情報を、適切に処理することができなくなっている。悲観的情報を集めるフィルターが働いてしまう。なぜなのか。それが問題である。????
●「不安なところを探しているところもあるみたいです」不安を忘れたい、不安から遠ざかりたいはずなのに、なぜか不安を探して見つけてしまう。なぜか?
フィルターと言えば言えるが。
例えば、食事の葉っぱに付いている虫。気にする人は決まって見つける。次第に敏感になり、習慣として固定する。気にしない人は見つけないから、次第に無頓着になる。これも習慣として固定する。
うつ状態の患者は、行動できないことや行動しても楽しめないことで自分を責めることがある。従って、患者には、行動することそれ自体が目標なのではなく、行動を通して患者自身の考えや受け取り方の極端なところを変えていくことが目的なのだと十分に説明する。例えば、予定していた行動が十分にできなくても、できなかったときに頭に浮かんでいた考えについて検討することが大事だと話す。

2911
認知行動療法の理論と実際」
・良くなったという答えに対して、明細化する必要がある。抽象的な表現では、具体的な内容がつかめない。表面的な言葉では患者の真意が分からない。
スキーマに対して。スキーマ通りにしないとどうなると患者が考えているのか、明らかにする。また、患者の現在の行動の中からスキーマに反する部分を取り出し、それが必ずしも患者が予測するほど悪い結果になっていないことを指摘する。こうした作業を通じて、徐々にスキーマが変化する。
精神分析のように、罪悪感を刺激したりや犯人探しのようにならないのがよい。現在に集中する。
●逆に言えば、精神分析のような因果関係をたどる思考は、患者が納得しやすいのではないか。科学的根拠は薄いとしても、納得はしやすい、精神分析はそんなタイプの思考法だと思う。人間の思考の癖をよくつかまえていると思う。
●このような手続きでスキーマや自動思考を変化させることができるなら、とても素晴らしいことだ。
●魔術的なところがなくてすっきりしている。だから物足りないという人と、だから信頼できるという人とがいるのではないか。

2912
患者が使用している思考と感情の「鋳型」を抽出、分析、修正して、治療しようという戦略は、精神分析認知療法も共通している。「自分では意識していない心の中の鋳型」という点でも共通である。
そうした鋳型は、素因と生育歴の相互作用によって形成される。これも共通。
抽出の方法論に関しては、分析に一日の長があると思われる。
その修正の仕方については方法が異なる。認知療法の方が納得できる。分析は、意識していないものを意識するようになれば、つまり前意識と無意識に属するものを意識に属するものに変更すれば、症状は消えるとする。認知療法は、繰り返し指摘し働きかけることで修正しようとする。

「自分では意識していない心の中の鋳型」を分析しようとして、まさにその鋳型が邪魔になるとしたら?自己分析がパラドックスに陥るとしたら?
だからこそ、治療者が必要である。

→問題:そのようなパラドックスを指摘できるか?

→予測:そのような自己分析を阻むようなパラドックスが何種類かあり、そのことが何種類かの精神病につながっているのではないか?
1998年1月22日(木)

2913
治療コースとして、何種類か提示し、あなたはどのタイプであるかを診断し、治療を提案するという形にできないか?
患者として納得して医療を受けられる環境づくり。

2914
デカルトのコギトについて。
中学の国語教師は、「吾思う、故に吾在り」と黒板に書いて、人間は深く考えなければならないといった意味のことを言ったように思う。
夏目漱石言う、向上心のない人間は馬鹿だという意味に解釈していたように思う。
とても道徳的な、人間の生きる態度についての教訓として受け止められていた。
デカルトは、心が存在することの証明として述べたのだろうが、このように別の解釈が付与されて流通している。

2915
心の鋳型について
・生育歴のある時点において適応的な行動パターンがあった。それが鋳型として蓄えられる。私の以前の言葉で言えば「行動パターンのユニット」である。
アイデンティティユニットといってもよい。たとえばおじいさんとの関係から考えれば、おじいさんに対する孫としての鋳型と、おじいさんを取り入れた鋳型。これらが形成される。
・それがどんな場面で発揮されればよいかをコントロールする部分がある。不適応とは、不適切な鋳型を用いているときのことである。
・退行とは、より幼児型の、より古い鋳型を用いることである。
・鋳型は層状に古いものから新しいものに積み重ねられている。新しいものを使っているときは古いものは不活化されている。
・鋳型を変える、修正するとは、何かたった一つのものを変形するように聞こえる。そうではなくて、別の鋳型を使うように勧めることである。
・別の鋳型を引き出す操作として、注意をそらす方法や、自動思考、スキーマの修正がある。修正といっても、別のものに置き換えることである。
・なぜ不適切な鋳型が選択されてしまうのか?それが問題である。過去にその鋳型が作られて、適応的であった時期との、類似が手がかりになっているはずである。それはフロイトが例としてあげたように、「あごひげ」であるかもしれない(少年ハンス)。
・心の鋳型説は、精神分析認知療法の両者の深層の構造を抽出したものである。さらに注意の理論につながる。
・不適応→退行→ここで偶然うまくいけばよいが、いかなければ更に退行→更に不適応。こうした悪循環が形成される場合がある。
・もともと鋳型のレパートリーが少なければどうしようもない。
・学習はいつでもできるのだろうか?覚悟を決めて、現状に適応的なパーソナリティを学習して身につけることも大切ではないか。どのようにすればできるのか?
・退行して子供に帰っているということは、学習可能性が高まっているということを意味するのではないか?

2916
個人の発達段階と、社会の発達段階がたまたま一致した場合、その人は偉人となり天才となる。才能や個性が独立して存在しているのではない。環境、社会との一致が問題である。
具体的には、社会に半歩先んじる、そのようなパーソナリティが有用である。成功するタイプである。

2917
適応の二つのレベル
・いろいろな個体が独自の「鋳型セット」を持ち、世界を生きて、その鋳型セットの適応の程度を実験している。それはちょうど、魚が種々のDNA変異をしていて、環境に対する適応を持続的に実験していることに対応している。少しずつ変化して、環境への適応をより高めるとともに、環境が変化しても追従できるように、いつでも変化しつつある。
・人間の場合には、DNAが直接試されているというよりは、DNAがセットした脳と分化の全体が試されているといってもよい。それは結局DNAであるが。
・遺伝子で決定されているのではあるが、ここで実は二段構えになっていて、直接DNAが試されるのではなく、脳の構造が試されている。脳の構造は素因もあるが生育歴の結果でもある。
コンピューターでたとえれば、ハードと、基本ソフトと、それによって蓄積したデータのすべてが、検証される。つまりハードとソフトと記憶媒体の内容と、これらすべてが検証される。勿論、進化の歴史をたどれば、ソフトも記憶内容も、ハードから発生したものではあるのだけれど。
ポパーの三世界理論を使える?物質と心と分化。ハードとソフトと記憶内容。
ここで問題は、心とソフトの対応である。怪しい。
・人間の場合には遺伝子が直接に試されるのではなく、ずるく奥に引っ込んでいる印象である。それを二段階の淘汰システムと表現できるのではないか?

2918
こころとからだの病気に対して積極的ストレスコントロールの提案
皆様こんにちは。この場を借りて、皆様へのメッセージを記させていただきます。
現在、臨床の場ではいわゆる心身症が急増している印象があります。心身症は、心身の不調の原因として心理的要素が関与し、さらに治療の面でも心理面への専門的な配慮を必要とするものであります。
具体的には、心の症状タイプ、身体の症状タイプ、心と身体の両方に悩みが出るタイプ、家族が悩むタイプなどいろいろあります。たとえばパニック症状や、全般性不安症状、いわゆる心身症やライフスタイル病、摂食障害家庭内暴力やアルコール問題、アダルトチルドレン、幼児虐待まで。さらにはご高齢になって不眠がちになった場合にも、背景にはストレスがあることが多いものです。
心身症の増加の背景としては、現代社会のストレスに我々が対応し切れていないことがあげられます。会社、学校、さらには家庭にいたるまで、人類が今まで経験したことのない、持続性で強度のストレスがわれわれをとりまいているといえましょう。逃げることも休むことも許されず、ストレス解消の手段も考えつかずといった状況です。自分なりのペースが許されることは少なく、社会に自分を合わせるしかないのが実状です。
遠い昔には昔なりにストレスがありましたし、それに適したストレス解消の手段もありました。悩みの聞き役も村にはいたでしょうし、青年期危機の経験を伝える役の人もいたでしょう。その程度のストレスコントロールで適切であったのです。
現代を生きるあなたはどんなストレスに悩み、あなたに適切なストレス発散の手段は何でしょうか。多くの人が適切な指針を得られずに困っています。
当クリニックでは、まずあなたの症状構造とストレス構造を考えます。次に治療目的を明確にし、薬とカウンセリング、その他の療法をどのような割合で用いるのが適切か、ご希望やご都合を伺いながら決定します。本を紹介したり、さまざまなグッズを提案することもできるでしょう。なかでも基本は対話的関係であり、納得して、治癒の希望を持って治療することが大切だと考えています。
以上の方針で、ストレス病に対しての積極的ストレスコントロールを提案させていただきたいと思います。

2919
・こころの問題
こころの傷を解決できない
ストレスケア
ゆううつ
不安・イライラ
物忘れ
人の視線が気にかかる
うわさ話をされている
どうしてか人を傷つけてしまう

・こころとからだの問題
不眠がち
心身症
ライフスタイル病(成人病)
更年期障害
心身不調状態
食欲の問題
アルコールの問題
慢性疲労
パニック
広場恐怖
過呼吸
強迫症
ひきつけ・てんかん
乗物恐怖

・家族のこころの問題
幼児虐待
お子様の発達相談
学生のメンタル相談
働き盛りのメンタル相談
痴呆相談

2920
ミルトン・エリクソン心理療法セミナー
・逸話の利用についての提案。
・治療を受けていることが問題だ。自主的な人生を歩めばその方がいい。
●全体として冗漫。つきあいきれない。
●翻訳は清水義範のジャック・アンド・ベティみたい。
●催眠を用いた、名人芸といったところか。ついていけない。全体の雰囲気も、カルトみたい。

2921
「心はどこにあるのか」(ダニエル・デネット
●買って損した。面白くない。あるいは、面白さが伝わってこない。支離滅裂なお喋りにやや近い。→だんだん面白くなってきたので、取り消し。
・詩集を顕微鏡で読もうとするのは的外れである。
ダーウィン型生物……遺伝子を変化させて適応実験する
・スキナー型生物……行動変異を起こして適応を実験する。強化のプロセス。
ポパー型生物……シミュレーションと洞察により、行動選択する。高度の適応が可能になる。
・グレゴリー型生物……道具を相続して、それにより知性を発達させる。他者の経験を利用することができる。文化を相続する。
●しかしながら、ポパー型生物の場合、特有の症状が発生することらなるだろう。
シミュレーションの前提として、外部現実を内部現実に写し取るプロセスが必要である。すべてを忠実に再現するのではない。必要な要素だけでよい。しかしそれは途方もないほど大変な作業であり、これこそが奇跡に近い。
内部現実が外部現実のモデルとして不適切な場合。……これは病気としては性格障害になるだろう。
内部現実を調整して、外部現実との一致度を高める機能……これが現実照合機能。これが壊れているのが、?

幻覚妄想状態とは、内部現実と外部現実がずれているのに、内部現実を外部現実と思い込むことである。照合と訂正の機能が働かないからずれてしまう。

外部現実に内部現実が優先している状態という。たとえば笠原の教科書。しかしそうだろうか?
1)内部現実は常に外部現実に優先している。
2)内部と外部が一致しない場合には、結果的に、内部が外部に優先すると見える。
3)一致している場合には、どちらといっても構わない。常識的には、外部を優先していると言う。
4)空想を非現実と認定する。それはまた別の次元の、内部と外部の区別である。空想を現実と認定するのは、……いやこれが妄想か。では一致していない内部現実を外部現実として信じてシミュレーションし、行動するのは何というべきか。現実把握が悪いという言い方になる?

●内部現実と外部現実というモデルでできるだけのことを記述してみること。これは楽しい試みである。
ローレンツの「鏡の背面」の理論。参考になりそう。

ポパー型生物……以前の精神病モデルに一致している。記憶部分、現実モデル部分、照合部分と三分して、それぞれの部分に障害があるとき、どのような症状になるのかを論じたもの。リドルの分裂病論ともつながる。各理論の接続はとても良好である。

●生物が内部に蓄えている世界モデル、それをスキーマと言ってもいいのだろう。拡張しすぎか?認知療法とは、この内部にある世界モデル、つまり内部現実を、外部現実のよりよいモデルに修正することである。合理的思考とは、外部現実により適合した内部モデルのことである。
課題
→なぜ自力では修正できないのか?
→どうすれば効果的に修正できるのか?

2922
「心はどこにあるのか」(ダニエル・デネット
・生物では、古いソフトのある部分を消去してしまうのではなく、「コメントアウト」しておく、つまり不活性化のマークをつけて、残しておくことをする。時にはこうした部分を再活性化して利用することもある。
●このようなプログラムの誤動作として症状をとらえることができるだろう。たとえば(低次の)強迫症
・草花の成長をビデオで早回しにすると、まるで意志を持ち、指向性を持っているように見える。
・観念連合学説、行動主義、結合主義。単純な学習モデルの進化。
Associationism,Behaviorism,Connectionism.ABC学習と呼ぶ。
・吐き気、めまい、恐怖、震えなどの典型的な反応を示して身体が抵抗したら、それは考慮された行動がよくないことを示す信頼性のある合図である。進化は、悪い選択を選ばないようにするために、それを試したときに強烈にいやな感覚を伴うようにして、実行する気をなくしてしまう。
●感情でラベルをしておく。
・好奇心。強力な学習システムの原動力になっているのは、好奇心だ。強化因子がない環境でも、結局は強化がなされた。
・痛みの中心的な機能はマイナスの強化、すなわち「罰」を与えて同じ行動を繰り返す可能性を減らしている。

2923
図解。
チャート式。
「一目で分かる」方式。at a glance.
こうしたもので理解を助ける親切さが大切。何よりも自分の頭がすっきりするはずである。

2924
履歴書から分かることと分からないこと
転職を繰り返しているとき、どう判断するか。気持ちの落ち着かない人、問題のある人とするか、向上心がある、理想を求める、くじけない心を持つなどとするか。
結局は文面からは分からないことだ。どちらの可能性もある。そこで面接が必要になる。面接で感じる直感が何かを教えてくれる。

2925
「拒食の喜び、媚態の憂うつ」(大平健)岩波書店
●意外に面白い。やはり文章に芸があるのだろう。ある程度勉強もしている。後半はくだらないお喋り。
・近代的自我とは。「本物の自分」と「生活している自分」とが分離して、本物の自分を近代的自我と呼ぶ。
・昔の人間は「生活している自分」が本当の自分だと思っていた。19世紀近代になって本物の自分が本当の自分になった。
・「本物の自分」→「生活している自分」という構図。
アルコール中毒。自らの意志で自制心を失うことを選んだ人格の病。
フロイトが見抜いたのは、「生活している自分」に現れた症状が実は「本物の自分」の自己表現に他ならないということ。ヒステリー患者は「生活している自分」を「本物の自分」が自己表現するときの道具にしている。
・「本物の自分」はスーパーエゴに突き上げられ、「生活している自分」はイドに突き上げられる。この二つをまとめて「イヒ」と呼んだ。
●ここの解説は見る自己と見られる自己の分化である。自意識の誕生に関連して論じられる。また、時間遅延理論でも重要な骨格となる。
・「抗ストレス薬」という言い方をしている。抗不安薬のことなのだろう。分かりやすくてよい。
・心的意味のある身体症状を示すのがヒステリー。
・アイ→ミー (反省)
・「クレイミング・アメリカン」子供の病気は親のせい、しかし親の欠陥もそのまた親のせい。いくらでも他人のせいにできる。その手助けをしているのが精神医学。

2926
一日を終えて、「やれやれ困ったことが起こらないいい一日だった」と感じるか、「いいことが起こらないつまらない平凡な一日だった」と思うか、かなりの隔たりがあるのではないか。
このあたりで、人生に何を期待しているかが分かる。

2927
広告
ネガティブなイメージを持たれそうな要素を排除することによって効果を上げるタイプの広告がある。
一方で、ポジティブに売り込もうとする広告がある。
たとえば「安い!」とメッセージを発したとすれば、それを好ましいと感じる人と好ましくないと感じる人がいる。
戦略がはっきりしていれば、それもいいが、マーケット状況をつかんでいない段階では危険である。その場合にはむしろ、ネガティブを回避する戦略が正しいだろう。

2928
開業医のあり方:専門医として、あるいは家庭医として
わたしの場合にはどのような立場をとるか。神経科心療内科という科目。立地条件。
たぶん、専門医として活動するのがよいと思う。患者が直接に訪れるのも大切なルートであるが、専門医として、他の医師からの紹介を大事にすることがいいだろう。

2929
対象疾患
心身症神経症うつ病自律神経失調症、ストレス病、てんかん不登校、痴呆の心配。

治療
薬(抗うつ薬、抗ストレス薬、抗不安薬睡眠導入剤、自律神経用剤、抗てんかん薬、抗痴呆薬、そのほか一般に身体の薬)
精神的治療(カウンセリング、集団精神療法、精神分析療法)
訓練的治療(自律訓練法認知療法、行動療法、デイケア、ナイトケア)
ラクゼーション(アロマテラピー、バイオフィードバック)

2930
田舎の青年が、「退屈な田舎はうんざりだ、都会に行きたい」、そんなことを言うようになって、分裂病の時代が始まったと思うのである。この青年は生育の過程でやや問題があった。環境に刺激が強すぎる点があったか、環境とは関係なく、内的に異常が発生したか。田舎の環境で満足するにはレセプターが足りない。

子供の頃のレセプターレベルのセットが問題である。「田舎は退屈だ」と言って実際に出て行ってしまう人は、子供の頃からのレセプターレベルのセットは他の人たちと異なっていたはずである。つまりより多くの刺激を欲していた。
1)子供の頃の環境は変化する。大人になると言うことはある意味で鈍感になることだから、子供時代よりは大きな刺激を欲する。
2)生育に従って、レセプターはどう変動するか?多感になるともいえる。逆に、より多くの刺激を求めてさまようともいえる。

生育歴を聴取する目的の一つはここにある。どの程度のレセプターレベルが子供時代と青年時代で見られたか。そのために聴く。

未完成

2931
バックグラウンド・ストレス・レベル

最大ストレス・レベル
この中間で、生活は営まれる。
グラフで、生活の領域が描かれる。

田舎は低ストレス過ぎるので、我慢できない。
都会に出て、バックグラウンド・ストレスレベルは上昇する。

未完成

2932
哲学関係の本は、「心とは何か」と始まる。うんざりである。
精神医学は心とは何かを問う必要はない。「なぜ」と変調の原因を考える必要さえないかもしれない。「どのように」変調があるのかを記述する。しかしそれさえ必要なく、ただ「これから何をしようか」と話を進めるのがよいのかもしれない。
過去を掘り返していては幸せは逃げていく。そういうこともある。

2933
シンボルの無限背進
人は異性に恋をする代わりに、シンボルに恋をする、さらにそのシンボルに恋をする。
所有の欲望は、ものそのものではなく、貨幣に向かう。さらに貨幣の代用物、シンボルに向かう。
名誉のシンボル、力のシンボル、富のシンボル、若さと健康のシンボル、それらはさらにシンボルのシンボルへと連鎖してゆく。
その果てに、外部現実を転写した内部現実が成立するのではないか?
つまり、シミュレーションは、シンボルとシンボル、(それらはシンボルのシンボルのシンボルの……という「深さ」が異なる場合もあるだろう)、の間で実験される。

観念の動物とは、シンボルの動物であるということだ。

シンボルによって構成される世界が、脳内現実である。変換を続けていくうちに、最後には「シナプスの言語」に変換されているのだ。

2934
自意識と他意識とに分割して考え、自意識は他意識の様子をモニターしているだけで、実際には他意識に影響を与えないとする。
自由意志は(本質的な意味では)錯覚であり、時間遅延が自由意志の錯覚を生み出している。それがタイミングがずれたときに、(ある種の)離人感、自動症、させられ体験が発生する。

だとすれば、言葉でスキーマや自動思考に働きかけるとは、どんな作業をしていることになるのだろうか?

この考えでは、自意識は他意識の内部状態についてモニターするのが役目であり、その観察は集団の他の個体の内部状態の推測に役立つ。

自意識→他意識

他者

2935
一度として途切れたことのない遺伝子の連鎖の結果としてわたしが今ここに存在している。めまいを覚える。
このすき間のなさ、完璧さ。

2936
「拒食の喜び、媚態の憂うつ」(大平健)岩波書店
摂食障害における、「本物の自分」と「生活している自分」
強迫性障害の二種と同じ論点。常同症とコントロール過剰症といえばいいだろうか。
・節約のために、本物の自分を「自分」、「生活している自分」を私と表記する。
自分→私→他人 と憎悪が成立する。
うつの場合には、
自分→私→×→他人 となっていて、私が他人への憎悪を表現できなくなっている。せき止められた攻撃性は自分から発して私で止まる。
・自分を殺して他人と事無く付き合う人。
自分→×(自分を抑える)……私→→他人(事無く付き合う)

自分→私→×他人
怒り

・テン・セント・セラピスト、安っぽい療法士。

2937
森田神経質
コントロール過剰の病理と見える
診察室を映したビデオでは、症例の選択・限定が徹底していないようだ。
「あるがまま」は、つまり、(他意識に対する)自意識の過剰について是正するものである。

自意識→他意識。
行動だけ修正する、自意識については仕方がないので「あるがまま」とする
つまり、他意識については修正する。自意識は受け入れる。

「とらわれ」は、自意識と他意識の間での不具合とも見える。たとえば赤面しても用を足すことは、「他意識→他人」の部分である。赤面が気になって、気が散って何もできない」とするのは「自意識→他意識」の部分である。

パニック発作があっても「まあいいや」と思えるようになる。
生の欲望を肯定し、身を任せる。
素直になる。みじめだったり恥ずかしかったりする自分を素直に認める。

不安と共存するしかないと悟る。
豊かになると内面と向き合うようになる。
薬を使わない。身を委ねる。頭の中でいじくらない。
思考の遊戯をしない。受け入れる。
●薬を使わないというのはここでも大事なキーワードである。

2938
バックグラウンドストレスに関しては、サブカルチャーの問題もあるだろう。

2939
痴呆病棟で。「いつ帰れるの!」と老女性が職員に対して怒っている。「あしたですよ」と答える。「嘘じゃないだろうね!私は嘘つかれるのが一番嫌いだ。嘘だったらわたしはあんたを刺すよ。わたしはそんな人だからね。嘘じゃないだろうね。本当に刺すよ!」と真剣でせっぱつまった言葉を語る。職員は手慣れた感じで、「はい、本当ですよ。あしたですよ」と応じている。興奮しているのは患者だけである。
これでいいのだろうか。仕方ないのだろうか。嘘は嘘である。しかしこれ以外にどうしようもないのも事実である。

2940
不安は危険の信号系で、赤信号である。回避しろ、逃げろ、の信号である。
これが誤作動することがある。なぜ誤作動しているか、何に反応しているか、調べればよいはずだ。

2941
これは夢だと意識する。これは自意識があるからこそ可能になることだ。

2942
自分の感覚を延長して、他人の内部状態を推定する。感情や思考、意志など。
他人以外のものに向けると、擬人化、アニミズムになる。

他人についての情報が少ないときに、被害的になったり、ときには過度の理想化をしたりする。このような投影を行うのは人間の本性である。
投影する内容が不都合なとき、性格障害と言われる。
妄想性性格障害では、たいてい被害的。
境界性では過度の理想化と過度の脱理想化。
自己愛性では相手は自分を愛している、崇拝しているという思い込み。

2943
多重人格のスイッチングのメカニズム。何がきっかけになるのか?
一般に、人間の感情や行動をリリースするメカニズムと関係しているだろう。

2944
マスコミがこのように発達し、日中に主婦はテレビをつけっぱなしで生活するということであれば、芸能人とともに年をとる感覚が生まれてくるだろう。
芸能人は年をとらないから、おかしな現象が生じるかもしれない。

2945
To be or not to be,that is the question.
生きているか、死んでいるか、それが問題だ。
脳死問題のテーマとすることができる。

2946
共生の感覚。
一方的な寄生ではないという感覚。
障害者と共に生きる社会の視点。どのように寄生ではなく、共生であると納得できるか。

2947
ある種の精神異常は人に夢と希望を与える。
狂った宗教者は、ある点で人類に光をもたらす。

2948
開業医が感じる、高度先端医療からの遅れ。

2949
解剖学実習室での悟り
心が張り裂けそうになるとき、現世価値の相対化が役立つ。
たとえば、解剖実習室に入るとよい。そこには人間の死後の肉体が横たわっている。人間とは何であるかが伝わってくる。本当の虚無が身にしみる。そしてそこからどう生きるかを考え始める。

2950
ソフィーの選択」のソフィーのトラウマと癒し
結局癒しは成功しなかった。どのようにすれば可能であったか?
ソフィーはアルコールを用いた。
解離や忘却、抑圧は用いなかった。

2951
Vanity
虚飾
こうした虚しいものを追い求める人生はどうか?
早く気付いて「本当の人生」を始めた方がいいとする人もいる。たとえば修道院にはいる。グッチ家の長女は修道院に行った。
また、虚飾であっても、つまらないゲームであっても、わたしはそれに参加したいと考える人もいる。虚飾であると悟った上で、参加しているのである。

2952
現代……安定した世界観が崩れて、価値観の相対化の中に生きている。絶対の指針がない。
そうした状況では、自分の内面と向き合わなければならない。向き合ったとき、不安が見える。拡大されて心を占めるようになる。

絶対の価値観や指針があるときには、自分がそれに合わないのはなぜか、もっとよく合うようにするにはどうするか、問い続ける。強迫症者に生きやすい世界である。
子供時代はある程度そうしたものだろう。大人になるとやや緩くなる。しかし現実の社会を生きていれば、やはり社会の根底的な規範はかなりの程度に、人々を縛っていると思う。
社会常識や規範が緩くなっているなどといえるのは学者ばかりではないだろうか?

2953
QOLを自分の人生にも考えてみる。
わたしは自分の人生の価値を、他人からの外面的な賞賛以外の何かで測ることができるか?

2954
精神病院や痴呆病棟、デイケア施設で、わたしは本当はいいことはしていないとしか感じられない。現実はこうなのだからというものの、もっとよくできるはずだという思いを強く抱く。
モラルが麻痺しているという現実が見えるし、忘れられない。弱者からむしる態度がわたしを居心地悪くさせる。

2955
新聞で。
老人用のデイサービスの車が家の前に停まると、それは屈辱であると感じる人たちがいる。
他人がそれを見て、自分達のことを軽蔑するだろうと予測して、悔しがる。
そのような人たちもいるのだということは理解する必要がある。
精神科でも、頑なに32条を拒む父親がいた。理解が足りないというべきか、別の感覚があるというべきか。

2956
「心はどこにあるのか」(ダニエル・デネット
・第一次の志向システムから第二次の志向システムへの進歩。
第一次志向システム……いろいろなものを信じたり欲したりする。
第二次……自分や他人に信念や欲求があることを信じたり欲したりできる。
第三次……自分が何かを欲していることを相手が信じるようになって欲しいと思う。
第四次……相手が何かを信じているとこちらに信じるように欲していると信じることができる。
・入院してADLが低下した老人も、自宅に戻ると自分のことは自分でできるようになることが多い。老人は長年にわたって自宅という環境の中に日常の行動をうながしてくれる目印を刻みつけており、それによって何をしなければならないか、どこに食べ物があるか、どのように服を着るのか、どこに電話があるのかなどを思い出している。新しい学習はできない老人でも、いたるところに目印がつけてある環境でなら、自分で自分のことは処理できる。老人を自宅の外に連れ出すことは、老人をその知的能力から切り離すのに等しい。脳手術を受けさせるのと同じくらい破壊的な行為である。
●こうまで極端に言っていいかどうか疑問であるが、そのようなことも部分的には当たっているだろうと思う。
●難しい本である。議論の背景がある程度以上分かっている人でないと、理解できない。たとえば「解離」を分離と訳して、その部分も詳しい説明はないから、理解し難くなっている。不親切というか、表現力の問題がある。翻訳のレベルも問題であろう。
・人間を除く動物は痛みは感じられても、苦しむことはできない。

2957
ある一つの言葉の背後にあるもの。
顕在的な、あるいは潜在的な、言葉と言葉のつながりが、国語の中から、あるいは生活経験の中から、形成される。
それが意識内容(無意識内容も含むといってよい)である。世界観である。内的世界モデルである。

つまりこのようにして観念連合説ができるのだろうか?

2958
シンボルの読解
小説を読む、ドラマを見る、コマーシャルを見る、音楽を聴く、ポスターを見る。そこに何が描かれているのだろうかと読解を試みる。読解のレベルは様々である。
作者は何を意図したか。あるいは作者の意図を超えた何が表現されているか。
全体の筋書きは何を意味しているか。部分は何を表現しているか。
何重かの記号化が達成されている。
ここのセリフは何を意味しているか。一つ一つの小物は何を意味しているか。それらがまとまって何を意味しているか。意味は何重にも読解される。
送り手と受け手の読解のレベルが合わないとき、コミュニケーションの錯誤が生じるのではないか?

分裂病者が読解に失敗しているのは、このようなシンボル読解の階層の錯誤があるのではないか?
1998年1月26日(月)

2959
人間は誰でも自信がない。
なぜなら、自信があれば、人間はもっと困難なことに挑みたいと思うようになる。そして自信をなくしたところでやっとこの動きは止まる。
したがって、すべての人は自信がない状態で暮らしている。

自信があるというのは、向上心がないということで、怠け者だということだ。

2960
自律訓練法がなぜ効くか
注意の向け方が変更されるからである。
いままで内的不安や外部の不安要因に向けられていた注意が、たとえば「右腕が重い」という点に振り向けられる。

2961
縦軸……活動レベル(精神と身体)
横軸……鎮静、興奮、過興奮
興奮から過興奮に向かうと活動レベルは低下する。山形の曲線を描く。

2962
マックを使っていて、何度もリセットする羽目になった。起動するまでじっと待たなければならなかった。はじめからやり直し。そしてこちらがどんなに焦っても怒っても、むだである。相手に合わせるしかない。
これは精神療法と同じであることに気付いた。精神病者を相手にするということはつまりそういうことである。

2963
分裂病の軽症化とテレビ環境
テレビが幼児期からある環境では、ドーパミンレセプターのセッティングが、テレビのない環境に比較して明らかに異なるだろう。このことと、分裂病の軽症化が関係しているのではないか?

1)分裂病になる人は、レセプターが多すぎる人。
2)(ドーパミン)×(レセプター)=過剰 となってときに、発病する。
3)普段はドーパミン過剰にならないように静かな生活を続けている。しかし思春期に、危機が訪れる。こうして破瓜病が成立する。

レセプターが多くなってしまった人も、テレビで刺激にさらされていると、レセプターは、減少する。つまり、レセプターの過剰が緩和される。

通常は刺激4に対してレセプター4であるとする。=16
昔なら破瓜型予備者は刺激2に対してレセプター8の状態になる。=16
テレビを見ていると、これが3と16/3(=5.3)程度になる。=16
この状態で思春期に至り、刺激が8程度になる。
通常者 8×4=32
古典的破瓜型 8×8=64
現代の破瓜型 8×5.3=42.4
仮に、40以上が幻覚妄想状態になるとすると、古典的破瓜型は重症化するが、現代の破瓜型は軽症ですむ。テレビの刺激のおかげで、レセプターが減らされているからだと考えられる。

しかし一方で、テレビは有害刺激を含む。「悪い行動や思考の刷り込み」が起こる。

テレビは内省を奪う。映像で「考える」ようになる。つまり、通常の意味では「考えなく」なる。衝動的になる。
衝動的とは、原因刺激と結果行為が直結している状態である。間に複雑な感情や思考が入るはずなのに、それが抜けてしまう印象である。テレビの人はそのように行動している。

テレビは世界の悲惨や残虐を集約して見せてくれる。人間が自然状態で生きていれば、見聞きする残虐はそれほど多いものではないのではないか。ある程度の幸せを確信しながら生きていられるのではないか。しかしテレビは残虐を集約し、人間の世界では常にひどいことが起こっているかのような印象を生む。他人のことを細かに伝えるので自分との比較を生む。しかも、そこに露出している像は虚像であることも多い。しかしその虚像と現実の自分を比較して考えるようになる。

たとえばここのところ報道されている、私立大学運動部員による集団レイプ事件。このようなことがどうして起こるものか。何が彼らを教育したか。

2964
ストレスが高まったとき、衝動行為に至る人と、幻覚妄想状態に至る人との違いは何か?
幻覚妄想の結果として、衝動的攻撃行為に出たり、衝動的自傷行為に至ることはある。

中学一年男子生徒が、授業に遅れた。叱った女性教師(26歳)を持っていたナイフで刺し殺した。
ナイフを持ち歩く、授業に遅れて叱られる、このあたりは健常ではない。普通ならば授業に遅れても、理由があるし、したがって叱られたりはしない。普通の生徒だったという言い方には嘘があると思う。
1998年1月29日(木)

2965
分裂病の根本病理は、レセプター可変性の低下(つまり固定化)にあると思われる。

レセプター固定化=ストレス病 (つまりは適応障害

この場合、人のタイプによって、様々な反応を示す。身体に出れば、心身症、幻覚妄想状態で出るなら分裂病うつ状態ででるならうつ病

環境に合わせて柔軟に変化させられる人は、ストレス病にならない。

心身症分裂病うつ病といろいろな表現型をとることの理由は不明。たぶん、嘘だ。
もっと正確な考察が必要。

こう仮定して、どの範囲のことが説明できるか、試みること。

もっといろいろな病気があっていいはずであるが?たぶん、たいていは、正常からの統計的にあって当然の変異とされているのではないか。少し変わった性格とか、少し知能が低いとか、つまりは個性の範囲内で理解されているのではないか。その範囲を超えるものはつまり、自傷他害であり、その背景には現実把握の歪みがあるだろう。

2966
ある雑誌で性格・行動異常のある芸能人の顔の類似について指摘があった。花柳幻舟、東電OL、中森明奈、小柳ルミ子など。頬がこけて痩せている。少し出っ歯。目つきがすさんでいる。似ているという印象がどのあたりから生まれるものか、興味深い。
心の状態を外見が示していることになるからだ。

2967
人は現在を過去の結果だと考える。

清算されていない過去が、現在を縛る。

2968
アメリカ大統領のルインスキー疑惑。
目立ちたがり屋の女性が有名人とのスキャンダルを語る。一方は迷惑顔に否定する。ルインスキーという人にも大いに問題があるのだろうと推定できる。
しかし、やはりここでも通常のもみ消しの作業が行われる。性格がおかしい、頭がおかしい、何か裏にあるのだろうといった言葉が流される。
そうした言葉も納得できるから、ややこしい。
こうした成り行きを見越して、そのような人たちを被害者として選んでいたとしたら。

一方で、権力のある側、世間に信用にある側が、自分の都合のいいように丸め込むことも厳然として多数あるだろう。

性的虐待の被害者と加害者の分析を読むと、とても納得させられる。説得力がある。ハーマン「心的外傷と回復」。

2969
「絶望がやがて癒されるまで」町沢静夫
・セルフインストラクション法。自分の心の中にもう一人の自分の理想像をおき、その理想的な自分といつも対話する癖をつける。自分のなかに指導者をつくる、そしてその指導者といつも対話しながら自己決定していく。
・悲観的で否定的な考えに陥りやすい人。→その由来があるはずである。
・自ら絶望を呼び込み、人の同情と援助を得ようとするスタイル。→その由来もあるはずである。
●個を超える‥‥transpersonal
・芥川は自分自身をさらけだすことを美しい行為だと思っていなかった。内面の汚い部分や醜い部分をわざわざ表現することが文学なのであろうかと思っていた。このような告白的なことをやっていたのが自然主義文学である。
・その人が挫折しやすいポイントに気付くようにしていくのが心理療法
・現在のストレスを明らかにすれば、その中にそれまでの生き方、考え方のすべてが現れているので、現在のストレスの分析がまず大切。
・フラストレーション・トレランス(欲求不満耐性)の極端な低さ。
・耐える力が乏しい。
●人はなぜ耐えるか?耐えたことの報酬が望ましいからである。その人には耐えるに値するだけの報酬が与えられない。
●自分のことを平気でほめて書く感覚。愚かで未熟なことのように思える。

2970
患者の希望はどう扱うか。例えば、デイケアで、横浜に買い物に行こうと患者が「自主的に」決めた場合。今泉クリニックの例。
医者が頭ごなしに禁止すれば、そのことを非難される。

希望してことが現実的な希望なのか、症状として、たとえば思考障害の結果として出たものか。あるいは現実把握の欠損から出たものか。そのあたりについての検証はどうするか。
人間観、疾病観、理解の深さ、そうしたことが複雑に絡む。
結局のところ、よく理解されず、恨みを買うだけのことも多いと思う。未熟は未熟ながら、正義感は強いことがある。未熟だからこそ、正義を振りかざすことができる。

女性の場合、愛情の競争をしているところがある。「受容。理解。わたしにだけは心を開いてくれる」こうしたことについて、自分が一番すぐれていると主張したがる。患者は治療者のそうした心理に「寄生する」形で症状を固定させてゆく。
治すこと、治療を卒業すること、クリニックに来なくても自分で自分を支えていけること、こうしたことが目標にならない。自分になつく、自分にだけ心を開く、これだけが目標になる。こうした倒錯に鈍感になる。

2971
天声人語で。
最近の若者の変化。たとえば、学校で「ムカツク」「キレル」。保母さんの印象。最近、小さい子を抱いてみると、体が硬い子が多いという印象を持つ。抱かれることができない子、触られるのをいやがる子が増えた。

子供を教師もしつけられない。親もしつけられない。

結局、微細脳障害の結果ではないかと考えたくなる。
人間は自動的にちょうどよく育つようにできているのだ。それが育たないのだから、欠けているものがあるのだ。

原因を生育環境に求めるとして、昔と比較して変化したすべてが怪しいということになるだろう。因果関係の推定は任意に理論化できるだろう。統計的な推定がまだましな手がかりをもたらす。

母親のアルコール、タバコ、精神状態、環境ホルモンダイオキシン、親子関係の変容、地域社会の崩壊、学校の変容、テレビや漫画、マスコミが伝える暴力や奇形的な人間関係。
器質的要因も思い当たるし、心理的要因も山積している。

2972
医療の水準はどのように確保されるか、大いに問題がある。高度な水準で、医師の自由裁量が保証されることは良い。すべてが国家統制される必要はないだろう。
しかしひどい例が多い。二十年くらい何の自己研鑽もせずに生きてきた医師がいたとして、その人も自分なりに勉強して、現代の水準を超えた医療を実践していると確信しているとしたら、もうどうしようもない。妄想患者と同じである。
信念と事実関係とを区別できない人に対してどうすればよいのか。被害をくい止めるためには「規制」が必要になるだろう。
実際の話、現代医療に老年医師がどうかかわることができるか考えると、限界があるだろう。定年制などが適切かも知れない。自由競争にまかせるのでも良いが、精神科や痴呆医療の場面では自己選択できないときがあり、その場所に、そのような医師が集まることは憂慮される。

2973
自律訓練法の意味
・自己催眠である
・つまりは「注意の振り替え」である。身体の一部に注意を集中すれば、フィードバックループが完成する。それは強力に注意を惹きつけるので、たとえ不快な思考や感覚、不安などが心を占めていても、一時的に注意を振り替えることができる。
・解離性が強い人の場合には、終わりの時に「消去」の手続きをしておかないと、解離状態のままで日常生活に出て行く、つまりは横断歩道を渡って危険な目に遭うおそれがある。解離性の強くない人の場合には消去は不可欠というわけではない。
・催眠とかトランスとかいうが、つまりは注意の方向と範囲をコントロールして変化させることである。注意が狭まれば、現実把握が低下する。また、注意の方向が別の方に向けられれば、現実把握は低下し、ファンタジーの世界に入りこむ。

2974
達成目標がなければ達成の喜びもない。
老人性痴呆のケアでは具体的で達成可能な目標を設定することが医師として大切な仕事になる。
何を、いつまでに、どのように、誰が、これらを明確にする。

2975
精神病院と痴呆病棟は合法的な監禁施設である。そこでは緩徐な虐待が進行している。自己決定権を奪われ、無力を思い知らされ、希望を剥奪され、服従を強いられ、結局、複雑性心的外傷を受ける。その結果、入院時の精神症状の他に、複雑性PTSDの像を呈する。さらに、精神病そのものが、重篤PTSD体験となりうる。

2976
心理的外傷体験
わたしの場合は、母の死に伴い、親戚から受けた仕打ちである。夏目漱石「こころ」に描かれているような、財産管理人による財産の横領であり、その後の居直りであり、さらには攻撃である。
こんなことをしてどうなるというのか?生きるということはこのようなことか?生きるにあたっての苦労はこのような結果を生むだけなのか?それなのになぜ生きるのか?
なぜこのような無益なことをしてしまうのか。人間はこれから先もこうなのか。

わたしに神が必要であった理由。わたしがユダヤ教的な裁きの神、正義の神を必要とする理由。それがここにあるだろう。わたしは個人的に、愛の神には賛成できない。それが高次の神であり、望ましいものであり、人間の未来を開くものだと承知してはいても、わたしにとって神とは、依然として裁きの神である。

たとえば、妹は父親似で、わたしは母親似であった。そのことからも妹は母に可愛がられなかっただろう。わたしは可愛がられたし、ある意味ではわたしが家長であった。常に尊重されていた。妹はそうではなかった。
母は結婚後暮らした父の実家で様々に傷つけられただろう。その思い出は父親似の妹を母にとって疎ましいものにしたのではないか。
さらに母の死後に、妹は母の実家で暮らした。そのことも妹の人格形成に影響しているだろう。

妹の事故傾性の例。雑貨屋の前で、道を横断しようと急に走り出して、車にひかれそうになった瞬間。

2977
物語もドラマも、心的外傷からの癒しの側面がある。
たとえば「ソフィーの選択」。この小説をトラウマとその癒しという視点で読み直すことができるだろう。
あるいは大江健三郎は障害を持つ子供を授かったときから始まる苦しみを描き、救いを描く。
精神科医としての直接の関心は、どのような人が、どのようなトラウマに、どのような症状で、さらにどのように治癒に至るか。病前性格、トラウマ、症状、治癒。

人が何かを求めて文章を読む。それはトラウマからの癒しであろう。傷ついた心、もはや他人についての基本的信頼を保ち得なくなった自分に、しかしそれでも人を信じる気持ちが必要だと感じているからこそ、物語を読みたがるのだ。人と話をしたがる。映画やドラマを見たいと思う。

2978
老人のPTSDについて研究できるだろうか?
痴呆老人は言葉を失っている。症状は未分化なものが多いのではないか。

2979
傷つけられた人が、次には傷つける側に回る。意識しないままに、そのような役になる。なぜか?一部分は「取り入れ」による。また、傷つけることには特有の快感があり、傷つける行為は自分の傷を忘れさせる場合すらあるのではないか。
勿論、自分の傷を思い出してしまうので、傷つける行為に加担することはできないと考えることもあるだろう。
しかしながら、この世界からこれほどまで悪がなくならないのは、やはりからくりがあるはずだ。
そして、人は生まれた時から悪なのではない。この世の悪に触れることによって、何かが変容するのである。

2980
心的外傷を受けた人は、その後の人生において、悲惨、裏切り、不幸などに敏感になり、あたかもそれらを「選択的に収集し記憶する」傾向が生まれるといえるかもしれない。
うつ場面選択想起もそのようなものと考えられる。
うつだから、つまりそのような体質だからと考えるのも一つの方法であるが、心的外傷の影響の一つが、そのような選択想起を固定させることであると考えられないだろうか?

だからその後の人生が陰鬱なものになる。

2981
心的外傷の話のこの妙な説得力は何だろうか?不思議なくらいである。

2982
虐待
老人を虐待していると見える。

老人は子供に帰っている。食事は介助が必要、おむつをして取り替えてもらう。こんな中では全面的依存になる。人間としての欲求を主張することもなくなるし、自尊心もなくなる。意欲はない。感情制御はできない。目的的行動がなくなる。

そうしたことは痴呆の結果なのか。ホスピタリズムという側面からの理解が正しいのか。外傷性障害という理解が正しいのか。まわりの患者を見せつけられて、その結果自分の像を描き直すこともあるだろう。
人生の最後がそのようであってよいものだろうか?

しかしまた、老人は現実把握が歪んでおり、妄想の中で、虐待されていると感じている部分がある。
また、病棟での虐待は職員側の立場の優位を基盤としているし、家庭での虐待は他の家族の肉体的経済的優位を基盤にしているけれども、逆に、自分は痴呆老人でありわがままを言っても許されるのだという逆の優位を利用する老人もいて、その場合には事態は複雑である。
病棟で断片的にやりとりを見ているだけでは分からない。
結局事例ごとに細かく観察診断しなければならない。

現実にはどうしようもないのだということも分かる。経済的に余裕があれば解決できる部分もあるけれど、みんなに可能なわけではない。

2983
レストランで小耳に挟んだ会話から。
「精神科なのに、行ったらいきなりドグマチールを出されたらしいの。精神科なんだからまずよく話を聞くのが大事だと思うのに」
なるほど。すぐに診断がついても、薬をポンと出してはいけない。慎重に話をよく聞いて、その上でお薬をお勧めするという態度が大切である。
したがって、つぎのようなスケジュールになる。
1)初診時、薬についての希望を確認する。対話と納得である。
2)初診では病歴聴取。
3)二回目に心理検査を何か一つ。
4)三回目に「これまでの」データから、診断面接を何度かに分けて行いましょうと導入する。
5)早く薬がもらいたい人なのか、慎重にしたい人なのか、区別して対応する。
6)一般人の、精神科薬に対する心理的アレルギーは大きいと想定して対応する必要がある。
7)心の悩みを薬で治すなんて、お門違い、はっきり言えば誤診、薮医者、カウンセリングを求めてやって来るのだと知ることが大切である。

2984
分裂病論と解離性障害との結合
分裂病は深刻な心的外傷となりうる。(痴呆も同じく深刻な心的外傷となる。)したがって、解離性症状を伴う可能性が高い。
1)異様な体験、世界変容感、これは自分をとりまく世界のゲシュタルトが変換してしまう事態である。意味の枠組みが一挙にずれる。(ドーパミンレセプター過剰状態の時に過剰なドーパミンが発生した場合。典型的には分裂気質の人が思春期になり刺激過剰となった場合。→しかしこのことが本当は何を意味しているのか?たとえば、これが幻覚妄想状態の実体であるとしたら、以下に述べる反応性の事態は何だと考えるべきか?)
異常なほどの孤立感。孤立無援感(helplessness)。迫害者に包囲される感覚。不気味な孤独感。世界は変容し、自分は取り残される。あるいは自分は変容し、世界はよそよそしい。

これが原発症状と思われる。何かもっと適切な表現があるかもしれないが、いずれにしても、これはレイプや戦争体験、災害体験に匹敵する、心的外傷となりうる。
2)対処として解離。
3)陽性症状と陰性症状
幻聴。これは実は解離症状。反応である。第二人格と第一人格との対話(二人称幻聴)。あるいは第二人格と第三人格の対話(三人称幻聴)。あるいはまた、離人症状。

たとえば中安の仮説の後半部分については、解離性障害を骨格としてもいいかもしれない。?

わたしの従来の言い方でいえば、「神経症成分」である。その実体を明示するのが、解離性障害である。
こうして考えてくると、解離性障害とはつまり、神経症性部分、反応性部分、異常人格反応の部分といえるだろう。シュナイダーの異常人格反応は、複雑性PTSDを指していると考えてもよいのではないか。

2985
オウムが再び活発化と報道。
現代の若者の傾向。催眠傾性、解離傾性、衝動性、非内省性、これらは連動していて、オウムのようなカルト型宗教の素地となっている。
オウムの場合には宗教の側面ではなく、監禁と脅迫と薬剤を用いた洗脳が実行されていた側面を重視すべきではないか。

2986
若者の「キレル」現象と戦争
戦争は人口の調整機能があると同時に、人口の中で、衝動コントロールの悪いものを排除する機能があるのではないか。
戦争で生き残る人と死んでいく人の区別。
律儀で真面目な人は死にやすそうだ。衝動的で事故コントロールの悪い人は死にそうだ。
ずるい人は生きるだろう。
カッとなったり、キレたりする人は死ぬだろう。
大義に殉ずるとか、裏表のない人は死ぬだろう。
何が自分にとっての利益かを見失わないでいられる人は生きるだろう。

そのようにして選別がなされる。そのあとで二、三世代が経過している。
戦争直後の世代は、選別された直後であり、自己コントロールが高い。学力も高かった。世代を経るにしたがって、統計的にばらつき、現代では学力も落ちて、並の国になりつつある。
「戦争を知らない私たち」はこのようになりました。

ドイツと日本で、几帳面さが際だっていて、……などの議論は、戦争でどのような人間選別が行われたかということと関係があるのではないか。

わたしは、本当に立派な人、倫理的な人は戦争で死んでしまったと、悲観的になっていた。しかし実は、戦争があって、悪い人が選別されていなくなって、戦後はよい国ができた。
時間がたって、また本来あるはずの統計的なばらつきが回復してきて、犯罪は増え、凶悪化し、学力は低下してきている。

2987
わたしの言う、自意識と他意識の分化も、元をたどれば解離性の分化かもしれない。
こうした分化をどの程度意識しているかについては人によって様々ではないか。
何かに熱中して我を忘れているとき、この分化は消滅している。そしてその時間はたいていよい時間である。恐怖に駆られて、その結果として分化が消滅する場合もあるけれど。

自意識と他意識は、次元が異なる。同一平面上にない。反省意識のレベルが一つ上である。意識についての意識である。ここの微妙なズレが、問題ではないか。

2988
社会的役割理論と分裂病
人間の集団があれば、誰かがリーダーになり、誰かが道化になる。そして誰かが分裂病になる。人間の自然集団の規模はほぼ決まっていて、その中での分裂病役割を担う人の数も決まっている。したがって人口全体の中での分裂病の数も決まっている。
このように考えても面白い。

2989
傷つけられた心を背負った者
傷ついた人生
そのような人たちが集まって、幸せに生きられるものだろうか

狩猟用の矢が刺さったまま飛び続ける鳥がいる。テレビで痛々しい姿。
トラウマを背負いながら生きる人の姿である。

ドラマ「青い鳥」
自分では背負いきれないトラウマを、他人同士が補いつつ生きることができるのだろうか。

2990
自律訓練法の感覚
注意を自分の呼吸と手足に集中すると、頭のどこかが切り替わるのが分かる。テレビのチャンネルを切り替えるような感覚である。カチッと切り替わり、さっきまで心を占めていた映像は消え去る。

2991
トラウマに際しては、理不尽さ、つまり、「なぜ自分がこのような運命を?」という問いに答える必要があると思う。

そしてそれは「神はどこにいるのか?」という問いにつながる。神は何を意図しているのか?

トラウマ体験がなければ、神も不必要な装置であろう。

2992
「命さえ忘れなきゃ」岩波(朴慶南
朝鮮人学校の四人組が電車に乗ろうと並んでいる人たちを無視して席取りに走る。あまりに目に余るのである日注意した人がいた。それに対して、「差別だ!朝鮮人だからといって差別するな!」と言い返した。
・障害者のA君を公立高校に入れてあげたいと署名運動が起こった。A君はいい子だし、クラスのみんなが面倒を見ている。でも、わたしは成績が悪いから公立高校には行けない。それでもA君のために署名をするのだろうか。
●成績が悪いのは努力が足りないからだとの前提がある。確かに努力が足りないせいもあるだろう。しかし知能は努力だけで補えるものではない。また、努力することは本人の気持ち次第だというなら、浅薄である。そこにもどうしようもない事情というものがある。状況も、脳も。
だから、かわいそうなA君とかわいそうな「公立高校に行く学力のない筆者」と、何の違いもないと思う。
しかしながら、そうした一般的な知力の差は、社会での有用性の差と連動していると信じられているので、「差別」につながる。
朝鮮人だから、女だから、貧乏だから、その他にも理由はつけられるだろう。差別だと叫ぶ。
悪い人間は、差別する側に回れば、悪い差別をする。差別される側に回れば、差別された!と言い立てて自分に有利に事を運ぼうとする。
そんな人のおかげで、差別する側もされる側も迷惑を受けている。

2993
テレビドラマで
わたしはあの人を殺したいんじゃない、そんな単純なことじゃないのよ、わたしはあの人の心を殺したい。

これは逆恨みのドラマ。
新婚の妊娠中の女医がいる。生育歴は悲しみに満ちている。実の母とも別れてしまいひとりぼっちである。夫はひき逃げをしてしまう。目撃者が警察に連絡をした。夫は悲観して自殺してしまう。その衝撃で流産する。
偶然のことから目撃証言した女性を知る。逆恨みが始まる。復讐は、彼女の心を殺すことだと語る。

ドラマの作り方としては、最後には、このような逆恨みは無益で、自分自身をも滅ぼすものである、極限状態では人は逆恨みをしたりもするが、そんなときにも愛を忘れてはいけないなどと教訓を付け加えて、残虐な場面も、すべてその主題のために必要な描写であったといいわけをするだろう。
しかし見るものの心に残るのは、圧倒的に逆恨みの晴らし方の具体例であろう。
1998年2月5日(木)

2994
朝日新聞で1998年2月5日(木)
スナック菓子を多食し、きちんとした食事をしない現代型栄養失調が、キレる一因と指摘。
食事内容を調査し、野菜、魚などをよく食べる食事を良い食事、カップ麺や缶ジュースをとる食事を悪い食事と評価する。五段階に分ける。
いじめている、すぐカッとする、自殺したいと思ったことがある、根気が泣く飽きっぽい、などを同時に調査した。
食事が悪くなるほど、様々な問題が増えた。
全体に親の関心が薄い子ほど、家族そろって食べる回数が少なく、食事の質も低い。脳の健康に必要な栄養がとれていない。
80年代のアメリカの少年院。菓子や炭酸飲料を除き、新鮮な野菜、果物、全粒粉パンを与えた。けんかや看守への反抗が半減した。
凶暴な少年たちはビタミンB群、鉄、亜鉛などが不足していた。
理想的な食事は60年頃の日本の家庭料理だ。

2995
「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン
●意外に骨が折れた。不親切で抽象的な言葉が多い。翻訳になるとなおさらなのだろう。翻訳は柔らかい砕けた調子にしたと言っているが、中井久夫の頭はややおじいちゃんかも知れない。
・回復過程‥‥安全の確立、外傷物語の再構成、生存者とそのコミュニティとのつながりの取り戻し。
・人間の本性の中にある、悪をやってのける力と対決すること。
●悪にも存在理由がある。悪も人間の存在を助けているかも知れない。一瞬そう考えて、もうそれ以上はどうでもいいことのように感じてしまう。
・教会支配への反発‥‥ヒステリー
戦争崇拝への反発‥‥戦争神経症
フェミニスト運動‥‥性的虐待家庭内暴力
それぞれに社会背景がある。こうした背景がなければ、顕在化しなかっただろう。
●こうした社会学的指摘は有益である。面白い。
・患者の過去の再構成が有効である。
●それはなぜなのか。謎である。
・17世紀、科学がスコラ哲学に挑戦したとき、「本からではなく、自然から学べ」が合い言葉だった。
●これが正しい。大切なことである。しかしこれができる人は少ない。たいていの人は本と社会から学んでいる。
・脅威に対して、通常は闘争か逃走かで反応する。しかしどちらもできない場合、解体が起こる。現実の脅威が去った後でも、長期間持続する。症状は一人歩きをはじめる。
●こころの辞典で心身症の項目の説明に使ったのと同じ説明がある。心身症は緩慢なPTSDであった。

2996
「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン
・ジャネ:ヒステリー者たちは、彼女らを圧倒した事件の記憶を(意識に)統合する能力を失った人たちである。
・記憶と知識と感情の正常な結びつきが切り離されてしまう。
●苦しすぎるから解離して防衛する。それを言語化して物語ることが「意識への統合」の達成であり、治癒である。しかしそれは結果かも知れない。統合されたから、物語ることができる。そういう事情である可能性もある。
PTSD症状の三大別
過覚醒 hyperarousal:長期間にわたって危険に備えていたことの反映。持続的警戒態勢。交感神経の慢性的賦活状態。
侵入 intrusion:心的外傷を受けた刹那の消せない刻印を反映
狭窄 constriction:屈服による無感覚反応を反映
・過覚醒
リラックスがない。小さな刺激にも過剰に反応する。不眠。心身症的愁訴、悪夢。
・侵入
再体験、フラッシュバック、統合されない記憶。それは厳密には記憶ではない。加工を拒む。
コルク:交感神経系が高度に賦活された場合には、記憶においては言語性記銘力が不活性化され、中枢神経は幼少時の感覚性、映像性(イコン性)形式に戻るのではないかと憶測している。
・外傷後の遊びは強迫的に反復される。
●子供‥‥遊び
大人‥‥イメージ想起
どちらも加工なし

2997
「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン
・外傷体験は何度も立ち戻って侵入する。フロイト反復強迫と名付けた。外傷体験を消化し乗り越える方策と考えた。しかしそれでは再演の持つ、「デーモン的」な質を捉えそこなっている。意識の意向を無視し嘲笑し変化に抵抗する。適応的・生命肯定的とは考えられず、「死の本能」と説明した。
・ジャネは、表現こそしていないが、外傷が人の心を傷つける本質は孤立無援感にあると認識している。回復には自分には力があり役に立っているのだという、力と有用性の感覚が必要だと分かっていた。
・侵入現象を、外傷を統合しようとする内発的試みとしている。
・新しい情報を処理して、内的図式をアップトゥデートなものにする。
・何が起こったかを理解する新しい「心的図式」を生み出したとき、その時だけ治癒する。
●内的世界モデルの改変が起こらないと、その体験は居場所が与えられない。居場所が与えられるとは、意味が与えられ、納得されるということだ。→しかしながら、外傷体験のようなむごい経験がどうして、人生の経験として「統合」されることができるだろうか?せいぜい忘れることができるだけではないか。
・外傷を受けたときの圧倒的感覚を生き直し、その支配者となるための試み。
●なぜ反復が体験消化に結びつくのだろうか?慣れるということか?

2998
「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン
・反復は苦しいからと回避すれば、意識の狭窄、引きこもり、人生の貧困化を招く。
●そうだろうか?そうまでして戦いを挑み、豊かな人生が得られるのだろうか?勝つ人生、自分の人生を自由にコントロールする人生ということか。しかしそんな人生は、外傷体験がないとしても、不可能に近いのではないか。
外傷に対して絶対に克服しなければならないという極端な考えではないだろうか。‥‥
・狭窄。‥‥意識状態を変えることによってそこから抜け出ようとする。
・狭窄のもたらすもの‥‥知覚変化(マヒ)、感情的変化(変性意識)。深い受け身感、超然状態。トランスとの類似。
解離状態とか、離人状態。
・コルク:戦争帰還兵に痛覚の半永続的な変化がある。内因性モルヒネ様物質の調節に長期間続く変化を起こすのではないかと示唆している。→トランスの生物学的基礎。
・解離の代用品としてのアルコール、麻薬。
●注意のスポットライトを狭める。そうすれば余計なことは見えなくなり、心の平安が得られる。
・狭窄症状は未来の予見や計画立案を妨害する。迷信深さ。未来短縮感。
●未来短縮感。「はやく年をとって60歳くらいになりたいですね」と貴ノ花が語っていたことを思い出す。

2999
「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン
・外傷的事件は基本的な人間関係の多くを疑問視させる。感情的靭帯を引き裂く。それは自分以外の人々との関係において形成され維持されている自己(セルフ)というものの構造を粉砕する。
・人間の体験に意味を与える信念のシステムの基盤を空洞化する。自然的、超自然的秩序への信仰を踏みにじる。
●神の問題は無視できない問題のようである。これは日本とは違う感覚だろう。
・ホロウィッツ:外傷的事件とは「被害者の〈世界との関係における自己〉の〈内的図式〉に同化し得ない事件」である。
・世界の安全性に関する基礎的前提を破壊する。
・自己の積極的肯定的価値を破壊し、創造された世界の意味ある秩序性を破壊する。
・安全保障感の喪失。世界の中にいて安全であるという感覚、基本的信頼。
●ドラマ「新宿鮫」。同僚によるあからさまな裏切りと悪意。死にさらされる。その傷つきをいかにして癒すことができるか。それはつまり、世界と人に関しての信頼をいかにして回復できるかということだ。そして、それは不可能、世界の大部分は腐っている、しかしそれでも、腐っていない一部分に希望を託し、信頼していくのだと、祈るように考える。
・母と神は慰めと庇護の最初の源泉であり、母と神を求めて泣き叫んで応答がなかったとき、基本的信頼感は粉々に砕ける。見捨てられ、孤独で、人間と神とのシステムの外に放り出されたと思う。疎外感、離断感。信頼が失われたとき、自分は生者よりも死者に属していると思う。内的荒廃感。

3000
「二度と見捨てられることのない人間関係があるのだと保証すること」。しかしそのことを実行することができるのだろうか?そんなことを言ってしまっていいのだろうか?
二度と見捨てられない関係など、母と子の間でも現代では不可能のようだ。
境界例など、対人関係に問題があり、不安定に関係を壊し続けている人たちの場合、安定した関係を築くことが最終目標でもあり、その目標にいたるために必要な「栄養分」もつまりはそうした安定した信頼関係である。それが欠けているのだ。治療は難しいと悲観的にならざるを得ない。
文章でつづるだけならばいくらでも美しいことが書けるだろう。しかしそのような暢気な態度ではすまない現実がある。
医者には転勤がある。24時間をその患者に捧げるわけではないから、現実には「見捨てない」というメッセージを実行することは無理だ。「それほどの心意気である」というあたりで妥協してもらえればそれでもいいのだけれど。

不可能なことに、愚かな故に挑む。残酷なことであるが鈍感な故に続けられる。そのようなことであってはならないだろう。

共に修復を試みるべきは、治療者ではなく、別の誰かであるはずではないか。それをどうするか。